静岡県磐田市向笠(むかさ)の新豊院山遺跡(しんぽういんやまいせき)A~D地点は、曹洞宗 鷲渓山 新豊院の北・南・西側の丘陵尾根に立地しています。発掘調査では、縄文時代の竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)、弥生時代の土器棺墓(どきかんぼ)・土坑墓(どこうぼ)・
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
江戸時代 中国出身の僧 鉄牛が開創 心月庵跡 (静岡県周智郡森町森 庵山公園)
静岡県周智郡森町森(しゅうちぐん もりまち もり)の庵山公園(あんやまこうえん)は、町立森幼稚園北側の庵山中腹の心月庵跡に所在。江戸時代前期の延宝8年(1680年)、中国出身の僧 鉄牛が庵山に山城国嵯峨の黄檗宗(おうばくしゅう)浄住寺の末寺として心月庵を開創。明治38年(
大刀,馬具,ガラス玉,土器など出土 古墳時代後期~終末期(6世紀後半~7世紀) 尾羽西山古墳群 企画展『尾羽西山遺跡展』 (静岡県静岡市清水区横砂東町33-2 静岡市埋蔵文化財センター)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)横砂東町(よこすなひがしちょう)の静岡市埋蔵文化財センターで、企画展『尾羽西山遺跡(おばねにしやまいせき)展』が開催されました。尾羽西山遺跡(静岡市清水区尾羽471‐1ほか)は、平成20年(2008年)12月から翌年9月まで発掘調査を実施。古墳時
石棒(麻羅地蔵)が出土 縄文時代後期・晩期の拠点的集落 ネット初公開 石畑遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)沢水加字石畑)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)沢水加(さばか)の石畑遺跡(いしばたけいせき)は、沢水加川沿いの自然堤防上に築かれた縄文・弥生時代の遺跡です。縄文時代後期(約4,500~3,300年前)・晩期(約3,300~2,800年前)には、多くの石器が製作された拠点的集落でした。縄文土器、耳栓(
遺跡,窯跡の出土品 遠州歴史文化ネットワーク共催テーマ展『遠江のやきもの』 (静岡県磐田市(旧磐田郡豊田町)上新屋304 磐田市立豊田図書館)
静岡県磐田市(旧磐田郡豊田町)上新屋(かみあらや)の磐田市立豊田図書館展示室で、遠州歴史文化ネットワーク共催テーマ展『遠江のやきもの』が開催されました。磐田市内と県中西部(湖西、浜松、袋井、掛川、菊川、島田など)の遺跡・窯跡で出土した、平安時代から江戸時代の
沼津駅北口で出土 珍しい唐三彩陶枕 古墳時代終末期(飛鳥時代),奈良時代(7~8世紀頃) 上ノ段遺跡 (静岡県沼津市大手町)
静岡県沼津市大手町(おおてまち)の上ノ段遺跡(うえのだんいせき)は、沼津駅北口付近に広がる古墳時代終末期(飛鳥時代)から奈良時代(7~8世紀頃)の遺跡です。大変珍しい、唐三彩陶枕(とうさんさいとうちん)が出土。釉薬(ゆうやく)で3色(白色・緑色・褐色)に彩色された唐三彩
縄文時代晩期から弥生時代の遺跡 殿畑遺跡 (静岡県浜松市北区三ヶ日町(旧引佐郡三ケ日町)三ヶ日殿畑)
静岡県浜松市北区三ヶ日町(旧引佐郡三ケ日町)三ヶ日(みっかび)の殿畑遺跡(とのばたいせき)は、縄文時代晩期から弥生時代の遺跡です。遺跡の規模は東西約110m・南北約80mの範囲で、低い段丘の西縁から直下の沖積地にかけて広がっています。昭和35年(1960年)、耕地整理事業で
動物がデザインされた遺跡の出土品を展示『静岡県埋蔵文化財センター秋季企画展 土器ドキ動物ランド』 (静岡県静岡市駿河区登呂5‐10‐5 静岡市立登呂博物館)
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、静岡平野に立地する弥生時代後期(約1,900年前)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、出土品を展示した静岡市立登呂博物館があります。登呂博物館1階の情報・映像コーナーで、『静岡
江戸時代に出土 縄文時代後期 市指定文化財 安養寺の土偶 杉田中村遺跡 (静岡県富士宮市杉田字中村)
静岡県富士宮市杉田(すぎた)の杉田中村遺跡(すぎたなかむらいせき)は、天間沢川中流左岸(東岸)の南北約500m・東西約250mの範囲(曹洞宗 般若山 安養寺(あんようじ)の北側)に広がっています。幕末頃の杉田用水建設工事で、土偶(どぐう)3点が出土しました。曹洞宗 般若山 安養
縄文時代草創期(約1万3千年前)の定住集落 国指定史跡 大鹿窪遺跡 (静岡県富士宮市(旧富士郡芝川町)大鹿窪字東村)
静岡県富士宮市(旧富士郡芝川町)大鹿窪(おおしかくぼ)の国指定史跡 大鹿窪遺跡(おおしかくぼいせき)は、縄文時代草創期(約1万3千年前)に営まれた定住集落跡です。発掘調査では、草創期としては国内最多の竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)14軒を検出。竪穴式住居で
縄文時代中期・後期 芝川左岸の緩斜面の微高地 東村A遺跡 (静岡県富士宮市(旧富士郡芝川町)大鹿窪字東村)
静岡県富士宮市(旧富士郡芝川町)大鹿窪(おおしかくぼ)の東村A遺跡(ひがしむらえーいせき)は、芝川左岸(東岸)の緩斜面の微高地(標高約183m)に立地しています。見つかった遺物は、縄文時代中期(約5,500~4,500年前)・後期(約4,500~3,300年前)の縄文土器です。柚野(ゆの)地区
横穴式石室から出土した副葬品 企画展『団子塚古墳群H‐1号墳 出土遺物展示会』 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅名976‐1 袋井市立浅羽図書館)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅名(あさな)の袋井市立浅羽図書館 展示コーナーで、企画展『団子塚古墳群(だんごづかこふんぐん)H‐1号墳 出土遺物展示会』が開催されました。団子塚古墳群H‐1号墳は、袋井市諸井字北山の段丘上に築かれた東西16.0m、南北14.0m、高さ2.0mの
太平洋戦争中 境内に掘られた防空壕7基 赤尾渋垂郡辺神社 (静岡県袋井市高尾193,225-5)
静岡県袋井市高尾(たかお)の赤尾渋垂郡辺神社(あかおしぶたれこうりべじんじゃ、渋垂神社とも呼ばれる)境内には、第二次世界大戦(太平洋戦争)中に空襲に備えて掘られた、7基の防空壕(ぼうくうごう)があります。長年の間、近所の子供たちの遊び場となっていました。現在は入
歌舞伎役者 三代目尾上菊五郎の墓所 真宗大谷派 福田山 広楽寺 (静岡県掛川市中央2-8-1)
静岡県掛川市中央(ちゅうおう)の真宗大谷派 福田山 広楽寺(廣樂寺)には、歌舞伎役者 三代目 尾上菊五郎(おのえ きくごろう)の墓があります。江戸時代後期の嘉永2年4月24日(1849年5月16日)、三代目 尾上菊五郎は興行のため滞在していた掛川宿 中町の捻金屋治右衛門方で病死
江戸時代のオランダ貿易使節団 東インド会社商館長 ゲースベルト・ヘンミィの墓 浄土宗知恩院派 泉洞山 天然寺 (静岡県掛川市仁藤町5-5)
静岡県掛川市仁藤町(にとうちょう)の浄土宗知恩院派 泉洞山 天然寺(せんとうさん てんねんじ)には、東インド会社商館長 ゲースベルト・ヘンミィの墓があります。オランダ貿易使節団であるヘンミィの一行約70名は、江戸時代の寛政10年(1798年)はじめに長崎の出島を出発。寛
丘陵上に単独で築かれた古墳 ネット初公開 小山丸山古墳 (静岡県富士市(旧庵原郡富士川町)木島)
静岡県富士市(旧庵原郡富士川町)木島(きじま)の小山丸山古墳(おやままるやまこふん)は、富士川右岸の独立丘陵上(標高約72~76.9m付近)に単独で築かれた古墳です。丘陵は蜜柑園として利用されており、墳丘の一部は削平されています。小山丸山古墳
金銅装単龍環頭大刀が出土 古墳時代後期(6世紀)~終末期(7世紀) 谷津原古墳群 (静岡県富士市(旧庵原郡富士川町)岩淵字谷津原)
静岡県富士市(旧庵原郡富士川町)岩淵(いわぶち)の谷津原古墳群(やつはらこふんぐん)は、富士川下流右岸(西岸)に位置する、丘陵頂上部平坦地・南側斜面・丘陵下平坦部にかけて分布。3回の発掘調査で、古墳時代後期(6世紀)~終末期(7世紀)の築造と考えられる横穴式石室を有す
縄文時代晩期(約3,000年前)の黥面土偶が出土 北久保遺跡 (静岡県富士市(旧庵原郡富士川町)岩淵1488-1「道の駅 富士川楽座」)
静岡県富士市(旧庵原郡富士川町)岩淵(いわぶち)の北久保遺跡(きたくぼいせき)は、平成9~10年(1997~1998年)に東名高速道路 富士川サービスエリア「道の駅 富士川楽座」建設に伴う発掘調査が行なわれました。現在の駐車場北側付近から、縄文時代晩期(約3,000年前)の土偶が
奈良,平安,鎌倉時代の土器が出土 長上郡役所の関連施設跡 宮竹野際遺跡 (静岡県浜松市東区宮竹町)
静岡県浜松市東区宮竹町(みやたけちょう)の宮竹野際遺跡(みやたけのぎわいせき)は、遠江国(とおとうみのくに)の長上郡役所(ながかみぐんやくしょ)の関連施設跡だと考えられています。奈良~平安時代の、硯(すずり)や墨書土器(ぼくしょどき)などの文字資料が出土。平成22年(
縄文時代中期初頭の竪穴式住居跡 クリの貯蔵穴 尼沢遺跡 (静岡県島田市阪本尼沢4786-2他)
静岡県島田市阪本(さかもと)の尼沢遺跡(あまざわいせき、あまさわいせき)は、大井川右岸の牧ノ原(牧之原)台地に位置する縄文時代・古墳時代から近世にかけての複合遺跡です。発掘調査では、縄文時代中期初頭の竪穴式住居跡・クリの炭化物が入った貯蔵穴らしきピット(小穴)
江戸時代 一石一字経を納めた石塔を建立 町指定文化財 長源寺の経塚 曹洞宗 竜沢山 長源寺 (静岡県榛原郡吉田町神戸3592)
静岡県榛原郡吉田町神戸(かんど)の曹洞宗 竜沢山 長源寺(ちょうげんじ)には、町指定文化財 長源寺の経塚(ちょうげんじのきょうづか)があります。江戸時代の寛政10年(1798年)9月、遠江国榛原郡前玉(さいたま)村(現在の牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部前玉)の本間代五郎が郷土
弥生土器,木製品(丸木弓,箕,鍬)など遺跡の出土品 企画展『弥生時代の木製品展』菊川市中央公民館 展示室 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川6225)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川(しもひらかわ)の菊川市中央公民館 展示室で、企画展『弥生時代の木製品展』が開催されました。企画展で展示された、菊川市内の遺跡から出土した弥生土器・弥生時代の木製品(丸木弓(まるきゆみ)、箕(み)、鍬(くわ))を紹介します。企画展
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳11基 慈光院古墳群(谷稲葉古墳群) (静岡県藤枝市谷稲葉654 曹洞宗 稲葉山 慈光院の墓地周辺)
静岡県藤枝市谷稲葉字五斗地(やいなばあざごとぢ)の慈光院古墳群(じこういんこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた、横穴式石室を有する円墳11基で構成。別名は谷稲葉古墳群(やいなばこふんぐん)。文献によれば、曹洞宗 稲葉山 慈光院(じこういん)東側の丘陵
遺跡・古墳の出土品 企画展『平成23年度静岡市文化財展』 静岡市埋蔵文化財センター (静岡県静岡市清水区横砂東町33-2)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)横砂東町(よこすなひがしちょう)の静岡市埋蔵文化財センターで、企画展『平成23年度静岡市文化財展』が開催されました。静岡市内の遺跡・古墳の平成22年度 発掘調査で見つかった、石器・土器など出土遺物を展示公開。企画展で展示された、弥生
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静岡県磐田市向笠(むかさ)の新豊院山遺跡(しんぽういんやまいせき)A~D地点は、曹洞宗 鷲渓山 新豊院の北・南・西側の丘陵尾根に立地しています。発掘調査では、縄文時代の竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)、弥生時代の土器棺墓(どきかんぼ)・土坑墓(どこうぼ)・
静岡県磐田市匂坂上(さぎさかかみ)の馬坂上古墳群(うまさかかみこふんぐん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する22基の小円墳で構成。天竜川左岸(東岸)の磐田原台地には、古墳時代に多数の古墳が築かれました。茶園開墾・道路建設・土採り工事などで古墳が
静岡県掛川市各和(かくわ)の旗差古墳群は、古墳時代後期(6世紀)以降の築造と考えられる円墳3基で構成されています。段丘上の旗差2号墳は削平され茶園になって消滅し、旗差1・3号墳が段丘端部の山林内に残存。旗差古墳群
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)高橋(たかはし)の県指定史跡 舟久保古墳(ふなくぼこふん)は、標高約73mの丘陵上に築かれた古墳時代中期(5世紀頃)の前方後円墳です。船窪古墳、船久保古墳と表記された文献もあります。墳長は約49m、後円部の直径約26m、後円部高さ約3.5m、前方
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)西方(にしかた)の掘田城跡(ほったじょうあと)は、曹洞宗 拈華山 正法寺(ねんげざん しょうぼうじ)西側の丘陵の細尾根に築かれた山城です。松下城跡とも呼ばれ、遺構(曲輪(くるわ)、土塁(どるい)、十数条の堀切(ほりきり))が確認できます。室町
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の馬平遺跡(まだいらいせき)は、縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)を中心とする集落遺跡です。明治35年(1902年)頃、道路建設のため丘陵を開墾したところ、縄文時代の石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、石錐(いしきり、せきすい)、石剣(せっけん
静岡県島田市阪本(さかもと)の東照宮遺跡(とうしょうぐういせき)は、縄文,平安,鎌倉時代などの複合遺跡です。東洋最大の茶園が広がる、大井川右岸の牧ノ原(牧之原)台地に所在。茶園改植(茶樹の植え替え)に伴う発掘調査では、建物跡・柱穴(ちゅうけつ、はしらあな)などの遺
静岡県島田市野田(のだ)の鵜田古墳群(うだこふんぐん)は、野田山(標高143.3m)東裾部の舌状台地に分布する古墳15基で構成された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳時代後期(6世紀代)に築造された、主体部(埋葬施設)が横穴式石室の円墳だと考えられています。島田市大津地区(
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西古墳群(こふかだにしこふんぐん)は、古墳時代前期前半(4世紀前半頃)の築造と考えられる方墳5基(4基?)で構成されています。大井川水系によって形成された、沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。昭和57年
静岡県静岡市清水区(旧清水市)宮加三(みやかみ)の市指定史跡 清水天王山遺跡(しみずてんのうざんいせき)は、縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡です。縄文時代後期・晩期の集落で、発掘調査では平地式住居跡3軒、集石墓、貯蔵穴などが見つかっています。静岡県中部を
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
静岡県藤枝市助宗(すけむね)の助宗古窯跡群(すけむねこようせきぐん)は、奈良~平安時代に須恵器、平安~鎌倉時代には灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)を焼いていました。別名は助宗窯跡群で、山茶碗の窯跡としては東海地域最東端です。100基以上の窯跡が、
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の曹洞宗 大窪山 徳願寺には、駿河国守護 今川義忠(いまがわ よしただ)の正室 北川殿の墓(五輪塔)があります。北川殿は、今川義元(いまがわ よしもと)の祖母です。奈良時代の養老元年(717年)、徳願寺は真言宗の寺院として創建。
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)の丸子城(宇津谷城、三角城)は、室町時代の応永年間(1394~1428年)に駿河国の守護大名 今川氏の家臣 斎藤安元が築造しました。室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)、駿河(静岡県中部)に侵攻した甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけ
静岡県静岡市駿河区用宗(もちむね)の持舟城(もちふねじょう)は、戦国時代に徳川家康が攻略した武田水軍の拠点の山城です。用宗城(もちむねじょう)とも呼ばれます。江戸時代までの持舟城周辺は、北側は深田と沼地・西側は交通の難所の大崩海岸・南側の城下は駿河湾の入江に
静岡県袋井市川井(かわい)の曹洞宗 玉照山 円通寺(えんつうじ)には、歴代の川井代官の墓があります。江戸時代前期の寛永10年(1633年)頃、幕府が遠江国山名郡(とおとうみのくに やまなぐん) 袋井宿周辺の天領(幕府の直轄地)8万石余りを支配するため、円通寺の南側に川井代
静岡県袋井市春岡(はるおか)の本庄山砦(ほんじょうざんとりで)は、曹洞宗 安養山 極楽寺の北側にある春日山(標高約70m)に築かれた平山城です。砦の南方(小字天白)には、村松武大夫館跡と伝えられる場所があります。戦国時代の永禄年間(1558~1570年)に、宇刈七騎のひとりで
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上(かわかみ)の代之谷古墳(だいのやこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。八幡神社境内に単独で所在する古墳で、箱形石棺が見つかっています。代之谷古墳
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町(だいかんちょう)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、 企画展『これからどうなる!?諏訪原城―平成25年度の発掘調査の成果と史跡整備事業―』が開催されました。史跡整備のため発掘調査を実施した国指定史跡 諏訪原城跡の関連資
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町(だいかんちょう)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、 企画展『諏訪原城(すわはらじょう)と史跡整備された山城写真展』が開催されました。史跡整備のため発掘調査を実施した国指定史跡 諏訪原城跡の出土品や、絵図・推定復元図な
静岡県内の公共施設で開催された、静岡県埋蔵文化財センター巡回展『いつもそばに動物(きみ)がいた ~出土品から知るヒトと動物の歴史~』の様子を紹介します。県内の遺跡・古墳から出土した動物に関わりのある遺物(石器・土器・陶磁器・馬具・動物の骨)を展示する考古学展
静岡県浜松市中区東伊場(ひがしいば)の伊場遺跡(いばいせき)は、縄文時代から鎌倉時代にかけて断続的に集落が営まれてきた場所です。史跡公園として整備された伊場遺跡公園(いばいせきこうえん)には、古墳時代の竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)や律令期(奈良、平安時代
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚(かいづか)・集落(ムラ)である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は
静岡県浜松市中区蜆塚の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺跡、弥生時代
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)宗高(むねだか)の宗高権現(むねだかごんげん)は、市指定史跡 徳川家康公床机据え跡(とくがわいえやすこう しょうぎすえあと)です。安土桃山時代末期の慶長6年(1601年)と江戸時代初期の11年(1606年)、鷹狩りでこの地を訪れた徳川家康(とくが
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の白百合遺跡(しらゆりいせき)は、弥生・奈良時代、中世(平安時代末期から鎌倉時代)にかけての複合遺跡です。 海浜平野の砂堤列上(標高約3m)に築かれた集落で、当時は今よりも海岸が近くにありました。地表から約1mの深さで
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の白百合遺跡(しらゆりいせき)は、弥生・奈良時代、中世(平安時代末期から鎌倉時代)にかけての複合遺跡です。 海浜平野の砂堤列上(標高約3m)に、集落が営まれていました。発掘調査では、弥生土器(やよいどき)、胎児(たいじ)
静岡県焼津市鰯ヶ島(いわしがしま)には、再現された明治時代の石造り防潮堤(ぼうちょうてい)があります。明治時代後期まで簡単な波除けの堤しか無く、暴風雨の荒波によって民家・船が度々被害を受けていたため、静岡県へ防潮堤建設を陳情。明治32~40年(1899~1907年)、静
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂口(さかぐち)の「堂ヶ谷廃寺・堂ヶ谷経塚(堂ヶ谷遺跡)」(どうがやはいじ・どうがやきょうづか(どうがやいせき))は、富士山静岡空港建設に伴う調査で見つかりました。平成17年(2005年)5月から平成19年(2007年)3月に、発掘調査を実施。富士
静岡県袋井市は、江戸時代前期の元和2年(1616年)までに東海道 袋井宿(ふくろいしゅく)が整備されました。東海道五十三次の、江戸と京都のちょうど中間にあたる27番目の宿場です。袋井市立袋井図書館で開催された、企画展『袋井宿とまわりの風景展』の様子を紹介します。浮
静岡県静岡市駿河区谷田(やだ)の谷田古墳群(やだこふんぐん)は、静岡県立美術館がある有度丘陵(うどきゅうりょう)の谷田原に分布する古墳時代後期(6世紀)・終末期(7世紀)の大規模な後期群集墳です。昭和30年代には、静岡大学が谷田古墳群に含まれる下中林1号墳(しもなかば
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、静岡平野に立地する弥生時代後期(約1,900年前)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、小さな区画に区切られた弥生時代の水田と、復元住居・高床式倉庫が並んだムラを再現。公園内の
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、静岡平野に立地する弥生時代後期(約1,900年前)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、小さな区画に区切られた弥生時代の水田と、復元住居・高床式倉庫が並んだムラを再現。公園内の
静岡県静岡市清水区(旧清水市)庵原町(いはらちょう)の午王堂山古墳群(ごおうどうやまこふんぐん)は、前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)1基(3号墳)、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)または円墳(えんふん)1基(1号墳)、方墳(ほうふん)1基(2号墳)で構成。午王堂山1・2号墳は
静岡県静岡市葵区柚木(ゆのき)の静岡懸護国神社(しずおかけんごこくじんじゃ)は、明治32年(1899年)11月13日に共祭招魂社として創建されました。昭和14年(1939年)に静岡懸護国神社と改称し、昭和17年(1942年)に静岡市北番町から現在地へ遷座。静岡懸護国神社には、明治維新