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くまもとよかとこ案内人の会 https://blog.goo.ne.jp/k-yokatoko/

熊本市のボランティアガイドの会です。主に熊本城や熊本市内をご案内いたします。

案内人の会では 熊本城内で無料のガイドも行っています。

よかとこ
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住所
熊本市
出身
熊本市
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2010/05/28

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  • 新町さるく4(新三丁目御門)

    新三丁目御門は、撤去されましたが、明治8年(1875年)に「通潤橋(つうじゅんきょう)」や「霊台橋(れいたいきょう)」を造った明治の名石工橋本勘五郎が、東京「日本橋」、皇居「二重橋」を架設したのち、帰郷し架設されたので「明八橋」と呼ばれ、熊本市を流れる坪井川に架かり、新町2丁目と西唐人町を結んでいます。昨年5月から1年間、殿さまの命により、肥後城下町の探索を続けてきましたが、新たに熊本領内の探索を命じられ旅に出ます。暫くの間皆様とお別れです。いつの日か新たな藩内の情報をお知らせできる事を楽しみにしています新町さるく4(新三丁目御門)

  • 新町さるく4(高麗門)

    高麗門(こうらいもん)は、文禄・慶長の役が行われた1592年から1598年の間に加藤清正公によって造られ始めた城門である。しかしながら門は明治初期に解体、掘も1891年(明治24)に埋められた。現在は高麗門跡の近くのJR線踏切を超えると横手の寺町に入る。この付近は妙解寺、安国寺、妙永寺、立正寺、瑞光寺など、多くの寺院があり、2月15日には涅槃会(ねはんえ)が各寺院で催され、特に妙永寺の涅槃画像開帳は有名でした。また参拝客を目当てに加藤清正の時代から市が開かれていました。この市を釈迦市、高麗門の市といいましたが、近年まで熊本に春を告げる風物詩として市民に親しまれていた白川河川敷の植木市の源流です。新町さるく4(高麗門)

  • 新町さるく3(新一丁目御門)

    二の丸公園への上り口に清爽園と言う公園があっと。現在、YMCAがありまが、ここは熊本城の正面登城口であり、薩摩・豊前、豊後街道の始まりの起点でした。また城下の人々に様々な決まり事を示す高札が立っていた札の辻と呼ばれていました。また神風連の乱で首領太田黒伴雄が最後を迎えた地でもあり、西南戦争で法華坂での戦いがあった所です。新町さるく3(新一丁目御門)

  • 新町さるく2(隈本城)

    洗馬橋の袂に、現在中央郵便局がありますがその奥に第一高等学があるとタイ。ここが古城と呼ばれる「隈本城」のあったとこタイ。古城堀端で育ち、石垣に登ったり竹で吹き矢を作ったり、楠の枝で刀を作りチャンバラごっこで日暮れまで遊んどったタイ。残念ながら堀は昭和28年の大水害の時、埋め立てられ以前の“れんこん堀”と言われた姿は残っていません新町さるく2(隈本城)

  • 新町さるく(”たぬき”も”えび”さもいるよ洗馬橋)

    船場橋の袂には、新町に入るために設けられた29門の1つ船場柳御門があったと。御門は、熊本城下の南東、船場橋から山崎町方面を監視する関所門で朽木家(くつきけ)が厳重に警戒していた。門の構造は跳ね上げ式で、番所が置かれ、門の前には勢屯(せいだまり)と呼ばれる広場がありました。坪井川沿いには、後には「船場山」と呼ばれる小高い土居を築かれ、土居には柳を植えてあったことから「柳の御門」と呼ばれていたそうたい。慶長15年(1610)には加藤清正が熊本初の阿国歌舞伎の勧進興行を行なったと伝えられているよ。ここに貯木場や物資の荷揚場があり、船場・塩屋町として賑わっていた。かつて物流の大動脈だった坪井川の船着場として栄えた船場界隈は「肥後てまり歌」発祥の地との説も!新町さるく(”たぬき”も”えび”さもいるよ洗馬橋)

  • できたバイ熊本駅

    JR熊本駅(熊本市西区)の在来線新駅舎が3月16日に完成したバイ。駅舎は高架上に鹿児島線と豊肥線の発着を集約、ホーム真下に改札口があっと。世界的建築家・安藤忠雄さんが設計ばしなはったとです。白川口(東口)のグレーの外壁(幅240メートル、高さ最大12メートル)は熊本城の石垣「武者返し」をイメージし県産木材を多く使い「森の都」と言われる熊本らしさばだしなはったそうです。2001年度に着手しました鹿児島線(6キロ)と豊肥線(1キロ)を高架化し、15カ所の踏み切りを無くした連続立体交差事業は、18年の歳月、総事業費は約626億円で、駅舎建設に約24億円かかったそうです。できたバイ熊本駅

  • 西南戦争逸話2

    西南戦争熊本城の戦いにおいて、籠城策を決めた熊本鎮台は、陣地の構築、弾薬等戦いの準備を行いましたが、約3,500名の鎮台兵や将兵家族のための食料の備蓄も開始しました。米、味噌、日本酒・・・煙草等約1ヵ月分を確保しましたが、戦闘が開始され3月初め頃には、残った食料も心細くなり、薩摩軍の包囲の中、城下から粟、稗、濁り酒を調達したり、城内の堀から鮒、鯉、芹、菜の花を採ったり、豆腐の醸成、ぼた餅を作ったりして頑張ったそうです。兵隊さん以外にも西南戦争を戦った人達がいたんですね。また熊本城下の市民は、薩摩軍の動きに応じて逐次避難を開始したようですが、2月15日熊本鎮台は正式な退避命令を出し、市民の戦災被害を避ける努力もなされたみたいです。西南戦争逸話2

  • 西南戦争逸話

    西南戦争“熊本城の戦い”には多くの逸話があっとバッテンが、今日はその一部を紹介しよかね①西南戦争籠城将校家族避難跡鎮台司令・谷干城婦人・谷玖満子(たにくまこ)を始め将校・兵の婦人達が弾丸の飛来を避けるため熊本城二の丸薬研堀避難しました。彼女等は傷病兵の看護などに当たりました。籠城中は戦闘員以外は、粟飯や粥が配給されていましたが、こればかりでは辛いと思った玖満子婦人は、皆と共に戦いがやむと城内外で野草をつみ、食材調達に励んだそうです。この玖満子婦人、相当な“やりての方”で、彼岸前に餅米の配給があった時、婦人は“ぼた餅”造りを発案し“道具は何とかする・・・”としてある日の夜半、単身城の塀を乗り越え、城下の焼け残った家屋から道具を次々戦時調達で失敬!泥だらけになって、すりばちなどを持って帰って来なはっった。こっで作ら...西南戦争逸話

  • ”ひちゃんくちゃん”になった城下町

    熊本城のお膝下である新町、古町を始めとする町には、江戸時代を物語る建物は、全く残っとらんと。西南戦争の時、熊本城を守る官軍司令官谷干城(たにたてき)少将は、「堅壁清野(けんぺきせいや)」(石垣を守る)による籠城(ろうじょう:城に籠る)作戦をとる事を決心しました。このため住民達へ戦いの被害が及ぶ事を避けるため城下外への避難を呼びかけました。そして住民の避難を確認した後、市街地に火を放ち(城下を敵が使えないようにし、またお城からの大砲・小銃の射撃を容易にするため)焦土化したそうです。また原因不明と言われる天守閣火災の飛び火により市街地が延焼し、市街地の大半が焼けました。更に、薩摩軍が熊本城攻撃から包囲に作戦を変更した後、坪井川を堰止めし城下を水没させ、熊本城を孤立化し官軍が進出できないようにしました。熊本城下に明治...”ひちゃんくちゃん”になった城下町

  • せいしょこさんと西南戦争

    141年前、明治10年(1877年)2月19日、熊本城が炎上、21日薩摩軍の本格的攻撃が開始され、「西南戦争熊本城の戦い」が始まりました。薩摩軍は熊本城を包囲し、三の丸方向から攻撃、第13歩兵連隊長與倉中佐が戦死する程の激戦になりましたが、城内に一歩も侵入することができず、24日以降約3千の兵隊で囲み、薩軍主力は田原坂に転進。政府軍との約1ヵ月に亘るし烈な戦いとなりましたが、薩摩軍は同地の戦いに敗れ鹿児島に敗走、城山に籠り最後の戦いに挑み9月24日西郷隆盛が自刃し西南戦争は終了しました。この時、西郷さんは「わしは、官軍に負けたのではない。清正公に負けたのだ!」と述べたと伝えられています。清正公と西郷さんは約280年の時空の差があります。こりゃどぎゃんこつかな!清正公は、熊本城築城に当たり次のような事を述べたと伝...せいしょこさんと西南戦争

  • なつかしかバイ!植木市

    白川橋の付近の河原で”植木市”が始まったバイ。古城堀端に住んどった頃、新町~高麗門の町内の路の両側に梅の木、キンカンが並べられ、学校の行き帰りにキンカンを食べてタイギャ”おごられた”コツば思い出した。ハッカ、正ちゃんゴマ、綿あめなんか色んな露店が並び、毎日楽しかったバイ。城親賢公が始めた市に花木類が登場したのは、花木の商いが盛んになったのは、おそらく1760年頃以降の事と思われ、人形等の玩具、紙さし、はな紙入れなどの小間物やお茶、煙草などの商品に交じって菊・かきつばた・梅・桜などの花木が売られていたようです。六代藩主細川重賢公(1720~85)は藩経済の立て直しや士風一新を推進するとともに、一般植物の栽培を藩士に奨励した。十代藩主細川斉護公(なりもり)(1804~60)も花卉盆栽を好み、園芸を奨励したこともあり...なつかしかバイ!植木市

  • 新町ば”さるこう”かい

    “新町”は、明治10年の“西南の役”で激戦地となり、町の多くが焼けたり、水没したりしたばってんが、戦後再び卸・小売業、料亭が建ち並び、通りには朝市が立ち賑わいを見せとったとタイ。ばってんが第2次世界大戦後、だんだん衰退、職人さん達が働いた工場の多くは、郊外へ移転、また平成28年4月の熊本地震で大正、昭和レトロの家屋は倒壊しました。しかし新町を代表する駄菓子屋さん、玩具屋さん、漢方薬の店舗、肥後象眼の技術等“古き良き城下町”を味わう事ができるタイ新町ば”さるこう”かい

  • 今日は、初午大祭だよ!

    あ~た知っとったね!今日2月2日は初午大祭、熊本城稲荷神社は参拝客でタイギャー賑わっとったタイ。1588年(天正16年)、加藤清正公が肥後の国主として入国するにあたり勧請した神社で、清正公は神使である2匹の狐(霊狐)を連れてきて、居城となる熊本城の守り神とした。ご祭神は、生活のご加護・将来良き方向に導く”白髭大明神”だそうです。この神社の正面に”2匹の狐”が鎮座しているのを見たこっあっとですか?「2匹の霊狐は、兄弟大明神」と言われ、次のようなの伝説があると武将隊の”せいしょこさん”が言いよんなはった。「昔、霊狐は大阪石山城に住んでいたが、石山合戦で住処を失い各地を流浪、長浜で加藤清正を見かけ、将来名君になると見込んで陰ながら守護した。清正の肥後入国と共に熊本へと移り、祇園山(現花岡山)の八枚岩に住んだ。熊本城の...今日は、初午大祭だよ!

  • 新町は”おもしろかところ”

    新町地区は、熊本城の正面にあたり、城門に囲まれた城内の町で、短冊形の町割の中には、御家中の武家屋敷と町人町とが混在する、全国でも珍しい町でした。モツ兵衛も子供の頃新町当時は古城堀端で過ごしたばってん、お菓子問屋、おもちゃ問屋、魚市場、熊本名物の辛子蓮根の老舗、明治から続く毒消丸の薬屋、本屋、蕎麦屋、大きな料亭や芸妓さん達が多い花柳界、戦後進駐した米軍がいた古城地区、色々な人達が住む賑やかな町でした。残念ながらその街並み雰囲気も無くなりましたが、このシリーズで新町の面白さをお伝えしたいと思っとるタイ新町は”おもしろかところ”

  • 土木の神様3

    古町地区の話バおわり、新町の話を始める前に、新町と古町の境界となった坪井川について語らんといかんタイ。“せいしょこさん”によって河の道を変えられた坪井川には、白川からの”ヨナ(火山灰土)”の流入がなくなり、井芹川からの水量も加わり水運路が開かれた。内堀である坪井川は、城下の重要な川舟による荷物輸送をにない、川筋に沿って商人、職人の町ができ、薮ノ内橋(やぶのうちばし)、厩橋(うまやばし)、下馬橋(げばばし)、船場橋(せんばばし)、新三丁目橋(しんさんちょうめばし:後の明八橋)の木造の橋が架けられた。土木の神様3

  • 古町は”せいしょこさん”時代のなごり

    現在、古町という町名は無いが、五福校区あたりに古くからある町を総称して「古町」と呼んどると。古町は町人町として作られ、細工町・桶屋町・紺屋町など作って売る店、呉服町・米屋町・魚屋町のように町名に由来する様々な商品を扱う店が並んだ。坪井川による舟運、明治24年九州鉄道開通、大正13年市電開通により、流通の拠点性は高まった。明治期、様々な商店の他、銀行、芝居小屋が立地し、唐人町は花の唐人町と言われるほど繁華街、問屋街としてにぎわった。そういえば、子供の頃、確か郵便番号導入の頃と思っとるバッテンが、住んどった古城堀端町、塩屋町、職人町、馬借町等の町名が新町一丁目、二丁目、三丁目・・・となりたいぎゃ寂しかったバッテンが古町の人達は大したもんばい、最近古い町名復活要望が出ているバッテンガ・・・・残念タイ古町は”せいしょこさん”時代のなごり

  • 2019熊本城復元状況

    2019年も始まり、正月には真っ白な天守閣の姿を見て、地震からの復興が1日1日進んどるこつに元気づけられたタイ。昨年から本格的な天守閣復元工事が始まり、大天守約800個の石垣の積み直しも終わり、屋根瓦は平瓦と素丸瓦を組み合わせ漆喰(消石灰を主材料、これに「すさ:麻を裁断したものに、「ふのり」、「つのまた」等の海草を煮て作った糊)で固めた真っ白な姿を見せ、「鯱」も載せられ、また黒色の渋皮塗り(柿の渋汁、黒灰、にかわを混ぜた物)の下見板(したみいた)張りも進められている。市の中心通町から見ると、”美しく壮麗な天守”の姿が見られ、昔に戻ったような気がすっとたい!辛島町のMICE施設も今年オープン予定とか!たのもしか~2019年は飛躍の年になりそうタイ2019熊本城復元状況

  • 2019年 明けましておめでとうございます。

    皆さん元気に新しい年を迎えなはったと思っとりますバッテン、熊本地震からやがて3年になるたい。お城や城下町も普請の槌音がアチコチで聞こえるタイ。“モッちゃん一族”も皆元気に正月を迎え「今年もお城や、ご城下の面白か話ば、皆の衆に伝えるため“黒鍬者モツ兵衛”を中心に全員探索方となり話のネタを集め、“よみうりのもつ吉”が皆の衆に伝えるタイ。面白か話ば聞いたなら知らせてね!2019年明けましておめでとうございます。

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