モノクロームフイルムで、そしてエクタクロームで撮った北の鉄道。 1966年から40年、北海道風景の記録。
礼文駅前から道道608号大岸礼文停車場線を辿ると、やがて左手に室蘭本線が近接し礼文浜トンネルの入り口坑口を認める。そしてそこには柵にて囲われた敷地に「トンネルの安全を誓う碑」と刻まれた石碑が鎮座している。この隧道内で1999年11月28日に生じた覆工剥離落下事故を契機に、毎年の同日を「トンネル安全の日」と定めた北海道旅客鉄道が翌2000年5月2日に建立したものである。ここの事故について諸兄はご記憶とは思うが、坑口...
列車の運行されるところ遍く置かれたのが、保線現業の最小作業単位である「線路班」だけれど、いったい道内には何箇所が存在していたものか判らない。それが線路丁場と呼ばれた時代からの時系列での変遷記録は勿論のこと、ある時点での一断面のデータも残されていない。年報など統計資料には保線事務所や保線区は表れても、線路班までは計上されていないのである。一つの線路班の平均担当キロは、側線を含む換算軌道キロで7キロか...
塩狩 (宗谷本線) 1986 から続く戦後の混乱を脱した国鉄は、1965年度末時点で17208ヘクタールの鉄道林を有して、間伐や除伐の機能維持管理が結果として木材生産につながり、それが森林維持を担保する1890年代に計画した意図通りの、即ち法正林の原則に忠実な好循環に造林費や管理経費を上回る生産収入を得ていた。財閥系の製紙会社などには及ばないが、実質に広大な山林地主だったのである。奇しくも、これは戦後の在来線全盛期に...
写真屋としての駆け出しの頃が、Ektachromeの時代の始まりに重なる。1960年とされる「電子制版機」の実用化に、70年代を通じてその導入が進み、主流をなすに至ったオフセット印刷と相まって出版物や広告物などへのカラー印刷が急速に普及した時代である。当時にほぼ唯一だったKodachromeのトランスペアレンシーに指定されていた写真入稿も、80年代を迎える頃にはエクタクロームに取って代わられて往く。もちろんコダクロームも改良...
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