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  • 20350-5 長野県長和町(長門)

    長野県長和町2:長門■2019年9月22日(日)【歴史】江戸時代の長門は、中山道の宿場町(長久保宿)だった。長久保宿は1631年の大洪水を受けて段丘上に移転した。長久保宿では本陣や問屋を中心に東西方向に竪町が形成されたが、後に南北方向に横町が形成され、L地型の宿場町が形成された。旅館濱田屋のある鉤型が、L字型の直角部分に当たる。竪町は急な坂の上にできており、所々に現存する伝統的な古民家と相まって独...

  • 20350-5 長野県長和町(和田)

    長野県長和町1:和田■2019年9月22日(日)【歴史】江戸時代の和田は、中山道の宿場町(和田宿)だった。和田を京都方面に出発すると、中山道の難所の和田峠が控えており、和田宿から次の下諏訪宿まで約22キロメートルあった。従って、和田宿に宿泊した旅人は多く、全盛期には旅籠が70軒以上あった。和田宿は1861年の大火で町の3分の2を焼失したが、中町や下町にその後に再建された建物が多く現存する。本陣は長...

  • 20218-5 長野県千曲市(稲荷山)

    長野県千曲市1:稲荷山◼️2015年12月11日(土)◼️2019年9月21日(土)【歴史】1582年、稲荷山には上杉氏が稲荷山城を築城した。天正壬午の乱にて松本の領主に復帰した小笠原氏は、領地を拡大していた。上杉氏は小笠原氏に対する備えとして、稲荷山城を築城した。稲荷山城は平城で、跡地には石碑が立てられているのみである。江戸時代の稲荷山は、中山道洗馬宿と丹波島(現在の長野市青木島町)を結ぶ北国西街道...

  • 20521-4 長野県坂城町

    長野県坂城町■2019年9月21日(土)【歴史】戦国時代の坂城は、信濃村上氏の本拠地だった。信濃村上氏は源氏の一族と伝えられている土豪だった。信濃村上氏は葛尾城を根城とし、麓に居館を構えていた。信濃村上氏の居館跡には、信濃村上氏の菩提寺の満泉寺がある。武田信玄が信濃国に領地拡大のために侵攻していた頃、信濃村上氏の当主は村上義清だった。義清は1548年の上田原の戦い、1550年の砥石合戦で信玄の侵攻...

  • 20432-3 長野県木曽町(日義)

    長野県木曽町2:日義■2019年9月16日(祝)【歴史】旧日義村は、木曽義仲が元服してから挙兵するまでの十数年間を過ごした地と伝えられている。義仲は源頼朝の従兄弟で、1155年の大蔵合戦で父の義賢が戦死した後、木曽の中原兼遠に預けられた。1180年、以仁王から平氏打倒の令旨を受け取った義仲は、自らの居館で挙兵した。居館跡は旗挙八幡宮になっている。八幡宮のそばには樹齢八百年とされる大欅があるが、落雷...

  • 20432-3 長野県木曽町(福島)

    長野県木曽町1:木曽福島■2019年9月16日(祝)【歴史】江戸時代の木曽福島は、中山道の宿場町(福島宿)だった。福島宿は急峻な木曽谷にあり、中山道のほぼ中間に位置していることから、関所(福島関所)が設置されていた。福島関所は四大関所の1つで、入鉄砲と出女を厳しく取り締まっていた。関所の建物は1869年に取り壊されたが、関所門と関所建物が整備されている。関所門は、大名が馬に乗車したまま通れるように...

  • 20423-4 長野県南木曽町(吾妻)

    長野県南木曽町2:吾妻■2013年5月4日(祝)■2019年9月15日(日)【歴史】旧吾妻村の妻籠は、江戸時代、中山道の宿場町(妻籠宿)だった。江戸時代の初期、妻籠には口留番所が設置され、中山道を通行する人々を監視していた。しかし、番所は17世紀中頃には廃止された。妻籠宿の本陣は島崎家が務めていた。島崎家は、馬籠宿の本陣で生まれ育った島崎藤村の島崎家とは同族である。妻籠宿の本陣は、藤村の母の実家であ...

  • 20423-4 長野県南木曽町(読書)

    長野県南木曽町1:読書(よみかき)◼️2013年5月4日(祝)◼️2019年9月15日(日)【歴史】江戸時代の読書には、中山道の宿場町(三留野宿)があった。本陣は鮎沢家が務め、明治天皇が巡幸した際の宿泊所になった。そのため、跡地には明治天皇行在所記念碑が建てられている。三留野宿の脇本陣は1軒で、宮川家が務めた。三留野宿の等覚寺には、円空仏がある。1686年、全国を行脚していた円空が等覚寺を訪れ、円空仏...

  • 20430-7 長野県大桑村

    長野県大桑村■2019年9月7日(土)大桑村には、江戸時代に中山道の宿場町だった町が2つある。1:須原【歴史】江戸時代の須原は、江戸から数えて39番目の中山道の宿場町(須原宿)だった。当初の須原宿は木曽川の河岸段丘の下にあったが、1715年の洪水により、段丘上に宿場町が町ごと移転した。須原宿の街並みには、江戸時代の旅籠の様式が色濃く残っている家並みがある等、宿場町の面影が残っている。須原宿は湧水に...

  • 20425-1 長野県木祖村

    長野県木祖村■2019年9月14日(土)【歴史】木祖村の中心地である藪原は、江戸時代、中山道の宿場町(藪原宿)だった。藪原宿には、野麦峠を越えて高山へ通じる飛騨街道との追分があり、左手の細い道が旧飛騨街道である。藪原には、木曽を管轄していた尾張藩の藩主が鷹狩りを楽しめるように設置された御鷹匠役所が設置されていた。御鷹匠役所は、鷹の巣山(鷹の繁殖を目的に、鷹の巣の保護のため、狩猟や出入りを禁止してい...

  • 11209-7 埼玉県飯能市(飯能)

    埼玉県飯能市1:飯能■2019年9月8日(日)【歴史】中世の飯能は、中山氏の本拠地だった。中山氏は武蔵七党(中小規模の武士団)の1つである丹党の末裔で、元は加治氏を名乗っていたが、鎌倉時代に飯能の中山地区に移住し、中山姓を名乗った。16世紀初頭に中山氏が建立した能仁寺には、安土桃山時代に作庭したと伝えられている庭が現存する。安土桃山時代、中山家の当主の家範は、後北条氏に仕えていた。家範は豊臣秀吉の...

  • 11212-7 埼玉県東松山市(松山)

    埼玉県東松山市1:松山■2019年9月7日(土)【歴史】1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの後、松山には松平家広が1万石で入封し、松山藩が立藩した。家広は桜井松平家の当主で、桜井松平家は徳川家康の高祖父の代から分かれた分家である。しかし、桜井松平家は関ヶ原の戦いの後に浜松藩に移封され、松平藩は廃藩となった。その後、比企地域及び入間地域6万石は川越藩の領土で、松山は川越藩の領地だった。1867年に川越...

  • 11242-9 埼玉県日高市(高麗)

    埼玉県日高市1:高麗■2019年9月7日(土)【歴史】日高市は高麗(こま)郡に属していたが、高麗郡は朝鮮半島から来た渡来人が集団移住し、成立した郡だった。7世紀中頃、朝鮮半島は新羅、高句麗、百済の3か国に分かれており、朝鮮半島の覇権を巡る争いで、多くの朝鮮人(渡来人)が日本に亡命した。716年、朝廷は高句麗からの渡来人を高麗郡に移住させた。郡の名前の「高麗」は、高句麗の別名である。高麗郡の最初の長...

  • 16204-3 富山県魚津市(魚津)

    富山県魚津市1:魚津■2019年9月1日(日)【歴史】中世の魚津には、魚津城があった。魚津城は14世紀に新川郡の守護代を務めた椎名氏が築城した城で、松倉城の支城だった。1582年、織田信長の軍勢が、上杉景勝が所有していた魚津城を攻撃し、上杉軍と激しい攻防を繰り広げた。戦の結果、織田軍が魚津城を攻め落としたが、間もなく本能寺の変で信長が死亡すると、織田軍は撤退し、上杉軍が魚津城を奪還した。佐々成政が...

  • 16206-0 富山県滑川市(滑川)

    富山県滑川市1:滑川■2019年9月1日(日)【歴史】江戸時代の滑川(なめりかわ)は、北陸道の宿場町だった。また、滑川は立山、大岩道の起点でもあり、立山や大岩(日石寺)に参詣する人のために道しるべが設置されていた。滑川の旅籠「川瀬屋」には、「奥の細道」にて松尾芭蕉が宿泊したと言われている。滑川に着いた頃の芭蕉たちはお金があまりなかったため、旅籠に宿泊したと言われている。川瀬屋の跡地には案内板や句碑...

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