今井町の街並みは、東西600m、南北310mのエリアの周囲を環濠土居で囲んだ集落で、城塞都市のように、内部の道路も、見通しを利かせず屈曲させています。 なかに…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
江戸総鎮守の「神田大明神」に対し、「江戸第一の大社」と言われる「日吉山王神社(日枝神社)」です。銀座線と南北線「溜池山王」駅を始め、赤坂駅、赤坂見附駅、国会議…
「日光シリーズ」が長くなりそうなので、一休みして一寸、銀座のフレンチへ。2丁目の「Georges uncing」です。伊東屋別館のお隣りで、静かな立地です。…
日光山内入り口の「四本龍寺」から「滝の尾路」を少し進むと「児玉堂(小玉堂)」があります。一間社流れ造りの小堂ですが、朱塗りの一部彩色が施されている立派なお堂で…
日光山内の「日光不動苑」で、「明治の館」、「ふじもと」などと同一の経営がされている「堯心(ぎょうしん)亭」です。此方は「滋味深い本物の精進料理」を看板とされて…
「神橋」です。二荒山(男体山)を御神体として祀る二荒山神社の建造物で、日光山内への入り口に架橋された木造朱塗りの美しい橋です。「神橋」は、「二荒山神社」の建造…
日光最古の社と言われる「星の宮、磐裂(いわさく)神社」です。金谷ホテルを出て直ぐの処に鎮座されています。日光山を開山された「勝道上人」が7歳のときに「夢のお告…
国内最古のリゾートホテルと言われる日光金谷ホテルです。気品溢れる「メインダイニング」で「伝統のフレンチ」を戴けます。なお、このときの季節は、早春です。古式に則…
「日光シリーズ」を始めます。まずは、現存する我が国最古のリゾートホテルと言われる「日光金谷ホテル」です。神橋の袂の高台に建っています。落ち着いた外観です。古き…
「関東三十六不動霊場」のひとつ「等々力不動尊」です。等々力渓谷からは、不動の滝の隣の急な階段を上るとあります。平安後期の真言僧「覚鑁(かくばん。興教大師)」が…
23区内唯一の渓谷、「等々力渓谷」です。夏でも涼しいと、散策人気が高い処です。豊かな樹林に加え、不動の滝や横穴古墳などの見所も多くあります。東急・大井町線「等…
赤坂TBSの裏手にある急坂の「三分坂」です。よく見ると「手摺り」がついています。直角に曲がる凄い急坂です。 余りの急坂に、坂を曲がるときに荷車を押す代金が「三…
「山ノ手は坂の名で覚えよ」と、良く言いますが、「赤土で出来た坂」という平凡な名称である(諸説あり)赤坂には、色々な坂が有ります。「南部坂」、「薬研坂」、「牛鳴…
赤坂で戴く珠玉の中華「Maison de Yu Long(遊龍)」
赤坂にも、美味しい中華のお店が多くあります。TBS放送会館から徒歩5分ほどの、「Maison de Yu Long」へ。総じて、食感の良い料理が戴けます。 …
伸びている自治体は違いますね。「市立博物館」も立派。堂々とした建物です。此処では、かの有名な「金印」が常時展示されています。国宝なので、撮影は遠慮しましたが、…
斬新な博多イタリアン「With The Style -cotton.-」
福岡は、現在の日本とは思えないような、若者の街でした。そこで、博多駅エリアでも、再開発が進む「筑紫口」の斬新なイタリアンへ行ってみました。東京では余り見かけな…
織豊期の博多の豪商「神屋宗湛」屋敷跡です。現在は「豊国神社」となっています。天正14年(1586)11月に上洛し、翌15年正月に大坂城で行われた秀吉主宰の「大…
「妙典寺(日蓮宗)」です。 永徳元年(1381)に僧日円が、今の柳川市で創建しました。そして慶長年間に、黒田家家臣の立花増時により、立花家の菩提寺として当地へ…
密貿易の罪で一族郎党が処刑された、最後の博多の豪商「伊藤小左衛門」。その三男・小四郎と四男・萬之助を祀る神社です。「子供の息災」、「商売繁盛」などの御利益があ…
浄土宗鎮西派の「海元寺」です。「閻魔堂」と「観音堂」が開帳されています。「閻魔さま」の由来ですが、黒田光之公の家臣の鎌田九朗兵衛の槍持ちの源七が、上方のとある…
浄土宗の開祖・法然上人の後継者の「鎮西聖光(ちんぜいしょうこう)上人」が見た「霊夢」により創建された「善導寺」です。「霊夢」とは、中国から博多へ来ている「善導…
関ヶ原の戦功により、黒田長政は筑前一国47万3千石を与えられます。一旦は、それまで小早川氏の居城だった「名島城」へ入城しますが手狭なので、巨大な城「福岡城」を…
博多駅前で、新鮮な呼子の烏賊を戴けます。「河太郎」です。潮の香溢れる大きな生簀を悠然と泳ぎまわる烏賊の群れ。煌めく烏賊の群れ。甘く透き通る、コリコリした歯応え…
日本武尊の2男「第14代仲哀天皇」と三韓遠征の武勇伝の持ち主「神功皇后」の夫婦愛を繋ぐ「香椎宮」です。 御祭神は、仲哀天皇と神功皇后。配祀は、応神天皇(夫婦間…
第14代「仲哀天皇(日本武尊の第二子)」と伝説の軍神「神功(じんぐう)皇后」を結ぶ夫婦愛の神社として有名な「香椎宮」です。日本武尊の子/仲哀天皇は、強く美しい…
宇佐八幡宮、石清水八幡宮と並ぶ日本三大八幡宮のひとつ「筥崎八幡宮」です。小早川隆景が造営した巨大な「楼門」の前に、修学旅行生がずらりと並んでいます。「楼門」の…
寺社の名前が付けられた駅は、京都や東京に多くありますが、路線名に寺社の名前が付与されているケースは稀有でしょう。此の「筥崎宮」ですが、福岡市営地下鉄「箱崎線」…
「ブログリーダー」を活用して、嵯峨野の青竹さんをフォローしませんか?
今井町の街並みは、東西600m、南北310mのエリアの周囲を環濠土居で囲んだ集落で、城塞都市のように、内部の道路も、見通しを利かせず屈曲させています。 なかに…
今井町の成立は天文年間(16世紀)で、此の地に本願寺の坊/今井兵部卿豊寿が建設したとされています。 一向宗の門徒が「御坊(称念寺)」を開き、自衛上の武力を養い…
戦国時代には織田信長と戦った街、今井町。赤い橋の蘇武橋を渡ると、そこでは歴史ある街並みを散策できます。…… とパンフレット。 ワクワクする気分で、近鉄「八木西…
三条通りへ戻ると「浄教寺(浄土真宗)」の伽藍が目に入ります。 寺紋は南朝ゆかりの「九耀菊水」紋で、南朝光明院帝(後醍醐天皇)の勅願所でした。 まずは、国の登録…
近鉄奈良駅の西にあって南北に通じる賑やかな通り「やすらぎの道」に沿ってある「率川神社」です。 もともとは興福寺との関係が深い神社でしたが、明治になって、「大神…
奈良のお薦めイタリアン・レストラン「トラットリア piano」です。 近鉄奈良駅から直ぐで、繁華街にありながら店内が広く、落ち着いて食事出来るお店です。 …
「興福寺の五重塔」から52段の石段を下ると、「猿沢池」があります。 静かな池で、もとは、興福寺の「放生池(魚などを放って功徳を得る儀式のための池)」だったので…
「ならまち」を散策していると、「史跡:元興寺塔跡」碑がありました。 「元興寺」は、蘇我馬子が飛鳥に開いた日本最古の寺院「飛鳥寺」を前身とし、平城京に移されては…
ならまちにも「御霊神社」があります。やはり、桓武天皇の祈願所です。 794年、桓武天皇の即位に伴う「平安遷都」がありましたが、時代が大きく変わるときには、色々…
前身は「元興寺の子院」だったと言われている「法徳院(融通念仏宗)」です。「十輪院」の左隣りにあります。 17世紀初めに、倍巖上人が再興しました。 御本尊の「…
「ならまち」へ戻り、「興善寺(浄土宗)」です。前身は、元興寺の奥之院だったと言われる寺院です。 天正年間(16世紀)に、慶誉上人により、開創されました。 …
薬師寺から唐招提寺へ行く途中に発見した、風雅な蕎麦処です。予備知識なく散策の途中に出逢った、当に、一期一会の遭遇でした。 「蕎麦処 よしむら」です。 香…
天平宝字3年(759)に鑑真和上が、当時の新田部(にたべ)親王の旧宅地を賜り創建した「唐招提寺」です。 各伽藍を見てみましょう。 まずは「金堂(奈良時代、国…
それでは「鑑真和上」とは。 和上は688年に、中国の揚州で誕生されました。14歳のときに、揚州の「大雲寺」で出家。21歳で長安の実際寺の「戒壇」で、弘景律師に…
薬師寺を出て北へ5分程歩くと、松林と土塀に囲まれた厳かな雰囲気の「唐招提寺」が見えて来ます。此処は律宗の総本山で、艱難辛苦の末、日本への渡来を果たされた「鑑真…
「大講堂」です。 多くの学僧が、仏教を学んだ古代の伽藍。規模は、金堂よりも講堂の方が大きい。平成15年の再建です。伝統工法による再建では、史上最大です。 本尊…
平城京の前の藤原京からの長い歴史を有する「薬師寺」は、天平2年(730)には、金堂の前に東塔と西塔を有する「薬師寺式の伽藍配置」を完了したと思われます。 しか…
近鉄「西ノ京」駅を出ると薬師寺の大きな境内があり、象徴的な東塔と西塔が目に飛び込んできます。 ただ、「西ノ京」駅に近い薬師寺北側の「與楽口」は、いわば裏口で、…
「休ケ岡八幡宮」の末社、「孫太郎稲荷神社」です。江戸初期に、姫路から此の地へ遷座してきました。更に古くは、下野・佐野からとも。 平安中期、藤原頼行公により、…
「薬師寺」へ進みますが、まずは、関連社寺から。 薬師寺の南門の手前に鎮座するのが「休ケ岡八幡宮」です。薬師寺の鎮守社です。 祀られているのは、僧形八幡神、神…
浦賀は古くから港町として栄え、大きく入り江が入り込んでいるため、東西を「渡船」で結んでいます。僅か3分の航路ですが、その渡船で結ばれている2つの「叶(かのう)…
「東耀稲荷神社」から「東叶神社」へ至る途中、浄土宗鎮西派の2寺があります。 まずは「東林寺」から。 開山は、唱阿上人です。ペリー提督の応接を一手に引受け、地元…
干鰯の交易で栄えた東浦賀の繁栄振りが偲ばれる「東耀稲荷神社」です。創建は天明2年(1782)で食保命(うけもちのかみ)を祀ります。 「東耀稲荷」の名は、隣接す…
東浦賀は、かつて、干鰯(ほしか)問屋が軒を並べる商業の街として栄えていました。干鰯(ほしか)とは、カラカラに干した鰯のことで、関西地方で綿花栽培のための肥料と…
さて舞台は、久里浜から浦賀へ。京急本線の浦賀駅が起点の散策です。 まずは「東教山乗誓寺」です。当寺は、「曽我物語」でお馴染みの曽我兄弟の兄「曽我十郎祐成の子=…
京急「汐入」駅前の再開発ビルの「メルキュールホテル横須賀」の19階にある「ビストロ・ブルゴーニュ」でのディナーです。 窓からは横須賀軍港が一望出来ます。目の前…
嘉永6年(1853)6月3日に浦賀沖が現れたペリー艦隊。武力を背景とするペリーの強硬な態度=艦隊が戦闘態勢を解かず=に、幕府は6日後の6月9日(新暦では7月1…
「久里浜天神社」から真っ直ぐに海岸方面へ。「東京湾フェリーターミナル(浜金谷との航路)」の右に、住吉神社が鎮座しています。 約1000年前の創建と伝わる古社で…
「日米和親条約」の結果、開港された下田と箱館を見てきた処で、少し遡り、ペリーが最初に訪れた浦賀と久里浜を訪問します。 歴史的事実としては、嘉永6年(1853)…
「了仙寺」から「ペリーロード」を南下すると、突き当りが「旧澤村邸」です。旧「下田ドック」の創始者で戦前に旧下田町長も務めた澤村久右衛門氏により、大正4年に建築…
「ペリーロード」の脇道を少し上ると「長楽寺(真言宗)」があります。ロシア使節海軍大尉プチャーチンとの交渉の結果、「日露和親条約」が調印された場所です。 安政元…
「日米和親条約」及び「下田条約」により開港地となった下田ですが、江戸時代、「出船入船3000艘」と言われ、東西を往復する船の「風待ちや避難の寄港地」として繁栄…
下田マイマイ通りの突き当りに、「了仙寺(日蓮宗、国史跡)」があります。此の寺で、ペリー提督と日本全権(林大学頭)により「下田条約(日米和親条約の附則13カ条)…
「泰平寺(臨済宗建長寺派)」です。此の辺りは京都より鎌倉に近いので、建長寺派です。 下田5000石の初代領主:戸田忠次が開基となり、雪叟紹立を開山として創立し…
嘉永7年(1854)吉田松陰は、ペリー提督を乗せた米艦「ポーハタン号」へ弟子の金子重輔と「密航」を企図するも拒絶され、小舟を漕ぎだした柿崎の名主:増田平右衛門…
下田開港後の「欠乏所(下田市指定史跡)」跡の古民家で営業されている「平野屋」です。開港当時の下田の雰囲気を味わいつつ、ステーキやコーヒーを味わうことが出来るお…
安政元年(嘉永7年、1854)に「日米和親条約」が締結され、下田港が開港場となりましたが、外国船が必要な消耗品(=欠乏品=薪、水、食料、石炭など)を供給する場…
「宝福寺」の南隣り「下田八幡神社(御祭神:誉田別命)」です。正応年間(13世紀後半)の創建と言われ、古くから下田の人々の篤い信仰を集めています。 「迎神の松」…
マイマイ通りに沿い稲田寺、海善寺と並んでいる「宝福寺(浄土真宗)」です。下田開港に伴い、一時、下田奉行所が設置されました。また、唐人お吉の菩提寺としても知られ…
マイマイ通りに沿って稲田寺の南隣りの「海善寺(浄土宗)」です。まずは、此の山門の見事さ。思わず見惚れます。 江戸時代の寺院には珍しくなかったのでしょうか。思わ…