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まほらにふく風に乗って http://mahoranokaze.com/

団塊世代のおやじが、歴史の里と呼ばれる常陸の都-石岡-に住んで感じたことなどを徒然に紹介します。

Roman1405
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住所
茨城県
出身
小千谷市
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2011/04/26

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  • 霞ヶ浦のアサザは何処に消えた?

    霞ヶ浦沿岸の多くの場所で、可憐な花「アサザ」の花が見られなくなりもす数年が経つ。霞ヶ浦護岸工事が行われ、全体に堤防がかさ上げされ、水害の被害はおおむね無くなった。しかし、利根川と合流する場所の設けられた逆水門は、霞ヶ浦側の水位が高くなければ開かないので、利根川、海からの水の流入はない。霞ヶ浦は昔、気水湖であったが、今では完全な淡水湖になった。その種様々な生き物の生態が変った。そして湖岸整備後に、...

  • 処暑といわし雲

    昨日(23日)はまた、千葉県の東端銚子に出かけました。一昨日と比べて少し暑い日でしたが、朝方、行方から潮来の方を車で走っていると、左右は収穫を今か今かと待つ黄金の稲がたわわに実り日本の原風景を感じてしまいました。一部ではコンバインが稼動し、稲刈り、脱穀が住んでいる場所もありましたが、今月末から来月始めが稲刈りのピークになるのでしょう。この時期にこの両脇に黄金の実が風にゆれ、丘やその先に見える霞ヶ浦...

  • 伊東甲子太郎の顕彰碑

    石岡の隣町のかすみがうら市志筑(しづく)地方は、石岡市の恋瀬川をわたったすぐ隣り合わせにある。志筑は常陸国の佐竹氏が出羽(秋田)に転封となって、かわりに秋田から常陸国に国替えで来た氏族の一つだ。元々1万石に満たない石数で、藩にはならなかったが、明治維新直前に加増されて「志筑藩」となった。藩主は本堂氏で、江戸に大名としていたが貧乏だといわれ、財政的にはかなり厳しかったという。そんな中、この志筑藩から...

  • 南郷街道

    茨城県北部は中世「常陸奥七郡」と呼ばれ、源氏の佐竹氏が最初に制した場所だ。源平合戦に向かう前の頼朝の攻撃にも山奥に逃げ込みしぶとく生き残った。またその後世継ぎ問題で、本流が上杉氏(藤原系)からの養子縁組することに反発した、佐竹氏他派との内乱が100年間も続いたが、最後に常陸国を制した佐竹氏が戦国を生き残ったのはこの奥七郷という地形が幸いしたことは間違いないだろう。水戸の北、「常陸太田」の北部は、...

  • 山方宿御城

    水郡線の常陸大宮市にある道の駅の少し先(北)に「山方宿」という場所がある。コロナ禍騒動前までは「日本一の芋煮会」と大きな看板が目に付いたが、コロナ禍で中止となったりしてその存在感が少し薄れてきた。日本一大きななべを使って芋煮をするのだそうだ。また、この山方宿は久慈川を越えて三太の湯や金砂の湯などの日帰り温泉施設への入り口でもある。しかし、このブログでも「常陸国における源平合戦」シリーズを書いたが...

  • 12年前 ブログ開始

    2010年8月11日にブログ「まほらにふく風に乗って」を書き始めた。その2年前の2008年に勤めていた企業で定年を向かえ、そのまま仕事も継続はしていたがこれからの人生をどのように過ごしていこうかをいろいろ考えていた。今住んでいる「石岡」には妻の希望で、2006年に隣町から引っ越してきたのだったが、古くからの歴史がある町とはいっても、他所から来たものにはどこと活気が無く、おまつりではしゃいでいるだけの「一地方都市...

  • 37年前 日航機墜落

    8月12日のニュースで、日航ジャンボ機の墜落事故から37年という記事が目に入ってきた。もうあれから37年も経つというのだ。その事故当時の37年前に大卒で会社に入った人が来年60歳定年を迎えるのだという。坂本九さんがその飛行機に乗っていて亡くなり、御巣鷹山の山中で朝から救出が始まり4人の方が助かったが多くの乗客・乗員は助からなかった。テレビから映されたその惨状は眼を覆いたくなるものであった。私にとっても...

  • 77年前 終戦

    今年も原爆投下、終戦のあった昭和20年(1945年)8月の行事がやってきた。これは今から見ると77年前になる。また、その終戦のさらに77年前は明治維新である。2度とこんな戦争はしないと誓ったはずなのだが、最近は相手から攻撃される恐れがあった場合は、先制攻撃も出来るようにするとか、核を持っていなければ攻撃されるから持つべきだといった意見が今までになく大きくなっている。日本は神の国で選ばれた民族国家...

  • ひつじ草(池花池)

    小美玉市の石塚街道沿いにある池花池は冬場は白鳥が来る事で知られていますが、もう一つ琵琶湖周航の歌でも知られる「ひつじ草」が池いっぱいに広がって咲くことでも知られています。名前の通り「ひつじ刻」頃に花が咲くというので、午後2時には少し早かったが、昼過ぎに近くを通ったので立ち寄りました。たしかに睡蓮に似た葉と花ですが、可憐に咲いていました。ただ、思っていたよりは花は少なめでした。もう少し一面に咲くに...

  • 石神遺跡(環状列石?)

    行方市沖洲の山側に縄文時代の環状列石遺跡に似ているとされる「石神遺跡」があります。行方市の文化財の案内にあり、少し興味を持ってその示されていた住所を訪ねてみました。しかし、書かれていた住所の最終番地はナビで表示されておらず、近くを探したのですが、近くは沖洲藝術村の奥で、宅地開発されて造成されている感じでした。もっとも造成と言ってもかなり前で、今では住んでおられる人も少なめで、草木が生茂っている場...

  • 小幡観音寺(行方市)

    行方(なめがた)市も結構広い。この行方の名前の由来も分っているようでわかっていない。常陸国風土記にはヤマトタケルの話として説明はある。まあ、でもこれはあまりあてにならない。さて、今回はこの行方市の古くからあるお寺だが、あまり話題に上ることがない気になるお寺を訪ねてみた。前にも訪れた事はあるのだが、どうも場所があまり通る事がないところなのではっきりしない。近くに「要(かなめ)」という道路が集まる場...

  • 蓮の花

    毎年夏になると、朝方、霞ヶ浦周辺では真っ白い大きな蓮の花が咲き乱れます。日本一のレンコンの収穫地なのでしょう。でもこんな泥だらけの蓮田にこのような純粋な白い花が咲くのでしょうか?不思議でなりません。先日も銚子に行く途中の、国道沿い(行方市)に咲く蓮の花をカメラに収めて来ました。今日は暑さもひと段落していますが、また暑さもぶり返すようです。山形や新潟では大雨で洪水も発生とか。くれぐれも用心してくだ...

  • 潮来の愛染院

    先日石岡から銚子へ行くときに、玉造から国道355号線で北浦大橋手前の領域を少し散策。その後北浦の西側沿い(行方市)から潮来(延方)方面へ。途中に「かんぽの宿潮来」があるのだが、これが今年7月1日より「亀の井ホテル」となった。結構あちこちのかんぽの宿がリニューアルと称して別なホテルチェーンなどに変わっている。福島県いわき市の「かんぽの宿いわき」は今年4月から別会社が経営している。このように郵政グループが...

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