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  • 十字架の福音 (6)

    3.神に対して生きる「同じように、私たちの主イエス・キリストを通して、あなたたちも、自分は罪に対して死んでいるが、神に対しては生きていると見なしなさい。」ローマ六・十一。 このように「見なす」ことができるのは再生された人だけです。罪の中で死んでいる人は、自分は罪に対して死んでいると見なすことができません。まず、主イエス・キリストを通して死から命へと移らなければなりません。「私はそうしようとしてきま...

  • 十字架の福音 (5)

    六章十一節は、「私たちの主イエス・キリストを通して、あなたたちも、自分は罪に対して死んでいるが、神に対しては生きていると見なしなさい」と私たちに命じます。私たちはこれが意味するところと、パウロが二コリント五・十四節で述べている、「ひとりの方がすべての人のために死なれたからには、すべての人が死んだのです」という言葉が意味するところを、完全に受け入れているでしょうか?ここには身代わりがあるだけでなく...

  • 十字架の福音 (4)

    2.「彼と共に十字架につけられた」 「私たちは次のことを知っています。私たちの古い人が彼と共に十字架につけられたのは、罪の体が滅ぼされて、私たちがもはや罪に仕えることがないためです。」ヨハネ三・七。ローマ人への手紙で、パウロは一度も会ったことのない人々に向かって話しています。私たちは神の配剤に感謝しなければなりません。この神の配剤により、彼らに福音を伝えたことのない使徒は、彼らに書き送って、その記...

  • 十字架の福音 (3)

    最高のものを目指しましょう。それより劣っているものを目指す働きはたくさんあります。この世を教育、啓蒙、道徳化できたとしても、依然として悪魔の手の中にあります。キリストは新しい命をもたらすことを目指されました。あなたはそれを得たでしょうか?あなたは新しく生まれたでしょうか?古い性質は罪に定められたでしょうか?さて、十字架について話すことにします。「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられな...

  • 十字架の福音 (2)

    いわゆるキリスト教の奉仕の多くは、キリストの働きの道筋に沿って進んでいません。主イエスの御旨は、今日のキリスト教の教会が目的としているところと一致していません。彼は来て、内なる徹底的変化を強調されました。私たちは症状を取り扱っていますが、彼は病を取り扱われます!私たちは枝を取り扱っていますが、彼は根を取り扱われます!私たちは習慣を取り扱っていますが、彼は性質を取り扱われます!私たちは外側を取り扱...

  • 十字架の福音 (1)

    勝利者誌 一九一〇年 二巻 八月号 掲載。メッセージの短い注記。講演者による校正はされていません。1.新生「あなたたちは新しく生まれなければなりません。」ヨハネ三・七。 「これは初歩的な真理であって、私たちはそこから先に進んでいるのである」とだれも思わないでください。私たちは基礎に立ち返る必要があります。基礎に立ち返ることによって、他の真理がいっそう明らかになるのです。 宮の外庭で、人々は供え物の小羊...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第四章 教会と生き物(6) 完

    私たちはこの課題と訴えかけに応えなければなりません。私たちは生きているでしょうか?この命の中を進んでいるでしょうか?この命は私たちの中で自由で完全な道を得ているでしょうか?私たちはそれを妨げ、阻み、邪魔しているのでしょうか?それとも、この命にその完全で自由な道を得させて、その法則に従っているでしょうか?もしそうなら、それは私たちを王座に導きます。そして、この約束は私たちに実現され、私たちは二十四...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第四章 教会と生き物(5)

    冠と報い キリストにある人の心に、まさにこの書が示す「あなたの冠をだれにも取られてはなりません」という御言葉は訴えかけます。それは、全き御旨に至るまで進み続けなさい、という訴えかけです。神と共に治めることが神の御思いですが、それには常に前提があります。「もし苦しむなら、彼と共に統治するようになります」。「勝利を得る者を、私と共に私の王座に座らせよう」。もしだれもが自動的に勝利者になるのなら、このよ...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第四章 教会と生き物(4)

    福音の偉大さ もう言うことはありません。御旨は私たちの前に示されています。神の霊は、神の偉大な御思いに沿って行動しなければなりません。しかし、確かにこれは途方もなく心に訴えかけます。まず第一に、これは、主イエスの御業、その十字架が意味するところ、その血が流された意味を強調します。神の御旨に地獄はこぞって立ち向かいます。神の御旨は、災難や失敗に巻き込まれているように思われますし、罪深い時代全体にわた...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第四章 教会と生き物(3)

    死は廃棄された この黙示録は預言的な書です。四章がどのように始まっているのかに注目してください。「ここに上って来なさい。これらの事の後に必ず起こる事を、あなたに見せよう」。それは結末を、究極的完成を仰ぎ見ています。時ではない時――もはや時はないからです――を視野に入れています。そのとき、死はすべて廃棄されます。これは、たんに肉体が死んでこの世から去ることではありません。死は最後の敵であり、人に対する神...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第四章 教会と生き物(2)

    御座 歴代誌に戻ると、この祭司たちは契約の箱を神託所・至聖所に運び込んで、それをケルビムの下の神の臨在の中に置きました。そこはまさに天上を表していました。というのは、至聖所は天上の型だからです。ご存じのように、その幕(それはキリストの肉体でした)が裂かれたことで、神の臨在の中に入る道が開かれ、天的合一と神との交わりの中に入る道が開かれました。ケルビムは、証しの箱を運び込む祭司たちのこの動きと関係し...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第四章 教会と生き物(1)

    聖書朗読:黙示録四、五章。 今、ケルビムに関する真理の究極的完成である最後の描写に移ることにします。この黙示録でケルビムは、「生き物」という名の下で、二十四人の長老と関連して登場します。彼らは大いに密接に関係しているため、共に動きます。その活動は一つであり、その発言は一つであり、その立場は一つです。これを念頭に置いて、ひとまず置いておくことにします。 偉大な叫び、偉大な宣言が、長老たちと生き物に関...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第三章 車輪――神の熟慮と御旨(8)

    主は私たちの内に、「自分はあるものの中にある」という積極的な目的意識を新たに与えてくださいます。そのあるものとは、あらゆる抵抗をくぐり抜けて道を切り開き、邪魔するなら帝国さえも打ち倒すものです。彼を妨げようとするものはみな火に包まれます。彼は前進し続けておられます。神の御旨が挫折することはありえません。決定したことを、彼は実行されます。車輪は進み続けます、まっすぐに進み続けます。御霊が車輪の中に...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第三章 車輪――神の熟慮と御旨(7)

    私たちは、「ご自身のみこころの熟慮にしたがってすべての事柄を行う方の熟慮にしたがって」、私たちの務め、私たちの霊的使命に構成されます。私たちは、「御旨にしたがって召されて」います。私たちは、この世界が存在する前に神が決定し、この宇宙に投影された事柄に関して、神との交わりの中に導き入れられました。神の御旨は、アダムがこの交わりの中に入って、ご自身の同労者となることでした。アダムは失敗しましたが、神...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第三章 車輪――神の熟慮と御旨(6)

    天的使命 次に、天的使命に進むことにします。そこには大空、天の領域があります。そこでキリストとその民は使命を果たしつつあります。「今や、天上にいる主権者たちや権力者たちに……」とパウロは述べています。私たちの務めは、まったくこの地上のことだけに縛られているわけではありません。霊的な試練や苦しみの時に、これは私たちの心に慰めや慰安を少しも与えないかもしれませんが、それにもかかわらず、次の事実は残ります...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第三章 車輪――神の熟慮と御旨(5)

    ケルビム 次にケルビムに移ることにします。ケルビムは、それらすべてに関する団体的・複合的な手段です。すでにケルビムについては説明したので、繰り返すことはしません。ケルビムには四つの面があります。獅子、雄牛、鷹、人です。各々、主権、奉仕と犠牲、天的奥義、神の表現を表しています。これは受肉したキリストです。しかし、これは教会、彼のからだでもあります。教会は彼との交わりの中にもたらされて、彼の贖いの益に...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第三章 車輪――神の熟慮と御旨(4)

    火の意義 次に第三の点は、逆に辿っていくと、火です。エゼキエルの務めの場合――彼の務めはここでこのビジョンによって構成されました――もちろん、火は不忠実な民に下される神の裁きの火でした。エルサレムは滅ぼされ、その土地は荒れ果て、人々は捕囚になり、神の栄光はエルサレムから去りました。神の裁きが不忠実な民に下されつつありました。火はここでは神の取り扱いを物語っています。神は、みこころに関するご自身の永遠の...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第三章 車輪――神の熟慮と御旨(3)

    車輪の意義 エゼキエルのビジョンを逆に辿って行くと、車輪に出くわします。これらの車輪は何を表しているのでしょう?車輪は統治の型であることに、疑いの余地はほとんどないと思います。代々の時代にわたる神のみこころによる統治における、神の御旨です。これらの車輪は進行中であり、地の四方すべてに向けられています。普遍性がその大きな特徴です。どの方向にも進めますが、常に前進し続けます。 再びエペソ人への手紙が、...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第三章 車輪――神の熟慮と御旨(2)

    さて、この真理が大いに発展したエゼキエルの事例に移ることにします。私たちの目の前にあるのは、神との交わりであり、神への奉仕であることがわかります。エゼキエルの預言書の第一章には、預言者の務めの基礎・土台となったものがあります。それは、言わば、彼を預言の務めに入らせるきっかけになったものです。エゼキエルは、あるビジョンによって、彼の預言の務めに導かれました。このビジョンにはいくつかの要素・特徴があ...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第三章 車輪――神の熟慮と御旨(1)

    聖書朗読:エゼキエル一章 聖所と至聖所の間にかかっていた幕屋の幕には、ケルビムの姿が刺繍されていました。ご存じのように、この幕は受肉、肉身を取られたキリストの型です。使徒はヘブル人への手紙で大いに明確にはっきりとそう述べており、この幕は彼の肉体であると述べています。彼が地上におられた間――つまり、十字架で裂かれるまで――神に通じる道はなく、神から排除されていました。十字架でその肉体の幕が裂かれた時、神...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第二章 ケルビムの意義(11)

    これは信仰の生活です。これらの霊的事柄を新聞で報道することはできません。真の霊的成長と、奉仕における真の霊的成果は、常に書き記して他人に見せることができるとはかぎりません。それは目に見えないものであり、天的なものです。過去十年の私の霊的成長を、見てもらうためにあなたの目の前に示すことはできません。霊的成長をある程度認めることはできるかもしれませんが、あなたはその価値の全容を判断することはできませ...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第二章 ケルビムの意義(10)

    自己を打つこと どこかで打たれなければなりません。カインは打たれました。モーセは打たれました。パウロは(あの領域で)打たれました。別の部類では、アナニヤとサッピラは、自分自身の考え、自分の知性の働きを、神の聖なる事柄の中に持ち込んで、打たれました。そこには守護者――ケルビム――がいます。「彼が死ぬことのないように」。私たちの命は、その根源において罪深く、呪われています。それを神の事柄の中に持ち込むなら...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第二章 ケルビムの意義(9)

    もしかすると、この問題に関してあなたにも経験があるかもしれません。私自身の人生において、恥と後悔と心の悲しみの原因となった顕著な事柄、苦悩や苦しみ(実りある苦しみではありません)という結果にしかならなかった事柄を見てみると、それらは、なにかをしよう、どこかへ行こうと心に決めて、それを実現しようとした時に生じたものでした。私はそれを実現するために、決意し、それに手を付けました。それは神が望んでおら...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第二章 ケルビムの意義(8)

    モーセを見てください。なんという忠実さ!なんという献身!なんという犠牲!多年にわたるなんという苦難!それから彼自身の力、彼自身の情熱から発したたった一つの行為……時として、それは知性――考察、理屈、計画、計略、企画――から発する場合もあります。人の知的側面からのものであり、人の天然の命によって活気づけられています。時として、それは心、情熱、感情から発します。モーセが言ったのは、結局のところ、「今、聞け...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第二章 ケルビムの意義(7)

    少しのあいだ、警告のために別の面に向かうことにします。私たちはこの命のことをエネルギーと呼びました。人々の生活や奉仕に活力を与えるものです。すべては、長い目で見ると、何が私たちの生活や奉仕に活力を与えているのかにかかっています。私たちは自分自身の天然の命を引き出して、霊的な事柄や神の事柄に向かい、生活や働きをしているのでしょうか。あるいは、彼ご自身の神聖な命を引き出しているのでしょうか。これは大...

  • 「生活と奉仕との関連におけるケルビム」 第二章 ケルビムの意義(6)

    さて、一つか二つの点に注意することにしましょう。ケルビムがキリストの表現、もしくは、受肉したキリストの霊的諸原則の化身であり、命の問題がケルビムと不可分に結びついるとすると、これは新約聖書で何回も明確に述べられている偉大な事実を示しています。すなわち、この命はキリストから切り離せないという事実です。この命はキリストの中にあり、キリストの中でのみ、しかも贖いという根拠に基づいてのみ、持つことができ...

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