無事に初日を迎えました。平日にも関わらず100名余りのご来展者をお迎えできたのは上々の滑り出しでありましょう。この趣味界の大御所の皆様も早速のご来展は光栄の至りです。まあ一人二人は現れる「気難し系街の写真家」も、「面白いな、しっかりやれ。」とのお褒めは一番嬉しいかも。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最...
昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。
1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。
山陰本線 宇田郷 2022年11月此処の夕陽バックはありがちだけど、風太郎的には饒舌過ぎるそれよりも、夜明けのグラデーションこそ捨て難いと思っている。長門市の宿を朝5時に出発、闇にシルエットがようやく浮かぶ辺りからスタンバイは当然のことだ。シンメトリーな造形と穏やかに動きを停めた大気の、静謐な調和。晩秋の山陰にやってきました。今回は珍しく二人旅です。 ドライバーとナビゲーターの息は、さて何処...
宗谷本線 歌内 2017年山を下り、最北の里に降り始めた雪は、いよいよ根雪になることだろう。( 写真展漫遊録 )風太郎は「鉄道の写真展」についてあまり見に行かないのだが、一人の作家さんが明確なテーマの許にしっかり構成を考えて組んだそれは、見応えがあるから気になる。六本木の「富士フイルムスクエア」に「宗谷本線」を見に行く。メインは除雪列車なのだが、酷寒の中でわずかなチャンスを待つ、ツラさも興奮...
花輪線 横間 2019年雪国の晩秋は、またひときわ物憂げなものだ。汽車は出てゆく、紫煙は残る。初雪の便りも間もなく。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村国連によれば、クーデター以降、住み家を追われた避難民は140万人、子供だけでも50万人とも。敬虔な仏教徒が多いミャンマーでは、伝統的に寺院が最後のシェルターになっていたが、それにも限界があろう。 国民は飢え、軍隊ばかりが...
松尾鉱山 鉱山住宅跡 2019年八幡平の懐深く、標高900mの高地にあったという松尾鉱山は東洋一の硫黄鉱山として栄華を極め、1960年代の最盛期には人口一万三千を数えたという。 各所に当時最新の設備を整えた新興都市は「雲上の楽園」とも称されたが、硫黄産業の急激な衰退と共に瞬く間に廃墟と化した。花輪線の大更駅から延びていたという松尾鉱山鉄道も、残された写真を見れば長大な混合列車など当時の活況が...
わたらせ渓谷鐡道 小中 2021年嵐を呼んだ低気圧は、夜半に抜けた。洗われた朝日が窓辺に降る。 © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村国連によれば、クーデター以降、住み家を追われた避難民は140万人、子供だけでも50万人とも。敬虔な仏教徒が多いミャンマーでは、伝統的に寺院が最後のシェルターになっていたが、それにも限界があろう。 国民は飢え、軍隊ばかりが肥え太る国家とは。...
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 デッキの時間
宗谷本線 1988年 写真集「旅のたまゆら 1981-1988」 「通学列車」収録予定風太郎はとにかく記録に無頓着なので、何処で撮ったものやらと分からなくなっている写真多数なのだが、こういう偶然写り込んだ駅名とかがあると助かる。 しかし、「はつかり」?「ばっかい」じゃねえかと膝を打つまで暫く時間が掛かったが、あの茫漠たる原野の駅を発車するシーンかと知れば別の趣もある。高校生の笑顔が全てで...
只見線 只見 2022年11月急病人騒ぎで小出行きも30分以上遅延。 それでも塞翁が馬、残照を背負った叶津鉄橋で捉えることが出来た。これが今回のラストショット。 会社辞めて一体何して暮らしてるんだと問われれば、「弘法大師」と答えることにしている。乞食坊主と言ったら空海さんに失礼だが、宿は無く、貧しい糧を食みながら諸国を巡る。しかし手にした錫杖でひと突きすると霊泉が湧き出すような功徳も無いから...
只見線 会津越川 2022年11月復活した会津川口~只見間の運転は一日僅か3往復。 陽が短いこの時期、撮影可能本数はたったの2往復4本。更に会津川口で交換がある関係で、7~8時台と15~16時台に立て続けに上下列車が往復するから、真ん中の時間帯は昼寝してろと言わんばかりである。 此処まで来ると紅葉は綺麗とはいえ、いささか時間を持て余す。小出行きは9:07只見着だから「只見高校」への通学は全く考慮さ...
奥只見湖 2022年11月只見の町のどん詰まり、田子倉ダムの巨大な堰堤の前で休憩中、自転車に乗った老夫婦に尋ねられる。 「奥只見湖を見たいんですけど」。聞けば只見まで列車で来た観光客で、折り返しまで5時間もあるので駅前のレンタサイクルで此処まで来たのだと。まるで屏風のような堰堤に観光用エレベーターでも付いているかと思ったらしいが、無論そんなものは無いというより、立ち入り禁止。見るならつづらの...
只見線 会津越川 2022年10月女ゴコロと秋の空。一日二往復の列車をどんな空の下で迎えるか、読める人がいるならあやかりたい。 只見 叶津鉄橋実質一日二往復しか撮りようがない川口以西は、5時間位の長いブランクが出来る。 前から気になっていた、会津塩沢近くの「河井継之助記念館」に行く。 以前にも書いたがもうひとつの会津戊辰戦争、只見の戦いである。河井継之助とは長岡藩の家老で、様々な才と人徳に...
只見線 会津西方 2022年11月川口~只見間に拘りたいのだけど、朝7時を過ぎないと列車が走らないお寝坊さん。それじゃあ夜明けのスペクタクルに間に合わないのだよ、という事でこっちに浮気する。道の駅「みしま」での車中泊なら、朝6時の一番列車を此処で撮るのも楽勝だしと思いつつ、しかし誰でも撮る場所だからなあとテンションいまいちのところもあって、ウダウダ寝ていたら通過ギリギリの時間に。おい朝霧の出...
只見線 只見 2022年11月早戸~宮下辺りは色づきが悪いのか早過ぎるのか紅葉はいまいちだが、六十里越まで来ると既に最終盤だ。通過の直前にさっと雲が切れる幸運。奥の山まで陽が回らなかったは贅沢だが。なんと風太郎の知人がこの写真の列車に乗っていたと後で知る。 聞けば乗車にあたり小出駅のホームで1時間半並んで座席を確保、この区間まではマシだったらしい。只見駅に到着するや、バス2台分の団体ツアー客が...
只見線 会津横田 2022年11月里をゆく線路は、低く垂れた雨雲の下にある。今回の偵察にあたり主眼に置きたかったのは、鉄橋がどうこうよりも、静謐な里の風景だ。しかし奥会津のまさに最深部、豪雪に閉ざされる土地にあって、そこに生を営むことの過酷さも実感して難しい。立派な構えの農家はあっても、玄関は閉ざされ、そこが主を失った家と認めざるを得ない事もしばしばだ。自家用車が傍らに置かれていれば少し安堵...
只見線 会津大塩 2022年10月東北のマッターホルンの異名を持つ蒲生岳は、見る方向によって形を変える存在感たっぷりの山。11年間列車が通らなかった区間に屹立するシンボルでもある。逆光だろー、と三脚軍団は皆逃げちゃうけど、人の行く裏道に・・・・。会津大塩近くの「河井継之助記念館」、解説のおばちゃんがいかにエライ人だったかと熱弁を奮うのだが、その講談前のマクラに只見線。「開通したんですよー、11年...
深名線 撮影地不詳 1988年頂きは白く雪化粧した。 次第に色を落として、秋が逝こうとしている。単行列車が枯野をざわりと揺らす。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村海外渡航がようやく現実味を帯びてきた中で、外務省の「海外安全情報」を見る機会が多くなった。ミャンマーは昨年2月のクーデター勃発以来、レベル2「不要不急の渡航は自粛」のまま、ロヒンギャ問題のあるラカイン州と、中...
「ブログリーダー」を活用して、futaroさんをフォローしませんか?
無事に初日を迎えました。平日にも関わらず100名余りのご来展者をお迎えできたのは上々の滑り出しでありましょう。この趣味界の大御所の皆様も早速のご来展は光栄の至りです。まあ一人二人は現れる「気難し系街の写真家」も、「面白いな、しっかりやれ。」とのお褒めは一番嬉しいかも。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最...
山陰本線 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録) 「こったら何もねえとこ。」に、何もなくはない今日があるのだろう。4年前の「ミャンマー」の時はスポットライトに加えて蛍光灯の主照明も点灯、全体に明るく見せたけれど、今回、主照明を全て消してスポットライトだけで浮かび上がらせるよう試した。光と翳は、ともすればシャドゥ部分が見づらいかもしれないけれど、その場でよしと...
前の展示の終了・撤去が済む15時半過ぎをもって設営開始。設営のフレームマンさん、事前情報を受けてか、これは異例の3人体制になりましたね。しかし一旦ペースを掴めばそのスピードには舌を巻く。正味2時間半で仕上げた。 毎度風太郎の写真展ではお手間をお掛けしますね。写真はプリントからパネル制作まで全て自前だからこそ、気前のいいスポンサーがおらずともこの規模の展示ができるのだが、自前ではどうにもならんという1枚...
山陰本線 温泉津 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)例によって撮影・乗車記録なし。 細かいシチュエーションは忘れた。 多分夜明け前から乗っていた旧客各駅停車。 窓ガラスに雨粒が写っているから、それは物憂げな山陰の雨雲の下を走ってきたのだろう。いつの間にか顔を出した朝日の眩しさに、ボックスシートのうたた寝から目覚めたのかもしれない。温泉津だから撮ったのではな...
五能線 岩館 1982年 (1285mm×870mmで展示予定 写真集未収録)この写真を見て映画「砂の器」に出てくるシーンを思い出すという人がいる。ハンセン病で村を追われた父子が各地を彷徨する10分間のクライマックスシーンは、映画史に残る名場面とも言われるからよく覚えている。 渚を歩く父子のシルエット。 切ないシーンではあるけれど、この国の四季の風土の厳しさ、美しさを凝縮した10分間とも思う。かつて鉄道土木...
設営作業まで残り6日。 展示写真は全て完成。 あとは細かなキャプション類の制作を残すのみで工程進捗率は98%というところ。出来上がったパネルを眺めていると、自画自賛ながらモノクロプリントってきれいだなと改めて思う。何故か今、撮り鉄の世界はカラーにあらずは・・・というよりカラー以外ってあるの?という状況だ。巷に溢れる撮り鉄写真展だが、オンリーモノクロームのアンチテーゼをしっかり見せられれば。ともすれば気...
蒲原鉄道 七谷 1982年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定)信越本線加茂から続く平野部が尽きて、山間のサミットにかかる直前に交換駅・七谷はあった。ここで24時間一人きりで、閉塞作業をはじめ駅を守る駅長さんは二交代制だから二人いた。一人はちょっと取っつきづらく、怖い感じがして敬遠していた。当時挨拶もお愛想もおぼつかない子供だったから、それは優しく𠮟ってくれていたのかと今は思...
小湊鉄道 上総大久保 2019年春を愛でる1日が、終わろうとしている。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ75点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 会場にて作品解説トーク開催しま...
先日、広田泉さんの追悼展を見がてらOMギャラリーの下見で細部確認。スタッフには4年前の「ミャンマー」から旧知のメンバーもいて、これが結構な「鉄」なのでご期待も併せ話も弾む。本題は新OM-1による「8000万画素ハイレゾデジタイズ」の技術的検証だったのだけれど、それは開発技術者にしか分かりません、という未知の領域もあるようだ。ただフルサイズとの比較においてこれだけは言えると、やおら展示品のレンズを外すのは、「...
深名線 1981年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定・写真集未収録)初めての北海道。 風景のスケールに、写真などどう撮っていいかも分からなかった。車窓を流れる景色に、ただ脈絡もなくシャッターを切るばかりだったあの頃。撮れない焦りと同時に、自由な旅をこじ開ける高揚もまた、コマの間に写っているような気がする。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(...
只見線 会津柳津 2018年思わぬ遅れ方の花の便り。ただでさえ遅めの、奥会津の桜はしっかり力を蓄えて来るべき日を待っているのだろうか。花の雲の中を。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ75点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都...
津軽鉄道 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定・写真集未収録)この冬から客車は35系に変わった。しかし機関車にスチーム供給機能が無いのは変わらないから、ダルマストーブは移設され紅い炎を揺らすのだった。長靴と地方紙「東奥日報」はその土地の日常の証し。今観光客しか乗らないストーブ列車は、そんな日々を運んでいた。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5...
因美線 美作滝尾 2022年春の黄昏は、ゆらりゆらりと幕を下ろしてゆく。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ75点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 会場にて作品解説トーク開催...
「自家製」A2プリント続々出力中。「たまゆら」の写真展は8年前に新宿ニコンサロンで一度やっている。結果的に2000人からの来展者はお迎えできたわけだし、 「伝説の写真展」とかいまだに讃えてくれる人もいるのだから結果として失敗ではなかったとは思う。 しかし今更こんなことを言うのはご来展者に申し訳ない限りだが。あれは、「プリントが悪かった」 。最大の原因はレタッチの腕の未熟さで、デジタルプリントのごく...
いすみ鉄道 西畑 2019年桜はまだかいな。気まぐれ過ぎる春に世間は半ばパニックですな。今頃はこれで当たり前だったのですが。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ76点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27...
プリントはほぼ8割方完成した。 しかし大仕事、スチレンボード貼り作業が残っている。専門業者の加工が素晴らしい事は分かっているが、途方もない金額になることは必至、ここはコストと仕上がりをバランスさせるべく、汗を絞るしかないのだが・・・。パネル貼りはもうミャンマー写真展で慣れているとはいえ全く気の抜けない作業で、それをなんとか突破したとしても「切り出し加工」がまた難関。切り口のケバを最小限に抑えるには...
わたらせ渓谷鐡道 上神梅 2017年農の季節が動き出す。 傍らの桜が合図であったかのように。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 会場にて作品解説トーク開催します。(予約...
高千穂線 1988年 写真展「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定梅雨明け十日。 南九州の強烈な夏の日射しが窓辺に降り注ぐ。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 作品解...
ミャンマー マダヤ線 2019年これぞ大量輸送機関。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
いすみ鉄道 西畑 2015年小糠雨が音もなく降り続く様な日はなにかと億劫なものだが(特にこの辺りはヤマビルの超危険地帯)、しっとりと濡れた花模様もいいものだ。キハ52は定期運行を終了するとのこと。 刹那であってもその時代の息遣いを感じさせてくれる一両だった。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
山手線 高輪ゲートウェイ 2022年最近何かと話題の「Chat GPT」。 あらゆる質問にAIが瞬時に答える他、論文まで書いてくれるとか。どれ程のものかとやってみた。 特定のアプリとかは必要なく、アメリカの開発企業サイトに登録するとフリーで使える。質問したのは、「中日ドラゴンズはどうしたら強くなれますか?」。 AIが間髪おかずに答えるのは「有能な選手を集めることです」。それじゃあ実も蓋もないと改めて質...
「組版」とは伝統的な書籍の制作過程を示すもので、大昔の活版印刷の時代は職人が活字の一つ一つを拾い上げ、文章になるように整列させて、文字通り印刷用の原版を「組む」という、気の遠くなるような作業を指したらしい。「男はつらいよ」に出て来るタコ社長が経営するのはまさに活版印刷の工場であり、「博」は組版職人なのだろう。やがてオフセット印刷時代の到来により、その作業は一気に近代化したわけだが、風太郎の若かりし...
小湊鉄道 里見 2023年3月キャリアに納められた通券の列車番号の確認が終わると、発車時間が迫る。間際に再び点灯されたライトが、満開の花を赤く染めて浮かび上がらせた。( うららの春のプチトリップ おわり )© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死してゆく兵...
小湊鉄道 里見 2023年3月ロングショットはハナから諦める曇天の一日だったが、夕刻になって申し訳のように西の空の雲が切れ、空が紅く染まり始めた。さしもの花見客も大分引いたのだろうか、人影もまばらになった窓も、夕陽色。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死...
小湊鉄道 里見 2023年3月里見駅構内に珍客というか、何が目的か分からないワフが鎮座していた。 多分何かの倉庫代わりなのだろうが、無神経なプレハブ小屋など建てなかったのは、最近の小湊鉄道、粋が分かってるねえと勝手に解釈している。もう倒壊しかけたようなオンボロだけれど、この一両だけで鉄道が重ねた歳月の重みが出るというものだ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍...
小湊鉄道 里見 2023年3月小湊にJRから大挙してヨンマル軍団がやってきたのはしばらく前になったが、ようやくお目に掛ることになった。全くの新造車導入の選択肢もあったようだが、ハイブリッドやら蓄電池やら今後の技術革新の予測も難しい中、「長く使うこと」に最大の重きを置き、社内修車技術の蓄積まで考慮した結果、既存技術に軍配を上げたとは、鉄道の世界から「無限に長い償却期間」の経営戦略が急速に失われ...
小湊鉄道 上総大久保 2023年3月上総大久保駅上り方に一本の桜がある。竹林を背景にした佇まいが一枚の襖絵のようで、あまり撮る人は見かけないが小湊鉄道の名景のひとつと思っている。何度も試している構図だが、大分以前に主要な枝が折れ、どうも枝振りが悪いと残念だった。久々に見る姿は自然修復が進んだのか、美しい。 そろそろ本命を撮れよと誘われているようで。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reserved...
小湊鉄道 里見 2023年3月まだ帰らない。春の野を気ままに流れ流れて、結局鉄道の写真をロクに撮ってないとなるとブログのネタにも困るから、花の宴もたけなわの小湊を最終日に当てて、帳尻を合わせることにする。平日なのに立ち客まで出る混雑ぶりは、小湊も稼ぎ時だ。思えば小湊に来るのは2019年の春以来、実に4年振りとはびっくり。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がそ...
鹿島線 延方 2023年3月帰りの駄賃というか、二か月前のおさらい。前回この列車は、闇に沈もうとする霞ケ浦にテールランプの紅を引くばかりだった。まん丸の夕陽は通過時刻とピタリのタイミングは、貰ったと思いきや。地平線を覆う雲に隠れて「半月」に。 おのれ、あと一分早ければ。 まあこのサイズの夕陽だからどっちでも大して変わらないか。動かぬ大鉄橋と、一日ごとに巡る、天地の営み。© 2011 風太郎のPな日々...
浪江町立請戸小学校跡 2023年3月停まった時計が示すのは、津波襲来時刻。しばし線路から離れる。 いや離れてはいない。 近くを走る常磐線が2011年3月11日以降廃墟に変わったまま、10年近く放置された末に運転再開されたのも記憶にまだ新しい。東日本大震災の遺構については数年前に三陸で見たことがある。 しかしいかんせん、おのぼり的な団体見学ツアーの一員だったから時間にも追われ、ほとんど印象に残っていない。...
磐越東線 小川郷 2023年3月西の空が紅い。まばらではあっても2両編成にまだ人影があるのは救われる想い。結局磐越東線は、予定通りではあるが一夜を挟み朝夕だけ撮って撤収。 夏井まで足を延ばして沿線の偵察はしたが、標高が高くなるほど桜も減り、色に乏しい季節とあって写材に乏しかった。それより驚いたのは沿線中央部を並行する県道41号線だ。大型車のすれ違いなど絶対不可能、乗用車だって難儀する道幅が連...
磐越東線 赤井 2023年3月異常な足の速さでやって来た今年の春。線路際の桜模様の撮影はもちろん目論んでいたけれど、大幅な軌道修正が必要になってパニックだ。と言うより本当にターゲットにしていたところはもう、間に合わないかもしれない。ならば今こそ旬の場所へ、暇人の特権で急遽間に合わせようかと。まだ3月というのに、東北の入り口まで満開らしい。バンサイは散々行ったけれど、バントーは初見参。 赤...
大井川鐡道 家山 2018年華の宵に、スチームの吐息。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死してゆく兵を尻目に牟田口軍司令官が芸者遊びに呆けたという、高原の避暑地メイミョウ、幽霊の如く敗走する兵が彷徨ったパコック。それとも知らぬまま線路伝いに足跡を付けた土...
留萌本線 真布 2017年5時49分。 始発列車にもまだ早い。1956年、仮乗降場として開設される。 戦後10年、急増する人口が国鉄を動かしたのだろう。地吹雪が荒れるホームに、立派な待合小屋を建てたのは地元有志だったろうか。うたかたの夢のように通り過ぎた時代の証人は、明日最後の日を迎える。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から...
小湊鉄道 養老渓谷 2011年これもまた随分昔の再発掘写真だけど、この時の菜の花は目を見張ったな。地元有志による休耕田を利用した菜の花ワールドで、瞬く間に小湊の春の風物詩になった。毎年種蒔きから始めてここまで開花させる地道な活動には頭が下がるが、この春は壊滅状態という。 写真を見たら菜の花はほぼ存在しない惨状で、 このところ数年おきに発生している現象だ。食害、土壌、低気温など様々な要因が重なっ...
東海道新幹線 新横浜 2022年以前からチョボチョボ撮っている、「RAILSIDE IMAGINATION URBAN VS RURAL 」コンセプトの一枚。東海道新幹線下りが新横浜を出ると、窓際を一瞬で通り過ぎても目を奪われる街。これは神奈川県平塚市にある「日向岡住宅」という。 東急電鉄が開発主体となり、1987年に分譲が始まったらしい。広々とした田園地帯に忽然と現れる、「三角形エントランス」「カラフル外壁」の連なりが、新幹線に...
いすみ鉄道 上総中川 2012年佳き一日の終わり。 燃え残る野焼きの匂いに誘われて。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死してゆく兵を尻目に牟田口軍司令官が芸者遊びに呆けたという、高原の避暑地メイミョウ、幽霊の如く敗走する兵が彷徨ったパコック。それとも知らぬ...
磐越西線 山都 1983年山都の谷は厳寒期の終わりも感じさせる。最後尾はスユニだろうか。 荷物・郵便輸送も担った旧客生活列車も最晩年の姿である。鉄輪は響けど単調なリズムは微睡も誘う。 時の流れも緩やかな各駅停車である。 磐越西線 1982年NHKBSでやってる「世界サブカルチャー史日本編」、先日は「1980年代」。大いにドキドキしながら見た。何故なら「たまゆら写真集」の巻末で1980年代についていろい...
小湊鉄道 上総大久保 2011年まだ駅前の白鳥小学校が健在だった。 始まった新学期と列車通学の子供たち。 彼らも既に大人になったことだろう。カメラはD700。 背景がアウトフォーカスでもちゃんと空気感を醸す、フルサイズデジタルの描写力に驚愕しっ放しの頃だ。毎年着々と増えていく写真データの保管にあたり、ラーメン屋のスープの如く、外付けハードディスクを継ぎ足し継ぎ足しで対処して来たが、いよいよ複雑化し...
わたらせ渓谷鐡道 水沢 2023年2月山上に雪をもたらした雨雲は、次第に退きつつ、それでも夕霧となって山あいに漂う。ラストショットは、Sカーブの小径が闇に飲み込まれないことを祈りつつ。( 冬の関東 プチトリップ おわり )© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村一日僅か一往復の列車で学校に通う子供たち。公立学校もあれば仏教寺院による運営の伝統的な寺子屋まで、全てが行き届...