宗教を尊敬する国民及び国家を目標として努力していくべきです。 日本には民主主義が繁栄しているように見えますが、日本の民主主義の基礎、土台にあるものは虚像、偽物であると思えます。 民主主義の基礎にあるべきものは、「神の心」「仏の心」であるはずです。 民主主義といえば、やはりギリシャが思いうかびます。 プラトン・ソクラテスその他のギリシャ哲学の本を読んでみますと、ギリシャの人々は間違いなく神の存在を信じていたと確信できます。 神の御心はどこにあるのか、人間として尊い生き方とはどのようなものなのか、ギリシャ人は神の御心とはどこにあるのかという精神性を持っていたと思い..
宗教は最終的に信仰心だけで仕事をしているといわれています。 信仰心に関しては過去の偉人達が、いろんな考えを残してくれていますが、幸福の科学の信者であれば 「エル・カンターレを信じている人」という定義になるのではないかと思います。 正法が説かれる時、魔も競い立つといわれています。 生きているときに、目に見えるものしか信じることができずに、肉体を喜ばすことのみに生きていた人が、死後地獄に落ち苦しさのあまり生きている人間に、同じような心の波長の人に憑依し、地獄に引きずり込んでいきます。 では、地上において主を信じている信者のあるべき姿とはどのようなものなのでしょうか..
先に結論だけ言いますと、『一切衆生悉皆成仏』は間違いであるといういうことです。 『一切衆生悉有仏性』 全ての人に、仏と同じ性質、如来と同じ素質があるということは理論的には正しいでしょう。 しかし、 『一切衆生悉皆成仏』 だからすべての人が仏になれる までいったら完全に間違えだと思います。 自分に甘い人は、すぐに自分を偉いと思いたがる傾向があるように見受けられます。 どう考えたら自分が仏になれると思えるのか、私には理解不能です。 十字架の女3では、主人公が様々な修行方法を学んでいく過程が描かれていますが、 ある星を題材にした修行論が描かれて..
大川総裁の過去世認定が変わることがあることをもって、総裁先生の霊的能力に疑問を持ち退会する会員さんもいるようです。 表面的な現象しか見ない人、見れない人は過去世の認定が変わることで今後も変わる可能性があり信じることができない。 信仰を捨てるという流れでしょうか。 しかし、現実世界の中で生きていながら霊的世界を知ることができる能力を持った人と(総裁先生は人ではありませんが)、現実世界しかわからない人とでは、認識に仕方や考え方が違ってくるのは当然のことなのです。 この時期に本当のことを言うと、混乱が起きる、あるいは敵をつくり自分自身が危うい立場になる、命を狙われるということ..
道徳律(道徳法則)とは、道徳行為の規範となる普遍妥当的な法則を言います。 『義務』を重視する倫理学の立場で主として用いられる概念でありますが、道徳を神の命令と考える立場や、カントの提言的命令の説などがあります。 提言的命令とは、無条件的なもので行為の結果や目的に無関係に、行為そのものに価値があるとして命令するものです。 ここで言う普遍妥当的というのは、例えば日本おいては正しい行為であるがヨーロッパでは正しくないでは普遍的ではありません。 また、1000年前は正しいとされていましたが、現代では正しくないという行為も普遍的ではありません。 時間的・空間的にも正しいとい..
アーリマンという存在は知ってはいましたが、深く考えたことはありませんでした。 ゾロアスターの霊言やシュタイナーの本等で知る程度でしたが、地球の歴史の闇の部分に相当介入してきているようですね。 アーリマンは、救世主の教えを微妙にすり替えて、人類を間違った方向に誘導しているのではないでしょうか。 そして、間違った方向とは人類を唯物論的思考へと導いているように感じられます。 霊的観点から見れば、有限性による一時的なものをアーリマンの作用によって永遠なるものと勘違いしているのではないでしょうか。 愛といっても目に見えない抽象的なものは理解できず、奪うもの、何かをしても..
古代エジプトに図書館司書エラトステネスという人物がいました。 二千二百年以上前の人物で、夏至の日に井戸の底に太陽が見えるという話しを聞き大いに関心を持ったそうです。 井戸の底に太陽が見えるなら、太陽は井戸の真上に来なければなりません。 そして、もし太陽が井戸の真上にあるのなら、まっすぐに立っている柱には影ができるはずがありません。 ところが、彼が住んでいるアレキサンドリアでは、夏至の日にも柱に影ができました。 紀元前三世紀、アレキサンドリアはもとより、世界中の科学者は地球が丸いとは誰も考えていませんでした。 しかし、エラトステネスは、もし太陽の光が直進し、大地..
十字架の女1・2の内容には触れずに、現代文明と過去の文明(ムー文明やアトランティス文明)と対比しつつ意見を述べてみたいと思います。 一番の問題点は、神の存在を信じない、信じないだけでなく積極的に否定しようとする人達が地球規模で増殖しているというのが最大の問題点であると思います。 アトランティス文明もムー文明も科学万能の時代を迎えると、目に見えない神の存在を否定する勢力が立ち上がってきます。 どちらの文明も人間理性で理解できないものは現実的ではないとして、神秘的なものを否定し、真理を自分のわかる範囲に狭めてわかった気になっています。 信仰とは信じる世界です。 知性的、理..
『創造の法』には以下のように書かれていたと思います。 まずは、「勤勉な努力家」であることを条件にあげています。 インスピレーションを受ける前提条件の一つとして、自助努力が大切です。 常識的に考えても、怠け者にインスピレーションが降りるわけがなく、地上に降りた人間側の努力が最低限求められます。 努力しないで降りてくるインスピレーションは、地獄界の霊的影響であることがほとんどです。 霊界には、その人を破滅させようと考えている悪霊がいます。 まずは常識人として、仕事や勉強を誠実にすることが大切です。 日常生活や仕事の中で、心が乱れることが多々あると思いますが、そのことに関..
やはり、中世ヨーロッパで信仰心といえば、100年戦争の終わりに生誕された聖ジャンヌダルクではないかと思いますね。 ジャンヌダルクの処刑裁判(白水社)や復権裁判(白水社)を読むと、彼女が命をかけて信仰を守ってきた様子がよくわかります。 真実の信仰とは、命をかけて守るべきものだということを学べたと思います。 信仰のロープを手放さないということは、命がけです。 信仰という言葉には、その人が生きてきた人生観が彩られます。 何年、何十年と神を信じ真理を探究してきた人の言葉には重みがあります。 ジャンヌダルクには神の威厳を感じさせます。 司教がジャンヌ..
人間の霊的進化は、次元の高さに対応しています。 「心霊と進化と」アルフレッド・R・ウォーレス という書籍があります。 自然淘汰の第一発見者であるウォーレスは、同時に熱心な心霊研究家でありました。 ダーウィンの進化論との決定的違いは、感覚器官を通して確認できない、知的生命体や霊的世界に関して、探究したことであります。 まえがきには、このような内容が書いてあります。 「厳密な事実の検討から私は、第一に、宇宙に人間を超えた、発達程度を異にする知的存在がいること、 第二に、その知的存在の中には、人間の五感では認知できないにもかかわらず物質に働きかけることが..
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