静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、「掛川藩の文化展・大庭松風(おおば しょうふう)の世界」を開催。大庭松風は、掛川藩下俣(しもまた)町の名主(庄屋)を代々務めた大庭家の9代目当主で、掛川藩の御用商人(ごようしょうにん)です。江戸
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
2025年7月
江戸時代 曲亭馬琴,谷文晁の書簡、墨梅図の掛軸「掛川藩の文化展・大庭松風の世界」掛川市立中央図書館 (静岡県掛川市掛川1148-1)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、「掛川藩の文化展・大庭松風(おおば しょうふう)の世界」を開催。大庭松風は、掛川藩下俣(しもまた)町の名主(庄屋)を代々務めた大庭家の9代目当主で、掛川藩の御用商人(ごようしょうにん)です。江戸
縄文時代後期,晩期の集落 平地式住居跡,集石墓,貯蔵穴 市指定史跡 清水天王山遺跡 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)宮加三)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)宮加三(みやかみ)の市指定史跡 清水天王山遺跡(しみずてんのうざんいせき)は、縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡です。縄文時代後期・晩期の集落で、発掘調査では平地式住居跡3軒、集石墓、貯蔵穴などが見つかっています。静岡県中部を
縄文時代 前玉原遺跡、横穴式石室を有する円墳5基 ネット初公開 前玉原古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部前玉下原)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)の前玉原遺跡(さいたまはらいせき)は、前玉原と呼ばれる丘陵(標高約30~32m付近)上に所在する縄文時代の遺跡です。遺物は、石器(石鏃(せきぞく)、石錘(せきすい))、黒曜石(こくようせき)などが見つかっています。周辺には前玉原
弥生時代後期から古墳時代前期の集落・墓域 小深田西遺跡 (静岡県焼津市西小川(小川字小深田))
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西遺跡(こふかだにしいせき)は、大井川水系によって形成された沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。弥生時代後期後半(3世紀前半)から古墳時代前期初頭(3世紀後半)にかけて集落遺跡で、発掘調査では竪穴式
弥生時代中期から古墳時代初頭の集落,水田跡 南谷遺跡 (静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)下朝比奈誰政,南谷 宮内温屋団地の南)
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)下朝比奈(しもあさひな)誰政・南谷の南谷遺跡(みなみやいせき)は、弥生時代中期から古墳時代初頭を中心とする集落遺跡です。発掘調査では、弥生時代から江戸時代までの竪穴系平地式住居跡(たてあなけいへいちしきじゅうきょあと)・掘建柱建
縄文時代中期(約4,000~5,000年前)・奈良時代(8世紀)の住居跡 鹿島遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済字西原 鹿島神社の東)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済(はんせい)の鹿島遺跡(かしまいせき)は、鹿島神社の東側に所在。発掘調査では、縄文時代中期(約4,000~5,000年前)の住居跡2軒を検出し、縄文土器、石斧、黒曜石が出土。東南の部分と町道から境内に入る道の辺りからは、奈良時代(8世紀)の
弥生時代から中世,近世の複合遺跡 遠江国府跡 御殿・二之宮遺跡 御殿遺跡公園 (静岡県磐田市御殿・二之宮)
静岡県磐田市御殿(ごてん)・二之宮(にのみや)の御殿・二之宮遺跡(ごてん・にのみやいせき)は、磐田駅南側の南北約500m、東西約1100mの範囲の平野部(標高約2m)に広がる市内最大規模の遺跡です。北側は磐田原台地(いわたはらだいち)の南端で平坦面を形成する市街地化が進んだ
江戸時代 天明の大飢饉 民衆救済のため建立 市指定史跡 妙昌寺経塚 曹洞宗 海照山 妙昌寺 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江854⁻1)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の市指定史跡 妙昌寺経塚(みょうしょうじきょうづか)は、曹洞宗 海照山 妙昌寺境内に建立されています。別名は青池経塚。安土桃山時代の天正10年(1582年)、曹洞宗 日照山 円成寺(牧之原市細江)6世 伝室全鏡がこの地へ隠居した
江戸時代? 一字一石経が出土 祖父ヶ谷経塚 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田伏方祖父ヶ谷)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
古墳時代(5世紀末~6世紀後半) 遠江最古級の須恵器,埴輪を焼いた窯 衛門坂古窯跡 (静岡県袋井市岡崎上区衛門坂)
静岡県袋井市岡崎(おかざき)の衛門坂古窯跡(えもんざかこようせき)は、古墳時代中期末~後期(5世紀末~6世紀後半)に遠江(静岡県西部)最古級の須恵器・埴輪(はにわ)を焼いた窯跡です。衛門坂古窯跡の埴輪は、市内の大門大塚古墳・貫名地B2号墳に使われました。発掘調査では
奈良・平安時代の土器を焼いた窯跡 静居寺裏古窯 (静岡県島田市伊太 静居寺北側の墓地)
静岡県島田市伊太(いた)の静居寺裏古窯(じょうこじうらこよう)は、奈良時代から平安時代にかけて土器を焼いた窯跡です。曹洞宗 青原山 静居寺(じょうこじ)裏側(北側)の歴代住職の無縫塔(むほうとう)が並ぶ墓地に、窯跡1基の一部が観察できます。静居寺は、室町時代末期(戦
江戸時代 一石一字経を納めた石塔を建立 町指定文化財 長源寺の経塚 曹洞宗 竜沢山 長源寺 (静岡県榛原郡吉田町神戸3592)
静岡県榛原郡吉田町神戸(かんど)の曹洞宗 竜沢山 長源寺(ちょうげんじ)には、町指定文化財 長源寺の経塚(ちょうげんじのきょうづか)があります。江戸時代の寛政10年(1798年)9月、遠江国榛原郡前玉(さいたま)村(現在の牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部前玉)の本間代五郎が郷土
和鏡15面,太刀,白磁などが出土 西ノ平経塚 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)殿字御月山668)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)殿(との)の西ノ平経塚(にしのたいらきょうづか)は、中世(11世紀後半~16世紀後半)に土中へ経典(きょうてん)などを埋納した場所です。昭和5年(1930年)、前年に土採りした直径約4mの土盛りから和鏡(わきょう)15面、土器24点、鉄製品(太刀(
2025年7月
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静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、「掛川藩の文化展・大庭松風(おおば しょうふう)の世界」を開催。大庭松風は、掛川藩下俣(しもまた)町の名主(庄屋)を代々務めた大庭家の9代目当主で、掛川藩の御用商人(ごようしょうにん)です。江戸
静岡県静岡市清水区(旧清水市)宮加三(みやかみ)の市指定史跡 清水天王山遺跡(しみずてんのうざんいせき)は、縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡です。縄文時代後期・晩期の集落で、発掘調査では平地式住居跡3軒、集石墓、貯蔵穴などが見つかっています。静岡県中部を
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)の前玉原遺跡(さいたまはらいせき)は、前玉原と呼ばれる丘陵(標高約30~32m付近)上に所在する縄文時代の遺跡です。遺物は、石器(石鏃(せきぞく)、石錘(せきすい))、黒曜石(こくようせき)などが見つかっています。周辺には前玉原
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西遺跡(こふかだにしいせき)は、大井川水系によって形成された沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。弥生時代後期後半(3世紀前半)から古墳時代前期初頭(3世紀後半)にかけて集落遺跡で、発掘調査では竪穴式
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)下朝比奈(しもあさひな)誰政・南谷の南谷遺跡(みなみやいせき)は、弥生時代中期から古墳時代初頭を中心とする集落遺跡です。発掘調査では、弥生時代から江戸時代までの竪穴系平地式住居跡(たてあなけいへいちしきじゅうきょあと)・掘建柱建
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済(はんせい)の鹿島遺跡(かしまいせき)は、鹿島神社の東側に所在。発掘調査では、縄文時代中期(約4,000~5,000年前)の住居跡2軒を検出し、縄文土器、石斧、黒曜石が出土。東南の部分と町道から境内に入る道の辺りからは、奈良時代(8世紀)の
静岡県磐田市御殿(ごてん)・二之宮(にのみや)の御殿・二之宮遺跡(ごてん・にのみやいせき)は、磐田駅南側の南北約500m、東西約1100mの範囲の平野部(標高約2m)に広がる市内最大規模の遺跡です。北側は磐田原台地(いわたはらだいち)の南端で平坦面を形成する市街地化が進んだ
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の市指定史跡 妙昌寺経塚(みょうしょうじきょうづか)は、曹洞宗 海照山 妙昌寺境内に建立されています。別名は青池経塚。安土桃山時代の天正10年(1582年)、曹洞宗 日照山 円成寺(牧之原市細江)6世 伝室全鏡がこの地へ隠居した
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
静岡県袋井市岡崎(おかざき)の衛門坂古窯跡(えもんざかこようせき)は、古墳時代中期末~後期(5世紀末~6世紀後半)に遠江(静岡県西部)最古級の須恵器・埴輪(はにわ)を焼いた窯跡です。衛門坂古窯跡の埴輪は、市内の大門大塚古墳・貫名地B2号墳に使われました。発掘調査では
静岡県島田市伊太(いた)の静居寺裏古窯(じょうこじうらこよう)は、奈良時代から平安時代にかけて土器を焼いた窯跡です。曹洞宗 青原山 静居寺(じょうこじ)裏側(北側)の歴代住職の無縫塔(むほうとう)が並ぶ墓地に、窯跡1基の一部が観察できます。静居寺は、室町時代末期(戦
静岡県榛原郡吉田町神戸(かんど)の曹洞宗 竜沢山 長源寺(ちょうげんじ)には、町指定文化財 長源寺の経塚(ちょうげんじのきょうづか)があります。江戸時代の寛政10年(1798年)9月、遠江国榛原郡前玉(さいたま)村(現在の牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部前玉)の本間代五郎が郷土
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)殿(との)の西ノ平経塚(にしのたいらきょうづか)は、中世(11世紀後半~16世紀後半)に土中へ経典(きょうてん)などを埋納した場所です。昭和5年(1930年)、前年に土採りした直径約4mの土盛りから和鏡(わきょう)15面、土器24点、鉄製品(太刀(
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)・向敷地(むこうしきじ)の史跡 手児の呼坂(てこのよびさか)は、丸子から宗小路(そうこじ)を通って手越(てごし)へ抜ける峠道で、都から東国へ通じる最古の東海道「東路」(あずまじ)の一部です。現在では、ウォーキング・ハイキングコースとし
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷新町(かなやしんまち)の巌室神社(いわむろじんじゃ)は、東海道金谷宿の氏神(うじかみ)です。鎌倉時代前期の正治元年(1199年)には、金山彦命(かなやまひこのみこと)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)・木花之開耶姫命(このはなのさくやひめのみこ
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の竜源寺跡(りゅうげんじあと)は、戦国時代(室町時代)の尼寺 大陽山 昌隆寺跡だと推定されています。菊川市(旧小笠郡小笠町)の曹洞宗 磯部山 正林寺に伝わる『大樹の蔭』に、「上の原に一刹を建立す、大陽山 竜源寺是なり」と
静岡県静岡市葵区沓谷(くつのや)の臨済宗 正覚山 菩提樹院(ぼだいじゅいん)には、市指定文化財「伝駿河国分寺の塔心礎(とうしんそ)」があります。寺院の塔の心礎(中央の柱の礎石)に用いられた石材です。江戸時代中期の明和8年(1771年)、駿府城代 武田越前守信村(たけだ え
静岡県袋井市川井(かわい)の市指定文化財 旧澤野医院(澤野医院記念館)は、江戸時代末期から昭和初期にかけて建築され澤野医院として使われた建物です。現在は、昔の病院の内部(レントゲン室、診察室、手術室、病室、居宅)が一般公開され資料館になっています。2007年6月に
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。現存する江戸時代の旅籠(はたご)や商家などは一般公開され、ウォーキングコースとして人気があります。商家「藤文」(ふじぶん)は、江戸時代末期(幕末)の万
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)下内田(しもうちだ)の国指定史跡 高田大屋敷遺跡(たかだおおやしきいせき)は、周囲に土塁(南北93m、東西70m)を巡らせた中世の方形居館跡(ほうけいきょかんあと)です。上小笠川右岸の、沖積平野の自然堤防上(標高約11m)に立地。上小笠川の水運
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、企画展『掛川三城ものがたり展』を開催。掛川市内の掛川城(かけがわじょう)、高天神城(たかてんじんじょう)、横須賀城(よこすかじょう)のジオラマ模型・出土品などの資料を展示した企画展です。企画
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳群(きょうみづかこふんぐん)は、古墳時代後期後半(6世紀後半頃)から終末期(7世紀後半頃)に磐田原台地の西縁部へ築造された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳13基(文献によっては14基)のうち、1基は調査前に消滅していました。京
静岡県島田市野田(のだ)の真言宗泉涌寺派 天正山 鵜田寺(うだじ)は、奈良時代の天平宝字2年(758年)に大井川で拾った薬師如来を安置したのが始まりと伝えられる市内最古の寺です。病気平癒・眼病平癒に御利益があるという本尊 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞ
静岡県島田市阪本(さかもと)の谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)は、牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀中頃)から終末期(7世紀)の群集墳です。牧之原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、谷口原古墳群の20基以上(200基説もあり)あった古墳の
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)中内田(なかうちだ)の杉森横穴群(すぎもりよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られた36基または37基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)で構成されています。別名は「内田の横穴」です。静岡県内には、約3,000基の横穴墓が分布。菊川市の横穴墓は、古
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石(おおいし)の興勝寺横穴群(こうしょうじよこあなぐん)は、丘陵の南向きの崖に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。興勝寺1号横穴からは、須恵器が出土しています。静岡県内には約3,000基の横穴墓が分布しており、
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳(きょうみづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀中頃)の築造と推定される円墳です。規模は墳丘基底径47m、周溝(しゅうこう)底面からの高さ8.7m、周溝の幅9m。墳丘は2段築成で、上段墳丘裾から段築平面にかけて葺石(ふきいし)が見つ
静岡県磐田市三ケ野(みかの)の大日堂古墳(だいにちどうこふん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)東端(標高約38m)の、東海道 三ケ野坂に所在する円墳です。円墳の墳丘には、大日如来(だいにちにょらい)を祀る大日堂が建てられています。三ケ野坂は、鎌倉・江戸・明治・大正
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の松林山古墳(しょうりんざんこふん)は、国指定史跡 御厨古墳群(みくりやこふんぐん)を構成する大型古墳5基のひとつです。古墳時代前期(4世紀後半頃)の築造と考えられる前方後円墳で、全長約107m・前方部の推定幅約48m・前方部高さ約3m・後円部径
静岡県掛川市各和(かくわ)の各和金塚古墳(かくわかなつかこふん)は、古墳時代中期(5世紀初頭)に築かれた全長66.4mの前方後円墳です。掛川市各和・高田・吉岡地区に分布する有力な古墳5基(前方後円墳4基、円墳1基)で構成された、国指定史跡 和田岡古墳群に含まれています。
静岡県掛川市各和(かくわ)の各和金塚古墳(かくわかなつかこふん、かくわかなづかこふん)は、河岸段丘の東端に築かれた古墳時代中期(5世紀初頭)の前方後円墳です。掛川市各和(かくわ)・高田(たかだ)・吉岡(よしおか)地区の、原野谷川(はらのやがわ)が形成した河岸段丘上に分
静岡県掛川市高田(たかだ)の瓢塚古墳(ひさごづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)に築造された前方後円墳です。古墳の規模は、全長66m、後円部直径37.8m、後円部高さ5m、前方部高さ3.5m。前方部は南向きで、後円部の北東に幅7mの周溝(しゅうこう)があります。掛川市各
静岡県掛川市吉岡(よしおか)の春林院古墳(しゅんりんいんこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)の築造とされる直径30m、高さ5mの円墳です。昭和38年(1963年)、発掘調査が行われました。墳頂部に主体部(埋葬施設)があり、鉄剣(てっけん)・やりがんな・鉄針が出土。また、壺
静岡県掛川市岡津(おかつ)の堀田古墳は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)に築造された石室が無い円墳だと考えられています。茶園が広がる段丘上に、石碑(大庭愛玉翁顕彰碑)が建てられた古墳が現存。堀田古墳
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の八王子古墳(古墳7基からなる八王子古墳群の5号墳?)は、古墳時代後期(6世紀頃)の築造と考えられる円墳です。墳丘の規模は直径約15m、高さ約1.5mで、太平洋戦争中に掘られた防空壕(ぼうくうごう)が残されています。八王子古墳がある兎山(うさぎ
静岡県掛川市逆川(さかがわ)の前田古墳(まえだこふん)は、逆川高区配水池の北西に伸びる丘陵尾根に単独で築かれた小円墳です。文献によっては、所在地が掛川市満水(たまり)になっています。前田古墳
静岡県袋井市高尾(たかお)の渋垂神社上古墳群(しぶたれじんじゃうえこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)~後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の築造と推定される円墳7基で構成。赤尾渋垂郡辺神社(あかおしぶたれこうりべじんじゃ、渋垂神社とも呼ばれる)の裏山
静岡県磐田市見付(みつけ)の時宗 東福山 西光寺(さいこうじ)は、鎌倉時代の文永2年(1265年)に真言宗の阿闍梨傾木(あじゃりけいぼく)和尚が創建。建治・弘安年間(1280年前後)、時宗の開祖 証誠大師一遍上人(しょうじょうだいしいっぺんしょうにん)がこの地を訪れて、時宗の
静岡県掛川市満水(たまり)の踊原古墳(おどりはらこふん)は、丘陵尾根(標高約73m)に単独で築かれた直径約10mの円墳です。周辺の丘陵上には、多くの古墳が分布しています。踊原古墳