(※ 編者の所持している原本では最後の2ページが欠落しているため、そこに収録されていると思われるフランシスコのいわゆる「平和の祈り」を以下に掲載します。)神よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜...
2.私たちのために神の御言葉の中に備えられている天の食物を食べなければなりません(マタイ四・四)。 神の御言葉を霊的に食べること(エレミヤ一五・一六)と、自分の知性でそれを学ぶこととの間には、大きな違いがあります。多くの人は「理解するのが難しいこと」(二ペテロ三・一六)を理解し尽くそうとして、自分の時間をすべて費やします。あるいは、見いだしうるすべての問題で知的好奇心を満たそうとして、時間をすべて...
内住するキリストの霊 私たちが自分の全存在を彼に委ねるにつれて、聖霊は心を占有し、昔の願望から心を清めてくださいます(使徒一五・九)。そして生けるキリストを、明け渡されたものの内に住んでおられる方として啓示してくださいます。キリストは御霊によって、贖われた神の子供の霊の中に住んでおられます。それは神の子供が今後、自分のあらゆる必要のために、「イエスの霊の供給」(ピリピ一・一九)を頼りにできるように...
「カルバリ」と呼ばれている地 その場所で――神の御子の驚くべきいけにえ――(へブル九・二六)――が完全に見える場所で――彼は私たちをご自身との合意の中にもたらされます。最初に、私たちは自分の罪が御子と共にその木に釘づけられているのを示されます(一ペテロ二・二四)。しかし、救いには遥かにこれ以上の内容があります。私たちはキリストが死なれた時に死に渡されたことを――使徒パウロの時代の回心者たちのように――直ちに学...
神との絶えざる交わりを維持するにはどうすればいいのか。これは多くの人が心の中で思っている大きな問いです。なぜなら、私たちが主イエスを受け入れる時に与えられる新しい霊の命は、その源である神との絶えざる交わりによってのみ維持されうるからです。これはまさに、肉体の領域で、生き続けるために何度も、何度も、何度も呼吸する必要があるのと同じです。 赤ん坊は成長するにつれて多くのことを学ばなければなりません。...
神との交わりジェシー・ペン-ルイス目次一.神との交わり二.神の霊と共に祈る三.神と共に働くオリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...
「切り抜けよ」!「戦い」と勝利の道を、私たちは何と少ししか理解していなかったことでしょう。大気の濃さと、その結果である人々の頑なさを、私たちは何度も何度も感じてきました。しかし、私たちは「肉や血」を見て、「これこれの場所はとても困難でした」と言って立ち去ってきました。そして、そのまま放っておいたのです。今、主が自ら私たちに、天での戦いの秘訣を教えてくださっています。彼は「戦いに力ある」主です。御...
ある特別な機会に、祈りの中で特別な教訓が与えられました。その教訓は、サタンに対する勝利の道を、さいわいな実証によって教えてくれるものでした。神の霊が二十人から三十人の「祈りの戦士」の一団を召し出された段階に、伝道が達した時のことです。祈りの戦士たちは、みな一緒に集会所の中央に座っていました。しかし、戦いはとても困難でした。その町は醸造貿易と関わっており、その「雰囲気」は堅苦しさと重苦しさで阻まれ...
ある福音伝道者がかつて、攻撃的戦いに関してある経験をしました。その経験は、今日の人々に対する十字架のメッセージを「通して祈る」方法に関して、多くの光を投じるものです。この十字架の使者は、彼の伝道を始めるにあたって、まず、人々の間から一つの祈りのグループを招集してくださるよう、主に求めることを慣わしとしています。そのグループは、集会の中にいる救われていない人のために、彼と共に祈りの中で立てる人々で...
「主よ、悪鬼どもですら、あなたの御名を通して私たちに服従します」(ルカ一〇・一七)と、あの七十人は、彼ご自身が行こうとしておられた地に遣わされて、その後、彼のもとに戻って来た時に言いました。御霊から教わっている働き人は、ある人を束縛の中に保っている敵の力を見抜くことを、速やかに学びます(二テモテ二・二六)。その人の周囲を、まるで目に見えない覆いのように、名状しがたい何かが包み込んでおり、それを貫...
第二に、聖霊の力により、霊の敵に対して、霊の中で絶えず戦いを遂行するために、私たちの敵について知り、その働きを見抜くよう努めなければなりません。見抜く力は次のことによります。すなわち、(1)知識――この知識をサタンは妨げることができます――、(2)妨げの目的に注意すること、(3)この線に沿った彼の諸々の方法(諸々の策略、エペソ六・一一を見よ)によく注意することです。悪魔は実際的ですから、私たちも実際...
「さらに強い」者 「さらに強い」者――主キリスト――は次に、彼の御霊により、勝利者です。私たちの中におられる方は、世にいるあの者より大きいのです(一ヨハネ四・四)。 ここで次のことを強調する必要があります。強い人よりも強い方が私たちを通して御力を表せるのは、確かな信仰によって私たちがキリストと共に十字架につけられたという自分の立場を維持し、こうして彼にあってまったく罪に対して死ぬときだけなのです。霊的...
十字架による勝利の道をこのように知っている人はみな、他の捕らわれ人たちを束縛から解放するために、征服者である主によって遣わされます。それは「強い人を縛り」「次にその財産を略奪する!」ためです。このまさに同じ小羊の御霊を彼らの中に息吹き込んで、彼は言われます、「見よ、私はあなたたちを小羊として遣わします(中略)私はあなたたちに、蛇やさそりや敵のすべての力を踏みつける権威を与えました。何ものも決して...
「彼よりも強い者!」を同定するのは難しくありません。預言者イザヤは彼のことを誰よりも傷ついた顔を持つ御方――悲しみの人で、痛みを知っていた――として描写しました。彼のことを「屠り場に引かれて行く小羊」として描写して、「毛を刈る者の前で黙っている羊のように(中略)彼は口を開かなかった」と述べます。この御方――小羊――は「『強い』者と共に分捕り物を分け」ます(イザヤ五三)。強い人よりも「強い」者は、カルバリ...
主は、強い人が人を所有している時のその姿勢をこう描写しておられます。すなわち、「完全に武装して」いるのです。彼は自分の家を守って、自分の財産を安泰に保っているのです(ルカ一一・二一)!暗闇の王国の中にいるすべての者たちに関して、これはいかに真実であることでしょう!使徒パウロは、強い人が自分の家を守る一つの方法を描写して、こう記しています。「この世の神は、信じない者たちの思いをくらましてしまい、福...
「彼はおしの悪鬼を追い出しておられた。悪鬼が出て行くと、そのおしの人が語り出したので、群衆は驚いた。」(ルカ一一・一四、改訂訳欄外) この時、主イエスはパリサイ人たちの訴えに答えて言われました、「まず強い人を縛るのでなければ(中略)どうして強い人の家の中に入ることができよう?そうしてから彼の家を略奪するのである」。人を悪しき者の「家」もしくは住まいと主が明らかに描写されたのは、この箇所だけではあ...
「祈りと福音伝道」四.祈りと宣べ伝えのための勝利の立場 (8)
御霊の剣 この剣は何のためでしょう?誰を突き刺すべきでしょう?「肉や血」ではありません。この節でパウロが常に述べているのは悪魔のことであって、人々についてではありません。ここの御霊の剣は敵に対する武器であり、敵の力の下で奴隷にされている群衆を神のために捕らえる働きにおいて、「あらゆる祈り」と共に用いられるべきものです。悪の軍勢が「逃げる」まで、彼らに対するキリストの勝利の力を信仰によって保持しなけ...
「祈りと福音伝道」四.祈りと宣べ伝えのための勝利の立場 (7)
「なぜなら私たちの格闘は」――これは奇妙です。私たちは「座らされた」のに、格闘しなければならないのです!これは次のことを意味します。この「策略」の目的は、あなたは引きずり下ろすことなのです。何が問題なのかほとんどわかりませんが、意気消沈し、霊は「沈み」、状況は自分の「手に負えなく」なります。その時、あなたは悪魔の策略に気づき、あなたの霊はイエスの御名の中で抵抗を始めます。これは、神があなたを置いて...
「祈りと福音伝道」四.祈りと宣べ伝えのための勝利の立場 (6)
伝道者の働き これはみな、伝道者の働きと、祈りや宣べ伝えと、何の関係があるのでしょう?エペソ二章からエペソ六章に向かうことにしましょう。そうすればわかります。エペソ一章は、死者の中から復活し、天で神の右手に座しておられる、キリストの輝かしい啓示を私たちに示します。エペソ二章は信者について啓示します。信者は、罪の中で死んでいた時、命により生かされ、復活した主と結合され、彼にあって「すべてを遥かに超え...
「祈りと福音伝道」四.祈りと宣べ伝えのための勝利の立場 (5)
「しかし神は……」 「しかし、あわれみに富んでおられる神は、私たちを愛してくださった彼の大きな愛のゆえに、私たちが自分の違反を通して死んでいた時、私たちをキリストと共に生かし(あなたたちが救われたのは恵みによるのです)、私たちを彼と共に復活させ、彼と共に座らせてくださいました……」――きっとこれは間違いです!いいえ、ここに記されています!それなら、これはたんなる比喩的表現にちがいありません!ああ、最初の...
「祈りと福音伝道」四.祈りと宣べ伝えのための勝利の立場 (4)
パウロはなおもさらに続けます。再び聞いてください。「空中の権威の君、不従順な子らの中に働いているその霊」。サタンの霊が救われていない人の中で働いているのです!恐ろしいことですが、御言葉は明確です。もし働き人として、これらの事実を明確に理解しないなら、あなたは今日、群衆に手を差し伸べることはできません。神の御言葉はサタンを「この世の神」「空中の権威の君」と呼んでいます。これは次のことを明らかに意味...
「祈りと福音伝道」四.祈りと宣べ伝えのための勝利の立場 (3)
「すべてを遥かに超えて」 次に神は彼を高く上げて、「天上でご自身の右に座らせ、すべての支配、権威、力、主権、そして唱えられるあらゆる名をはるかに超えて高くされました」。何と輝かしい啓示でしょう!彼の御言葉を通して、今、啓示の霊があなたに与えられつつあるでしょうか?あなたの心の目は開かれて、すべてを遥かに超えた征服者として座しておられる彼を見ているでしょうか?次に神は「万物を彼の足の下に服従させ、そ...
「祈りと福音伝道」四.祈りと宣べ伝えのための勝利の立場 (2)
あなたは彼を知っているでしょうか?彼について知っているでしょうか、と聞いているのではありません。世人は彼について知っているかもしれませんが、私たちは彼を知っています。哀れな世!神の素晴らしい真理を粉々に引き裂いているとは!ある日、彼らは彼を知るでしょうが、手遅れでしょう。あなたが生み出せる最善の「クリスチャンの証拠」は、ひとりのパースンとしてのキリスト、生けるキリストを知る、あなた自身の知識です...
「祈りと福音伝道」四.祈りと宣べ伝えのための勝利の立場 (1)
福音を人々に届けるには、彼らの状態を知ることが必要です。なぜなら、ばんそうこうを間違った場所に置いたら、何の役に立つでしょう!人々の状況を理解するには、暗闇の勢力の働きについていくらか理解しなければなりません。ですから、私はあなたをエペソ六章に連れて行きたいと思います。しかしそうする前に、エペソ一章に向かうことにしましょう。なぜなら、まずあなたの目を昇天した主、御座についておられる征服者のパース...
これまで、私たちは個人生活を取り扱ってきました。神との個人的交流が第一でなければなりません。なぜなら、各々の人がキリストとの経験的合一の中にもたらされ、彼の中で御父を知り、神の力を持つことにより、キリストのからだ全体が天に向かって上げられなければならないからです。 しかし、どうすれば効果的な祈りの集会を持てるのでしょう?効果的な祈りの集会 聖霊は、同じ原則に基づいて、また、同じ条件に基づいて、私...
(5)効果的な祈りはどのように維持されるのか?「あなたたちが私の中に住んで(隠れて!)おり、私の言葉があなたたちの中に住んで(隠れて)いるなら」。「何でも望むものを求めなさい」:「それはあなたたちにかなえられます」(ヨハネ一五・七)。 実際には、神の中にキリストと共に隠されている命は、私たちの中に豊かに住んでいる、霊であり命である御言葉によって維持されます。御言葉により、みこころにしたがって祈るこ...
(4)効果的な祈りを彼らはどのように教わるのか? 「私は(中略)あなたたちにはっきりと父について知らせます」(ヨハネ一六・二五)。 「その日には」約束された慰め主が復活した主を彼らの内側に啓示され、内住の御子が御父を啓示されます。それまで大いに曖昧だったことを、彼らにはっきりと示されます。「私たちに父を示してください」とピリポは言いました。ああ!ピリポよ、「私は」父への「道です」。「その日には、私...
(3)「その日には」彼らはどのように祈るのか? 彼らは「父に求め」ます(ヨハネ一六・二三、欽定訳)。 彼らの願い求めはそれまで、キリストに対してなされる願い事にすぎませんでした――それらは祈りとは呼べません――しかし彼は、彼らに御父をはっきりと示すこと、その後、彼らは彼の御名の中で御父に求めるようになることを、約束されました。彼らは御父に向って、御子との生き生きとした合一の中で祈ります。その祈りが「そ...
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(※ 編者の所持している原本では最後の2ページが欠落しているため、そこに収録されていると思われるフランシスコのいわゆる「平和の祈り」を以下に掲載します。)神よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜...
おお主よ、汝の愛の火の如く且つ喜ばしい御力が私の霊魂を天が下の凡ゆるものより離して汝に集注せしめ給う。忝じけなくも私如きものを愛してそのために死に給うたように私にも愛のために死ぬる心を深くさせ給え。全能にして、最も聖く、最も高く、最高善にして、全ての善、凡ゆる善の源なる神よ、汝のみただ一人善にて在し給う。全能にして、永遠なる、義にして、憐み深き神よ、哀れなる我々に汝を知り、常に汝の喜び給うところを...
我らの父よ、最も聖き我らの創造者、贖主、又慰主よ。天にいます。御使の中に又、聖徒の中にあって彼らに知識を得させる輝きを与え給う、そはおお主よ、汝は光にして汝を愛するように心を燃やし給う、主よ、汝は愛にて在し給う、彼らの中に宿り、祝福をもて彼らを満し給う、おお主よ、汝は最高の善にて在し永遠の善にして汝を離れては何処にも善はありません。御名を崇めさせ給え、我らが汝の恩恵の広さと汝の約束の長さと汝の威厳...
おお、いと高き、全能にして、善にいます神よ、称讃と、栄光と、誉れと、全ての祝福とは汝のものであります!全ての造られたものにより汝は讃美され、殊に兄弟なる太陽によって崇められますように!彼は我らに昼をもたらし光を与う、彼は美しくいと大いなる輝きをもて照りかがやく。おお主よ、彼は汝の御すがたを示す!わが主よ、姉妹なる月と星とのために汝は讃えられます!汝は彼らを天において清らかに愛らしく造り給いました。...
聖なる、聖なる、聖なるかな、昔在し、今在し、後来たり給う、全能の主なる神、我らをして永遠に凡ゆる者の上に汝を賞め又、讃えしめ給え。おお主、我らの神よ、汝は称讃と栄光と誉と祝福を受けるにふさわしく在す。屠られ給いし羔羊こそ能力と神性と智慧と誉れと祝福とを受けるにふさわしく在す。我らをして永遠に万物の上に彼を賞め讃えしめ給え。我らをして父及び子と供に聖霊を祝せしめ給え、永遠に全てのものの上に賞め讃えし...
祈り我らの父よ、我らは豊けき救いが汝の御子、我らの救主によって可能とせられましたことにつき心から御礼申し上げます。彼の御生涯が我々を彼の足跡に従わせる一つの模範として送られたことにつき、又彼の死が汝の愛と我々を罪から贖い給うことを表わし、又彼の復活が現在と未来に豊かなる生命の確実性を我等に与え給うことについて、又更に変らざる臨在が常に我々の霊的な必要に応じ満し給うことについて本当に感謝申し上げます...
我々は決して上にあるもの以外を求むべきでない、むしろ神のために全ての被造物の僕となり仕え人となるべきである。そして主の霊はこれ等のことを実行し、また終りに至るまで耐え忍ぶ全ての者の上に留るであろう。神は御自身の住所を作り、彼らの中に住い給うであろう。そして彼らはそれらの業をなす時に天の父の子供、又我らの主イエス・キリストの配偶者、兄弟、母となるであろう。聖霊によって真実な魂がイエス・キリストと一つ...
なお又、我らをして悔改めにふさわしい実を結ぶもの、また己自らの如く我らの隣人を愛せしめよ。もし誰かが己自らの如く彼らを愛することを好まずあるいは出来ないならば少くとも彼らを害せず彼らに善いことをなさしめよ。もし我らが他人を審く所の権威を受けたならば憐みをもってその権能を行わしめよ。それは我らも又、主からの憐れみを受けんがためである。我らは悪と罪とのゆえに我ら自身を憎むべきである。何故ならば主は福音...
全世界に住む全ての基督者なる敬虔なる者、教職者、平信徒なる男達よ、女達よ汝らの僕なる兄弟フランシスが天からの真の平和と主にある真実の愛とを望んで恭々しい尊敬を送る。全ての者の僕として私は全ての者に仕え、又主の御言の芳ばしい香を取次ぐように定められた。それゆえに私は自分の体の弱いことを考える時に個人的に訪ねることの出来ないのを知りこの手紙をもって我々の主イエス・キリストの御言とその音信とを送る。彼は...
祈り、讃美及び感謝、我らの全ての者は全魂をもって全心をもって、全力をもって愛し又、忍耐強くあるべきである。我らの全理解と全力と全精神と全情愛と我らの内なる凡ゆる部分、全要求と意志とをもって我らにこれらのものの全てを与え給うた神を愛し、賤しくみすぼらしく悪にして汚れ恩を忘れ、また邪まなるものをも憐れみ給う神を讃美せよ。それゆえに我らは、造主、贖主なる救主、唯一の真の神以外に何事をも要求せず喜ばず求め...
兄弟達の悪いことを語り、あるいは攻撃をせず互に相愛すべきこと、兄弟らに対して誰もその欠点を誇張したり言葉をもって非難し争わないようにすべきである。神が彼らに恵みを与えてい給う間、沈黙をもって忍ぶことを学べ、これらの人達と争ったり又は共に他の人と口論をすべきでない。寧ろ反対に謙遜をもって答え、我等は無益の僕であるということを常に準備すべきである。彼らをして怒らせるな「誰でもその兄弟を怒る者は審きにあ...
ああ、女王なる智慧よ!願わくは主、汝の姉妹なる清く純潔な単純さと共に汝を祝し給わんことを!おお、清貧淑女よ!主が汝の姉妹なる聖謙遜と共に汝を祝し給わんことを!おお、聖愛の淑女よ!主が汝の姉妹なる聖従順と共に汝を祝し給わんことを!おお、凡ゆる聖き徳よ!汝らのいで来たりしところの主が汝を祝し給わんことを!初めに己に死ぬことなくば唯一人として世界の中に汝らの中の一つをも所有しうることは決してありえない。...
主がその人に示し給うた善きことをその心の内に保ち、その業によって人々に表わそうとしない人又、報いを望んで言葉によって人々に知らせようとする人は禍である。彼は今、報いを受け、聴く人に僅かの影響のみしか与えない。その兄弟が病気であって他の人を助けることが出来ない時にも健康で他の人を助けることが出来る時と同じように愛する人は幸である。その兄弟が共にいることを望むに拘らず彼から遠く離れておりそして彼の背後...
多くの人はその敵又は隣人を屡々非難することによって罪を犯している。しかしそれを気付かない。しかし人は彼自身の力、即ちその肉体の中に自らの敵を持ち、それによって彼は罪を犯すのである。ゆえに彼の中にあるところの敵を捕虜にし賢く自らを守る者は幸である。その人がこのように生きる限り如何なる見える敵も見えない敵も彼を害うことが出来ないからである。如何に多くの内心の忍耐と謙遜とが神の僕らにおいて人々に知られず...
おお、人よ、主が貴方を如何に偉大にして優れたものとして造り給うたかを深く考えなさい。肉体においては神の愛子の御姿に像どり、霊においては御自身に肖せて造り給うたのである。又、世界の凡ての造られたものは彼等各々の道において貴方よりもよくその造主に仕え従うことを知っている。もしも貴方が賢くて凡ゆる科学を知り、全ての国語を通訳することが出来、凡ゆる天のことをも正確に究めることが出来たとしてもこれによって貴...
聖フランシスは、祈りと瞑想を通しての確固たる宗教的経験が発展する事の必要性を、極く最初の働きの時から常に強調していた。彼の福音の本質的な真理を伝える説教者としての魅力ある模範、又人々の霊肉の要求に応える調和のとれた伝道、又キリストとの親しい交りから来る喜びと能力の不断の推進とはただ名のみのクリスチャンを真の基督者として全心的にキリストの救を受け容れさせるのに驚くべき能力を発揮した。フランシスの書い...
フランシスはイエスの御命令に絶対に又文字通りに服従しようとして彼の生涯を献げることを決意し、その所有をも家族関係をも投げ打ち、又先に抱いたこの世の成功者となる夢をも捨ててしまった。これより後、彼はその花嫁として清貧をめとった。何者をも所有せず、惜しみなく彼自身を与え、巡回しつつ説教する伝道の道において肉体的に又、霊的に人間の要求に対して全部を以て応ずることにおいて衣食は与えられていった。一二○四年...
アシジの聖フランシスは中世キリスト教の最も美わしい開花を代表している。歴史上のどの時代よりも、多く形式的又、組織的になってきていた時代に生きて彼はイエス・キリストの誡めに全く献げ又服従した生涯の優れた力を現わした。中世の教会に完全に服従していながらも活けるキリストへのより高い忠誠を堅く保持し続けた。彼自身が修道院の理想に自らを捧げつつもその形式の中に新しく、よりよい所の実質を与えこの世から逃避する...
我々は単なるパンでなく、生命のパンを必要とする私は印度にいる一人の神の人を知っている。彼は自分の経験を私に語った。一人の乞食が毎日彼のところに来て一片のパンを乞い、それを受け取るとすぐに去ることを常としていた。ある日、その祈りの人には与えるものが何もなく、人々が食物を取って来るまでの間、数分間彼と共に坐って話すよう乞食に求めた。一時間もしないうちに、此の乞食は信じて祈り始めた。彼はすっかり変わった...
三彼は人間のみならず、動物も植物も太陽も月も星も水も土地も兄弟姉妹といって愛した。ある時、野原に出るとたくさんの小鳥が木に留っているのをみてこれに話しかけ「姉妹なる小鳥達よ、あなた方は特に神に感謝して御名を讃美しなければならない、あなた方は蒔く事も刈る事もせず、倉にも納屋にも貯えないのに神は何時も食物を与えて下さる。殊にあなた方は羽を与えられてこの大空を自由自在に翔けることが出来る。あなた方に賜っ...
ユダの後悔と死(マタイ二七3~6)〔3〕罪の支払う報酬は死である。ユダの望みは、主は捕われても直ちに奇跡によって逃れるか、あるいは二、三度打たれるくらいに思っていたのであろう。サタンは常に罪の結果を小さく小さく見せるのであるが、実に恐るべきことである。罪の報酬は死を招いた。神の独子の死を招いたのである。聖霊の示しに従って、サタンの欺きを破らねばならぬ。ユダは意外に思い、目をさまして悔いた。しかし無益...
イエス、ピラトの許に送られる(マタイ二七1、2)祭司や学者らは、宗教上の事項には権力があったが、生殺与奪の権は持たなかったのである。それ故にイエスを殺そうとするには、法律の下に託さねばならなかったのである。〔マルコ一五1〕「夜明けに及び、直ちに祭司の長、長老、学者たち、すべての議員と共にはかりて、イエスをしばり、ひきつれてピラトに渡せり」〔ヨハネ一八28〕ここで時刻を知ることが出来る。この夜、主はゲッ...
イエス、祭司長に審判される(マタイ二六59~68)〔59~61〕「いつわりの証を求むれども得ず」〔61〕キリストは決して御自身が神殿をこわすとは言われなかった(ヨハネ二19~21)。サタンがあげ足をとるのは(例えばキリスト教は国家を倒すなど)みなこの種である。〔62〕「……証拠は如何に」〔63〕「イエス黙然たり」非常な勇気である。主はすでにゲッセマネの園で、その杯を飲み始めてからぐんぐん飲み給うのを見るのである。この...
ペテロ、イエスを知らないと言う(ルカ二二54~62)〔54〕「ペテロはるかに従いぬ」実に不忠実である。先にはゲッセマネで居眠りし、今またはるかに隔てて主に従ったのである。彼はキリストがまさに敵の手に渡され、殺されようとした時に剣をぬいたけれども、今や主が捕えられて引かれて行く時になったら、はるかに離れて従ったのである。ああ肉はだめである。わたしたちはキリストとの間に少しでも距離を隔てていないだろうか。〔...
キリスト祭司長に引かれる(マタイ二六57、マルコ一四53、ルカ二二54、ヨハネ一八13、44)アンナスはカヤパの前の祭司長であったが、何かのためにローマ政府から免職にされてカヤパがこれに代ったのである。しかしユダヤ人は当時、アンナスを尊敬していた。それでキリストをもまず彼のもとへ引いて行ったのである。カヤパは先に「一人死にて国中滅びざるは我らの益なり」(ヨハネ一一50)と言った人であって、実に冷淡極まることを...
〔55~56〕主が人々に語られた彼らの行為の矛盾に満ちていることについて言えば左の通りである。(1)ユダは接吻によってキリストを渡そうとしたが、このことはキリストのよく承知されたことであった。(2)キリストを盗賊にむかうように捕えに来たことである。人間こそは盗賊である。主は人間から何も盗んだことはない。主は生まれると飼葉おけに寝かされ、高位につかずに貧しい家で労働されたのである。ところが今彼らは主を盗...
イエス売られ給う(マタイ二六47~56、マルコ一四45~52、ルカ二二47~53、ヨハネ一八2~5)(マタイ二六47~)〔46〕勝利を得て「起きよ、我ら行くべし」と立ち上る時に、敵はすでに来たのである。わたしたちもイエスのように全く神に服従して出る時に、確かに勝利を得るのである。〔47〕ユダを見よ。彼は「剣と棒とを持ちたる多くの人々と共に祭司の長と民の長老のもとより来」たのである。今や彼は全く墜落し果てたのである(ヨ...
マタイ二六36以下。「ゲッセマネ」とは「油しぼり」という意味である。カンラン山(オリブ山)から多くの油が出る故に、この名称があるのである。油とは聖霊である。主はここでわたしたちのためにすべての悲しみを飲みつくされたのである。だからこそ今わたしたちに慰めの聖霊が豊かにそそがれるのである。〔36~38〕このゲッセマネにも深意のあることがわかる。八人の弟子は園の入口まで入ったが、三人の弟子はなお奥へ入った。し...
ゲッセマネの御苦難(ヨハネ一八1、マタイ二六36以下)ヨハネ一八1。弟子たちに対して懇ろに語り、また一七章のような祈りを終えられた主は、今やいよいよ十字架の迫りつつあることを知って、なおも静かに祈ろうとしてゲッセマネに向われたのである。時はすでに充分に更けていたと思われる。「ケデロン」とは「濁っている」という意である。これは昔から記念すべき河である。主は終生人心の泥流の中を渡られたが、この時も実におそ...
〔22〕実に恵みである。「栄え」とは内部のすきとおるような聖であるとある人は言った。内に聖がすきとおって徳が満ちているならば、外に光があらわれるのである。キリストの栄えとは、彼にあらわれた聖なる徳であった。これが神の前における第一の栄えである。これをせんじつめれば、彼の中にあった聖霊である。おそれ多いことには、キリストはこの驚くべき栄えをわたしたちに与えられたのである。彼に満ちていたその同じ聖霊をわ...
〔20〕すべての信者のための祈りである。この中には確かにわたしたちも含まれているのであるから、そのつもりで学びたい。キリストの眼中には、ただその時の者ばかりではなく、彼らの言葉によって信じた者すべてがあったのである。永遠より永遠に存在される主は、いずれの時代のことをも知っておられる。だから日本の路傍で、ある弟子たちによって伝えられたみ言葉を信じた私のためにも祈られたのである。〔21〕主が信者のために祈...
〔14〕私が伝えた言葉を受け入れて彼らはあなたにつきました。それ故に世は彼らを憎みます。彼らは世におりますが、世のものではありませんから、世は彼らを憎むのです。あたかも世が私を憎むように彼らを憎むのです、と。わたしたちとキリストとの世に対する関係は同じで、キリストこそ立派な標準である。肉体をもつ間はそんなわけには行かないと言って、少しでも罪を容れることは恐るべきことである。〔15〕「われ汝に彼らを世よ...
〔9〕「我かれらのために祈る……」おお、神よ、このあなたのものである、あなたを受け入れた者のために祈ります。もう一度我らが普通のものでないことをくり返して父が重んじて下さるように祈られたのである。父よ、あなたの責任ある貴い宝のために祈ります、と、キリストの祈りには、少しの私欲も見えないのである。〔10〕ちょうど夫婦が互に独り子を掌中の玉とし、宝としているように、我らを「これは汝のもの、汝のものは我がも...
〔6〕これは主の父に対する復命である。「あなたが私に委ねられたこの魂に、父の名をあらわしました」と、実に立派な復命である。名をあらわすとは、その名によって実をあらわしたことである。イエスの御生涯は神を人にあらわす御生涯であった。けれどもその神を見た人は世から選ばれて、キリストに与えられた者である(コリント後四3、4)。選民でない者は福音の光を受けない。けれどもこの節を見よ。これは選民である。選民には...
〔2〕父なる神がキリストに与えられた選民は、キリストへの賜ものであって、その選民たる我らはキリストの財産、また宝である。故にキリストは選民たる我らに、御自身の永遠の命を与えられるのである。「凡てのものをおさむる権威を我に賜いたればなり」父なる神のキリストを崇めたのはこれである。この力は何のためにあらわすかと言えば、選民に永遠の命を与えるためである。故にこの目的のために障害となるものは、どんなもので...
〔1〕「イエスこの言を語り終りて天を仰ぎ……」ヨハネ一一41のように、イエスは祈りの時にしばしば天を仰いで祈られたことが福音書に記されている。ひれ伏して祈るのは、悔い改め、または謙遜を示すものであり、主との交わりの切れない時には、身も目も天を仰いで祈ることが出来る。「父よ」これは子たる者の霊をあらわしたのである。キリストは御自身のために祈る時には父よと言い、弟子たちのために祈る時にはきよき父よと言い、...
ヨハネ福音書一四章から一六章までにおいて、キリストは弟子たちに対して彼らの生涯、ペンテコステ、また希望について語り、彼らを慰められた。これらのことが終ってから、今まで弟子たちの方へむかって居られた主は天を仰いで祈られたのである。昔大祭司が幕屋に入るのは、一年中で最も幸な日であった。そのように我らの大祭司キリストは、今至聖所において祈っておられるのである。だから我らも栄光なるキリスト御自身を通って、...
〔25〕これまでにキリストは、何とかして弟子たちにこの真理を知らせようとして、譬で教えられたのであるが、ペンテコステ後の彼らは、霊の眼が開かれてどんなことでも聖霊御自身が直接彼らに語り給うのである。〔26〕キリストの名によって祈るとは、キリストにより、父なる神に祈って頂くというような間接的なことではなくて、キリストと自分と一体となって、しかも直接にキリストと共に父なる神に求めるのである。〔27〕これは前...
〔19~20〕キリストは彼らが尋ねる前に尋ねようとすることを語り給う。「誠に真に」とはイエスが力をこめて事実を語られる時に用いられた言葉である。キリストが十字架につけられるために、一時はあたかもサタンの勝利のように見えるから、世はそれを喜ぶであろう。「然れど」ハレルヤ。その弟子たちの憂いは喜びに変るとは神の断言である。まことに幸いである。〔21〕人の不安と喜びとが接近したことを示す。見よ、子を産もうとす...
〔16〕七節でキリストが行くことは弟子たちにとって幸福なことであると言われたが、その間しばらくは彼らも艱難を感ずることであろう。「しばらくして……」キリストは十字架について見えなくなるが、またしばらくして甦えりのキリストを見ることが出来るのである。〔17~18〕肉につける弟子たちには、この意味を理解することが出来なかった。キリストの十字架、甦えりなどは彼らの夢にも思わなかったことであるから、彼らは理解出来...