おお、いと高き、全能にして、善にいます神よ、称讃と、栄光と、誉れと、全ての祝福とは汝のものであります!全ての造られたものにより汝は讃美され、殊に兄弟なる太陽によって崇められますように!彼は我らに昼をもたらし光を与う、彼は美しくいと大いなる輝きをもて照りかがやく。おお主よ、彼は汝の御すがたを示す!わが主よ、姉妹なる月と星とのために汝は讃えられます!汝は彼らを天において清らかに愛らしく造り給いました。...
勝利者誌 一九二九年 十巻 四月号 掲載。「神の贖いの御計画」の著者による。 今日、根本主義と近代主義との間の戦いにより、多くの眠っていたクリスチャンは目を覚まし、戦いに積極的に参加するために武器を身に着けています。この事実にもかかわらず、根本主義は破壊的な近代主義の教えに対して勝利を勝ち取っていません。近代主義の教えが大いに嘱望されているのです。 聖書学校、訓練授業、福音活動、預言的会議、根本主義的...
少しして、「成就した」という大きな勝利の叫び声が、十字架上の方の口から発せられました。彼は「すべての人のために死を味わ」われました。そして、神の贖いの計画は完全に執行されました。霊の暗闇は今や過ぎ去り、今や、「父よ、私の霊をあなたの御手に委ねます」(ルカ二三・四六)と言うことができます。贖いの御業が成就されるまで差し止められていた肉体の死が、今や体に臨みます。 十字架刑による死は、ゆっくりした時...
イザヤ五三・十~十二には、この罪を担う方の魂について三回言及されていることがわかります。「あなたが彼の魂を罪のためのささげ物とされる時」。「彼は自分の魂の苦しみを見る」。「彼は死に至るまで自分の魂を注ぎ出した」。 ゲッセマネの園で、大昔に述べられたこれらの言葉が成就されました。魂のこの苦しみの原因がこの章の六節に示されています、「主は、私たちすべての者の罪科を彼に負わされた」。 すでに述べたよう...
勝利者誌 一九四六年 二七巻 十月号 掲載彼はひどく悩み、大いに悲しんで、彼らに言われた、「私の魂はひどく悲しく、死ぬばかりです………。」(マルコ十四・三三~三四) 奇妙な言葉です、これをイエスが述べられるとは!これは何を意味するのでしょう?「私の魂はひどく悲しく、死ぬばかりです」。三人の弟子がこの言葉を耳にしましたが、その意味を理解しそこないました。彼らは彼の苦難にあずかれませんでした。イエスはゲッセ...
この世界大戦では、軍事作戦が成功した結果、敵の弾薬や武器は破壊されました。同じように、私たちの大敵は、私たちの唯一の武器である「御霊の剣」(それは、神が語られたことです)を私たちから奪おうとします。神の約束はどれも攻撃を受けます。明け渡している神の子供が約束をかなえてもらおうとするとき、その約束が示す真理を、サタンはことさらに否定するようなことはしません。御言葉の意味について、その実際的適用に関...
サタンは、キリストが自分を打ち負かしたことを知っています。というのは、敗北した時、彼は「公然とさらしもの」(コロサイ二・十五)にされたからです。しかし彼は、キリストの勝利には自分の地位を変える力がある、と認めることを拒みます。自分は人類の支配者である、と見なし続けます。そして、このような手段により、自分の敗北について人類を無知な状態に保つことに成功しており、依然として人類を支配しています。私たち...
彼の命を現わす力 キリストは、最後のアダムとして、神の贖いの素晴らしい計画を 完全に執行されました。彼は、人類のすべての構成員が神の子供そして栄化された子になれるようにしてくださいました。人がなすべきことはただ、キリストが自分のためにしてくださったことを取得して、彼の栄光のためにそれを現わすことだけです。言い換えると、クリスチャンがなすべきことはただ、キリストにご自身の命を生きてもらって、自分の霊...
エデンの園に戻ると、そこで主なる神は新しく創造された夫婦に――主権(dominion)――を与えられました。人は王として、もしくは、支族の皇子として創造され、慈悲深く統治するための権威を着せられました。ただしそれは、人が創造主に拠り頼み続けるならばのことでした。子たる身分のための備えもなされました。アダムは神の非受造(永遠)の命のための器官である霊を持つよう創造されました。また、彼はこの命を選ぶ力も与えられ...
勝利者誌 一九四二年 二三巻 四月号 掲載 この経綸の終結の時代における霊的戦いは、祈りの戦いに似ているかもしれません。それに関して、現在の世界大戦には類似点が多々あります。 徐々に、しかし、確実に、諸国民は次の事実を理解するようになりました。すなわち、征服と隷属を狙う残酷で強力な暴君に抵抗して勝利しなければならない、という事実です。敵の存在と狙いを認識することにより、人々の用意は整いつつあります。究...
これは一体化の問題です。心の一体化です。これが第一の点です。罪に対して死なれた時のキリストと同じ心であることです。罪のために死なれただけでなく、罪に対して死なれた方の心にあずかりなさい。「同じ心構えで自分自身を武装しなさい」(一ペテロ四・一)。キリストの観点に立って、その観点から罪を見なさい……罪に対して死んでいるという観点です。私たちはキリストと一体化されて、彼と共に死にました。そこで古い命は終...
どのような手段で信者はこれを経験できるのでしょう?信仰により認めることによってです……これにより私たちは、古い命から分離する力としてのこの死の効力を実際的に受け取るのです。 信仰には、その根拠となる事実が必要です。思い込みは事実の代わりに幻想を抱きかねません。これが信仰と思い込みの違いです。信仰には、その根拠となる神聖な事実が必要です。思い込みにはそのような事実はありませんし、神の保証もありません...
次の点は、聖なる死は一つだけである、ということです。この死以外の、世にある死はみな、その中に罪の痕跡があります。罪なき死、キリストの死以外のいかなる死にも力はありません。古い命を終結させる力を見いだすことを、あなたは望んでいるでしょうか?……さて、キリストの死はあなたにとっていかなるものでしょう?まず第一に、あなたは信者としてこう言うでしょう、「それは人の咎を贖うものです。私の諸々の罪を彼は担って...
次に、別の問題が生じます。古い命をどのように死に渡すのでしょうか?それをどのように殺すのでしょうか?今晩、あなたはそのような状況にあるでしょうか?自分自身を十字架につけ、自分自身を死に渡そうとしているのでしょうか?……古い命は死によってのみ終結させられる、と神の御言葉は述べています。しかし、いかなる死によってでしょう?…… 古い命を終結させられるのは、ただキリストの死の力だけです。数年前、聖なる命は...
勝利者」誌 一九二七年 第八巻 一月号掲載。「信仰生活」誌 一八九七年 一月二八日号より。注記:大いに感謝しつつ、一八九七年にエバン・H・ホプキンスがケズイックで与えた以下の(かなり縮約された)メッセージを紙面に掲載します。ホプキンス氏はケズイック運動の「神学者」としてあまねく認知されています。編集者はクリスチャン生活の形成期に彼の牧会の下で過ごした十二年間を神に感謝しています。彼を通して編集者は、真...
さらに、彼のあの剣はカルバリの炎の中で鍛造されました。それは愛の剣です!私のためのキリストのこの剣を、彼は大きな代価を払って、私の生活の中に、私の罪との戦いの中にもたらしてくださいました!それは愛の剣です。キリストの愛はそれを私の生活の中にもたらして、私の自己満足に切り込み、私の弱さと無価値さを私に知らせますが、それはさらに彼を知り続けるよう私を鼓舞するためです。彼が私を愛しているからこそ、彼は...
大いに率直に話すことを許してください――これを皮肉ったり、落胆したり、失望したり、あなたに痛みと悲しみをもたらしている人々について悪口を言ったりしないでください。彼らを蔑んだり、軽蔑して見下したりしないでください。あなたが感じている刃は彼らの剣ではなく、イエス・キリストの剣なのです!剣をもたらすために来た方が、それをあなたの生活にもたらされたのです。それは、あなたが虐待されているという、まさにその...
あなたが最初にキリストを理解した時、それは剣の一突きのようでした。また、あなたが二回目にキリストを生活の模範、自分が似るべき方として理解した時、それは、あなたの成り立ちのまさに中心を貫く剣の一突きのようでした。そうであるからには、あなたがキリストを自分の主人として理解する時は、どれほどなおさらそうであることでしょう? 彼は言われました、「私が来たのは、自分の家族の者たちが、その人の敵となるためで...
彼をさらによく知るようになるとき、私たちは彼が、「もしあなたの目があなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい!」といったことを言われるのを耳にします。最初、彼がナザレやベタニヤやカルバリの恵み深い人であることが、私たちにはほとんどわかりません。しかし後になると、彼は私たちを対処する最も優しく、最も真実な方法を取っておられることがわかるようになります。「彼が来たのは平和ではなく剣をもた...
さて、愛する人よ、この御言葉が成就される三つの方面について、私と一緒に考えてもらいたいと思います。 第一に、人がキリストを知り始める時、キリストとその愛と恵みを最初に理解し始める時、それはその生活にどのような効力を及ぼすのでしょうか?貫く剣の効力です。あなた自身の経験を思い返してください。キリストを知り始めた結果、どのような影響があったでしょうか?あなたがどのように彼を知るようになったのかについ...
キリストは何者でいかなる方なのか、生活における彼の意図は何か、神の救いは何を意味するのか、インマヌエルなる方の偉大な使命は何を意味するのかを、人の魂が理解し始める時、これを理解した結果必ずわかることは、キリストが来られたのは平和ではなく剣をもたらすためであるということです。それは鋭い俊敏かつ鋭敏な剣の刃であり、個人においても、社会全体においても、切って征服します。 キリストを知る知識から生じる最...
勝利者誌 一九一一年 三巻 三月号 掲載。講演者による校正はされていません。「私が地上に平和をもたらすために来たと思ってはなりません。平和ではなく、剣をもたらすために来たのです。」――マタイ十・三四。 「私が来たのは平和ではなく、剣をもたらすためです」というこの御言葉は、イエス・キリストに関する私たちの通念とは真逆なので、「これは矛盾している」「これはキリストがご自身の務めに関して通常述べておられる考え...
サタンは、言わば、偉大な独裁者であり、彼より劣る悪鬼どもはみな、その判断を汲み取って、同じ霊を自分たちがその中で働いている人々の中に息吹き込みます。それゆえ、彼は「活動している霊(単数形)」の「支配者」であると、ここで述べられています。霊が単数形で述べられている理由は、彼らの支配者がひとりだからです。ひとりの支配者が他のすべての霊を導き指導して、こうして一つの道を行かせ、人々の心の中に一つの同じ...
2.さて、「今も活動している霊」という御言葉の二番目の解釈に移ることにします。それは……これらの悪鬼どもの働きの効果についてです――あの共通の霊を悪鬼どもは、近年、不従順な子らの中に生じさせています。それを使徒は一つの例として持ちだして、それがどのように活動しているのかをエペソ人たちが理解できるようにしました。それがどのように活動しているのか、そこでどのような霊が人々の中で神に逆らって、またキリスト...
悪魔は私たちの中で何ができるのか、と問われるなら、私はこう答えます。 悪魔は、第一に、気づかれずに、霊として、自分の望む思いをあなたの中に入れて、なんでももちかけることができます。それを想像の上に銘記することができます。すると、いずれ、悟性がそれを受け入れることになります。ヨハネ十三・二に、悪魔は「ユダの心の中にキリストを裏切ろうとする思いを入れた」とあります。悪魔がユダの中で働きました。彼は思...
勝利者誌 一九一四年 六巻 十・十一月号 掲載。エペソ二章についての説教から。さらに読みやすくするために、言葉の追加や繰り返しの削除をしています。「というのは、私たちの格闘は肉や血に対するものではなく、主権者たちに、権威者たちに、この暗闇の世の支配者たちに、天上にいる悪の霊の勢力(文字通りには『霊であるところの悪』あるいは『高き所の霊的な悪』)に対するものだからです。」――エペソ六・十二。「……この時代の...
4.十字架は全世界に対する愛を鼓舞して力づけます。十字架はすべての人に向かって救いを明示します。なぜなら――神はそれほどまでに世を愛されたからです。イエスは十字架から御座に行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよと言われました。十字架の愛はすべての人に手を差し伸べます。それが私たちの心の中に入るとき、それは私たちにすべての人を愛させます。そして、贖われた私たちの全存在をこの愛の奉仕に明け渡すよ...
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おお、いと高き、全能にして、善にいます神よ、称讃と、栄光と、誉れと、全ての祝福とは汝のものであります!全ての造られたものにより汝は讃美され、殊に兄弟なる太陽によって崇められますように!彼は我らに昼をもたらし光を与う、彼は美しくいと大いなる輝きをもて照りかがやく。おお主よ、彼は汝の御すがたを示す!わが主よ、姉妹なる月と星とのために汝は讃えられます!汝は彼らを天において清らかに愛らしく造り給いました。...
聖なる、聖なる、聖なるかな、昔在し、今在し、後来たり給う、全能の主なる神、我らをして永遠に凡ゆる者の上に汝を賞め又、讃えしめ給え。おお主、我らの神よ、汝は称讃と栄光と誉と祝福を受けるにふさわしく在す。屠られ給いし羔羊こそ能力と神性と智慧と誉れと祝福とを受けるにふさわしく在す。我らをして永遠に万物の上に彼を賞め讃えしめ給え。我らをして父及び子と供に聖霊を祝せしめ給え、永遠に全てのものの上に賞め讃えし...
祈り我らの父よ、我らは豊けき救いが汝の御子、我らの救主によって可能とせられましたことにつき心から御礼申し上げます。彼の御生涯が我々を彼の足跡に従わせる一つの模範として送られたことにつき、又彼の死が汝の愛と我々を罪から贖い給うことを表わし、又彼の復活が現在と未来に豊かなる生命の確実性を我等に与え給うことについて、又更に変らざる臨在が常に我々の霊的な必要に応じ満し給うことについて本当に感謝申し上げます...
我々は決して上にあるもの以外を求むべきでない、むしろ神のために全ての被造物の僕となり仕え人となるべきである。そして主の霊はこれ等のことを実行し、また終りに至るまで耐え忍ぶ全ての者の上に留るであろう。神は御自身の住所を作り、彼らの中に住い給うであろう。そして彼らはそれらの業をなす時に天の父の子供、又我らの主イエス・キリストの配偶者、兄弟、母となるであろう。聖霊によって真実な魂がイエス・キリストと一つ...
なお又、我らをして悔改めにふさわしい実を結ぶもの、また己自らの如く我らの隣人を愛せしめよ。もし誰かが己自らの如く彼らを愛することを好まずあるいは出来ないならば少くとも彼らを害せず彼らに善いことをなさしめよ。もし我らが他人を審く所の権威を受けたならば憐みをもってその権能を行わしめよ。それは我らも又、主からの憐れみを受けんがためである。我らは悪と罪とのゆえに我ら自身を憎むべきである。何故ならば主は福音...
全世界に住む全ての基督者なる敬虔なる者、教職者、平信徒なる男達よ、女達よ汝らの僕なる兄弟フランシスが天からの真の平和と主にある真実の愛とを望んで恭々しい尊敬を送る。全ての者の僕として私は全ての者に仕え、又主の御言の芳ばしい香を取次ぐように定められた。それゆえに私は自分の体の弱いことを考える時に個人的に訪ねることの出来ないのを知りこの手紙をもって我々の主イエス・キリストの御言とその音信とを送る。彼は...
祈り、讃美及び感謝、我らの全ての者は全魂をもって全心をもって、全力をもって愛し又、忍耐強くあるべきである。我らの全理解と全力と全精神と全情愛と我らの内なる凡ゆる部分、全要求と意志とをもって我らにこれらのものの全てを与え給うた神を愛し、賤しくみすぼらしく悪にして汚れ恩を忘れ、また邪まなるものをも憐れみ給う神を讃美せよ。それゆえに我らは、造主、贖主なる救主、唯一の真の神以外に何事をも要求せず喜ばず求め...
兄弟達の悪いことを語り、あるいは攻撃をせず互に相愛すべきこと、兄弟らに対して誰もその欠点を誇張したり言葉をもって非難し争わないようにすべきである。神が彼らに恵みを与えてい給う間、沈黙をもって忍ぶことを学べ、これらの人達と争ったり又は共に他の人と口論をすべきでない。寧ろ反対に謙遜をもって答え、我等は無益の僕であるということを常に準備すべきである。彼らをして怒らせるな「誰でもその兄弟を怒る者は審きにあ...
ああ、女王なる智慧よ!願わくは主、汝の姉妹なる清く純潔な単純さと共に汝を祝し給わんことを!おお、清貧淑女よ!主が汝の姉妹なる聖謙遜と共に汝を祝し給わんことを!おお、聖愛の淑女よ!主が汝の姉妹なる聖従順と共に汝を祝し給わんことを!おお、凡ゆる聖き徳よ!汝らのいで来たりしところの主が汝を祝し給わんことを!初めに己に死ぬことなくば唯一人として世界の中に汝らの中の一つをも所有しうることは決してありえない。...
主がその人に示し給うた善きことをその心の内に保ち、その業によって人々に表わそうとしない人又、報いを望んで言葉によって人々に知らせようとする人は禍である。彼は今、報いを受け、聴く人に僅かの影響のみしか与えない。その兄弟が病気であって他の人を助けることが出来ない時にも健康で他の人を助けることが出来る時と同じように愛する人は幸である。その兄弟が共にいることを望むに拘らず彼から遠く離れておりそして彼の背後...
多くの人はその敵又は隣人を屡々非難することによって罪を犯している。しかしそれを気付かない。しかし人は彼自身の力、即ちその肉体の中に自らの敵を持ち、それによって彼は罪を犯すのである。ゆえに彼の中にあるところの敵を捕虜にし賢く自らを守る者は幸である。その人がこのように生きる限り如何なる見える敵も見えない敵も彼を害うことが出来ないからである。如何に多くの内心の忍耐と謙遜とが神の僕らにおいて人々に知られず...
おお、人よ、主が貴方を如何に偉大にして優れたものとして造り給うたかを深く考えなさい。肉体においては神の愛子の御姿に像どり、霊においては御自身に肖せて造り給うたのである。又、世界の凡ての造られたものは彼等各々の道において貴方よりもよくその造主に仕え従うことを知っている。もしも貴方が賢くて凡ゆる科学を知り、全ての国語を通訳することが出来、凡ゆる天のことをも正確に究めることが出来たとしてもこれによって貴...
聖フランシスは、祈りと瞑想を通しての確固たる宗教的経験が発展する事の必要性を、極く最初の働きの時から常に強調していた。彼の福音の本質的な真理を伝える説教者としての魅力ある模範、又人々の霊肉の要求に応える調和のとれた伝道、又キリストとの親しい交りから来る喜びと能力の不断の推進とはただ名のみのクリスチャンを真の基督者として全心的にキリストの救を受け容れさせるのに驚くべき能力を発揮した。フランシスの書い...
フランシスはイエスの御命令に絶対に又文字通りに服従しようとして彼の生涯を献げることを決意し、その所有をも家族関係をも投げ打ち、又先に抱いたこの世の成功者となる夢をも捨ててしまった。これより後、彼はその花嫁として清貧をめとった。何者をも所有せず、惜しみなく彼自身を与え、巡回しつつ説教する伝道の道において肉体的に又、霊的に人間の要求に対して全部を以て応ずることにおいて衣食は与えられていった。一二○四年...
アシジの聖フランシスは中世キリスト教の最も美わしい開花を代表している。歴史上のどの時代よりも、多く形式的又、組織的になってきていた時代に生きて彼はイエス・キリストの誡めに全く献げ又服従した生涯の優れた力を現わした。中世の教会に完全に服従していながらも活けるキリストへのより高い忠誠を堅く保持し続けた。彼自身が修道院の理想に自らを捧げつつもその形式の中に新しく、よりよい所の実質を与えこの世から逃避する...
我々は単なるパンでなく、生命のパンを必要とする私は印度にいる一人の神の人を知っている。彼は自分の経験を私に語った。一人の乞食が毎日彼のところに来て一片のパンを乞い、それを受け取るとすぐに去ることを常としていた。ある日、その祈りの人には与えるものが何もなく、人々が食物を取って来るまでの間、数分間彼と共に坐って話すよう乞食に求めた。一時間もしないうちに、此の乞食は信じて祈り始めた。彼はすっかり変わった...
三彼は人間のみならず、動物も植物も太陽も月も星も水も土地も兄弟姉妹といって愛した。ある時、野原に出るとたくさんの小鳥が木に留っているのをみてこれに話しかけ「姉妹なる小鳥達よ、あなた方は特に神に感謝して御名を讃美しなければならない、あなた方は蒔く事も刈る事もせず、倉にも納屋にも貯えないのに神は何時も食物を与えて下さる。殊にあなた方は羽を与えられてこの大空を自由自在に翔けることが出来る。あなた方に賜っ...
二彼が神のために一切を捨てて心は軽く喜びに満され歌を歌いながらまだ春浅いアシジの山のほとりを通ってゆくと山賊にあった。「お前は何者だ」と尋ねたので「私は大王の使者である」と答えると彼を捉えてその着物を剥ぎとり「大王の使者安かれ」といって雪解けの冷い沼につき落して去った。その時フランシスはその雪解けの水の中に入ってもなお歌いつづけていたということである。又、ある時は彼が托鉢に行った留守に三人の強盗が...
一アシジのフランシス(フランチェスコ)は最もキリストに似た生涯を送った人といわれ、世界のキリスト教会において何れの教派の人々からも尊敬され且つ愛されている聖者である。彼は文筆の人でもなく、又所謂雄弁家でもなかったが、その単純さと愛の実践とをもってキリストの足跡を踏んで死に至る迄、徹底した謙遜の生涯を続けた事は彼を知る者にとって大いなる霊感である。まだ詳しい伝記を読む機会のなかった人々のために簡単に...
フランシス訳者 金井為一郎目次訳者序緒言一、訓誡の言二、諸徳への称讃三、フランシス教団の規則からの抜粋四、全ての忠実なる者への手紙五、神への讃美六、太陽の頌歌七、主の祈りの瞑想八、フランシスの祈りオリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...
ペテロ、イエスを知らないと言う(ルカ二二54~62)〔54〕「ペテロはるかに従いぬ」実に不忠実である。先にはゲッセマネで居眠りし、今またはるかに隔てて主に従ったのである。彼はキリストがまさに敵の手に渡され、殺されようとした時に剣をぬいたけれども、今や主が捕えられて引かれて行く時になったら、はるかに離れて従ったのである。ああ肉はだめである。わたしたちはキリストとの間に少しでも距離を隔てていないだろうか。〔...
キリスト祭司長に引かれる(マタイ二六57、マルコ一四53、ルカ二二54、ヨハネ一八13、44)アンナスはカヤパの前の祭司長であったが、何かのためにローマ政府から免職にされてカヤパがこれに代ったのである。しかしユダヤ人は当時、アンナスを尊敬していた。それでキリストをもまず彼のもとへ引いて行ったのである。カヤパは先に「一人死にて国中滅びざるは我らの益なり」(ヨハネ一一50)と言った人であって、実に冷淡極まることを...
〔55~56〕主が人々に語られた彼らの行為の矛盾に満ちていることについて言えば左の通りである。(1)ユダは接吻によってキリストを渡そうとしたが、このことはキリストのよく承知されたことであった。(2)キリストを盗賊にむかうように捕えに来たことである。人間こそは盗賊である。主は人間から何も盗んだことはない。主は生まれると飼葉おけに寝かされ、高位につかずに貧しい家で労働されたのである。ところが今彼らは主を盗...
イエス売られ給う(マタイ二六47~56、マルコ一四45~52、ルカ二二47~53、ヨハネ一八2~5)(マタイ二六47~)〔46〕勝利を得て「起きよ、我ら行くべし」と立ち上る時に、敵はすでに来たのである。わたしたちもイエスのように全く神に服従して出る時に、確かに勝利を得るのである。〔47〕ユダを見よ。彼は「剣と棒とを持ちたる多くの人々と共に祭司の長と民の長老のもとより来」たのである。今や彼は全く墜落し果てたのである(ヨ...
マタイ二六36以下。「ゲッセマネ」とは「油しぼり」という意味である。カンラン山(オリブ山)から多くの油が出る故に、この名称があるのである。油とは聖霊である。主はここでわたしたちのためにすべての悲しみを飲みつくされたのである。だからこそ今わたしたちに慰めの聖霊が豊かにそそがれるのである。〔36~38〕このゲッセマネにも深意のあることがわかる。八人の弟子は園の入口まで入ったが、三人の弟子はなお奥へ入った。し...
ゲッセマネの御苦難(ヨハネ一八1、マタイ二六36以下)ヨハネ一八1。弟子たちに対して懇ろに語り、また一七章のような祈りを終えられた主は、今やいよいよ十字架の迫りつつあることを知って、なおも静かに祈ろうとしてゲッセマネに向われたのである。時はすでに充分に更けていたと思われる。「ケデロン」とは「濁っている」という意である。これは昔から記念すべき河である。主は終生人心の泥流の中を渡られたが、この時も実におそ...
〔22〕実に恵みである。「栄え」とは内部のすきとおるような聖であるとある人は言った。内に聖がすきとおって徳が満ちているならば、外に光があらわれるのである。キリストの栄えとは、彼にあらわれた聖なる徳であった。これが神の前における第一の栄えである。これをせんじつめれば、彼の中にあった聖霊である。おそれ多いことには、キリストはこの驚くべき栄えをわたしたちに与えられたのである。彼に満ちていたその同じ聖霊をわ...
〔20〕すべての信者のための祈りである。この中には確かにわたしたちも含まれているのであるから、そのつもりで学びたい。キリストの眼中には、ただその時の者ばかりではなく、彼らの言葉によって信じた者すべてがあったのである。永遠より永遠に存在される主は、いずれの時代のことをも知っておられる。だから日本の路傍で、ある弟子たちによって伝えられたみ言葉を信じた私のためにも祈られたのである。〔21〕主が信者のために祈...
〔14〕私が伝えた言葉を受け入れて彼らはあなたにつきました。それ故に世は彼らを憎みます。彼らは世におりますが、世のものではありませんから、世は彼らを憎むのです。あたかも世が私を憎むように彼らを憎むのです、と。わたしたちとキリストとの世に対する関係は同じで、キリストこそ立派な標準である。肉体をもつ間はそんなわけには行かないと言って、少しでも罪を容れることは恐るべきことである。〔15〕「われ汝に彼らを世よ...
〔9〕「我かれらのために祈る……」おお、神よ、このあなたのものである、あなたを受け入れた者のために祈ります。もう一度我らが普通のものでないことをくり返して父が重んじて下さるように祈られたのである。父よ、あなたの責任ある貴い宝のために祈ります、と、キリストの祈りには、少しの私欲も見えないのである。〔10〕ちょうど夫婦が互に独り子を掌中の玉とし、宝としているように、我らを「これは汝のもの、汝のものは我がも...
〔6〕これは主の父に対する復命である。「あなたが私に委ねられたこの魂に、父の名をあらわしました」と、実に立派な復命である。名をあらわすとは、その名によって実をあらわしたことである。イエスの御生涯は神を人にあらわす御生涯であった。けれどもその神を見た人は世から選ばれて、キリストに与えられた者である(コリント後四3、4)。選民でない者は福音の光を受けない。けれどもこの節を見よ。これは選民である。選民には...
〔2〕父なる神がキリストに与えられた選民は、キリストへの賜ものであって、その選民たる我らはキリストの財産、また宝である。故にキリストは選民たる我らに、御自身の永遠の命を与えられるのである。「凡てのものをおさむる権威を我に賜いたればなり」父なる神のキリストを崇めたのはこれである。この力は何のためにあらわすかと言えば、選民に永遠の命を与えるためである。故にこの目的のために障害となるものは、どんなもので...
〔1〕「イエスこの言を語り終りて天を仰ぎ……」ヨハネ一一41のように、イエスは祈りの時にしばしば天を仰いで祈られたことが福音書に記されている。ひれ伏して祈るのは、悔い改め、または謙遜を示すものであり、主との交わりの切れない時には、身も目も天を仰いで祈ることが出来る。「父よ」これは子たる者の霊をあらわしたのである。キリストは御自身のために祈る時には父よと言い、弟子たちのために祈る時にはきよき父よと言い、...
ヨハネ福音書一四章から一六章までにおいて、キリストは弟子たちに対して彼らの生涯、ペンテコステ、また希望について語り、彼らを慰められた。これらのことが終ってから、今まで弟子たちの方へむかって居られた主は天を仰いで祈られたのである。昔大祭司が幕屋に入るのは、一年中で最も幸な日であった。そのように我らの大祭司キリストは、今至聖所において祈っておられるのである。だから我らも栄光なるキリスト御自身を通って、...
〔25〕これまでにキリストは、何とかして弟子たちにこの真理を知らせようとして、譬で教えられたのであるが、ペンテコステ後の彼らは、霊の眼が開かれてどんなことでも聖霊御自身が直接彼らに語り給うのである。〔26〕キリストの名によって祈るとは、キリストにより、父なる神に祈って頂くというような間接的なことではなくて、キリストと自分と一体となって、しかも直接にキリストと共に父なる神に求めるのである。〔27〕これは前...
〔19~20〕キリストは彼らが尋ねる前に尋ねようとすることを語り給う。「誠に真に」とはイエスが力をこめて事実を語られる時に用いられた言葉である。キリストが十字架につけられるために、一時はあたかもサタンの勝利のように見えるから、世はそれを喜ぶであろう。「然れど」ハレルヤ。その弟子たちの憂いは喜びに変るとは神の断言である。まことに幸いである。〔21〕人の不安と喜びとが接近したことを示す。見よ、子を産もうとす...
〔16〕七節でキリストが行くことは弟子たちにとって幸福なことであると言われたが、その間しばらくは彼らも艱難を感ずることであろう。「しばらくして……」キリストは十字架について見えなくなるが、またしばらくして甦えりのキリストを見ることが出来るのである。〔17~18〕肉につける弟子たちには、この意味を理解することが出来なかった。キリストの十字架、甦えりなどは彼らの夢にも思わなかったことであるから、彼らは理解出来...
〔8~9〕聖霊が降り給う時には、奇しきみ業をなされるのである。その時に、この三つのことを悟らせられるのである。悟らせるとは英語コンビクトで非常に意味の強い言葉である。「罪についてと言うのは……」最も恐るべき罪は、キリストを信じない罪である。キリストが来られたのも、神の子であること、また信ずべきメシヤであることを知らせられたのであるが、なおこれを信じないのは罪である。ペンテコステの日に「人々の心刺さるる...
〔5~6〕今やキリストは三十三年の地上の御生涯を終えて、めでたく父の許に帰られるのである。主のお喜びはどんなに大きかったろう。そういうことを夢にも思わなかった弟子たちは、主の行き先きを問いもせずに、肉につける彼らは天国の幸福に着眼もせず、ただ悲しみにふけったのである。彼らの悲しんだのは、三年半にわたり親しく教えを受けた主と、別れねばならないからであった。自分の心に肉の願いを中心とする者は、常にこのよ...
第一六章一~四 迫害に対する覚悟五~七 キリストの去る利益八~一五 聖霊の働き 八~一一 世に対する聖霊の働き 八~一五 弟子たちに対する聖霊の働き〔1〕転ばぬ先の杖という諺のように、キリストはこれらのことを弟子たちに語られたのである。このつまずきとは、原語ではわなにかかるとの意であって、キリストは何とかして弟子たちをこのわなから逃れさせようと努められたのである。多くの人々はこのわなにかかるのであ...