中原中也ファンのブログです。
およそ80年前の東京の街を孤独な魂は歩いた。その日の魂に見合う詩(うた)を探して…。その歌は2013年の今、数々の文庫として書店の棚にある。ポケットに歌を! さあ、中原中也の魂と会いに出かけよう!
再掲載/2012年12月29日 (土) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」2
「春日狂想」は「在りし日の歌」の最終詩「蛙声」の前にあり「正午」に続いています。「永訣の秋」のラインアップをここで再度見ておきますとゆきてかえらぬ一つのメルヘン幻影あばずれ女の亭主が歌った言葉なき歌月夜の浜辺また来ん春……月の光 その一月の光 その二村の時計或る男の肖像冬の長門峡米子正午春日狂想...
再掲載/2012年12月28日 (金) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」
「永訣の秋」に採るためには「わかれの歌」でなければならない。内容は現在ではなく過去のものでなくてはならないということで「夏の夜の博覧会はかなしからずや」は採られなくて「また来ん春……」や「春日狂想」や「冬の長門峡」は選ばれました。愛児文也を追悼した詩「春日狂想」もこの流れに沿って読むことが可能にな...
再掲載/2012年12月22日 (土) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」9
(前回からつづく)「在りし日の歌」のとりわけ「永訣の秋」に「夏の夜の博覧会はかなしからずや」を採らなくて「また来ん春……」や「春日狂想」や「冬の長門峡」を選んだ理由が見えてきました。「夏の夜の博覧会はかなしからずや」をよーく味わっていればそれを理解できる気がしませんか?この詩を何度も何度も読ん...
再掲載/2012年12月21日 (金) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」8
(前回からつづく)中原中也は中村古峡療養所に入院中の一定期間に創作を禁じられていたのですがなにも書いてはならないという厳格な禁止期間はそう長くはなく特に後半期には詩篇さえ残していますから創作意欲は旺盛にあったものの療養に専念したといえることでしょう。◇昭和12年2月27日、鎌倉へ引っ越した日か...
再掲載/2012年12月20日 (木) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」7
(前回からつづく)「文也の一生」「夏の夜の博覧会はかなしからずや」「冬の長門峡」――をインクのペン書きから毛筆に変えて書いたのは特別な思いを込めたからに違いありません。このことは愛児文也の突然の死が詩人に与えた衝撃のすべてを物語るようです。毛筆で書くなどは前例がないものでしたし日記から詩へ詩か...
再掲載/2012年12月19日 (水) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」6
(前回からつづく)「文也の一生」は日記の8ページにわたって毛筆で書き付けられました。そして7月末日万国博覧会にゆきサーカスをみる。飛行機にのる。坊や喜びぬ。帰途不忍池を貫く路を通る。上野の夜店をみる。――と書いたところで途切れます。同じ毛筆で書かれたのが「夏の夜の博覧会はかなしからずや」でこ...
再掲載/2012年12月18日 (火) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」5
(前回からつづく)やや迂回(うかい)しますが「文也の一生」というタイトルのある「日記」を読んでみましょう。文也が死んだのは昭和11年11月10日でしたが翌々日の12日付けで届けられた香典の内訳をメモして以来途絶えていた日記が1か月後の12月12日付けで再開されます。再開されても年明けてすぐに療...
再掲載/2012年12月17日 (月) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」4
(前回からつづく)5次にわたる編集期は全集委員会が考えた便宜的な「期間区分」であって中原中也がいつからいつまでと期間を区切ったものではありません。創作や編集的な作業を禁じられていた療養中にですら「頭の中」には「在りし日の歌」の構想が進められていたかもしれないのにそれは表面に出てくることはありません...
再掲載/2012年12月16日 (日) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」3
(前回からつづく)昭和11年11月10日、長男文也が小児結核で死亡するという不幸に見舞われた詩人は悲嘆の底に沈み、精神に変調をきたしたため家人のはからいで千葉の中村古峡療養所へ入院したのは明けて昭和12年1月9日。1か月以上の療養の末、2月15日に退院し、2月27日に四谷・市谷の住まいを払い鎌倉の...
再掲載/2012年12月15日 (土) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」2
(前回からつづく)中原中也が第2詩集の編集をはじめたことを確定する具体的資料は実のところなんら残存しません。「山羊の歌」出版以後に詩人が著(あら)わした日記や書簡にも編集を開始したという明確な記述は見つかっていません。つまり全ては日記や書簡などを参考にして立てられた仮説です。日記、書簡は詩人本...
再掲載/2012年12月14日 (金) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」
「在りし日の歌」の編集はどのような経過で行われたか――。「永訣の秋」を集中して読んできて残すのは「また来ん春……」「春日狂想」「蛙声」の3作品というところにさしかかりました。「永訣の秋」の読みがフィニッシュ段階に入るということで「在りし日の歌」の編集が愛息・文也の死によって被(こうむ)ったある変...
再掲載/2012年12月11日 (火) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」7
(前回からつづく)中原中也が「現代と詩人」にさあさあ僕は、詩集を読もう。フランスの詩は、なかなかいいよ。――と記したとき念頭にあったのは真っ先にアルチュール・ランボーとポール・ベルレーヌの二人の詩人のはずでした。ほかにボードレールやラファルグやネルバルやデボルト=バルモールがいたとしてもこの二...
再掲載/2012年12月10日 (月) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」6
(前回からつづく)「言葉なき歌」の「あれ」に似ている使い方をされている詩がいくつかあることが分かっていますがそのうちの一つ「現代と詩人」を読んでみましょう。「新字・新かな」表記にしてあります。◇現代と詩人 何を読んでみても、何を聞いてみても、もはや世の中の見定めはつかぬ。私は詩を読み、詩を書く...
再掲載/2012年12月 9日 (日) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」5
(前回からつづく)「ランボウ詩集」の「後記」の後半部は中原中也のランボー論が展開されています。そして少しはベルレーヌ論も混ざっています。◇その中のはじめの部分のパイヤン(異教徒)の思想だ彼にとつて基督教とは、多分一牧歌感性的陶酔陶酔の全一性といふことが全ての全て悲劇も喜劇も、恐らくは茲に発し...
再掲載/2012年12月 8日 (土) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」4
(前回からつづく)はじめに「芸術論覚え書」が書かれ次に「言葉なき歌」(第1次形態)が書かれその次に「ランボウ詩集」の後記が書かれた――というのが制作順序だったようですが「言葉なき歌」(第2次形態)は「在りし日の歌」の最終編集過程で若干の修正を経て選ばれたのですから「ランボウ詩集」の後記が書かれたの...
再掲載/2012年12月 7日 (金) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」3
(前回からつづく)「芸術論覚え書」は昭和9年(1934年)12月から翌10年3月に書かれたらしいことが分かっています。「山羊の歌」刊行後でこの期間に詩人は生地・山口に帰省中でした。内容は「名辞」「名辞以前」「現識」という概念を軸にした詩論であり硬軟の混ざった芸術論であり第一詩集をようやく発行しさ...
再掲載/2012年12月 6日 (木) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」2
(前回からつづく)「言葉なき歌」にはいくつかの指示代名詞や場所・方角を表わす名詞(句)・形容詞が使われ近くから遠くから本体(場所)に代わってその内容が指し示されますが本体の内容は具体的に示されるところまでいきません。「あれ」「ここ」(此処)「あすこ」「とおいい」(遠いい)「遙か」「彼方」「その方...
再掲載/2012年12月 5日 (水) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」
存在感のうすいヒト・モノ・コトを扱っているという角度で「幻影」「月夜の浜辺」「村の時計」「或る男の肖像」「米子」――を同じ流れにある詩群として見てきましたが最終詩「蛙声」へと繋がっていくもう一つの流れに「ゆきてかえらぬ」を起点として「幻影」「あばずれ女の亭主が歌った」「言葉なき歌」を通じる一群があり...
再掲載/2012年12月 4日 (火) 「永訣の秋」もう一つの女のわかれ・「米子」2
(前回からつづく)長谷川泰子の勝気なばかりではない側面を「米子(よねこ)」で描いた――。そう考えてもよいかそう考えないほうがよいか。米子は泰子のことを指しているという考えと米子は泰子とは異なる女性をモデルにしているがそれが誰であるかは特定できないという考えとが対立しながら存在しますが「泰子」は...
再掲載/2012年12月 3日 (月) 「永訣の秋」もう一つの女のわかれ・「米子」
「米子」は「よねこ」ですからなぜまたこんなところに女性の固有名を冠した詩が配置されたのかと首をひねることになりそうですが作品内容で見れば「村の時計」の流れで連続していることが見えてきました。二十八歳のその処女《むすめ》は、肺病やみで、腓《ひ》は細かった。ポプラのように、人も通らぬ歩道に沿って、立っ...
再掲載/2012年12月 2日 (日) 「永訣の秋」存在のわかれ・「村の時計」2
(前回からつづく)「村の時計」は一日中休むことなく働いていて字板のペンキにはつやがなく近くで見れば細(こま)かなひび割れがあり夕方の陽にあたっておとなしい色合いをしていて時刻を鳴らすときにはゼーゼーと音を出しその音はどこから出ているのか誰にもわからない――とだけを述べた詩です。だからどうした...
再掲載/2012年12月 1日 (土) 「永訣の秋」存在のわかれ・「村の時計」1
「或る夜の幻想」のうち「1 彼女の部屋」「3 彼女」は除外され「2 村の時計」は同じタイトルで「村の時計」として「4 或る男の肖像」「5 無題」「6 壁」は「或る男の肖像」として独立した詩に仕立てられました。「村の時計」は「永訣の秋」の中で「月の光」と「冬の長門峡」の間に「或る男の肖像」とともに配...
再掲載/2012年11月30日 (金) 「永訣の秋」女のわかれ補足篇・「或る男の肖像」の原形「或る夜の幻想」その3
(前回からつづく)「杉林」が「男」のシンボリックな表現であるとすれば野原の一隅には杉林があった。なかの一本がわけても聳えていた。或る日彼女はそれにのぼった。下りて来るのは大変なことだった。それでも彼女は、媚態を棄てなかった。一つ一つの挙動は、まことみごとなうねりであった。 夢の中で、彼女...
再掲載/2012年11月29日 (木) 「永訣の秋」女のわかれ補足篇・「或る男の肖像」の原形「或る夜の幻想」その2
(前回からつづく)6部仕立ての連詩「或る夜の幻想」の4 或る男の肖像5 無題――幻滅は鋼《はがね》のいろ。6 壁――を独立させた詩が「或る男の肖像」でした。「或る夜の幻想」の中では4、5、6のつながりが緊密で独立させるのが容易だったからでしょうか。独立した詩として成立すると詩人が判断したからに...
再掲載/2012年11月28日 (水)「永訣の秋」女のわかれ補足篇・「或る男の肖像」の原形「或る夜の幻想」
(前回からつづく)実は「或る男の肖像」には元になった詩があります。その詩は「或る夜の幻想」のタイトルで「四季」の昭和12年(1937年)3月号に発表された短詩の連作詩でした。「或る夜の幻想」ははじめ1 彼女の部屋2 村の時計3 彼女4 或る男の肖像5 無題――幻滅は鋼《はがね》のいろ。6 壁―...
再掲載/2012年11月27日 (火) 「永訣の秋」女のわかれ2・「或る男の肖像」2・生きているうちに読んでおきたい名作たち
「或る男の肖像」の1には三つの過去の時間が重なっています。1、 男が洋行していた過去2、 夜になると喫茶店にやって来て暇をつぶしていた過去3、 死んだという過去――を「話者」(=詩人)が見聞きしていて、案内しているのが1です。その男が生きていたあるときに経験した事件の断面が描かれるのが2、3で...
再掲載/2012年11月26日 (月) 「永訣の秋」女のわかれ2・「或る男の肖像」・生きているうちに読んでおきたい名作たち
「或る男の肖像」は1、2、3の番号が振られた3部仕立ての短詩ですが1と2、3との間のつながりが見えにくい断片のような作品です。1に現われる「洋行帰りのその男」がタイトルの「或る男」であり2、3に現われる「彼と彼女」の「彼」でもあるらしいのですが「その男」は1で死んでいます。死んだ男について回想...
再掲載/2012年11月25日 (日) 「永訣の秋」女のわかれ・「あばずれ女の亭主が歌った」4・生きているうちに読んでおきたい名作たち
(前回からつづく)おまえはおれを愛してる、一度とておれを憎んだためしはない。おれもおまえを愛してる。前世からさだまっていたことのよう。そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合うもう長年の習慣だ。――というはじまりが示す「二人」の相思相愛の関係はそれなのにまた二人には、ひどく浮気な心が...
再掲載/2012年11月24日 (土) 「永訣の秋」女のわかれ・「あばずれ女の亭主が歌った」3・生きているうちに読んでおきたい名作たち
(前回からつづく)「あばずれ女」と聞いただけでアメリカン・ニューシネマ「俺たちに明日はない」のボニーを思い浮かべたり「愛の不可能」や「愛の不毛」ならばイタリア映画「情事」「太陽はひとりぼっち」「夜」のミケランジェロ・アントニオーニ監督作品やフランス・ヌーベルバーグの「勝手にしやがれ」や「気狂いピエ...
再掲載/2012年11月23日 (金) 「永訣の秋」女のわかれ・「あばずれ女の亭主が歌った」2・生きているうちに読んでおきたい名作たち
(前回からつづく)「永訣の秋」の16篇の中で長谷川泰子らしき女性が登場するのは「あばずれ女の亭主が歌った」「或る男の肖像」の2作品ですからこれが「泰子のわかれ」を歌った最終作品ということができるかもしれません。◇中原中也は「生涯にわたる恋人・長谷川泰子」を実にさまざまに表現していますが「あばず...
再掲載/2012年11月11日 (日) 「永訣の秋」の街へのわかれ・「正午」2・生きているうちに読んでおきたい名作たち
(前回からつづく)さらば東京、と記すのは「在りし日の歌」の後記ですが「正午 丸ビル風景」に表(おもて)立っていなくてもそこに東京へのわかれが刻まれていることは「在りし日の歌」中の「永訣の秋」に収められていることで知ることができます。それ以外に知る手掛かりはありません。読みようによってはほかの読み...
再掲載/2012年11月10日 (土) 「永訣の秋」の街へのわかれ・「正午」・生きているうちに読んでおきたい名作たち
「月の光」はお庭の隅にも芝生にも月光が満遍(まんべん)なく降り注(そそ)いで真昼のような「影のない世界」を歌います。死んだ子が隠れている草叢でさへ月の光が照っていては丸見えでその子どもに「影がない」感じが妙に生々しい非現実感――こんなことってあるのか!――を漂わせます。◇太陽が南中しモノの影が...
再掲載/2012年11月 9日 (金) 「永訣の秋」の月光詩群・真昼のような「月の光」2・生きているうちに読んでおきたい名作たち
(前回からつづく)死んだ子どもが隠れていたり(その一)蛍のように蹲(しゃが)んでいたり(その二)する一方でチルシスとアマントがギターをほっぽりだしたままコソコソ話している庭――という舞台装置が不可思議な感じですがいつしかその不可思議な詩世界に読者は入り込んでいます。ここは庭です。詩人の庭なのでし...
再掲載/2012年11月 8日 (木) 「永訣の秋」の月光詩群・真昼のような「月の光」・生きているうちに読んでおきたい名作たち
「幻影」でピエロが浴びていた月光は「私の頭の中」にあるためにスポット・ライトを浴びているのに似て、しろじろと身に月光を浴び、あやしくもあかるい霧の中で、かすかな姿態をゆるやかに動かし――という距離感があり、「月夜の浜辺」の月光は波打際とボタンとを浮かびあがらせる舞台装置(=背景)のようですが「...
再掲載/2012年11月 7日 (水) 「永訣の秋」の月光詩群・「月夜の浜辺」6・生きているうちに読んでおきい名作たち
(前回からつづく)普通の日本人が日常会話で使うような「しゃべり言葉」みたいな現代口語で「月夜の浜辺」はつくられています。むずかしいと頭をひねることもないやさしい言葉をルフランを駆使し7・7音のリズムに乗せて朗唱しやすい詩が組み立てられました。◇なんの疑問の余地もない詩のようですがふと立ち止ま...
再掲載/2012年11月 2日 (金)「永訣の秋」の月光詩群・「月夜の浜辺」・生きているうちに読んでおきたい名作たち
「幻影」で私(=詩人)の頭の中に棲んでいるピエロですがそのピエロはいつも月光下にいます。黙劇(パントマイム)を演じている舞台に月光は射していなければならないものであるかのようにです。◇月光(または月)は中原中也の詩にたびたびライト・モチーフとして現れることはよく知られたことでしょう。「山羊の歌...
再掲載/2012年10月31日 (水)「幻影」の過去形ナレーション2・生きているうちに読んでおきたい名作たち
(前回からつづく)ナレーションの形をとることによって詩人の歌おうとする詩世界は詩人から一定の距離が置かれることになり読者はナレーターの口を通じて詩人のメッセージなり歌なりを聴くことになります。詩人の赤裸々な内面や心の中はワンクッション置かれることになり読者と作者との間にも一定の距離が置かれること...
再掲載/2012年10月30日 (火)「幻影」の過去形ナレーション・生きているうちに読んでおきたい名作たち
「幻影」は「在りし日の歌」の最終章「永訣の秋」の中で「一つのメルヘン」に続いて配置されていることと「でした」で終わる行末の語り口調(ナレーション)によって連続しているような錯覚を抱くような詩です。そのうえ、「幻影」の月光下のピエロの映像と「一つのメルヘン」の夜の陽光のシーンとはともにスポットライト...
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