長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
この二週間ほどよく雨が降る。濡れて行けるほどの小雨は少なく、今朝は土砂降りだ。国会では予算委員会で裏金追及が続いている。飽きやすい日本としては驚くべき粘り強さだ。自民党の答えにならないふりをするだけの切り抜け作戦が功を奏していない。政倫審などというお茶を濁す会議では埒が明かず、証人喚問が要求され鍵を握る森元総理が引きずり出されそうだ?。一体何%くらいの人が国会予算委員会の質疑を見ているのだろうか。見れば自民党が賞味期限切れなのがわかる。私は録画でさわりを見ているだけだが、総理の曖昧な糊塗に終始する答弁に辟易している。このままでは新しい戦後は危ない、有権者の力で変えなければ。春雨が過ぎる
Y君は同窓会に出てこないのでもう四十年会っていない。今ではただ年賀状をやり取りするだけになってしまったのだが、宛名の荒川区西尾久と書く時、西尾久というのはどんな所だろう下町で町工場などがあるのだろうかと想像することがあった。不思議なことがあるもので、昨日受診された患者さんがたまたま西尾久に嫁がれ帰省中の方だった。診察を終え、帰り際に思わず西尾久に友達が居るんです、どんな所ですかと聞いてしまった。都電が走っていてとても住みやすい良い町ですよ、お年寄りが気軽に声を掛けて下さる子育てのしやすい所ですよとニッコリされた。その言葉に、心の奥が温かくなった。千載一遇、思いがけないことがあるものだ。荒川区西尾久
ブログのご縁で送って頂いた写真を絵に描いた。ほぼ完成。実はまだ少し手を入れたいところがあるのだが、四月初めに仲間との展覧会に出品するため取り敢えずの完成とした。展覧会が終わったら少し手を入れようと思っている。実際には手を入れてもどこが変わったかは分からない程度の些細な部位なのだが、描き手は気になるのだ。絵というのは不思議なもので、何処で完成とするかがとても難しい。この絵は写生しているつもりだが写実的ではなく印象派的になっている。空の色調は先生のご指導で写真よりも青みが強くなった。先生も私が印象派的な作風と理解されて、そのように指導されたのだろうと思う。秋の写真が春になって完成、土曜画家はそんな速度で絵を描いている。ひとまず完成
今年は暖冬と言われ確かに厳しい寒さはなかったけれども、三月に入ってからも結構寒い日が多く、ふと長冬という言葉を思いつく。そのせいか桜の開花が遅い。子供の頃は桜は四月になってからで、春分の日に開花を聞くことはなかった。ところが二十一世紀になり、温暖化のせいか春分を過ぎると近隣の桜の開花情報が入ってくるようになった。短い一人の一生のうちに地球の気候変化を感得することなどないと思っていたが、そうでもないようだ。日本人の感覚あるいは私の感覚かも知れないが暑さも寒さも長引くともうそろそろと言う気持ちになる。桜の便りが待ち遠しい。暖冬でも長冬
大谷選手の通訳水原一平が違法賭博で解雇、送金に大谷本人の関与があったなかったと錯綜しているが、常識的には知らないのは不自然で関与していれば責任を問われる懸念がある。自民党の裏金問題と同列に論ずると異論もあろうが、関与があったかなかったかが記憶にないわけはなく、それがマスコミの憶測報道や代理人の介在で曖昧になるとはどういうことだろう。大谷本人がドジャーズとファンに説明したほうがいいと思う。野球に専心したいからは言い訳にならない。黙っていると余計に疑われる。水原一平に騙されたのなら、はっきりそう言うことだ。。サッカーを持ち出すと野球ファンは神経を尖らすかもしれないが、海外に出たサッカー選手の多くはその国の言葉を習得している。どうして違いが生まれるか理由はよく分からないが、現地の言葉を話せた方がいいのは間違いな...錯綜する情報
天気予報がよく当たる。今朝、新聞を取りに庭に出た時は雨が降っておらず、おや外れかなと思ったのだが、家を出る七時半には降り出していた。春雨じゃ濡れていこうという雨ではなく、冷たい雨でとぼとぼと駅まで歩いた。還暦を過ぎてから徐々に睡眠時間が短くなり、もう寝過ごすことはなくなったというか、出来なくなった。今朝も医院に一番乗りで、預かっている鍵でドアを開けカチカチとあちこちの電気のスイッチを入れた。お湯を沸かしコーヒー(インスタント)を淹れていると二番手三番手がやってきた。春眠暁を覚える
「栗より旨い十三里」にかなりの人が頷かれるだろう。そして「悪より被害をもたらす愚」にもかなりの人が頷かれるのではないだろうか。大谷に罪が及ばなければよいが、水原通訳は一見善良そうな愚か者だった。愚は感染するから怖い。好事魔多し、真美子夫人にも影を落としそうで大罪だ。もっと早く夫人を迎えていれば防げたかもしれない。栗より旨い十三里?
大谷もダルビッシュもまずまずの出だしだった。7時のNHKニュースを乗っ取る放送、大谷の国民的人気は凄い。人気に押しつぶされない大谷藤井は本物としか言いようがないなあ。圧勝のプーチン、たとえ選挙で色々な操作があったとしてもこの結果はやはりロシア国民の支持があるとしかいいようがない。もしトラとなれば習を加えて自国さえよければという我利の枢軸が構成されるだろう。愛子様学習院をご卒業、指導教授の言葉と進路を聞いて秘かに愛子様応援団の末席に座すことになった。春分の日の出来事
珍しく天気予報が外れ今日は良い天気になった。風は冷たいには冷たいが、むしろ心地良いくらいで庭で暫く風に吹かれていた。泰山鳴動鼠数匹で、出てきた鼠達は知らない記憶にないでやり過ごそうとしている。たとえ政治家であり続けられても鼠に決して権力を持たせてはならない。有権者の方がそれくらいの記憶力を持っていないと新しい戦前でも間違いが起きる。記憶にないを通しては
父から教わった言葉(もとは蘇東坡の漢詩)。値千金はあまり詩的ではない感じもあるが、生きて味わう春宵の素晴らしさを伝えて絶妙。今の若い人にはこうした感覚はわからないのだろうか。自分が物心がついた時、既に中国は共産国だったのだが、西遊記水滸伝漢詩に親しんだせいか今も中国の印象には唐宋清の時代の色が濃い。果たして蘇東坡の暮らした場所の春宵がいかなるものだったか知る由もないが、日本に置き換えても得心のゆく名言と感じる。大袈裟かもしれないが、若者にこうした感覚を味わわずして生き過ぎてしまうのは惜しいと告げたい。春宵一刻値千金
終盤で80パーセント以上有利になれば決して負けないのが藤井聡太で、まして95%以上有利となれば勝負は決まりで、藤井聡太の連続優勝と思った。ところがその聡太が間違えてしまった。佐々木勇気の2四飛車を見逃し紙一重の鍔迫り合いに負けて優勝を逃した。佐々木勇気八段はNHK杯初優勝、しかも昨年決勝で負けた八冠の藤井を破っての優勝、おめでとうと拍手を送りたい。いやあ分からない、藤井八冠が終盤で競り負けるなんて想像できなかった。藤井八冠は普段は優しく柔らかいのに、勝負となると別人、負けを表明する時はものすごい悔しがりようだった。弥生春三月、大谷も藤井も人間と見つけた。藤井聡太も人間だった
絵の教室の同年配の生徒さん、外で見かければ老婦人、不手際で(乗っていたわけでなく押していた)自転車を転倒させてしまった。怪我はなかったのだが、音で驚いたか何人かの人が大丈夫ですかと声を掛けてくれた。面目なく大丈夫ですと言いながら自転車を起こしたら軽々と起こせた。あれっと思ったら中年のおじさんが後ろで起こしてくれていたそうだ。白髪で絵を描く人には珍しく?よく話をされる方で、彼女の感想は世の中捨てたものじゃない、何人も声を掛けてくれ自転車を起こす手伝いまでしてくれたと繰り返し話しておられた。なるほどなあと聞いていたのだが、今週の教室では孫が心配してくれなくなったと嘆いていた。小さい頃は咳をしたりするとばあば大丈夫と聞いてくれたのにこの頃は知らんふりよ嘆かれていた。おそらくそんなことを言うのが照れくさい?年頃に...世の中捨てたものではない
暫く小説を読んでいないので、気分転換に新聞で勧められていた「雨の島」呉明益及川茜訳を読み始めた。まだ三分の一くらいしか読んでいないのだが知らない世界と感覚を味わっている。面白いかと言われると迷うが、秀逸と言うか深遠と言うか、凡庸な日常にはない世界に出会った感じがする。もう一つ驚くのはこうした物語をよく日本語に訳せたなということだ。自分は中国語は全くできないのでどのように訳されているのか分からないが、訳者が想像というか創造しているのではないかとさえ思ってしまう程だ。創造には才能が必要だろうが想像は誰にも可能な気がする。世間の損得で錆び付いた想像力に優れた作品は油を差してくれる。雨の島
外来ナースには多少ホステスの要素が必要だ。ホステスというと水商売(最近は使われない?)的に受け取られるところもあって誤解されそうだが、行き届いた優しい気配りと言えば、納得理解されるだろう。指導的理詰めでは足りない相手や状況もあるからだ。医院経営の専門家ではないが、医院に限らずサービス業では様々な要素が繁盛に関わっているのを実感する。何と言っても人間相手の仕事だから行き届いた優しい気配りは欠かせない。経営は難しい
映画のオッペンハイマーがアカデミー賞を複数部門で受賞した。見ていないし、見るかどうかわからないが、私なりのオッペンハイマーの印象を書いてみたい。オッペンハイマーのことは何人かの科学者の書き残したものを読んでいるので、断片的だが鮮明な印象が残っている。不思議な異能の人物だったらしい。残っている写真は独特なポーズで視線の焦点が遠く、孤高で哲学的な印象を与える。余計なことかもしれないが奥さんなる人物は貴婦人とは言えない風変わりな女性だった。理論物理学者として一流ではあったが超一流ではなく、なぜマンハッタン計画の指揮を執ることになったか詳しくは知らない。統率が難しい天才科学者集団を率いるリーダーシップというかカリスマ性がありそこを見込まれ、本人もおそらくそうした仕事にある種の野心を持っていたのではないかと推測する...オッピーフー
どのサービス業もそうだと思うが、雨だと客足は遠のく、昨日は大雨で開店休業状態だった。雨の中調子悪くて受診された患者さんは大歓迎?、看護師三人総出で対応したのでちょっとびっくりされたようだ。客が客を呼ぶのは間違いのないところで、閑散とした医院で大丈夫と思われたか大雨だから当然と思われたか、院長ではないけれど最後の職場として勤務している老医は少し気になった。街中の医院に希少価値はなく競合のあるサービス業なので、新規のところは色々考え気を遣うようだ。辛抱強く良質な医療を提供し続けるのが本筋と思われるが、それだけではないところもあるようで三人総出が院長はあまり気に入らなかったようだ。さて今日は快晴、昨日の挽回ができるかな?。雨と客足
和歌山県議が離党届け。離党とはなんぞや、それは形と言葉に依るまやかしの切り離しのこと。次の広辞苑にはさすがに第一は無理としても第二義として載るだろう。自民党員として企画したことが離党すると取り消せるのか、できない。単に非難された時に離党しましたからと逃げるために使われるだけ、阿保らしい。都合の悪いことは記憶にないそうだが、忘れようとしても思い出せないのか、思い出そうとしても忘れられないのか。特発性不都合健忘症、医者は匙を投げても有権者は投げまい。離党の意味
近所にイタリアンのチェーン店ができた。元は洋品店だったのだが景気が悪いようで、引き払ったと思っていたら、イタリアンができた。駐車場を拡充し十数台停められるようになっており繁盛している様子だ。早速行ってみたのだが、三キロばかりはなれた通いなれた店とメニューが少し違う。ピザの種類が少し増え、パスタの食感が変わった。生麵というのだろうか、少しもちもちして私の好みだ。女房は少しこっちの方が肉が固いと点数が辛いかったようだが、私は麺が気に入りできれば時々来たいと思った。チェーン店にもいろいろあり、全く同じではなく少し趣向を変えるところもあるようだ。新しい店の方が郊外で若い人向けにしたのだろうか、あるいは新機軸を試しているのだろうか。同じでも違う
今年はうるう年で一日多かったけれど、二月は逃げた。三月も、もう十日だ。年明けの一月は少しゆっくりしていたように感じたが、だんだん一週間が早くなった。何もできなかった岸田の冬が過ぎて、何もない春が来るのだろうか。足元が揺らぐ麻生氏の言う通り存在感が薄く批判が素通りするステルス性能が岸田首相の最大の武器らしい。しかしそれでも四月には何かが起きるかもしれない。自壊というものがある。逃げた二月
鳥山明さんが亡くなった。六十八歳とまだお若いのに、ご冥福を祈りたい。アラレちゃんのファンで、随分楽しませてもらった。成人してから殆んど漫画は見ないが赤塚不二夫と鳥山明は例外で面白かった。アラレちゃんよりもドラゴンボールの影響らしいが、世界中のファンが驚き悲しんでいる。子供のころ親しんだ作品の影響は深く大きく、鳥山さんは世界のあらゆるところで日本への親近感を育んだ。COWAという作品を知らないので読んでみたい。ひょっとして河和のことかねと、地元民は思う。バイちゃ、アラレちゃん
ある経済評論家が景気と株価は別物ですからと、高騰する株価と感じられない好景気感の解離を説明していた。成程一部の恵まれた人達と其の他大勢の庶民は別世界に住んでいるわけだ。恵まれた人達の多くは自分達は恵まれているように振る舞わないし恵まれているとも感じていない様子で目に見えにくい。まあそれでも、株高はそれによって利益を得る人達によって支えられもたらされているということがわかった。新NISAも実は新NISAを利用しようとする人達以上に恵まれて大量の株を動かす人達に恩恵をもたらしているわけだ。そういう人達は才覚に恵まれているから株高で儲け、株安は切り抜けてゆけるだろうが、遺憾ながら蓄財の才覚に恵まれない者が下手に真似をすると怪我をする。最悪、オケラ街道を歩むことになる?。恵まれた人は何処に
囲碁将棋が好きで、ユーチューブやNHK杯を観戦している。最近は中村太一と芝野虎丸を贔屓にしている。二人とも人柄に惚れた。以前にも書いたが、観戦しているとどちらかを自然贔屓して見ていることが多い。よく知らない棋士の場合は見た感じや所作で勝手に片方に肩入れして見てしまう。勿論、勝負の内容が一番なのだが、応援していた方が勝つと嬉しい。これは囲碁将棋に限らずサッカーやテニスでも観戦する時はいつの間にかどちらかに肩入れすることが多い。これはあんまりよくないマナーと思うし実際には少ないのだが好みでない方が負けないかと負の応援をすることもある。おそらくそういう人が多いのではないかと思うが威張ったり偉そうな選手は好きではない。昔巨人大鵬卵焼きと言った。卵焼きはともかく、皆さん強い方が好きなのだ。贔屓が勝っていい気分の回数...贔屓筋
国えきという便利な「えき」があるそうだが、一体何処にあるのか教えて欲しい。なんとなく「えき」というと北国の感じがするが、そこでは名残り雪が降っているのでしょうか、一度私も降り立ってみたい。まさかあんたのような不束者にはならんと降車させてくれないということはないでしょうね。いいや、あんたには用のない「えき」であんたの乗った列車は国えきには停まらず通過してしまうんだよ。そんな酷な。まあ確かに普通の人には酷えきなのかもしれませんね。それは何処にある[えき]ですか?
今年は今のところ三寒四温というよりは薄紙を剥がすように暖かくなっている気がする。確かに異様に暖かい日もあったが、印象としては徐々に暖かくなっている。裏金問題ものらりくらりと時間稼ぎで逃げようとする自民党が、飽きっぽく忘れっぽい日本人の特性に狙いを定めて逃げ切りそうな雰囲気が出ている。半世紀前ならどうだっただろうなと記憶を辿ると日本人の感じ方考え方にもうっすらと変化が出ているようだ。少しずつの僅かな変化に気付くには、確かな昔の記憶が必要なのだが本当に身近なことでない限り憶えているのは難しい。飽きやすく忘れっぽいのは、自らが傷つくのを防いで生き延びるための一つの防衛策なのかもしれない。三寒四温というよりは
どこの医師会でもできることかどうかは知らないが、二十年ほど前医師会の理事をしていた頃、今から思えば凄いと言うか素晴らしいことがあった。某A先生、古くからの会員で行事出席者中最高齢のことが多く時々乾杯の音頭を取っておられた。実年齢と身体的脳力的な年齢には個体差が大きいけれどほとんどの仕事で八十代後半の現役は難しいように思われる。どこからどんな情報があったか、ある時医師会の理事会でA先生にもう診療は無理ではないかという議題が上がった。事故が起こる前にとゆうことで引退勧告をすることになった。実際に伝達に行く先生には中々気の重い仕事だったとは思うが、お辞めいただく事ができた。現実には患者数は何分の一かに減っていたのだが、正しい判断だったと思う。菅元首相は、良い判断をされた。引き際の分からない人には引退勧告をするの...医師会の凄いところ
この頃家の階段の登り降りがちょっときつくなった。時々途中で休みたくなる。しかし不思議なことに通勤の駅の階段はすいすいと?登り降りできる。段数は駅の方が多いのに不思議だ。これは心身が仕事モードに変わるせいだろうと思っている。朝玄関を出ると知らないうちにスイッチが入りこれから働くという態勢になるらしい。久しぶりに医師会の会合で懐かしの面々に会ったのだが、多くの人に仕事されていますかと聞かれた。午前中だけ働いていますよと言うと皆さん異口同音に働いていた方が良いですよと言われた。中には絶対と強調される先輩も居られた。八十過ぎておられるのだが朝一時間だけ診察されているそうだ。長くやると息子とぶつかるのでねとも言われた。懐かしい面々に会えた上に元気と勇気を貰った。仕事スイッチ
その言葉に報道と違い、笑い声は聞こえなかった。大谷だから言えた、大谷だから大丈夫?。ちょっと心配な気もする。本当に外出が嫌いなのだろうか、何処に行っても探られる騒がれる。もともとホームボディとしても、よけいに出不精になるだろうな。私だったら耐えられない、自然外出が減る気がする。あなた達がうるさいから
大谷が結婚した。移籍先と言い結婚相手と言い、外部に漏れなかったのは素晴らしい。なんだかんだ言われないよう今シーズンは納得の成績を出すだろうな。大谷流を貫いて欲しい。将棋名人戦の挑戦者は豊島九段と決まった。藤井八冠との対戦成績、最初は大きく勝ち越していたのに追いつかれ抜かれてしまった。さて何処まで盛り返せるか、八丁味噌対決が楽しみだ。永田町鳴動、鼠一匹。内容のない政倫審だったようだ。大谷やったね
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長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
gooがブログを止めるというので引っ越しを始めた。うまく行くかどうか手探りだが、「はてな」に引っ越すことにした。新天地でさてどうなることか。お名残り惜しいが、心機一転。取り敢えずご報告。引っ越します。
家内が夕飯作りに草臥れたというので、老夫婦で回転寿しに行った。私は光り物中心に八皿、家内も巻物デザートなど八皿で合わせて十六皿。会計は三枚でお釣りが来て嬉しかった。お腹が空いていても十皿が限界なのだが、隣の若い二人連れは三十皿近く積み上げていた。男性の方は中肉中背で大食らいには見えないのだが、一人で二十皿くらい平らげていた。自分も二十歳の頃はあれくらい食べられたと思う。若い力を目の当たりにした。隣の客はよく食う客だ
敵愾心を煽るのが得意な人達が活躍している。妬み辛み恨みを利用して他者を非難し不平不満を掬い取り、それで稼いだり支持を取り付けたりしている。人間には劣情がある。それを利用した戦術なのだ。昔、小学校でそれは醜いこと慎むべきことと教わったのでその感覚が身に染みている。それが絶対に正しいことかどうかは分からないが、それに人類の知恵が詰まっているのは確かだと思う。何でもあり、とにかく数を集めれば勝ち?の世の中では、人類の知恵がかき消されてしまう。今だけ金だけ自分だけには同感できない、明日もあなたも思いやりも大切だと思うのだが。敵愾心を煽る戦術
高い関税は脅しだろうと高をくくっていたら同盟国?にも掛け始め、どうも本気らしいと身構えたら僅か二週間で腰砕け、やっぱり脅しで交渉の手札だったと思わせる兆候が表れてきた。猫の目トランプに振り回される世界だが、アメリカが信頼できない国になったのは間違いなく世界秩序は変容した。色々な人が指摘しているようにこのピンチは日本が変わるチャンスだ。歴史の知識は乏しいが、日本は変わらない変われない国だいうことは歴史から分かる。革新する信長のような人物は例外で、故に本能寺の変が起きたと観測している。いつも変化をもたらしたのは外圧で、トランプは大きな外圧と捉えられる。これを利用して変らないと日本はじり貧になる。先送り隠蔽体質の自民党では駄目だ。ではどこにと代わる政党がないようでも変えないと、トランプがもたらした秩序破壊という...トランプという外圧
趣味は何ですかという問いに旅行という答えを時々見たり聞いたりする。今はそうでもないが、以前は旅行って趣味でするものかなあと妙な感じがした。史跡を巡るとか旨いものを食べに行くとか言われれば成程感が出てくるのだが、漫然と旅行が趣味と言われるとピンとこなかった。知らない土地に行ってみたいという好奇心が根底にあるのだろう。中には世界一周に出かける人もおられる。さすがに世界一周となると趣味を越えるようで半ば本業になってしまうようだ。世に転勤族と呼ばれる人達が居られる。お付き合いのある薬品メーカーの人はみなさん全国を何か所か転々とされており、住んだ土地の話を聞かせてもらうのは楽しかった。世の中で言われていることは概ね正確なようで、九州博多は良いですね。引退するなら静岡でしょうか。名古屋京都はやりにくいですと言われる。...旅行が趣味
備蓄米を放出しても米価が下がらない。価格は需要と供給で決まると思っていたのだが、何か別の絡繰りがあるらしい。米作の調整をしてきた政府は、この謎を解明して国民に説明する義務と責任がある。米食を減らして食パンやスパゲッティにしているという主婦がテレビに出ていた。需要が抑えられているのに米価が下がらない、どういうこと?。農家の販売価格が消費者の手に届く間に、どのように変化してゆくのか調査をして報道してほしい。もし米が不足しているのなら、備蓄米をすべて放出すればよい。新たな備蓄米は安くアメリカから輸入すればよい。カルフォルニア米は安くて十分美味しい。何故米価が下がらない
内科学会総会で大阪に行ってきた。自宅でオンラインでも受講できるのだが、長年の習慣で家内を連れて大阪に一泊した。私は勉強、家内は買い物。新幹線は半分が外国人で、何だか外国旅行気分だった。欧米人はともかく、どこかの国の人はエスカレータの乗り口を塞いで立ち話、思わず通り道ですと注意しようとしたら日本語ではなかった。大阪は二年振り、同じ大都会でもどこか東京とは違う。東京より立て込んでビルが多い、広告が多い、緑が少ない。関西と一口にいうが、関西はひとまとめにできない、京都大阪神戸で違うのだ。微妙というより大きく違う。好きかと言われると、すぐには返事ができないが、大阪にはエネルギーを感じる。大げさかもしれないが快適な新幹線乗って大阪の街を歩いて、まだ日本は大丈夫と感じた。大阪と新幹線
鶯の泣き声が聞こえる。初心者のはずだがきちんとホーホケキョと聞こえる。どこかで練習してから来たのだろうか。三月にも聞こえていた記憶があるから、きっとそうなのだろう。まだ時々冷え込むが、ずいぶん暖かくなった。桜も散り、あっという間に緑の若葉に置き換わり桜の木だった面影は消え、なんだか不思議な感じがする。そういえば今年はまだ桜餅を食べていない。柏餅に変わる前に食べておきたい。春夏秋冬と四季の味わえる日本だが、春は短い。五月は初夏で夏に入る気がする。新緑、青壮年には意欲の湧く季節なのだが、高齢者には少し重い。心が沈みがちの鬱傾向の人にも付いてゆけない感じがするようだ。多様を受け入れる柔らかい世の中がいい。鶯が鳴いている
トランプ大統領はあたふたと言うことが変わるが、実はこれも策略で裏に深い狙いを持っていると解釈する解説者が居る一方、ころころ変わるのは場当たりの表れで関税に捉われた視野の狭い愚策だと断ずる解説者も居る。当初、私もひょっとして深い戦略があるかもしれないと思わされたが、ここまで言うことがころころ変わると単なる乱心と思えてきた。誤った現状認識に基づいた愚策でパンドラの箱を開けて世界をカオスに陥らせた人物として記憶されることになるのではないか。しかしながら、決して自分の間違いを認めたり悪かったと謝罪しないから厄介だ。うまく行くと自分の手柄うまく行かないと誰か他者のせいにする。そうして岩盤支持層は繋ぎ留められ、一定の評価をする人たちは途切れないだろう。いくら何でも猫の目では
手品師ではないけれども、あまり手の内は明かさないほうが良いかもしれない。でもまあ、知って貰うのと理解が深まるかもしれない。病気というのは嫌なもので、中でも質の悪い病気は診る方も負担が大きい。有難いことに医学は進歩しており、癌と言えば死刑宣告のように響いた時代は過ぎ去り、早期のがんは治る時代に進行したがんもかなり生きながらえることができる時代になった。そうはいっても人間は心配から逃れることはできない。後医は名医と言われるように、早期に疾患を見付け適切に対処することは難しい。病気が少し進行してから診断することはさほど難しくない。市井の開業医はできる検査は限られているし、早期の疾患を診ることが多いので、簡単そうに見えるかもしれないが実は中々難しい。なんでも気軽に話せてご心配ありませんよと言ってくれる先生と思われ...手の内
見出しに本当や真相が踊る。実際に記事を読んでみると、たいてい本当や真相は書かれていない。そう思わせる状況や思惑が書かれているだけだ。人の目を引く釣り見出しなのだが、人はそれに釣られるし状況思惑でそうなのだと納得してしまう人も多い。どうも人間の遺伝子の中に話を信じてしまう思考回路が組み込まれているらしい。世に悪知恵のある人物は多く絶えることはない。どうすれば怪しい話うまい話・・に踊らされることから逃れられるだろうか。歴史と経験に学ぶことがその方策の一つなのは間違いない。万年の歴史から学ぶことは難しいかもしれないが千年の歴史からは学べる。千年の経験は不可能だが祖父母の伝聞まで広げれば百年の経験に手は届く、各々方今はその時と申し上げたい。本当と真相の語るもの
長くgooでブログを書いてきたが、gooがブログサービスを止めるという。どうしたものか。これが潮時とブログを辞めるか、あるいはどこかに移転するか。最初はブログというものがあるそうなと聞き、自分もやってみようと始めたのだが、いつの間にか習慣となり幾許かの仲間というか知己もでき、ボケ防止とストレス解消の効果もあり続けてきた。毎日三、四十分ばかり、最近は日記のように書いていた。サービス中止まで数か月あるので、一か月くらいどうするか考えたい。どうするか、思案投げ首
ユーチューブから世の中の情報を得るようになって三年ほど経つ、新聞は全国紙二紙を読んでいるが地上波テレビはほとんど見なくなった。ユーチューブの登録チャンネル数は三百くらいあり、ほぼ毎日チェックするものからニ三か月に一度チェックするものまで色々だ。三百以上はあまり増えない。というのは月にいくつか新たに登録するが同じくらい登録を外すものがあるからだ。視聴登録数がみるみる増えたチャンネルにPIVOTがある。比較的中立で経済に力点が置かれている。ゲストが適切でインタビュアーの質問も的を得ていて聞いてみたいことを聞いてくれる点が視聴者が増えている理由と思われる。竹下隆一郎氏が抜けても勢いに陰りはない様子だが、それには新しい魅力的な女性陣の力が与っているようだ。移転した竹下氏のCROSSDIGがどの程度伸びるか不明だが...PIVOTはPIVOT
友人のS氏がコーヒーに凝りだし、豆を挽いて飲むと美味しいですよと言われるので自分も豆を挽いて飲みだした。実は二十年ほど前は自分も豆を挽いて飲んでいたのだが、ちょっと億劫になり最近はインスタントを飲んでいた。まあ最初はブラジルが良いかとブラジルから始め次いでグアテマラと飲んでみた。確かに香りがよく美味しい。ちょっと手間がかかるが色々な豆を試す楽しみもある。さて次はと迷っていたら、今月お得なのはペルー産ですというのでそれを買ってきた。お得と言ってもコーヒー豆は高騰しており100g700円もした。ペルーMべロニカ、果たしてどういう味がするだろう。職場に着いたら早速飲んでみたい。ペルーMベロニカは初めて飲んだが、マイルドで苦みは少なくわずかな酸味に旨味があり飲みやすく美味しかった。単独もよいがケーキも合いそうだ。ペルーのコーヒー
左足の親指が腫れて痛く、この二三日びっこを引いている。痛風だねというのが医者の反応だろう。ところが後期高齢者の場合違うことも多いのだ。実は階段を登る時、左足が思ったほど上がっておらず躓いてしこたま親趾を打撲してしまったのだ。幸いあと二段ほどだったので、二階に倒れこみ階段から落ちるのは免れたのだが、打撲の後遺症でびっこを引いている。年を取ると僅か1cmのことだが足が思ったほど上がっていないことが起きる。以前にも軽く躓くことがあり、気を付けていたのだが今回に懲りて、今は意識して足を挙げて兵隊の行進のように階段を登っている。それと階段は真ん中は歩かず手摺のそばを昇降している。転倒は高齢者に思わぬ障害をきたすことが多い。いつも段差にはご注意と申し上げているのに、自分が怪我をしてしまった。極めて遺憾だ。左足の親指が腫れて痛い
ユーチューブで政治経済の解説を視聴している。皆さん色々なことを言われる。バランスの取れた視野の広いものよりも自分の主張が正しいというニュアンスのあるものの方が多いかもしれない。そうしたユーチューブも結構な視聴回数なので、そういうものかと思っている。何十万という視聴回数を持つものには色々なゲストに様々な視点から解説を聞くバランスの取れた公平客観的な感じのものが多い。そうしたチャンネルに登場する中で成程と感じることを言われる三人に注目している。それはエミンユルマズ、ジョゼフクラフト、モーリーロバートソンの御三方だ。日本語も日本人以上に巧みで、見方はそれぞれ違うのだけれども視野が広く鋭いことを指摘される。ロジカルでしがらみがないせいかもしれない。とても参考になる。外国名だけれども
結構涼しいというか寒いといってもいい日が多かったので桜が長持ちした。入学式の日にも満開の桜が見られた様子だ。地方によって新学期の日は異なるようだが七日八日のところが多かったのではないか。七十年前で今では記憶も薄れたが、自分が小学校に入った日にも桜が咲いていたと思う。大した風もないのに桜は散る、桜吹雪の中を出勤している。株価が乱高下し、経済学者から評論家、素人のはずなのに色々口をはさむ人まで百家争鳴で解釈予想がネットで乱舞している。私も爺のつぶやきに過ぎないが、政治経済のことを書くので人間には世の中のことを色々気にしたり考えたりして発言したい性質を持った人間が居るのだと分かる。女性も居るが男の方が多い。自分の場合、多少のストレス発散になっている気がする。百家争鳴に参加
トランプ関税発表直後、証券アナリストの多くは米株価は下がるが日本株の下げは大きくない、35000円で底だなど色々勝手なことを言っていた。ところが、株価は下げ続けて大きく下落した。一体どこが専門家なのだろう。確かに明日のことはわからないのだが、わからなさにも専門性があると思っていたがトランプが相手では考えても分からないということか。トランプの関税は単なる脅しで、米株価下落を気にするから実際には高い関税は掛けないと言われていたが、現実は株価暴落もなんのそのしばらくすれば回復する我慢しろと突っ走っている。トランプ自身は意図も予期もしていなかったと思うが、パンドラの箱を開けてしまった。アメリカには頼れないアメリカは信用できないというパラダイムシフトが起き始めている。日本の政治家も経済人もまだそこまでは考えていない...パンドラの箱を開けた
遠い昔、寛容と忍耐と説いた首相が居られた。それに習い、異なった異なった意見にも耳を傾けるのを信条としてきた。しかし高齢者になってくるとあにはからんや円熟とは参らず、少しづつ忍耐力の衰えを感じるようになった。年を重ねると穏やかな達観の境地が訪れるというのは希望的観測のように思われる。私が残念な例外という可能性もあるが、どうもそういうわけでもなく寛容はともかく忍耐力は年と共に衰える傾向があるように感じ観測している。尤も、判断力が付いて評価に値しない意見に貴重な時間を使わなくなったと言えるかもしれない。いづれにしても、この人の言うことは聞いていられないと思う人が増えた。勿論、一二割は頷ける意見や考え方を含んでいるのだが根本のところで堪えきれない軋轢音を発生するのだ。堪え性がなくなる
限られた経験だが、四十代と思しき歯科衛生士にお目にかかったことがない。殆んどの歯科衛生士さんは二十代だった気がする。今お世話になっている歯科の衛生士さんは二十四、五、六才の気がする。歯科衛生士さんは普段はあり得ない距離でお顔を拝見できる。見まいと思っても腕や首が目の前に迫ってくる。日本人女性はと言っても外人をよく知っているわけではないが肌が細かく美しい。若いから皺がなく大袈裟かもしれないが若さで輝いている。何故歯科衛生士は若い女性ばかりなのか知らないが、アラフォーだと再雇用の口がないのかなと推測する。歯科衛生士は若い
まさかということが起きた。人類とは思えない強さの藤井八冠が伊藤匠七段に敗れ七冠になってしまった。今期に入り永瀬九段などにやや不調ではと言われていたのだが、調子を落としていたのだろうか。勝勢から逆転負けするなんて、今までの藤井には考えられないことだ。大谷も一時通訳の不祥事で調子を落としていた。やはり二人とも人間だった。伊藤が勝てるならと端から気勢を削がれていた棋士達が新たな戦略で向かってくるだろうから、藤井七冠もこれから大変だろう。しかし、タイトルの数など気にせず目の前の一局に全力を注ぐ人柄なのでこれからも名勝負を楽しませて貰えると思う。十一連敗からの奪取、師匠はありがたいね。師匠の宮田八段は伊藤が勝ちますと断言していた。藤井敗れる
五十年以上の長い記憶のある国民は、とりあえず平和そうな日本も内実はあちこちガタが来ていると思われているのではないだろうか。特に劣化しているのは政治家だが、もう一つ改革が必要なのはマスコミだ。自立しておらず金と権力におもねる姿勢が透けて見える。政治資金規正法が成立したが、形だけの改善で抜け穴だらけのザル法だ。十年後に領収書を公開するなど何の意味もない。しかも一部は黒塗りだ。それを衆議院賛成参議院反対と支離滅裂な維新の馬場代表が得々と支持している。阿保らしくて話にならない。国会中継の党首討論で岸田首相の答弁を聞いていると国民よりも自民党議員を守っているのがよく分かる。日本の政治家は選挙のことしか考えていないという米国投資家の批判は当たっている。情報が操作されては票が資金力で左右されてしまう。政治家とマスコミ
新型コロナがここにきて再びやや増加し始めたようだ。地方都市の一診療所の報告だからどこまで正確に全体像を伝えているか不明だが、今日複数の陽性者が出た。死亡率を下げて生き延びようとするウイルスの戦略は恐るべきもので、インフルエンザの向こうを張る存在になりつつある。嫌なものは早く忘れたいのが人間の心性ではあるが、厚労省はそうであってはならず科学的に粘り強く対応していただかねばならない。災害は忘れた頃にやってくるが、悪疫は忘れようとすると盛り返すから油断は禁物なのだ。新型コロナくすぶり続けている
今朝は本降りで風があり、なかなか辛い駅までの歩きだった。株式投資で大儲けするのは五十人に一人程度と言われている。ギャンブルはどうだろう。似たようなものと思われる。困ったことに?、この五十人に一人の人達があたかも二人に一人居るようにうまい話が喧伝されている。証券会社や株予想で仕事されている人は、素人が株投資すると損しますよとは言わない。儲かりますよと上がりそうな銘柄を紹介しても必ず小声で買う時は自己責任でと釘を刺している。政治家も似たようなもので、不都合なことは言わない。アべノミクスで大企業が儲かればおこぼれがあると聞いたが嘘だった。嘘だったと責めれば**が悪かったせいだと上手に責任を逃れる。まあ嘘と言えば聞こえが悪いが夢と言えば美しく響く。夢を売る仕事と言われてしまうと咎めにくくなる。夢とまでは言わず商売...五十人に一人
距離と時間は長く生きて居ると短くなる。自分を尺度にするから、短く感じるようになるわけだ。唯、距離は交通機関の発達もあるから科学技術の進歩も与っている。一年が短くなった一か月が短くなったと感じるわけだが、この頃は一時間が短くなったと感じる。一週間が早くなったとよく聞くが一時間が短くなったというのはあまり聞かない。しかし、自分はこの頃一時間が短くなったと感じる。そのうち一分が短くなったなどと言い出すかもしれない。短く早く感じる
愛飲するウイスキーがボトルにあと半分、まだ半分あるという人ともう半分しかないという人が居る。中にはちょうど半分だという散文家も居るだろう。還暦が人生の感慨深い通過点だったのは半世紀前のこと、今では赤いちゃんちゃんこを着る人は殆んどいないだろうが、六十になった時あと四分の一かと鬼が笑うようなことを思ったものだ。今ではあとどれくらいなどという、逆立ちしてもどのみち残り少ない年月を思いめぐらすことはなくなった。行けるところまでというのが、多くのご同輩の心境だと推察する。それにしてもバイデンとトランプは外れている。トランプと同い年の自分は顧問はできても社長院長大統領・・トップは難しいと断言できる。半分はどれだけ
寒い時に暖かい食べ物が美味しいように、暑い時には冷たいものが美味しい。何時からかき氷が庶民の御馳走になったか知らないが、慌てて食べると額がツーンとするかき氷では宇治金時が一番好きだ。同意される方も多かろう。これが許せんことにかなりお値段が張るのだ。子供の頃どころか成人してもしばらくは簡単には手が出なかった。せんじと言って分かる人はどれくらい居られるだろう。宇治金時に手が出ないころはもっぱらせんじを頼んでいた。ぜんざい、お汁粉は全国的に通じると思うが、大判焼きやせんじは全国版ではないのを故郷を出て初めて知った。暑い日には冷たいものが美味しい
痩せる方法は数えれば何百もあり、色々な人が本やユーチューブ動画で提案している。何百種類といっても基本的なところは似ており、数種類にまとめられる。ただ、独自性を出すためや商業的な思惑があって、少しづつ変えている変わっているだけだ。食事と運動が基本でそれに睡眠時間や仕事と自宅での生活習慣と体質が加わる。ではなぜ、それほど沢山の方法があるのに中々痩せられない人が多いかというと結局はきちんと実行できない人が多いからだ。肥満された患者さんに受診された時注意をすればできない言い訳があれこれ返ってくる。強く言えば反発する人嫌がられる人も多く、その塩梅は難しい。高脂血症や高血圧症でコレステロールの多い食品や塩辛い味付けを避けるように減らすように説明しても、中々守れない人も多い。幸い今はとても良い薬があるので、食事が厳格に...人間は思うようにできない
街中の蕎麦屋中華料理屋・・を選ぶ時は、味と値段そして雰囲気で決めてゆくわけだが、まず選び損ないというか失敗というのはないと思う。自分が気に入ればそれでよいわけで違ったということもあるかもしれないがそれは非常に稀だろう。ところが医者や歯医者選びでは時々間違いが起きる。というのは食べ物の美味しさと違い医者や歯医者の能力得意分野は素人には分かりにくいからだ。後期高齢者になって、年に二回歯の点検と歯の磨き方の指導を受けているが、もっと早く今の先生のところに来ればよかったと後悔している。そうすれば多分抜かないで済んだ歯が何本もあるのではと思う。店の選び方
今朝は比較的涼しい。季節感覚を失ってしまったように感じる、季節がはっきりしない日が時々紛れ込むようになった。今日の日付が答えられない認知症が忍び寄るお年寄りに今何月ですかとお聞きすることがある。それも答えられないと今の季節は春夏秋冬のいつですかと聞く。季節くらいは分かるだろうと思っても結構外す患者さんが居られる。挨拶など普通にできるのにと意外に感じるが、この頃は気温の上がり下がりが大きく陽気が不安定なので、間違えるのもしょうがない気もする。冷やし中華に柏餅と食べ物屋は供するもので季節を告げるが、医院では六月になってもインフルエンザBが出たりして、医者が目をこすって何度も結果を見つめている。今、何時だい
五、六年前に比べたらユーチューブを見るようになったので、少しはマスコミで話題になる人を識別できるようになった。人物と同じように時々見かけ聞きかじる知らない言葉の意味もある程度分かるようになった。知らない言葉は文脈から何となく意味が分かることもあるが、キーボードを叩いて意味を調べないと分からないことも多い。たとえばリスキリング、ディスルなど分かったような分からない言葉も解するようになった。勿論、こうした言葉は知らなくても生活できるが、世の中の流れ雰囲気を理解するには、知っておいた方が良さそうだ。しかしなぜカタカナ英語と言うか短縮語を使うのか、どこかに上滑りで済ましじっくり深く考えるのを避ける風潮があるようだ。その背景に情報過多があるのは間違いない。知らない人と知らない言葉
東京都知事選挙、蓮舫VS小池百合子の一騎打ちだったはずだが、予想通りの貶し合いというか悪口の言い合いで、それが飛び込み参戦の石丸氏に有利に働き三つ巴になりそうな気配だ。尤も石丸氏も人気が出ればどこからか否定的な情報が出てきて叩かれるだろう。ドレッシングというのはサラダの材料本来の味を引き出し引き立たせ美味しくするもののはずだが、東京都知事選では不味い苦い悪臭を放つドレッシングを掛ける連中が居て、肝心の政策の吟味が霞んでしまいそうだ。都民の方は怪しげなドレッシングを断固として断り、塩コショウ酢サラダオイルのシンプルで間違いのない自家製のドレッシングで政策と人物を確かめて投票していただきたい。これでは本来の味が分からなくなる
ユーチューブはそれこそ玉塵混淆で良質なものを見付けなければ時間の無駄になってしまう。積極的にユーチューブサーフィンをしているわけではないが、様々なチャンネルが目に飛び込んでくる。面白いもの有用なものを登録してきたが登録チャンネル数が三百近くになって限界と感じ、結局は見ないものは削除し始めている。ユーチューブを見て驚くことは、世の中にはどうしてと思う程自分の主張を発表せずにおれない人が多いことだ。まあ自分もブログを書いているので、お前もと言われそうだが人間には発信したい人が多いようだ、生存証明にもなっているらしい。多様性に寛容でありたいと思うので、さまざまな発言主張を見聞きしているが、中には強烈と言うか独善と言うか異論に攻撃的なチャンネルも結構ある。正直どうもそういうチャンネルは見ると嫌な気持ちになったり疲...ユーチューブ界隈
中華料理に粥がある。中華料理と言っても色々で一概に油を使ったこってりばかりではないが、それでも香辛料がきつかったりカロリーが多かったり胃腸に負担を掛けるものが多い。そこでそれを和らげるためにお粥が登場しているのだと思う。昔は少ない穀類で取り敢えず満腹を実現するための方策という意味もあったかもしれない。どうも外食が続くと体重が増えてしまうので、お粥というのも良い方法かなと思ったりしているが、中々実現はできていない。一番簡単な方法に一食抜くというものであるが、これは健康的にはあまりお勧めできない。自分が健康で居るのも仕事のひとつなので、どうするかと体重計を睨みながら考えている。粥の知恵
自民公明維新の政治資金改正法はザル法でザルに申し訳ない、ザルの方がもっと物を掬えますからと玉木代表も言っている。維新の代表の弁明を聞いていると十年後の領収書公表に黒塗りもあるなどと言い出し、馬脚が露呈した。余程隠したい使い道があるのだなと疑惑が深まるばかりだ。大体十年後では、黒塗りでなくとも意味はない。知恵を絞って抜け道を探る、それは悪知恵。誰のための政治?
地理と歴史を小学校から学んできた。地理は大得意、歴史はまあまあだった。要するに好きこそものの上手なれというわけで、地図帳を飽きず眺めている子供だった。勉強に何故するのかという理由など不要と思うが、今頃になって地理と歴史は世界を理解するために必須の道具となる知識だったのだと気付いた。ユーチューブで中国食品料理市場観察に嵌まっている。当たり前かも知れないが、昔親しんだ三国志西遊記水滸伝の中国は共産国となっても消えたわけではなく、実際様々な形で残っているようだ。三千年の歴史に高々七十年の薄皮を被せただけだから、それは当然かもしれない。しかしまあ、アメリカなど影も形もない三国志の時代にあんなに広い国をあちこち移動し統一しようとしていたのだから白髪三千丈の国なのだ。今頃気付いたこと
中国にラーメンはなく、日本の発明のように聞いていたが、ユーチューブを見ているとどうもラーメンはあるようだ。出汁の中に麺を浮かせたあるいは麺に出汁を掛け、色々な具を乗せた料理は中国各地にある。中で蘭州の物が有名なようで、日本でも蘭州ラーメンとして提供している店がある。どうしてラーメンが日本人の発明のような情報が飛び交っていたのだろう、中国食市場の情報が入って来なかった、あるいはまったく同じものがないためにそうした解釈が流れたのかもしれない。得意の改善工夫で日本人の口に合うように変化させたのは確かかもしれないが、どうもラーメンの源流は中国にあるようだ。どうしてこうゆう浅い情報が、出回ったのかわからないが、きっと似たようなことがあちこちで起きている。ラーメンはある
諾否をはっきり表明しなくても、何となく本心がどちらかなのか分かることは多い。相手の心の動きを読んで、印象操作をする天才と思われる小池百合子都知事の写真を見かけることが多くなった。写真を出す人は何らかの意図があってある特定の写真を選んでいると思われるが、小池さんは相手の表情を読むことだけでなく表情を読みにくくする才能にも恵まれておられるようで、何を考えておられるのか分かりにくい写真が多い。対人の仕事をしているので、一般男性よりは表情が読める気はするが、それでも分かりにくい。それこそ海千山千のマダムに聞いた方が良さそうだ。渋野日向子、全米女子オープンで準優勝おめでとう。渋野は笑顔がいい。表情の不思議