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2011/04/06

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  • 信仰とは自分自身の弱さとの戦いで得られるもの

    信仰心を一生貫いて手放さないということは、自分自身の弱さと不信感との闘いであると思います。 トルストイは信仰に関して次のように述べられています。 「信仰のない人間の生活は・・・動物の生活である」。 主は言われました。 「目に見えない尊い存在を信じ、理解し、それに基づいて行動することができるということは、人間として尊いことです。」 繁栄の法より 目に見えない尊い存在を信じることができるというのが、人間としての条件なのでしょう。 感覚的な物はすべて、過ぎ去っていく河の流れのようなものかもしれません。 しかし人間は、その感覚的な物を実感として認識し、それをこ..

  • 死後の世界 天上界は宗教が主流

    生きているときに、どこかの宗教に属しているということは大切なことです。 「神仏から見て正しい宗教」であるのは言うまでもありませんが。 キリスト教の信者だったら、天使系の人が来て導いていかれます。教会でみんなを集めて、説明をしたり、生前のことを振り返るように教えたりするようです。 お寺や神社もあり、そこではあの世のガイダンスを受けることもあるようです。 建物はこの世のものよりは大変美しく、キリスト教では水晶の聖堂、仏教系では金でできたお寺、などがあるとのこと。 キリスト教系の臨死体験者の話には、キリストがよく出てくるようですが、普通は弟子筋の天使や、天使の予備軍..

  • 死後の世界 入口編

    現代人の多くは死後の世界と聞くと、馬鹿にしてまともに考えようとしません。(それが命取り) 戦後の教育で、宗教教育を排斥してきたことにより、信じようとしない人が増えてはいますが、潜在的に何か目に見えない存在や世界があるのではないかと思う人も多いのではないかというのが、私の実感としてあります。 死後の世界を信じない多数派や、それを扇動する人たちから見れば、宗教とは、『日本霊異紀』や平安時代の怨霊の世界の話であり、信じるに値しないと思っているのでしょう。(それが命取り) どうして神仏は、死後の世界を知ることができないようにしたのでしょうか? 死後の世界がわからないようにな..

  • 宗教的人格の人が陥りやすい「優しさの罠」

    題名に書かれている優しさの罠に陥りやすい人とは、どのような人なのでしょうか。 前世で宗教的生活をおくられてきた人、愛の教えを他力的に実践されてきた方は 「優しさの罠」に落ちてしまう傾向があるのではないかと思えます。 優しさの罠とは、この世に一人でも不幸な人がいる限り自分が幸福になってはいけない、というような気持ちです。 これは、内なる罪悪感の表れなのかもしれません。 「自分だけが良くなってはいけないのではないか、他に不幸な人がいたら自分も幸せになってはいけないのではないか」 という気持ちを潜在的に持っています。 しかし、この考え方には問題があるのではないか..

  • 疑問にも二種類 探究心と猜疑心 信仰心との関係

    疑問を持つということに関して魂的に考察すると プラスの面とマイナス面があると思います。 この辺の単純な区別を明確にしておかないと、信仰心が揺れるということになるのではないかと思います。 疑問を持つという考え方のうち、魂の方からストレートに沸いてくる疑問は正しい疑問だと思えます。 それは、探究心と言い換えてもいいかもしれません。 正しい疑問は、信仰心とも深い関係があると私は信じています。 信仰心があるからこそ、主はこのような法を説かれたけれども どのような深い意味があるのだろうかと、知りたいという欲求にかられます。 魂の要求として、どうしても知りたいという気持..

  • 有限の肉体に束縛される魂 精神活動は地上の素材の中で活動する

    仏教では、色心不二という言葉があります。 色とは、物質的なもの 心は、魂あるいは精神性と理解してよいと思います。 表面的な理解では、この二つは全く異なる存在型式を有しているといえます。 しかし、深いところでは物質も精神も本来同じエネルギーあるいは、神の光で構成されているといえます。 精神は自由であり束縛を嫌います。 その精神は肉体に宿ることで肉体の有限性による限界に、肉体の機能に規制されます。 しかし、この有限性の支配における束縛が、霊界に帰った時に最大の力となるようです。 例えば、障害を持って生まれてくるお子様もいます。 地上的に見れば、肉体的ハンディがあること..

  • 愛と美 主の子供時代の疑問

    女性の優美さは美徳の一つでしょう。 美という漢字の前に優しいと書きますね。 つまり、美しさの前に優しさが大切という意味でしょうか。 美しさは大切ですが、それ以上に優しさが大切であるということだと思えます。 しかし、美しさも優しさも『愛』の側面といいますか、一部分だと思うのですよね。 愛は本来、全てを内包しているものなのでしょう。 勇気も自分のためだけと思うとわいてきませんが、誰かのためにと思うとき勇気が湧いてくることがあります。 優しさだけではなく、厳しさも相手をよくしていこうという意思があるとき、それは愛となるでしょう。 全ての良きものの根源には愛が存..

  • 理念と現実生活 理性的なものは現実的なものであり、現実的なものは理性的である。

    真理を学び始めると、理想の世界と現実とが違いすぎて、そのギャップに苦しむことがあると思います。 愛の大切さを学んだとして、それを何とか社会や会社の中で実践したいと思うことがありますが、 会社の体制や、社会の仕組みを変えたいと願っても現実はなかなか体制が変わるということはないと思えます。 やはり、まずは自分自身の心を変えていく以外にないということでしょうか。 まずは、徹底的に高次元にある光の感覚をつかまねばならないかもしれません。 意識を高次元に飛翔させて、真理を自分のものとしなければなりません。 そして、大切なことは、高次元の光を体感し真理を体得したならば、自分の意..

  • アデプトと霊的覚醒に到るための霊的修行について

    まず、アデプトと呼ばれる人の意味を調べようと思い哲学辞典と仏教辞典を調べてみましたが、のっていませんでした(笑) 大師とかグル、霊的マスター 仏教的には最終解脱者あるいは、悟りたるもの目覚めたる者という意味でしょうか。 霊的指導者になっていくためには、厳しい霊的修行を積まなければならないことでしょう。 ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー夫人は以下のようなことを述べています。 「道を探し求めよ。しかし、おお弟子たちよ、旅立つ前に清き心をもて」 これは、霊的な覚醒者が必ず述べる言葉だと思います。 イエス様も、 「心清き者は幸いである、彼らは神を見るであろう」山上の垂..

  • 判断の積み重ねによって天国・地獄がわかれる 経験と魂の兄弟

    人間は、感性によって外界の情報を入手します。 知性は、対象を知的に知ろうとする性質でしょう。 理性は、物事を見極め、筋道立った考え方ができる、ある種の判断力でしょうか。 悟性は、宗教的には感性、知性、理性の上に位置する働きで、直感的な能力、瞬間でわかるという能力でしょうか。 感性自体に物事の善悪を判断する能力はありませんから、感性だけで判断すると間違った判断になりやすりと思います。 知性は、真理を学ぶことで正しい知識を持ち、善悪の判断に役立つことになるでしょう。 理性の発達によって、迷信や占いといったものにまどわされずに、因果関係で縁起の理法で判断し結論づけることができるはずで..

  • AIでもこえられない心の存在形式と悟り

    なにやら悟りといわれるものを、大量の情報や知識を習得することで得られるものであると考える新人類が出現してきたらしいのです。 高学歴イコール悟りと考えたりする若者もいるようです。 確かに、私たちは大量の情報を得ることで、その情報をもとに様々な判断をすることが可能であると考えられます。 この能力は、人間の知性と深い関係があるのではかと思います。 また、理性というれる心の領域にも関係するでしょう。 しかし、 大量の本を読み、情報を得て知識を増やしたとしても悟りの本質には、到っていないのではないかと思えるのです。 その理由は、 例えば、大量の知識を得ることで、唯物論が真実だ..

  • 霊的に目覚めてくると世界が美しく輝いて見える

    現在の私たちは、世界が輝いて見えているでしょうか? 私自身は、輝いて見えているとは言い難いと思えます。 不幸の種を探せば、数限りなく見つかります。 ですから不幸の種を探さないようにしています。 それでも、世の中には「いい人だな」と思える人も確かにいるんですよね。 同じ音楽を聴いて一緒に感動してくれる人。 美しい音楽を聴いていると、何となく涙が込み上げてきたりとか・・・ こちらが普通に接した相手が、ありがとうと感謝してくれたりして・・・ 幸せの種は、身近にあるのかもしれません。 身近にある幸せに気が付かないだけかもしれません。 与えられている愛に気づく..

  • 日本人になじまない形而上学と妖怪の正体

    日本人になじまない形而上学と妖怪の正体 ソクラテスやプラトンのギリシャ哲学、キリスト教、仏教や儒教、近代ではドイツ観念論哲学こうした教えは、どうも日本人には理解しがたいようです。 (儒教は別かな?) 日本ではキリスト教の教えはそれほど広がりを見せませんでした。形だけのクリスマスは広がりましたが、キリスト教の教えに関しては深く意味を理解していないような気がします。 また、仏教にしても2500年経過しているので仕方ないとは思いますが、仏陀の悟りや霊的な個所、奇跡はすべて物語や内面の葛藤として無理やり理解しようとしています。 ..

  • 愛の本質

    主の教えは、愛に始まり愛に終わるといわれいたと思います。 主が人間に望んでいる愛とはいったい・・・・・・・・・ 肉体に基づく本能の愛は、人間の精神からかけ離れたものであり、主の言われる愛とは関係ないと切って捨てるべきものです。 私たちは、愛の発展段階説による愛の進化する過程を学ばせて頂いています。 愛する愛、自分に関係する人たちを愛する愛 生かす愛、自分づくりをして、優れて能力を発揮し、指導する愛 許す愛、自分の利害に関係なく、あやまてる多くの人たちを許す境地、包み込むような愛 しかし、主はこれらの愛は、愛を知るための契機きっかけであり、愛の本質ではないと言わ..

  • ガンちゃんとレオの対話

    ガンちゃん  読書の意義について考えていた。 もちろん、多様な価値観をしり高度な判断ができる為 善と悪をしり善における正しさを知るため。また、正しさを実現するため。 そして、すべては真理にたどり着くため。 しかし、それで終わっていいのだろうか? レオ  どゆこと? ガンちゃん  読書を通して真理にたどり着くと言うことは、自分自身の霊性と結びつかなくてはならない。 レオ  ふむふむ レオ  理性的な理解にとどまらず、霊性の悟りを目指すべし、ってこと? ガンちゃん  霊性が進化しているかどうかは、愛の発展段階と関係がある..

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