前身は「元興寺の子院」だったと言われている「法徳院(融通念仏宗)」です。「十輪院」の左隣りにあります。 17世紀初めに、倍巖上人が再興しました。 御本尊の「…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
電停通り(片原町)へ出ると、「滝の白糸の文学碑」があります。泉鏡花の名作「義血侠血(後に川上音二郎により浅草座で上演された際に「滝の白糸」)」の冒頭場面。 秀…
高岡関野神社から高岡大仏へ通じる通り(商店街)を「御旅屋通り」と言いますが、その謂れは、此の「高岡御旅屋」です。江戸時代の初期、加賀藩では、藩主の鷹狩、民情視…
柔和なお顔が特徴です。青銅製の「阿弥陀如来坐像」は、奈良、鎌倉と並ぶ「日本三大仏のひとつ」に数えられます。高岡は、日本有数の鋳物技術を有する都市で、全国の青銅…
奈良時代前の創祀とされ、越中国内唯一の「名神大社」である「射水神社」です。 「名神(みょうじん)大社」とは、律令制下において、「名神祭」の対象となる神々(名神…
加賀藩前田家第2代:前田利長が隠居城として、高山右近に命じて築城させた「高岡古城」です。利長没後、「一国一城令」に従って廃城とされ、天守閣や櫓があるわけではあ…
高岡駅前にある「大伴家持」像です。 家持は「万葉集」に最多の歌を残し、編者のひとりとも言われています。風景と情感を調和させた繊細な歌風で、代表的な万葉歌人です…
時の名匠が約20年の歳月をかけ完成させた「国宝:高岡山瑞龍寺」(2)
加賀藩前田家第2代藩主:前田利長は、秀吉没後の徳川家台頭の風雲期に、母の芳春院(松)を江戸へ人質に出す一方、加賀藩主の地位を弟の利常に譲り、自らは高岡城にて隠…
時の名匠が約20年の歳月をかけて完成させた「国宝:高岡山瑞龍寺」(1)
最近、「勝興寺」が国宝に指定されましたが、永い間、富山県唯一の国宝建築物として高みにあり続けました。「国宝:高岡山瑞龍寺(曹洞宗)」。加賀藩第2代藩主:前田利…
高岡といえば、この人。加賀前田家第2代:前田利長公です。この像は、国宝:瑞龍寺の参道に立っています。 利長公は隠居後、富山城へ入城しました。ところが、慶長14…
お寺巡りの後は、お寿司です。北陸4県(越=高志の国)福井、金沢、富山、新潟。何れも東京から見れば、お寿司が美味しい町ですが、富山のお寿司は群を抜いているような…
「清源寺」の筋向かいに2寺がありました。まずは「大雲寺(浄土真宗本願寺派)」です。 そして、水掛地蔵(浄行菩薩)さまがいらっしゃる「本証寺」です。水掛地蔵…
光厳寺から少し西へ行くと、入り口に「力強い仁王像」が見えました。「清源寺(曹洞宗)」です。 くっきりした山門で、見過ごしは出来ません。参拝させて戴くことに。 …
富山の市街地に突然に三重塔が現れ、びっくりしました。「春日山光厳寺(曹洞宗)」。富山藩前田家の菩提寺で、当然に、7寺のひとつに選定されています。能登の総持寺の…
円隆寺の西隣にある「浄禅寺(時宗)」です。県内唯一の時宗寺院とのことで、当然ですが、「合寺事件」では7寺院に選定されました。 ご本尊は、「歯吹の阿弥陀如来像(…
富山藩前田家初代:前田利次以降、代々、富山藩前田家の祈願所とされてきた「正覚山円隆寺(天台宗)」です。創建は寛文6年(1666)です。 古来より婦女子の参詣が…
まずは「真興寺(真言宗)」です。明治3年の「合寺事件」では、旧富山藩内の真言宗寺院は、古義・新義派を問わず、此の「真興寺」に合寺されました。 そして、…
妙国寺のはす向かいにある「真称寺(浄土真宗本願寺派)」です。 そしてその奥には「来迎寺(浄土宗)」が。明治3年の「合寺事件」では、旧富山藩内の浄土宗寺院が、西…
その隣には「応声寺(浄土真宗本願寺派)」があります。 そして「妙国寺(日蓮宗)」。 富山に反魂丹の製法を伝えた「万代常閑」と全国に販路開拓をした売薬行商人の…
富山寺町(梅沢町)を更に進みます。 「妙伝寺(日蓮宗)」です。長谷川等伯筆の掛け軸「鬼子母神十羅刹女像」が見つかったとされているお寺です。 次に「守長山本陽…
「大乗山蓮華寺(臨済宗国泰寺派)」です。なお明治3年の「合寺事件」では、臨済宗寺院と曹洞宗寺院が「光厳寺」に合寺されました。 御本尊は「釈迦如来」。 元享年間…
大法寺の少し東、もう1筋南に「補陀山海岸寺(曹洞宗)」があります。佐々成政の祈願所として栄えましたが、成政没後の寛政15年(1638)加賀藩3代藩主前田利常の…
元日早々の大地震には驚きました。被害を受けられた方々には、心からお見舞い申し上げます。年末・年始で中断したおりました「富山・高岡シリーズ」を再開させていただき…
新年おめでとうございます。本年も、宜しくお願いします。 今年は、「エスカーレ ホテルモントレ銀座店」のフレンチから。 ●前菜 プティオードブル5種の盛り合わ…
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前身は「元興寺の子院」だったと言われている「法徳院(融通念仏宗)」です。「十輪院」の左隣りにあります。 17世紀初めに、倍巖上人が再興しました。 御本尊の「…
「ならまち」へ戻り、「興善寺(浄土宗)」です。前身は、元興寺の奥之院だったと言われる寺院です。 天正年間(16世紀)に、慶誉上人により、開創されました。 …
薬師寺から唐招提寺へ行く途中に発見した、風雅な蕎麦処です。予備知識なく散策の途中に出逢った、当に、一期一会の遭遇でした。 「蕎麦処 よしむら」です。 香…
天平宝字3年(759)に鑑真和上が、当時の新田部(にたべ)親王の旧宅地を賜り創建した「唐招提寺」です。 各伽藍を見てみましょう。 まずは「金堂(奈良時代、国…
それでは「鑑真和上」とは。 和上は688年に、中国の揚州で誕生されました。14歳のときに、揚州の「大雲寺」で出家。21歳で長安の実際寺の「戒壇」で、弘景律師に…
薬師寺を出て北へ5分程歩くと、松林と土塀に囲まれた厳かな雰囲気の「唐招提寺」が見えて来ます。此処は律宗の総本山で、艱難辛苦の末、日本への渡来を果たされた「鑑真…
「大講堂」です。 多くの学僧が、仏教を学んだ古代の伽藍。規模は、金堂よりも講堂の方が大きい。平成15年の再建です。伝統工法による再建では、史上最大です。 本尊…
平城京の前の藤原京からの長い歴史を有する「薬師寺」は、天平2年(730)には、金堂の前に東塔と西塔を有する「薬師寺式の伽藍配置」を完了したと思われます。 しか…
近鉄「西ノ京」駅を出ると薬師寺の大きな境内があり、象徴的な東塔と西塔が目に飛び込んできます。 ただ、「西ノ京」駅に近い薬師寺北側の「與楽口」は、いわば裏口で、…
「休ケ岡八幡宮」の末社、「孫太郎稲荷神社」です。江戸初期に、姫路から此の地へ遷座してきました。更に古くは、下野・佐野からとも。 平安中期、藤原頼行公により、…
「薬師寺」へ進みますが、まずは、関連社寺から。 薬師寺の南門の手前に鎮座するのが「休ケ岡八幡宮」です。薬師寺の鎮守社です。 祀られているのは、僧形八幡神、神…
JR奈良駅前のホテルに宿泊した場合、食事処は近場に殆どなく、三条通りやならまち辺りまで出掛けていく必要があります。 此処は、ホテル日航奈良内の和食処「よしの」…
「法華寺(光明宗)」です。 もとは藤原不比等邸があった場所で、その娘の「光明子(聖武天皇后)」が相続し、「皇后宮」となり、天平17年(745)紫香楽宮から平城…
広さ:約130haもの「平城宮跡歴史公園」の東張り出し部に、「東院庭園」、宇奈多理神社、建部門(東院南門)などが復元されています。 「東院庭園」は、東西約80…
「平城宮跡(国の特別史跡)」は、近鉄奈良線の西大寺駅と新大宮駅の途中に、広大に広がっている広場に復元されています。 その広さは、約1km四方に「750m×25…
「平城宮跡歴史公園」は、奈良時代を今に感じる特別な場所です。公園内には、色々な施設がオープンしていますが、「平城宮いざない館」は、時空を超えて奈良時代に誘われ…
「庚申堂」は京都の「八坂の塔」の前にもありますが、此方は「ならまちの庚申堂」です。青面金剛を祀る「庚申信仰の中心地」です。 「庚申」は「庚申(かのえ…
豆腐造りに拘って70年。手間を惜しまず豆腐を造り続ける、当に「豆腐匠」。「近藤豆腐店」です。 ならまちに相応しい店構えです。 お店の豆腐・油揚げ…
奈良です。 奈良は古い街で、街中を「ぶらぶら」散策していると、思わぬ出逢いも多くあります。そうした出逢いを中心に、アップしていきます。 まずは、「ならまち高林…
「久里浜天神社」から真っ直ぐに海岸方面へ。「東京湾フェリーターミナル(浜金谷との航路)」の右に、住吉神社が鎮座しています。 約1000年前の創建と伝わる古社で…
「日米和親条約」の結果、開港された下田と箱館を見てきた処で、少し遡り、ペリーが最初に訪れた浦賀と久里浜を訪問します。 歴史的事実としては、嘉永6年(1853)…
「了仙寺」から「ペリーロード」を南下すると、突き当りが「旧澤村邸」です。旧「下田ドック」の創始者で戦前に旧下田町長も務めた澤村久右衛門氏により、大正4年に建築…
「ペリーロード」の脇道を少し上ると「長楽寺(真言宗)」があります。ロシア使節海軍大尉プチャーチンとの交渉の結果、「日露和親条約」が調印された場所です。 安政元…
「日米和親条約」及び「下田条約」により開港地となった下田ですが、江戸時代、「出船入船3000艘」と言われ、東西を往復する船の「風待ちや避難の寄港地」として繁栄…
下田マイマイ通りの突き当りに、「了仙寺(日蓮宗、国史跡)」があります。此の寺で、ペリー提督と日本全権(林大学頭)により「下田条約(日米和親条約の附則13カ条)…
「泰平寺(臨済宗建長寺派)」です。此の辺りは京都より鎌倉に近いので、建長寺派です。 下田5000石の初代領主:戸田忠次が開基となり、雪叟紹立を開山として創立し…
嘉永7年(1854)吉田松陰は、ペリー提督を乗せた米艦「ポーハタン号」へ弟子の金子重輔と「密航」を企図するも拒絶され、小舟を漕ぎだした柿崎の名主:増田平右衛門…
下田開港後の「欠乏所(下田市指定史跡)」跡の古民家で営業されている「平野屋」です。開港当時の下田の雰囲気を味わいつつ、ステーキやコーヒーを味わうことが出来るお…
安政元年(嘉永7年、1854)に「日米和親条約」が締結され、下田港が開港場となりましたが、外国船が必要な消耗品(=欠乏品=薪、水、食料、石炭など)を供給する場…
「宝福寺」の南隣り「下田八幡神社(御祭神:誉田別命)」です。正応年間(13世紀後半)の創建と言われ、古くから下田の人々の篤い信仰を集めています。 「迎神の松」…
マイマイ通りに沿い稲田寺、海善寺と並んでいる「宝福寺(浄土真宗)」です。下田開港に伴い、一時、下田奉行所が設置されました。また、唐人お吉の菩提寺としても知られ…
マイマイ通りに沿って稲田寺の南隣りの「海善寺(浄土宗)」です。まずは、此の山門の見事さ。思わず見惚れます。 江戸時代の寺院には珍しくなかったのでしょうか。思わ…
伊豆急下田駅から「マイマイ通り」へ出ると、「稲田寺(とうでんじ、浄土宗)」があります。お吉の恋人/船大工「鶴松(川井又五郎)」が眠っています。 当寺は、幕末の…
「伊東遊季亭」です。JR伊東駅からタクシー送迎があるので、熱海や伊豆高原などの伊豆東海岸への旅では、此の宿で宿泊することにしています。 何より、食事が素晴らし…
「MOA美術館」は、創立者:岡田茂吉により第二次世界大戦後から本格的に蒐集された、国宝3点を含む総数約3500点もの膨大なコレクションを有しています。此の日も…
「大阪城天守閣」にも展示されている「黄金の茶室」ですが、MOA美術館にも、特別展示されています。当時の公卿、武将、茶人、外国人宣教師らの記載文献などの史料から…
MOA美術館内「茶の庭」の、「二條新町/そばの坊」と「和食/花の茶屋」の真ん中にある「光琳屋敷」です。勿論、当美術館の看板所蔵品「国宝/紅白梅図屏風(尾形光琳…
MOA美術館内の「日本庭園/茶の庭」には、「和食/花の茶屋」、「二條新町/そばの坊」と、2件の食事処があります。此の日は「和食/花の茶屋」が貸切中のため、「二…
安政元年(1854)「日米和親条約」が締結され、下田と箱館の開港が約束されました。やはり、函館の次は下田だろうと下田へ向かいます。 途中で熱海で下車。まずは「…