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  • 「知識は人を思い上がらせる」 (3)

    (2)「グノーシス」は他の人々を傷つけかねない 一コリント八章で、偶像に供えられた物について、パウロはこう述べています、「私たちは、唯一の神のほか、別の神はないことを知っています(中略)私たちにはひとりの神、父がおられるだけです(中略)しかし、すべての人にこの知識があるわけではありません」。このコリント人たちの間には、あまり知識に進んでいない人々もいました。彼らは「偶像にやましさを感じつつ」、偶像...

  • 「知識は人を思い上がらせる」 (2)

    (1)「知識は人を思い上がらせる」 パウロが言うには、「グノーシス」もしくは客観的知識は、「人を思い上がらせ」ます。なんとこれは真実でしょう。霊的事柄を客観的に知れば知るほど、ますます人は思い上がります。万人の教師になること、彼らを正すこと、自分が知っているところによって彼らを測ることを欲します。これは大間違いです!この「思い上がらせる」という句でパウロは何を言わんとしているのでしょう?パウロは賢...

  • 「知識は人を思い上がらせる」 (1)

    勝利者誌 一九二八年 九巻 十月号 掲載。一九二六年二月四日にペン-ルイス夫人によってエクルストン・ホールで与えられたメッセージです。「偶像に備えられた物については、私たちは知っています、なぜなら、私たちはみな知識を持っているからです。(中略)知識は人を思い上がらせますが、愛は建造します。もし誰でも何かを知っていると思うなら、その人は知るべきほどのことをも知っていません……」一コリント八・一~二(ダービ...

  • 「あなたたちの理にかなった奉仕」 (5)

    聖霊があなたの霊の中に住んでおられ、神の霊の人の側における現われがヌースにおいてである以上、聖霊はあなたの思いを十分に用いなければなりません。決してあなたの霊の衝動のみに基づいて行動してはなりません。自分の霊の中に衝動を感じたら、ひざまずいて、神に、「これを私の思いに、私の知性に伝達してください。それについて私自身の思いの中で十分に確信できるようにしてください」と求めなさい。霊は「感じ」、思いは...

  • 「あなたたちの理にかなった奉仕」 (4)

    「キリストの思い」を持つとはどういうことでしょう?聖霊があなたの中にキリストの知的・霊的器官、罪によって損なわれていない器官、彼の思いの器官を生じさせられることです。「キリスト・イエスの中にあったこの思いを、あなたたちの内側でも思いとしなさい」(ピリピ二・五)。この思いは機械的な方法で私たちに伝達されるのではなく、聖霊による刷新によって私たちに与えられます。つまり、聖霊はあなたの思いを新しくして...

  • 「あなたたちの理にかなった奉仕」 (3)

    肉は「内なる人」のヌースに逆らいます。「私は、内なる人によれば神の律法を喜びますが、自分の肢体の中には別の法則があって、私の思いの法則に逆らって戦っており、私の肢体の中にある罪の法則のとりこにしているのを見ます」(ローマ七・ニニ~二三)。私たちが贖われた体を得るまで、この罪の法則が私たちの肢体の中に常に存在しています。たとえ聖霊が霊を満たしていて、思いが新しくされていても、罪の法則があなたの肢体...

  • 「あなたたちの理にかなった奉仕」 (2)

    これは導きに関するあなたの諸々の問題に終止符を打ちます。どうすれば神のみこころを知ることができるのでしょう?「私は自分の霊の中に導きを受けましたが、行動するのが怖かったのです」とあなたは言います。聖霊なる神があなたの霊の中におられて、あることをあなたに啓示したい時、彼はそれをあなたの思いを通して示して、それを知的に理解して知的に行えるものとされます。霊の導きは自分たちを動かして、自分たちの協力と...

  • 「あなたたちの理にかなった奉仕」 (1)

    勝利者誌 一九二八年 九巻 一月号 掲載。注記――以下は、ペン-ルイス夫人がエクルストン・ホールで一九二七年一月七日に与えた最後のメッセージの報告です(講演者による校正はなされていません)。その場に居合わせて、このメッセージから大いに実際的な助けを受けた人々からの、出版を望む多くの熱心な要求に応えて、ここに掲載します。「兄弟たちよ、私は神の慈しみによって、あなたたちに勧めます。あなたたちの体を生きた供え...

  • 十字架の実である信仰 (7)

    6.神が完成してくださる信仰。私たちはそれを「神の信仰」と名付けてきましたが、実際には、神がそれを完成してくださらないかぎり、それは神の信仰ではありません。からし種の粒は死んで、その後、現れて具現化されなければなりません。完成されるには、まず実体がなければなりません。もしあなたが体から分離された霊にすぎなかったなら、あなたは人として完全ではなかったでしょう。ですから、完全な人であるには、あなたは...

  • 十字架の実である信仰 (6)

    5.神を受け取る信仰。からし種は死にます。そして死ぬ時、別の過程が始まります。あの内なる胚芽が自然界の諸々の力や活力から飲み始めて、素晴らしい復活の変化を経過するのです。自然界から飲む時、それは高く伸びて、地面から一フィート、二フィート、三、四、五フィートの高さになります。東洋の国々では、からし種の木は二十フィートの高さにまで成長します。それは自然界からその栄養をすべて得ます。その健康と力を得ま...

  • 十字架の実である信仰 (5)

    おそらく、あなたたちの中の何人かは神秘主義者タウラーの説教や、彼の生涯について読んだことがあるでしょう。この称号は非難の言葉として述べられることが時々ありますが、真のクリスチャンはみな神秘主義者です。とはいうものの、神秘主義者がみなクリスチャンとはかぎりません。あなたたちは神の霊の神秘的な内なる働きを信じています。これを信じているなら、あなたは神秘主義者です――この意味で私たちは神秘主義者です。私...

  • 十字架の実である信仰 (4)

    4.神に死に渡される信仰。からし種の粒の秘訣は、地に落ちて死ぬか、あるいは、一粒のままなのか、ということです。あなたは、地面の中にしばらく放置されていた穀粒を掘り返したことはあるでしょうか?第一に、それは湿気によって膨張し、さらに長く放置しておくなら、その外側の殻にひびが生じて、死に始めます。その一部は腐敗した状態にあります。この過程が進行しているあいだ、その小さな生命の胚芽の中でも素晴らしい変...

  • 十字架の実である信仰 (3)

    3.神に服する信仰。からし種の粒の中には、いかなる種類の信仰があるのでしょう?母なる大地の力に喜んで服し、喜んで土の中に隠されて遂には死ぬ信仰です。そうです、喜んで隠されて遂には死ぬのです!しばらくのあいだ埋まったままですが、その後芽生えて成長し、高さ十、十五、二十フィートの木になります。このからし種の中に、この過程に服することのできるなにか、死んでなおもよみがえることのできるなにかがなかったな...

  • 十字架の実である信仰 (2)

    マルコの節の文字通りのギリシャ語は、「神の信仰を持ちなさい」です。あなた自身の信仰ではなく、神の信仰です。私たちの多くはこれを何年ものあいだ知っていましたが、神の信仰がいったい何なのか理解していませんでした。ルカのこの節は、神の信仰についての注解です。神の信仰は一粒のからし種のようである、とそれは述べています。それは、「一粒のからし種のような信仰を持ちなさい」と述べているのですから、それを、「一...

  • 十字架の実である信仰 (1)

    勝利者誌 一九一〇年 二巻 六月号 掲載。「神を信じなさい」(ギリシャ語、「神の信仰を持ちなさい」)マルコ十一・二二。「……からし種一粒ほどの信仰」ルカ十七・六。 私たちはこの二つの御言葉を両方とも知っていましたが、最近初めて私はそれらを全体として知りました。聖書は自らの最高の注解書です。私たちの目が開かれるとき、その中に、御言葉と御言葉を比較することにより、必要な助けがすべて見いだされます。「神を信じ...

  • キリストの裁きの御座 (7)

    個人的勝利 この主題についてもっと多くのことを述べることもできます。たとえば、千年間の統治、支配する聖徒たちの昇進、王国の設立と王国を統治するための法律の制定についてです。しかし、それらのことはみな、さしあたって私たちの目的の範疇外です。私たちの目的は、主の再来を待ち望んでいる人はみな、今の自分の機会を勤勉に活用して、自分の生活のあらゆる点で個人的勝利を心掛けるべきことを示すことです。 主の来臨を...

  • キリストの裁きの御座 (6)

    千年期の地位 また、裁きの御座で千年王国における地位も割り当てられます。以下のような地位について述べられています――1.王の右と左の地位(マタイ二〇・二〇~二七)。 これらは備えられた人々のためのものである、と主は言われました。その条件は明らかに、キリストの杯を飲むことと、彼のバプテスマでバプテスマされることです(二三節)。2.町に対する支配権(ルカ十六・十六~十九)。 この支配権は明らかに、地上の...

  • キリストの裁きの御座 (5)

    裁きの御座における褒賞 では、「褒賞」がいかなるものなのか、そして、それらが与えられる条件について、見ることにしましょう。1.火に耐える「働き」(一コリント三・十二~十五)。 褒賞がいかなるものなのか、ここには明示されていません。なぜなら、それは火に耐えた「働き」のかさと重さに見合うものでなければならないことは明らかだからです。2.忠実に活用された「タラント」もしくは能力(マタイ二五・十四~二三)...

  • キリストの裁きの御座 (4)

    4.私たちが接触する「魂」(ヘブル十三・十七) これについてはとても短く暗示されているだけですが、はっきりしています。「彼らはあなたたちの魂を見守っています」とパウロは述べています。「彼らは申し開きをしなければならないからです」。これは、この「一家」の僕たちの魂のことであり、商人たちが取り扱った魂のことであり、信者が接触するすべての人の魂のことです。信者は「魂を見守」らなければなりません。注意して...

  • キリストの裁きの御座 (3)

    3.「執事職」もしくは信任(マタイ二四・四四~五一) ここでは、信任された信者が示されています。しかるべき時に信者は、この立場に伴う義務をどのように果たしたのかについて申し開きをしなければなりません。この「僕」は自分の主人の一家の上に立てられました。それは「定められた時に人々に食物を与えるため」でした。霊的に、これは、神の教会を養う任務を受けた人々にあてはまる、と一般的に言われています。しかし、こ...

  • キリストの裁きの御座 (2)

    信者の生活――これについて信者は裁きの御座で申し開きをすることになります――のいくつかの面を短く見ることにしましょう。1.一般的な広い意味における「働き」(一コリント三・十二~十五)。 ここで、あらゆる種類の「働き」が火によって試される、と述べられています。もしそれが火に耐えるなら、信者は報いを受けます。もしそれが「木、草、刈り株」であることが判明するなら、それは燃え尽きます。信者は損失――自分のすべ...

  • キリストの裁きの御座 (1)

    勝利者誌 一九二七年 八巻 一月号 掲載「なぜなら、私たちはみな、キリストの裁きの御座の前に現れなければならないからです。それは善であれ悪であれ、めいめいが体で行った事柄を受けるためです……。」(二コリント五・十) この節の文脈からわかるように、使徒がここで述べているのは信者についてだけであり、報いの観点から信者の「働き」が検査されることについて述べています。スコフィールドは彼の注釈の中で、聖書は七つの...

  • あなたの祈りのために祈れ (5)

    数年前の集会のことです。一人の年配のウェールズ人が立ち上がって祈りました。彼は英語で祈ろうとしました――ちらほら言葉を発しましたが、その圧迫はとても大きく、あふれる思いのはけ口はありませんでした。涙がどっとあふれて、自分の母国語で、「ああ、私の父よ!」と叫んで座りました。他方、大勢の聴衆は感動して涙しました。聖霊からの衝撃的流出により、祈りは御父によってかなえられました。そして、人々の心は柔らかく...

  • あなたの祈りのために祈れ (4)

    祈るのが難しいのは、私たちの思いと頭脳を従わせるのが難しいからです。祈ることができるのは、私たちが世人の必要を見て、キリストが持っておられた世人に対する愛の霊を持っている時だけです。私たちは王なる祭司です。とりなし手になることができるのは、私たちがその必要を見る時だけです――そして、その必要を見ることができるのは、私たちが神と接触している時だけです。 警戒していることが祈りと同じように重要です。祈...

  • あなたの祈りのために祈れ (3)

    私たちは何を求めるべきかわかりません。祈る方法を知らないからです。祈るために祈りに一時間費やしなさい。祈りは祈りへと導きます。聖霊は私たちの弱さを助けてくださいます。自分の部屋の扉を閉めて、神の御前でひれ伏す気はあるでしょうか?聖霊のさいわいなそよ風は、どこにあるでしょう?私たちの魂は乾いており、かたくなで、無感覚であり、祈るのは不可能だと私たちは感じます。 祈るのが難しいのは、祈りは戦いだから...

  • あなたの祈りのために祈れ (2)

    なぜ祈りはこれほど難しいのでしょうか?この世の雰囲気は神の願いを抑え込んで、祈りの霊とは反対だからです。有害な大気の中で生き、動くなら、私たちの霊の命は毒されます。弟子たちは主のもとに来て、祈ることを教えてください、と彼に求めました。イエスは、「中に入って(中略)扉を閉じなさい」と言われました。神と共に歩むことを願っている人でも、神と親しく交わらないかぎり、自分の役目を果たすことはできません。偶...

  • あなたの祈りのために祈れ (1)

    勝利者誌 一九一四年 六巻 三月号 掲載 祈りは新創造の呼吸です。祈りを窒息させることは、霊の呼吸をことごとく窒息させることであり、窒息させられると、まもなく、行動は損なわれて停止してしまいます。クリスチャンが怠慢になるときは必ず、それは真っ先に、祈りの力の喪失となって表れます。密室の祈りで強いなら、私たちは公衆の面前でも強いです。祈りで強いなら、私たちは人生の道でも強いです。 祈りは神との私たちの合...

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