10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
馳けてゐる少年少女冬日和星野立子いい天気だ小春日和とでも言う日だろう今日はちょっと出掛けて帰りには新橋ビル1号館の地下の焼鳥屋へたどり着く生ビール一杯他の方は生ビール二杯お通しは温泉卵チーズ餃子焼鳥盛り合わせ銀杏二皿ポテトサラダ鶏唐揚げいい気分でバイバイした冬日和
今日は木曜稽古掛けものは大口周魚和歌をよむと虫の音とあるからもっと早い時期に掛けるべきだった11月ではあまりにも遅すぎる失敗したあまりにもにわのむしのねほどちかしまくら移して明日の夜はねむ大口周魚オオグチシュウギョ元治元年4月7日(1864年5月12日)-大正9年(1920年)10月13日)名古屋生まれの歌人、書家、古筆研究家、宮内省御歌所寄人。本名は鯛二タイジ明治から大正時代を代表する歌人明治29年(1896年)8月、京都西本願寺の庫裡の古書の中から後奈良天皇下賜の『西本願寺本三十六人家集』を発見して世に紹介したことは、学界・書道界への一大功績であった。古筆の研究に励み、阪正臣や田中親美らと古筆やその情報を交換しあった。門弟の尾上柴舟も古筆第一主義をとり、周魚の古筆研究への貢献は甚大であった。とウ...あまりにも
今日は森金さんの茶事の水屋ナコさんと二人で担当新蕎麦の頃だ11月12月と蕎麦懐石をすることにした過去の自分のブログを探して発見2018年に経験した蕎麦懐石順なども書いてあるその時を思い出しながら献立や順を検討結果下記の順とは少し異なるが当時の拙ブログを以下に張付けた歳暮蕎麦懐石の茶事年の暮れらしい取り合わせの道具に蕎麦懐石ウコンの風呂敷にお椀をくるみ利休箸を差し込んで客前に運ぶ膳はない風呂敷をひろげる温かいつゆに蕎麦が入っている蕎麦椀を手前に右向に薬味皿左向に蓋を置き懐紙を折って箸置にするまずは薬味を入れて蕎麦を啜る御酒とやきものの盃で一献そのお酒の美味しいこと唸る大皿に蕎麦二度目は冷たいつゆで食べる織部の角皿にだし巻き玉子と染め卸し染め卸しとは普段から自宅でもするが大根卸しの水気をとり醤油をかけたもの蕎...森金さんの蕎麦懐石茶事
藤原定家よしさらば四方の木枯し吹きはらへ一葉くもらぬ月をだに見むよしさらば→仕方がない、それならば。今日は月に一度病院へ薬を貰いに行こうタクシーでサッと到着受付には人が並んでるどうやらワクチンの接種日だったよう普通の診療はお休みで仕方ないこの後は五島美術館の講座に予約をしてるので駅へ向かう空は透きとおる青色上着は着ていたが薄着で出掛けたので寒いピユーピユー風が吹いて寒いまだ時間もあるしユニクロのダウンでも買おうか駅付近は人でいっぱいユニクロのお店も賑やかだ老若男女の大勢の人があちこち元気に動いてる慣れないお店でダウンコートをあれこれ探すけどどうも家にあるのと変わりがない中に着るベストなら良いかなと会計へと向かうがずらっと20名位並んでるとてもとても並ぶ余裕はない止めたみんな外へ出掛けてる元気なんだね早めだ...よしさらば
草枕犬も時雨るかよるのこゑ芭蕉「山花開以錦」ネットで見たAIによる概要には「山花開いて錦に似たり」は、山々の花が錦のように咲き誇る様子を指し、その花も必ず散ることを知ることも大切であるという意味が含まれています。この言葉は、大龍禅師が「お前は、一刻一刻遷ウツり変わりながら、一瞬の輝きを放ち、そして散っていくこの花たちの素晴らしさがわからぬか?」と問いかけたことに由来しています。大龍禅師は、この花々のように輝き、そして散っていく姿こそが尊い「法身」であると説いています。なるほど今日は木曜稽古昨日より暖かいと聞いたが寒い茶事の案内が届くとぽっと温かくなる時雨るか夜の
菊花令人寿キッカレイジンノコトブキ陶淵明今日は鶴見総持寺にての能の会に行った【奉納總持寺能-能登總持寺祖院復興支援-】番組は仕舞江口江口の君藤波重彦狂言萩大名大名野村萬斎能菊慈童慈童下平克宏懐炉を着けてはいたが寒波が来たとかで寒いコートは脱げないA席だったが舞台が平面で除いても全く見えない回りに立っている大勢のお坊さん達の方がまだ見えたことだろうまあ復興支援だからと普段なら必ず眠るのにずっと目が覚めていたやはり能楽堂で鑑賞するに限る復興支援だからね菊慈童の伝説のあらすじ周の穆王に仕えていた美少年の慈童が、人々から妬まれて流罪となった。流罪の土地で、仏徳をたたえる「偈(げ)」を唱え、菊の葉に書くと、葉に溜まった露が川に流れ、不老不死の霊水になった。それを飲んだ慈童は700年の長寿を保った。この伝説にちな...菊花令人寿
馳けてゐる少年少女冬日和星野立子今日は護国寺の音羽茶会へ濃茶席と薄茶席二席吉兆の食事それにみつ豆席朝の八時には受付の一番前にいたのだが八時半開始とのことでずっと待っていたやっと受付が始まり会記を受け取り茶席へどの席も格調高く立派な道具で濃茶席では正客に軒軒が座り私目は続いて次客になったお陰で瀬戸黒の「大原女」で濃茶を頂戴薄茶席も次客で次茶碗の黒織部にて茶を頂戴した頗るよい日だ写真は吉兆の点心冬日和
茶の花や利休の像を床の上正岡子規今日は幼なじみの誕生日会ネットで見つけて初めて行く銀座のお店地下一階にあるが知ってる人でないと無理通りすがりではとても入れないシェフドミニク・ブシェが手掛ける隠れ家的な至極のフレンチビストロランチの安いコースを予約コースの最後にはケーキと紅茶満足喋り足りないので銀座5丁目の「喫茶店トリコロールGINZA」珈琲が美味しいいやすいので長居した反省つぎは来年三月写真はランチの二皿目の前菜茶の花や
岡紅葉陸奥介平景恒岡辺なる奥手の色はかりあげてほすかとばかり薄紅葉なり香川景恒カガワカゲツネ1823-1866幕末の歌人。文政6年3月21日生まれ。香川景樹の子。公卿徳大寺家につかえる。父の創始した桂園派をつぐ。書にもすぐれた。慶応元年11月16日死去。43歳。初名は景周。通称は式部。号は桂園,東塢亭。家集に「景恒翁歌集」。(コトバンクヨリ)今日は木曜稽古写真は今日の掛けもの和歌を読んで見たが意味不明どこか違ってる読めないのはずっと掛けておくといつか読めるようになりますと先生が仰ってたが岡紅葉
水仙に狐あそぶや宵月夜蕪村出掛けに木戸の所で水仙の葉が伸びてるのを見つけた花はまだまだ先だろうがまっすぐふっくらと延びた葉っぱ十枚くらいが固まってる水仙は毒だけど葉は先端が丸くて可愛らしい今日はクマショウさんの所で炉になって初めての七事式だ掛けものは「関」花は照葉とまだ小さな椿織部はじきの香合に備前の灰器フクベは生憎無いとのことクマショウさんの茶道具今日はお休みが四名もいて午前午後ともに足りないクマショウさん姉妹も参加してようやく定員の五名になった炭付花月は炭が得意のカズ子さんが月に当たったが灰を撒くのを忘れた濃茶花月は中蓋中終いを忘れた折据の扱いや札のとるタイミング足の運びなど古い人は何十年もやってるのだから初心者にはなかなか難しいもの何でも急には入らない写真はクマショウさんちの細葉ヒイラギ南天黄色い花...宵月夜
藤原定家ふるさとのしのぶの露も霜ふかくながめし軒に冬は来にけりそういえば昨日は立冬今日は綱島のふくもとで食事会先月はお休みしたので久しぶり香り高い松茸がお料理にいくつも出てくるその幸せを堪能したそれから予定にはなかったが五島美術館へ行くことにした特別展古裂賞玩―舶来染織がつむぐ物語展覧会は12/1(日)まで午後四時過ぎ上野毛のお屋敷まわりは人通りもなく静か寒くも暑くもない木々の緑のフィトンチッドの香りに包まれ散歩すると小旅行をしてるかのような解放感その帰りは近くの店でバナナケーキと珈琲で一日は終わり美術館へは行けなかったサクラさん又ね冬は来にけり
今日は木曜稽古掛けものは和歌の短冊筆者は千種有功千種有功ちぐさ-ありこと1797-1854江戸時代後期の公卿,歌人。寛政9年11月9日生まれ。正三位,左近衛権中将。歌を一条忠良タダヨシ,飛鳥井家にまなび,香川景樹,賀茂季鷹らとまじわる。嘉永7年8月28日死去。58歳。通称は橘蔭道。号は鶯蛙園,在琴,千々迺舎(ちぢのや)。歌集に「和漢草」「日枝の百枝」など。(日本人名大辞典ヨリ)題は「海辺紅葉」しぐれつる海の笠松・・・・・むこの山辺はうつろいにけり有功ムムムよめないと2015.11.18このブログで書いていた9年経っても読めないところが読めないトホホ海辺紅葉千種有功
炉ひらきに這出たまへきりぎりす許六今日は水曜稽古村雨庵の炉開きだかつては私自身が点前をしたり炉開きの茶事だったり茶会だったり何かしらの行事をしたものだがだんだんエネルギー乏トボしくなって昨今サッコンはなにもしなくなった残念だけどともあれ炉の初めての稽古日香合を炉用に変え香は練香になる炭手前は炭が大きく手前も新鮮だ濃茶点前は中仕舞いがあり気分がガラッと変わる掛けものは「満山紅葉錦」読んだそのままだ実際の風景はまだまだだろう結構寒い一日だった炉ひらきに
炉開きや仏間に隣る四畳半漱石11月になって明日から炉の稽古午前中のカルチャーを戻ってから炉を開いた掛軸を掛け炉ぶちは真塗炉中を清めて五徳を入れる炉の釜をとり出して五徳と合わす風炉は仕舞えるように灰をふるって五徳を外し前瓦に底瓦もまとめておく結構時間がかかったがまだ蓋置や、炭道具など変えなければならないものがあるが、まだできてない何でも変えるのは面倒だが変わると新鮮な気分になる今日は読売カルチャー南方録を勉強順番に南方録を音読する今日は二名ほどだったがボーッと聞いていると進んでしまいどこを読んでるのがわからなくなった利休は村田珠光の草庵小座敷の茶と能阿弥からの書院台子の茶その二つの系統から茶を学んだとのことちゃんと聞いてないと先生から質問が飛ぶので必至で聞いたちょっと目が覚めた写真は横浜そごう九階炉開き
炉開きやまだ新宅のみなと紙許六森川許六モリカワキョロク[1656~1715]江戸前期・中期の俳人。蕉門十哲の一人。彦根藩士。名は、百仲モモナカ。別号、五老井ゴロウセイ・菊阿仏キクアブツ。漢詩・絵画に親しみ、北村季吟系の俳諧を学んだが、のち芭蕉に師事。編著「風俗文選」「歴代滑稽伝」。(コトバンクより)今日はサカチカさんちの開炉の茶事水屋の仕事を終えて帰る時の西の空美しいので思わず撮った写真サカチカさんの茶室はマンションの一室なんちゃって茶室と本人は言ってる風炉の時は炭手前もちゃんとするが炉は電気だったそれが炭が出きるように直して今日の開炉になったのだ炉開おめでとう開炉の寄付は四条派の通天橋待合は松花堂の和歌本席は江戸初期の大徳寺夢伴子の「関」の偈菓子はとらやの亥の子餅に柿と栗を添える茶事に参加すると客...炉開きや
大弐三位秋霧の晴れせぬみねに立つ鹿は聲ばかりこそ人にしらるれ紫式部の娘の大弐三位の和歌今日は朝日カルチャーで崩し字の勉強その帰りにいつもの美容院でカット前回はパーマをかけたシャンプーして乾かして調整のカットしたりバリカンで襟足をさらっと整えてヘアワックスみたいなので完成したその間ずっと店長と気持ちよくお話しをしていたのだが家に帰るとふと考えたシャンプーのあとタオルで拭いたがさてドライヤーをかけてくれたのかしら今は乾いてはいるもののとても気になったそうなるとすぐ電話する「今日のパーマのあとドライヤーかけてくれたのかしら記憶がないんですけど」「いえいえちゃんとドライヤーかけましたよ大丈夫ですよ」「はいそうですかわかりました」と切って又よくよく考えたドライヤーを持ってる美容師さんの姿を思い出した私めの間違いなの...秋霧の
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
藤原有家後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟哉藤原有家フジワラノアリイエ久寿二~建保四(1155-1216)藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で,和歌所寄人,「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。今日は水曜稽古届いたお菓子は練切の撫子と生麩まんじゅう夏らしい美味しかった写真はうちの猫ミーちゃん後の世を
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ
紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな
与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや
与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ
五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や
今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影
みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の
三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる
池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影
草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨
サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会
昨日は水曜稽古だがブログも書けずねてしまった木曜稽古松波資之のほととぎすの和歌を掛ける湖遠郭公遊山から崎のまつとはなしにほととぎすききつるばかりうれしきはなし松波資之マツナミスケユキ1831*-1906幕末-明治時代の歌人。天保元年12月19日生まれ。安芸広島の商人岡田集介の次男。京都徳大寺家につかえ,のち北面の武士松波家の養子となる。香川景樹にまなび,景樹没後はその子の景恒をたすけて東塢塾を主宰。維新後は皇太后宮の内舎人ウドネリ,雑掌をつとめた。明治39年9月13日死去。77歳。通称は直三郎,大学大允。号は遊山,随所。歌集に「花仙堂家集」。(日本人名大辞典ヨリ)唐崎というと近江八景の「唐崎夜雨」を思い浮かべる唐崎は『万葉集』の「さざなみの志賀の辛崎幸あれど大宮人の船待ちかねつ」『蜻蛉日記』では都人が唐...唐崎夜雨
宵々の雨に音なし杜若蕪村今日はエフ先生の研究会雨が凄い音を立てて降ってる最近は早起きなので五時に起きて朝は六時に食事お昼までの時間が長いから10時のおやつ九時半に珈琲とミニ羊羮食べたおやつは八つ刻ヤツドキ午後の2時から4時に食べる間食午前中だとなんというのか朝のおやつは「モーニングティー」または「リトルランチ」、午後のおやつは「アフタヌーンティー」とオーストラリアでは呼ばれるとのこと、ネットで見た江戸時代、日本人の食事は朝と夜の1日2回だった。途中でお腹が空く。そこで中食(ちゅうじき)、あるいは間食(かんじき)、小昼(こびる)と呼ばれる間食をやつどきに取るようになった。それがおやつの起源。とネットで見た。さあ出かけないと宵々の雨に音なし
ラルースの言葉を愛すわたくしはあらゆる風に載りて種蒔く今日は日帰りで北上へ朝早く新幹線着いたらタクシーで詩歌文学館一回りしてタクシーで北上駅お昼を食べて新幹線四時には家に着いたが疲れた年だねあらゆる風に載りて