音に聞こえた絶景の山城、播州・波賀城(兵庫県宍粟市)へ。宍粟(しそう)市の市街から北へ数㌔、山城のかなりのところまで車で行けるという。嬉しいね。 ひろ~い駐車…
音に聞こえた絶景の山城、播州・波賀城(兵庫県宍粟市)へ。宍粟(しそう)市の市街から北へ数㌔、山城のかなりのところまで車で行けるという。嬉しいね。 ひろ~い駐車…
「まだ残っているか、紅葉の景が信州伊那の高遠に…」高遠といえば「天下一の桜」なれど、秋の紅葉や如何にと、久々高遠城へ、車を走らせた。おぉ、残ってた!桜の木々は…
なんとか間に合ったか! 木曽、義仲の里錦秋の候。木曽義仲の墓塔が立つ木曽福島の萬松山興禅寺へ。 境内入って勅使門のあたり。いい絵だ! 興禅寺は、京・竜安寺に負…
兵庫県のお寺やお城を巡ってレポしてる今、世の動きに目をやると…。 兵庫県知事選の結果の私の当てがはずれ、苦笑&憫笑、モチ自分自身にである。アメリカ大統領選も、…
「逆賊・明智光秀を祀る神社??」初めて見る高さ41㍍という壮大な福知山城の天守閣に驚いたのだが…。おぉ、小天主も。 まずは御霊神社をさっそく訪ねた。「逆賊・逆…
仙石氏の出石城にて仙石氏初代当主・仙石秀久を久々に思い出す。地元タウン紙の連載『信州往来もののふ列伝 巻39 仙石秀久伝』は2012年8月。その後拙著『信州往…
但馬国・豊岡市出石城へ。登城橋、登城門、左右の石垣が城郭の雰囲気。城は階段状、ひな壇のように山のふもとから石垣が作られているようだ。登城門をくぐると下の丸→二…
京都府舞鶴湾に面した舞鶴市の田辺城へ。あの豊臣有力家臣の細川幽斎・忠興が築いた城。築城当時は舞鶴湾に面した城郭だったという。田辺城資料館として再建された堂々た…
若狭の国へ、日本海を眺めながら小浜城へ。といっても今年の五月。小浜城は石垣が残り、天守台から海が望める。また小浜は、幕末の尊王攘夷運動の先駆者梅田雲浜のふる里…
今年も、我が新米を亡き母の実家へ「奉納」に。従兄夫婦が大規模な林檎園を経営していて…。お返しの美味しい林檎が目当て(笑)。 いつもながら昔話で談笑・哄笑して、…
真田昌幸から始まった真田一党伝、いよいよ最後のつわもの真田信繁(幸村)。真田の郷、真田三代レリーフ像左端は信繁なり!かつて高校生が描いてくれた信繁像。強そう!…
北信越秋季大会、松本第一、小松大谷高校を破ってベスト8に進出するも! あぁ、強豪・敦賀気比高校に敗れ、ベスト4ならず。夏に向かって頑張れ! 一方、先輩の牧(D…
真田一党伝、長く空いてしまった。この間、大河「真田丸」を見たがすっかり「忘れてて!」楽しく見れた(笑)。今日の主役、幸隆さんは出てこないが。 真田家・真田一党…
松本第一高校も、今はかなり施設が整った。学校近くには、ダイヤモンドがすっぽり入る室内練習場も。だがその後出来たグラウンドをみるのは初めて。「DeNAの牧選手の…
やったぁ!勝ったぁ!松本第一高校!長野県高校野球秋季県大会で優勝ぞ!準決勝で上田西高校を大逆転して勝利! 翌日決勝、松本国際高校を破って長野県大会優勝! 北…
「真田幸村と真田十勇士」!私の真田はこれ一辺倒で真田信尹(のぶただ)は長く知らなかった。2016年大河「真田丸」にて信尹を栗原英雄さんが扮し注目された。信尹は…
幼いころから真田幸村&真田十勇士に興味津々。昌幸、信幸はその次、いわんや信綱、昌輝、さらに信尹までへの関心探求となれば、かなり後日の話。真田信綱・昌輝兄弟をも…
このポスターのような一枚紙。拙ブログで紹介したのは10年ほど前の2013年9月。武田信玄麾下、およそ500人の武将名が記されている「武田家属将美名録」。 左…
信州真田の郷に立つ真田昌幸のレリーフ像。いい顔だ。 真田昌幸が徳川軍七千を翻弄、大勝利した第一次上田・神川合戦の古戦場、神川河畔。かなりの昔、右岸左岸の河畔を…
沼田城、名胡桃城、岩櫃城…、そして真田本城、上田城…。真田昌幸が駆け抜けた城跡に昌幸の憤怒の熱い吐息が聞こえてくるような。名胡桃城から西へ80㌔ほど、信州真田…
沼田城から利根川を越えて西北へ6㌔ほど。段丘上に名胡桃城。城郭東端の物見郭から沼田方面を望む。中央あたりが沼田城か。名胡桃城は真田昌幸が沼田城を手中にする前線…
●ぎやぁ! 待ってたこの瞬間、満塁サヨナラホームラン 大谷!
9回2アウト満塁 3対3! バッター大谷!待ってたぞ、この瞬間!名胡桃城のブログ書きながら、大谷以外の選手の時は消音にして。しかしこの日は内野ゴロばかり、最近…
坂東の平野、西北端に位置する沼田城。上杉・北条・武田が争奪にしのぎを削った城。というより、真田一族が信濃の地より上野国出張って得た城というべきか。 沼田城は江…
坂東を縦横無尽に駆け巡った侠客、「赤城の山も今宵限り」のセリフで知られるあの国定忠治。その墓はみどり市の岩宿遺跡から東南へ6㌔ほどの伊勢崎善応寺に。はるか赤城…
オリンピックに燃えるパリ、アスリートたちの奮闘にテレビの前で一喜一憂、固唾を飲んでいる日々である。 思い出すのは十七年前の八月、我が一族パリへ。 パリに在住・…
悠久広大な坂東の地をまだまだ巡る。これはかつて筑波山から望んだ関東平野。我が信州ではとても。 群馬県太田市の金山城から十数㌔、また去年来た新田義貞首塚の桐生市…
愛しい孫が今年4月、高校1年生に。小学校から野球に熱中、甲子園を夢見て、今年静岡高校へ。鎌倉の自宅を離れて、学校の寮生に。 すると、娘から連絡が。「Rちゃんね…
高幡不動から八王子城址へ。実に久しぶり。ここなら登り道少なく城跡を楽しめる。杉林をぬって、大手門から大手道をのんびり散策…。 林間をしばらく行くと「曳橋」が、…
信州・長野県に関連する武将・もののふ達を追った連載『信州往来もののふ列伝』を地元タウン紙「MGプレス(当時名・松本平タウン情報)」に毎月1回掲載させていただい…
東京・日野市の高幡不動・金剛寺の五重塔。平安時代初期の様式にて、5年の歳月をかけ、昭和55年5月5日建立されたという。塔高は40㍍、緑に囲まれ朱色が真新しく眩…
伊豆修善寺温泉街にて。「確かこのあたりだったはず…?」と思っているところに範頼さんの墓所が見つからない…?かなり記憶に残っているのだが、あちこちグルグル回って…
伊豆修善寺への道中、函南市の慶音寺へ寄る。富士の大巻狩での曽我兄弟仇討事件の乱闘で、兄・曽我祐成を討ち取った仁田四郎忠常がここに眠る。忠常は、富士の大巻狩では…
亡き妻の故郷、そして義父母の眠る横須賀市浦賀の乗誓寺の住職は、かの曽我兄弟のご子孫という。知らなかった、境内に兄弟像が。意外、こんなところで曽我の兄弟に会える…
亡き妻の実家で懐かしく義弟夫婦らと談笑して、名残惜しく浦賀の地を後にする。今日の宿は娘夫婦孫の待つ鎌倉へ。コロナの影響で、この間浦賀にも鎌倉にもなかなか来れな…
館山市の館山城へ。山の上の模擬天守は高さ70㍍ほど。海が! 相模湾が一望!天守は小田原城がモデルという。天守からの海。山城の天守から大海原が望める景色が城めぐ…
投稿して2週間も連絡なし。ボツか…「仕方なし」とあきらめていたところへ連絡が。「ホホ、やった!」あな嬉し! さらに待つこと2週間、5月末の地元タウン紙に載った…
間宮林蔵の生家・墓所を訪ねた日の夜。久々近藤勇ゆかりの地・流山にて旧友Kと邂逅 、昨年秋に逝去した旧友・竹内整一東大教授を偲びながら献杯す。▼流山の近藤勇陣屋…
「なにも京都や奈良へ行くこたぁねぇじゃんかよ!」「すげぇなぁ信州!」友人を信州の名刹・三重塔を案内した時、こんな感嘆の声が。然り!というわけで、早春三月に訪ね…
「この天守は岡崎城がモデルですか?」「そうなんです」大多喜城から西へ10キロほど、山城本丸に模擬天守を擁した久留里城。 駐車場から天守までたどり着くのがけっこ…
房総半島には天守をいただく城跡が多い。城の石垣は魅力的だが城門、土塀、櫓、そして天守。それが模擬天守であっても城跡を引き立てる。 大多喜市の大多喜城へ。 唐破…
「世界地図で唯一日本人名のついた地名、間宮海峡!」「間宮海峡」この印象は強かった、が、長く忘れていた。 茨城県龍ヶ崎市金龍寺の新田義貞墓所を訪ね、ここで初めて…
新田義貞への哀惜は、今も昔も変わらない。その無念さを晴らすがごとく各地に史跡・墓所が。常陸・龍ヶ崎の金龍寺義貞墓所へ。 昨年、群馬県太田市の金山城山麓に金龍寺…
「楯親忠(たてちかただ)さんの墓碑は群馬県にあると聞いてますが…」と、佐久市正法寺の方から情報を得た。 義仲四天王の一人楯親忠は、義仲とともに鎌倉軍との京都周…
●塔影礼讃3 伊賀・開化寺、湖南・国宝常楽寺、湖東・金剛輪寺
塔といえば三重塔と五重塔。その違いは?お釈迦さんの遺骨を塔の地下中央に納めてあることがそもそもの塔の存在。よって三重も五重も大きさも特に関係ないそうな。 私は…
素晴らしき本丸というか、岩殿山山頂でした。しかし、難攻&難攻、足が、膝が、爪が痛くて痛くて、泣いた!よくぞ無事に帰還出来たと(嬉泣)。 好天無風に恵まれ、こん…
新府城から、涙の森を経て、躑躅が崎の館を通りすごし…。勝頼一行は大善寺(甲州市勝沼)にその日の夜着到した。落ちる者多く、もはや二百人足らずになっていたとも。 …
「新府城から岩殿城、勝頼さんの悲しみの道を行くってのはどうだや?」今年も田んぼ畔草刈りや庭木の伐採などなど、もろもろ世話になる高校時代からのわが友リュウちゃん…
奈良・霊山寺(りょうせんじ・奈良市中町)。私はなんと寺そのものをまったく知らずにいた。いわんや三重塔をや!唐招提寺、薬師寺から西へ2㌔ほどの地。このあたり来た…
塔の立つお寺の風景がいつごろからか好きになった。塔の背に青空が、緑濃い木々が、碧き山々があれば、さらにまた美しく、素晴らしい! 東塔西塔といえば、奈良の薬師寺…
将軍に直訴した義民・佐倉惣五郎と同じく、我が信州には「加助騒動」の中心人物義民・中萱嘉助(多田加助)がいた。この際、ぜひぜひお見知り願わしゅう! 教科書は、「…
逆井城を後にして、千葉県成田へ。このところすっかり、まったく忘れていた義民として名高い佐倉宗吾郎(木内宗吾郎)の史跡を訪ねた。因みに我が地元の信州安曇野市には…
大学時代の友人の集まり(我々は四季の会と呼んでいる)の中心的リーダー、我が親友の亡き竹内整一東大名誉教授を偲ぶ会を埼玉県行田市で行った。みな大学時代の七人の仲…
松本市・安曇野市などに配布される地元タウン紙「MGプレス」。ふだん歴史物の投稿エッセイはほとんど目にしない。「よってチャンス!なのか、よってダメなのか?」 い…
薩摩に、秀頼墓を訪ねた時にふと思った。家康は秀頼が一子、国松をも断罪していることを。その後、国松の墓所を知った。それまでは深く考えもしなかった。 秀頼は母淀君…
出雲・国宝松江城へ。7年前来たときはトントンと天守に登り、制覇したような気に。天守最上階から宍道湖を眺望してご満悦だった。今回は反省して天守に登らず、城内を巡…
「治部少(石田三成)に 過ぎたるもの二つあり …
大和郡山市の松尾寺へ。奈良盆地西の山際の高台に位置する真言宗の古刹。寺の門を入ると。 わわわ、長い石段! こりゃ難儀だ、帰りも恐いが、行く! すると、樹木に守…
ブログに大和三山についてあれやこれやとまとめている最中の数日前。信濃毎日新聞社の投稿欄の係の方から連絡が!「大和三山」載るって、ほほ、やったぁ!ブログアップは…
今冬、大和三山の一つ、畝傍山の頂を目指した。といっても200㍍足らずの山なのだが、昨夏は猛暑で麓にてダウン、しかも「まむし注意」の看板に怖気づいてすごすごと退…
九州西国行レポを中断して。寒い!寒い北アルプスからの寒風を避けて古都奈良へと向かったものの。奈良もけっこう寒くて!でも京都に比べ、観光客が少なくそれが嬉しい。…
長門の小次郎さんの墓から山陰道、日本海沿いへ。 石見の国、浜田市の浜田城。江戸初期に伊勢国から移された古田重治によって築城され、五万四千石を領した。その後幕末…
九州ともついにお別れ。関門海峡を渡って萩方面へ、山陰へ向かう。山口県阿武町にあるという佐々木小次郎の墓を目指す。「武蔵といえば小次郎!」なのだが、武蔵の墓はよ…
肥後人吉城からブーンと九州を北上縦断、豊後・大分県日田へ。江戸時代の私塾、広瀬淡窓が主宰した咸宜園へ。 文化14年(1817)開塾から明治30(1897)年ま…
鹿児島ともいよいよお別れ。もう来ることは、うーん、もうないだろうな…。 出来たら、そう出来たらば、あの俊寛さんが流された喜界ケ島へ行ってみたいな。俊寛さんの「…
特攻記念館で嗚咽しつつ、自筆の遺書を読む。ほとんどが二十歳前後の若者か…。 留魂録 第七九振武隊 昭和20年4月16日出撃戦死 岩手県出身 23歳 佐藤新平…
泣きたいから知覧へ行くのか。知覧へ行って、あそこへ行って読みたい遺書があった。鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館へ。 館内はかなりの見学者。 遺書………母上お…
「『天平の甍』を読んで感動しない人はいないでしょ!」大昔、強面の大学の先生の、この強い口調に押されるまま、古本屋へ。そのまま電車中で読み始めて…感動&感動! …
暗澹たる光景が次々、伝えられる。ただただ唖然の日々…。能登半島地震被災者に衷心よりお見舞い申し上げます 5年前2019年夏、能登半島先端、禄剛崎から少し内陸に…
鹿児島市南の郊外、谷山地区。「あの~、このあたりに秀頼公のお墓が…」「ええ、知ってますよ、クルマですか、この道を…」 そして、個人宅の敷地内へ。 門扉が設けら…
「吉之助さぁと一蔵どんは、最後までないごて、互いを譲れなかったのか」「西郷先生、なぜ大久保さんは、士族の息の根を止めようとするのか。幕末騒乱で命をはったのはお…
謹賀新年、明けましておめでとうございます。長く西国九州行のレポをせず、年を越してしまったが。本年2024もよろしくご愛顧ください。◆宮崎日向の国から、鹿児島薩…
2023令和5年。今年もまた、線香を携え各地の墓参へ。志半ばで散った無念の人がほとんどか、いや、皆そうか。 とはいえ明日から2024、皆さま今年も読んで頂きあ…
●綺羅星の如く家康家臣群 夏目吉信、鳥居父子、大久保兄弟、強右衛門…
「大河ドラマ家康」の夏目吉信にはすっかり泣かされてしまった。甲本雅裕さん、熱演だった。三方原合戦で、家康の身代わりとなって憤死した夏目吉信。かなり知られていた…
岡崎から北へ。豊田市の、今や何百(千)万石のトヨタ城下町のビル街、工場群を抜けて。豊田市寺部町の守綱寺。家康十六神将の一角「槍の半蔵」と敵味方に畏怖された渡辺…
今年も残り10日余り…、1年の総まとめを城郭巡りの回顧にて。きつかったなぁ…… 三峯城、佐和山城、佐伯城、思い起こしてもゥゥゥ…涙泪涕が。 尼崎城(兵庫県) …
今までの家康物のドラマの中で、家臣団と家康の物語がかなり詳しく描かれたこと、これがいちばん私は良かった! 特に「酒井忠次、榊原康政、井伊直政、本多忠勝」の四天…
「初代天皇は神武天皇」と知っていたが、そうか、生誕地は日向の地か。 奈良の畝傍山へ行った際、すぐ近くに「神武天皇陵」が、壮大にして静寂の中にあった。初めてここ…
4日ぶり、九州西国行レポへもどります。 一路、宮崎市内から都井岬の野生の馬へ会いに出陣。おおげさだけど、小学校以来の「ゆめ」だった。野生の馬を見ることが。「へ…
「おい、静かに、走るな、危ない!」孫たちの喧騒そのまま、みなで会場前へ行くも、場内のぞくと講演中にて静か、かなりの聴衆が。 ここは日比谷図書館文化館コンベンシ…
「赤松小三郎って、知ってる?」娘息子孫、友人知人…、何人かに聞いた。「ウーン…分からない、知らない」。私の「赤松小三郎伝」が載ってる拙著を持っていても、これで…
宮崎市から南へおよそ40㌔の日南市の飫肥の城下町。観光客がそぞろ歩きしている街並みを飫肥城の大手門へ向かう。 飫肥城は、戦国時代に島津・伊東氏が争ったが、秀吉…
10月1日レポです。所は九州、日向国。延岡城から佐土原城へ。今旅の最初、関ケ原古戦場で墓参したあの島津豊久が一時城主であったという城。復元された鶴松館御殿の前…
きのう(9月29日)、登城に喘いだ豊後・佐伯城。松本城主だった石川康長は、1614年に改易され、ここ佐伯城下へ配流された。昨2022年、康長公の位牌を安置する…
「本丸まで20~30分ぐらい」と地元の方。ウーン…、帰ってこれるかが不安。しかし、本丸の石垣を下から仰ぎ見ると、登ってみたい。 標高140㍍。「行くぞ‼」。 …
魔女様から万葉秀歌について、さまざま教えていただき。また奈良へ行かないとなぁ、などと思いつつ…、自分の寿命を思いつつ…。四国路をクルマを西へ走らせる。 今治城…
●「熟田津(にぎたづ)に 船乗りせむと 月待てば…」の港は?
「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」高校時代、古典の先生が天井を見つめながら、酔ったようにこの額田王の歌を…
屋島城で熱暑にうたれ、ホテルではバタンキューダウンだったが、翌日なんとか快復!西へ一路、四国中央市の川之江城へ。瀬戸内海が天守から一望とか。おぉ、模擬天守が碧…
九州へは四国の伊予・八幡浜港からフェリーで渡る予定にて、明石海峡大橋を通過、淡路島から四国へと向かう。 淡路島の、道の駅・あわじから美しい瀬戸内海を望むも、世…
旧友・整ちゃんの逝去にずっとこだわりながら…。取り残されたごとく自分は生きている、ズルズルダラダラ生きていくのか。旅の途中訃報に接した西国九州の旅レポ、もう旧…
旧友の急逝にあたり、ブロ友様各位からお悔やみ・励ましの言葉をいただきました。ありがとうございました。一つ一つ返信も出来ず、ダラダラと日を過ごして、すみませんで…
●南さつま市 鑑真上陸の地へついに来たのに、なんということか…!
ついに来た!ここへ来てみたかった!今、南さつま市にて書いています…。 何回も日本への渡航に失敗、盲目となっても頑強な意志でついに日本へきた鑑真和上。その鑑真が…
後醍醐天皇・南朝を強力に支えた四人の武人を、後世、略して「三木一草」と称し、讃えた。結城親光(ゆうきのき)、 名和長年(伯耆守のき)、楠木正成(くすのきの木)…
東日本大震災の翌年、長駆、石巻市の大川小学校へ向かった。児童・先生80名以上が犠牲となったという強烈な印象が残っていて、北上川河口近くの小学校へ行ってみたかっ…
新田義貞は、天皇・後醍醐天皇を信奉すべきか、いや武士たちの意向を酌むべきか、迷う。尊氏の武家中心・尊重もよくわかる、正成の純な気持ちもわかる、惹かれる…。迷う…
なぬぅ~? 新田義貞墓所が福島県棚倉町に?むむ、桐生市に首塚が! さらに驚いたのは、新田神社や生品神社のある新田義貞のふる里、群馬県太田市に義貞の弟・脇屋義助…
大リーグも、日本も野球はそろそろ終盤。大谷翔平選手にはなんとしてもホームラン王をとってほしい!と願う。そして日本では、我れ長年奉職した松本第一高校出身のDeN…
「どうする家康」で今や話題の岡崎城へ。かなりの人手。相方は初めてとあって大喜び、天守最上階にて両手を広げるポーズ、いいねえ。私は何度か来てはいるもののいつも新…
大河ドラマ『どうする家康』を見つつ、ふつふつと湧いていた思いが、義仲四天王の二人、根井行親・楯親忠父子の史跡を訪ねて以来、「よぉ~し!」。約10日間、熱を込め…
二俣城は、岡崎信康が自刃した城として有名だが、それ以前に武田方の城として守備していた城主・依田信蕃(のぶしげ)は、残念ながらあまり知られていない。依田信蕃、「…
遠州・二俣城、鳥羽山城へ。ブロ友・JOJOさんのレポにて、鳥羽山城をまったく知らなかったことを知る。 二俣城は大雨の中、かつてちょっと行った。その日は、岡崎信…
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音に聞こえた絶景の山城、播州・波賀城(兵庫県宍粟市)へ。宍粟(しそう)市の市街から北へ数㌔、山城のかなりのところまで車で行けるという。嬉しいね。 ひろ~い駐車…
「まだ残っているか、紅葉の景が信州伊那の高遠に…」高遠といえば「天下一の桜」なれど、秋の紅葉や如何にと、久々高遠城へ、車を走らせた。おぉ、残ってた!桜の木々は…
なんとか間に合ったか! 木曽、義仲の里錦秋の候。木曽義仲の墓塔が立つ木曽福島の萬松山興禅寺へ。 境内入って勅使門のあたり。いい絵だ! 興禅寺は、京・竜安寺に負…
兵庫県のお寺やお城を巡ってレポしてる今、世の動きに目をやると…。 兵庫県知事選の結果の私の当てがはずれ、苦笑&憫笑、モチ自分自身にである。アメリカ大統領選も、…
「逆賊・明智光秀を祀る神社??」初めて見る高さ41㍍という壮大な福知山城の天守閣に驚いたのだが…。おぉ、小天主も。 まずは御霊神社をさっそく訪ねた。「逆賊・逆…
仙石氏の出石城にて仙石氏初代当主・仙石秀久を久々に思い出す。地元タウン紙の連載『信州往来もののふ列伝 巻39 仙石秀久伝』は2012年8月。その後拙著『信州往…
但馬国・豊岡市出石城へ。登城橋、登城門、左右の石垣が城郭の雰囲気。城は階段状、ひな壇のように山のふもとから石垣が作られているようだ。登城門をくぐると下の丸→二…
京都府舞鶴湾に面した舞鶴市の田辺城へ。あの豊臣有力家臣の細川幽斎・忠興が築いた城。築城当時は舞鶴湾に面した城郭だったという。田辺城資料館として再建された堂々た…
若狭の国へ、日本海を眺めながら小浜城へ。といっても今年の五月。小浜城は石垣が残り、天守台から海が望める。また小浜は、幕末の尊王攘夷運動の先駆者梅田雲浜のふる里…
今年も、我が新米を亡き母の実家へ「奉納」に。従兄夫婦が大規模な林檎園を経営していて…。お返しの美味しい林檎が目当て(笑)。 いつもながら昔話で談笑・哄笑して、…
真田昌幸から始まった真田一党伝、いよいよ最後のつわもの真田信繁(幸村)。真田の郷、真田三代レリーフ像左端は信繁なり!かつて高校生が描いてくれた信繁像。強そう!…
北信越秋季大会、松本第一、小松大谷高校を破ってベスト8に進出するも! あぁ、強豪・敦賀気比高校に敗れ、ベスト4ならず。夏に向かって頑張れ! 一方、先輩の牧(D…
真田一党伝、長く空いてしまった。この間、大河「真田丸」を見たがすっかり「忘れてて!」楽しく見れた(笑)。今日の主役、幸隆さんは出てこないが。 真田家・真田一党…
松本第一高校も、今はかなり施設が整った。学校近くには、ダイヤモンドがすっぽり入る室内練習場も。だがその後出来たグラウンドをみるのは初めて。「DeNAの牧選手の…
やったぁ!勝ったぁ!松本第一高校!長野県高校野球秋季県大会で優勝ぞ!準決勝で上田西高校を大逆転して勝利! 翌日決勝、松本国際高校を破って長野県大会優勝! 北…
「真田幸村と真田十勇士」!私の真田はこれ一辺倒で真田信尹(のぶただ)は長く知らなかった。2016年大河「真田丸」にて信尹を栗原英雄さんが扮し注目された。信尹は…
幼いころから真田幸村&真田十勇士に興味津々。昌幸、信幸はその次、いわんや信綱、昌輝、さらに信尹までへの関心探求となれば、かなり後日の話。真田信綱・昌輝兄弟をも…
このポスターのような一枚紙。拙ブログで紹介したのは10年ほど前の2013年9月。武田信玄麾下、およそ500人の武将名が記されている「武田家属将美名録」。 左…
信州真田の郷に立つ真田昌幸のレリーフ像。いい顔だ。 真田昌幸が徳川軍七千を翻弄、大勝利した第一次上田・神川合戦の古戦場、神川河畔。かなりの昔、右岸左岸の河畔を…
沼田城、名胡桃城、岩櫃城…、そして真田本城、上田城…。真田昌幸が駆け抜けた城跡に昌幸の憤怒の熱い吐息が聞こえてくるような。名胡桃城から西へ80㌔ほど、信州真田…
4日ぶり、九州西国行レポへもどります。 一路、宮崎市内から都井岬の野生の馬へ会いに出陣。おおげさだけど、小学校以来の「ゆめ」だった。野生の馬を見ることが。「へ…
「おい、静かに、走るな、危ない!」孫たちの喧騒そのまま、みなで会場前へ行くも、場内のぞくと講演中にて静か、かなりの聴衆が。 ここは日比谷図書館文化館コンベンシ…
「赤松小三郎って、知ってる?」娘息子孫、友人知人…、何人かに聞いた。「ウーン…分からない、知らない」。私の「赤松小三郎伝」が載ってる拙著を持っていても、これで…
宮崎市から南へおよそ40㌔の日南市の飫肥の城下町。観光客がそぞろ歩きしている街並みを飫肥城の大手門へ向かう。 飫肥城は、戦国時代に島津・伊東氏が争ったが、秀吉…
10月1日レポです。所は九州、日向国。延岡城から佐土原城へ。今旅の最初、関ケ原古戦場で墓参したあの島津豊久が一時城主であったという城。復元された鶴松館御殿の前…
きのう(9月29日)、登城に喘いだ豊後・佐伯城。松本城主だった石川康長は、1614年に改易され、ここ佐伯城下へ配流された。昨2022年、康長公の位牌を安置する…
「本丸まで20~30分ぐらい」と地元の方。ウーン…、帰ってこれるかが不安。しかし、本丸の石垣を下から仰ぎ見ると、登ってみたい。 標高140㍍。「行くぞ‼」。 …
魔女様から万葉秀歌について、さまざま教えていただき。また奈良へ行かないとなぁ、などと思いつつ…、自分の寿命を思いつつ…。四国路をクルマを西へ走らせる。 今治城…
「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」高校時代、古典の先生が天井を見つめながら、酔ったようにこの額田王の歌を…
屋島城で熱暑にうたれ、ホテルではバタンキューダウンだったが、翌日なんとか快復!西へ一路、四国中央市の川之江城へ。瀬戸内海が天守から一望とか。おぉ、模擬天守が碧…
九州へは四国の伊予・八幡浜港からフェリーで渡る予定にて、明石海峡大橋を通過、淡路島から四国へと向かう。 淡路島の、道の駅・あわじから美しい瀬戸内海を望むも、世…
旧友・整ちゃんの逝去にずっとこだわりながら…。取り残されたごとく自分は生きている、ズルズルダラダラ生きていくのか。旅の途中訃報に接した西国九州の旅レポ、もう旧…
旧友の急逝にあたり、ブロ友様各位からお悔やみ・励ましの言葉をいただきました。ありがとうございました。一つ一つ返信も出来ず、ダラダラと日を過ごして、すみませんで…
ついに来た!ここへ来てみたかった!今、南さつま市にて書いています…。 何回も日本への渡航に失敗、盲目となっても頑強な意志でついに日本へきた鑑真和上。その鑑真が…
後醍醐天皇・南朝を強力に支えた四人の武人を、後世、略して「三木一草」と称し、讃えた。結城親光(ゆうきのき)、 名和長年(伯耆守のき)、楠木正成(くすのきの木)…
東日本大震災の翌年、長駆、石巻市の大川小学校へ向かった。児童・先生80名以上が犠牲となったという強烈な印象が残っていて、北上川河口近くの小学校へ行ってみたかっ…
新田義貞は、天皇・後醍醐天皇を信奉すべきか、いや武士たちの意向を酌むべきか、迷う。尊氏の武家中心・尊重もよくわかる、正成の純な気持ちもわかる、惹かれる…。迷う…
なぬぅ~? 新田義貞墓所が福島県棚倉町に?むむ、桐生市に首塚が! さらに驚いたのは、新田神社や生品神社のある新田義貞のふる里、群馬県太田市に義貞の弟・脇屋義助…
大リーグも、日本も野球はそろそろ終盤。大谷翔平選手にはなんとしてもホームラン王をとってほしい!と願う。そして日本では、我れ長年奉職した松本第一高校出身のDeN…
「どうする家康」で今や話題の岡崎城へ。かなりの人手。相方は初めてとあって大喜び、天守最上階にて両手を広げるポーズ、いいねえ。私は何度か来てはいるもののいつも新…