広島城は堀も広く、建造物も石垣も多く、天守閣も見応えある城郭。だがしかし超有名な原爆資料館、原爆ドームのある広島。高校の修学旅行見学の地に「広島城」は無かった…
やったぁ!勝ったぁ!松本第一高校!長野県高校野球秋季県大会で優勝ぞ!準決勝で上田西高校を大逆転して勝利! 翌日決勝、松本国際高校を破って長野県大会優勝! 北…
「真田幸村と真田十勇士」!私の真田はこれ一辺倒で真田信尹(のぶただ)は長く知らなかった。2016年大河「真田丸」にて信尹を栗原英雄さんが扮し注目された。信尹は…
幼いころから真田幸村&真田十勇士に興味津々。昌幸、信幸はその次、いわんや信綱、昌輝、さらに信尹までへの関心探求となれば、かなり後日の話。真田信綱・昌輝兄弟をも…
このポスターのような一枚紙。拙ブログで紹介したのは10年ほど前の2013年9月。武田信玄麾下、およそ500人の武将名が記されている「武田家属将美名録」。 左…
信州真田の郷に立つ真田昌幸のレリーフ像。いい顔だ。 真田昌幸が徳川軍七千を翻弄、大勝利した第一次上田・神川合戦の古戦場、神川河畔。かなりの昔、右岸左岸の河畔を…
沼田城、名胡桃城、岩櫃城…、そして真田本城、上田城…。真田昌幸が駆け抜けた城跡に昌幸の憤怒の熱い吐息が聞こえてくるような。名胡桃城から西へ80㌔ほど、信州真田…
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広島城は堀も広く、建造物も石垣も多く、天守閣も見応えある城郭。だがしかし超有名な原爆資料館、原爆ドームのある広島。高校の修学旅行見学の地に「広島城」は無かった…
十二年ぶりに、猛将福島左衛門大夫正則のふる里を訪ねた。尾張国海東郡二ツ寺村、現在は愛知県あま市二ツ寺屋敷、正則村ともいったそうな。 ●石臼を引きずって遊んでい…
佐原の街から犬吠埼の灯台へ。ここは本州東端の地。忠敬さんは、富士山・筑波山などが直接目視できるこの海岸で測量の精度を確かめる測量をしたという。犬吠埼の灯台。大…
伊能忠敬の地図作成への旅立ちは、常に富岡八幡宮(東京・墨田区)からだったという。10年前八幡宮で初めて忠敬さんの緊張した面持ちの旅立つ像を見た。いい顔していた…
志を得て、果敢に挑んだ平将門、その短き三十余年の生涯!将門のふる里、坂東の地を久々に訪ね歩き、改めてもののふ将門を想った…。 ◆平 将門(たいらのまさかど 9…
春四月、久々豪快な満開の義仲桜を仰ぎ見て、フツフツとまたも湧き上がってきた思いを、地元タウン紙に投稿した。なんとしても颯爽たる若武者旭将軍木曽義仲の姿を大河ド…
「おぅ!」 「おお、久しぶり!」関鉄常総線水街道駅にて、学生時代からの旧友Mと再会! Mは高校時代、抜群の数学成績トップ、しかも2番との差はいつもほぼ50点以…
筑波山神社から南へ10㌔ほどの小田城(つくば市小田)へ。「北畠親房が「神皇正統記」を書いた小田城」この関連・結び付きのみで記憶に残っている小田城、どんな城なの…
広大な関東平野にポツンと、いや悠々と浮かぶような筑波山。標高900㍍弱にして、日本百名山の一つという。水戸天狗党の挙兵の発端がこの筑波山中腹の筑波山神社での蹶…
信州の桜も、はや散りおさめ…。今年は運よく義仲桜の満開に訪れることができた。上田市丸子・宝蔵寺(岩谷堂)に樹齢八百年の「義仲桜」の巨木が立つ。この急な石段を登…
球春到来!我が孫Rちゃんが静岡高校野球部レギュラー入りして出場するという東海地区春季静岡県大会の応援に一路静岡へ向かった。夏の甲子園大会の前哨戦、シード確保の…
謙信公のレポを続けていたところ。なんと我が朋友が武田機山信玄公の甲冑を完成したと、地元タウン紙「市民タイムス」に報じられていた。写真右が旧友・山本隆一君。大昔…
我が孫の中学入学式ということで、久々に越後長岡へ。入学式、久しぶりの懐かしき景色、保護者も先生たちもみな緊張、新鮮だった。無事済んで話ガラリ変わって、一路能登…
関東へ赴くとなれば、あの謙信伝説の唐沢山城へは行かねば!実は友人と旧交を温めにいくのではあるが。謙信伝説とは。「殿、あまりに無謀! 本隊が着いてからでも遅うご…
今冬巡った大阪市・河内など大阪府南部一帯。菊水橋とか楠公町とか、楠木正成に因んだ地名に各所で出会い、信州では感じることのなかった「正成公への思い」が関西では浸…
1331年倒幕の挙兵後、後醍醐天皇は笠置山に立て籠ったものの苦戦をしいられ、追い詰められた。ある夜、笠置山行在所↑の南庭に立つ巨木の下に一人の武士が額いている…
大阪場所、大相撲優勝決定戦を見た。高安を応援、なんとか優勝を、初優勝を願った。 大関になるころの関脇高安が一番強く感じた…。亡き北の富士さんがそのころの高安と…
久々の投稿が地元タウン紙に載った。1年ぶりか、昨秋に二度ほど投稿したがボツだった(泣)。最近は集中力が無く、700字をまとめるに二か月近くも。すぐに飽きてしま…
やっと春が! 福寿草が! 四条畷神社から30分ぐらいで飯森山の楠木正行公像まで登れるという…。かつて東麓の楠寺までは行ったのだが…。 …
「忠孝の鑑」「もののふの鑑」と古来より崇められた楠木正成なれど、その生涯はわからないことが多く、逸話、伝承における姿が強く残って今に至っている感じだ。 父の名…
亡き妻の実家で懐かしく義弟夫婦らと談笑して、名残惜しく浦賀の地を後にする。今日の宿は娘夫婦孫の待つ鎌倉へ。コロナの影響で、この間浦賀にも鎌倉にもなかなか来れな…
館山市の館山城へ。山の上の模擬天守は高さ70㍍ほど。海が! 相模湾が一望!天守は小田原城がモデルという。天守からの海。山城の天守から大海原が望める景色が城めぐ…
投稿して2週間も連絡なし。ボツか…「仕方なし」とあきらめていたところへ連絡が。「ホホ、やった!」あな嬉し! さらに待つこと2週間、5月末の地元タウン紙に載った…
間宮林蔵の生家・墓所を訪ねた日の夜。久々近藤勇ゆかりの地・流山にて旧友Kと邂逅 、昨年秋に逝去した旧友・竹内整一東大教授を偲びながら献杯す。▼流山の近藤勇陣屋…
「なにも京都や奈良へ行くこたぁねぇじゃんかよ!」「すげぇなぁ信州!」友人を信州の名刹・三重塔を案内した時、こんな感嘆の声が。然り!というわけで、早春三月に訪ね…
「この天守は岡崎城がモデルですか?」「そうなんです」大多喜城から西へ10キロほど、山城本丸に模擬天守を擁した久留里城。 駐車場から天守までたどり着くのがけっこ…
房総半島には天守をいただく城跡が多い。城の石垣は魅力的だが城門、土塀、櫓、そして天守。それが模擬天守であっても城跡を引き立てる。 大多喜市の大多喜城へ。 唐破…
「世界地図で唯一日本人名のついた地名、間宮海峡!」「間宮海峡」この印象は強かった、が、長く忘れていた。 茨城県龍ヶ崎市金龍寺の新田義貞墓所を訪ね、ここで初めて…
新田義貞への哀惜は、今も昔も変わらない。その無念さを晴らすがごとく各地に史跡・墓所が。常陸・龍ヶ崎の金龍寺義貞墓所へ。 昨年、群馬県太田市の金山城山麓に金龍寺…
「楯親忠(たてちかただ)さんの墓碑は群馬県にあると聞いてますが…」と、佐久市正法寺の方から情報を得た。 義仲四天王の一人楯親忠は、義仲とともに鎌倉軍との京都周…
塔といえば三重塔と五重塔。その違いは?お釈迦さんの遺骨を塔の地下中央に納めてあることがそもそもの塔の存在。よって三重も五重も大きさも特に関係ないそうな。 私は…
素晴らしき本丸というか、岩殿山山頂でした。しかし、難攻&難攻、足が、膝が、爪が痛くて痛くて、泣いた!よくぞ無事に帰還出来たと(嬉泣)。 好天無風に恵まれ、こん…
新府城から、涙の森を経て、躑躅が崎の館を通りすごし…。勝頼一行は大善寺(甲州市勝沼)にその日の夜着到した。落ちる者多く、もはや二百人足らずになっていたとも。 …
「新府城から岩殿城、勝頼さんの悲しみの道を行くってのはどうだや?」今年も田んぼ畔草刈りや庭木の伐採などなど、もろもろ世話になる高校時代からのわが友リュウちゃん…
奈良・霊山寺(りょうせんじ・奈良市中町)。私はなんと寺そのものをまったく知らずにいた。いわんや三重塔をや!唐招提寺、薬師寺から西へ2㌔ほどの地。このあたり来た…
塔の立つお寺の風景がいつごろからか好きになった。塔の背に青空が、緑濃い木々が、碧き山々があれば、さらにまた美しく、素晴らしい! 東塔西塔といえば、奈良の薬師寺…
将軍に直訴した義民・佐倉惣五郎と同じく、我が信州には「加助騒動」の中心人物義民・中萱嘉助(多田加助)がいた。この際、ぜひぜひお見知り願わしゅう! 教科書は、「…
逆井城を後にして、千葉県成田へ。このところすっかり、まったく忘れていた義民として名高い佐倉宗吾郎(木内宗吾郎)の史跡を訪ねた。因みに我が地元の信州安曇野市には…
大学時代の友人の集まり(我々は四季の会と呼んでいる)の中心的リーダー、我が親友の亡き竹内整一東大名誉教授を偲ぶ会を埼玉県行田市で行った。みな大学時代の七人の仲…
松本市・安曇野市などに配布される地元タウン紙「MGプレス」。ふだん歴史物の投稿エッセイはほとんど目にしない。「よってチャンス!なのか、よってダメなのか?」 い…