53歳で再婚。横浜から北海道追分に移り住み、新鮮で愉しい事だらけの生活をおしゃべりしています
福寿草
明治25年、炭鉱の町夕張で、石炭運搬のために敷線された夕張線。閉山後も地域の足となっていたが、平成31年3月末をもって127年の歴史に幕を下ろす。近いのでいつでも行けると思っていたがその日が近づいてきていた。ちょうど「小さな旅」という番組を観た後と、今朝の思わぬ大雪が重なり、「行ってこよう!」3月最後の日曜日、いつも閑散としてしている新夕張駅は、駅員さんが増員されカメラを持つ多くの方が乗車。小雪舞う寒いホームから静かに走り出す。雪深い沿線を走ること6,1キロ。夕張駅に到着。乗り継ぎが悪く、行きたくとも躊躇していた夕張線(石勝線)127年間、お疲れさまでした。新夕張駅から夕張駅
気温が高くなり、日毎に渡り鳥の数が増えている。一瞬空が黒く染まるかのようなすごい数のマガモが何十メートルと羽ばたき、白鳥も飛んでいく。昨日まで畑の雪がほぼ解け、雪の下から青々した麦が顔を出していたのに、今朝、またも雪に覆われてしまった。東京の気温は20℃を越え、桜の開花が宣言されたとのニュース。狭い日本列島、こうも・・・・でも、雪に覆われても生き物はお見通し。片付けた雪かきグッズを取り出し、重い雪をエイコラサッサ。こ~こ~との鳴き声で手を休め空を仰ぐと、2羽の白鳥が真っ青な空に羽ばたいている。急いでカメラを取りに行く。見惚れてしまうほどの美しさ。風が冷たい。ストーブはまだまだ消せないな。春は目の前なのに。
札幌へ向かう電車の中は、大きなバックを前に座る人たちで埋まっている。脊椎間狭窄症とすべり症を持つ真知子は、できれば座りたい。長く立っているのは辛い。途中席が空いた。いつもなら即座るところだが、今日は横目で見送る。なぜなら、恥ずかしながら香水をつけすぎ、自分でも気になる匂い。これでは両隣の方が不快になるのでは。ずっとつけていなかったのだけど、整理してたら出てきて、もったいなからつけるか。それがいけなかった。匂いに敏感な真知子は人の匂いも気になる。惚れた男の側で香るならともかく、人混みの中での香りは難しい。という訳で、札幌まで空席がありながら、立っていたお馬鹿な真知子であった。なんでもほどほど。
モコがいなくなって1か月が経った。動ける間はどこでもオシッコが出来るように、あちらこちらにビニールと新聞紙を敷いていた。乾いたウンチが思わぬところから発見される。ウンチは見られないようにしていたんだね。こんなところまで歩いてきたんだ。モコ立派だよ。これを書いているだけで涙がこぼれそうになる。モコと寝ていた隣には「風太」が寝るようになった。風太はいつも黙っていた。黙って遠くで寝ていた。寝るまで側にいる。布団に入るとやってきて、ひとときぐるぐる回りながら自分のポジションを決め横になる。夜勤の時はソファーから動かないと言う。帰るとぴょんぴょん飛び跳ね迎えてくれる。2010年10月28日340g、15㎝で生まれた風太は20Kになりました。風太が涙を消してくれた。風太に守られているような・・・忘れないけど。
古い古い我が家のあっちこっちに張られていた隙間予防、保温予防のビニールが一枚一枚剥がされていく。外の景色がくっきり見えるようになった。朝、雪に覆われ道路も屋根も真っ白だったのに、今、すっかりなくなっている。空も白かったのに、静かに動く薄い雲にところどころ隠されながら見せる、爽やかな青空。木々たちも静かに揺れている。昼も夜も消すことのなかったストーブを、昼間、止めてみた。夜はまだ無理だけど、春はすぐそこだね。我が家も春準備。
春にますます近づいたと思ったら、雪が降り、もう大丈夫かと思ったら、また雪が降り、その隙間を縫って、福寿草とふきのとうが顔を出した。厳寒の時期、姿を見せなかったすずめさんが、ちゅんちゅん、ちゅんちゅん我が家にやってきた。融雪剤が撒かれ、真っ白い雪が黒く染まり、外枠だけのハウスに、ビニールが張られ、北海道の農業が始動されてきた。こ~こ~と鳴きながらV字に飛ぶ白鳥。生き物たちは確実に春を察して動き出している。私も動こうっと。生き物たちは知っている。
夜勤続きから解放され、久しぶりの我が家で、さぞや気持ちよく寝られるものかと思いきや、寒い、とっても寒い。なんで?気温はだいぶ上がってきているのに。少し前までベット横に置いてある温度計が、いつも0℃だった。全然動いていないので、壊れているのかと台所に移動すると、あら、壊れてない。という事は、寝室は0℃の気温だったんだ。この中でずっと寝ていたので、20℃を超える職場は暑い。利用者さんもタオルケット一枚でOK。そんな夜を職場で数日過ごした後の我が家での睡眠。温度差が大き過ぎたようだ。もう湯たんぽは不要と片付けたのだが、また取り出した。我が家は春遠し。我が家の春
夜勤が終わったのは、夜お世話をしていた利用者さんが退所したため。申し込んでいた特養に移っていく。職場のディーサービス施設は4人までお泊りが出来るようになっているが、単発利用が多く、毎日お泊りする人は少ない。その毎日利用のYさん。柔和で穏やかなお人柄。車椅子で食事は介助との事だったが、夜勤中に少しづつひとつづつ出来ることを見つけ、初めての利用から一か月、椅子に座ってご自分で食事をし、お茶を飲み、イチニ、サンシ、ゴーロク、シチハチと互いに声を出しながら洗面所まで歩き、袖をまくり蛇口に腕を伸ばし、お湯を手の平ですくい顔を洗う。足元は濡れているけど、「あ~さっぱりした!」生きているってこんな事じゃないのかな。寝ながらオムツ下ろしをして、毎日濡らしていたけど、それだって、「もよおす」からこそ、子供の頃よりの習性でやってし...生きるとは活きる。
夜勤続きの日々がやっと終わった。17時夜勤に入り翌朝9時に終わり、その日の17時また夜勤入り。若い時はよくやっていたもんだが、今回は久久ぶりの連続夜勤。まともに食事をすることなく、まともに寝ることなく、夜勤は身体によくないわ。最大の敵は・・・顔がますます崩れてきた。あ~~~悲しや。一週間の休み中になんとかせねば。う?何とかなるの?う~んきっと・・・ならない。それがだめなら、せめて、笑っていよう。取り戻せない・・・
3月4日この日は私の誕生日でもあり、14年前札幌の小さな教会で、23歳の息子の腕を組み、夢だった長いマリアベールをひき、バージンロードを歩いた日でもある。共に再婚。列席者は互いの子供たち。涙がぽろぽろ。式が終わると、冷えたビールが五臓六腑に染みわたり、場所を変えた鮨屋では早々に居眠りを始め、ほとんどおしゃべりもせずホテルに戻り、朝まで爆睡した53歳の花嫁であった。それから14年、予想だもしなかった出来事が次から次へと起こったけれど、みんなもそうだよね。色々あるよね。67歳、まだまだ予想だもしないことに出会うかな。きっと出会うよね。出会ってほしい。いくつになっても、うきうきわくわくしたいんだ。雪が溶け始め、北海道にも春がやってきた。それだけで、うきうきわくわく。浮きたつ思いは、いくつになっても感じていたい。人生は...年が増えました。
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