静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 地福山 種月院(しゅげついん)は、坂本龍馬を暗殺した京都見廻組 今井信郎(いまい のぶお)の碑がある事で知られています。種月院周辺では、開墾して茶園を造った際に多くの古墳が発見されたそうです。埋蔵文化財として登録されていない
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
装身具,土器などが出土した円墳5基 小鹿山古墳群 (静岡県静岡市駿河区小鹿2335)
静岡県静岡市駿河区小鹿(おしか)の小鹿山古墳群は、昭和38年(1963年)8月1~18日に円墳5基の発掘調査を実施。土器・装身具(金環(きんかん)・勾玉(まがたま)・管玉(くだたま)・丸玉(まるだま)・小玉(こだま))などが出土しました。 昭和39年(1964年)11月、2つあった灌漑用の二
大刀が出土 横穴式石室を有する円墳2基 斗々前古墳群 (静岡県静岡市駿河区丸子字斗々前1838他)
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)の斗々前古墳群(ととまえこふんぐん、ととのまえこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳2基で構成。大刀(たち)が出土していますが、詳細不明の古墳です。斗々前古墳群?
移築された横穴式石室 大鈩2号墳 古墳時代終末期(7~8世紀)の円墳または横穴式石室墳 大鈩古墳群 (静岡県静岡市駿河区丸子字大鈩)
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)字大鈩の大鈩古墳群(おおだたらこふんぐん)は、古墳時代終末期(7世紀前半頃~8世紀初め頃)に築かれた、円墳または墳丘がほとんど無い横穴式石室墳5基(6基?)以上で構成。誓願寺後古墳群(せいがんじうしろこふんぐん)とも呼ばれます。昭和44
室町時代初期 狩野氏が築いた安倍城の出城 金山砦(狩野山砦) (静岡県静岡市駿河区向敷地166,手越)
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の金山砦(狩野山砦)は、安倍川西岸の細長い丘陵(金山)に所在。旧東海道に面した重要な地点にあり、室町時代初期に今川氏と敵対した狩野氏が築いた安倍城の出城だといわれています。砦の南側は、観応2年(1351年)に南北朝両軍が激突し
古墳時代中期・後期の古墳19基以上(前方後円墳,方墳,円墳) 宗小路古墳群 (静岡県静岡市駿河区丸子字宗小路)
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)の宗小路古墳群(そうこじこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)・後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)に築かれた古墳19基以上(古い文献では前方後円墳1基、方墳1基、円墳9基)で構成。徳願寺山丘陵から、南西にのびる丘陵上に分布し
鶏形埴輪,人物埴輪が出土 前方後円墳1基と円墳4基 徳願寺山古墳群 (静岡県静岡市駿河区向敷地他 徳願寺の南)
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の徳願寺山古墳群(とくがんじやまこふんぐん)は、曹洞宗 大窪山 徳願寺南側の丘陵上に分布する、前方後円墳1基(徳願寺山1号墳)と円墳4基(徳願寺山2~5号墳)で構成されています。標高90~97mの徳願寺山1号墳は、古墳時代後期前半(6世
前方後円墳2基と円墳2基 谷津山古墳群 (静岡県静岡市葵区柚木,沓谷,春日町,音羽町)
静岡県静岡市葵区柚木(ゆのき)・沓谷(くつのや)・春日町(かすがちょう)・音羽町(おとわちょう)の谷津山古墳群(やつやまこふんぐん)は、谷津山に分布する前方後円墳2基と円墳2基で構成されています。山頂(標高108.1m)の谷津山古墳は、古墳時代前期(4世紀)に築かれた県内最大
古墳時代後期後半から終末期(6世紀後半~7世紀後半) 須恵器を焼いた窯跡 秋葉山古窯跡群 (静岡県静岡市清水区八坂東1丁目地内 秋葉山公園)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)八坂東(やさかひがし)の秋葉山古窯跡群(あきはやまこようせきぐん)は、古墳時代後期後半から終末期(6世紀後半頃~7世紀後半頃)に須恵器を焼いた窯跡です。丘陵東側斜面の鹿島前地点から5基、西側斜面に位置する堤下地点から3基が発見されまし
坂本龍馬を斬った男? 京都見廻組 今井信郎の碑 曹洞宗 地福山 種月院 (静岡県島田市阪本3371)
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 地福山 種月院(しゅげついん)には、坂本龍馬を暗殺した犯人とされる今井信郎(いまい のぶお)の碑が建立されています。慶応3年11月15日(1867年12月10日)、土佐藩出身の幕末の志士 坂本龍馬(さかもと りょうま)は、京都の近江屋で中岡慎
古墳時代後期(6世紀初め頃) 墳長約63mの前方後円墳 瓢箪塚古墳 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)谷田307)
静岡県静岡市清水区谷田(やだ)の瓢箪塚古墳(ひょうたんづかこふん)は、古墳時代後期(6世紀初め頃)の前方後円墳です。墳長約63.0m、前方部幅約20.4m、前方部高さ2.5m、後円部径30.2m、後円部高さ4.0m。埴輪(はにわ)と葺石(ふきいし)は無く、周溝(しゅうこう)を有する古墳で
古墳時代中期,後期の首長墓 賤機山古墳群 (静岡県静岡市葵区宮ケ崎町・井宮町)
静岡県静岡市葵区宮ケ崎町(みやがさきちょう)・井宮町(いのみやちょう)の賤機山古墳群(しずはたやまこふんぐん)は、賤機山に築かれた古墳3基以上で構成されています。賤機山1号墳(一本松古墳)は、古墳時代中期(5世紀)の円墳で銅鏡(獣形鏡)が出土。賤機山2号墳(麓山神社後古
徳川家康の長男 松平信康が切腹 市指定史跡 二俣城 (静岡県浜松市天竜区(旧天竜市)二俣町二俣字城山)
静岡県浜松市天竜区(旧天竜市)二俣町二俣(ふたまた)の市指定史跡 二俣城(ふたまたじょう)は、室町時代後期(戦国時代)の16世紀前葉から中葉頃に今川氏の家臣 松井宗信(まつい むねのぶ)が現在地へ築城したといわれています。安土桃山時代の天正7年9月15日(1579年10月5日)、
線刻壁画が見つかった 古墳時代の横穴墓109基? 菅ヶ谷横穴群(百八穴) (静岡県袋井市国本 静岡カントリー袋井コース)
静岡県袋井市国本(くにもと)の菅ヶ谷横穴群(すげがやよこあなぐん)は、ゴルフ場(静岡カントリー袋井コース)内の百八穴ハイキングコース沿いに分布しています。17の支群(A~Q群)で構成された、古墳時代(一部は奈良時代(8世紀)?)の大規模な横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)で
珍しい三角形断面の玄室 古墳時代の横穴墓 菅ヶ谷横穴群 I支群 (静岡県袋井市国本 静岡カントリー袋井コース)
静岡県袋井市国本(くにもと)の菅ヶ谷横穴群(すげがやよこあなぐん)は、ゴルフ場(静岡カントリー袋井コース)内の百八穴ハイキングコース沿いに分布しています。17の支群(A~Q群)で構成された、古墳時代(一部は奈良時代(8世紀)?)の大規模な横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)で
安土桃山時代 徳川家康が武田氏の二俣城攻略のため築城 鳥羽山城跡(二俣新城跡) (静岡県浜松市天竜区二俣町二俣2364 鳥羽山公園)
静岡県浜松市天竜区二俣町二俣(ふたまた)の鳥羽山公園(とばやまこうえん)は、鳥羽山城跡(二俣新城跡)です。安土桃山時代(戦国時代)の天正3年(1575年)6月、武田勝頼(たけだ かつより)配下の城主 依田信蕃(よだ のぶしげ)が支配する遠江国豊田郡二俣の二俣城(ふたまたじょう
江戸時代前期 田中城主 水野監物忠善が築いた大井川の堤防 市指定史跡 千貫堤 (静岡県藤枝市下青島1006‐3)
静岡県藤枝市下青島(しもあおじま)の市指定史跡 千貫堤(せんがんづつみ)は、江戸時代前期の寛永12年(1635年)に田中城主の水野監物忠善(みずの けんもつ ただよし)が、大井川の洪水から領内を守る為に築いた堤防です。建設には千貫(一貫は1000文)の費用がかかったことから、
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静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 地福山 種月院(しゅげついん)は、坂本龍馬を暗殺した京都見廻組 今井信郎(いまい のぶお)の碑がある事で知られています。種月院周辺では、開墾して茶園を造った際に多くの古墳が発見されたそうです。埋蔵文化財として登録されていない
静岡県島田市船木(ふなき)の新ノ宮古墳群(しんのみやこふんぐん)は、円墳6基で構成。新ノ宮2~6号墳は、昭和45年(1970年)頃に茶園開墾で消滅しました。唯一墳丘が残る新ノ宮1号墳は、直径21.3m、高さ2.1mの円墳です。墳頂に稲荷社(いなりしゃ)の祠(ほこら)が祀(まつ)られ、
静岡県島田市船木(ふなき)の南原古墳群(みなみはらこふんぐん)は、7基以上の古墳がありました。残存しているのは民家の庭にある円墳1基だけで、南原古墳とよばれています。発掘調査が行われていないため、詳細不明です。直径10m以下の円墳で墳丘が高く、古墳時代後期(6世紀
静岡県島田市阪本(さかもと)の森下古墳群(もりしたこふんぐん)は、東洋最大規模の茶園が広がる牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基で構成。文献によって、森下古墳群が谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)に含まれて
静岡県島田市阪本(さかもと)の高根森古墳群(たかねもりこふんぐん)は、古墳11基以上で構成されています。高根森2号墳は、古墳時代後期(6世紀末)に築かれた疑似両袖式(ぎじりょうそでしき)の横穴式石室を有する円墳。大正4年(1915年)3月、装飾大刀(そうしょくたち)・金銅装
静岡県島田市大草(おおくさ)の仲山経塚(なかやまきょうづか)は、丘陵の頂上付近に築かれた経塚です。経塚からは、中世(平安時代後半から戦国時代(11世紀後半頃~16世紀後半頃))の陶質土器(とうしつどき)が出土しています。仲山経塚
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)の山ヶ谷古墳(やまがやこふん)は、明治時代の終わり頃 山林の茶園開墾中に三環鈴(さんかんれい)が出土しました。三環鈴はとても珍しい古墳時代中期(5世紀頃)の馬具で、これまでに県内では2例しか出土していません。山
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝間(かつま)の法士古墳(ほうじこふん)は、丘陵上に築かれた円墳です。昭和37年(1962年)、茶園改植で成長の悪い茶樹の下を深さ30~40㎝掘ったところ、土師器 高坏(たかつき)と直刀(ちょくとう)が見つかりました。直刀は長さ104㎝・柄(つか)
静岡県掛川市細谷(ほそや)の枕田古墳群(まくらだこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳2基で構成されています。掛川球場南側の丘陵に、権田ヶ谷古墳群(ごんだがやこふんぐん)と枕田古墳群が分布。枕田古墳群
静岡県掛川市岡津(おかつ)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、静岡県の重要遺跡とされている謎の円墳です。文献によっては、庚甲塚古墳となっています。庚申塚古墳
静岡県磐田市匂坂新(さぎさかしん)の欠山古墳群(かけやまこふんぐん)は、天竜川左岸(東岸)の磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)・後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の古墳6基(前方後円墳1基、円墳5基)で構成。欠山1号墳は、
静岡県島田市元島田(阿知ケ谷・御仮屋・松葉町)の白岩寺古墳群(はくがんじこふんぐん)は、白岩寺山(標高約160m)中腹の南側から南西側にかけての斜面に分布。密集した古墳20数基で構成される後期群集墳です。発掘調査が行われた白岩寺1~4号墳は、古墳時代後期(6世紀)に築造
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)・手越(てごし)の金山古墳群(かなやまこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀後半)から終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳6基以上で構成。南北に細長い丘陵(金山)の、日蓮宗 照永山 妙音寺の境内と南側に続く尾根に分布し
静岡県焼津市栄町・焼津(塩津・道下・道添)の塩津古墳群(しおつこふんぐん)は、大井川水系が形成した沖積平野(ちゅうせきへいや)の焼津微高地上に分布。焼津東小学校周辺から焼津郵便局周辺にかけて埋没していた、古墳時代後期(6世紀中葉)から終末期(7世紀)の古墳7基(道下
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の岡部宿(おかべしゅく)は、東海道五十三次の21番目の宿場です。岡部宿北側の岩鼻山(西行山)中腹には、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌僧として有名な西行(さいぎょう)法師ゆかりの「笠懸けの松・西住墓(かさかけのまつ・
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の榛原公園(はいばらこうえん)は、龍眼山城跡(りゅうげんざんじょうあと)です。龍眼山(標高76m)の山頂付近に築かれた平山城(ひらやまじろ、ひらやまじょう)で、遺構は曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・堀切(ほりきり)。戦国時代、
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の松雲寺古墳群(しょううんじこふんぐん)は、曹洞宗 西河山 松雲寺の境内と周辺に築かれた円墳6基で構成されています。少なくとも円墳5基は、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する古墳です。発掘調査では、須恵器、大刀(た
静岡県静岡市清水区(旧清水市)谷津町(やつちょう)の沢入古墳(さわいりこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。所在地不明として記録されている、陣ヶ堂古墳だと考えられています。陣ヶ堂古墳は、鉄刀(てっとう)と土師器 𤭯(はそう)が出
静岡県静岡市清水区(旧清水市)吉川(きっかわ)の吉川氏館跡(きっかわしやかたあと)は、鎌倉幕府御家人で駿河国能島荘を支配していた吉川氏の居館跡です。吉川氏の本貫地(ほんがんち)で、代々160年間この地を支配。鎌倉時代前期の正治2年(1200年)におきた「梶原景時の変」(か
静岡県静岡市清水区(旧清水市)大内(おおうち)の梶原堂(かじわらどう)には、鎌倉時代前期の正治2年(1200年)に「梶原景時の変」(かじわら かげときのへん)で敗れ、自害した武将 梶原景時(かじわら かげとき)親子の墓があります。五輪塔(ごりんとう)1基と宝篋印塔(ほうきょう
静岡県静岡市清水区(旧清水市)梅ヶ谷(うめがや)の鹿島古墳群(かしまこふんぐん)は、古墳時代後期~終末期(6世紀後半~7世紀)頃の、横穴式石室を有する円墳数基で構成されています。鹿嶋神社が鎮座する小丘陵に分布していますが、何基の古墳があったのか不明です。須恵器が
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の山田ヶ谷南横穴群(やまだがやみなみよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られたA群1基・B群2基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)3基で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の西ノ谷A横穴(にしのやえーよこあな)は、丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。金山神社近くの南向きの丘陵裾が削られて、横穴墓の奥壁のみが残存。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の釜原城跡(かまっぱらじょうあと)は、菊川市(旧小笠郡小笠町)との境界付近の丘陵(標高66m)に築かれた連郭式(れんかくしき)の平山城(ひらやまじょう)です。昭和47年(1972年)に廃寺となった山田ケ谷の曹洞宗 聖道寺(しょうどうじ
静岡県静岡市駿河区有東(うとう)の有東砦(うとうとりで)は、室町時代中期頃(戦国時代)に駿河今川氏の家臣 福島氏が、今川駿府館の支城砦として独立丘陵の有東山(標高35.4m)に築きました。室町時代後期(戦国時代)の天文10年(1541年)、甲斐(山梨県)の守護大名・戦国大名 武
静岡県静岡市葵区大岩本町(おおいわほんちょう)の臨済宗妙心寺派 花屋山 富春院(ふしゅんいん)には、今川義元公慰霊塔(今川義元の墓)があります。境内の地蔵堂は、今川義元ゆかりの伝説がある墨崎延命地蔵尊(高さ約80cm)を祀る駿河一国百地蔵尊 第52番札所です。今川義元公
静岡県藤枝市立花(たちばな)の郡遺跡(こおりいせき)は、弥生時代から平安時代までを中心とする複合遺跡です。律令期(奈良・平安時代)には、駿河国益頭郡(するがのくに ましずぐん)の郡役所 益頭郡衙(ましずぐんが)が置かれていたと考えられています。出土した弥生時代の高
静岡県藤枝市南新屋(みなみあらや)の秋合遺跡(あきあいいせき、あきあわせいせき)は、国指定史跡 志太郡衙跡(しだぐんがあと、御子ヶ谷遺跡(みこがやいせき))に隣接する奈良・平安時代の遺跡です。発掘調査で見つかった井戸跡が、青島北地区交流センター「にこにこ広場」に
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の十石坂観音堂(じっこくざかかんのんどう)には、市指定文化財の河野蓀園碑文(こうの そんえん ひぶん)があります。江戸時代後期の文化8年(1811年)3月、駿府町奉行 服部久右門貞勝(はっとり きゅうえもん さだかつ)が『駿河
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽(おばね)の尾羽廃寺跡(おばねはいじあと)は、広義の飛鳥時代(592~710年)のうちの後半に相当する白鳳時代(7世紀後半)に建てられた寺院跡です。金堂跡(こんどうあと)・講堂跡(こうどうあと)・中門跡(ちゅうもんあと)などの遺構が発見され、
静岡県御前崎市(おまえざきし)は、離島を除き県内最南端の岬「御前崎」がある海の街として有名です。地名の由来は、御厩崎(うまやざき)から転化したという説があります。平安時代中期に編纂された古代法典『延喜式』(えんぎしき)には、白羽官牧(しろわのかんまき)が置かれ
静岡県島田市波田(はだ)の立石稲荷(たていしいなり)は、岩陰(いわかげ)に稲荷社(いなりしゃ)が祀られた磐座(いわくら、神が降臨する場所とされる巨岩)です。「波田のお稲荷さん」とも呼ばれ、商売繁盛・大漁祈願・家内安全などに御利益があるとされています。御神体(ごしん
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 京満山 法林寺は、旧幕臣の伊佐新次郎峯(岑)満(いさ しんじろう みねみつ)の墓所です。幕末の安政3年(1856年)、タウゼント・ハリスがアメリカ駐日総領事として来日し、曹洞宗 瑞龍山 玉泉寺(静岡県下田市柿崎)にアメリカ総領事館を開
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の市指定史跡 妙昌寺経塚(みょうしょうじきょうづか)は、曹洞宗 海照山 妙昌寺境内に建立されています。別名は青池経塚。安土桃山時代の天正10年(1582年)、曹洞宗 日照山 円成寺(牧之原市細江)6世 伝室全鏡がこの地へ隠居した