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雨宿ウサビッチ日記
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ペースメーカーの移植手術をした田舎者が心の病と闘いながら共存シェアハウス生活を目指す日記
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15回 / 365日(平均0.3回/週)

ブログ村参加:2010/10/07

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ウサビッチさんの新着記事

1件〜30件

  • 神様、もう少し眠らせて

    散らばったままのペットボトル。カップラーメンの空カップ。水槽の底でジッとしたまま餌を待つ金魚。.1月9日、朝、帯状疱疹後神経痛で身体を起こす時も痛がる母の為、人が抱えなくてもいい様に介護ベッドに取り替えた。この時は僅に意志疎通が出来て、「何か食べたい?」と訊くと、本当にか細い声で『り・ん・ご』、と話た。それが、私の聞いた最後の言葉でした。母はその時、右目を僅に開き、涙を流した……。それまで滅多に涙を見せなかった母が、神経痛になってから、夜中泣きながら呼び出しベルを鳴らす事が多くなった……。私は、ただオロオロしながら、レスキューの痛み止めを飲ませるしかなかった。私も三十代の頃、帯状疱疹になり、その後、帯状疱疹後神経痛に苦しみ、1年半入院しているから、母の苦しさは身に染みて分かる。.すり潰したリンゴを、スプーンで口に入れると、噛む仕草をするものの、もう飲み込めない……翌日、入院の為の訪問診療で医師と看護師が訪れた。初めての在宅診療──。診療所の診察が終わってからだろうか、夜7時を過ぎていた。食事を全く摂れていないと言う事で、250mlの点滴を約半量、ゆっくり落としながら、明日、朝一番で入院させましょう、となった。患者搬送には救急車を呼ぶ事にして、部屋は個室が空いているのでそこへ、となった。病院では無い診療所なので、個室代は取らないと言う。しかし、それは叶わなかった──。もし、あと数日早く訪問診療を頼んでいれば、或いは、数日早く入院出来たかもしれない……、と思いつつも、その判断を誰がする?ケアマネージャーが促したとしても、父が納得したか?介護ベッドの提案がせいぜいだったのかもしれない。治療してないと言う事は、全ての判断を家族がする事になる。医師による訪問診療や点滴も、家族が要請しなくては、前に進めない。そんな事も全く知らず、何だか全てが、後手後手になったような気がしてならない──。.医師が帰って間もなく。家族が、「おかあさん、息してないよ!」と叫んだ。直ぐ、医師に再び電話!大晦日。本当に何十年ぶりかで、家族が揃い、いつもの様に母は大好きな寿司を頬ばった──。最後の年越しを、小さなコタツを囲み、小さな家族が、全員揃って迎えられた。医師が告げた。「午後11時56分、御臨終です」「きっとこの家に居たかったんじゃないですかね…。病院のベッドは嫌だったんでしょうね……」医師の言葉に、父が頷いた。.斯くして、私は循環器内科の診察を

  • 認知症ではなくせん妄

    約1カ月前に買ったチョコ。食べずらく中々減らない。..昨夜、鎮痛剤として使っていたフェントステープを中止した。これで痛み止めはオキシコドン徐放錠とロキソニンのみとなった。母は、相変わらず帯状疱疹後の肋間神経痛に顔を歪めるが、これまでよりは痛がらない。ベッドのそばの簡易トイレを止めて完全オムツにした。その方が置き上がるたびに肋間神経が痛いのを防げる。母はどうしても立ち上がりたいようだが、介護する側もその方が楽になるので、何度も何度も言い聞かせた。それまでは頷くものの、直ぐ忘れて、ズボン下を脱いでいたが、今日は大丈夫だった。恐らくオピオイド麻薬系鎮痛剤が多くて朦朧としていたのかもしれない。のどが乾くと、特製OS-1甘口をコップ1杯飲むようになった。元々甘い団子やチョコが好きなので塩味のOS-1より飲みやすいのだろう。要介護3になって電動ベッドが借りられる事になったが、まだ保留。何せ起こそうとすると神経痛が酷く痛むらしく、時々、自力で横向きに寝たりするので電動ベッドを使うと誰かがそばに居る必要があるので、今は、保留中。.つくづく感じるのは、例え末期であろうと、抗がん剤治療をせず在宅緩和ケアを選択すると、次々に難題が持ち上がるのにどう対処したら良いのか迷うばかり。その上、病院の様に春夏秋冬と24時間冷暖房完備の快適な病室とは違い、昨年の様な猛暑や冬の寒さに対し室温・湿度をコントロールする事が、とてつもなく難しい事。気温の変化だけでも体力を消耗し、食欲を奪う。最も厄介なのは、薬の調整で、指示通りに、朝夕とか、食後とか、鎮痛剤は何時間ごととか……これらを守る事は在宅では殆ど不可能だ。逆に副作用で呼吸困難やアナフィラキシーを起こしかねない。薬の知識がほぼ無い同居の介護人には何も出来なくなってしまう。主治医に連絡する間も苦しむ患者や、救急車を呼ぶかの判断もつかい。しかも安定すれば直ぐ自宅に戻され、迷惑扱い……。がん患者を、医療や薬剤の知識が無い素人に在宅緩和ケアさせる事が果たして正しいのか……甚だ疑問だらけだ。これでは入院させて、抗がん剤治療で早く死なせた方が良いし、楽と言う事になりはしないか!.....

  • 鎮痛か傾眠妄想か

    吹雪の朝。昨夜は痛みを訴える事なく眠っていた。と言うより呼び出しボタンがどれか…どうすれば良いのかさえ覚えていないようで、教えた時は笑って「うんうん」と言うが直ぐ忘れてしまう。痴呆と言うより、せん妄状態にある。そばで付き添い見ていると~どうしよう。何もかも忘れて行く~との思いが膨らむばかりでオロオロしてばかり。こちらが喋ってる事は分かるようだが、傾眠傾向が強く何を言ってるのかハッキリ聞き取れない。ただ脇腹全体の痛みは少し和らいでいるようではある。<使用薬の遷移>◆フェントステープ2mg×2を1日1回12時間置きに交互貼り替え(合成麻薬)◆カロナール300mg(頓服薬として1回2錠)(=アセトアミノフェン)◆ボルタレン座薬→効果なしで中止◆ロキソニン60mg(就寝時と朝食後の2回)その後、どうやら帯状疱疹を発症。当初気づかず湿布剤のかぶれかと市販のステロイド&抗生物質配合軟膏を塗るも、疼痛範囲が背中から胸元まで広がり→帯状疱疹と判明→その後帯状疱疹後神経痛へ移行。急遽、薬剤追加。<追加分>◆アシクロビル錠200mg×2朝夕(抗ウイルス剤)◆オキシコドン徐放錠5mg×2朝夕(あへん系麻薬)オキシコドン服用2日目からせん妄状態が酷くなって意識朦朧となったので、鎮痛剤の過量によるものと思われ、フェントステープを用法容量事項のオキシコドンへの切り替えに基づき、2日ごとに使用を中止し4日で全切り替えに。12月31日。母は年越し寿司を各半分こで、6品食べた。神棚のある方角に向かい手を合わせ……涙ぐむ。毎年の大晦日と同じように紅白歌合戦に目を向け、また直ぐに横になった…9月頃までの余命宣告から、帯状疱疹と言うアクシデントがあったものの、新しい年を迎えられた事に感謝するばかり。来週、地元の小さな病院に診察に行く事になった。状態を診て、訪問看護や入院に備えるらしい。....

  • バタバタ年が明ける

    昨年の夏、庭のノウゼンカズラの花は殆ど咲かなかった。暑すぎたのかもしれない。 あたふたした年末になった。母の痛みをどうやって消すかに、神経をすり減らして来た。 12月25日、病院へ行った。 母は殆ど痛みで動けないので。痛みを訴える部位を写真に撮って、担当医に見せた。赤く濃い鬱血痕が右脇腹の肋骨下に広範に広がる。 担当医は、母の症状と痛み具合と写真から、「帯状疱疹」ではないかといった。はっぁ!?まさか・・・母は数年前、帯状疱疹で入院しているのだ。その時は大した痛みも、皮膚のブツブツもなく、すぐに完治したが・・・まさかこんな時にか――!発症してからもう一ヶ月近く経つので、抗ウイルス薬は効果が無いかもしれないが、アシクロビル200mgを処方してくれた。更に「ワォンワォン・・・」と事あるごとに泣いて痛がるので、強オピオイドの「オキシコドン徐放錠」を追加してくれた。これで鎮痛・疼痛薬は「フェントス2mg」と「カロナール錠」、「オキシコドン」の3種類になった。あとはこれらを血中濃度を維持しながら、効果が途切れない様にバトンタッチ方式で使ってゆくしかない。しかし突発性の疼痛が起こった場合のレスキュー剤がなく、徐放剤は割れないし、砕く事も出来ないので効き目が遅い。病院なら鎮静剤の注射も出来るだろうが、在宅で、医師でも看護師でもない者が筋注など許されるはずもない・・・。多分、骨髄腫の痛みだけなら、既に緩和できてるはずなのに、予期せぬ帯状疱疹と、その後の帯状疱疹後神経痛のダブルパンチに、家族は為す術を見失った――。赤十字病院の主治医に入院の打診をしてみた。しかし答えは同じ・・・。病気に対して治療しなければ入院が出来ないし、緩和ケア病棟にも入れない。治療は症状を改善するための事で、現状を維持させるだけでは在宅になると言う。確かに、そう考えると神経進行性疾患の患者は在宅医療を受けているし、認知症だけでは入院は出来ないが・・・。しかし先生が、そうした患者を受け入れてくれる病院を盛岡周辺で探してくれた。だが、第一候補は自宅から遠く、エマージェンシーが来ても直ぐには駆け付けられない。もう一つは地元にあった!!問い合わせると、受け入れOKだが、ベッド数が少ないので、空くまで待ってもらう事になると。その間、訪問看護師が、在宅での点滴をアシストしてくれると言う。自分で食事を飲み込めなくなったら、在宅訪問介護になり、病院のベッドが空くのを待つことにな

  • オロオロするばかり

    痛み止め、カロナールにしてから19日目。今日母が、いつもより痛みを訴える。日中はロキソニンからカロナールに代えてたが、どうやら鎮痛効果がなくなって来ている。オピオイドは11月22日にフェントス1mgから2mgにしたが、これも日中起きていると痛がる。痛み部位は背中から肋間神経痛に沿って上半身全体に及ぶ。5日ほど前からカロナールにバファリンを追加して見るも、鎮痛効果は無い。今日はこれまでで一番痛がる。入院してモルヒネの点滴を受けさせたいが、患者本人に告知していないので緩和ケア病棟へは入院出来ないとの事。患者本人が余命宣告されていない場合、看護婦に心的負担が掛かるからなのだろう。もし入院する場合は一般病棟になるので、大部屋なら他の患者は少なくとも癌患者ではない事になる。痛くて叫ばれたり泣かれたりしても困ると言う事だった。母の痛みを取り除く手段は在宅では万策尽きた感があるが、今何とかしなくちゃ!家族で明日にでも入院の予定を病院にお願いしようと…。しかし今はどうする!急患として病院に行くべきか……!医者でも何でもない私にできるのは…咄嗟に、フェントス2mgをもう1つ背中に貼って計4mgにしてみた。前回、1mgから3mgにして嘔吐したパターンだ。やむなく倍の4mgで様子を見る。フェントスは最大8mgテープがあるが、注意書きには6mg以上は使用しないようにと書いてあるが、今出来る事はこれしかないので……。.....

  • 在宅介護の意味と限界?

    突然の余命診断から6ヵ月余り、母と家族の病魔との戦いは気の抜けない日々の連続である。..母は食欲も少しだが有り、意思表示もハッキリしているが、やはり食べる量は減っている。.食欲を一番邪魔しているのが胸骨の痛みだ。胸骨の左右の下から各5本が、腫れて炎症を起こしており、この激痛が夜寝てる時以外、一日中痛いと苦痛を訴え続ける。..先週までは…。.病院から、癌性疼痛の薬として合成オピオイドのフェントステープ1mgと、ロキソニン錠60mgを1日2回、それに就寝時にボルタレン座薬をもらい使っていた。..だが、今月になって胸骨の腫れが酷くなり、処方薬では痛みを抑え込めない。.そこで今週早々病院に電話して、鎮痛剤の増量をお願いし了解されたので、早速取りに行った。..増量したのはフェントステープを2mgへ。..所が、1mgを貼ったまま2mgを貼ったせいか、母が苦しみ出し嘔吐!どうやら、急な増量での副作用かもと家族で相談し、慌てて2枚とも剥がし、吐き気が収まるかを待つ事に……その間、血圧を計り、血中酸素濃度をモニターしながら様子を見る。.それから暫く、深夜未明、母が落ち着いて来たので、両胸骨をタオルで冷やす。...状態が安定したので、フェントステープの効果が減衰する17時間後を目処に待つ事にする。..余裕を見て、約30時間後、2mgを太ももの膝の少し上に改めて貼る事に……。..胸骨の腫れと炎症による痛みがヒドイので、角化用のステロイド軟膏を塗ってみる。.これは私の乾癬用の軟膏だが、同じ抗炎症作用のステロイドなので、気休めに。そしてその上から市販の安い湿布を貼る。..癌性疼痛に湿布は役に立たないと知ってるものの、他に手立てが無い!.ついでと言っては何んだが、処方薬のロキソニンも殆ど効果が無い。.それもそうだ……..市販薬の成分量より少ない容量では、効くはずもない。血管性や筋肉痛とは違う、骨が溶ける痛みに太刀打ち出来るはずもない。...つまり、在宅での、多発性骨髄腫のケアはほとんど不可能と言う事になる。病院で静脈点滴による定量投与しか、痛みを軽減する方法は無いのか……或いは訪問看護による看護師の要請か?..しかしここではそれも無理。訪問看護師の人手が足りない。入院となれば、一気に弱っていく事は目に見えている。何とか在宅で……と言う家族の願いは届かないのか?....一瞬、微量のダラザレックスはダメなのかな?と、弱気の悪魔が顔を出した。..

  • 合成オピオイド鎮痛薬

    色々な事に忙殺されて、ブログに書きとめる事を忘れていた。母の年齢を考慮し、抗がん剤治療を断念してから約7ヶ月が過ぎました。当初、酷い貧血の為、1ヶ月ごとに輸血に通院してたが、9月の時点から数値が9.5で安定して来たので、拒絶反応を防ぐ為に1ヶ月半ごとになった。(正常値のHGB=ヘモグロビンは11.6~14.8)抗がん剤治療をしてないので、免疫グロブリンのIgGが7500mgと、基準値(861~1747)より相当高く、骨髄腫細胞が活発であり病状は進行している。逆に面倒力を高めるIgAとIgMが低値で推移している。この二つの免疫グロブリンがこれ以上低くならない事を祈るしかない。母の骨の痛みは、肋骨の脇の部分と肩甲骨の端に集中していて、毎日苦痛に顔を歪める姿が見るに堪えないほど……。訪問看護は頼んでいないので、対症療法しかないが、それを繰り返すばかり。①高度の癌性疼痛には効き目が無いが、気持ちいいと言うので湿布を貼る。今は湿布を病院は出さないので、市販の貼る湿布を買って毎日2回貼り代える。②処方薬の鎮痛剤は座薬(ボルタレン)、飲み薬にロキソニンを1日2回。③先月になってそれでは痛みを抑えられないので、モルヒネではなく、合成オピオイドの「フェントステープ1mg」を1日1回。④しかしこれではまだ痛みを訴えるので、今日から「フェントステープ2mg」に変更した。骨粗鬆症の薬とカルシウム剤も飲んでいるが、効果の程度は分からない。痛みを抑える事を最優先させるならば、鎮静剤や点滴による常時モルヒネ投与が常套かもしれないが、それでは自力で食事も出来ず、1日中寝たきりになってしまう。家で過ごさせてあげたいと言う父の気持ちが萎えてしまう事も不安だ。自力で食べる事が出来るうちは、ただひたすら痛みを取り除く事に手を尽くしたいのだ。主治医もこの考えに賛成してくれている。もし入院となれば急激に弱る可能性があるので、自力で食べられるうちはせの方向で行きましょうと……。TP値(Mタンパク)が少しでも下がってくる事を祈りたい。.....

  • 人生初

    SKE48の松井珠理奈が「苦手な夏を少しがんばり過ぎたみたいです。ご心配おかけして、すみません。あともう少し休んで、回復して頑張りたいと思います!」とコメントを出したが、やっぱり松井珠理奈も私と同じ様に夏に弱く夏バテしたようですが、回復傾向にあると言うのは何よりです。人にはどうしても苦手なものがある。人一倍汗かきで、どんなに水分やら塩分を摂ってるつもりでもバテる人はバテる。私も夏バテから復活できず、今月、病院の予約をすっぽかした。そして11月に新しく予約を入れ直し。動くと汗をかきスポーツ飲料をがぶ飲みするせいで、なかなか体重が減らず、肝臓内科の栄養指導は完全に説教と化し、もはや拷問に近い……(泣)結局、まだ夏バテ中でこの3週間全く家を出れず、完全に「ヒキコモリ」「デブショウ」となり、貧相な食事の連続。勿論、毎日、ご飯と豆腐と冷凍餃子に冷凍ブロッコリーばかりじゃ飽きてくる!いやもう飽きた!そして一大決心をした!人生初のカップラーメン箱買いをしてしまった。日清ラ王のお好みセット通販だっ!!禁断のカップ麺の箱買い……果たして食べきれるのか?はた又、油は健康にどうか?それにしても冷凍ブロッコリーがあるのに、何故例外レタスやキャベツの千切りは無いのか? 味噌汁にはフリーズドライのほうれん草があるのに、葉物野菜のフリーズドライが無いのは何故だ??....

  • 泣いてるのは虫歯と違う

    .これは肩が痛いから泣いてるんじゃない。母の介護が煩わしいと思って泣いているんじゃない!銀行に行けないから……外へ出られないから……風呂もシャワーも全然浴びる余裕がないから……家族全員病院通いで忙しいから……夜に起こされるから……....そんな、その程度の事で、ジッと車の中で大声で泣いているんじゃない!そんな事じゃないんだ!!!.....何故だ?本州で北緯39度線と言えば、泣く子の涙さえ凍る寒い所なのに、しかも10月も中旬なのに、..やたら 暑い!!暑いぞ!!いつまでも暑いんだ!!!もう汗をかくのも沢山だあああぁぁ~~~あぁ!....以上、今日の愚痴と雄叫びでした。.....

  • 愚痴溜まり

    溜まって溜まって胸の中が窒息しそうなので一旦ここに吐き出します。銀行に行きたい!湿布が欲しい!痛め止めが無くなった。バファリンが欲しい!冷蔵庫がガラガラ!カップラーメンでも買いたい!野菜が食べたい!夜全然寝れない!眠剤効果なしだが朝が来てから眠くなり昼間活動出来ない!夜呼び出しチャイムで呼び出される!母、ボケ率70%ぐらいで進行中!まだ秋来ない。暑い!未だににTシャツで夏バテ進行中!梅干しが大量に欲しい!漬物の塩分が少なくその分を唐辛子で誤魔化してる!偽物漬物、消えろ!辛いと利尿作用でトイレばかり行く!減塩糞食らえ! 湿布と筋弛緩剤が欲しい!ああ、買い物に行きたい❗....階段疲れる!...

  • 四回目の輸血

    梅雨は苦手だ。..汗が蒸発しないまま皮膚にへばりついて、尚一層身体が蒸し暑くなる。..母の診断確定から1ヶ月が経った。貧血予防の輸血を続けているが、これまでと何ら変わっていない。...私は今も、今でも、この決断で良かったのか迷っている。...多発性骨髄腫には幾つかタイプがあるようだが、どんなタイプであろうと治療方法は同じ。.使用する薬剤も同じだし、その後の移植も同じ。更に言えば、治癒する事はなく再発しては抗がん剤治療の繰り返し…….結局、骨破壊が進行し死に至る。ハー・・・(;´Д`)...骨破壊の無い白血病と異なり、多発性骨髄腫には『年齢制限』がある。.治療推奨は65歳までで、それより高齢の場合、治療対象から外れている。無論、本人や家族が承知で治療を望むなら別だが、高齢の場合、逆に抗がん剤の副作用で悪化したり、認容性で苦しむ事になると……..つまり、抗がん剤治療は若い人が対象となる。最初に異常を発見した病院も、母が膝の人工関節の手術をした病院も、そして医大の医師も同じ意見だった。..治療の苦しみは耐え難く、むしろ自然な成り行きにまかせた方が良いと……。.元々骨は弱く、脊柱管狭窄症の手術もしているので、病院通いが絶えなかったが、若い人でも、男女とも発症する病気である事から、必ずしも骨が弱いから発病する訳でもなさそうだし……。...役場から介護認定で、家の中で使う車椅子とおまるがレンタル出来た。買おうと思っていたので、これは助かった。..それから日中、居間で過ごせるように、リクライニングのソファーベッドを購入。テレビを見ながら家族と相撲を観たり、食事をしたり。...いつ自力で食べられなくなるか分からないが、その日まで、母と一緒に過ごす。.それが、私の生きている意味なのだから……。........

  • 確定診断持ち越し

    暑さも一段落した四日、母が総合病院を退院。血液を専門とする別の病院で診てもらう為、紹介状を書いてもらった。岩手県内で血液腫瘍を診る事が出来て、抗がん剤治療が可能で、無菌室のある病院は3つ。最も強く薦められたのは、赤十字病院だった。総合病院から比較的近いと言う事と、岩手医大が9月に場所を市内から大きく大移動すると、通院がやたら遠くなるからだ。しかし、どんな診断で、どんな治療になるかは分からないが、造血幹細胞移植が出来るのは、東北では、岩手医大と宮城の東北大学しかなく、あとは東京になるらしい。母は高齢なので、移植の前治療そのものが難しい。しかも再発のリスクはさほど変わらないと言う。それならば、医大か、中央になる。赤十字はやはり遠いのだ。多発性骨髄腫は未だに完治が望めないという難治腫瘍で、しかも寛解しても多くが再発する。治療薬の進歩は、この3年余りで劇的変化を遂げたが、高齢者に多い事もあり、強い薬は使いにくい。年齢を考慮すると、経験豊富な専門医の判断にゆだねるしかないのかも……。.......

  • 輸血

    入院6日目。混合部屋から整形外科の病室に移った。これまではナースステーションから遠い部屋だったが、今回は歩行困難と言う事で近くになった。先週金曜日に続き、今日、2回目の輸血。赤血球成分輸血だと言う。血液検査でも貧血の原因はまだハッキリ分からない。しかし多発性骨髄腫疑いあり、と。前回は、骨髄機能の低下が疑われるとして、白血病かもしれないと言われたが、血液でも尿でもそれらしい兆候がなく、結果、確定診断には骨髄液の採取となりそう。骨盤の恥骨骨折は確定で、これは入院のおかげで起きたり歩いたりが無くなり、痛み止め薬も効いて、尻から足に掛けての痛みは無いと言う。それだけでも、今は入院した価値はあったと思う。それにしても確定診断までに時間が掛かるのが不安。今の病院には血液内科が無いので、ただ骨折を見抜いた医者の技量と判断を待ちたいと思う。......

  • 人にも換毛期はあるのか?

    犬や猫には換毛期という体毛の生え変わる時期があって、春先に脱毛し夏用の毛に生え変わり、秋の終わりには再び換毛期が来て、冬毛に生え変わる。人間でいう五月病は春から猛暑の夏に身体が切り替わるまでの不調かと思いきや、なんでも憂鬱な精神病らしい。しかし、急に気温が高くなったり、夜中も暑いと気温の変化になかなか付いて行けない。しかも朝はまだひんやりすると、身体がジタバタしてしまい、昼間は暑くと身体がダルく眠い?そして夕方になると元気になる……という昼夜逆が起こるのが『わたし 』。実に厄介だ。最近はその昼夜逆が激しいので、直近5月の気温を調べると、15日を境に最低気温が10度を越えている。それ以前はずぅーっと5度以下だったのが、急に高くなり……つまり16日以降、夏バテ☀️??になっていた。気だるく、ずっと眠いのは家中脱水の熱中症!早っ!それはさて置き、今日、母が入院した。以前、膝関節の人工関節置換術をしてもらった所。どういう診断になるか分からないが、色々な精密検査をすると言う。しかし個人の整形外科でも、今度の外科でも気付かなかった臀部の尻もちを、まさか内科の先生が、『臀部、骨折してますね』と見つけてくれた。見たのは単純なレントゲン写真なのに、まさか内科医が発見するとは……何んてこった❗そのせいで、あんなに痛がった訳だ。ようやく納得が出来た。しかも、既に少し石灰化しつつあり治り始めていると。あとはただひたすら大事にならない事を願うばかり。......

  • 母、入院す

    またしても戻って来ました。意外にソーシャルメディアは沢山あるのに自由に呟き、書ける場所がなく、結果ここに戻る事になりました……かな。母が今月、家の中で転び臀部を打ってから歩けなくなった。暫く湿布や痛み止めを飲んだり介護保険でマッサージを受けていたが、痛みが引かない為、脳神経外科で診察を受けた。この病院は過去に、脊柱管狭窄症の手術を受けた所。直ぐにCTとMRIを撮り、結果、側湾症と診断され5月13日に入院したものの、その後、血液検査で重度の貧血と判明。転院する事になり、15日に退院。斯くして総合病院への紹介状を書いてもらい、慌ただしく本日入院する事に…。事前のX線で、強打した尻にぶつけた跡がクッキリ写っていた。あらら、脳神経外科のレントゲンには何も映らなかったのに、どうした事か?臀部の傷にヒビはなく治り掛けているとの事。では足腰が痛くて歩く事さえ出来なくなったのは貧血のせいなのか?母、本人に眩暈やクラクラの症状はなく、不自然な皮下出血もない。何がどう悪くて自力で歩けなくなったのか、調べてもらうしかない。謂わば検査入院の様な感じだが、期間がどれくらいになるかすら未だに分からない。...

  • 冬眠から醒めて

    お久しぶりの更新。まるで、今年の冬を乗り越えた野生の動物たちの様に、やんわりと温かさを感じる気温に、ホッとするばかり。北陸の豪雪も凄かったですが、ここも、観測史上最低気温を記録するなど、2月は6日間連続、一日中氷点下を記録‥‥。最低気温はマイナス20℃付近をウロウロ。積雪量は2月14日以降、90㎝以上となり、ここでも210㎝まで到達。しかも連日真冬日が続いたので、降り積もった雪がそのまま減る事もなく、ずぅーっと壁の様になったまま‥‥。この雪は、5年ぶりと言う事でしたが、やはり、寒さと雪のダブルは、史上最悪と言われた、『三八豪雪』を思い出したほどでした。きっと「冷凍怪獣ペギラ 」の仕業なのかもしれません‥‥ しかも大雪の2月19日、初めて雪かきをしてしまいました 氷点下15℃の中、ほんの少しだけ、玄関先を。で、凍った冷気で気道が狭くなり、呼吸困難に‥‥アレーーーッ!慌てて、苦しい呼吸の中、玄関の中へ辿り着き、バッタリ!!気が遠くなりかけて、ようやく深呼吸をして、危機一髪!ヒーフ―ヒーフ―ヒーフ―ヒーフ―玄関の廊下に倒れたまま、ボヤーーッと腹式呼吸をしてました──。そしたら、両親が病院から戻って来て、母に、注意されてしまった さすが、軽自動車でも4WDなら、多少雪が積もっても、グイグイと押して進むとは、とんだ無駄骨でした‥‥。除雪機があるんだから、手で雪かきする事はもうしない事にします(猛反省)でも不整脈のように、胸が苦しい事はなく、そこはペースメーカーが上手くコントロールしてくれたんだと、感謝するばかりです。そして27日、3ヶ月ぶりの病院。乾癬の軟膏が無くなり、悪化してしまったので、紫外線治療と軟膏の処方箋。更に、肝臓内科では肝エコー。更にさらに、心血管内科での診察と、午前~午後までビッシリ!おまけに相変わらず、病院は暖房が効き過ぎ。先生も看護師も全員半そでだから、相当温度が高いのだろうが、それにしても他の患者さんは、汗をかく風でもなく、コートを着て、帽子をかぶって‥‥。あたしゃ、毎回、タオルで汗ふきに大忙しですよ。ホントに半そででもいいくらい‥‥とか言ってると、外は極寒だしねぇ~~ その結果、案の定、脱水状態となって、昨日は全然起きれない いつもなら、ポカリスエット900mLを2本買ってきて、6時間置きに丸ごと1本ずつのむのだが、疲れてしまって、何も買わずに帰宅。そこでインスタント味噌汁をカバカバ飲む やれやれ

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