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畑に吹く風 https://blog.goo.ne.jp/yukiguni01-47

 雪国魚沼生まれの魚沼育ち。生粋の田舎人です。愛犬マックスと共に畑仕事や魚沼の自然を紹介しまします。

 早期退職をして早六年。細々と始めた個人経営の農産物直売所の営業も五年目のシーズンを無事に終えています。 無農薬、減農薬を主体とし、減化学肥料、有機主体の農業に挑戦しています。 石の上にも三年。徐々に畑の趣旨も知られるようになり、長岡の「越後の台所 すずきち」は大のお得意さん。なんと、お店には私たち夫婦と私の畑の写真が沢山掲げられていますよ。

スベルべ
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魚沼市
出身
魚沼市
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2012/03/02

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  • ジャパントラベルアワードに挑戦

    いつも野菜を納めている、スズキチさんがあるイベントに参加する。「ジャパントラベルアワード」の、サステナビリティ、インバウンドへの取組みにです。分かり難いですが、外国人観光客に、持続可能な暮らしを見ていただくという事。そこで、我が家の山の畑で野菜を収穫体験し、料理して食べようという計画なのです。観光が一つの大目的ですから、わが故郷を例のビューポイントから見ていただきます。そのために、友人に依頼して草藪と化している畑の中の道を切り開いてもらったのでした。昨日は夕方近くに、依頼した草刈りの跡をチェックに行きました。台風10号の襲来が心配される、日々ですが稲刈りを控えたわが故郷です。今年は、昨年ほどの猛暑・酷暑ではなかった魚沼地方でした。そこそこの降雨もあり、稲作には素人の私の目からも、品質の良さと収量が分かりま...ジャパントラベルアワードに挑戦

  • 連載322「地域スポーツに参加」(その2)

    最も力が充実していた時代の「フォルテ」のメンバー。このころは、実戦からは遠ざかりたまに応援に行く程度。でも、後事を託した若い仲間は、メンバー表に私の名前は残していました。地域スポーツに参加(その2)社会人リーグに出場していると、それなりの人脈もできてきます。職場関係のつながりもあり、六日町地区の大会にも出場し、顔見知りが増えたことも楽しい思い出です。夢中になり休日、夜間もそのために費やす時間が多くなり、日常生活のすべての場面がバドミントンに繋がっていく。通勤電車の中でも座らずに、かかとを上下してふくらはぎを鍛える。家でテレビを見るときは、足を持ち上げ腹筋運動をする。職場では、一階から三階までの階段を昼休みに、二十往復することを日課にした。地元の小出バドミントンクラブにも加入したが、誰よりも早く会場の小出小...連載322「地域スポーツに参加」(その2)

  • 弥彦から寺泊へ

    この尾根の向こうから、春の残雪の中を昇って来たのでした。標高634mとは言え、まともにこの高さをしかも、道なき道を登るのはきつかったですね。目を南方に転じると、海岸線が見えます。左方(東方)から右方(西方)の海岸線に流れ出る川は「大河津分水」です。弥彦山から一気に下り、先ほど見えた海岸線を走ると寺泊。最近すっかり有名になり、観光地化した通称「魚のアメ横」に立ち寄りました。往復二日間で360キロを超える長旅をひとりで運転でした。そのご褒美はこれ。珍しく並べられていた、大好きな「シマアジ」です。結構高価な、サク1本でしたが、スベルベの包丁さばきはこんなもの。もう少し、薄くそして斜めに大きく切ったらよいのに、厚々と切ってしまった。久しぶりのシマアジの味と、ビールから始まった晩酌は一段と美味しかった。こうして、ス...弥彦から寺泊へ

  • 弥彦参り(その3)

    弥彦神社本殿の左側にはこんな看板がありました。万葉の道とあるが、ロープウェイ乗り場、登山道などへと続く道です。いずれも、数100mでその場所には行けそう。ロープウェイを使って登ろうという気持ちは無く、その後自動車で山頂へ向かった。自動車でそのまま山頂まで行けると勘違いして、ここを通過してしまった。歩いた山頂に行けるコースもあるけれど、普通はここからケーブルカーで登るらしい。スベルベママとの初デートのスポットだというのに、かれこれ50年も前のこと。すっかり忘れていたけれど、なんとスベルベママは一緒に食べた食べ物まで覚えていました。さて、何故山頂まで行けるかと勘違いしたのはこのためです。これも10年も前のことになるが、道路除雪中の弥彦山を裏から登ったことがあった。先ほど、案内板にあった表からの登山道に比べて裏...弥彦参り(その3)

  • 弥彦参り(その2)

    話がとびとびになってしまいましたが、弥彦参りの続きです。立派な手水場で、手を洗い清めて参拝の準備です。やはり、客は少なめでした。本殿の前の石畳の参拝路には短めながらも行列が出来ている。遅めの昼食後という事で、参拝者も少ないのでしょうかね。暑い日でしたから。建築後何年を経過しているのかは、調べませんでした。それほど古くは見えないけれど、それでも歴史は感じさせられますね。不信人者のスベルベは賽銭こそ上げましたが、簡単なお祈り。神社仏閣で、それほど真面目に願い事をする主義ではないから尊敬のご挨拶。本殿の後方には、山頂まで上がるロープウェイが見えます。表側と言うか、こちら側からの登山路もありますが、標高634mは登りに時間もかかります。(続く)弥彦参り(その2)

  • 連載322「地域スポーツに参加」(その1)

    懐かしい第一回社会人リーグのパンフレット。42年も前のことになりました。積み上げた、パンフレット。プログラムの数々です。地域スポーツ活動に参加(その1)堀之内町小学校の体育館一般開放を利用した、スポーツ教室のバドミントンにも熱心に通い出した。そんな活動が目に留まったのか、当時の役場の教育委員会からの依頼で体育指導員となり、最後はなんと運動音痴で鳴らした私が、体育指導委員長まで務めることになったのは、夢のような話です。少しはゲームが恥ずかしくも無い、形になりつつある頃、県の中心地区でバドミントンの「社会人リーグ」を発足させると言う記事が地方紙に載った。職場で十人ほどの仲間を募り、参加の申込みをした。(そのリーグ戦も今年で30回を超える年月を迎え15部120チームの参加となっている。)わがチーム「国鉄フォルテ...連載322「地域スポーツに参加」(その1)

  • 渾身の招待料理(その2終わり)

    山本山のヒマワリ畑でも見物に行こうかと思ったけれど疲れ激しく中止。越後川口温泉で、一時間余り疲れを取るための入浴を楽しんで帰宅しました。温泉は結構汗を流しますから、まずはビール。頂き物の高級ビールで乾杯です。最近は、発泡酒に切り替えていたから高級ビールの美味しさが喉にしむ。夫婦二組揃って、「ふーっ、美味しい!」なんて言葉が一斉に出るのでした。そして、なんとタイミングよく鹿児島の友人から届いたお酒がありました。フェースブックのコメント交換で知り合った方から、本場のイモ焼酎を頂いたのです。フェースブックで我が家の畑や野菜を見てどうしても味が見たいと言われる。それでは、兄妹縁者に送り、時間に余裕が出来たらと約束していた方なのでした。イモ焼酎とはいえ、独特の芋臭さは無くてフルーティーなお酒。これは美味しい。軽い感...渾身の招待料理(その2終わり)

  • 渾身の招待料理(その1)

    一昨日は義母の一周忌で、スベルベママの兄弟も全員集合。当日はみんなで、スベルベママの実家泊でしたが、翌日は我が家に札幌在住の姉夫婦が来宅。103歳で天国へと旅立った義母の一周忌。参加した兄弟たちも後期高齢者が大半。北海道から、フェリーを使っての旅でしたが、次にいつ来られるかと言う保証もなく、御馳走で歓待。我が家の御馳走に加えて、法事の御馳走の持ち帰りも加わります。法事の後に取った仕出し料理は、スベルベが納めているナスもちゃんと使われていました。この日のためにと、冷凍保存していたウナギは白焼きで。白焼きは、ワサビ醤油で食べたけれど、義兄は北海道では食べたことが無いと大喜び。左側のナスは崩してしまいましたが、ナスのステーキです。崩したナスは、上に花かつおを乗せて醤油味で食べる和風ステーキです。義兄が食べたいと...渾身の招待料理(その1)

  • 弥彦参り(その1)

    実家の母の一周忌に合わせて、新潟に来たスベルベママの姉夫婦。弥彦参りをしたことが無いという、夫婦を前夜泊った瀬波温泉から直行です。正午を少し回った時刻で、まずは腹拵えと近くの蕎麦屋へ。スベルベは野菜天ぷらそばを注文。野菜には興味がありますからね。蕎麦は細切りで上品です。やや少ないかと思ったけれど、食べ終えると量にも満足。野菜は朝採りと見えて、どれも新鮮で美味しい天ぷらでした。やはり、素材ですね。夏休み中にも関わらず、参道にも人は多くない。午後一番の最も暑い時間帯で、皆さんが避けていらっしゃったのかな。今から68年前の事でしたが、二年参りの参拝客が石段で重なり落ちる大事故。折り重なって下敷きで圧死したりで、124名もの方が命を落とすという大惨事でした。小学生だったスベルベも新聞の一面に大きく報じられた紙面を...弥彦参り(その1)

  • 連載321「バドミントンにのめり込む」(その2終わり)

    ほぼ、社会人バドミントンリーグ引退したころですが、名前は登録されています。チームとして、最も力が充実していた時代。15部まであってその4部に位置していました。町の大会、会社での大会では、入賞しました。時には優勝したことも。バドミントンにのめり込む(その2終わり)その頃は寝ても醒めても気持ちはバドミントン。家の中でラケットを振って家族の顰蹙をかったり、通勤電車の中でも座らずに立って爪先立ちで筋力の増強に努めた。あの時代には苦しかった冬の除雪さえ、バドミントンのための筋力トレーニングだと思うと全く辛くは無くなっていました。こうして、熱中しているうちに、人間ドッグで指摘された血糖値の高さ「糖尿病症候群」糖尿病予備軍の症状もいつの間にか消え去っていました。50歳を過ぎるとさすがに責任のある仕事との両立は難しく、次...連載321「バドミントンにのめり込む」(その2終わり)

  • 連載321「バドミントンにのめり込む」(その1)

    社会人リーグに臨む我がチーム第一回バドミントン社会人リーグのプログラム回数を重ねたバドミントン社会人リーグ。そのプログラムですバドミントンにのめり込む(その1)体力がものをいう陸上競技とか、運動能力全体が高いものが主体の野球などとは、バドミントンは異なる能力が必要だとも思わされた。バドミントンは全身のバランスのとれた能力と、そしてもっとも大切なのは反射神経ではないでしょうか。運動神経と、反射神経は別物。と、言うのも感じさせてくれたのもバドミントンでした。30歳を過ぎて、遅ればせながら堀之内町のスポーツ教室にも参加するようになります。若い人たちがほとんどで、二歳上の先輩が一人いたくらい。スポーツ教室のバドミントン指導員には還暦を越えたと思われる、年配の男性もいた。その指導員には子供のようにあしらわれ、ネット...連載321「バドミントンにのめり込む」(その1)

  • 馬頭琴と朗読のコラボレーション

    それなりの忙しさに疲れたお盆明けの土曜日でした。8月の第3土曜日であり、サンドコンサートの日。迷った末の見物です。馬頭琴と朗読のコラボレーションなんて、想像もできない内容。でも、前半最後のモンゴルの民話「スーホーの白い馬」を聴き大納得の大満足。二弦であり、単純な音色を想像していた馬頭琴。馬のひづめの音からいななきまで見事な表現。馬頭琴も名前はきいたことがあるが詳しくは知らなかった。モンゴル版チェロと言ったところでしょうか。弦は二本で弦と同じに馬の尻尾で作られた弓で弾きます。馬頭琴奏者と朗読メンバー4人による恒例のくじ引きです。安い入場料に加え、景品が当たる抽選会迄行われるって最高ですね。日本在住らしく、ややたどたどしいとは言え自在に使われる日本語です。容姿もさることながら、見事な指捌きに見入ってしまいまし...馬頭琴と朗読のコラボレーション

  • スイカ割り

    間もなく5歳にな男の孫が、何処で見て覚えたのかスイカ割がしたいという。スベルベジーさんは、孫たちの来宅前に、山の畑に行き何個かのスイカを収穫でした。下のコンクリートは汚れているので、マルチシートを敷く。唐鍬の柄を替えようと買っていた、新品の木の柄がスイカ割の棒になった。ところが男の孫には棒が重すぎて、強く叩けない。2歳上の姉が、代わるとさすがに力があり、一撃でひびが入った。ひびが入ったのを見て、男の孫は再び棒を握って振り下ろす。今度は、ヒビが入ったスイカは簡単に割れることになったのでした。ものの見事に、パカーンと二つに割れて大成功。熟し方も真っ赤とは言えないけれど、まぁまぁかな。きっと甘いでしょう。今年のスイカ作りは、実は失敗でした。苗作りを間違ってしまった。そこで、市販の苗を買ってきて植えたのだが、これ...スイカ割り

  • 「萬民豊楽・五穀豊穣」

    昨日は朝6時から、志遊楽の夏祭りの準備。コロナ禍や社会情勢の変化で、楽しみの夏祭りも一日だけの開催になってしまった。それでも、全100戸余りの集落で、半数以上の皆さんが参集。長い幟旗用の杉の柱。2本の細紐を使い、上げ用・下げ用と使い分けるのです。幟旗の上部に、板を通して縛り付ける。細紐の通し方、幟旗の縛り付け方で、毎年迷いそして多くの声が上がるがそれも楽しみの一つ。何とか、旗竿は建てられて、幟旗も無事に上げることが出来ました。「萬民豊楽」って大好きな言葉です。全ての民が豊かに楽しく。良いなー。向かって右の、五穀豊穣は言うまでもありませんね。農村地帯の田舎にはピッタリです。幟旗は2組建てられますが、国道側には「奉献若宮八幡社」です。この神社の守り神は、なんと、八幡太郎義家で戦の神様なのですね。中越地震で神社...「萬民豊楽・五穀豊穣」

  • ジャガイモの次はブルーベリー

    今年の下の畑は果樹の実付きが良い。少し離れたところのじゅんべ、そしてこの畑のプラムと続き今はブルーベリーです。結構大粒のブルーベリーが色づき、三回目の収穫かな。この大きなブルーベリーの木は、遠く十日町から引っ越ししてきました。娘の婿さんの実家で母上が一人暮らしになり、管理しきれなくなった。伐ってしまおうかと思うという話を聞き、もったいないとばかりに移植したのでした。スズメやカケスなど、鳥たちの格好の餌となります。そのために今年は、防鳥ネットを丹念に張っていました。鳥は寄ってきません。孫たちをネットの下に潜らせて採らせます。3人の孫と、2人の親であっという間に大量の収穫でした。子供の頃の郷愁で、色々な果樹を植えましたが、全部が実が着くようになりました。最後は秋の味覚、柿になりますがそれはもう少し先になります...ジャガイモの次はブルーベリー

  • 孫たちのジャガイモ掘り

    孫たちが集まってジャガイモ掘りです。さすがにお姉ちゃんは、働き者で掘ったジャガイモを手際よく集める。ジャガイモ掘りも残すところは少なくなり最後の追い込み。孫たちに掘られせようと、短い畝2本のキタアカリを残していました。美味しそうなキタアカリですよ。男の孫たちは、ジャガイモ掘りにはすぐ飽きて、虫探し。すぐに、コンテナ3箱分のキタアカリを収穫です。トマトをもぐぞと声を掛けると、虫探しを止めて男の子たちも参加。もちろん、消毒・農薬は全く使っていないからもぎ取りながら食べさせる。どうだ、美味しいでしょう。入れ物が足らなくなって帽子も入れ物代わりに。子供たちが最も興奮したのはスイカの収穫でした。特に一番年下の男の孫は、スイカが大好きとあり、ジーさんの支持も待たずにプツン。「ほら、このね、巻蔓と言うところが枯れると仲...孫たちのジャガイモ掘り

  • 連載320「バドミントンは本格的に」(その2)

    初心者教室で教える側に。先ずは怪我防止に入念なストレッチです。男性としては小さな足のスベルベ。バドミントン専用シューズも何足も履きつぶした。バドミントンは本格的に(その2終わり)この職場が新幹線の高架下の建物で、高架下と大きな車庫の間が、またバドミントンなどに適した場所でもあった。高架下にはいくつかの部署の違う職場があり、職場ごとに対抗心を燃やすこともありました。当時の職場では地区と言う管理区分があり、そのうちの一つ地区でもバドミントン大会が開かれていた。職場レクのリーダーになる面倒見の良い先輩がいて、その地区大会への出場を進められた。気後れする気持ちもあったが、大会に昼休みに使っていた玩具のようなラケットを持って参加し、しかも負けるばかりでもなく、本格的なラケットを持つ相手から、勝利を挙げることさえでき...連載320「バドミントンは本格的に」(その2)

  • ヒマワリ畑

    先日、津南ポークさんを訪問した際にヒマワリ畑を見物してきました。日本名水百選にも選ばれいる「龍ヶ窪」の水への途中から曲がって2キロほどの位置です。広いヒマワリ畑には名物の「ひまわり迷路」もあります。スベルベ夫婦が見ている限りでは、入った人たちは居なかった。少し怖いですよね。ヒマワリ畑全体を見るには、2カ所に設けられた展望台に上がるしかない。高さ3メートルほどと思える展望台に上がると、ようやく全景が見えるのでした。何町歩使っているのでしょうか、やはり壮大です。丁度満開状態で、そのヒマワリの量には圧倒されてしまいます。ゴッホのヒマワリの絵でも無いけれど、こんな風景が気に入った。百姓スベルベが気になるのは、やはり土です。広大な畑は石一つ見えません。ここは信濃川によって作られた、河岸段丘で我が家の山の畑とはスケー...ヒマワリ畑

  • 連載320「バドミントンは本格的に」(その1)

    バドミントンラケットは軽量化に反比例して高価に。懐かしい、新聞記事。第一回のバドミントン社会人リーグ発足記事です。バドミントンは本格的に(その1)群馬県の水上町に転勤すると、うらやましい光景に出会います。なんと、独身寮での夕食を終えると、バドミントンに出かける二人がいたのでした。(後年、そのうちの一人と、新潟支社の大会の決勝戦で優勝を争うことになった。)彼らは木製のラケット枠に同じく木製のラケットのねじれを防ぐための四角の枠をはめたラケットを持って出かけ、羨望の目で見ていたものでした。ラケットもそのころから、大きな進歩が始まります。木製ではあっても、シャフト、柄の部分に金属が使われたりしていました。そのころだったと思うが、相沢マチ子・竹中悦子のダブルスが全英オープンで優勝し、話題になっていた。何時かは自分...連載320「バドミントンは本格的に」(その1)

  • こども船長(その3終わり)

    湖面の奥を望みます。ここから尾瀬へと向かうコースがあります。そして、福島との県境にもなりますね。元々せき止められた川は只見川で福島へと流れます。重厚なエンジン音が響き、船尾では外輪が回る。これだけが、推進力なのかスクリューが水面下にあるのかは聞きそびれてしまった。湖面に航跡を引きながら順調な航海のファンタジア号。「船長、前方に流木が見えます。取り舵45度で避けてください」なんて声が。さて、孫には船長の資格試験が待っていました。「船の前側はなんと言いますか」「船首です」なんて、質問と返答が続き、成績は満点で合格。1時間足らずの時間だったと思うけれど、夢中で時計もみませんでした。孫は当然のことながら、スベルベ夫婦にとっても初体験の湖遊覧はこうして終わりました。この湖、銀山湖を周回するような道路を通って、沼山峠...こども船長(その3終わり)

  • こども船長(その2)

    風も弱い日で、湖面は大きな波も無く安定しています。夏であり、緑は濃い季節ですが、新緑そして紅葉の季節は最高の景観でしょう。観光船が湖の周回を終えて帰港してきました。大きな船体と、後ろに見える赤い水車が特徴。外輪船と言う方式の推進方法です。乗船前に操舵室を撮影。あそこに乗って船長になるのです。乗船し、操舵室の後ろに座り中を見る。舵輪が中央に見えます。やや、気おくれ気味だった孫もようやくその気になり、上着を着せてもらう。船長の制服で、この後帽子も船長用に替えました。緊張が高まっている様子が伝わってくる。(続く)こども船長(その2)

  • こども船長(その1)

    夏休みの課題で、シャツを染めた翌々日の月曜日でした。両親とも仕事で都合が付かず、学童保育も休日という事で子守をすることに。親は、孫を送ってきた際に、さりげなくパンフレットを置いて行く抜け目なさ。忙しい親に代わって、孫を遊びに連れて行ってもらいたいという、深謀遠慮でしょう。その考えも悪くはないかと、一枚のパンフレットにあった「奥只見ダム」を訪れることにした。標高が100m近い高地でもあり、よほど涼しいかと思ったら蒸し暑い。乗船案内所には顔見知りの知人がいて、聞くと午前中は大雨で、止んだばかりだと言う。遊覧船乗り場に急ぐ、孫とスベルベママです。実はこの奥只見ダム、別名「銀山湖」の遊覧船は私たちも乗ったことは無く初体験。この遊覧船に乗るのが目的の奥只見ダム行きでしたが、目的がありました。「こども船長」と言う企画...こども船長(その1)

  • 夏休みの課題(その2終わり)

    1年生は、まだカタカナは習っていないらしい。母親が書いた見本を見て、初めてのカタカナで書いたのは「オデカケ」の文字。上手とは言えない、カタカナ文字はデザイン風。母親がドライヤーを使って乾燥し、早速着用してみます。孫の芸術?に触発されてスベルベママは自分で作ってみる。葉脈がはっきり、くっきりと浮かび出るデザインは中々のもの。面白くなってきた孫は、「ジーちゃんのシャツも作る」なんて。葉っぱの模様のほかに、何をヒントにしたのか分からないが「ちきゅう」なんて。これは、土曜日の午後からの来宅での夏休みの課題消化。翌々日、5日の月曜日は両親が仕事で、子守を頼まれて一緒に出掛けることになりました。(終わり)夏休みの課題(その2終わり)

  • 夏休みの課題(その1)

    夏休み中の孫が我が家で、宿題に取り組みました。自由研究なのかな、自由工作なのかな木や草の葉を集めて後は絵の具を準備。先ずは紙に、絵の具を塗った葉を乗せる。試し刷りですね。これで色々な模様を作り出し、Tシャツを染めるつもりらしい。おー、思ったよりも葉脈が浮き出て面白い模様ですよ。小さなTシャツは自分用ですね。前面と後ろにそれぞれの模様をプリントです。左の紙には、何やら文字の練習の形跡。まだカタカナは習っていない1年生ですが。(続く)夏休みの課題(その1)

  • 連載319「バドミントンとの出会い」(その2終わり)

    リーグ戦の熱気が伝わってくる一場面。バドミントンとの出会い(その1)その後、参加する子供たちも国鉄の体制変更などで減り続けやがて駅前広場で遊びに興ずる子供たちの姿など無くなってしまっていた。しばらくして、高校を卒業し国鉄に就職し二つ目の職場として六日町に転勤した。職場である鉄筋コンクリートの建物の前、木造の国鉄官舎との間のコンクリート舗装の通路が、建物によって風がさえぎられることと、コート幅がバドミントンに適していたことで、お昼休みの格好の遊びの場となった。官舎の奥様方も昼休みを待ちかねて、バドミントンの開始を待っている。時には先にネットを張って待ち構えているほどの熱の入れようです。ここに5年間勤めたが、もちろんバドミントンは雪のない間、そして雨が降らず、強風も吹かない日のささやかな楽しみではありました。...連載319「バドミントンとの出会い」(その2終わり)

  • 連載319「バドミントンとの出会い」(その1)

    83年とあるから、40年も前ですね。社会人バドミントンリーグに初回から参戦。仲間を誘い、チーム「フォルテ」を立ち上げて長年監督兼選手として参加。アットホームな練習風景。コート3面の小さな体育館を借り切って没頭しました。バドミントンとの出会い(その1)子供のころ、そう小学校、中学校そして高校と通し、私は運動神経の発達不足。運動音痴、略して「運痴」として自他ともに認める存在だった。運動、からだを動かすのは嫌いではなく、遊びにだけは誘われて一生懸命に参加はしていたのでしたが。スポーツは苦手でも、スキーだけは上手い、水泳だけは得意などという人も多いものだ。でも、恥ずかしいけれど、どのスポーツも苦手な特殊の存在の子供時代だった。なにせ、バスケットボールやバレーボールなんて、不格好で笑いの種。砲丸投げも「お前が投げる...連載319「バドミントンとの出会い」(その1)

  • そこそこ過酷な北海道ツァー(その24)白いラベンダー

    花を見ながら、途中休憩で売店に立ち寄ったりです。目につくのは・・・。不埒物の飲兵衛スベルベは、新潟空港到着の時刻を逆算して10時の休憩にビールです。バスのガイドさんが、何故かそっと教えてくれました。「向こうに白いラベンダーが咲いていますよ」なんて。幸い客は少ない。それにしても、やや奇異にも感じる白いラベンダー。ラベンダーって、紫色と頭に刷り込まれているからでしょうか。香りは、ラベンダーそのものでした。ミツバチを画面に納めたいと思うのだけれど、中々チャンスは訪れない。この白いラベンダーだけではなくて、大規模なお花畑は蜜蜂にも天国なのでしょうか。(続く)そこそこ過酷な北海道ツァー(その24)白いラベンダー

  • そこそこ過酷な北海道ツァー(その23)富良野へ

    広い北海道をひたすら走り続けて着いたのは富田農場です。途中でも何カ所もお花畑は見えたけれども、スケールの大きさはここなのかな。憧れのラベンダーのお花畑。香りも辺り一面に漂います。花の咲く季節を狙ってのツァー参加でしたが、時期としては正解だったようです。広い農場ですが、観光客も比例して多い。満開状態のラベンダーに比べると、五分咲き程度でしょうか。全部揃うって難しいですよね。観光客は多いとはいえ、広い農場では苦にならない。ちなみに、外国人観光客は思ったよりも少なく見えました。慣れてしまったのかな。もう一度、ラベンダーを写す。群れるミツバチを取りたかったけれど中々。カメラはコンデジと、ミラーレス一眼の2台を持参したのですが、ズームが135mmまででもう少し倍率が欲しいところ。(続く)そこそこ過酷な北海道ツァー(その23)富良野へ

  • そこそこ過酷な北海道ツァー(その22)層雲峡へ

    宗谷岬でひっそりと見送ってくれたのは一羽のウミネコ。ちなみにウミネコの足は黄色で、カモメの足はピンク色に近い。最後はひょいと片足立ちになり、見送ってくれました。宗谷岬からは、往路とは反対に一路南下するコース。北海道の広さが実感される。各地の道の駅で休憩を取りながらたどり着いたのが層雲峡。広い北海道にも、こんな柱状節理など火山活動の形跡が残る場所もあるのですね。宿泊したホテルです。今回は外国人旅行客との遭遇は少なかった。ただ、有名観光地のホテルは期待はできません。夕食朝食共にバイキング形式の食事で味気ない。所々で気になったのがこの道路標識です。これは、冬季間の除雪のための標識。道路幅を示すものだとか。新潟では、黄色と黒に塗り分けたポールを設置するが、強風による吹雪で事情が違うらしい。見るもの聞くことすべてが...そこそこ過酷な北海道ツァー(その22)層雲峡へ

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