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風太郎のPな日々 http://futaro1980.blog.fc2.com/

昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。

1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。

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2011/12/18

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  • 山陰晩秋紀行 その1 静謐な調和

    山陰本線 宇田郷 2022年11月此処の夕陽バックはありがちだけど、風太郎的には饒舌過ぎるそれよりも、夜明けのグラデーションこそ捨て難いと思っている。長門市の宿を朝5時に出発、闇にシルエットがようやく浮かぶ辺りからスタンバイは当然のことだ。シンメトリーな造形と穏やかに動きを停めた大気の、静謐な調和。晩秋の山陰にやってきました。今回は珍しく二人旅です。 ドライバーとナビゲーターの息は、さて何処...

  • 最北

    宗谷本線 歌内 2017年山を下り、最北の里に降り始めた雪は、いよいよ根雪になることだろう。( 写真展漫遊録 )風太郎は「鉄道の写真展」についてあまり見に行かないのだが、一人の作家さんが明確なテーマの許にしっかり構成を考えて組んだそれは、見応えがあるから気になる。六本木の「富士フイルムスクエア」に「宗谷本線」を見に行く。メインは除雪列車なのだが、酷寒の中でわずかなチャンスを待つ、ツラさも興奮...

  • 汽車は出てゆく

    花輪線 横間 2019年雪国の晩秋は、またひときわ物憂げなものだ。汽車は出てゆく、紫煙は残る。初雪の便りも間もなく。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村国連によれば、クーデター以降、住み家を追われた避難民は140万人、子供だけでも50万人とも。敬虔な仏教徒が多いミャンマーでは、伝統的に寺院が最後のシェルターになっていたが、それにも限界があろう。 国民は飢え、軍隊ばかりが...

  • 雲上の楽園

    松尾鉱山 鉱山住宅跡 2019年八幡平の懐深く、標高900mの高地にあったという松尾鉱山は東洋一の硫黄鉱山として栄華を極め、1960年代の最盛期には人口一万三千を数えたという。 各所に当時最新の設備を整えた新興都市は「雲上の楽園」とも称されたが、硫黄産業の急激な衰退と共に瞬く間に廃墟と化した。花輪線の大更駅から延びていたという松尾鉱山鉄道も、残された写真を見れば長大な混合列車など当時の活況が...

  • 嵐が過ぎて

    わたらせ渓谷鐡道 小中 2021年嵐を呼んだ低気圧は、夜半に抜けた。洗われた朝日が窓辺に降る。 © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村国連によれば、クーデター以降、住み家を追われた避難民は140万人、子供だけでも50万人とも。敬虔な仏教徒が多いミャンマーでは、伝統的に寺院が最後のシェルターになっていたが、それにも限界があろう。 国民は飢え、軍隊ばかりが肥え太る国家とは。...

  • Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 デッキの時間

    宗谷本線 1988年 写真集「旅のたまゆら 1981-1988」 「通学列車」収録予定風太郎はとにかく記録に無頓着なので、何処で撮ったものやらと分からなくなっている写真多数なのだが、こういう偶然写り込んだ駅名とかがあると助かる。 しかし、「はつかり」?「ばっかい」じゃねえかと膝を打つまで暫く時間が掛かったが、あの茫漠たる原野の駅を発車するシーンかと知れば別の趣もある。高校生の笑顔が全てで...

  • 今いっちゃんエモいと話題の只見線に行ってきました。 その8

    只見線 只見 2022年11月急病人騒ぎで小出行きも30分以上遅延。 それでも塞翁が馬、残照を背負った叶津鉄橋で捉えることが出来た。これが今回のラストショット。 会社辞めて一体何して暮らしてるんだと問われれば、「弘法大師」と答えることにしている。乞食坊主と言ったら空海さんに失礼だが、宿は無く、貧しい糧を食みながら諸国を巡る。しかし手にした錫杖でひと突きすると霊泉が湧き出すような功徳も無いから...

  • 今いっちゃんエモいと話題の只見線に行ってきました。 その7

    只見線 会津越川 2022年11月復活した会津川口~只見間の運転は一日僅か3往復。 陽が短いこの時期、撮影可能本数はたったの2往復4本。更に会津川口で交換がある関係で、7~8時台と15~16時台に立て続けに上下列車が往復するから、真ん中の時間帯は昼寝してろと言わんばかりである。 此処まで来ると紅葉は綺麗とはいえ、いささか時間を持て余す。小出行きは9:07只見着だから「只見高校」への通学は全く考慮さ...

  • 今いっちゃんエモいと話題の只見線に行ってきました。 その6

    奥只見湖 2022年11月只見の町のどん詰まり、田子倉ダムの巨大な堰堤の前で休憩中、自転車に乗った老夫婦に尋ねられる。 「奥只見湖を見たいんですけど」。聞けば只見まで列車で来た観光客で、折り返しまで5時間もあるので駅前のレンタサイクルで此処まで来たのだと。まるで屏風のような堰堤に観光用エレベーターでも付いているかと思ったらしいが、無論そんなものは無いというより、立ち入り禁止。見るならつづらの...

  • 今いっちゃんエモいと話題の只見線に行ってきました。 その5

    只見線 会津越川 2022年10月女ゴコロと秋の空。一日二往復の列車をどんな空の下で迎えるか、読める人がいるならあやかりたい。 只見 叶津鉄橋実質一日二往復しか撮りようがない川口以西は、5時間位の長いブランクが出来る。 前から気になっていた、会津塩沢近くの「河井継之助記念館」に行く。 以前にも書いたがもうひとつの会津戊辰戦争、只見の戦いである。河井継之助とは長岡藩の家老で、様々な才と人徳に...

  • 今いっちゃんエモいと話題の只見線に行ってきました。 その4

    只見線 会津西方 2022年11月川口~只見間に拘りたいのだけど、朝7時を過ぎないと列車が走らないお寝坊さん。それじゃあ夜明けのスペクタクルに間に合わないのだよ、という事でこっちに浮気する。道の駅「みしま」での車中泊なら、朝6時の一番列車を此処で撮るのも楽勝だしと思いつつ、しかし誰でも撮る場所だからなあとテンションいまいちのところもあって、ウダウダ寝ていたら通過ギリギリの時間に。おい朝霧の出...

  • 今いっちゃんエモいと話題の只見線に行ってきました。 その3

    只見線 只見 2022年11月早戸~宮下辺りは色づきが悪いのか早過ぎるのか紅葉はいまいちだが、六十里越まで来ると既に最終盤だ。通過の直前にさっと雲が切れる幸運。奥の山まで陽が回らなかったは贅沢だが。なんと風太郎の知人がこの写真の列車に乗っていたと後で知る。 聞けば乗車にあたり小出駅のホームで1時間半並んで座席を確保、この区間まではマシだったらしい。只見駅に到着するや、バス2台分の団体ツアー客が...

  • 今いっちゃんエモいと話題の只見線に行ってきました。 その2

    只見線 会津横田 2022年11月里をゆく線路は、低く垂れた雨雲の下にある。今回の偵察にあたり主眼に置きたかったのは、鉄橋がどうこうよりも、静謐な里の風景だ。しかし奥会津のまさに最深部、豪雪に閉ざされる土地にあって、そこに生を営むことの過酷さも実感して難しい。立派な構えの農家はあっても、玄関は閉ざされ、そこが主を失った家と認めざるを得ない事もしばしばだ。自家用車が傍らに置かれていれば少し安堵...

  • 今いっちゃんエモいと話題の只見線に行ってきました。 その1

    只見線 会津大塩 2022年10月東北のマッターホルンの異名を持つ蒲生岳は、見る方向によって形を変える存在感たっぷりの山。11年間列車が通らなかった区間に屹立するシンボルでもある。逆光だろー、と三脚軍団は皆逃げちゃうけど、人の行く裏道に・・・・。会津大塩近くの「河井継之助記念館」、解説のおばちゃんがいかにエライ人だったかと熱弁を奮うのだが、その講談前のマクラに只見線。「開通したんですよー、11年...

  • 秋が逝く

    深名線 撮影地不詳 1988年頂きは白く雪化粧した。 次第に色を落として、秋が逝こうとしている。単行列車が枯野をざわりと揺らす。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村海外渡航がようやく現実味を帯びてきた中で、外務省の「海外安全情報」を見る機会が多くなった。ミャンマーは昨年2月のクーデター勃発以来、レベル2「不要不急の渡航は自粛」のまま、ロヒンギャ問題のあるラカイン州と、中...

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