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2011/07/21

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  • 国指定史跡「幡羅官衙遺跡群」内の樹木管理事業

    6月下旬、国指定史跡「幡羅官衙遺跡群」を構成する「西別府祭祀遺跡」が所在する湯殿神社境内の樹木剪定、倒木予防の伐採措置など樹木管理事業を熊谷市の文化財補助事業として実施しました。杉やヒノキなどの高木で、幹内に空洞ができているものなどを対象として、専門業者が伐採等の作業を行いました。本事業は国指定遺跡内ではありますが、地中に影響が無いように配慮し、手段を検討した上で事業に着手しました。

  • 源宗寺本堂保存修理事業 -立正大学との連携ー

    6月27日(日)、立正大学 原美登里准教授率いる地球環境科学部地理学科の学生16名が平戸地区を訪れ、保存修理委員会の一員で地元に精通する平戸自治会会員及び護寺会代表役員数名を講師として、平戸地区の歴史や文化についてレクチャーを受けました。 平戸地区の地名や隠れキリシタンとの関係、源宗寺の洪水被害についてなど、話の内容は多岐に渡りました。また、昭和の時代まで実際に販売されていたという「平戸の妙薬」を見せると、学生たちは興味深そうに写真に収めていました。 今後、立正大学地球環境科学部地理学科では、保存修理委員会や地元住民と連携して、平戸地区のフィールドワークを実施し、地域の自然や文化に関連するマップの作成などを進めていく予定です。

  • 2021-06-28

    6月10日、コロナ禍により縮小して開講されている直実市民大学において、当日は学長の市長講演に引き続き、「熊谷市の文化財」をテーマにした講義を担当しました。熊谷市内にある文化財についての簡単な紹介の後に、昨今の文化財保護事業の課題や動きなどを説明しました。講座を映像で収録し、後日、YouTubeで公開する予定です。

  • 講演会「渋沢栄一と長島記念館を結ぶ道」

    「渋沢栄一と長島記念館を結ぶ道」 公益財団法人長島記念財団主催事業として、長島記念館(熊谷市小八林)において、昨今、NHK大河ドラマ「青天を衝け」などで注目を集めております「渋沢栄一」に関連した記念講演会を下記のとおり開催します。熊谷では、特別公開講演会「愛染堂・尾高純忠奉納額 ー渋沢栄一と熊谷―」、講演会「妻沼聖天山と渋沢栄一」、講演会「根岸家と渋沢英糸の周辺」を実施してきました。これらに引き続き熊谷と渋沢栄一の関連をテーマとした第4弾のイベントとなります。 長島記念館では渋沢栄一が揮毫した書が残されているほか、長島家当主の長島恭助が頭取を務めた埼玉銀行(現在の埼玉りそな銀行)は渋沢が開設した銀行組織が発祥となるなど、多様な関連があります。今回の講演会では、熊谷市教育委員会・熊谷市立江南文化財センターと連携し、長島家と渋沢家の歴史的な結節点などに焦点を当て..

  • 「さいたまつり」のサイト公開について

    埼玉県は県内の無形民俗文化財や伝統芸能などを紹介するページ「さいたまつり」が公開されています。無形の引き継がれた文化と芸術の粋や美をお楽しみいただけます。熊谷では熊谷うちわ祭が掲載されています。 さいたまつり サイト https://www.saitamatsuri.jp/ 埼玉県 さいたまつりキャンペーンより 埼玉県には、ユネスコ無形文化遺産に登録※された「秩父祭」、「川越まつり」をはじめ、毎年3日間で約75万人が訪れる「熊谷うちわ祭り」や奇祭とも言われる「平方祇園祭のどろいんきょ」など、たくさんの地域に根付いている「まつり」があります。 もっと多くの人に「まつり」の魅力、そして「まつり」を通じた埼玉の魅力を伝える広報キャンペーン「さいたまつり」が2017年7月19日にスタートしました。 埼玉県内の「まつり」開催情報をはじめ、「..

  • 源宗寺本堂 上棟式

    6月22日(火)、市内平戸にて源宗寺本堂 上棟式が行われました。関東地方でも先週梅雨入りが発表され、天候が心配されてましたが、当日は朝から晴天に恵まれました。 老朽化した本堂の復元に向けて、平成29年に保存修理委員会が発足し、これまで様々な検討が続けられてきた当事業も、ようやくこの日を迎えることができました。 新型コロナウイルス感染拡大防止のため規模を縮小しての開催となりましたが、式には、委員会メンバーをはじめ、立正大学地球環境科学部 原美登里教授のゼミ生数名が参加し、境内は喜ばしく華やかなムードに包まれました。 (お酒と塩を撒く大島工務店の大島忠会長と大島史士社長。) これから完成に向けて、本堂が形づくられていくのが楽しみです。 上棟式の様子は、明日6月24日(木)、J:COM「ジモト応援!埼玉つながるNews」にて放送予定です。是非ご覧ください。..

  • 埼北よみうり「わがまち自慢の文化財」巻頭紹介 熊谷の文化財

    埼玉県の県北地域で、読売新聞朝刊折込として配付されている地域情報誌「埼北よみうり」において、6月11日付で「わがまち自慢の文化財」という特集記事があり、熊谷市の文化財が巻頭で紹介されました。日本一記銘の古い埼玉県指定文化財「嘉禄銘板石塔婆」と熊谷市指定文化財「安楽寺九品仏」をおすすめする文化財として挙げ、コロナ禍ゆえの意味合いなどを含めながら解説しています。ご参照ください。

  • 講座「佐谷田の歴史と文化遺産―埼玉県熊谷市佐谷田・郷土の歴史文化を再認識する―」

    6月17日、熊谷市立佐谷田公民館で、「佐谷田の歴史と文化遺産―埼玉県熊谷市佐谷田・郷土の歴史文化を再認識する―」をテーマに地域の歴史講座を開講しました。地名の由来や地域の社寺仏閣、現在進行中の保存修理事業、中山道、県の天然記念物「元荒川ムサシトミヨ生息地」などを紹介しながら、郷土の歴史文化について学ぶ機会となりました。今回も新型コロナウイルス対策を講じながら実施し、席の間隔を置くなどして、約15名が出席しました。講座を動画で撮影し、後日、YouTubeで公開します。佐谷田公民館では、今回の内容に関連付けた次回の講座を秋に開催する予定です。

  • 熊谷市立星宮小学校 歴史探検

    愛染明王がある愛染堂(下川上地区) 石像十三仏がある梅岩院(池上地区) 6月15日、熊谷市立星宮小学校3年生の地域学習が行われ、各所で文化財について解説しました。学習では、熊谷市指定有形民俗文化財「愛染明王」「藍染絵馬・奉納額」を収蔵する愛染堂と、同じく市指定有形民俗文化財「石像十三仏」を安置する梅岩院を巡りながら、それぞれの文化財について学びました。梅雨の狭間の暑い日和の中でしたが、3年生の5人は楽しく地域の歴史探検をしていました。

  • 源宗寺本堂保存修理記念企画展のお知らせ

    明日、6月18日(金)より源宗寺本堂保存修理記念企画展を開催いたします。 源宗寺本堂保存修理記念企画展 源宗寺本堂の意匠ー彫刻と礎石を中心にー 熊谷市平戸に所在する源宗寺本堂の復元をはじめ収蔵されている熊谷市指定有形文化財「木彫大仏坐像」(平戸の大仏)の保存修理事業が進められています。このプロジェクトは老朽化した源宗寺本堂の復元を目指して源宗寺護持会及び地元住民、東竹院、熊谷市教育委員会、市内関係者各位の発案によって、平成29年に保存修理委員会が発足し、様々な検討が続けられてきました。 この度は、本堂の復元を前に解体された旧本堂の部材を保存し、その一部をご紹介することで本事業に対する理解を深めることを目的としています。 江戸時代中期の建立以降、長い時代を超えて本堂を支えてきた礎石や、意匠性が感じられる彫刻や木製部材、瓦屋根の印象を強くさせた鬼瓦などを展示し、繰り返..

  • 源宗寺本堂保存修理事業 進捗状況

    6月16日(水)、市内平戸の源宗寺にて来週の上棟式に向けて、打ち合わせが行われました。 祭壇の位置を確認する東竹院の岸ご住職と委員会メンバー 先日、関東でも梅雨入りが発表され来週の天候が気になりますが、当日は雨が降らないことを祈ります。

  • 源宗寺本堂 建前

    先日6月12日㈯、市内平戸で源宗寺本堂の建前が行われました。当日は天候にも恵まれ、朝から日差しの照りつける暑い一日となりました。作業は、朝から一日かけて行われました。向拝部分の柱・梁の組み立てから始まると、職人の方々の息のあった連携プレーにより、着々と木材が組み上がっていきました。 柱に楔(クサビ)で固定された、木鼻と虹梁。 建前完了後の様子。 来週22日㈫には上棟式が行われ、棟札が祀られます。上棟式は、午前10時より執り行われます。

  • 研究会「ムサシトミヨの保護と天然記念物の保存」

    2020年以降、国内の文化財記念物制定から100年を記念した事業が展開されています。再掲となりますが、2019年に熊谷市立ムサシトミヨ保護センターで開催したムサシトミヨ研究会について、江南文化財センターのYouTubeサイトに掲載しましたので、どうぞご参照ください。 研究会「ムサシトミヨの保護と天然記念物の保存―元荒川ムサシトミヨ生息地における保護事業と研究史をめぐって―」 講演 「確定しないムサシトミヨの学名をめぐる検討」 埼玉県環境科学国際センター自然環境担当 金澤 光 「元荒川ムサシトミヨ生息地における天然記念物の保存と課題」 熊谷市立江南文化財センター 山下祐樹 対談 「ムサシトミヨ保護の将来に向けて」 金澤 光×山下祐樹 参考:埼玉新聞での掲載記事

  • 源宗寺本堂保存修理事業 進捗状況

    市内平戸の源宗寺では、新たな本堂の建設に向けて、着々と工事が進められています。 明日6月12日(土)は、建前が行われ、基礎の上に柱や梁など、建物の主要な構造材の骨組みが出来上がる予定です。 再来週6月22日(火)には、上棟式が執り行われます。 現場では、建前を前に足場組みの作業が進められていました。

  • 観光庁地域観光資源の多言語解説整備支援事業による妻沼聖天山の取材

    国宝「歓喜院聖天堂」での説明 重要文化財「貴惣門」での彫刻の確認 令和3年度の観光庁地域観光資源の多言語解説整備支援事業に採択された熊谷市文化遺産保存実行委員会の妻沼聖天山及び熊谷うちわ祭などに関連した文化財等の多言語化に向けた関係者の現地取材が行われ、対応しました。観光庁担当職員の他、関東運輸局職員、当該事業の受託者である凸版印刷株式会社担当者、制作会社のファンキーコープのアカウントマネージャーと外国人担当者などが国宝「歓喜院聖天堂」などを巡り、事業監修者でもある江南文化財センター職員が日本語と英語を交えながら対応しました。 今回は、国内の多言語解説整備支援事業における最初の現地取材となったことから、過日のズームでの打ち合わせ会議を経て、関係所管の担当者が集合する最初の機会となりました。熊谷らしい快晴の暑さの中、国宝・重要文化財などの建造物群や斎藤別当実盛の銅像..

  • 「第13回地域伝統芸能今昔物語」映像記録会:和太鼓集団「麗」

    令和2年11月23日に熊谷市妻沼中央公民館大ホールで開催された「第13回地域伝統芸能今昔物語」映像記録会の様子がYouTubeで公開されています。今回は熊谷市の江南地域を中心に活動している和太鼓集団「麗」の迫力ある和太鼓演奏をご堪能ください。

  • 国重要文化財「平山家住宅」撮影調査

    熊谷市樋春に所在する国重要文化財「平山家住宅」において、ものつくり大学(行田市)建設学科の横山晋一研究室による調査が行われています。本年5月から約1年の計画で茅葺屋根建造物の保存修理計画策定を含めた調査検討を実施する予定です。6月8日には高所作業車を利用しての写真撮影調査などが行われました。茅葺の保存修理施工後から約20年が経過し、毀損箇所が点在していることから、これらの現状把握を含め、撮影データーは調査報告などの資料として利用します。そして今後の保存修理計画策定に向けての基礎資料となることを目指しています。 高所作業車を利用しての撮影 高所からの撮影、正面 高所からの撮影、正面上部

  • 遺物整理の現場から 10 ―須恵器坏と椀に見える小石

    どの瓦も硬く焼しめられ千年余を経ても布目・縄目の痕跡を良く残し、あまり風化を感じさせません。粘土も精製された土が多く小石などの夾雑物は少ないように感じます。特徴的な混入物としては南比企窯跡産の須恵器・瓦に多量に含まれる白色針状物と呼ぶ粒子が観察されます。前回までに記したように使用された粘土からも南比企窯跡で造られたものと思われます。一方、東院集落から出土する日用の須恵器椀坏類は南比企窯産の他に寄居町を中心に所在する末野窯跡産の製品も多く含まれています。この製品の中で特に目立った出土品は写真の須恵器坏や碗です。割れ口に土器の厚みより大きい小石が挟まっています。後から入れたものではなく元々石の多く含まれた粘土を使用したことが考えられます。写真の坏の場合、小石の大きさは土器の厚みを超えています。製作者の工人は、景色としてこの小石を残したのでしょうか。ろくろ引きの時には指当たって痛かったと思いま..

  • 遺物整理の現場から 9 ―瓦の産地はどこか―

    「御」はヘラ描で書かれ、平瓦と丸瓦の両者に確認されます。瓦の文字は生産者を明示するために記されたと考えられることから、生産を割り当てられた郡・郷と個人の協力者の名などに分けることができます。「御」平瓦は薄めの粘土板を使い布目と縄叩きの残る良質な製品で9世紀中ごろに造られたと推定されます。この時期に先の特徴を持つ瓦を造った場所は近隣では比企丘陵の南部に位置する嵐山町・鳩山町・ときがわ町の窯跡が知られており、中でも瓦製造工房跡の発見された雷遺跡と赤沼・新沼・金沢・篩新田の諸窯跡で造られたと考えています。「続日本後記」には承和5年(845)に武蔵国分寺七重塔再建に関する記事がみえ、先の遺跡はこの瓦生産に対応した遺跡であったと考えられています。 寺内廃寺から出土する多くの瓦もこの時期に造られたものが主体であることから、武蔵国分寺に納入される瓦の一部が寺内廃寺にもたらされたようです。その背景に..

  • 遺物整理の現場から 8 ―「御」とは何のことか―

    寺内廃寺の瓦整理の途上、丸瓦(男瓦)の内面にヘラ描細線のある破片が見出されています。 同類を集めてみると文字であることが判りました。平瓦(女瓦)に刻印やヘラ描文字が記される資料は寺内廃寺でも相当量ありますが、丸瓦例は少なく貴重な例のようです。文字は生瓦の状態から乾燥が進み粘土が硬くなった時点で描かれたと思われ、細い線でありながら大きな文字です。字画は簡略化され連続していますが「御」と読めそうです。寺内廃寺出土瓦には1文字から数文字のヘラ描と刻印がありました。いずれも武蔵国の郡、郷名を記してあり、武蔵国分寺へ献納されるため製作された瓦が使われたと想定しています。 「御」が郡郷名とすると「御」と共通の読みや実際に使われた文字には、「橘樹郡御宅郷(美也介)」、「横見郡御坂郷(美佐加)」、「秩父郡美吉郷」の=美=御、「御」である可能性があります。「御」の文字瓦は、生産跡である南比企窯跡、..

  • 遺物整理の現場から 7 ―ウルトラCの接着剤―

    接合作業では、接着剤が必要です。接着剤は再度の修理ができるように、遺物を傷めない性質と分離可能な強度を持つものを使います。当センターで使っているのは「セメダインC」です。おそらく発掘関係者には昔からのお馴染みでしょう。この容器は押し潰したり、丸めたりして溶剤を絞り出したのちは廃棄してしまうのが常ですが、最近このチューブが昭和時代の遺物保管箱から出できました。(写真中下)先尖りの赤いキャップで出口に穴を開けるタイプでロゴもクラッシックな趣です(※)。現在のパッケージと比較すると、様式の変化が顕著に表れています。現行品(写真上)に使い慣れてしまうと、以前はこのような姿をしていたことはまったく忘れ去っていました。セメダインにも歴史(創業80年以上の老舗)ありですね。ちなみに「セメダイン」は社名できあるとか、すると製品名は「C」になる? !!その通りだそうです!! ※このチューブは昭和36年..

  • 遺物整理の現場から 6 ―瓦の接合作業―

    出土品の整理にはいくつかの工程がありますが、土器などを元の形に復元し修復する作業はある意味、楽しいものです。文様のつながる破片を探し出し、元の形を想像しながら破片を接合し組上げる作業から、壺や甕や埴輪が再生されていくのです。経験豊富な調査員はこの破片が原形のどこの部分であったかを即座に想定し、接合する破片を探します。 ズバリと的中し形が見えてくると思わず歓声が出でしまうこともあります。 多数のピースから全体を作り上げる作業を究極の神経衰弱ゲームに例えるられるようです。ただ、出土品のピースはいつも全部が揃っているわけではないので、どうしても欠けた部分が出てきてしまいます。この場合には石膏などで補填し、補彩して一応完成とします。博物館などで完品の資料が展示されている場合、どの部分がそうなのか良く観察される事は大切なことです。 写真は、寺内廃寺の丸瓦(男瓦)の接合風景です。文字通り..

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