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  • 「このしるしにより打ち勝て」 (3)

    キリストのパースンにおいてこの旧創造は十字架に釘付けられたことを見ること、旧創造を十字架につけたこの行為を是認すること以外に、解決法はありません。私たちは、一人一人、くじによって選別されなければなりません。それは、ザブジの子、カルミの子であるアカンが取り去られるまでです。私たちは、めいめい自分で、自分の悪い自己がキリストにあって十字架に釘付けられたことを見なければなりません。そして、喜んでそれを...

  • 「このしるしにより打ち勝て」 (2)

    「彼と共に死んだ」がパウロの手紙の常套句です。それはコロサイ人への手紙中に反復句のように鳴り響いています。「あなたたちはキリストと共に死にました」……「あなたたちは死にました」……「あなたたちは彼と共に葬られました」。これは神の御旨ではそうだっただけでなく、当時、神聖なバプテスマの儀式が示していたように(ローマ六・四、コロサイ二・十二)、個人的取得によるものでもありました。もちろん、この個人的な取得...

  • 「このしるしにより打ち勝て」 (1)

    勝利者誌 一九二八年 九巻 十月号 掲載。 十字架が中心です。屠られた小羊は御座の中央におられます。彼の周囲に、輝かしい、堕落していない、光の軍勢が同心円状に整列しています。外の円は、天と、地と、地の下と、海の、すべての被造物から成っています。ヨハネの油塗られた耳によると、彼らは祝福と、誉れと、栄光と、力を、小羊に帰しました。内側の次の円は、無数の天使から成っています。彼らは大声で、小羊はすべての権力...

  • 十字架は力の中心である (5)

    「毎日起きる時」と故アール・ケアンズは言いました。「神が私を愛して顧みてくださっているという甘い感覚を感じます。神はキリストのゆえに私のすべての罪を赦してくださいました。私は不安を抱くことなく、将来を楽しみにしています(中略)もしこれがすべて私の幻想であると私に確信させることができたとしたら……真っ暗闇だったでしょう」。たしかに、まことに「真っ暗闇」です!感知可能な暗闇です。幽閉と死を意味する北極圏...

  • 十字架は力の中心である (4)

    3.十字架は暗闇に打ち勝つ光のエネルギーである 「神は命です」「神は愛です」「神は光です」。これが、その中で神が人々に啓示される三つの偉大な面・属性です。しかし、十字架は神の至高の自己顕現なので、続いて、十字架によってこの三つの属性を明確に啓示してもらう必要があります。すでに見ましたが、神の命と愛は人の魂を十字架を通して力づけます。今、神の光が同じ目的のために暗闇を征服することによって働くのを見る...

  • 十字架は力の中心である (3)

    2.十字架は敵意を征服する愛のエネルギーである 「神は愛です」は、今日の説教者にとって、ごくありふれた主題です。それでも、この言葉は人によって異なる受け取られ方をします。ある人はその説教者に、「神は愛であることを、どうやってあなたは知ったのですか?」と質問するかもしれません。「彼が愛であることを私が知っているのは、彼が私の魂を生かして新しくしてくださったからです」と言えば十分なのでしょうか。質問者...

  • 十字架は力の中心である (2)

    しかし、主イエス・キリストは何者でしょう?聞いてください!「この方は見えない神のかたちであり、全被造物の中で最初に生まれた方です。なぜなら彼によって万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も、主権も、支配も、権威も、創造されたからです。万物は彼によって、彼のために創造されました。また、彼は万物より先に存在し、彼によって万物は成り立っています。そして彼は、教会であるからだ...

  • 十字架は力の中心である (1)

    勝利者誌 一九一一年 三巻 一月号 掲載。「十字架の言葉は神の力だからです。」――一コリント一・十八。 ここで使われている「力」という言葉は積極的です。科学の概念の中には、潜在的力、余力、不活発な力といったものがあります。ここで述べられている力は活動中の力のことです。それは活動中の神聖な力であり、神聖であるので、このうえなく偉大である必要があります。聖書は、それを描写することに、ほぼ費やされています。そ...

  • 十全なクリスチャン生活 (2)

    しかし、カルバリの後に復活が臨みます。最も深いクリスチャン生活は、キリストの十字架にあずかることを意味するだけではありません。彼と共に私たちはよみがえらされるのです。私たちの贖い主と共に天上に座らされるのです。 この澄み渡った大気の中、天上の生活がクリスチャンにとって自然なものになります。役割や、あまりよく学んでこなかった道に関して、神経を尖らせなくなります。良くなろうとしなくなります。ただ生き...

  • 十全なクリスチャン生活 (1)

    勝利者誌 一九四四年 二五巻 四月号 掲載 イスラエル人は、死の型であるヨルダン川に下って、その湿った墓の中に十二の石を残さなければなりませんでした。それは、十字架につけられた生活を象徴するものであり、そうしてはじめて約束の地に入ることができたのです。なにか容易な道を見つけられて、それを指摘することができたなら、私は大喜びしたでしょう。しかし、そのような道は嘘っぱちです。新約聖書は、十字架に基づかない...

  • 試みられても打ち負かされない (5)

    勝利の五つの法則 最後に、勝利について述べます。「試みられても打ち負かされない」が私たちの主題です。五つの法則を示すことにします。 第一に――私たちは喜んで事実に直面して、罪を罪と呼ばなければなりません。私たちの立派な伝道上の小さな罪といえどもです。偉大な医者なる方のメスが最後の潰瘍に達するのを、私たちが喜んで受け入れない限り、完治はありえません。宗教的恐れは私たちの苦痛を長引かせるだけです。このう...

  • 試みられても打ち負かされない (4)

    (6)私たちは、敬虔ぶるよう試みられます。神は私たちを偽善――形式主義者が唯一頼りとしているもの――から救ってくださいます。酔っ払いを飲酒から救う救い主だけが、私をごまかしや見せ掛けから救える方です。後者の方が前者よりも救い主にとってずっと難しいかもしれないかどうかは、だれにもわかりません!キリストの霊は敬虔さを自然で自発的・容易なものにされますが、もし私がキリストの霊を真に持っていないなら、私は大...

  • 試みられても打ち負かされない (3)

    (3)私たちは、救い主のために働きすぎるあまり、救い主ご自身をおろそかにするよう試みられます。働きは、たとえクリスチャンの働きであっても、偶像になるおそれがあります。もしあなたがあまりにも忙しくて霊的活動に必要不可欠な静かな時をおろそかにしているなら、確かにあなたは忙しすぎます。救い主があなたの生活の中で第一位を得られるようになるには、あなたは多くの余計な荷物を下ろさなければなりません。私の働き...

  • 試みられても打ち負かされない (2)

    しかし、これはクリスチャンの働き人たちのための主題ではない!と言う人もいるかもしれません。私の意見は異なります。おそらく、私たちは酔っ払いや盗人のようには試みられないでしょうが、自分は試されることはない、と言うのは愚かなことでしょう。もしそうだったなら、何と悲惨なことだったでしょう。実のところ、クリスチャンの働き人だけが受ける、ある特定の性質を帯びた試みがあるのです。兵士ならではの試みを兵士が受...

  • 試みられても打ち負かされない (1)

    勝利者誌 一九四二年 二三巻 十月号 掲載 試練という言葉ほど、心に深く響く言葉はありません。私たちは始終試みられています。なんらかの試練を伴わない時はほとんどありません。聖書に記されている、人類史における最初の大きな経験は、神がご自身のかたちに人を造ってエデンの園に人を置かれた時に、人が受けた試練の物語です。人なる方が経験された最初の大きな経験は――この人は神が受肉された方でしたが、真実な完全な意味で...

  • 十字架のつまずき (2)

    遅かれ早かれ、経験から人はこの事実を学びます。十字架か、さもなければ、結果的にあらゆる悪を伴う高ぶりか、のいずれかです。戦争は何でしょう?民族対立は何でしょう?数百万の人が窮乏の中にあるというのに、この気ちがいじみた富の蓄積は何でしょう?あらゆる形を取って現れる闘争は何でしょう?地を嘆き呻かせている社会的不義は何でしょう?いわゆる人の高ぶりというこの呪われた木が必然的に結ぶ実にほかならないのでは...

  • 十字架のつまずき (1)

    勝利者誌 一九四五年 二六巻 七月号 掲載「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます(中略)つまずきの石。」(一コリント一・二三) 十字架につけられた贖い主の周りに群がったユダヤ人たちは、嘲り、罵って、大声で叫びました、「もしイスラエルの王なら、今、十字架から降りて来い。そうすれば信じよう」。「彼と共に十字架につけられた強盗たちも同じように罵った」と記されています。 近年、この大昔の叫び声の反...

  • キリストにある私たちの嗣業 (4)

    「しかし、あわれみに富んでおられる神は、私たちを愛してくださったその大いなる愛のゆえに(中略)私たちをキリストと共に生かし(中略)私たちを共によみがえらせてくださいました」(エペソ二・四~五)。信じる私たちに対する彼の力の卓越した偉大さは、キリストの復活の力に劣りません。なぜなら、信者の内に働く力は、神がキリストを死者の中からよみがえらせた時に彼の中に働かせた力である、と御言葉は私たちに告げてい...

  • キリストにある私たちの嗣業 (3)

    「ひとりの方がすべての人のために死なれたからには、すべての人が死んだのです」(二コリント五・十四)。 これはパウロ神学の特徴であるだけではありません。これは宇宙的な偉業なのです。これが人の高ぶりを対処する神の方法です。これはその全き目的の観点から見た十字架です。キリストの経験にあずかるように神は私たちを召されました。また、人の子なる方を信じる私たちの信仰により、私たちはキリストの経験にあずかるよ...

  • キリストにある私たちの嗣業 (2)

    しかし、キリストとのこの合一は十字架に導きます。イエスの人性は十字架につけられた人性です。彼にあって、人生の行程は大逆転します。私たちはもともと高ぶっています。どれほど恥じるべきでも、どれほど屈辱的な環境でも、私たちは依然として高ぶっているのです。高ぶりが私たちの血の中を流れています。高ぶりが私たちのすべての心拍の中にあります。私たちは自分の想像上の謙遜さを誇っています。自己が王となっています。...

  • キリストにある私たちの嗣業 (1)

    勝利者誌 一九四七年 二八巻 十月号 掲載 パウロは一コリント一・九で、私たちは御子、すなわち、私たちの主イエス・キリストの交わりに召されたのである、と私たちに告げています。ギリシャ語では交わりという言葉は「コイノニア(koinonia)」であり、一方から他方に流れる共通の経験を意味します。この思想は、御子の経験が私たちの経験にならなければならない、ということです。私たちはキリストの中に根差して、彼の経験にあ...

  • 「知識は人を思い上がらせる」 (8)

    (4)「グノーシス」の賜物の効力は、キリストに対する輝き渡る愛です。「イエス・キリストの御顔にある神の栄光の知識の輝き」(二コリント四・六)です。あの客観的知識はみな、それが内的知識になるなら、良いものです。次に、それは愛に根差していて、その中心はひとりの御方です。「彼」――「それは私が彼を知るためです」。次に、それは他人を打ちひしいだり、罪に定めたり、落胆させたりしません。それはイエス・キリスト...

  • 「知識は人を思い上がらせる」 (7)

    知識の賜物 「グノーシスの賜物」があります。御霊の賜物の一つです。「ある人には知識の言葉が与えられています」――それは聖霊によって臨む真の知識です。聖霊によるカルバリに関する客観的な啓示もある、と言えるでしょう。しかし、それには常に内的な意識的知識が伴います。御言葉からそのしるしを示したいと思います。 (1)「グノーシス」の真の賜物は、自身の知識不足を意識させます。「もし誰でも何かを(内的に)知って...

  • 「知識は人を思い上がらせる」 (6)

    「かの日には、多くの者が私に言うでしょう、『私はあなたの御名によって予言し、あなたの御名によって悪鬼どもを追い出しではありませんか?また、あなたの御名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか?』」。そこで主は再び、「私はあなたたちをまったく知らない」と言われます(マタイ七・二二~二三)。あなたたちは不法の働き人です!こうしたことがみな、今日、魂の力によってなされるおそれがあります。心霊主...

  • 「知識は人を思い上がらせる」 (5)

    (3)このような知識の個人生活に対する結果 「たとえ私が人や天使の異言で語ったとしても、愛がなければ、私は鳴り響く鐘や騒がしいシンバルになってしまいます。たとえ私がすべての奥義とすべての知識(グノーシス)を理解しているとしても、たとえ山々を移すほどの十分な信仰を持っているとしても、愛がなければ、私は無です」(一コリント十三・二)。これが自己に対する結果です!内的意識である真の知識がなければ、私たち...

  • 「知識は人を思い上がらせる」 (4)

    しかし、私はこうした問題よりももっと巧妙な問題について心配しています。キリストの教会の一つ(unity)を傷つけ、弱い人々をつまずかせている、多くの事柄があります。それは、知っているつもりの人々の「知識」のせいです。これが「進んだ真理」の危険性です――書き記されていることを踏み越えて思い上がってしまうのです。書き記されていることを踏み越えて、決して思い上がってはなりません。唯一安全な道は神の単純な御言...

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