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  • 御座に着いたキリスト (5)

    彼は苦しみましたが、罪を犯されませんでした!こうして、彼は私たちの大祭司になられました。私たちが試みの中にあるときに私たちを助けるのにふさわしく、私たちのために御座に座すのにふさわしい大祭司になられたのです。「彼は苦しんだことによって従順を学」ばれました。彼は戦いの中で勝利されました。彼は勝利を勝ち取り、ゲッセマネでのあの恐るべき時から、破られることのない平穏さの中で、私たちのためにまっすぐカル...

  • 御座に着いたキリスト (4)

    七節では、キリストの苦難が再び記されています。彼は「激しい叫びと涙をもって、祈りと嘆願をささげ」られました。泣かずに感情を示さないことを勝利だと思っている人々もいます。主イエスと何と対照的でしょう。彼は「肉体にあった日、激しい叫びと涙をささげられ」たのです!この「肉体にあった日」は、彼にとって大いに現実的なものでした。彼は神のかたちの中におられましたが、「神と等しくあるのを尊いこととは見なさず、...

  • 御座に着いたキリスト (3)

    また、へブル四・一四~一五にはこうあります、「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情することのできない方ではなく、罪がないことは別にして、すべての面で私たちと同じように試みられたのです」。ギリシャ語の「弱さ」という言葉は、肉体的弱さを物語っており、痛みや苦しみから尻込みすることを意味します。ああ!代価を払って主イエスは私たちのために人となられました。代価を払って彼はシモンを叱責されました。彼は孤独...

  • 御座に着いたキリスト (2)

    「子供たちが肉と血にあずかっているので、同様に彼ご自身も同じものにあずかられたのです」。主イエスの人性を見てください!何のためでしょう?「彼はすべての事で、彼の兄弟たちのようにならなければなりませんでした。それは彼があわれみ深い、忠信な大祭司となるためです」(十七節、改訂訳)。「すべての事!」でです。贖った者たちを栄光に導く者となるには、苦難の道以外になかったのです。彼は模範を示されました。彼は...

  • 御座に着いたキリスト (1)

    勝利者誌 一九一三年 五巻 四月号 掲載。メッセージの覚え書き。「私たちにはそのような大祭司がおられ、彼は天で威光ある方の座の右に着き……」へブル七・一。「あわれみ深い、忠信な大祭司(中略)試みられている者たちを助けることができます……」へブル二・十八。「私たちの弱さに同情してくださる(文字通りには、同情することのできる)大祭司……」へブル四・十五。「無知な誤っている者を思いやることのできる大祭司……」へブル...

  • 霊の命の四段階 (10)

    また、次のことにも気をつけてください。どの段階にある人々も、それ以前の段階にある人々を助け導くことはできますが、だれかを自分の段階より先の段階に押し込むことはできませんし、自分より先の段階にある人々を十分に理解することもできません。先の道には、その段階にある人々にしかわからない状態や、知識の領域や、危険な箇所があります。そして、それより低い段階にある人々は、それを見ることも理解することもできませ...

  • 霊の命の四段階 (9)

    ここで、十字架の道を知っている多くの人々の生活の中に生じかねない危険の原因について指摘しなければなりません。彼らは聖霊の力と十字架の道を学びました。「小羊に従う」べきこと、神のみこころに服すべきことを学びました。彼らはその道で忠実に従い続けました。そして今や、とうとう知らず知らずのうちに行き過ぎてしまっているかもしれません。「服従」は「受動性」――つまり、心や、ことによると能力全体が受動的な状態――...

  • 霊の命の四段階 (8)

    暗闇の勢力と現在のその働きについての光は、特にどこに必要なのでしょう?世界中に、今、キリストにある救いの全き保証をはっきりと明確に宣べ伝えている信者が大勢います。次に、聖霊のバプテスマを真に知っており、「復興」の段階、聖霊を知る「段階」にあって、彼と共に働いている信者の数が増えつつあります。また、他の人々は――数は少ないですが――聖霊を知り、御霊の力の中で、カルバリの小羊に従って、十字架の道を実際に...

  • 霊の命の四段階 (7)

    御霊のバプテスマと十字架の道をすでに知っている人々に対する喫緊の必要は、サタンとの戦いについての光です。しかし、もう一つのさらに大きな必要は、聖霊のバプテスマについての経験的知識です。なぜなら、とても多くの信者はこれを知らず、十字架の二つの面を知らないからです。そのため彼らは、私たちが「戦い」という言葉で言わんとしていることや、霊を見分ける必要性を理解できません。暗闇の勢力に対する勝利を宣言する...

  • 霊の命の四段階 (6)

    しかし、今なすべき緊急の働きは、キリストの教会の中の成長した人々の必要に応じることです。彼らは自分の霊的感覚を「用いて」行使することができ、成人のための「堅い食物」を吸収することができます。また、赤子らのために、彼らが成長できるよう、この同じ食物を「乳」の形で与えることができます。 他の人々を助けるとき、もし信者たちが祈りの戦いの意味を理解していないことに気づいたら、「あなたたちはそもそも、十字...

  • 霊の命の四段階 (5)

    信者がこれらの「段階」を通り抜けて――多かれ少なかれ数年の問題です――暗闇の勢力に対する「権威」の段階に完全に達する時、信者は「使徒的」段階に入り、十分な能力、備え、知識を得ます。そして、義の言葉(へブル五・十三)についての自分自身の経験から、執事として神の御言葉を自在に取り扱って、それを様々な段階にある他の人々に供給できるようになります。成熟・円熟に達する時、あなたは自分自身がその時に経験している...

  • 霊の命の四段階 (4)

    信者が神と共に段階から段階へと進み続けて、戦いと権威の領域に達する時、信者は他の人々を彼らが必要としている祝福に導くことができてしかるべきです。しかし、通常、人がある特定の水準の段階にいて、その全き完成に到達していない場合、その人が現在の光と経験から語ることによって助けることができるのは、その同じ段階にある人々だけです。完成点に到達するときはじめて、その信者は、自分自身が後にした段階にいる他の人...

  • 霊の命の四段階 (3)

    しかし、覚えておいてください、神があなたに理解させるためにあるメッセージを与えるとき、たとえあなたがそれを失ったかのように見えても、彼はあなたを保持してくださるのです。あなたに与えられた彼の御言葉が、あなたを保持します。その御言葉の中には神聖な命とエネルギーがあります。それはあなたを握って、あなたをそれに保つことができます。もちろん、神にはあなたの協力が必要であり、あなたは積極的に信仰によって御...

  • 霊の命の四段階 (2)

    個々の信者は、クリスチャン生活で神と共に前進するとき、まさにこの順序で導かれます。第一に、救いを受けます。第二に、聖霊を受けます。第三に、十字架の道に沿って導かれます。第四に、戦いと勝利の道を歩んで、その結果は、敵のすべての力に対する「権威」もしくは「力」です。個々の働き人も、この奉仕の四段階で用いられることがわかります。第一に、他の人々をキリストに導くために用いられます。第二に、彼らを御霊の豊...

  • 霊の命の四段階 (1)

    勝利者誌 一九一一年 三巻 四月号 掲載。働き人たちとの大会の注記。 信者の霊の命、そして、クリスチャンの働き人の霊の命には――大まかに言って――四つの段階があります。第一の段階を「福音」の段階と呼べるでしょう。つまり、人が新生を経験し、キリストにある永遠の命を経験する段階です。この段階で人は魂を勝ち取る者となり、罪の刑罰からの救いを説き、他の人々をキリストに導くために用いられます。そこでの目的は全く、キ...

  • 「十字架につけられたイエス・キリスト」三.死による一体化の継続性 (6)

    さて最後に、キリストとのこの死の交わりに関して「御座の生活」について一言述べることにします。天の御座の中央には「新たに屠られたような小羊」(黙示録五・六)がおられることを忘れないようにしましょう。あなたは「キリストと共なる死」について、そのゴルゴタの面しか考えていないかもしれませんが、この死の力は天の御座の中心で絶えず生き生きと働いているのです。それは人の死であるだけでなく、「キリストにある神」...

  • 「十字架につけられたイエス・キリスト」三.死による一体化の継続性 (5)

    きわめて深刻な重要性を持つ二つの結果が、神の教会に、そして、信者本人に生じます。第一の結果は十二節に見いだされます。「こうして、死は私たちの中に働き、命はあなたたちの中に働きます」。なんと底知れぬ深みを、ここで私たちは垣間見ることでしょう。「死」は私たちの中に、「命はあなたたちの中に」働くのです。これこそキリストご自身の死のまさに核心ではないでしょうか?「死」は彼に、命は私たちに与えられました。...

  • 「十字架につけられたイエス・キリスト」三.死による一体化の継続性 (4)

    さて、この「体にイエスの致死力を帯びる」ことが実現される方法と、信者自身におけるその他の結果について見ることにしましょう。私たちが引用したこの節は、使徒がこれを書いた当時の彼の状況・環境を垣間見せてくれる数節の頂点です。それによると、キリストとの死による一体化による合一を知っている信者は、自分に対するあらゆる外部の出来事を主との死による合一の光の中で読み解かなければなりません。「悩まされ」「困惑...

  • 「十字架につけられたイエス・キリスト」三.死による一体化の継続性 (3)

    私たちの死による一体化のこの面とよく似ている神の法則、自然法則があります。肉体の中で死の過程と命の過程が継続的に進行中であること、健康を正常に保つには一方が他方を上回ってはならないことを、私たちは知っています。そこで、この同じ法則を認識して、メイビーは十字架の原則の「複合的な死・復活のエネルギー」と称しています。霊・魂・体に対して「新創造」が意味するところをすべて把握しようとしすぎるあまり、必要...

  • 「十字架につけられたイエス・キリスト」三.死による一体化の継続性 (2)

    キリストとの継続的な死による一体化をおいて他に、「復活の命」が実際に分与されることはありません。ここでもまた、メイビーの言葉は啓発的です、「死と復活を分けることはできない。それらは一つの事実の両面なのである」。「キリストの死は復活を帯びている」。ローマ六章の面を理解して、その言葉がアオリスト時制であって、キリストと共なる私たちの死は成就された事実であることを見、さらに続けて、私たちの「地上の肢体...

  • 「十字架につけられたイエス・キリスト」三.死による一体化の継続性 (1)

    彼の死における信者のキリストとの死による一体化の三番目の面を、いま熟考しなければなりません。この面には、今日、私たちの復活・昇天した主にとって、また、彼のからだである教会にとって、きわめて深い重要性があります。 この面を示す節を、私たちの大部分はよく知っています。それでも、それに向かうたびに、自分は十字架に関してその底知れない深さの縁に触れたにすぎない、と思わされます。二コリント四・十~十二のコ...

  • 「十字架につけられたイエス・キリスト」二.死による一体化の適用 (4)

    さて、キリストの死の実際的適用とそれがなされる方法について。再び、ローマ七・四と併せてローマ八・十三に向かうことにしましょう。というのは、この二つの節では同じギリシャ語が使われているからです。すでにはっきりと見ましたが、この一体化の事実が私たちの存在の中心で経験される時、「体」とその「肢体」の対処が常にそれに続きます。 ローマ八・十三は私たちに、「体の行い」を「死に渡し」なさい、しかしそれは「御...

  • 「十字架につけられたイエス・キリスト」二.死による一体化の適用 (3)

    ローマ七章の五節以降はすべて、自分自身の中にある信者の実際の状態に関する霊感された絵図です。信者が御霊にあって歩くのをやめるとき直ちに、常に自分自身の中に陥ります。「ローマ七章が六章と八章の間にあるのは、両者の間のある種の行路としてであり、信者がローマ八章に入る時、ローマ七章は過去の歴史になるのである」と考える人々もいます。しかし、アンドリュー・マーレー博士は、ローマ七章とローマ八章は併存する、...

  • 「十字架につけられたイエス・キリスト」二.死による一体化の適用 (2)

    しかしまず、パウロが「肉」について述べていることについて。この言葉で彼が言わんとしているのは、アダムのすべての命のことです。私たちはその中に生まれました(ヨハネ三・六、エペソ二・二、コロサイ二・十三)。「肉」が神に対して何なのか、ローマ八・七~八からわかります。それは本質的に「神に対する敵意」であり、「神を喜ばせることができません」。「肉」が人に対して何なのか、ガラテヤ五・十九にその要約が見つか...

  • 「十字架につけられたイエス・キリスト」二.死による一体化の適用 (1)

    さて、キリストの死の二番目の面、すなわち、主観的な面に向かうことにしましょう。この面は、贖われた信者の性質の中にある「肉」すなわちアダムの命にキリストの死を実際に適用することについてです。ローマ七・四を読んでください。「あなたたちもキリストの体によって(中略)死んだのです。というのは、私たちが肉の中にあった時、罪の情動が(中略)私たちの肢体の中に働いていたからです……」。 この節の「死んだ」という...

  • 「十字架につけられたイエス・キリスト」一.死による一体化のメッセージ (6)

    一体化による合一の現実 キリストの死における彼との一体化による合一を理解できるのは、聖霊の啓示と協働の御業によってのみであることを、私たちははっきりと見ました。さて、聖霊がどのように協働の力をもって働かれるのかを見ることにしましょう。ローマ六・五は、これを二、三の短い言葉で述べています。「もし私たちが彼の死の様の中に共に植えられてきたなら」(欽定訳)。これは、数瞬で水の下に沈んで出て来る「様」以上...

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