静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の馬平遺跡(まだいらいせき)は、縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)を中心とする集落遺跡です。明治35年(1902年)頃、道路建設のため丘陵を開墾したところ、縄文時代の石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、石錐(いしきり、せきすい)、石剣(せっけん
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
鶏形埴輪,人物埴輪が出土 前方後円墳1基と円墳4基 徳願寺山古墳群 (静岡県静岡市駿河区向敷地他 徳願寺の南)
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の徳願寺山古墳群(とくがんじやまこふんぐん)は、曹洞宗 大窪山 徳願寺南側の丘陵上に分布する、前方後円墳1基(徳願寺山1号墳)と円墳4基(徳願寺山2~5号墳)で構成されています。標高90~97mの徳願寺山1号墳は、古墳時代後期前半(6世
古墳時代後期~終末期(6~7世紀) 円墳4基,方墳1基,横穴式石室墳2基 ネット初公開 楠ヶ沢古墳群 (静岡県静岡市駿河区向敷地字楠ヶ沢)
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の楠ヶ沢古墳群(くすがさわこふんぐん)は、古墳時代後期中葉(6世紀中頃)~終末期(7世紀頃)にかけて築かれました。方墳1基、円墳4基、墳丘がほとんど無い横穴式石室墳(よこあなしきせきしつふん)2基で構成されています。楠ヶ沢古墳群
古墳時代後期,終末期(6~7世紀) 中に入れる横穴式石室 牧ヶ谷古墳群 (静岡県静岡市葵区牧ヶ谷281 臨済宗妙心寺派 牧ヶ谷山 耕雲寺の裏山)
静岡県静岡市葵区牧ヶ谷(まきがや)の牧ヶ谷古墳群(まきがやこふんぐん)は、臨済宗妙心寺派 牧ヶ谷山 耕雲寺(こううんじ)周辺の丘陵上に築かれた古墳5基で構成されています。古墳時代後期(6世紀末頃)から終末期(7世紀中頃)に築造された、主体部(埋葬施設)が横穴式石室の古墳
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 谷田17号墳(谷田10号墳?) (静岡県静岡市駿河区谷田 静岡県立美術館 第3駐車場の横)
静岡県静岡市駿河区谷田(やだ)の谷田古墳群(やだこふんぐん)は、静岡県立美術館がある有度丘陵(うどきゅうりょう)の谷田原に分布。古墳時代後期(6世紀)・終末期(7世紀)の築造と考えられる、大規模な後期群集墳です。多くの古墳は開発によって消滅しましたが、残存する古墳
江戸時代 間宮林蔵と蝦夷地を探検 駿府城代 松平信濃守忠明の墓 (静岡県静岡市葵区井宮町)
静岡県静岡市葵区井宮町(いのみやちょう)の浄土宗 井宮山 松樹院(しょうじゅいん)北側には、駿府城代 松平信濃守忠明(まつだいら しなののかみ ただあきら(ただあき))の墓があります。江戸時代中期の宝暦9年9月29日(1759年11月18日)、豊後国(大分県)岡藩の第8代藩主 中川修
古墳時代後期(6世紀) 横穴式石室を有する方墳 市指定史跡 平塚古墳 (静岡県掛川市上西郷構江)
静岡県掛川市上西郷(かみさいごう)の市指定史跡 平塚古墳(ひらつかこふん)は、古墳時代後期(6世紀後半~末頃)に築かれた横穴式石室を有する古墳です。一辺約20~25mの方墳だと考えられています。石室内から、組合式箱形石棺(くみあわせしきはこがたせっかん)2基と副葬品(大
日本三筆のひとり 書の達人 平安時代の役人 橘逸勢(たちばな の はやなり)供養塔 曹洞宗 河跡山 用福寺 (静岡県袋井市上山梨815-1)
静岡県袋井市上山梨(かみやまなし)の曹洞宗 河跡山 用福寺には、平安時代初期の役人 橘逸勢(たちばな の はやなり)の供養塔(五輪塔)があります。橘逸勢は、嵯峨天皇・弘法大師とならんで日本三筆のひとりに数えられる書の達人で、隷書(れいしょ)を得意としていました。橘逸
太平洋戦争中 境内に掘られた防空壕7基 赤尾渋垂郡辺神社 (静岡県袋井市高尾193,225-5)
静岡県袋井市高尾(たかお)の赤尾渋垂郡辺神社(あかおしぶたれこうりべじんじゃ、渋垂神社とも呼ばれる)境内には、第二次世界大戦(太平洋戦争)中に空襲に備えて掘られた、7基の防空壕(ぼうくうごう)があります。長年の間、近所の子供たちの遊び場となっていました。現在は入
山王前遺跡,古墳時代前期(4世紀後半)の城山古墳の出土品(縄文土器,石器,山茶碗,鉄剣,鉇,刀子,銅鏃,底部穿孔土器)を展示 大津農村環境改善センター「山王」 (静岡県島田市尾川1)
静岡県島田市尾川(おがわ)の大津農村環境改善センター「山王」は、大津ふれあい祭りなどの地域イベント・会議や講座などが行われる、公民館的な文化コミュニティ施設です。縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸時代の複合遺跡である山王前遺跡(さんのうまえいせ
幕府老中 松平能登守乗賢の所領 美濃国岩村藩領の代官所跡 横内陣屋跡 (静岡県藤枝市横内字堂ノ前)
静岡県藤枝市横内(よこうち)の横内陣屋跡(よこうちじんやあと)は、江戸時代に美濃国岩村藩(岐阜県恵那市)の飛領地を支配した代官所跡です。江戸時代中期の享保20年(1735年)、幕府の老中となった美濃国岩村藩主 松平能登守乗賢(まつだいら のとのかみ のりたか)が1万石を加
横穴式石室から見つかった組合式箱形石棺 縁生坊古墳群 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)折戸字矢々口・縁生坊)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)折戸(おりど)の縁生坊古墳群(えんじょうぼうこふんぐん)は、「三保の松原」(みほのまつばら)で有名な三保半島に分布していた唯一の古墳群です。古墳時代後期後半(6世紀後半)~古墳時代終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳3基以上
白鳳時代 尾羽廃寺の瓦と須恵器を焼いた窯跡 東山田古窯跡群(東山田瓦窯跡群) (静岡県静岡市清水区尾羽字東山田)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽(おばね)の東山田古窯跡群(ひがしやまだこようせきぐん)は、発掘調査で白鳳時代(7世紀後半)に創建された尾羽廃寺(おばねはいじ)の瓦を焼いた窯跡(瓦窯跡)4基と、須恵器の窯跡1基が見つかりました。窯跡は、東名高速道路と東山田窯跡公園に
斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓 ネット初公開 虚空蔵堂横穴群 (静岡県菊川市(旧小笠町小笠町)高橋字虚空蔵山4815,4816 虚空蔵山 福蔵院)
静岡県菊川市(旧小笠町小笠町)高橋(たかはし)の虚空蔵堂横穴群(こくぞうどうよこあなぐん)は、虚空蔵山 福蔵院境内の丘陵斜面に掘られた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。静岡県内には、約3,000基の横穴墓が分布。菊川市の横穴墓は、古墳時代後期中頃(6世紀中頃)以降に
鎌倉時代 内田氏の地頭居館跡? 中世の城館 国指定史跡 高田大屋敷遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)下内田水楽)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)下内田(しもうちだ)の国指定史跡 高田大屋敷遺跡(たかだおおやしきいせき)は、周囲に土塁(南北93m、東西70m)を巡らせた中世の方形居館跡(ほうけいきょかんあと)です。上小笠川右岸の、沖積平野の自然堤防上(標高約11m)に立地。上小笠川の水運
掛川城,高天神城,横須賀城の資料展示 企画展『掛川三城ものがたり展』掛川市立中央図書館 (静岡県掛川市掛川1148-1)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、企画展『掛川三城ものがたり展』を開催。掛川市内の掛川城(かけがわじょう)、高天神城(たかてんじんじょう)、横須賀城(よこすかじょう)のジオラマ模型・出土品などの資料を展示した企画展です。企画
古墳時代後期・終末期の群集墳 京見塚古墳群 (静岡県磐田市国府台653-1 京見塚公園)
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳群(きょうみづかこふんぐん)は、古墳時代後期後半(6世紀後半頃)から終末期(7世紀後半頃)に磐田原台地の西縁部へ築造された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳13基(文献によっては14基)のうち、1基は調査前に消滅していました。京
六角形の竪穴式住居跡 縄文時代中期の集落 東鎌塚原遺跡 (静岡県島田市湯日本村)
静岡県島田市湯日(ゆい)の東鎌塚原遺跡(ひがしかまつかばらいせき)は、大井川右岸の牧ノ原(牧之原)台地に営まれた縄文時代中期(約5,500~4,500年前)の集落遺跡です。牧ノ原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、標高約135~140mの遺跡の範囲(南北約900m、東西約500m)
鎌倉時代の遊女 島田髷の考案者 虎御前の墓 真言宗泉涌寺派 天正山 鵜田寺 (静岡県島田市野田1195)
静岡県島田市野田(のだ)の真言宗泉涌寺派 天正山 鵜田寺(うだじ)は、奈良時代の天平宝字2年(758年)に大井川で拾った薬師如来を安置したのが始まりと伝えられる市内最古の寺です。病気平癒・眼病平癒に御利益があるという本尊 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞ
呪われた盗掘者が建立した「古墳の碑」 古墳時代後期・終末期の群集墳 谷口原古墳群 (静岡県島田市阪本字谷口原)
静岡県島田市阪本(さかもと)の谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)は、牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀中頃)から終末期(7世紀)の群集墳です。牧之原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、谷口原古墳群の20基以上(200基説もあり)あった古墳の
古墳時代後期以降の横穴墓37基 杉森横穴群(内田の横穴) (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)中内田杉森)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)中内田(なかうちだ)の杉森横穴群(すぎもりよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られた36基または37基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)で構成されています。別名は「内田の横穴」です。静岡県内には、約3,000基の横穴墓が分布。菊川市の横穴墓は、古
獅子ヶ鼻砦跡の南に分布 ネット初公開 興勝寺横穴群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石 生仁場橋の南西)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石(おおいし)の興勝寺横穴群(こうしょうじよこあなぐん)は、丘陵の南向きの崖に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。興勝寺1号横穴からは、須恵器が出土しています。静岡県内には約3,000基の横穴墓が分布しており、
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静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の馬平遺跡(まだいらいせき)は、縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)を中心とする集落遺跡です。明治35年(1902年)頃、道路建設のため丘陵を開墾したところ、縄文時代の石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、石錐(いしきり、せきすい)、石剣(せっけん
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)藤守(ふじもり)・上小杉(かみこすぎ)ほかの藤守遺跡(ふじもりいせき)は、駿河湾に面した大井川下流左岸の沖積微高地 志太(しだ)平野に立地し、東西約2.5㎞・南北約1㎞の範囲に広がっています。弥生時代、古墳時代末期(7世紀)~奈良時代(8世
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の大乗寺遺跡(だいじょうじいせき)は、縄文時代前期(7,000年前~5,500年前)後半を中心とする複合遺跡です。遺跡の範囲は、大乗寺平と呼ばれる東西約400m・南北約50mの台地東側にある臨済宗妙心寺派 高部山 大乗寺の境内周辺。
静岡県周智郡森町一宮(宮代)(しゅうちぐん もりまち いちみや(みやしろ))の宮奥遺跡(みやおくいせき)は、遠江国一宮 小國神社(おくにじんじゃ、おぐにじんじゃ)境内を流れる宮川の遊歩道沿いに所在。平成8年(1996年)、土壌調査中に遊歩道で削られた崖から、古墳時代前期(3
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝俣(かつまた)の市指定史跡 白鬚遺跡(しらひげいせき)は、秋葉山(標高約60m)山麓の勝間田川(かつまたがわ)下流右岸の湿地に営まれた弥生時代後期(3世紀頃)の遺跡です。秋葉山中腹にある古墳時代の白ヒゲⅡ遺跡と区別するため、白ヒゲⅠ遺跡
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂口(さかぐち)の「堂ヶ谷廃寺・堂ヶ谷経塚(堂ヶ谷遺跡)」(どうがやはいじ・どうがやきょうづか(どうがやいせき))は、富士山静岡空港建設に伴う調査で見つかりました。平成17年(2005年)5月から平成19年(2007年)3月に、発掘調査を実施。富士
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)の倉見原古墳群(くらみはらこふんぐん)は、高根山(標高150m)を主峰とする丘陵に築かれた古墳4基(円墳、方墳)で構成。倉見原3号墳は、古墳時代前期(3世紀中頃~4世紀後半頃)に築かれた方墳で、弥生時代の墳墓(ふんぼ)である台状
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂(かも)の白岩遺跡(しらいわいせき)は、弥生時代中期(約2,500年~2,000年前)・後期(約1,900年~1,750年前)を中心とする集落遺跡です。菊川の支流 西方川(にしかたがわ)が形成した、自然堤防上の微高地(標高約19m)に立地。昭和22年(1947年)1
静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂(おおさか)の県立自然公園 大浜公園(おおはまこうえん)には、西国三十三番(さいごくさんじゅうさんばん)観音巡りがあります。西國三十三所観音霊場札所巡り(京都府・大阪府・和歌山県・奈良県・兵庫県・滋賀県・岐阜県)にならった、ミニ巡
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)嶺田(みねだ)の井の宮神社(井之宮神社、井宮神社)には、江戸時代前期に嶺田用水建設を幕府に直訴(じきそ)した、中条右近太夫(ちゅうじょううこんだゆう)の供養塔があります。徳川家康ゆかりの用水建設計画であったため許可されましたが、寛永3
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の榛原公園(はいばらこうえん)は、龍眼山城跡(りゅうげんざんじょうあと)です。龍眼山(標高76m)の山頂付近に築かれた平山城(ひらやまじろ、ひらやまじょう)で、遺構は曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・堀切(ほりきり)。戦国時代、
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)字平芝の平芝陣屋跡(ひらしばじんやあと)は、久喜藩(現在の埼玉県久喜市)分家米津氏の陣屋跡です。江戸時代前期の貞享元年(1684年)、初代久喜藩主 米津田盛(よねきつ ただもり)の長男 米津政武(よねきつ まさたけ)は、父の死去で
静岡県静岡市葵区長沼(ながぬま)・沓谷(くつのや)の長沼古城(長沼砦)は、鎌倉時代に御家人 長沼五郎宗政の居城だったとされる場所です。愛宕霊園になっている観音山(茶臼山)山頂周辺に2~3段の曲輪と、西側の愛宕山砦(愛宕砦、長沼塁)との間に堀切が設けられていたと推測さ
静岡県藤枝市天王町(てんのうちょう)の浄土宗 光明山 悟真院 了善寺(こうみょうざん ごしんいん りょうぜんじ)は、室町時代(戦国時代)の文明18年(1486年)に遠江国見崎の海で引き揚げられた善導大師像を、この地に祀ったのが始まりです。江戸時代の天和2年(1682年)、14世霊
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草(たなくさ)の春日山横穴群(かすがやまよこあなぐん)は、春日神社東側の谷に分布する2群8基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前
静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)岩室(いわむろ)の市指定史跡 岩室廃寺跡(岩室廃寺遺跡)は、獅子ヶ鼻(ししがはな)公園周辺に所在する寺院跡です。奈良時代に小規模の山岳密教寺院が開かれ、平安時代には多くの堂宇が点在する岩室寺となりました。敷地川(しきじがわ)東岸の丘陵
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田(わだ)の皿山古窯跡群(さらやまこようせきぐん)は、平安時代末期から鎌倉時代(12~13世紀)にかけて、灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)・仏具(ぶつぐ)・瓦(かわら)などを焼いていた窯跡です。平成14年(2002年)の排水路建設
静岡県藤枝市助宗(すけむね)の助宗古窯跡群(すけむねこようせきぐん)は、奈良~平安時代に須恵器、平安~鎌倉時代には灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)を焼いていました。別名は助宗窯跡群で、山茶碗の窯跡としては東海地域最東端です。100基以上の窯跡が、
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江の臨済宗 不動山 善能寺(お不動さん、波切不動尊)は、安土桃山時代(戦国時代)の天正5年(1577年)2月に以震祖英が臨済宗 吸江山平田寺(へいでんじ)の末寺として開きました。江戸時代後期の嘉永7年11月4日(1854年12月23日)、震度7と推定さ
静岡県焼津市石脇下(いしわきしも)の臨済宗妙心寺派 石脇山 宝積寺(いしわきさん ほうしゃくじ)は、平安時代頃に法華寺(焼津市花沢)の寺坊として海岸の小浜(おばま)に創建されました。高波で破壊されたため、室町時代の永享10年(1438年)に瑞然(ずいねん)和尚が現在地の近
静岡県掛川市逆川(さかがわ)の前田古墳(まえだこふん)は、逆川高区配水池の北西に伸びる丘陵尾根に単独で築かれた小円墳です。文献によっては、所在地が掛川市満水(たまり)になっています。前田古墳
静岡県袋井市高尾(たかお)の渋垂神社上古墳群(しぶたれじんじゃうえこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)~後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の築造と推定される円墳7基で構成。赤尾渋垂郡辺神社(あかおしぶたれこうりべじんじゃ、渋垂神社とも呼ばれる)の裏山
静岡県磐田市見付(みつけ)の時宗 東福山 西光寺(さいこうじ)は、鎌倉時代の文永2年(1265年)に真言宗の阿闍梨傾木(あじゃりけいぼく)和尚が創建。建治・弘安年間(1280年前後)、時宗の開祖 証誠大師一遍上人(しょうじょうだいしいっぺんしょうにん)がこの地を訪れて、時宗の
静岡県掛川市満水(たまり)の踊原古墳(おどりはらこふん)は、丘陵尾根(標高約73m)に単独で築かれた直径約10mの円墳です。周辺の丘陵上には、多くの古墳が分布しています。踊原古墳
静岡県島田市波田(はだ)の立石稲荷(たていしいなり)は、岩陰(いわかげ)に稲荷社(いなりしゃ)が祀られた磐座(いわくら、神が降臨する場所とされる巨岩)です。「波田のお稲荷さん」とも呼ばれ、商売繁盛・大漁祈願・家内安全などに御利益があるとされています。御神体(ごしん
静岡県焼津市道原(どうばら)の道原稲荷神社(どうばらいなりじんじゃ)は、首塚稲荷(くびづかいなり)・北道原首塚稲荷神社(きたどうばらくびづかいなりじんじゃ)とも呼ばれます。室町時代末期(戦国時代)の永禄13年(元亀元年)正月(1月)4日(1570年2月8日)、甲斐(山梨県)の戦国
静岡県袋井市鷲巣(わしず)の久野城(くのじょう)は、四方を水掘で囲まれた平山城です。別名は蔵王城。室町時代(戦国時代)の明応3年(1494年)、駿河今川氏の家臣・久野宗隆(くの むねたか)が遠江(静岡県西部)侵攻の拠点として築城したと考えられています。市指定史跡 久野城址
静岡県袋井市川会(かわえ)の八王子神社(はちおうじじんじゃ)参道には、征露記念(せいろきねん)の石鳥居と石燈篭があります。明治37~38年(1904~1905年)の、日露戦争での勝利を記念して建立されたものです。鳥居には、「征露紀念(せいろきねん)」「明治三十九年十月建之(こ
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)富田(とみた)の火剣山砦(ひつるぎさんとりで)は、安土桃山時代(戦国時代)の天正3年(1575年)に徳川家康が築きました。砦がある標高282.6mの火剣山(ひつるぎさん)山頂から、約1.5km離れた武田氏が支配する諏訪原城(すわはらじょう)の兵の動きを
静岡県袋井市高尾(たかお)の県指定史跡 大門大塚古墳(だいもんおおつかこふん)は、古墳時代後期(6世紀前半)に築かれた横穴式石室を有する円墳です。市内最大級の円墳で、直径約25m、高さ約4.5mの規模。幅5~6m、深さ約1.5mの周溝が巡っています。明治16年(1883年)と昭和61
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の山田ヶ谷南横穴群(やまだがやみなみよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られたA群1基・B群2基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)3基で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳
静岡県掛川市下西郷(しもさいごう)の天王山古墳群(てんのうざんこふんぐん)は、龍尾神社(たつおじんじゃ)境内と南側にかけての古墳5基(前方後円墳あるいは円墳の1基(1号墳)、円墳4基)で構成されています。天王山1・2号墳は、平野部との比高差23~25mの丘陵上に鎮座する龍尾
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の猿郷古墳群(さるごうこふんぐん)は、河岸段丘に築かれた前方後円墳1基と円墳8基で構成されています。猿郷1号墳(猿郷古墳)は、古墳時代後期前半(6世紀前半)の築造と考えられる前方後円墳。規模は、墳長55m・前方部幅32m・前方部高
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)高橋(たかはし)の県指定史跡 舟久保古墳(ふなくぼこふん)は、標高約73mの丘陵上に築かれた古墳時代中期(5世紀頃)の前方後円墳です。船窪古墳、船久保古墳と表記された文献もあります。墳長は約49m、後円部の直径約26m、後円部高さ約3.5m、前方
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)西方(にしかた)の掘田城跡(ほったじょうあと)は、曹洞宗 拈華山 正法寺(ねんげざん しょうぼうじ)西側の丘陵の細尾根に築かれた山城です。松下城跡とも呼ばれ、遺構(曲輪(くるわ)、土塁(どるい)、十数条の堀切(ほりきり))が確認できます。室町
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西古墳群(こふかだにしこふんぐん)は、古墳時代前期前半(4世紀前半頃)の築造と考えられる方墳5基(4基?)で構成されています。大井川水系によって形成された、沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。昭和57年
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の曹洞宗 大窪山 徳願寺には、駿河国守護 今川義忠(いまがわ よしただ)の正室 北川殿の墓(五輪塔)があります。北川殿は、今川義元(いまがわ よしもと)の祖母です。奈良時代の養老元年(717年)、徳願寺は真言宗の寺院として創建。
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)の丸子城(宇津谷城、三角城)は、室町時代の応永年間(1394~1428年)に駿河国の守護大名 今川氏の家臣 斎藤安元が築造しました。室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)、駿河(静岡県中部)に侵攻した甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけ
静岡県静岡市駿河区用宗(もちむね)の持舟城(もちふねじょう)は、戦国時代に徳川家康が攻略した武田水軍の拠点の山城です。用宗城(もちむねじょう)とも呼ばれます。江戸時代までの持舟城周辺は、北側は深田と沼地・西側は交通の難所の大崩海岸・南側の城下は駿河湾の入江に