道教寺院というのは、一歩足を踏み入れると、そこが単なる一室の信仰空間ではないと気づかされる。鹿港天后宮も中央に媽祖を祀る本殿がありながら、その周囲には多種多様な神々が、それぞれの小さなお堂に鎮座している。文昌帝君、関聖帝君、城隍爺──名前も役割も異なる神々が、それぞれのご利益と共に祀られていて、境内…
同じ場所に店を構えることで、客が「このエリアには八百屋が多い」と認識し、結果的に人が集まりやすくなるのかもしれない
きちんと店舗を構えた八百屋もあったけれど、このムンバイの商店街には屋台の八百屋も並んでいた。どちらも扱っているのは似たような野菜で、どう見ても商売敵になっている。このような場合、もう少し離れたほうがお互いにやりやすいのではないかと思うのだけれど、実際のところはどうなのだろう。同じ場所に店を構えること…
商店街の八百屋では日本でもよく見かける野菜が揃っている反面、やはり葉菜類と呼ばれるキャベツやセロリ、ほうれん草の姿は見当たらなかった
いろいろな種類のお店が営業している商店街の中には、もちろん八百屋もあった。店先には大きなテーブルが置かれ、色とりどりの野菜が並んでいる。トマト、ナス、カリフラワー、人参、ショウガなど、日本でもよく見かける野菜が揃っている。でも、やはり葉菜類と呼ばれるキャベツやセロリ、ほうれん草の姿は見当たらない。イ…
暑い国にいる犬は、たぶん、暑さに耐えているのではなく、ただ耐えるしかないのだろう
暑い国を訪れるたびに、いつも思う。毛皮に覆われた犬は、この暑さに耐えられるのだろうか、と。たぶん、耐えているのではなく、ただ耐えるしかないのだろう。犬の皮膚には汗腺がないから、汗をかく代わりに口を開けて「ハァハァ」と呼吸する姿をよく見かける。人間ですら熱中症になるのだから、犬だって例外ではないはずだ…
個人経営の店ばかり光景は、経済成長が進み、大資本のチェーン店が勢力を拡大していくにつれて、次第に姿を消していくのかもしれない
ムンバイで見つけた商店街は、僕の思い描く理想的な商店街だった。フランチャイズチェーンの看板はどこにもなく、どれもこれも個人経営の店ばかり。薬屋があり、鞄を扱う店があり、花屋が店先を彩っている。このような光景は、経済成長が進み、大資本のチェーン店が勢力を拡大していくにつれて、次第に姿を消していくのかも…
幼い女の子にとっては、お母さんとおばあさんの存在こそが絶対的な安心感になっていた
ムンバイの商店街を歩いていると、行き先を決めかねているような家族連れの姿が目に入った。おばあさんとお母さんは、どこへ向かうべきかを探るような雰囲気を醸し出している。その横で、年端もいかない女の子だけが、まるで何の心配もないかのように呑気にアイスクリームを頬張っていた。おそらく彼女にとっては、お母さん…
インドでは寺院や神々がマリーゴールドの鮮やかなオレンジ色で彩られているのは普通のことだ
タイでは仏教の祠や仏像、高僧にマリーゴールドで作った花輪(プアンマーライ)を贈る習慣があるが、インドでもヒンドゥー教の祠や神々に同じようなマリーゴールドの花輪を捧げる風習がある。日本では仏教寺院や神社にカラフルな花を奉納することはあまり一般的ではないため、宗教的な場で鮮やかな色が溢れる光景には違和感…
マンゴーと聞いてインドを思い浮かべる人は少ないかもしれないが、実はインドは世界最大のマンゴー生産国だ
インドでは4000年以上前からマンゴーの栽培が始まり、仏教の経典にもその名が記されているという。日本で流通しているマンゴーの多くはメキシコ産やフィリピン産で、インド産のものを見かけることはほとんどない。そのため、マンゴーと聞いてインドを思い浮かべる人は少ないかもしれないが、実はインドは世界最大のマン…
モノタロウのような企業が画面を数回タップするだけで簡単に工具を購入できるようにした日本とは異なり、インドではオンラインの工具販売店はそれほど普及していないのかもしれない
歩いていた道路の脇に、目を引く自転車が停まっていた。前輪の上に大きな板が取り付けられ、その上にはドライバーやヤスリなどの工具が整然と並べられている。どうやら移動式の工具屋のようだ。インドでも、特にムンバイのような都市部ではスマホを持っている人が多い。しかしながら、モノタロウのような企業が画面を数回タ…
人通りの多い場所で路上商売をする人が多いのは、ムンバイも同じだった。道路脇に並ぶ建物の中に店舗があるのはもちろんのこと、路上にもテーブルが出され、屋台がひしめいている。商店の軒先や歩道の隅々まで商売の場となり、都市の雑踏に活気を添えていた。写真の花柄のシャツを着た男も、そのようにしてテーブルを出し…
ムンバイでは人口の20%弱をイスラム教徒が占めていて、イスラム教徒特有の格好をしている人を見かけることも珍しくない
ヒンドゥー教徒が大多数を占めるインドにも、イスラム教徒は少なくない。イスラム教はインド発祥の宗教ではないが、現在のアフガニスタンで起こったゴール朝が北インドに侵攻して以降、長らくイスラム王朝が支配してきた歴史がある。その影響は現代にも色濃く残り、ムンバイでも人口の20%弱をイスラム教徒が占めている…
男の子がウサギをペットとして飼っているのか、それとも何か別の目的があるのかは分からなかった
ムンバイの路地を歩いていると、次々と人とすれ違う。ここは観光スポットとは無縁の場所で、観光客の姿はほとんど見かけない。それでも、道行く人々は僕のことを特に気にする様子もなく、明らかに外国人である僕もただの風景の一部のように扱われている。むしろ、興味を持って周囲を眺めているのは僕のほうだった。東京では…
日本にある多くのシャッター商店街も、かつてはこのように多くの人が闊歩して活気に溢れていたに違いない
路地を抜けると、そこは商店街だった。路地とは比べ物にならないくらい道路の幅も広くなり、道の中央には屋台が出ていて、道路脇にもお店が軒を連ねていた。観光地らしさは、あいかわらずどこにもないけれど、多くの人が歩いていて地元の商店街といった風情だ。日本にある多くのシャッター商店街も、かつてはこのように多く…
迷宮のようなこの路地に、アイロンがけをするお店はあったけれど、洗濯するお店は見つけることはできなかった
住宅が密集するばかりの場所かと思いきや、路地の奥にはぽつんと店があった。普通に考えれば、タバコやちょっとしたお菓子、飲み物を売るような、いわゆるコンビニ的な店があるのだろうと思うところだが、ここは違った。現れたのはアイロンがけを専門とする店だった。店内には職人風の男がひとり立ち、古びた鉄製のアイロン…
路地を進んでも、地元の人びとは僕にほとんど興味を示さないどころか、僕の存在にすら気づいていないように見えた
ムンバイで足を踏み入れた路地は、観光名所であるインド門から歩いてすぐの場所にありながら、観光地らしさは微塵も感じられなかった。そこに広がっていたのは、電灯もなく、日差しさえほとんど差し込まない細い路地ばかりだった。家の中に水場がないのか、ところどころに水道の蛇口が設けられ、バケツや食器が無造作に置か…
1階部分にはそれぞれの住居の入口が設けられていて、よく見ると建物ごとに梯子がかかっていた
ムンバイの路地を奥へと進んでいく。自動車はもちろん、バイクでさえ通るのが難しいほど細い路地には、隙間なく家屋が並んでいた。1階部分にはそれぞれの住居の入口が設けられているが、よく見ると建物ごとに梯子がかかっている。どうやら、1階から2階へと上がるための階段はないらしい。もしかすると、1階と2階では住…
祭壇の前という神聖な場所を、犬が何の気兼ねもなく占拠している様子が、インドらしい寛容さを物語っているようだった
ヒンドゥー教の世界には、祭壇や祠が驚くほど多い。仏教徒が多数を占める日本にも寺社は多いが、やはり多神教の世界では、神々の数だけ信仰の場が必要になる。その結果、町の至るところに大小さまざまな祭壇や祠が点在するのだ。ムンバイの路地を歩いていると、突然、祭壇が現れた。色鮮やかな像が祀られ、周囲には供物が供…
インドではクリケットは圧倒的な人気を誇るスポーツで、プロリーグも存在し、そのスーパースターたちは何十億円もの年収を稼ぐという
ムンバイのインド門からそれほど遠くない場所にある漁村の広場で、男たちがクリケットに興じていた。インドではクリケットは圧倒的な人気を誇るスポーツだ。プロリーグも存在し、そのスーパースターたちは何十億円もの年収を稼ぐという。収入面だけで見れば、日本のプロ野球よりも遥かに規模が大きい。14億人の人口を抱え…
男の子は遠くを眺めるのではなく、頭上の何かに心を奪われているようだった
細い路地を抜けると、コンクリートで舗装されたちょっとした広場だった。そこから視線を上げると、目の前には海が広がり、遠くには漁船らしき船が波間に揺れていた。広場の一角では、数人の男たちが歓声を上げながらクリケットに興じている。インドでは国民的スポーツとされるクリケットだが、すべての人がそれに夢中という…
路地を進んでいると、突然男の子が「ナルト」と声をかけてきた。自信満々に言うので、おそらくは日本のアニメ『ナルト』のことなのだろう。僕を日本人と認識してくれたのが少しうれしかった。海外では、特に意識しているわけでもないのに韓国人や中国人だと思われることが多い。こうして一発で日本人だとわかってもらえたの…
入り組んだ路地は細く、建物同士が密集しているため、一歩足を踏み入れるとすぐに地元の人びとと顔を合わせることになる
水辺を離れ、迷路のように張り巡らされた路地へと足を踏み入れた。ここはムンバイのインド門からそれほど遠くない漁村であり、観光地の喧騒とはまるで異なる空気が流れている。入り組んだ路地は細く、建物同士が密集しているため、視界は限られる。そのため、一歩足を踏み入れるとすぐに地元の人々と顔を合わせることになる…
魚を水揚げする様子はなく、荷物を積み込むわけでもなく、男たちが甲板の上で忙しそうに動き回っていた
ムンバイのインド門からそれほど遠くない場所にある漁村を歩いていると、再び海辺に出た。先ほど訪れた石ころだらけの浜とは違い、ここはきちんと護岸されていて、ボートが着岸していた。ボートの中央には保管庫のような扉があり、漁船であることがうかがえる。しかし、魚を水揚げする様子はなく、荷物を積み込むわけでもな…
この場所が今でも漁村であることを主張するかのように漁網がボートの上に置かれていた
ムンバイの片隅にある漁村を歩いていると、漁村らしさが薄れたかと思いきや、再びボートが姿を現した。道路脇に手漕ぎのボートが陸揚げされていて、その上には漁網が無造作に置かれていた。まるで、この場所が今でも漁村であることを主張するかのようだった。14年前に訪れたときには、道端で漁網の手入れをする男の姿を写…
ボロボロのボートや漁船が並ぶ波打ち際を離れると、そこにはもう漁村らしさはほとんど感じられなかった
ムンバイの片隅にある小さな漁村を歩いていた。ボロボロのボートや漁船が並ぶ波打ち際を離れると、そこにはもう漁村らしさはほとんど感じられなかった。むしろ、どこにでもあるインドの田舎町のような風情が漂っていた。道端にはかき氷のスタンドが出ていて、喉を潤そうとする人たちの姿も見える。こうした光景もまた、イン…
ゴミが散乱し、地元住民がここをトイレ代わりに使っているのも14年前と同じだった
波打ち際では男の子たちが無邪気に遊んでいた。その姿は、14年前に見た光景とまったく変わっていない。彼らの笑い声が響く浜辺には、相変わらずゴミが散乱し、地元住民がここをトイレ代わりに使っている様子もうかがえる。足元に注意しながら歩かないと、踏んではいけないものを踏んでしまいそうだった。時間は流れ、都市…
この漁村では小さな手漕ぎボートで沖に停泊している大きな漁船まで渡り、そこで漁をするようだった
石ころが転がる浜辺を歩いていると、沖から小さな手漕ぎボートが近づいてきた。浅瀬に入ると、数人の男たちが水の中に足を踏み入れ、ボートを陸揚げし始める。どうやらこの浜には、使われなくなった船だけでなく、今も現役のボートも行き来しているようだ。おそらく、彼らはこの小さな手漕ぎボートで沖に停泊している大きな…
ボロボロの漁船が転がる浜辺は漁港というよりも、使命を終えた船たちの墓場のように感じられた
ムンバイの片隅にひっそりと佇む漁村で、海岸へと向かって歩いた。観光地の白砂の浜とは異なり、ここは荒々しい岸辺で、無造作に転がる石が点々と広がっていた。細い道をたどりながら進むにつれ、波の音が次第に大きくなり、やがて打ち上げられた漁船の姿が見えてきた。それらの船は、まるで海を退役したかのように朽ち果て…
スマホが普及したこの時代でも、大きなカメラにはまだ特別な魅力があるのようだった
薄暗い路地を抜けると、漁村の中へと足を踏み入れた。ここは確かにインド最大の商業都市ムンバイの一部なのだけれど、その喧騒や近代的なビル群とは無縁の場所だった。まるでどこかの田舎町へ迷い込んでしまったかのような静けさと素朴さが漂っている。先ほど通り抜けた、電灯もない狭い路地が、都会とこの漁村を隔てるワー…
電灯もない薄暗い路地を抜けると視界が開け、目の前に14年前と変わらない光景が広がっていた
前に訪れた漁村が今でも残っているのを見て、もう一度足を運んでみたくなった。しかし、行き方がよくわからない。14年前に訪れた記憶はあるものの、海沿いの道路からどうやって辿り着いたのかはすっかり忘れてしまっていた。目の前に確かに見えているのに、行く道がわからないのはもどかしい。近くで暇そうにしていた男に…
都市化や再開発の波が押し寄せてもおかしくないはずのこの場所は、今もなお14年前と変わらぬ姿を保っていた
インド門から海沿いの道を歩き、半島の先端を目指す。やがて海に突き出た陸地の付け根にたどり着くと、そこがかつて訪れた小さな漁村の入り口だった。海辺の道路から眺めると、波打ち際には無数の石が転がり、その間に小さなボートがいくつも陸揚げされていた。周囲には高層ビルもなく、近代的な開発の兆しも見えない。ムン…
たとえアフタヌーンティーであってもタージマハルホテルにはドレスコードが存在し、それを満たさないと入れない
タージマハルホテルでのアフタヌーンティーを楽しむために向かったものの、ハーフパンツで来てしまったという痛恨のミス。ここはムンバイでも屈指の高級ホテル。たとえアフタヌーンティーであってもドレスコードが存在し、それを満たさないと入れない。案の定、入口で係の女性に「それは駄目だ」と言われてしまったのだった…
かつての植民地支配を象徴するような建造物であるインド門はインド人にとって忌避の対象になってもおかしくないけれど、実際にはそうではない
ムンバイの観光地の中でも特に有名なインド門。現在では街の端に位置しているけれど、かつてはイギリスの植民地時代にムンバイの「海の玄関口」として利用されていた場所だ。ここはイギリス人総督や著名人が船でムンバイに到着した際、最初に目にする建造物だったという。歴史を紐解けば、この門はイギリス領時代にジョージ…
区切られた歩道の一角に餌がびっしりと撒かれていて、鳩たちが夢中でそれを啄んでいた
ムンバイの街を歩いていると、歩道の端に驚くほどの数の鳩が密集している場所を見つけた。その光景は、鳩が一面を覆い尽くしてまるで「鳩の絨毯」のようだった。なぜここにこれほど多くの鳩が集まっているのか、不思議に思い近づいてみると、その理由はすぐに分かった。区切られたエリアの地面に餌がびっしりと撒かれていて…
ここには魚の選別や販売が「女性らしい」と見なされてきた歴史的な背景があるのかもしれない
鶏肉エリアを後にして、隣の建物に入ると、そこは鮮魚売場だった。市場の野菜エリアや精肉エリアとは異なり、ここには魚や海老、その他の魚介類が並んでいる。ムンバイはもともと7つの島から成り、干拓によって形成された都市であり、その歴史的背景からも魚介類が日常的な食材であることが容易に想像できる。海に囲まれて…
警戒するわけでもなく、作業を邪魔されることへの苛立ちもなく、男は外から来た異邦人に興味を持ってくれたような目をしてくれた
市場の建物を出てすぐの軒下には、鶏肉を扱うお店が軒を連ねていた。どのお店も鶏肉専門で、他の種類の肉は一切置いていない。羊肉を扱うお店は別のエリアに集まっているようで、この市場ではエリアごとに取り扱う品が分けられているようだった。そのため、この一角は鶏肉一色で、鮮やかな赤や白が目に飛び込んでくる。写真…
ぼんやりと往来を眺めていた男は、その静かな空気の中に溶け込むようにして椅子に腰掛けていた
市場の中には活気とは対照的なのどかな雰囲気が漂っていた。活気ある市場の賑わいを想像して足を運んだ僕には、少し拍子抜けするような静けさだった。それでも、喧騒に紛れることなく、自分のペースでのんびりと市場を歩き回れるのは悪くない。人混みに押されることなく、自分の目で気になるものをじっくり観察できた。写真…
インドが世界第2位のニンニク生産国であることを考えると、インド人のニンニク消費量がそれほど多くないのは意外だ
他の市場と同様に、この市場でもニンニクを扱うお店を見つけた。市場の隅に腰を下ろした男の周りには大きなザルがいくつも置かれ、どのザルにもニンニクが山のように盛られていた。インドの市場では、ニンニクが必需品であり、非常に売れ筋の商品であることが窺える。しかし、これだけ大量にニンニクが売られているのを見る…
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道教寺院というのは、一歩足を踏み入れると、そこが単なる一室の信仰空間ではないと気づかされる。鹿港天后宮も中央に媽祖を祀る本殿がありながら、その周囲には多種多様な神々が、それぞれの小さなお堂に鎮座している。文昌帝君、関聖帝君、城隍爺──名前も役割も異なる神々が、それぞれのご利益と共に祀られていて、境内…
外を歩いているはずなのに、ふとした瞬間、屋内をさまよっているような気分になることがある。香港の湾仔で歩いていた路地も、まさにそんな場所だった。左右からせり出した色とりどりのテントが、空を覆っている。青や赤のビニール屋根が視界の上部を埋め尽くし、その下にはびっしりと並ぶ屋台。靴下、帽子、スマホのアクセ…
ムンバイを歩いていると、どこにも属さず、ただ道端に腰を下ろしている人びとをよく見かける。何かをしているわけでもない。ただそこにいて、通りを眺めたり、誰かと談笑したり、ときには黙って風に吹かれているだけ。日本ではあまり見かけない光景で、最初は何をしている人たちなのか分からず戸惑った。でも、そんな僕の思…
ハノイ旧市街を歩いていると、絶え間なくバイクの音が耳に届いてくる。クラクション、エンジンのうなり、時には叫び声。四方八方から押し寄せてくるバイクの波に、僕はしばし立ち尽くしてしまう。目の前を通り過ぎるのは、老若男女、二人乗り、三人乗り、買い物袋をいっぱいぶら下げた人、スマートフォンを片手に運転する人…
鹿港天后宮のような道教寺院を訪れるたびに、僕は少しだけ戸惑う。日本の寺に慣れ親しんだ身にとって、この空間はどこか異質で、けれどそれが不思議と心を惹きつけてやまないのだ。回廊には柱が並び、軒下には金色の飾りが揺れている。どこを見渡しても色彩が濃い。その中で人々は香を焚き、願いを込め、祈りを捧げている…
香港では、空がやけに狭く感じられる。高層ビルがぎっしりと並び立ち、視界のほとんどを覆ってしまうからだ。見上げても、わずかにのぞく青空があるだけで、それさえも四角く切り取られてしまっている。湾仔の露店が並ぶ通りを歩いていると、その感覚はいっそう強くなる。そんな通りの片隅で、ひとりの男性が店先の商品をじ…
ムンバイの街を歩いていると、突然、壁に向かって設えられた即席の鏡台と、ちょっと背の高い椅子が目に入った。青空の下、歩道にぽつんと構えられた床屋だ。ごく自然な様子で椅子に座っている男性と、真剣な眼差しで顔剃りをしている理容師。ふたりの間には、言葉にしない信頼のような空気が流れていた。こうした青空床屋の…
ハノイ旧市街の一角。通り沿いにずらりと並んだカラフルなおもちゃたちが、小さな玩具屋の前を賑やかに彩っていた。キャラクターのぬいぐるみ、ピカピカと光る剣、リアルに作られたミニカー。どれもが棚からこちらに手を伸ばしてくるようだった。その前に立っていたのは、小さな男の子。目を輝かせておもちゃを見つめる姿は…
鹿港の静かな通りの先に、威厳ある屋根の反りが姿を現した。媽祖を祀る鹿港天后宮だった。立派な装飾が施された屋根の下には、赤い幕が垂れ、香炉の煙がゆっくりと天へと立ちのぼっている。天后宮という名が示す通り、ここには海の守護神・媽祖が祀られている。かつて鹿港が港町として栄えていたころ、多くの船乗りたちがこ…
香港・湾仔の路地に小さな肉屋があった。間口は狭く、奥行きも深くない。店先にはローストされた鶏が無造作に吊るされている。冷蔵ケースなどは見当たらず、常温での陳列だ。生々しいが、どこか生活感があって、妙に惹きつけられる。店先では男が無言で作業を続けていた。大きな丸太のようなまな板の上で、手際よく鶏肉をさ…
ムンバイの道路脇にツートンカラーのクラシックなタクシーが停車していた。前席と後部座席のドアがどちらも大きく開け放たれて、歩道にまでせり出していた。その開き具合は、もはや歩行者の進路を遮っているようでもあったが、周囲の誰も気に留めていない様子だった。男の子はよけるでもなく、その隙間をすり抜けるように通…
旧市街の一角、封筒の束が山のように積まれた店先で、ひとりの男が小さなプラスチック椅子に腰を下ろしていた。彼が手にしているのはスマートフォンだが、その背後には、整然と束ねられた無数の茶封筒が静かに存在感を放っていた。日本ではすっかり電子化が進み、郵送という行為が年賀状くらいでしか思い浮かばなくなった今…
鹿港老街を歩いていると、ふと視界の端に色鮮やかな舞台が現れた。まるで絵本から飛び出したかのような極彩色の装飾が目を引く。龍や鳳凰、蓮の花などが勢いよく描かれたその舞台は、人形劇のための移動式ステージだった。「大自然掌中劇團」と書かれた看板が掲げられている。台湾の伝統芸能である布袋戲、つまり掌中劇の舞…
湾仔を歩いていたとき、ふと立ち止まった。目の前に現れたのは、赤々とした肉塊が無造作に吊るされた精肉店だった。まるで屋台のようなお店は小さいものの、店先にずらりと並んだ肉はまるでこの街の生命力そのものを象徴しているかのようだった。蛍光灯の赤い光が肉の色をいっそう濃く染め上げている。骨付きのまま吊るされ…
ムンバイの午後の陽射しは強く、空気の粒が光の中でじわじわと揺れているように見えた。そんな中、通りかかったバス停のベンチに座っていたひとりの女の子が、こちらを見てふっと微笑んだ。前髪がまっすぐに切り揃えられていて、その輪郭のくっきりとしたラインが、どこか昔の映画に出てくる少女のような印象を与える。左手…
ハノイの街を歩いていると、ふと立ち止まりたくなるような食堂に出くわす。銀色に鈍く光るステンレスのテーブル。プラスチックの椅子が無造作に並び、中央には箸が束になって立てられている。どのテーブルにも共通して置かれているのは、唐辛子入りの調味料の瓶、紙ナプキン、そして赤いプラスチック製の箸入れ。ベトナムで…
赤い提灯がゆらめき、線香の煙が天井へと昇ってゆく。鹿港天后宮の境内は、平日にもかかわらず参拝客でにぎわっていた。媽祖信仰の中心地として知られるこの廟は、鹿港の歴史そのものといっても過言ではない。鹿港はかつて、清朝時代に港町として隆盛を極めた。大陸からの船がこの地に寄港し、物資とともに文化も行き交った…
火龍果とは、ドラゴンフルーツのこと。果肉の白や赤に、黒いつぶつぶの種が無数にちりばめられた、どこか異世界の植物のような果物である。その派手な見た目に似合わず、味は意外と淡白だが、香港の市場では人気者だ。湾仔の街角に立ち並ぶ果物屋では、そんな火龍果が山のように積み上げられていた。赤紫色の果皮が照明を受…
ムンバイの通りを歩いていると、どこからともなく甘くて爽やかな香りが漂ってきた。香りの先を辿ると、そこには小さなジューススタンドがあった。派手な装飾もなく、看板には英語とマラーティー語が混じって並んでいる。だが、そんな飾り気のなさがかえって、街の空気とよく馴染んでいるように思えた。スタンドには何人もの…
ハノイ旧市街の路地を歩いていると、ひときわ目を引くのが行商人の姿だ。観光地の中心にありながら、そこには不思議と生活の匂いが残っている。行商人の多くは、手押しのワゴンや肩にかけた籠で、静かに街を巡っている。売っているものは華やかさよりも実用性が重視され、地元の人々の台所に直結するような品ばかりだ。この…
理由はわからないけれど野木神社の12座あった舞のうち、五行の舞だけが100年ほど前から行われていなかったところ、1999年に隣接する小山市の神社で行われているものを元に復元されて再び奉納されるようになったのだという。100年前に途絶えていたのだから、写真記録はおろか、動画を記録したものもほとんどないに違いない。そのような中、復活させるのは大変な作業だっただろう。
円形劇場とは古代ローマにおいて剣闘士競技などの見世物が行われた施設のこと。つまり剣闘士同士、あるいは剣闘士と猛獣などとの戦いが繰り広げられたところを指す。WIKIPEDIAによると東京オペラシティのサンクンガーデンはその円形劇場を模しているという。本来は血なまぐさい場所に、表情のない巨人が立っていては尋常ならざる雰囲気を感じてしまっても仕方がない。
東京オペラシティアートギャラリーに「寺田コレクション」を残している寺田小太郎という人物は、メディアに登場するような有名人ではないけれど、500年続く名家の人間で東京オペラシティ辺りの大地主だったという。メディアに登場しなくとも、由緒あるお金持ちって存在しているのだと思わされる話だ。
「町中華」という言葉を聞いて思い浮かべるイメージは分かったような、分からないような曖昧なものだったけれど、藤沢駅近くにある老舗中華料理店「味の古久家」を訪れたら、その曖昧模糊としたイメージが少しだけハッキリしたような気がした。
1929年に竣工した日本橋室町に建つ三井本館は、当時の社長の「関東大震災の二倍のものが来ても壊れないものを作るべし」との命で、当時の一般的な事務所ビルの約10倍のコストを掛けて建設されているという。コリント式のオーダーが乗る列柱が整然と並ぶファサードはまるでロンドンかニューヨークに建っているビルのようだ。
由来を考えると歴史のありそうな静岡市葵区は意外なことにその歴史は浅い。誕生したのは2005年4月1日だから、まだ20年も経過していないのだ。その名前の重さに歴史がある名称だと思っている人は多いだろう。これと同じように新しいくせに古株のような顔をしているものは、世の中に結構多い。
登呂遺跡は弥生時代の水田遺構が日本で初めて確認された遺跡で、弥生時代=水田稲作というイメージが定着する契機ともなった遺跡だ。だから教科書にも載っていて、僕も耳にしたことがあったのだ。8万平方メートルを超える水田跡が発掘された登呂遺跡は、今では公園として整備され、復元された水田と建物群が往時の様子を今に伝えている。でも建物の用途はどうやって判定しているのだろう。
久能山東照宮で拝観料を払って進むと、朱塗りの大きな門が現れる。この楼門には後水尾天皇の宸筆の扁額が掲げられており、由緒あるものだ。鎌倉の英勝寺と同じように久能山東照宮は徳川家と縁が深く、そのため天皇や上皇に扁額を依頼することができたのだろう。
公式サイトによると、久能山東照宮の登山に要する時間はたった20分程度。でも実際に歩くと長く感じる。登山道の作られている斜面は傾斜が急で、道はつづら折りになっていた。少し進むと踵を返して方向転換する。教科書に載せたくなるような見事なつづら折りだった。
天満宮はもともと、怨霊と化した菅原道真の魂を鎮めるための神社であったはずなのに、今ではそのイメージは薄い。現在では学問の神様として広く信仰されていて、受験シーズン前に合格祈願に訪れたことのある人も多いだろう。実際、菅原道真は優れた学者であったという。そのため「怨霊」というよりイメージが薄まるにつれ、「学問の神様」としての信仰が根付いただろう。
経ヶ峯公園には仙台藩祖・伊達政宗の霊廟である瑞鳳殿をはじめ、2代忠宗の感仙殿、3代綱宗の善応殿、9代周宗や11代斉義の墓がある。また、斉義の妻の墓や、5代吉村以降の藩主の夭折した子女の墓もある。経ヶ峯公園一帯は伊達家の重要な墓所なのだ。いくつもある霊廟の中でも、伊達政宗の瑞鳳殿は特別な存在で、他の霊廟とは異なり涅槃門と拝殿が設けられていて、別格の扱いなのだ。
広瀬川を渡ると住宅街が広がり、その先に伊達政宗の墓所である瑞鳳殿がある。瑞鳳殿は仙台市の中心部から少し離れており、1945年の仙台空襲で焼失したが、戦後に再建された。再建された建物は色鮮やかで、黒を基調とした美しい文様が特徴である。400年近くも保存されていたオリジナルだったら、これほど鮮やかではないだろう。
仙台にある「せんだいメディアテーク」は建築家・伊東豊雄の代表作で、フランスのル・モンド紙でも紹介されたほどの知名度を持つ。全面ガラス張りの開放的なデザインが特徴で、6枚の床と13本のチューブという独特の構造を持つ。この建物には仙台市民図書館やイベントスペース、ギャラリー、スタジオがあり、市民に開放的な空間を提供している。特に開放的な図書館で行う読書は心地よいだろう。普段なら読んでも理解できないものも、ここなら理解できるかもしれない。
仙台の輪王寺は戦国大名伊達氏と縁のある寺院だ。明治維新後に一時没落したものの、1910年代に復興され、池の中心に三重塔が映える禅庭園もその際に作られた。でも僕が惹かれたのは山門から本堂へ伸びる参道だった。新緑に覆われていた道を歩くと緑のトンネルの中を進んでいるような気分に浸れ、俗世から聖域へと足を踏み入れる感覚を与えてくれる。
日枝神社がこの地に遷座したのは1659年で、それ以前は松平忠房の邸宅であり、さらに遡ると星ヶ岡城という城郭があった。城郭の名残はほとんど残っていないが、地図を見るとその地形が城郭に適していることがわかる。日枝神社の北側には土塁と思しき遺構も残っているとはいえ、城郭だった名残はほとんど残っておらず、記録も乏しい。星ヶ岡城は謎に包まれた城郭なのだ。
都内にある国宝の建造物は少なく、東村山の正福寺地蔵堂と赤坂迎賓館の2つだけだ。そのひとつである赤坂迎賓館は1909年に建てられ、バッキンガム宮殿やヴェルサイユ宮殿を参考にした西洋風の建物である。日本風の意匠も混じっているが、外観は西洋式で統一されている。広々とした前庭の石畳はヨーロッパの旧市街を思わせ、日本にいることを忘れさせる。訪れても面白いと思う。
手賀ハリストス正教会は、茅葺屋根の古民家風外観ながらも、内部はイコンが掲げられた聖堂だ。1879年に建立され、関東でも有数の歴史を誇る聖堂を訪れれば、その外観と内部のギャップに訪れる人々は驚くに違いない。
東京にある庭園には高低差のあるところが多いのは、そのような地形が庭園造りに好まれたからとされる。高低差があると、眺望も良いし、滝も作りやすいなのだという。国分寺崖線沿いに作られた殿ヶ谷戸公園にもやはり庭園内にかなりの高低差があった。
買ってきた生竹の節を切り取って大勢で流しそうめんを楽しんだこともあるけれど、竹の種類についてよくわからない。自分の竹リテラシーの低さを思い知らされたのだった。
印刷工場は郊外に移転したものの、市谷工場の表玄関だった「時計台」がDNP本社ビルの脇に復元されていて、中には印刷工場の一部が再現されている。そこでは活版印刷の流れを体験できるようになっている。