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  • 14341-3 大磯町

    神奈川県大磯町■2022年4月16日(土)【歴史】大磯は江戸時代は東海道の宿場町であり、明治から戦前にかけて政治家を中心とした偉人たちの別荘地だった。また、大磯は湘南の発祥地であるとともに、海水浴の発祥地である。≪東海道の宿場町~大磯宿~≫江戸時代の大磯は、東海道の宿場町(江戸から8番目の宿場町)だった。大磯には本陣が3軒(小嶋家、尾上家、石井家)もあり、小嶋家本陣跡に案内板が設置されている。大磯宿...

  • 14203-4 平塚市

    神奈川県平塚市■2022年4月16日(土)【歴史】平塚は江戸時代は東海道の宿場町だった。大正から昭和の平塚には海軍の火薬製造工場(第二海軍火薬廠)を中心とした軍需工場があった。≪平塚の地名の由来≫平塚の地名の由来は、高見王(桓武天皇の3代孫)の娘の塚の上が平らになったという言い伝えによるものである。大正時代に、要法寺の隣に「平塚碑」と書かれた石碑が立てられた。≪東海道の宿場町~平塚宿~≫江戸時代の平塚...

  • 11100-7 埼玉県さいたま市(大宮)

    埼玉県さいたま市1:大宮■2022年4月7日(木)【歴史】≪氷川神社~武蔵国一宮~≫大宮の氷川神社は、第5代孝昭天皇の時代(神話の時代)に建立されたと伝えられている。氷川神社は武蔵国一宮に指定され、武蔵国で最も格式の高い社とされてきた。従って、明治時代には、東京に入都した明治天皇が3度も氷川神社を参詣し、祭儀を執り行った。現在の楼門・社殿は1940年に国費で建てられたものである。氷川神社はかつて男体...

  • 11100-7 埼玉県さいたま市(岩槻)

    埼玉県さいたま市2:岩槻■2022年4月7日(木)【歴史】岩槻は、江戸時代、岩槻藩の城下町だった。≪岩槻藩の中心、岩槻城≫岩槻城は15世紀に築城された平山城で、戦国時代には後北条氏の城となった。小田原征伐で後北条氏が滅亡した後は、岩槻城は岩槻藩の中心となった。岩槻城の遺構としては、1580年代に後北条氏が防衛力強化のために増設した新曲輪が現存する。空堀や土塁が現存し、発掘調査の結果、空堀に畝状の障害...

  • 11100-7 埼玉県さいたま市(特集:見沼代用水)

    埼玉県さいたま市特集:見沼代用水■2022年4月5日(火)【歴史】さいたま市の東側には、南北に数十キロメートル、見沼代用水が伸びており、桜の名所にもなっている。見沼代用水は、新田開発のために江戸時代に造られた灌漑用水である。≪見沼溜井による新田開発≫徳川家康が関東に入国した後、関東では利根川や荒川の流路変更の大工事が実施され、新田開発が進められた。関東郡代の伊奈忠治は、大間木と木曽呂の間に八町(約8...

  • 11100-7 埼玉県さいたま市(浦和)

    埼玉県さいたま市3:浦和■2022年4月5日(火)【歴史】≪市で賑わった中世の浦和≫浦和では、江戸時代より前から市が開かれ、日用品などの取引が行われ、賑わっていた。浦和の市は、毎月2と7のつく日(月6回)に行われていた。市は慈恵稲荷神社の辺りで行われていたことから、慈恵稲荷神社に市場跡の案内板がある。江戸時代より前からある調神社では、毎年12月12日に酉の市が行われ、市の名残を残している。市が行われ...

  • 13119-9 東京都板橋区

    東京都板橋区■2022年4月2日(土)【歴史】≪中山道の宿場町~板橋宿~≫江戸時代の板橋は、中山道の宿場町だった。板橋宿は江戸を出発して中山道を通って最初にあらわれる宿場町で、江戸側の町の出入口で川越街道との追分(分岐)があった。当時、追分にあった石造の地蔵菩薩坐像が東光寺にある。板橋宿は上宿・中宿・平尾宿の3つのエリアで構成されていた。3つのエリアにはそれぞれ名主がおり、上宿は板橋家、中宿は飯田家...

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