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まほらにふく風に乗って http://mahoranokaze.com/

団塊世代のおやじが、歴史の里と呼ばれる常陸の都-石岡-に住んで感じたことなどを徒然に紹介します。

Roman1405
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茨城県
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小千谷市
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2011/04/26

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  • 地名の研究(5) 地名と地理(1) 地名研究の学術分野

    地名と地理(1) 地名研究の学術分野(注:本論文は日本地理学会が1925(大正14)年に発行を開始した機関誌「地理学評論」の昭和7年に載せた論文である。従って読者の対象者は「地理学」に携わる学生たちが主と思われる。) 地名を調査して一つ一つを解説し、一般的傾向を要約した書物は西洋では多くの国で出されており、これを独立した一つの学問分野と見ることはできない。地名の研究には、いろいろの文化現象に興味をもち、...

  • 地名の研究(4) 地名の話(3) 区割するための地名

    地名の話(3) 区割するための地名 開墾地ではまたその内を区割するための地名を必要とする。二つに切って上下東西に分ける場合はいうまでもなく、共同開墾人が五人八人で分けて持つべき場合には一々の地名がいるのである。大和朝初期の地租改正法は、明治九年のやり方よりもいっそう激烈なものであった。今まで居住者のあった村は古くからの字・小字も多かったろうに、それをドシドシと改めて行って、新たに条里の制をしいた。三...

  • 地名の研究(3) 地名の話(2)開墾地の総称

    地名の話(2) 開墾地の総称 第一期の地名:地名には一種の拡充性ともいうべきものがある。・最初は一地点または一地形に附与した名前を、これを包含している広い区域にも採用して行く風習がある。たとえば女夫(めおと)岩という二つの岩の屹立している所があると、それに接続している数町歩の田畑または村里の字をも女夫岩という。また、ドウメキ、ザワメキ、ガラメキなどはもと水の音を形容した地名であるが、瀬の早い川の岸に...

  • 地名の研究(2) 地名の話(1)

    三年程前に、山上氏の手紙の中に、神保(じんぼう)氏の話と記憶するが、こんなことが書かれていた。「日本の地名には意味の不明なものがはなはだ多い。アイヌなどとは大いに違うと平生いっておられる。」この一言は予にとっては感謝すべき刺戟であった。自分はこの言葉をこう解した。『日本内地における地名の大多数は、まだ説明することができないものが多い。これをだんだん研究し説明して行くならば、将来地理学上・言語学上む...

  • 地名の研究(1) 初めに

    本ブログでも茨城県・千葉県・埼玉県と三県にわたって「難読地名」を取り上げ、その地名の発祥由来などを調べてきました。しかし、やはり基礎知識が少ないこともあり、肝心なところで解釈にブレが生じており、すこし勉強を加える必要を感じ、民俗学の父とも云われる柳田國男の「地名の研究」について、少し真面目に読み下してみたいと思うようになりました。この書物は、明治終わりころから昭和の初期に柳田國男が各誌に発表した...

  • 椎尾薬師(薬王院)

    真壁地区の散策も、やはり雨が結構降ってきたので帰ろうかとも思いましたが、やはり予定通り薬王院(椎尾薬師)に立ち寄ることにしました。椎尾(しいお)の名の通り椎の木の古木が沢山あるこの古刹。筑波四面薬師としても12月に石岡市内の講演会でも紹介しましたので、昨年も訪れており、今年も少し前にも訪れています。やはり雨が結構降っており、他の参拝者もほとんどおりませんでした。社務所の方にも「足元にお気をつけて・...

  • 五所駒瀧神社

    桜川市真壁町の総鎮守とされる「五所駒瀧神社」は新緑に包まれひっそり佇んでいました。元々は真壁氏の創建とされ、鹿島神宮のタケミカヅチを祀っていた神社ですが、別に4社を合祀して、「五所」と名前に冠して今の名前になりました。秋には紅葉が境内を赤・黄に染めます。上曽峠を真壁に下る途中に鎮座しています。神社のすぐ上に「分水嶺」の大きな石碑が建っています。境内を流れる清らかな水が心に積るわだかまりなどもスッ...

  • 真壁城跡

    13日の日曜日、小雨の中真壁の町へ。真壁氏の城跡が国の指定史跡に指定されたのは平成6年とある。筑波山系の山懐に囲まれた様に雄大な城跡の敷地が残されている。このあたりの中世の城は山城が多い中、東側の裏山を背にして、西に開かれた麓平野に町が広がる。桓武天皇の曾孫から民間に降った桓武平氏の流れをくむ北条多気山の多気氏から分かれた一族がここ真壁に居を構えて「真壁氏」と呼ばれたが、佐竹氏の家臣となって、佐...

  • 奉安殿(真壁)

    桜川市真壁町に戦時中の小学校に置かれた「奉安殿(ほうあんでん)」が残されており、見てきた。戦後GHQの市道でほとんどが壊されて残存する物も少ないが、ここにはきれいに残されている。旧真壁駅のすぐ近くの通り沿いにポツンと置かれており、説明板などは一切ない。菊の御紋のある大火式の独立型の立派な建物だ。内部には、明治・大正・昭和の3代の天皇、皇后さまのお写真と、教育勅語などが額に入れて飾られている。各学校...

  • 雨引山マダラ鬼神祭

    桜川市の雨引山で奇祭「マダラ鬼神祭」が4月第2日曜日の13日に行われました。毎年桜のこの時期に行われる奇祭です。マダラ神(摩多羅神 )は天台宗の常行堂の後戸に祀られて、人前にその姿をさらすことが殆どない神と云われ、能楽などの芸能の神とも云われていますが、ここ雨引山楽法寺の祭りの起源話としては「裏筑波山系の雨引山に長尾勢を追い上げた足利勢は、四方から火を放って長尾勢を攻め立てた。 当山はこのため炎上...

  • 浮島和田公園のチューリップ

    昨日銚子に行くときに思いついて、浮島にある和田公園に立ち寄りました。浮島(稲敷市)も昔は霞ケ浦に浮かぶ島でしたが、江戸時代に灌漑も進んで陸地と繋がりました。霞ヶ浦沿岸を車で走ると、この時期は田植えの準備で田に水が張られて水面が輝いて・・・・出も既に田植えを終えたところもあり、田植中の所もありました。田植えも、いつもの年より少し早そうです。また、和田公園のチューリップ公園は13日の日曜日に「チューリ...

  • 埼玉県の難読地名(51) 天目指峠、出牛峠、粥新田峠 (最終)

    天目指峠【あまめざすとうげ】・・・飯能市 出牛峠【じゅうしとうげ】・・・皆野町/長瀞町 粥新田峠【かゆにたとうげ】・・・皆野町/東秩父村山の名や峠の名前には良く首をかしげたくなる名前がついていたりします。埼玉県も秩父地方を抱えており、西部の山には変わった峠の名前があります。ここにその一部を拾ってみました。 天目指峠【あまめざすとうげ】名栗と吾野を結ぶ県道395号線が通る峠で、かなり勾配がきつい峠(...

  • 埼玉県の難読地名(50) 贄川、露梨子、樋籠

    贄川【にえがわ】・・・秩父市 露梨子【つゆなし】・・・寄居町 樋籠【ひろう】・・・春日部市 贄川(にえがわ):荒川上流部にある支流に川の名として贄川があり、その一帯に「贄川村」が明治22年まであった。戦国期から地名として見られ、その後大字として贄川が残った。 現在は秩父市の地名として「荒川贄川」と表記されている。地名の由来は角川の地名辞典には次の2つを挙げている。①、贄の魚を捕る渓流の意(秩父郡...

  • 埼玉県の難読地名(49)

    今羽【こんば】・・・さいたま市北区 仁手【にって】・・・本庄市 仏子【ぶし】・・・入間市 今羽(こんば):荒川右岸の大宮台地上にあり、東と南に見沼の低地がある。江戸期より今羽村があり、明治35年に今羽町となり、大宮市の町名となり、現在はさいたま市北区の町名として残る。地名の由来についてはよくわかっていません。 仁手(にって):利根川中流右岸の沖積低地の自然堤防上に位置し、戦国期から見える地名である...

  • 埼玉県の難読地名(48) 小手指、差間、白井差

    小手指【こてさし】・・・所沢市 差間【さしま】・・・川口市 白井差【しらいざす、しろいざす】・・・小鹿野町武蔵国であった埼玉県南部は「指」「差」という字に「さし」「さす」といった読み方をする地名があります。以前あげた地名にも「指扇(さしおうぎ)」という地名もありました。どこか共通した地名のようです。これは武蔵(むさし)の「さし」にも共通する発音で、一般には「焼畑」の意味だとされています。新たに開...

  • 埼玉県の難読地名(47) 八甫、八基、三九

    八甫【はっぽう】・・・久喜市 八基【やつもと】・・・深谷市 三九【さんく】・・・三郷市八甫(はっぽう):「八浦」とも書くと、地名由来は「旧利根川流路に面し、8つの浦があったことによる(新編武蔵)が、不祥という。ただ場所は中世から河川交通の要所で重要な河岸場であったという。また、八ヵ村に囲まれた地から八方と言われて「八甫」となったという説もあるがはっきりしない。また洪水でしばしば被害を受けている。...

  • 埼玉県の難読地名(46) 曲本、曲田、曲師

    曲本【まがもと】・・・さいたま市南区 曲田【まがつた】・・・深谷市 曲師【まげし】・・・川島町 曲本(まがもと):「まげもと」ともいう。荒川下流左岸の平地に位置する。美女木のすぐ北側にあたる。荒川が曲がっているところではあるが、昔の荒川はどのような流れであったのかはよくわからない。 曲田(まがつた):角川の地名辞典では「まがりた」とあり、平凡社では「まがつた」とある。 郵便番号住所は「まがつた」...

  • 埼玉県の難読地名(45) 吉妻、吉敷

    吉妻【きつま】・・・春日部市 吉敷【きしき】・・・さいたま市大宮区 吉妻(きつま):角川の地名辞典では、「きつま」の「き」は城か柵を表し、「つま」は隅と解されることから地名は柵の隅と地の意という(地名誌)。と書かれている。この「き」が城や柵をあらわしているのは、東国地方には多く存在し、昔の蝦夷人たちとの境界に「柵=き」を作っていたことの表れだと思われる。古代朝鮮語(百済?)での「キ」は「城」を意...

  • 埼玉県の難読地名(44) 上谷、上谷塚、上八ツ林

    上谷【かみやつ】・・・越生市 上谷塚【かみやつか】・・・草加市 上八ツ林【かみやつばやし】・・・川島町 上谷(かみやつ):「上谷戸」とも書き、上殿川の山間地に位置するという。村名も室町期から見られる。単純に「谷津、谷戸:やつ」の谷地形から付けられた地名と思われる。 上谷塚(かみやつか):越生郷の村の一つで、中谷塚、下谷塚があり、八つ塚(古墳など)の伝承がある。明治22年にこの3ヶ村を含む7ヶ村が合...

  • 埼玉県の難読地名(43) 馬内、鹿手袋、鹿室

    馬内【もうち】・・・加須市 鹿手袋【しかてぶくろ】・・・さいたま市南区 鹿室【かなむろ】・・・さいたま市岩瀬区 馬内(もうち):会ノ川の自然堤防上に位置し、地名の由来は牧草地が多く馬が多く飼われていたことによる。とされる。<県内の「馬のつく地名>埼玉県さいたま市西区西遊馬 サイタマケンサイタマシニシクニシアスマ埼玉県さいたま市緑区馬場 サイタマケンサイタマシミドリクバンバ埼玉県さいたま市岩槻区馬込 サイタマケンサイタマシイワツキクマゴメ埼玉県行田市...

  • 埼玉県の難読地名(42) 名栗、名細

    名栗【なぐり】・・・飯能市 名細【なぐわし】・・・川越市 名栗(なぐり):名栗川、名栗渓谷、名栗湖などと今でも観光地として「名栗(なぐり)」の名前は残っていますが、都市としての「名栗村」の名前は2005年に飯能市に編入されて消えました。この名栗川や名栗渓谷などは私も子供時分に小学校の遠足などで行った事があります。名栗の名前の由来は① 古くから栗の名産地② ナ・クリ(刳)で浸食地③ 狸が多くいたため...

  • 埼玉県の難読地名(41) 都幾川、都家郷、大調郷

    都幾川【ときがわ】・・・比企郡ときがわ町 都家郷【つけのごう】 大調郷【おおつきのごう】 都幾川(ときがわ):この「都幾川」も現在は市町村名では「ときがわ町」とひらがな表記になってしまいました。越辺川の支流に「都幾川(ときがわ)」という名の川があり、この名前があって都幾川村が村名となったと言われています。ただ、都幾山(ときさん)という山もあり、都伎山とも書いていたりもしますので「とき」という言葉...

  • 埼玉県の難読地名(40) 埼玉、行田、久喜

    埼玉【さいたま】【さきたま】 行田【ぎょうだ】 久喜【くき】今回は一般に使われていますので特に読みにくいという地名ではないですが、地名の由来なども気になりますので載せておきます。埼玉(さいたま):埼玉県の名前ですのでどなたも読めると思いますが、初めて目にしたら読めませんね。普通に読んだら「さきたま」でしょうか。こちらは行田市にある「埼玉」は「さきたま」と読みます。埼玉の名前は律令国の武蔵国の「埼...

  • 埼玉県の難読地名(39) 越辺川、身馴川、樋遣川

    越辺川【おっぺがわ】 身馴川【みなれがわ】 実熟川【みなれがわ】 樋遣川【ひやりがわ】・・・加須市川の名前は、地名と違って時代でかなり変化してきているように思う。古代、中世はその流れる土地の地名で呼ばれることも多かった。そのため、川の上流から下流まで何通りもの呼び名が有ったように思う。今回取り上げるものもそんな見方もしておかなければならない。越辺川(おっぺがわ):この川の名は、越生(おごせ)の地...

  • 埼玉県の難読地名(38) 御正、円良田、金鑚

    御正【みしょう】・・・熊谷市(江南村) 円良田【つぶらた】・・・美里町 金鑚【かなさな】・・・神川町 御正【みしょう】「新編武蔵」の見える中世末期ごろから見える郷名に「御正郷」が使われている。地名の由来は、古くからこの辺が上野(こうずけ)国新田(にった)岩松氏の所領で、荘園があり、「御庄」と一般に呼んでいたためという。(角川地名大辞典) 円良田【つぶらた】角川の地名辞典には『地名は「ツブラ」な田...

  • マイナンバーカードの更新

    マイナンバーカードも作成してから5年で電子申請の期限が来て使えなくなる。この更新手続きの手紙が数か月前に来ていたが、余りよく見ずに放っておいた。誕生日まじかになったので、取り出して役所に行くのかとよく見たら、申請にID番号があって、次の3つの方法で申請するように書かれていた。①スマホで自分の顔写真を撮ってオンライン申請②パソコンで6か月以内に撮影した写真をつけてオンライン申請。申請にはメールアドレス...

  • 埼玉県の難読地名(37) 猿田、猿ケ谷戸、猿喰土村

    埼玉県の「猿」のつく地名を集めて見ました。 猿田【やえんだ】・・・日高市 猿ケ谷戸【さるがやと】・・・さいたま市(大宮市) 猿喰土村【さるがいとむら】・・・深谷市(花園町) 猿田(やえんだ):全国に猿田(さるた)という地名は数多いが、(やえんだ)と読む地名はここだけでした。(現郵便番号簿)ここも「さるた」ともいうと地名辞典には書かれている。日本神話に出て来る「猿田彦(毘古)」は天狗のように鼻が長く...

  • 埼玉県の難読地名(36) 庁鼻和

    庁鼻和【こばなわ】・・・深谷市室町期に地名として存在する。「ちょうのはな」「ちゃうのはな」などとも読むという。唐沢川右岸の台地上に位置する。この「こばなわ」地名は日本各地にあり、多くが「小塙」と書く。漢字の通り、「はなわ」は少し高く成った場所であり、逆に低く成った場所は「圷(あくつ)が使われる。この「塙」と「圷」という漢字もあとからの合成語であろうと思われます。「鼻」も「ハナ」は少し高くなった顔...

  • 埼玉県の難読地名(35) 不老川、野老沢、老袋

    不老川【としとらずがわ】 野老沢【ところざわ】 老袋【おいぶくろ】・・・川越市 不老川(としとらずがわ):この川は入間川の支流で、冬季に渇水し、流水が年を越してながれないことから「年不越川(としこさずがわ)」と呼ばれ、次第に不老川(としとらずがわ)となったと言われている。現在は水量が減り、住宅も増え川の汚濁が著しいという。 野老沢(ところざわ):この野老沢は室町期(1486)の書物に書物に「ところざ...

  • 埼玉県の難読地名(34) 入間、入西、入東

    入間【いるま】 入西【にっさい】 入東【にっとう】古代から中世にかけての入間(いるま)郡は武蔵国の中央に位置し、現在の埼玉県の南部中央部に位置している。しかし716年に南西部を割いて「高麗郡」が新設され、1799人の高句麗人がここに集められました。また758年には新羅郡が新設され、後に新座郡と改称されていますが、こちらも入間郡から割いたともいわれています。途中でこれらの地域を分けていますので領域が少...

  • 埼玉県の難読地名(33) 利田、釣上、志多見

    利田【かがだ】・・・行田市 釣上【かぎあげ】・・・さいたま市岩槻区 志多見【しだみ】・・・加須市 利田(かがだ):岩波の地名辞典には『地名の由来は、平坦のな草地を意味する「カガ」によるという(地名誌)』とある。寛永12年(1635)の中村家文書に「加賀田」と書かれている。柳田国男の地名の研究にはこの「カガ」について次のように書いている。------------------- 東国奥羽にてはいまだこの名の地名を発見せぬけ...

  • 埼玉県の難読地名(34)

    入間【いるま】 入西【にっさい】 入東【にっとう】古代から中世にかけての入間(いるま)郡は武蔵国の中央に位置し、現在の埼玉県の南部中央部に位置している。しかし716年に南西部を割いて「高麗郡」が新設され、1799人の高句麗人がここに集められました。また758年には新羅郡が新設され、後に新座郡と改称されていますが、こちらも入間郡から割いたともいわれています。途中でこれらの地域を分けていますので領域が少...

  • 埼玉県の難読地名(32) 村君

    村君【むらきみ】・・・羽生市 角川地名辞典には室町期から『村君郷(むらきみのごう)』という郷名があり、場所は県東北部の利根川中流域に位置する。という。利根川が少し屈曲している地区で、川に隣接している。江戸時代初期に、上・下の2村に分かれ、明治22年に近隣の5村が合併して「村君村」となり、昭和30年に三田ヶ谷村と合併して千代田村となった後は大字上村君、下村君が残った。地名の由来については、平凡社の地名体...

  • 埼玉県の難読地名(31) 鹿下、大満、龍ケ谷

    鹿下【かのした】・・・越生町 大満【だいま】・・・越生町 龍ケ谷【たつがや】・・・越生町越生町から地名を3つあげておきます。 鹿下(かのした):室町期から見える地名。また縄文中期の集落跡「谷遺跡」がある。「鹿ノ下」などとも書く。全国の「鹿」のつく地名は、古代の「鉄」製造に関係すると思われる場所が多くあるように思われます。ここもそうかもしれないです。 大満(だいま):大間とも書き、中世戦国期には「...

  • 埼玉県の難読地名30) 美女木、女影、妻沼

    美女木【びじょぎ】・・・戸田市 女影【おなかげ】・・・日高市 妻沼【めぬま】・・・熊谷市今回は女性に関する地名を3件。少し由来が調べたくなりました。 美女木(びじょぎ):この名前は室町期(14世紀半ば)より見える地名です。角川の地名辞典には地名の由来として2つの説を上げています。1)「もと上笹目と云いしが・・・・・・古え京師より故ありて、美麗の官女数人当所に来り居りしことあり、其頃近村のもの当村をさ...

  • 埼玉県の難読地名(29) 粕壁、長瀞、甘粕

    粕壁【かすかべ】・・・春日部市 長瀞【ながとろ】・・・長瀞町 甘粕【あまがす】・・・美里町 粕壁(かすかべ):角川の地名辞典では、「春日部(かすかべ)」の名前由来は『4世紀頃、安閑天皇の時に設けられた屯倉で御名代部(みなしろべ)であったことによる(旧県史)』と書かれている。ただ4世紀とあるのは少し違っていて6世紀始め頃ではないかと思われます。また御名代(みなしろ)は「ヤマト王権に奉仕することを義...

  • 埼玉県の難読地名(28) 神米金、吉田林、礼羽

    神米金【かめがね】・・・所沢市 吉田林【きたばやし】・・・本庄市児玉町 礼羽【らいは】・・・加須市 神米金(かめがね):この地名は明治になって、江戸時代の三つの村が合併した時に各村名から合成地名としてつけられたものだ。元の村名は「神谷新田」「平塚新田」「堀金(兼)新田」であるが、平塚新田は「久米新田」とも呼ばれていたという。 吉田林(きたばやし):「きったばやし」ともいうと言い、平安期に児玉郡の...

  • 埼玉県の難読地名(27) 百間、垳

    百間【もんま】・・・宮代町 垳【がけ】・・・八潮市 百間(もんま):室町期に地名として存在し、百間中、百間中島、百間東、など広く使われている。「もんま」の名前の謂れは、今の所アイヌ語(縄文語)説が有力とみられています。「mo」は「静かな」であり、「ma」は「わずかな水面」で沼などをあらわすという。「mo」についてはアイヌ語辞典などでも載っているが、「ma」については載っていない。ただ柳田国男の地名の研究...

  • 埼玉県の難読地名(26) 新開、神田、文蔵

    新開【しびらき】・・・さいたま市桜区 神田【じんで】・・・さいたま市桜区 文蔵【ぶぞう】・・・さいたま市南区 新開(しびらき):荒川左岸東方の鴨川と高沼(こうぬま)排水にはさまれた低地に位置する。名前の由来は天正18年岩槻落城後、その旗本の武士がこの地に土着して1村を切り拓いたことによる(新編武蔵)とある。(旧浦和市)でも新しく開くと書いて、何故「しびらき」と読むようになったのかは不明。 神田(じん...

  • 埼玉県の難読地名(25) 新座

    新座【にいざ】・・・新座市 難読漢字地名としては一般には取り上げないが、高麗と同様に特徴的な地名なのでここに加えておきます。新座(にいざ)は758年に新羅(しらぎ、しらき)郡が新設されたことに始まります。続日本紀に天平宝字二年(758)八月二四日条に「帰化新羅僧32人、尼2人、男19人、女21人、武蔵国に移し、新羅郡を設置する。」とあります。高麗郡の設置は716年ですからこれより40年ほど後になります。また高麗郡...

  • 埼玉県の難読地名(24) 蚊斗谷 大豆戸 椚平

    蚊斗谷【かばかりや】・・・吉見町大豆戸【まめど】・・・鳩山町椚平【くぬぎだいら】・・・ときがわ町蚊斗谷(かばかりや):角川の地名辞典では地名はかつて蒲が多い原野を開発したので「蒲苅谷」と称したことによる(新編武蔵)とある。江戸前期の正保から元禄(1644~1704)頃に開発され、古来は大和田より分かれて「蒲苅谷」と云ったという。大豆戸(まめど):豆土・大豆土・馬見土とも書くという。中世の室町時代に比企郡大...

  • 埼玉県の難読地名(23) 高麗本郷 毛呂本郷

    高麗本郷【こまほんごう】・・・日高市毛呂本郷【もろほんごう】・・・毛呂山町716年(霊亀2年)に、関東各地(当時の7カ国)に住んでいた「高麗人」1,799人が武蔵国に集められ、「高麗郡」ができました。この高麗郡に2つの本郷と名のつく地名があります。高麗本郷(こまほんごう):高句麗は、中国の東北部から朝鮮半島にかけて約700年間(紀元前37年頃から668年(天智7年))栄えた大きな国でした。 しかし、その高句麗は、唐や新...

  • 埼玉県の難読地名(22)

    飯能市【はんのうし】越生町【おごせまち】鴻巣市【こうのすし】今回は良く知られてて読めないと恥ずかしい地名かもしれない名前です。飯能(はんのう):角川の地名大辞典は、「地名の由来は武蔵七党の判乃氏が居住したことによるという。」とだけ紹介していますが、これは余りにも不親切です。平安鎌倉時代頃に、各地に武士たちの氏族が散らばってその地の地名を氏として名乗るようになりますが、この判乃氏もこの現在の飯能の地...

  • 埼玉県の難読地名(21) 万吉、御稜威ケ原、楊井

    万吉【まげち】・・・熊谷市御稜威ケ原【みいずがはら】・・・熊谷市楊井【やぎい】・・・熊谷市今回は熊谷市の難読地名を3つ万吉(まげじ):角川の地名辞典には1)牧(まき)の当て字で「牧=万吉」から「マキチ」となり「マゲチ」になった2)条里制に基づく牧津里からおこったという説が紹介されている。中世(鎌倉期)には武蔵国大里郡の中に万吉郷があった。明治22年まで万吉村があり、その後大字名で残った。御稜威ケ原(み...

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