塔といえば三重塔と五重塔。その違いは?お釈迦さんの遺骨を塔の地下中央に納めてあることがそもそもの塔の存在。よって三重も五重も大きさも特に関係ないそうな。 私は…
前回の拙ブログにドナさんのコメントをいただき、久々に思い出させてもらった山吹姫。ずっと忘れていたなぁ。ありがとうございました。山吹の花の写真を撮ってよかった。…
夏のような天気に誘われ、久々義仲さんのとこへは遠いから、「義仲四天王・今井兼平の史跡へでも行ってみっか」と爽やかな春の風に誘われふらり。 ところが! ちょっと…
昨秋から冬、奈良の古寺をのんびりと彷徨した。まず東大寺へ。中学の修学旅行以来、何度か東大寺には足を運んでいるのに、正倉院を今回真近で初めて見た。思っていたより…
広大な関東平野を唐沢山城から睥睨したからには、これまたあの広大な埼玉古墳公園の巨大古墳群にY様を案内せねば。 「この頂上に、あの三成さんは本陣を構えたのよ。そ…
信州から関東の地へ、Y様ご案内続報。上田から鳥居峠を越え上野国へ、かつて真田幸隆、昌幸、真田信之らの真田一党が疾駆・闊歩した真田街道(国道144・145線)を…
田の畔草刈り、庭木の伐採などなど、実によく助けていただいているY様。感謝の一環としてしばしば各地の城案内を(Yもかなりの城好き)。Yとは高校の硬式庭球部同期。…
瀬戸内の海は、四国側の城からもよく見える。今治城(愛媛県)。 丸亀城(香川県)からも。だが、私はなんかちょっと感激が薄いような。眼下に人家やビルが見えるからか…
かつて米子城(鳥取県)から望んだ中ノ海一望! はるか遠くに島根半島の山並みが淡く浮かび、その向こうに日本海が広がるという、壮観なパノラマだった。城の石垣もみご…
WBCに魅了され、大谷に憑りつかれ、なんと素晴らしい優勝か!6戦6勝はみな、いい試合ばかりだった、感動! と、その間列伝は横浜スタジアム、孫の野球DeNA杯シ…
八代城からの帰り道に見つけたこの看板! これは行かねば!竹崎季長…、久々にその名を思い起こした。6年前に博多の元寇防塁跡へ行ったとき以来。 防塁の説明書きの「…
WBC・我が牧秀吾(松本第一高校出身)、そして大谷の活躍が、蒙古襲来時の英雄・竹崎季長の登場をまた押しのけてしまった。申し訳ない、今しばらく、お許しあれ、季長…
お陰様の皆様の応援にて我が長野県出身、我が松本第一高校出身牧秀吾、打ったぁ!地元紙「信濃毎日新聞」の記事は一面にて。 今日も一発、いくぞ! ぜひ牧にエールを!…
●WBCだ、大谷だ!そして我が松本第一出身の牧秀吾も、がんばれ!
我が家の福寿草がついに芽を、寒い信州もいよいよ春。そして世はWBC!大谷に魅せられ、憑りつかれた球春!だがだが皆様方、後列右から二人目の牧秀吾にもぜひぜひご注…
熊本市から南へおよそ20㌔、宇土城へ。 一説では、熊本城の宇土櫓↓は、宇土城の天守を移築したものという。秀吉の九州平定後、佐々成政が一時肥後南部を支配したが、…
かつて大昔、テレビドラマ「新選組血風録」、「燃えよ剣」にて、土方歳三に栗塚旭、沖田総司に島田順司が扮した。このドラマで土方の、沖田のただ強いばかりでない、かっ…
いまだ昨年の西国旅レポ中というモタモタ状態なのに、前回、久々近藤勇について書き、思い出してしまい、続編です。 20年ほど前、次の大河ドラマ「新選組!」と聞いて…
剣豪といえば宮本武蔵の名が最も知られ、最強の剣豪というイメージか。武蔵と闘った佐々木小次郎も、敗れたりとはいえ「燕返し」という剣法でその名は西国一と称せられて…
「國々所々に至り、諸流の兵法者に行き合い、 六十余度まで勝負をすといえども、 一度も其利を失わず」 武蔵の強さを示すよく知られたこの文言。こう記された『五輪書…
永井路子さんが亡くなった。直木賞受賞作の『炎環』はじめ、『北条政子』 『朱の十字架』 『乱紋』『茜さす』など、鎌倉時代、そして歴史上の女性をテーマにした作品を…
熊本城包囲散策、続きです。行幸橋を渡って加藤清正像を見て、坪井川沿いの長塀通りを東へ。みごとな竹の丸を守る重文の長塀に感動! 兵庫・明石城の長塀↓を思い出す。…
「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時、天下に騒乱が起きる…」築城主・加藤清正がこう予言したという逸話を、大昔からよく覚えていた。 大きい、でかい! 本丸広…
来た、来た、来たぞ、熊本城!大昔、修学旅行の引率で来たが、てんやわんや、お城見物どころではなかった。築城者は云わずと知れた加藤清正。熊本市内・本妙寺の、城下一…
孫の七五三ということで昨秋、勇んで何年ぶりかの上京、大江戸・大東京へ。いやぁ、新宿あたりがまったく分からず、変わってしもうた。 仕事の打ち合わせをよくやった定…
●西郷vs大久保、いや薩摩v会津か 西南戦争 田原坂古戦場へ
西南戦争の話の前に。 ウクライナ・ロシア戦争が始まって1年。幼い子や女性・老人、一般市民が夥しく戦死しているのに。ええ? 反撃能力? 防衛費増税?そして誰しも…
阿蘇だぁ~! 世界一のカルデラだ! 「世界一カルデラ」というイメージが、幼い頃から長く私を誘っていた阿蘇山へ、ついに来た! 外輪山がきれいな平行線をなして…
大河ドラマ「鎌倉殿」が終わって、「どうする家康」が始まった。初回は、「どうする桶狭間」。なんと我が信州松本城天守閣を築いた初代城主・石川数正が主役のごとく登場…
大分県佐伯市から西へ、音に聞こえた高石垣の岡城(竹田市)へ。「♪~春高楼の花の宴~♬」の、あの有名な詩は、岡城跡を想いながら滝廉太郎が作曲したという、そのお城…
慶長18年(1613)、松本城主・石川康長改易、豊後・佐伯へ配流。松本から遠い九州の地へ向かった康長の胸中は…。 石川玄蕃守康長について、拙著「負けても負けぬ…
明けましたね、2023。今年もつたないブログを、よろしくお目通しのほどをお願いいたします。遅ればせながら、2022訪問史跡の中から、感動感嘆の地、皆様方にぜひ…
臼杵城へ向かう前に、大分駅前の大友宗麟、ザビエル像と対面。宗麟は、北九州九か国を制し、1551年府内の地でザビエルに布教を許した。 以後、宣教師が多数豊後へ来…
2022年、城郭探訪、坂道や登りがしんどくなり、天守閣の登城も苦しく。でも石垣の眺めはまさに癒し、快感!今年はそんな思いを強く感じながらの城めぐりでした。 ●…
「興味津々は、にこやかに凡人のごとく登場した北条義時がいかにして権力者にのぼりつめていくか、そして、従来からの義時のイメージ、『稀代の策士、権謀術数家、暗殺事…
「赤穂浪士・忠臣蔵離れ」と言われて久しい、寂しい。あぁ我、中学高校時代、四十七士全員の名をすべて暗記、一人ほくそえんでいた。ひとりぶつぶつと(完璧オタクじゃな…
令和4年/2022も、残すところ僅か。西国・九州行レポをしばし中断、今年のお城巡りを回顧しました。今年は天守に登るというのでなく、お堀端を巡ることが多かったな…
大分市の府内城へ。石垣も水堀も、そして櫓も見ごたえのある、もう一度来たくなるいいお城だった。 大手門前から、まずはお堀端を周回散策。門前の橋はかつて廊下橋だっ…
中津市から南へ十数㌔、大分県宇佐市の宇佐八幡宮へ。全国に800社以上ある八幡宮の頂点、総本山の社という。 さすが境内が、参道が広大! 10月というのに、参拝者…
中津城近くの福沢諭吉旧宅へ。 一万円札の肖像、慶応大学創設者、また「学問のススメ」など数多くの著作を残す。大分県出身者としてもっとも有名人か。「そういえば福…
中津城近くに福沢諭吉居宅跡へ。中津城からは近かった。あまり興味のない人物だったが、一万円札、慶応創始者、大むかし著作『福翁自伝』読んで面白かった記憶あり。所で…
勝った、日本! よくぞドイツに!この時ばかり血沸き肉躍る! 拙者はやっと、関門海峡から九州へ!まず、黒田官兵衛築城の豊前・中津城(大分県)へ、残念、小雨。今も…
ザビエルがスペインを出発したのは1541年。大西洋~インド洋~太平洋の波濤を越えて、日本へ来たのは1549年。 今の私なんぞ、国内の九州へ行くことさえ、命がけ…
瑠璃光寺の雪舟像から、雪舟のアトリエ・雲谷庵へ行く前に。境内の枕流亭へ。 若き日の幕末の薩長志士たちが討幕の、日本の将来を熱論を交わしたところという。「なぜ…
●山口 まずは瑠璃光寺五重塔へ行かねば! そして雪舟、ザビエル…
広島から山口へ。 山口へ来たならば、なにはさておき、瑠璃光寺へ、瑠璃光寺五重塔へ行かねば! 初めて見たとき、瑠璃光寺の五重塔にはあんぐり口を開け、唖然、呆然…
すっかりサボってしまった西国・九州行レポ。これじゃ年を越えてしまうではないか!実はこの間、孫七五三にて大江戸・大東京へ。いやはや驚愕感動の大江戸史跡レポはまた…
関ケ原にて「あぁ、吉継さんに墓参しなかったなぁ」と悔いつつ、滋賀泊。翌日、姫路の圓教寺をめざす。我がカーナビにはない新名神高速道を走る、走る、舞うがごとし! …
天気がいいと、関ケ原に寄りたくなる。三成さんの陣所に立って、関ケ原古戦場を一望したくなる。そんなわけで西国九州への旅の初日、関ケ原ICで下りて笹尾山へ。 もう…
巴御前が大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」に、和田義盛の妻室として登場している。 ▼木曽・義仲館の巴像 実朝が義盛宅を訪ね、二人の夫婦仲をみて、呆れたり微笑んだり……
東名高速を秦野中井ICで降りて北へ15㌔ほど。秦野市東田原に、悲劇の三代将軍・源実朝の首塚がある。実朝の最期は可哀そうである。イメージもなんかひ弱そうで、将軍…
話を戦争の話(前回)から、また史跡巡りの自分に戻します。とはいえ、昔からチャンバラや合戦の話が大好きなのに、「戦争放棄」を今になってわめく自分と矛盾しているよ…
過日、新聞の投稿を読んで、読んでいるうちに涙がにじんできた。そんな切ない思いを文にして、同じ欄に投稿を寄せたところ、その後載せていただいた。地元紙「信濃毎日新…
中学生時代、五味康祐氏著「柳生武芸帖」全巻読んだ。難しくて中身はよくわからなかったが、宗矩・十兵衛が闘うところはかっこよく、敵も強く、面白かった。 高校時代、…
この問いは、けっこう難しいらしい。「家康か? 信長、秀吉ならなぁ…、家康? だれだろ、 ウーン…」で、ドラマ・マンガ・小説などでよく知られる服部半蔵、柳生宗矩…
「弟さんは、元気にしてますか」しばらくぶりに会った知人から突然こうたずねられ、しばし戸惑い、「…実は…」と切り出すまで間があった。……弟が逝って、もう三年なる…
岡崎城から北へ。徳川家の菩提寺・大樹寺を経て、豊田市へ。豊田市上郷の上野城址。城址といっても小高い丘の居館・城砦跡、ここに榊原康政生誕之地の碑が立っている。 …
●家康忠臣伝3 十六神将に兄弟で列座 鳥居元忠・忠広、大久保忠世・忠佐
「徳川十六将」とは、家康を支えた主要な武功派の家臣たち。「四天王・十二神将」とは、仏敵を守護する神々像。家康を守り抜いた忠臣たち…。 居並ぶ十六将の中で際立つ…
●家康家臣伝2「家康に 過ぎたるもの二つあり 唐の兜と本多平八」
本多平八郎忠勝。四天王の一人にして、家康家臣の中でも別格か。岡崎城内に、「蜻蛉切」の名槍を携えた忠勝像が立つ。「戦国最強の武将」と称えられた忠勝愛用の槍は「…
「猿飛佐助はなぜ家康を殺さないんだ?」 悔しかった、不思議だった。「たぬきじじぃ、肥大漢、ケチ親父!」と、にくらしかった家康。が、山岡荘八氏の大作「徳川家康」…
ふる里の山、夏の北アルプス。雪をいただいてないと、なんか物足りないような。「おめぇ、甘粕近江守って、聞いたことあるか?」「あ・ま・か・す~? だれだ、それ? …
あなたのふる里の山は、撮ったろうか。写真ファイルから拾ってみました。 まずは、なんかふる里の山、というイメージの津軽富士。 義経はこの山を越え、蝦夷へむかった…
先日、謙信が重臣にて上杉十七将の一人、斎藤下野朝信の墓所を越後・刈羽村に初めて訪ねた。ここんとこ、上杉家武将の面々のゆかりの地などを、長く訪ねていないと痛感。…
長岡花火、初見参!ドカンドカンとまぁまぁ恐ろしいくらいの轟音、爆音! 豪華絢爛! 息子夫婦孫二人が長岡に在住、6階自宅ベランダから高見の見物にて、日本三大花火…
連日炎天猛暑の信州! 「お宅の百日紅すごいですね!」 雑草と雑木、古家をみごとに隠してくれてる!しかし、花言葉に「不用意」。 梶原景時死して3年後、建仁2年…
かつて大河「草燃ゆる」(1979年)では、比企能員を佐藤慶さんが扮していたというが、記憶がない。それに比して今回の大河「鎌倉殿」では、能員が頻繁に登場、しかも…
●勇猛、でも人の好さそうな和田義盛が…大河「鎌倉殿の十三人」
将軍頼朝の死後、混とんとする鎌倉幕府、ドラマはタイトル通りの「十三人」がいよいよ勢ぞろい。そんな中、十三人の一人、和田義盛は、重職の侍所長官(別当)をまったく…
会津鶴ヶ城を歩く。三の丸に、銃を携えた山本八重像を見、そして、「鬼の官兵衛」の佐川官兵衛の顕彰碑…。西南戦争で熊本にて、なんと官軍として戦死したという。会津戦…
会津鶴ヶ城へ。今回はのんびりとお堀端を周遊散策、立派な石垣、そして美しい天守閣を望まんと。西郷頼母屋敷址碑前、そして会津藩降伏の儀式が行われた地という所、今は…
金山城は、単独の二百㍍余の山城なれど、かなり上までクルマで行けるので嬉しい。山から関東平野一望というのに、この日は曇天、かくのごとし残念。 城郭は東西に長く、…
久々、高天神城(静岡県掛川市)へ。本丸まで登城するのは3年ぶりか。その間、一度来たが、搦手門からすごすご退却。 この坂、この坂を見上げて、「だめだぁ」と前回は…
●巨岩の城 光秀妻室の城 妻木城「月寂びよ 明智が妻の はなしせん」
長篠城から妻木城(土岐市妻木)へ。 以前、ろくもんさんのブログで初めて妻木城を知り、「近いのでこりゃ行かねばと思いつつ」やっと実現。「なんか巨大な石垣があ…
友との旅は、長篠城址から長篠(設楽原)合戦の古戦場へ。 「いやぁ、ありがと、強右衛門さんの墓参ができるなんて思いもしなかったよ」「そうか、じゃ次は、我ら信州の…
親友との城巡りの旅は、高根城から長篠城へ。 「ところでおめぇさ、鳥居強右衛門(すねえもん)って、知ってるか?」「おぉ、知ってる、知ってる、というか覚えてる。そ…
富士の裾野の大巻刈り最中に起きた頼朝暗殺未遂事件。しかしこれを「曽我兄弟の仇討美談事件」とした大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」(6/12放送)。曽我十郎の妻妾で、…
「一に富士の大巻狩(曽我兄弟の仇討)二に鷹羽のぶっ違い(浅野家の紋所・赤穂浪士の仇討)三に名をなす伊賀の仇討(荒木又右衛門)」 かくのごとく三大仇討を称えてい…
先日は大変失礼しました。書いている途中の未完成ブログを「公開」に。わずか3字のみで。まったくドジ、すみませんでした。 というわけで気を取り直して。静岡県浜松市…
●泣けた、泣けてしまった洋画「グリーンブック」、邦画「フラガール」
私は時代劇、歴史劇、戦争物、アクション映画が好みである。全ての映画の我がベスト5と問われれば、ムム難しいが、結局時代劇。「七人の侍」「天平の甍」「十兵衛暗殺剣…
備後・福山城へ。あれれ、まるでビル工事中のような天守閣。令和の大普請中とか。これは、17年前の天守閣の偉容↓。新幹線の車窓から発見、かっこいい、こりゃぁ、行か…
今日(5月27日)の地元紙「信濃毎日新聞」スポーツ欄トップ!牧は現在、打率はトップ!ホームランランキングは第3位! 「野球部はどこで練習してるんですか」「い…
以前、山陰へ来たときはスルーした米子城。米子市内から、おおお、天守台を望む。「高そうだな、登れるかな?」立派な石垣が呼んでいる。いざ出陣じゃ!三の丸駐車場から…
「山中鹿之助は、寡兵で大軍に勝つこと数え切れないほどであった。その武名は天下に響き渡り、樵の子供や猟師の老人までもが日常の会話にしたほどであった」鹿之助が聖地…
昔読んだ読み物「山中鹿之助」の表紙絵、今も印象深い。福山市鞆ノ浦の鹿之助首塚へ。高梁川、阿井の渡しで討たれた鹿之助の首は、当時鞆の浦に居た足利将軍に届けられた…
木曽義高が秘かに鎌倉を抜け、逃亡する間、義高を装って屋敷で過ごした海野小太郎。ついに発覚され捕縛され、そして、義高の死を知った…。 海野小太郎幸氏(1173…
昨日(5/1)の「鎌倉殿の十三人」。哀れ、ついに義仲一子・義高が討たれてしまった。あらためて哀れ「木曽義高伝」をご一読願わしゅう…。 木曽義高(きそよしたか …
本日4月25日、天気快晴なり。いざ、出雲・月山富田城本丸攻めへ出陣。(トカキハジメタガ、ジツハオクレテ27ニチニコレヲカイテル、シュン) あれ見ゆるが本…
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塔といえば三重塔と五重塔。その違いは?お釈迦さんの遺骨を塔の地下中央に納めてあることがそもそもの塔の存在。よって三重も五重も大きさも特に関係ないそうな。 私は…
素晴らしき本丸というか、岩殿山山頂でした。しかし、難攻&難攻、足が、膝が、爪が痛くて痛くて、泣いた!よくぞ無事に帰還出来たと(嬉泣)。 好天無風に恵まれ、こん…
新府城から、涙の森を経て、躑躅が崎の館を通りすごし…。勝頼一行は大善寺(甲州市勝沼)にその日の夜着到した。落ちる者多く、もはや二百人足らずになっていたとも。 …
「新府城から岩殿城、勝頼さんの悲しみの道を行くってのはどうだや?」今年も田んぼ畔草刈りや庭木の伐採などなど、もろもろ世話になる高校時代からのわが友リュウちゃん…
奈良・霊山寺(りょうせんじ・奈良市中町)。私はなんと寺そのものをまったく知らずにいた。いわんや三重塔をや!唐招提寺、薬師寺から西へ2㌔ほどの地。このあたり来た…
塔の立つお寺の風景がいつごろからか好きになった。塔の背に青空が、緑濃い木々が、碧き山々があれば、さらにまた美しく、素晴らしい! 東塔西塔といえば、奈良の薬師寺…
将軍に直訴した義民・佐倉惣五郎と同じく、我が信州には「加助騒動」の中心人物義民・中萱嘉助(多田加助)がいた。この際、ぜひぜひお見知り願わしゅう! 教科書は、「…
逆井城を後にして、千葉県成田へ。このところすっかり、まったく忘れていた義民として名高い佐倉宗吾郎(木内宗吾郎)の史跡を訪ねた。因みに我が地元の信州安曇野市には…
大学時代の友人の集まり(我々は四季の会と呼んでいる)の中心的リーダー、我が親友の亡き竹内整一東大名誉教授を偲ぶ会を埼玉県行田市で行った。みな大学時代の七人の仲…
松本市・安曇野市などに配布される地元タウン紙「MGプレス」。ふだん歴史物の投稿エッセイはほとんど目にしない。「よってチャンス!なのか、よってダメなのか?」 い…
薩摩に、秀頼墓を訪ねた時にふと思った。家康は秀頼が一子、国松をも断罪していることを。その後、国松の墓所を知った。それまでは深く考えもしなかった。 秀頼は母淀君…
出雲・国宝松江城へ。7年前来たときはトントンと天守に登り、制覇したような気に。天守最上階から宍道湖を眺望してご満悦だった。今回は反省して天守に登らず、城内を巡…
「治部少(石田三成)に 過ぎたるもの二つあり …
大和郡山市の松尾寺へ。奈良盆地西の山際の高台に位置する真言宗の古刹。寺の門を入ると。 わわわ、長い石段! こりゃ難儀だ、帰りも恐いが、行く! すると、樹木に守…
ブログに大和三山についてあれやこれやとまとめている最中の数日前。信濃毎日新聞社の投稿欄の係の方から連絡が!「大和三山」載るって、ほほ、やったぁ!ブログアップは…
今冬、大和三山の一つ、畝傍山の頂を目指した。といっても200㍍足らずの山なのだが、昨夏は猛暑で麓にてダウン、しかも「まむし注意」の看板に怖気づいてすごすごと退…
九州西国行レポを中断して。寒い!寒い北アルプスからの寒風を避けて古都奈良へと向かったものの。奈良もけっこう寒くて!でも京都に比べ、観光客が少なくそれが嬉しい。…
長門の小次郎さんの墓から山陰道、日本海沿いへ。 石見の国、浜田市の浜田城。江戸初期に伊勢国から移された古田重治によって築城され、五万四千石を領した。その後幕末…
九州ともついにお別れ。関門海峡を渡って萩方面へ、山陰へ向かう。山口県阿武町にあるという佐々木小次郎の墓を目指す。「武蔵といえば小次郎!」なのだが、武蔵の墓はよ…
肥後人吉城からブーンと九州を北上縦断、豊後・大分県日田へ。江戸時代の私塾、広瀬淡窓が主宰した咸宜園へ。 文化14年(1817)開塾から明治30(1897)年ま…
前回の拙ブログにドナさんのコメントをいただき、久々に思い出させてもらった山吹姫。ずっと忘れていたなぁ。ありがとうございました。山吹の花の写真を撮ってよかった。…
夏のような天気に誘われ、久々義仲さんのとこへは遠いから、「義仲四天王・今井兼平の史跡へでも行ってみっか」と爽やかな春の風に誘われふらり。 ところが! ちょっと…
昨秋から冬、奈良の古寺をのんびりと彷徨した。まず東大寺へ。中学の修学旅行以来、何度か東大寺には足を運んでいるのに、正倉院を今回真近で初めて見た。思っていたより…
広大な関東平野を唐沢山城から睥睨したからには、これまたあの広大な埼玉古墳公園の巨大古墳群にY様を案内せねば。 「この頂上に、あの三成さんは本陣を構えたのよ。そ…
信州から関東の地へ、Y様ご案内続報。上田から鳥居峠を越え上野国へ、かつて真田幸隆、昌幸、真田信之らの真田一党が疾駆・闊歩した真田街道(国道144・145線)を…
田の畔草刈り、庭木の伐採などなど、実によく助けていただいているY様。感謝の一環としてしばしば各地の城案内を(Yもかなりの城好き)。Yとは高校の硬式庭球部同期。…
瀬戸内の海は、四国側の城からもよく見える。今治城(愛媛県)。 丸亀城(香川県)からも。だが、私はなんかちょっと感激が薄いような。眼下に人家やビルが見えるからか…
かつて米子城(鳥取県)から望んだ中ノ海一望! はるか遠くに島根半島の山並みが淡く浮かび、その向こうに日本海が広がるという、壮観なパノラマだった。城の石垣もみご…
WBCに魅了され、大谷に憑りつかれ、なんと素晴らしい優勝か!6戦6勝はみな、いい試合ばかりだった、感動! と、その間列伝は横浜スタジアム、孫の野球DeNA杯シ…
八代城からの帰り道に見つけたこの看板! これは行かねば!竹崎季長…、久々にその名を思い起こした。6年前に博多の元寇防塁跡へ行ったとき以来。 防塁の説明書きの「…
WBC・我が牧秀吾(松本第一高校出身)、そして大谷の活躍が、蒙古襲来時の英雄・竹崎季長の登場をまた押しのけてしまった。申し訳ない、今しばらく、お許しあれ、季長…
お陰様の皆様の応援にて我が長野県出身、我が松本第一高校出身牧秀吾、打ったぁ!地元紙「信濃毎日新聞」の記事は一面にて。 今日も一発、いくぞ! ぜひ牧にエールを!…
我が家の福寿草がついに芽を、寒い信州もいよいよ春。そして世はWBC!大谷に魅せられ、憑りつかれた球春!だがだが皆様方、後列右から二人目の牧秀吾にもぜひぜひご注…
熊本市から南へおよそ20㌔、宇土城へ。 一説では、熊本城の宇土櫓↓は、宇土城の天守を移築したものという。秀吉の九州平定後、佐々成政が一時肥後南部を支配したが、…
かつて大昔、テレビドラマ「新選組血風録」、「燃えよ剣」にて、土方歳三に栗塚旭、沖田総司に島田順司が扮した。このドラマで土方の、沖田のただ強いばかりでない、かっ…
いまだ昨年の西国旅レポ中というモタモタ状態なのに、前回、久々近藤勇について書き、思い出してしまい、続編です。 20年ほど前、次の大河ドラマ「新選組!」と聞いて…
剣豪といえば宮本武蔵の名が最も知られ、最強の剣豪というイメージか。武蔵と闘った佐々木小次郎も、敗れたりとはいえ「燕返し」という剣法でその名は西国一と称せられて…
「國々所々に至り、諸流の兵法者に行き合い、 六十余度まで勝負をすといえども、 一度も其利を失わず」 武蔵の強さを示すよく知られたこの文言。こう記された『五輪書…
永井路子さんが亡くなった。直木賞受賞作の『炎環』はじめ、『北条政子』 『朱の十字架』 『乱紋』『茜さす』など、鎌倉時代、そして歴史上の女性をテーマにした作品を…
熊本城包囲散策、続きです。行幸橋を渡って加藤清正像を見て、坪井川沿いの長塀通りを東へ。みごとな竹の丸を守る重文の長塀に感動! 兵庫・明石城の長塀↓を思い出す。…