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  • 巴御前の宮ノ越宿@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    軽のデコトラを発見!山道を下る途中で見つけました。近くの板金工場の方が所有者らしく、エンジンをかけてキラキラデコレーションを見せていただきました。ちゃんと車検も通っているし、相当なお金がかかっていると思いますね。乗ってみたい気がします。天降社の大モミジ(木祖村天然記念物)尾州御鷹匠役所跡この辺りに巣山に入り鷹のヒナを捕獲し飼育調教した拠点があったようです。注:尾州とは旧国名・尾張国の別称で、木曽川流域の愛知県尾張西部地域から岐阜県西濃地域のこと。この辺でウロウロしていたら地元の人に呼び止められ、この辺りの歴史を色々と説明してもらいました。藪原宿は昔の名残は殆どないということで、行ってみると宿場であったと思われる面影は僅かでした。藪原宿防火高堀跡元禄八年(1695年)に大火があって藪原宿は全焼したようです。その教...巴御前の宮ノ越宿@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 鳥居峠越え(藪原宿)@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    帰国者の自宅隔離期間が昨日までで終わりました。隔離期間中は意外にキツイです。外に出られないというストレスと、スマホを通して在宅確認報告(現在地の報告)、健康状態報告が何度も鳴るのですが、ウンザリするほど嫌になりました。でも、コロナ発症もなく、一安心です。早速、明日は飲み会を入れてます。さて、今日からタイトルの表現方法を改めました。でないと今までの方法ではすべてタイトルが同じに見えてしまい、何が書かれているのか最後までタイトルを読まないと一目でわかりません。英語式ですね。さて、今回は2020年10月7日です。奈良井宿から藪原j宿、宮ノ越宿を経て中仙道中間地点までJOGです。その近くの日義木曽高原バス停から高速バスで帰京する予定です。民宿いかりやの奥さんが帰り際に手作りのススキとシュロ?の葉で編んだバッタのお土産を...鳥居峠越え(藪原宿)@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その7(一里塚を発見!)

    というわけで、漆の郷、平沢に到着しました。今日の日付は2020年10月6日です。雰囲気的には、他の宿場町とは違う感があります。庇が大きく張り出した家漆工房巣山(国の登録有形文化財)この辺りは巣山という名字が多いようです。漆職人さんも巣山という人が多い気がします。苗字を調べたら、やはりこの地が本拠地のようで、尾張藩が所有する鷹を繁殖させるため巣を保護した山を守って同藩主から江戸時代に賜ったと伝えるとのことです。旧街道はJR中央線のガードをくぐると奈良井川に沿った土手道になっていました。この辺りに橋戸の一里塚があるはずなのですが、見つかりません。しかし、発見したのですそれも、発見したのはブログを書いている今です。ガイドブックをよくみると『奈良井川の反対側に塚はある』と記されていました。あの時、反対側なんて全く気にし...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その7(一里塚を発見!)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その6(漆器の村)

    古民家とは、ちょっと雰囲気の異なる建物がありました。シェアハウスnoice坂勘とかいてありました。白壁が綺麗ですね。若い人たちが古旅館を再生させた地域の居場所のようです。旅館としても営業してるみたいです。-12degreesinJapanesecountryside贄川駅が出てきます。まるはち漆器店(ただし、暖簾や看板には「まるはち漆漆器店」となっていた?)これから行く奈良井宿手前の漆器の村、旧平沢村への期待がはずみます。国の重要文化財・深澤家住宅三棟---------国指定文化財等データベースより深澤家住宅は,中山道木曽路11宿の北端,贄川宿にある。贄川宿には,行商を生業とする商人が集住しており,深澤家もそうした家の一つであった。宅地は中山道沿いの短冊形で,嘉永7年(1854)の竣工と伝えられる主屋が街道に面...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その6(漆器の村)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その4(お代官様)

    旧若神子村から贄川宿にかけては水場が連続して見られます。水屋には津嶋牛頭天王(愛知県津島神社:牛頭天王信仰の一大拠点)が祀られています。牛頭天王とは何か?という疑問が生まれました。牛頭天王像津島市・興禅寺蔵牛の頭の天王?牛の頭ということは、角の生えた鬼でしょうか?曾我蕭白《雪山童子図》鬼(ウィキペディアより)ということで、困ったときのウィキペディアを見てみると---------牛頭天王(ごずてんのう)は日本における神仏習合の神。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた]。蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹であるとともにスサノオの本地ともされた。京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。また陰陽...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その4(お代官様)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その3(初期中仙道)

    この日は引き続き2020年10月6日です。見ることのできなかった『日出塩の青木』はネット検索したところ以下の様でした。写真はお借りしました。「日出塩の青木」とは・・・ネットでの説明では、その青木はシンセイという会社の裏手にあるのですが、そこには、ある貴人の塚の上に大きな桧(ひのき)が植えられていたそうです。その桧は銘木と歌われ、洗馬宿の肘掛松とともに「洗馬の肘松日出塩の青木お江戸屏風の絵にござる」歌われたそうです。とういうような事が書かれてました。意味わかりますか?ある貴人の塚?お江戸屏風?青木じゃなくて桧?全くチンプンカンプンです。写真の様子を見ても行かなくても良かったかな、という思いです。木曽路の入り口、桜沢村にきました。旧中仙道をJOGする自分は、和田峠から下諏訪を通り、塩尻峠を越えて、塩尻から木曽路へと...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その3(初期中仙道)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その2(通れないよぉー)

    洗馬宿の様子、人気がなくて寂しいなぁ。線路を渡って歩いた向こうに洗馬神明宮の入り口がり、急な階段の参道がみえた。芭蕉句碑信濃の洗馬入梅はれのわたくし雨や雲ちきれ芭蕉正直、意味が良くわからない?牧野一里塚跡(日本橋より60里目)当時はどういう状態の一里塚であったのか全く分からないみたいです。ただ、大きな大木があるので、似たような感じであったのでしょうか?本山宿に入りました。左は秋葉社、そして本山宿下町石像群多分この近辺の石像を集めたものだと思います。そば切り発祥の地本山そばの里蕎麦はもともとソバの実をそのまま茹でたものや、粉にひいて捏ねて一塊にして茹でたもの、いわゆる『そばがき』が主だったそうです。ここが蕎麦を切った(要するに麵状にした)発祥の地らしいということなんですけど、本当のところは「そば切り」が、いつ・ど...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その2(通れないよぉー)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その1(邂逅)

    この日は2020年10月6日です。塩尻に一泊しました。昨日、最後にJOGした地点に忠実に戻りました。カネホン商店(屋号が曲尺の中に本の字)よくみえないが、中央入り口に屋号の書かれた暖簾がぶら下がっています。立派な家屋で酒屋らしいのですが、なんとも入りにくい感じですね。今日はココからスタートです。平出の一里塚南塚、北塚の間に近所にある昭和電工の通勤自動車がバンバン通る道路(旧中仙道ですけど)があり、しかも大変珍しいと思うのですが一般住宅も一里塚の間にデーンとありました。写真右が南塚です。南塚は「勘助子育ての松、平出の乳松」と言われていて、「天文14(1545)年、塩尻の桔梗ヶ原で武田晴信(信玄)と小笠原長時が戦った時、山本勘助が戦場で泣き叫ぶ赤子を発見した。体が不自由な勘助(隻眼、身に無数の傷があり、足が不自由で...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その1(邂逅)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・雀おどり、その3(山賊焼き)

    引き続き、2020年10月5日です。塩尻峠を過ぎてから、この花はもう存在が当たり前のように咲いておりました。道はこんな感じです。果樹園の中をJOGします。リンゴですかね。でも丸くないし、・・・?食べればわかるんですが、都会育ちは知らないことばかりです。柿沢地区というあたりに塩尻峠の合戦で戦死した千余名の亡骸を埋葬した首塚胴塚があるのですが、案内板をみても見つかりません。あっちをウロウロ、こっちをウロウロ・・・いやなんでも人の家の敷地の中じゃあるわけないよなぁ???もう、見つけるのは諦めました.GoogleMapで調べてみると、やはり敷地の中にあるみたいでした。まあ、見つからなくて良かったかも。悲しい塚ですから。そのすぐ先にあった男女双代道祖神風化してしまい、うっすらとその全体像が分かる感じの道祖神です。そして、...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・雀おどり、その3(山賊焼き)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・雀おどり、その2(妄想水戸天狗党)

    引き続き2020年10月5日(月)です。塩尻峠への登りです。巨大な石が無造作に転がっていました。諏訪七不思議のひとつらしく、木曽路名所図解というものに著されているとのこと。----------(写真の案内柱)『この巨石は昔から『大石』と呼ばれている。「木曽路名所図会」にも、「大石、塩尻峠東坂東側にあり。高さ二丈(約6m)ばかり、横幅二間余(約3.6m)」と記されている。伝承によれば、昔この大石にはよく盗人が隠れていて、旅人を襲ったと言われている。ある時のこと、この大石の近くで旅人が追いはぎに殺され、大石のたもとに埋められた。雨の降る夜に下の村から峠を見ると、大石の所で青い火がチロチロと燃えていたという。また、この辺りは昔よくムジナが出て、夜歩きの旅人を驚かし、そのすきに旅人の持っている提灯のローソクを奪ったとい...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・雀おどり、その2(妄想水戸天狗党)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・雀おどり、その1(道に迷う)

    この日は2020年10月5日(月)です。----------ちょっとブログとは的外れな話題ですが、思い出したので・・・この前日に、とあるカレー屋で食事しました。値段的には一人1500円以下くらいではなかったと思うのですが見た目にも豪華で非常に美味しく、しかも量が沢山あったのでその写真をのせます。食べたことの無いものもありました。中仙道の写真を振り返ってみていたら、その前日のカレーの写真があり、鮮明に覚えていましたのでまあ、おまけの情報でした。----------さて、ガラガラの高速バスを利用して下諏訪に着ました。時刻は10時40分でした。まずは、下諏訪宿から塩尻宿を目指します。すぐ国道20号線は第一交通タクシーの辺りから旧中仙道は別れていきます。道幅が旧道らしい感じです。左手に魁塚と書かれた案内板がみえますが、...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・雀おどり、その1(道に迷う)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・和田峠越え、その4(藪歩き)

    黒曜石パーライトの加工工場黒曜石とは----------(OxfordLanguagesの定義)火成岩の一種。黒緑色でガラス質。割れ目は貝がら状。装飾用・印材・文鎮などにする。石器時代には、やじり・刃物などの材料にした。写真はウィキペディアより----------そしてパーライト(発泡体)とは----------(ウィキペディアより)パーライト(Perlite)とは、火山岩として産出されるパーライト原石や珪藻土等を高温で熱処理してできる人工発泡体である。ガラス質の岩石中に含まれる構造水がガス化して発泡する。「真珠石」とも呼ばれる。----------黒曜石は火山の噴火によって作られたガラス質の石で刃物として石器でよく見る石ですね。パーライトの方は黒曜石を1000度程度で熱すると発砲し冷却してできるもののようで、...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・和田峠越え、その4(藪歩き)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・和田峠越え、その3

    数日前にフィンランドから帰国し、現在自宅にて自主待機中であり、時間が出来ましたので、貯めに貯めたブログをまとめてアップすることにしました。それでは、2020年9月30日のブログの続きから開始です。!峠付近にさくトリカブト峠からはススキなどの背丈の高い草が生い茂る道になり、どこからどこが山道なのか?注意しないと道を見失うほどでした。足元はガレ場なのですが、足裏のゴツゴツ感を通してのみ石ころを感じることができます。その後、ジグザクの急な坂が続きました。和田峠を下るいくら下ってもガイドブックに書かれた昼食をとる予定の苔むした地蔵が鎮座する水場はありません?あれっ!通過しちゃったのかな?そんなわけないのですが、…。草が茫々に生い茂ってましたから見失ったのかもしれません。結局、西餅屋立場跡まで降ってしまいました。しかたな...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・和田峠越え、その3

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