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バスや鉄道のことそして生活のこと 遊びに旅行に暮らしに見たまま思ったままに。

JR営業線乗潰しの旅、四国歩き遍路の旅、東海道の歩き旅を中心に生活で毎日見たこと感じたことを投稿しています。

修ちゃん
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2010/04/02

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  • 旅の宿 (東海道歩き旅・尾張の国)

    宿場町と言うだけに、そこには必ず多くの旅篭や木賃宿があった。少ない宿場で二三十軒位、大きいと言われた宮宿には、何と二四八軒もの旅篭があった。全てが何時も満室ではなかろうが、当時は思う以上に、庶民も旅を楽しんでいたのであろう。宿は今日のように一軒で大人数を収容できないので、軒数が多いのも当たり前かも知れないが、それでもこれだけの需要があった事には改めて驚かされる。当時の旅は早立ちが基本で、日の出と共に歩き出し、陽が落ちる前には目的の宿場に到着し、宿を捜すのが大原則であったようだ。宿場に着くと旅人は、名産名物に思いを馳せ、飯盛り女、茶汲み女に仄かな期待を抱き、客引きの留め女に袖を引かれ、やり取りを楽しみながら宿を選んでいた。今日旧街道を歩いてみると、これほど多く存在していた旅篭が、意外なほど残されていないことに驚か...旅の宿(東海道歩き旅・尾張の国)

  • 国境伝説(JR乗り潰し・本四備讃線)

    本四備讃線の瀬戸大橋は、最初のつり橋「下津井瀬戸大橋」を渡るとすぐに岡山県境を超え、香川県に入る。意外に思えるが、ここに架かる各大橋のほとんどが香川県に属している。そんな国境には、こんな面白い言い伝えが残されている。昔から、何時の時代でもその国の境は、争いの種に成っていた。川でも有れば判りやすいし、堅い地面の上なら棒切れで線を引き、柵を回らし、或は土塁を築き「ここから内は我が領土なり」と、宣言すれば言った者勝ちで、時に戦を仕掛け力ずくでそれを押し出したりもする。備前と讃岐の国は、瀬戸内海を挟んで向かい合っていて、昔からその境は曖昧模糊として生臭く、きな臭い話が付きまとっていた。土の上なら兎も角、これが海の上ともなると中々線引きは難しく、その境は明確に判別できず、何れのものなのかも判らず一向に埒が明かない。「そろ...国境伝説(JR乗り潰し・本四備讃線)

  • 由加さん(JR乗り潰し・本四備讃線)

    この金比羅往来の脇道の途中には、備前第一の霊場「由加さん」が鎮座している。人々は先ずここに立寄りお参りをし、災難から身を守り、道中の交通安全をお願いする。その後田の口湊から瀬戸内海を渡り「金比羅さん」に向かうのである。ここ備前地域では、特に「由加さん」と讃岐の「金刀比さん」との「両参り」が、300年以上も前から知られている。両者とも海の神様でもあり、漁業関係者の信仰も篤いという。両社に参ればより多くのご利益が頂けると、この「両参り」の風習も瞬く間に広まった。ここは標高274mの由加山(正式には瑜伽山)の丘陵地で、「由加山蓮台寺」と「由加神社本宮」が境内を接して建っていて、この寺と神社は「由加さん」と総称されている。是まで2000年以上の歴史を秘めた神仏混淆の霊地として、深い信仰を集めてきて、こうした背景により、...由加さん(JR乗り潰し・本四備讃線)

  • 金比羅往来(JR乗り潰し・本四備讃線)

    「お伊勢参り」の後、「金比羅さん」に詣でる「両参り」のルートとしての金毘羅往来は江戸中期の頃整備された。大阪を経由して瀬戸内海を渡り、四国の丸亀に上陸する海上のルートと、西国街道を西進し岡山に到り、そこから四国を目指す陸上ルートの二通りが知られていた。岡山の城下からは、栄町(現在の表町)を起点に、吉備津回りと大元回りの二ルートが有り、是は早島で合流し、その先で茶屋町に到る。この茶屋町は、休憩場所のお茶屋が有った事が地名の由来となっている。更に藤戸を経て峠を越えると、道は再び分かれるがそのまま南下して下津井湊に到るのが本来の金毘羅往来である。藤戸の先で分かれるもう一つの道は、やや南東に進路を変え、途中由加山に立ち寄り田の口湊に到るルートだ。この道は「由加さん」と「金比羅さん」の「両参り」のルートとして知られていた...金比羅往来(JR乗り潰し・本四備讃線)

  • 両参りの流行 (JR乗り潰し・本四備讃線)

    江戸時代、一生に一度の念願が叶い「お伊勢さん」にお参りする。折角だからその後、ついでに奈良や京都に立ち寄り古い都を見物する。更に足を延ばし本願の四国の「金比羅さん」にお参りする。これは、当時の人々にとっては、夢であり大きな願でもあった。この風習を「両参り」と言って、大層の流行を見た時期があった。ただ「お伊勢さん」の後に立寄るのは、何も「金比羅さん」だけとは限らなかったようだ。例えば帰路を東海道にとるなら近江の「多賀大社」や、尾張の「熱田神宮」にお参りする。西国街道なら「由加さん」や更に足を延ばし「出雲大社」など、中山道に向うなら信濃の「善光寺」に立寄る等だ。あの十返舎一九の「東海道中膝栗毛」で描かれる、弥次さん北さんも旅の主たる目的は「お伊勢参り」である。東海道で珍道中を繰返し、途中の社寺には見向きもしなかった...両参りの流行(JR乗り潰し・本四備讃線)

  • お伊勢参り (JR乗り潰し・本四備讃線)

    江戸時代の庶民にとっては、誰もが一生に一度はお参りしたいのが、「お伊勢さん」である。当時は、毎日40㎞程を、自分の足で歩き続ける旅である。行程は1ケ月程度で、長くなると3ケ月も掛けてと言うのが当たり前にあったらしい。この間の旅費は馬鹿にはならず、おいそれとは賄えない庶民にとっては夢のような話しでもあった。そんな夢のような話しを現実にしたのが、「伊勢講」という組織だ。隣組等でチーム(講)を組んで、貧しい中からお金を出し合い積立て、毎年代表者をクジ等で決め、お参りして貰い、残りの人は代参をお願いするという仕組みだ。この「伊勢講」、既に室町時代には結成された記録があるらしい。そんな伊勢参りは、参拝を世話する神職「伊勢御師」に委ねられる。まず二見浦での禊ぎから始まり、その後伊勢に赴き外宮へ、続いて内宮を参拝し、両宮の参...お伊勢参り(JR乗り潰し・本四備讃線)

  • おかやま旬の魚総選挙(JR乗り潰し・本四備讃線)

    岡山県は瀬戸内海に面している。地図を見ると玉野市沖合に浮かぶ直島諸島や小豆島を初めとした島々は、殆どが対岸の香川県に属し、瀬戸内海上に引かれた県境は、より岡山側沿岸近くにある。そのせいなのか、岡山県の漁業は振るわず、「海面漁業」・「海面養殖業」での産出額は、海のない県を除けば全国でも最下位クラスの35位である。「海面漁業」の漁獲量で見ても更に低く39位だ。県内生産の内訳は、牡蠣や海苔等の養殖、「海面養殖業」が圧倒的で全体の84%を占めている。海で魚や貝をとる「海面漁業」は僅かに15%程度で、残りは鮒や鮎、鰻をとる「内面漁業」と、鱒類や鰻などの「内面養殖業」だ。しかし「内面漁業」を見れば、割合は少ないが生産状況(漁獲量)は、鮒は全国1位、鰻が2位を誇り、県下に吉井川・旭川・高梁川の三大河川を有するだけに天然物が多...おかやま旬の魚総選挙(JR乗り潰し・本四備讃線)

  • 名物に美味いもの有り (JR乗り潰し・本四備讃線)

    下津井沖で獲れる「下津井タコ」は、当地の知られた名物である。代表的なお土産が「干しタコ」であるがその他にも、町中にはタコ料理自慢の宿泊施設や、リーズナブルに味わえる食事処、老舗のやや高級感のある専門店等が揃っていて、懐具合に応じて選べるのが嬉しい。タコは低カロリーでタウリンが豊富、コレステロールを下げる効果もあるらしい。刺身、蒸しダコ、甘辛煮、てんぷら、タコ飯、タコしゃぶ、干しタコなどなど、豊富なメニューが楽しめる。更にB級グルメで言えば、「たこ塩焼きそば」は、当地の名物だ。また、下津井名物で忘れてはならないものに、「磯乃羊羹」がある。下津井地区では、ただ一つの和菓子屋「磯乃羊羹本舗田中花正堂」が作る羊羹だ。店の創業は明治43(1910)年と言う老舗で、構える店舗は築200年以上らしい。風味豊かな国産の青のりと...名物に美味いもの有り(JR乗り潰し・本四備讃線)

  • 下津井のタコ (JR乗り潰し・本四備讃線)

    瀬戸大橋の足元には、田の浦港、吹上港、下津井港などの多くの魚港が点在する。それらは小さな漁港で、防波堤に守られて、小型の漁船が犇めくように係留されている。この雑然とした景観も、瀬戸大橋を借景として眺めれば、それはそれで美しく、観光を構成する資源の一つにもなっている。漁港からは、瀬戸内海の漁場は近く、季節毎に新鮮な様々な魚介類が水揚げされる。漁場が目の前にあれば、大きな漁船は必要なく、小型の方が、小回りが利いて良いそうだ。ただ県の漁業は、魚種それぞれの漁獲量は極めて少なく、その分種類が豊富な事が知られている。所謂「少量多種」で、これが最大の特徴だ。この小さの港と、小さな漁船の群れは、県の漁業の実態を象徴的に物語っているようだ。ここ下津井沖では「下津井タコ」が特に知られている。タコは年中水揚げされるが、漁の最盛期は...下津井のタコ(JR乗り潰し・本四備讃線)

  • 町並保存地区 (JR乗り潰し・本四備讃線)

    下津井は児島半島南端の古くからの港町である。昔から、北前船を初めとする諸国の商船や、参勤交代の西国大名の船、金毘羅往来の船などが発着する「風待ち、塩待ちの湊」として栄えた。蝦夷地で捕獲されたニシンは、ニシン油をとるため絞られ、不要になったその絞り粕が当地に肥料として持ち込まれていたのだ。古くからの湊ではあるが、穏やかな良港として本格的に栄えるのは、江戸時代も中期以降の事らしい。この頃になると町にはニシン蔵を擁した商家や廻船問屋が建ち、人々も集まり、遊郭が軒を並べる繁栄を見るようになる。今でもその町並保存地区には、重厚な本瓦葺平入りで、海鼠壁や漆漆喰塗りの建物が比較的多く残り、町屋や商家、遊郭等が軒を並べた古の面影を色濃く見せていて、県の町並み保存地区に指定されている。そんな町並みで目に付くのは、いくつかの共同井...町並保存地区(JR乗り潰し・本四備讃線)

  • まだかな橋と遊郭 (JR乗り潰し・本四備讃線)

    下津井港の近くに、「まだかな橋」跡の石碑が建っている。嘗てここには、湊に渡る橋が架けられていた。瀬戸大橋の工事に伴って湾岸道路の建設の為、海は埋め立てられ陸続きとなり、橋は無くなり道路に変貌した。目の前の道路は、この橋跡の前でほぼ直角に左折、海に突き出た祇園神社の小山を回り込むように迂回している。「昔はこの道路のところは海で、家を出ると目の前が浜だった。本当はこの道、真っ直ぐトンネルで西に抜く計画だったが、祇園社の下は掘れなかった」「むかし下津井回船問屋には、昔の橋の写真が残されている。子供の頃には遊郭が五軒程有った。昭和の中頃まで一軒だけ残っていた」写真を撮っていると、この橋の前に住むお年寄りが、話しかけてきた。下津井には昔から「下津井節」という良く知られた民謡があり、北前船が持ち込んだと言われている。「下津...まだかな橋と遊郭(JR乗り潰し・本四備讃線)

  • 橋のライトアップ (JR乗り潰し・本四備讃線)

    国内には自然公園法に基づいて、国が指定している国立公園が32カ所あると言う。その内の一つ、瀬戸内海国立公園は、昭和9年に誕生した。九州の雲仙、霧島と共に、日本で最初の国立公園となった。その範囲は瀬戸内海に面した、1府10県にまたがり、広さは90万haを超える国内では最も広い国立公園である。東の紀淡海峡から西の関門海峡までの広い海域と、そこに点在する島々、それらを遠望できる陸地の景勝地などから構成されている。鷲羽山もそんな景勝地の一つである。海上から遠望すると鷲が翼を広げたように見えることからこう呼ばれるようになった。山頂付近にはレストハウスや展望台、ビジターハウス等が有る。ここからは眼下に、瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島の島々、その間を縫うように進む大小の船舶が手に取るように見える。幾つも連なる吊り橋の橋脚や、斜張橋...橋のライトアップ(JR乗り潰し・本四備讃線)

  • 瀬戸大橋と言う橋は無い(JR乗り潰し・本四備讃線)

    本四備讃線は児島を出るとやがて右から瀬戸中央自動車道が寄り添い、その先で上下に重なるようにしてそのまま鷲羽山トンネルに突入する。このトンネルは、上段が高速道路用、下段が鉄道用でそれぞれが上り下り2本有るので、口を正面から見ると、丁度メガネを上下に並べたように四つ目状に見える珍しい形をしている。トンネル内の轟音が途切れ車窓に陽光が戻ればそこはもう瀬戸大橋だ。と言ってもここに瀬戸大橋と言う名の橋は無い。瀬戸内海に浮かぶ、大小5つの島を総延長9.4Kmの6つの橋で結んでいて、その総称を瀬戸大橋と呼び、各橋にはそれぞれ名前が付けられている。最初に渡るのが吊り橋の「下津井瀬戸大橋」で、暫く進んで県境を超え香川県に入る。次が「櫃石島高架橋」で、美しい姿が特徴的な斜張橋の「櫃石島橋」と「岩黒島橋」が「岩黒島高架橋」を挟んで続...瀬戸大橋と言う橋は無い(JR乗り潰し・本四備讃線)

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