chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 「イエスの証し」第七章 御名(2)

    さて、この点を離れて別の特別な点に移りたいと思います。その特別な点は預言の務めに関して包括的なものです。見直してみると、預言の機能は主の御名と独特・特別な関係にあったことがわかるでしょう。主の御名が預言の務めにおいて主要なものだった、という感覚があります。重要なのは御名の誉れ、栄光、特異性でした。御名のあらゆる意義、純粋さ、威光、栄光、特異性を、悪の勢力は絶えず攻撃しました。預言者たちはこの御名...

  • 「イエスの証し」第七章 御名(1)

    聖書朗読:創世記一一・一~九、使徒三・一~一六、一九~二四、ヨハネ一七・六、一一~一二、一六~一七 私たちは預言の機能、預言の務めの機能の問題に大いに専念してきました。私たちは次のことを見てきました。すなわち、預言の務めの機能は、特に潮流が神の全き御思いと御旨から離れている時に、諸事を神のこの全き御思いと御旨との関係の中に保つことである、ということです。これは職務というよりはむしろ機能です。何らか...

  • 「イエスの証し」第六章 御子に関する神の証し(9)

    これが血の証しのすべてではないことを、私は承知しています。私は一点だけ選んでいます。神が私たちの内で御子を証しされるのは、新しい性質、新しい性質のエネルギーという手段によります。新しい性質による神の御子に対する内なる証しと、イエス・キリストは神の御子であることに関するたんなる正統的信条との間には、とても大きな違いがあります。正統的な信条を保持していて、イエス・キリストは神の御子であると信じている...

  • 「イエスの証し」第六章 御子に関する神の証し(8)

    血の証し 最後に血です。「御霊と水と血」。ご自身の子である御子に対する神の証しは血によります。ここでは、この一連のメッセージですでに述べたことを、あなたたちに思い出してもらうだけでいいでしょう。すなわち、この血は命を、神の御子の命を物語っている、ということです。また、それは性質と同義であると私たちは述べました。彼の血は彼の命であり、彼の命は彼の性質です。彼は言われました、「あなたたちはみなこれから...

  • 「イエスの証し」第六章 御子に関する神の証し(7)

    要点はこうです。すなわち、私たちはイエス・キリストが神の御子であることを内なる証しによって知るのです。その内なる証しとは、彼にあって罪は対処されたこと、裁きを彼が担われたこと、義を彼はご自身の死により満足されたということです。ああ、この内なる保証の力によって私たちは真に生きているでしょうか?私たちに関する限り、私たちはキリストの中にあるので、神は義の問題に関してすっかり満足しておられるのです。 ...

  • 「イエスの証し」第六章 御子に関する神の証し(6)

    これはとても馴染み深い教理である一方で、この一連の黙想で強調してきたように、これは主の民がますます実際的に理解すべきことです。最近、これを私の心は新たな方法、とても素晴らしい方法で理解しました。そのため、それが私にとって何を意味したのか、あなたたちに言えないほどです。キリストの死による義認の意味について幾らか知っている、と私は思っていました。しかし、ごく最近、恐ろしい戦いの暗闇の中、昼も夜も敵は...

  • 「イエスの証し」第六章 御子に関する神の証し(5)

    水の証し 「御霊と水」。神は水という手段によって、御子をご自身の子として証ししておられます。これには様々な解釈があることを私は承知しています。私としては、これは彼のバプテスマと関係していることは大いに確かであると感じています。「この御方は水によって(by water)来られた方です」。あるいは、水の中で(in water)です。そして、この水は彼の子たる身分を神が証しされる道具です。もちろん、彼ご自身のバプテスマ...

  • 「イエスの証し」第六章 御子に関する神の証し(4)

    万事十分であると常に感じること、自分はできる、自分は有能であると感じることは、真の霊的生活の道ではありません。大いに有能な人々が常に霊的に極めて生産的とはかぎりません。聖霊は、一方において、天然的・人間的に無能にするために働かれます。それはまさにイエス・キリストの子たる身分を自ら証しする道を開くためです。聖霊は、消極的な立場、無理な状況の上に臨んで、それをくぐり抜けるために命を与えて下さいます。...

  • 「イエスの証し」第六章 御子に関する神の証し(3)

    例えば、ローマ八・一〇~一一の議論を取り上げましょう。「体は罪のゆえに死んでいても(中略)イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊があなたたちの中に住んでいるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたたちの中に住んでいる彼の御霊を通して、あなたたちの死すべき体をも生かして下さいます」。これは何を意味するのでしょう?これは次のことを意味します。すなわち、聖霊の御手の中にあるの...

  • 「イエスの証し」第六章 御子に関する神の証し(2)

    御霊の証し 第一に、まず、御霊は主イエスの神聖な子たる身分に対する内なる神の証しです。これは次の点に帰着します。すなわち、聖霊が働いておられる所では、その結果、主イエスを神の御子として内なる方法で知るようになるのです。聖霊の働きの結果、彼を命の観点から内的に知るようになります。もちろん、聖霊は主イエスを証しすることにまったく注力しておられます。私たちはこれを外面的方法で知っています。主ご自身が、「...

  • 「イエスの証し」第六章 御子に関する神の証し(1)

    聖書朗読:一ヨハネ五・五~一二「証しするものが三つあります。それは御霊と水と血です。そしてその三つは一つとなります。」 これは神の御子である主イエスに対する三重の証しであり、単一の証しに集約されます。この三つは証しして一つになります。そして、この三重の証しの支配的点は、イエス・キリストは命であること、この命はイエス・キリスト、神の御子の中にあること、そしてそれを神は彼にお与えになったこと、そして彼...

  • 「イエスの証し」第五章 神の豊かさ(6)

    さて、この神の豊かさを得るには、イエスを絶対的に主とすることが必要です。それ以外ありえません。それには彼の尊い血、彼の命という基礎が必要です。この新しい命がこのぶどう酒、最後まで取っておかれた最上のぶどう酒、並外れたぶどう酒、驚くべきぶどう酒、すばらしいぶどう酒、彼の命、彼の復活の命の栄光です。 さて、この諸々の特徴がわかるでしょう。このたとえはとても単純です。ここで私たちは、ですから、霊的解釈...

  • 「イエスの証し」第五章 神の豊かさ(5)

    神の豊かさ 三日目:この箇所に記されていることはみなこのしるしの範疇に入ると思います。聖書では数字の三は、ご存じのように、神の豊かさを意味します。そして、これが実際に、この件全体にわたって大いに前面に出ています。 この水に来る時、あなたはお手上げの状態になります。大きな水がめがいくつもありますが、その中には水がある程度しかありません。いっぱいではありません。そして、注意して下さい、それらは清めのた...

  • 「イエスの証し」第五章 神の豊かさ(4)

    キリストの主権 私はここのマリアに大いに感心します。ぶどう酒がないことを彼に告げるという結論に彼女がどのように至ったのか、私にはわかりません。なぜ彼女は彼に告げる必要があったのでしょう、また、なぜさらに僕たちにも、「彼があなたたちに言うことは、何でもして下さい」と言ったのでしょう。しかし、次のことは全く明らかです。すなわち、彼女は彼を主とする立場に立っていたのであり、この問題をすっかり彼の主権の下...

  • 「イエスの証し」第五章 神の豊かさ(3)

    さて、これは多くの方法で、主イエスに対する私たちの関係と、主との結婚が意味するところとを、解き明かせるものであることがわかります。これは何度も何度も、私たちが進むにつれて、独立した判断、独立した道、道中における彼との衝突の多くの原因という問題について解き明かします。彼は何度も何度も戻って来て言わなければなりません、「これを見て下さい、私たちの契約はどうなっているのですか?私たちの関係の根拠はどう...

  • 「イエスの証し」第五章 神の豊かさ(2)

    しかし、別の面もあります。つまり、神の観点からすると、信仰の従順による徹底的明け渡しが一方の側に要求されますが――これは教会である花嫁によって示されており、私たちはその肢体であり、その中に含まれています――他方、「キリストは教会を愛して、そのためにご自身をささげられました」(エペソ五・二五)。「彼が彼ご自身の血で買い取られた神の教会」(使途二〇・二八)――この別の面もあるのです。人間的に述べることにし...

  • 「イエスの証し」第五章 神の豊かさ(1)

    聖書朗読:ヨハネ二・一~一一、一三 「このもろもろのしるしの始め」、最初の奇跡、この基礎的な事柄を構成する諸々の点(というのは、疑いなく、このもろもろのしるしの始めの意義は、他のすべての基礎だからです)、この基礎的な事柄を構成する諸々の点は:三日目、婚姻、水、ぶどう酒、イエス・キリストの主権です。婚姻関係 この結婚から始めることにしましょう。これについては私たちの前の黙想で述べました。そして、新契...

  • 「イエスの証し」第四章 血による新しい契約(7)

    私たちへの主の委任 しかし、この契約には他の面があります。契約には常に二つの面があります。私たちが、自分たちの側で、信仰によって彼の血による契約の中に入る時、それは彼への私たちの徹底的明け渡しを意味しますが、彼はご自身の側から、この契約の他の面からこう仰せられます、「あなたが私に尽くす時、私もあなたに尽くします。私はあなたに自分自身を委ねます。そして、私のすべての資源をあなたは自由に使えます」。 ...

  • 「イエスの証し」第四章 血による新しい契約(6)

    それはまったく信仰によることは何を意味するのでしょう?それはとても単純だと思います。婚姻関係では信仰による大きな一歩が踏み出されるのです――一方の側は特にそうです。妻の側では、それは信仰の途方もない一歩です。それはまさに次のことを意味します。すなわち、相手への完全な委任です。良いことであれ、悪いことであれ、優ったものであれ、劣ったものであれ、自分自身をそのために委ねるのです。そして今、私は単純に信...

  • 「イエスの証し」第四章 血による新しい契約(5)

    信仰による主への私たちの明け渡し さて、注意して下さい。聖書の中で契約、血による契約が示される時は常に、信仰の要素も常に示されるのです。「信仰によってアベルはカインよりもすぐれたいけにえをささげました」。その時、ある契約が立てられて、導入されました。少し後でアブラハムの箇所に来ても、この同じものがあります。信仰がアブラハムと立てられた契約の基礎です。神は一つの契約をアブラハムと立てられ、その契約は...

  • 「イエスの証し」第四章 血による新しい契約(4)

    取って、食べなさい。取って、飲みなさい。そうするなら、ある結果、ある霊的な結果が生じるでしょう。あなたの存在、あなたの命の基盤は、あなたが摂取するものになるでしょう。もしあなたがキリストを摂取し、キリストを吸収するなら、あなたの中で奇跡が起きるでしょう。あなたがキリストを思うようになって、キリストを表現するようになるという奇跡です。無形ではあるものの、大いに現実的な数々の方法で、キリストが現れる...

  • 「イエスの証し」第四章 血による新しい契約(3)

    主によって生きる 私たちの飲食は謎めいています。どうなっているのか、誰もわかりません。その諸々の過程は描写できますし、状況の解析もできますが、誰も説明できない一つの点があります。その点とは、私たちが摂る食物はどこで私たちが考える思いや、私たちの音声になるのか、ということです。あなたがこれまで摂ってきた食事のおかげで、あなたは音声を発することができます。飲食を長い間やめるなら、あなたは自分の声を失い...

  • 「イエスの証し」第四章 血による新しい契約(2)

    婚姻関係 婚姻関係が主とその民の目的であり、それは彼の血によって制定されます。教会とキリストの間のこの関係は彼の血、新契約の血によって確立されます。私たちの前の黙想では、この血の意義をいくらか見ました――その性質と、したがって、その途方もない力を見ました。次に、この婚姻の契約関係の中でなされるのは、ある関係を実際に確立することです。その関係は一つの命を共有することであり、一つの性質、一つの命、一つの...

  • 「イエスの証し」第四章 血による新しい契約(1)

    聖書朗読:出エジプト一二・一~八、エレミヤ三一・三一~三二、ローマ七・四、一コリント一一・二五、エペソ五・二五~二八、黙示録一九・七、九 「これは私の血による新しい契約です。」 「私が彼らの父祖を、その手を取ってエジプトから導き出した日に、彼らと立てた契約(中略)私は彼らの夫であった。」 神がイスラエルと立てられた旧契約と、主イエスの血による新契約の両方に関する聖書の御言葉から、次のことは大いに...

  • 「イエスの証し」第三章 血による復活の命(9)

    「もし私たちには罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いています(彼を偽り者としています)」(一ヨハネ一・一〇)。「もし私たちが自分の諸々の罪を告白するなら、彼は信実で義であられるので、私たちの諸々の罪を赦し、すべての不義から私たちを清めて下さいます」(一ヨハネ一・九)。ああ、この述べ方が私は好きです。なぜこのように述べられているのかを理解すればするほど、私はますますこれが好きになります――「彼...

  • 「イエスの証し」第三章 血による復活の命(8)

    血による絶え間ない清め さて、これによりある状況をもたらす何かがなされました。その状況により、サタンは無力化され、彼の根拠は彼から取り去られ、彼の権威は損なわれます。しかし、その絶望的状況の中でも、彼は諦めません。私たちの主に対して働いたのと同じように、彼は私たちに対しても働いて、この立場――そこでは彼は無力です――から私たちを引き離そうとします。さて、主イエスに関しては、彼はそこにない何かを持ち込も...

  • 「イエスの証し」第三章 血による復活の命(7)

    神に対して正しい良心とは何でしょう?人々は、多くのことを行わず、多くのことを行っているがゆえに、自分自身に対して正しい良心を持っているかもしれません。これは神に対してとがめのない良心ではありません。神に対して正しい良心は一つしかありません。すなわち、清められた良心です。言い換えると、絶対的義の神の水準にかなう良心です。つまり、罪なき完全です。さて、これをその文脈から抜き出さないで下さい。私の話は...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、オリバーさんをフォローしませんか?

ハンドル名
オリバーさん
ブログタイトル
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 新着ブログ
フォロー
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 新着ブログ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用