記紀の神話によりますと、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降る」という記述が出てきます。天孫降臨と言われるお話で、ここから日本の統治がはじまります。この言葉の中にある筑紫は間違いなく今の
前回、天日槍(あめのひぼこ)の話をさせていただきました。新羅からやってきたと伝えられている人物、もしくは、一族です。紹介させていただいたように、金属精製、加工の技術を持っていたことは間違いないと思います。日槍というのは、矛に陽が差してきらきら光るようなイメ
福井県の若狭湾を中心としてして広がる、北近江、若狭、丹後、但馬の地域は、天日槍(あめのひぼこ)伝説で結ばれた地域です。天日槍(あめのひぼこ)は、古事記や日本書紀に記載されている、新羅の王子です。日本書紀によれば、垂仁天皇の時、神宝、羽太の玉、足高の玉、赤
邪馬台国について、いろいろと見てきましたが、魏志倭人伝の記述の中には、卑弥呼以外に、もうひとりの女王の名前が出てきます。魏志倭人伝によると、卑弥呼が死ぬと男子の王が立てられたが、「邪馬壹国」の人々はこれに服さず内乱状態となって大勢が死んだ。このため、再び
日本にまだ文字がない時代、もしくは、記録が残っていない時代において、中国の史書は、その当時の日本の情勢を伝える唯一の記録であり、これらの書を持って、中国からの視点ではありますが、かなり客観的に日本の状況を見ることができます。それは、当時、日本が中国にとっ
ご存知の方も多いと思いますが、日本書紀の中には卑弥呼も邪馬台国も出てきません。しかしながら、卑弥呼に匹敵するとされるのが、仲哀天皇の皇后であった神功皇后です。日本書紀に従うと、西暦170年から269年迄生きたことになりますから、魏志倭人伝から逆算すると248年に亡
魏志倭人伝では、距離を表す単位に「里」が使われています。この里の単位に関しても、魏でつかわれていた里であるから魏尺を用いて、1里=約400mであるとして説明する人もいれば、100m以下の短里と言うものがあり、それを使っていると言う人もいます。両方が使われているの
邪馬台国は、北九州以外ありえないというお話をさせていただきましたが、それでは、なぜこれまでいろいろな論争が起こったのでしょうか。ひとつの大きな理由は、距離と方角から比定される場所に、決定的な遺跡跡がないことがあげられます。遺跡を破壊しきったと言うことは考
蘇我氏からはじまった、歴史謎解き教室ですが、このあたりで、もう少し古い時代について見てみたいと思います。まず、倭という言葉に着目したいと思います。日本のことを倭国と言ったと理解されている方も多いかもしれません。しかし、それはあまり正しい理解ではありません.
天武天皇の求めた万世一系、しかしながら本当の王朝は変遷を重ねてきたというお話をしました。その中で、蘇我氏が悪党にされ、それを補うために聖徳太子が造られた話もさせていただきました。これらは、日本書紀に記された内容をじっくり探り、その不整合というところに目を
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