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テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。

最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。

嵯峨野の青竹
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2011/03/10

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  • 松山の総鎮守「阿沼美神社」

    松山地方の総鎮守として篤い信仰を集めている「阿沼美(あぬみ)神社」です。主祭神は「味耳命(うましみみのみこと。古い豪族の久米氏や伊予の久味国造の遠祖)」、大山…

  • 久松松平家の菩提寺「大林寺」

    松山15万石、久松松平家の菩提寺「大林寺(だいりんじ。浄土宗)」です。 寛永4年(1627)蒲生忠知が、兄の秀行とその子忠郷の菩提を弔うべく、「見樹院」を創建…

  • 松山三庵のひとつ「庚申庵史跡庭園」

    町じゅうが揃って俳句を楽しむ松山。久松松平家初代藩主「松平定行公」の頃から、藩主自ら身分を超えて御用商人と座を同じくして、滑稽とおかしみを詠んでいたと言われて…

  • 肱川の畔の平山城「大洲城」(その2)

    司馬さんの「街道をゆく」からの引用を続けます。 「大洲城は脇坂家のあと、江戸期いっぱい加藤家が城主としてつづく。大洲のお城は四重四階と言われて、珍しがられた。…

  • 肱川の畔の平山城「大洲城址」(その1)

    司馬さんが「街道をゆく」で大洲を訪れた時、未だ「大洲城」は再建されていませんでした。「街道をゆく」から、引用してみます。 「肱川が城のあたりで大彎曲するために…

  • 「近江聖人/中江藤樹」の旧居跡「至徳堂」

    「日本陽明学の祖」、「近江聖人」の中江藤樹の旧居跡「至徳堂」です。地元の高等学校の敷地内に保存されています。  藤樹は、9歳のとき、加藤家家臣(祖父)の養子と…

  • 「男はつらいよ」の舞台になった「お殿様公園」

    昭和52年8月公開の「男はつらいよ」第19作「寅次郎と殿様」の舞台となり撮影現場だった「お殿様公園」です。映画は、マドンナが真野響子。殿様は、嵐寛寿郎が演じま…

  • 伊予8藩で最初の藩校「止善書院明倫堂」

    伊予8藩で最初の大洲藩校「止善書院明倫堂」跡碑です。大洲藩加藤家第5代加藤泰温(やすあつ)公が開校を命じ、第6代加藤泰怜(やすみち)公のとき、延享4年(174…

  • 伊予の郷土料理 食べ比べ(1)

    昨年11月に掲載した記事ですが、伊予大洲の「いづみや」さんです。再登場させます。 伊予大洲は、松山から特急で35分。戦災が無かったこともあり、6万石の城下町が…

  • 映画ロケ頻繁、明治の街並み「おはなはん通り」

    昭和41年の第1回「NHK朝ドラ」の「おはなはん」の撮影舞台となった「おはなはん通り」です。伊予大洲の藩政時代の城下町の中心地でした。当時の土蔵が並ぶ、風情あ…

  • フィリピン貿易で財を成した松井家の「盤泉荘」(その2)

    フィリピン貿易やマニラでの百貨店経営で財を成した、大洲出身の松井兄弟が、故郷の大洲の景勝地に建設した別荘「盤泉荘」です。清流肱川や亀山や富士山の美しい峰を臨む…

  • フィリピン貿易で財を成した松井家の「盤泉荘」(その1)

    19世紀から20世紀にかけてのことですが、松井傳三郎、國五郎の兄弟は、マニラで貿易会社などを経営し、日本人移民向けの百貨店も経営するなど、貿易・小売業で財を成…

  • 大洲城初代城主が勧請した「大洲神社」

    元弘元年(1331)に、初代大洲城主「宇都宮豊房」が、大洲城築城にあたり、下野国二荒山神社から勧請して創建した「大洲神社」です。以後、戸田家、藤堂家、脇坂家、…

  • 清流肱川河畔の景勝地「臥龍山荘」(その3)

    大洲藩6万石第3代藩主/加藤泰恒が、清流肱川河畔で最も優れた此の地に建設した別荘「臥龍山荘」です。幕末までは、加藤家の別荘として、こよなく愛されていましたが、…

  • 清流肱川河畔の景勝地「臥龍山荘」(その2)

    松山から特急電車で約40分。清流肱川河畔に建つ「臥龍山荘」です。伊予大洲藩主加藤氏が粋を集めて建築した、約3000坪の風雅な山荘です。     撮影は10月で…

  • 清流肱川河畔の景勝地「臥龍山荘」(その1)

    「大洲6万石」の城下町、「伊予大洲」です。司馬遼太郎が「街道をゆく(南伊予のみち)」で、「日本の旧城下町で、これほど美しい一角を持った土地はないと思った。」と…

  • 昭和初期の建築様式を今に伝える「東海館」

    昭和初期の温泉旅館の建築様式を今に伝える「東海館」です。温泉旅館としての役割を終え、今は、貴重な木造建築や伊東の温泉文化を、後世に伝承する観光施設として公開さ…

  • 人柄を反映した端正な建物「東郷元帥旧別荘」

    松川の畔にある「東郷記念館(旧別荘)」です。東郷平八郎が晩年を過ごした別荘で、国の登録有形文化財です。  東郷平八郎は、古くは、薩英戦争や戊辰戦争でも戦いまし…

  • 広い芝生と大海原「なぎさ公園」

    「松川」と呼ばれる「伊東大川」の河口部です。右手には、伊東漁港や魚市場もあります。 その昔、此の松川の上流の「山蜘蛛ケ淵」に、頼朝と伊東祐親の三女「八重姫」の…

  • 医者にして文学者、絵画も描けば評論、随想も「木下杢太郎」記念館

    伊東を代表する有名人は、伊東祐親と木下杢太郎。その木下杢太郎の記念館です。 木下杢太郎(本名:太田正雄)は、まず医学者(東大の皮膚科の教授)です。家族は、正雄…

  • 伊東市街を一望する古刹「松月院」

    JR伊東駅の裏(0.6Kmの高台)に「松月院(曹洞宗)」があります。「花の寺」とも呼ばれる、美しいお寺です。  伊東七福神のうち「弁財天」を祀っています。 慶…

  • 李王家の別荘だった「伊東公園」の桜

    「伊予シリーズ」の途中ですが、「春の伊東」を先にアップさせて戴きます。1週間後に「伊予シリーズ」を、「伊予大洲」から再開します。 まずは、JR伊東駅の直ぐ裏に…

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