熊本市のボランティアガイドの会です。主に熊本城や熊本市内をご案内いたします。
案内人の会では 熊本城内で無料のガイドも行っています。
新町地区は、熊本城の正面にあたり、城門に囲まれた城内の町で、短冊形の町割の中には、御家中の武家屋敷と町人町とが混在する、全国でも珍しい町でした。モツ兵衛も子供の頃新町当時は古城堀端で過ごしたばってん、お菓子問屋、おもちゃ問屋、魚市場、熊本名物の辛子蓮根の老舗、明治から続く毒消丸の薬屋、本屋、蕎麦屋、大きな料亭や芸妓さん達が多い花柳界、戦後進駐した米軍がいた古城地区、色々な人達が住む賑やかな町でした。残念ながらその街並み雰囲気も無くなりましたが、このシリーズで新町の面白さをお伝えしたいと思っとるタイ新町は”おもしろかところ”
古町地区の話バおわり、新町の話を始める前に、新町と古町の境界となった坪井川について語らんといかんタイ。“せいしょこさん”によって河の道を変えられた坪井川には、白川からの”ヨナ(火山灰土)”の流入がなくなり、井芹川からの水量も加わり水運路が開かれた。内堀である坪井川は、城下の重要な川舟による荷物輸送をにない、川筋に沿って商人、職人の町ができ、薮ノ内橋(やぶのうちばし)、厩橋(うまやばし)、下馬橋(げばばし)、船場橋(せんばばし)、新三丁目橋(しんさんちょうめばし:後の明八橋)の木造の橋が架けられた。土木の神様3
現在、古町という町名は無いが、五福校区あたりに古くからある町を総称して「古町」と呼んどると。古町は町人町として作られ、細工町・桶屋町・紺屋町など作って売る店、呉服町・米屋町・魚屋町のように町名に由来する様々な商品を扱う店が並んだ。坪井川による舟運、明治24年九州鉄道開通、大正13年市電開通により、流通の拠点性は高まった。明治期、様々な商店の他、銀行、芝居小屋が立地し、唐人町は花の唐人町と言われるほど繁華街、問屋街としてにぎわった。そういえば、子供の頃、確か郵便番号導入の頃と思っとるバッテンが、住んどった古城堀端町、塩屋町、職人町、馬借町等の町名が新町一丁目、二丁目、三丁目・・・となりたいぎゃ寂しかったバッテンが古町の人達は大したもんばい、最近古い町名復活要望が出ているバッテンガ・・・・残念タイ古町は”せいしょこさん”時代のなごり
2019年も始まり、正月には真っ白な天守閣の姿を見て、地震からの復興が1日1日進んどるこつに元気づけられたタイ。昨年から本格的な天守閣復元工事が始まり、大天守約800個の石垣の積み直しも終わり、屋根瓦は平瓦と素丸瓦を組み合わせ漆喰(消石灰を主材料、これに「すさ:麻を裁断したものに、「ふのり」、「つのまた」等の海草を煮て作った糊)で固めた真っ白な姿を見せ、「鯱」も載せられ、また黒色の渋皮塗り(柿の渋汁、黒灰、にかわを混ぜた物)の下見板(したみいた)張りも進められている。市の中心通町から見ると、”美しく壮麗な天守”の姿が見られ、昔に戻ったような気がすっとたい!辛島町のMICE施設も今年オープン予定とか!たのもしか~2019年は飛躍の年になりそうタイ2019熊本城復元状況
皆さん元気に新しい年を迎えなはったと思っとりますバッテン、熊本地震からやがて3年になるたい。お城や城下町も普請の槌音がアチコチで聞こえるタイ。“モッちゃん一族”も皆元気に正月を迎え「今年もお城や、ご城下の面白か話ば、皆の衆に伝えるため“黒鍬者モツ兵衛”を中心に全員探索方となり話のネタを集め、“よみうりのもつ吉”が皆の衆に伝えるタイ。面白か話ば聞いたなら知らせてね!2019年明けましておめでとうございます。
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