『内村鑑三 所感集』より: 『神はさまざまな方法をもって我らを助け給う。あるいは霊をもって、あるいは物をもって、あるいは友人をもって、あるいは敵人をも…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『神はわれわれ人間よりもはるかに心の広い方であって、われわれならばもうとっくに仲間だと考えないような多くに人たちをも、なお失…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『ある文筆家は正当にもこう言っている。本当に大切なのは、正しい道にあることだけである。そうすれば、ほかのすべてのものは自ずか…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『創世記第四九章の、ヤコブがその子供たちに与えた祝福は、今日から見てもなお注目すべき二、三の予言を含んでいる。まず第10節は…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『すべての人間の生涯に非常に多くの神秘的なものが含まれているので、ある点からすれば、完全に真実な伝記などは世になく、またあり…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人間にはそれぞれ、善い天使と悪い天使とが一生の間つき添っていて、そのどちらかの天使がその考えを人間の耳に囁くというのは、お…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著 『こころみに、しばらく批判することをすっかりやめてみなさい。到るとこで力の限り、すべて善きものを励まし、かつ支持をするよう…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『善き思想は決して人間が自分ひとりで作ったものではない。ただ、その思想が人間を通して流れて行くにすぎない。こうして善き思想が…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『この世には、愛はほんの僅かで、エゴイズムばかりが多すぎる。、だからわれわれはこの哀れむべき人間を見捨てて、彼らを軽蔑したい…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『愛のとりわけ有り難いの点は、ただ愛し返されることだけではなく(これは、その愛がいくらか永続きし、また強いものなら、ほとんど…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『キリスト自らは、神を怒りの父などと言い表したことは一度もない。それが最も言われそうなあの放蕩息子の譬え話(ルカによる福音書…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人に対してもはや愛が持てなくなったり、あるいはペシミストや人間軽蔑者になったことを弁解しようとする人たちは、いつも決まって…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『「神の怒りは」は、ただキリストの受難と死によって、いわばその血によってのみ鎮められたという教会の教理は、私には十分納得でき…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『悪の力のもとは私たちの恐怖心である。私たちがそれを恐れなくなれば、悪はたちまち力が弱くなってしまう だからこそ神は、悪にこ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『神との関係は、何よりも先ず、われわれの側において徹底的に誠実でなければならない。信仰の大きな動揺や、そればかりか背信があっ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『あなたはこの人生において、一人の善き人間になるべきである。なぜなら、常に善き霊の励ましに従い、その他のすべてを拒むような一…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『われわれは、すでにこの世において次のような幸福を知らなければならない。すなわち、どんな事情のもとでも、また、誰でもみな、手…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人間の力の秘密は、神の道具であるという性質にある。なぜなら、すべて永続的な真実の力は神のものであって、人間のものではないか…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『愛というものは、人を欺きがちな、あるいは少なくともしばしば実行し難い言葉である。人間に対しては同情が、神に対しては信頼と感…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『世間の人に「忍従」を説教したり、みずから嘆息混じりに己が十字架を重そうに背負い、この涙の谷を通って、よりよい永遠へ巡礼する…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『われわれの内的人間が外に現れている人間とどのような結びつきにあるかは、われわれにはまだ十分に理解されていない。しかし神の感…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『あまり活動的でなく、思弁に溺れがちの、学識ある、ごく少数の人たちだけが、仏教の方がキリスト教よりもまさっていると考えている…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『列王紀下5の15ー19、ダニエル書3の28、6の27、創世記3の6・16。ヨーロッパの文明民族の宗教史をイスラエル民族の宗…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『徳というものは、それを人々に命じることも、また元来教えることもできない。むしろただ徳の効果を人々に教示して、彼らの内に徳に…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『ピテカントロプス(化石で発掘された原人)やその他の類人猿の発見も、聖書の真理を揺るがすものではない。これはちょうど、プトレ…
スイスの哲人、カール・ヒルティー著『キリスト教の真理を本当に人に納得させる証明といっては、全くただ一つ
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『マタイによる福音書20の25−28⭐️のキリストの言葉は、最善の人でさえ、辛うじて、しかも多くの苦い経験を経たのちに初めて…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人間のすべての性質の中で、嫉妬は一番醜いもの、虚栄心は一番危険なものである。心の中のこの二匹の蛇から逃れることは、素晴らし…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『おそれは、常に、なにか正しくないことのしるしである。その正しくないものを探し出して徹底的に克服しなさい。そうすれば、おそれ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『正しく送られた人生において最後にいだくモットーは、必ず平和と親切という言葉であるに違いない。そうでなかったら、その生涯はた…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『明日のことを思い煩うな。1日の苦労はその日1日だけで十分である(マタイによる福音書6の34)。 この有名な言葉の後半は極め…
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『内村鑑三 所感集』より: 『神はさまざまな方法をもって我らを助け給う。あるいは霊をもって、あるいは物をもって、あるいは友人をもって、あるいは敵人をも…
『もし貴方が、今ちょうど、生涯の荒涼とした暗い時期の一つに臨んでいるのなら、将来のいろんな計画に手をつけたり、または、今更どこかを改めようもないのに、過去…
『人間の共同生活を非常に楽にする気持ちのよい性質は、出来る限り他人の願いに喜んですぐ応じるような、ある種の親切と気軽さである。ところが人に人によると、眼に…
『内村鑑三 所感集』より: 『歓べよ、感謝せよ、しかしてさらに大いなる恩恵を仰げよ。感謝は有効なる祈祷の要素なり。神は感謝なき祈祷に耳を傾け給わず。感…
『内村鑑三 所感集』より: 『人に愛情なしと言うかなれ。人に愛情なきにあらず、我に愛情なきが故に人に愛情なきが如くに感ずるなり。我に愛情ありて世に愛情…
『内村鑑三 所感集』より: 『善なるキリスト、弱きキリスト、しかり、彼は善なりし故に弱かりしなり。彼のは善を愛するの心ありたり、しかれども善…
『内村鑑三 所感集』より: 『集会の勢力によざれば神と人とに尽す能わざる者は禍なるかな。ひとり真理の燈台となりて世の暗黒を照らす能わざる者は禍なるかな…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自信に満ちた指導…
『人間同士交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自身に満ちて指導者…
『内村鑑三 所感集』より: 『余輩を隠遁者と見做す者あり、しからず余輩は隠遁者あらず、罪の世と交わらざるのみ。余輩の頭上に穹蒼(おおぞら)の天幕のごと…
『内村鑑三 所感集』より: 『聖書智識のみは人を救わず、聖書智識に加うるに聖霊の能力(ちから)をもってして人の霊魂は救わるるなり。聖書そのものは死せる…
『内村鑑三 所感集』より: 『マタイ伝はマタイ伝として研究せよ、マルコ伝はマルコ伝として研究せよ、ルカ伝はルカ伝として研究せよ、ヨハネ伝はヨハネ伝と…
『内村鑑三 所感集』より: 『春陽の来福はキリストの復活について思わしむ。キリストは甦り給えり、しかして万世の救い主となり給えり。復活後の彼は言い給え…
『社会主義の最も厭うべき点は、そのためだけでも私がこの主義に賛同しかねるのは、社会主義が嫉妬を人間の行動の主な発条(ばね)としており、また実践活動において…
『出エジプト記二〜四、詩篇一一〇の一〜二。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇一一〇の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つ事…
『内村鑑三 所感集』より: 『救済(すくい)は事実なり、意識にあらず。また信仰にあらず。我らは救われて救われるるなり、識りて救わるるにあらず、信ずると…
『真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。既に落ち着きをえてから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間は我々に有益な…
『内村鑑三 所感集』より: 『戦捷の結果は何? 国債の激増、投機熱の昇騰、軍備の拡張、しかしてこれに伴う美術、文学、哲学、道徳、宗教の衰退これなり。肉…
『ところで、キリスト教の揺るぎない真理と偉大な生命力との証拠は、その直接の敵対者を常に征服してきたことだけではない。ーーこれはむしろ大したことではなく、いや…
『人間の共同生活を非常に楽(らく)にする気持ちのよい性質は、できるだけ他人の願いによろこんですぐに応じるような、ある種の親切な行為と気軽さである。ところが人…
『そこでまた、われわれの心になお何物かが残って、時々こう抗議するだろう。おそらく一切は感覚的の知覚できない単なる「形而上学」であり、要するに人間とまたその生…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常にお大きな意味を持っている。なぜなら、たいていの人は、彼らを指導してくれる他人を求め、そういう自信に満ちた指導者…
『それゆえ旧約聖書は、この関係を常に、双方に権利のある契約にたとえている。自分の方からこの契約を正直に守ろうと思う者は、自分の権利をあまり強く主張する必要は…
『出エジプト記二ー四、詩篇110の1・2。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇110の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つこと…
『それゆえ、自分の決心よく確かめて、場合によっては自分の経験に聞き従うことが、信仰に入る第一の条件であるが、しかし元来それは自分の意志行為であって、傍から誰…
『まっさきに人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。すでに落着さを得てから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間はわれわれに…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『これまで抽象的哲学は実際に、「存在」をも「生成」をも満足に説明することが出来なかった。ましてこの二つの根本概念を結びつけて、一つの統一的な原理からこれを解…
『ヘブル人への手紙一〇の三〇、申命記三二の三六。「主はその民を裁くであろう。」この言葉は、苦難に臨んだ時に、とくに全民族の苦難の時に、われわれが持つことので…
『これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。そしてーー早速こう…
『ブルームハルトや、その他の歴史的に確証されている奇跡を行った人々の「力」に源(みなもと)をなしているのは、おそらくただ「私欲のない」愛であった。このような…