10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
むらしぐれ紅葉ながらにふりくれば心とどくやぬらしけるかな筆者は千種有功【千種有功】チクサアリコト[1797~1854]江戸後期の歌人。京都の人。号は千千廼舎ちぢのや。左近衛権中将に至り、堂上派に属したが、香川景樹らと交わって、新風の和歌を志した。歌集「千千廼舎集」など。(コトバンクより)今日は自画賛を掛ける紅葉に時雨の画賛は有功の和歌京都の時雨を詠ったものだろう村時雨
知友の還暦茶事着物姿の熟年女性昨年入門の和服の殿方計六名にて賑やかにJRを移動し新宿柿傳へ到着汲出のあと外待合へ煙草盆、桑の田楽箱席入すると本席床は有馬頼底筆藤原定家の詠花鳥和のうち長月の鶉そして書院に光悦の謠本が三冊荘らる懐石向付は萩焼の木の葉坂倉新兵衛鯛に防風生海苔山葵味噌汁は小蕪に辛子煮物椀は萩真丈におかひじき占地焼物は鰆味噌幽庵廣永窯の松絵炊合せは小泉蔵珍の雲錦鉢里芋に鴨団子と絹鞘柚子小吸物は白木耳梅千鳥の盃はほぼ完璧その八寸は子持鮎煮浸し銀杏松葉香鉢鼠志野に柴漬沢庵初炭は長板に一つ置川邉庄造の角釜に風炉は畠山耕治造炭斗、利休好油竹底四方羽帚、野雁火箸、素張カン、石目捻り灰器、青楽灰匙、南鐐香合、乾漆鼓中川正斉香、佐曽良縁高に金沢吉はし銘菊まがき中立して銅鑼で後入濃茶は中置の点前茶入、絵唐津中里太...柿傳知友還暦茶事
遠州の自然こそ赤々と朝日は高くサカチカお茶碗研究会へ今日から遠州七窯赤膚焼(大和)古曽部(摂津)志戸呂焼(遠江:遠州)膳所焼(近江)朝日焼(山城)上野焼(豊前)高取焼(筑前)遠州のきれいさびは江戸時代の茶書の和歌織理屈綺麗キッパは遠江トオトオミお姫宗和にムサイ宗旦遠州はきれいキッパ閑寂や枯淡のなかに、その反対の言葉とも思える華やかさや麗しさのある風情のこときれいさびをネットで調べた結果だが何だろう因みに遠州七窯の覚え方とググると拙ブログがヒットする写真は土曜日の蕎麦懐石一緒に食べた三名八十四歳と八十歳の熊さん姉妹と六十八歳の森金さん皆さん超元気遠州の自然こそ
式子内親王ながむれば木の葉うつろふ夕月夜ややけしきだつ秋の空かな今日は食事会予約した蕎麦懐石の店へ四人で税サービス料込4,000円のお任せランチはじめての場所恵比寿駅の出る改札口を間違えたまったく地図をみてもわからないスカイウオークから4分とあるけどわからないのでうろちょろ予約の時間も近いからエィッタクシー乗ろう乗ろうよ住所を言うと500円でちゃんと着いたカウンターに四名並んで盛り付ける主人の手元をじっと見る先付は南瓜豆腐にズワイガニ青菜は金時草上にハロウインのカリカリが乗っているたれは紅いろ揚げ物は淡路の玉葱と淡路の鱧の天ぷらお椀は平貝と松茸のシンジョにほうれん草と舞茸お造はもどり鰹もみじ鯛、ホタテ貝山わさび自家製のお醤油とニンニクのつけだれ次はお蕎麦北海道のそば粉を使って打ったとか細目のお蕎麦カウンタ...木の葉うつろふ夕月夜
渋柿やあかの他人であるからは漱石明治三十一年の作だがどういう意味だろう茶事に招かれた御礼に手紙をしたためるが最後に私は「かしこ」または「かしく」と書く恐れ多い、もったいないという意味畏れ多いので謹んで申し上げますそれが形式化して室町時代におんな文ブミに使われているとか「かしこ」は女性用男性用の結語は「恐惶謹言」今日は金曜日いつものクリニック月に一度は診察を受けているのだが今日はインフルエンザ予防ワクチンを接種新型コロナの八回目のワクチンは打たない写真は木曜の稽古の花サカチカさんがいれた花瓢にススキ、ヨメナ、ホトトギス渋柿や
花すすき露を冷たくへだて住む花朝女自画賛生田花朝女いくたかちょうじょ、1889年(明治22年)11月22日~1978年(昭和53年)3月29日、明治時代から昭和時代にかけての日本画家。菅楯彦と北野恒富の門人。父は国学者の生田南水。父に俳句、藤沢黄波に漢学、近藤尺天に国学を学ぶ。大阪第一師範学校附属小学校を卒業後、喜多暉月に四条派を教わる。1912年、菅楯彦に師事大和絵と有職故実を学ぶ1921年に北野恒富に預けられ、白耀社にも所属した。今日は水曜稽古雨が降ったりやんだりそして暑い掛けものは写真の画賛花すすき
与謝野晶子秋の日はさびし切なし部屋の棚あらゆる花をもて飾れども今日はケイコチャンと映画「スオミのはなしをしよう」ネットで席を取ったシルバー割引1,300円2名開始時間は10:45終わってからお昼時間は早めだけどちょっと映画館に行ってみよう川崎駅を出てラゾーナ川崎プラザの映画館109シネマズ川崎ホールには機械ばかりで人がいないポップコーンやコーラーの売場には売る人も何人かみえるが他には誰も見えない見るはずの「スオミのはなしをしよう」を探すと開場時間が違うのだたまたま入場口に人が居たのでスマホを見せて聞いてみたところ「それはTOHOシネマズ川崎でここは109シネマズ川崎です」なんと違ってるって早めに来たので時間はまだあるけどそれはどこなの駅の反対側というので人に聞きながら行ってやっと正しい映画館に着いたがまた...秋の日はさびし切なし
朝寒の鳥居をくぐる一人哉漱石今日は月曜日従姉妹のケイコチャンが来てまったりとした一日過ごす昨日は日曜日予約した根津美術館へ企画展の最終日10時の予約をしてあったので15分前に着く予約の人とそうでないひとを分けてずらっと信号の近くまで並んでいる観光客らしい外人も大勢そう最終日だから尚更だ夏と秋の美学鈴木其一と伊年印の優品とともに2024年9月14日(土)~10月20日(日)次の根津美術館は重要文化財指定記念特別展百草蒔絵薬箪笥と飯塚桃葉2024年11月2日(土)~12月8日(日)休館日毎週月曜日、11月5日(火)。ただし11月4日(月・振休)は開館。開館時間午前10時~午後5時(入館は閉館30分前まで)入場料オンライン日時指定予約一般1500円学生1200円根津美術館を空腹で出る集中するとお腹が空くのださて...朝寒の
栗飯や根来法師の五器折敷蕪村今日はサカチカさんちの茶事水屋担当助手付だお客様は四名10月なごりの茶中置大板のお点前秋だねぇ写真は今日の後座の花最後に撮ったので少しくたびれてる私も少しくたびれて根来法師
道命法師花すすきまねくはさがと知りながらとどまるものは心なりけり筆者は中院通躬ナカノインミチミ江戸時代前期から中期にかけての公卿・歌人。内大臣・中院通茂の長男。官位は従一位・右大臣。中院家18代当主。今日は水曜稽古10月とは思えないほど暑い明日もお稽古だ花すすき
橘の小島の色は変はらじをこの浮舟ぞ行方知られぬ浮舟(源氏物語)今日は古筆の研究会帰りの渋谷はラッシュの時間だが祭日なので観光客が多い日曜日に帰ってきたのにまたどこかへ行きたくなった古経のお話し紫紙金字金光明最勝王経長いお名前だ他にも色々写真はお団子が食べたくて京都の帰り際に買ったお土産ギリギリ最後賞味期限12/10と11/23真ん中の串わらびを今食べてみたお醤油のみたらし団子と全然違う橘の小島の色
よみ人しらずうちつけにたもとすずしくおぼゆるは衣に秋はきたるなりけり今日は三年ぶりの東美特別展出展してるそれぞれの店が大切にしている美術品が並ぶ勉強に目の保養に目についた朱色の天目台丈が低く裏は緑色奥伝に使えるかもとちょっと値段を伺うとなんとなんとなんと五千萬円恐れ入りました写真は昨日の朝の散歩京都の東寺の荘厳衣に秋はきたるなりけり
無花果や竿に草紙を縁の先漱石無花果の岸へ着きたる渡舟かな泊雲今日は京都のホテルで起床朝早く東寺へ散歩に行くゆっくり朝食11時チエックアウト福田美術館開館5周年記念「京都の嵐山に舞い降りた奇跡!!伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!」という展覧会一度行きたかったので良かったカフエで珈琲注文した写真はその窓からの渡月橋の景色絶景その後嵐山吉兆での茶会好奇心満々至福の料理に満足無花果や
茶の湯には梅寒菊に黄葉み落ち青竹枯木暁の霜茶道資料館の淡々斎の茶杓の筒にこの和歌が書いてあった今日は京都へ大徳寺前の一久で大徳寺納豆買って泉仙紫野店で湯葉懐石食べる美味し茶道資料館展示は「茶と歌」歌に託された茶の心とある楽焼玉水美術館へ寄る入場料は三百円松露で有名な二条駿河屋亀末廣へも寄る錦市場は外国の観光客で凄い込み合いタクシーで宿へ明日は茶会だ写真は二条駿河屋の生菓子こなし製予約しないと買えないのですが今ありますよとのことひとつずつ買って食後に食べた茶の湯には
掛けものは菅楯彦曲舞々月にはつらき小倉山その名はかくれざりけり曲舞クセマイの絵である曲舞(くせまい)とは、南北朝時代から室町時代にかけて流行した芸能。鼓に合わせて謡い、扇を持って舞う男装した女性または男性の演者が、叙事的な歌謡をリズミカルに歌い、簡単な所作が伴う白拍子舞が母体といわれ、その音曲は謡曲に入って曲(くせ)となった東京国立博物館所蔵の職人尽歌合(七十一番職人歌合)にこの曲舞の絵と同じようなものがあるというよりそちらの方が本歌だろう職人歌合というものがある職人を題材とした日本中世の歌合。歌、判詞のみでなく職人の姿絵も描かれていることから職人歌合絵巻、職人尽絵、職人歌合絵草子とも呼ばれる。鎌倉時代、室町時代のもの各2種計5作品が知られている。曲舞々の相手は白拍子月にはつらき小倉山
水曜稽古今日の掛物百首歌の中に式子内親王むすぶべき末もかぎらじ君がよにつゆのつもれる菊のした水式子内親王ショクシナイシンノウシキシナイシンノウ[?~1201]平安末期・鎌倉初期の女流歌人。新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。後白河天皇の第3皇女。賀茂の斎院になり、のち出家。和歌を藤原俊成に学んだ。萱斎院、大炊御門斎院とも呼ばれた。法号承如法。新古今集に49首入集。家集「式子内親王集」。お菓子は練切梢の錦菊のした水
紀貫之荻の葉のそよぐ音こそ秋風の人に知らるゝ始なりけれ今日は茶会着物は単でと思ったが朝は寒い合わせにしたもののまだ暑いどうすれば良いのだ場所は水天宮のロイヤルパークホテル五階風情ある庭に濃茶席と薄茶席知人のお誘いで参加した茶席が終わってお祝いの挨拶をしたが知人の姿が見えない帰りに受付でおみやを貰ってと小さな札を受け取ったところが露地を歩いているとその知人が別の茶席にいるではないか大変挨拶を渡す茶室を間違えてしまったらしいさて困ったさて茶会は宗旦の茶杓や掛物あり特別のお菓子あり濃茶と薄茶席と立礼点心代の補助が出ていたが和食も洋食もホテルゆえ高いちょっと考えて一階のパン屋でのテイクアウトにした洋風温野菜、ビーフシチュー、食パンとオリーブ入りパンその紙袋を手に人形町に向かう四つ角の重盛人形焼は休み壽堂京菓子司玉...荻の葉のそよぐ音こそ秋風の
藤原敏行秋萩の花さきにけり高砂のをのへの鹿は今やなくらん今日は朝日カルチャー崩し字の読み方10月からの新規の方も増えて教室はほぼ満員朝からずっと小雨が降ってるそのせいか講義を聞いてると眠くなるとなりの人もそんな感じのどかな教室文字は時代によって異なる紙、墨、筆が異なる平安時代の細く流麗な仮名文字は鎌倉時代になると筆が変わって文字に太い細い箇所が出来る昨日は病院泌尿器科と内科と二件寄ったら疲れてしまった写真はクマショウさんちの時代の裂地尾上の鹿
源俊頼明日も来む野路の玉川萩越えて色なる波に月宿りけり写真は六玉川のひとつ野路の玉川の和歌の意筆者は菅楯彦浪速の絵師と呼ばれた日本画家日本三名妓の東京赤坂の万竜、京都祇園の千賀勇大阪南地の富田屋の八千代その八千代が「手鍋さげて押し掛けた男」として一躍有名になった絵の内容は和歌を表すと言うが箱がないので不明であるが私は六玉川の野路の玉川(萩の玉川)と思っている野路の玉川は、平安時代末(12世紀)から有名になった歌所で、萩の玉川とも言われ、日本六玉川のひとつ野路の玉川は、平安、鎌倉時代の東山道沿いに位置し、往来の旅人たちも、秋には一面になみいる萩の花の景観を堪能したか【源俊頼】は[1055~1129]平安後期の歌人。経信の子。俊恵の父。自由清新な和歌によって高く評価され、保守派の藤原基俊と対立した。金葉集を撰...野路の玉川萩越えて
よみ人しらずなでしこの花ちりかたになりにけりわがまつ秋ぞ近くなるらし今日は久しぶりに七事式クマショウさんちで濃茶付花月と雪月花雪月花の順①八畳に席入5名以上今日は七名②迎付客は袱紗つける③主は莨盆と菓子器続けて折据正客に運ぶ④茶碗の置合せ⑤建水を踏込畳に置き仮座に座る⑥「どうぞ折据おまわしを」折据え回し花のみ名乗る折据は茶巾で回し雪は菓子月は茶花は点前雪月花が揃ったら札を外の畳に出すその次は折据をスミカケで回しもう一度点前後は常の通り正客は菓子器の上に折据のせて逆に向けておく主は水次して下がり改めて正客のところへ総礼して菓子器をさげ送り礼写真はクマショウさんちのわがまつ秋ぞ
藤原敏行あききぬとめにはさやかにみえねどもかぜのおとにぞおどろかれぬる今日は読売カルチャー教室だったが先生がおやすみになり再来週に振替になったそうなると出られず今度は私がおやすみか今日は家でお習字教室なにもせず何となく片付け何となくおしゃべりした少し過ごしやすくなった穏やかな一日秋きぬと
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ
紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな
与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや
与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ
五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や
今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影
みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の
三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる
池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影
草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨
サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会
昨日は水曜稽古だがブログも書けずねてしまった木曜稽古松波資之のほととぎすの和歌を掛ける湖遠郭公遊山から崎のまつとはなしにほととぎすききつるばかりうれしきはなし松波資之マツナミスケユキ1831*-1906幕末-明治時代の歌人。天保元年12月19日生まれ。安芸広島の商人岡田集介の次男。京都徳大寺家につかえ,のち北面の武士松波家の養子となる。香川景樹にまなび,景樹没後はその子の景恒をたすけて東塢塾を主宰。維新後は皇太后宮の内舎人ウドネリ,雑掌をつとめた。明治39年9月13日死去。77歳。通称は直三郎,大学大允。号は遊山,随所。歌集に「花仙堂家集」。(日本人名大辞典ヨリ)唐崎というと近江八景の「唐崎夜雨」を思い浮かべる唐崎は『万葉集』の「さざなみの志賀の辛崎幸あれど大宮人の船待ちかねつ」『蜻蛉日記』では都人が唐...唐崎夜雨
宵々の雨に音なし杜若蕪村今日はエフ先生の研究会雨が凄い音を立てて降ってる最近は早起きなので五時に起きて朝は六時に食事お昼までの時間が長いから10時のおやつ九時半に珈琲とミニ羊羮食べたおやつは八つ刻ヤツドキ午後の2時から4時に食べる間食午前中だとなんというのか朝のおやつは「モーニングティー」または「リトルランチ」、午後のおやつは「アフタヌーンティー」とオーストラリアでは呼ばれるとのこと、ネットで見た江戸時代、日本人の食事は朝と夜の1日2回だった。途中でお腹が空く。そこで中食(ちゅうじき)、あるいは間食(かんじき)、小昼(こびる)と呼ばれる間食をやつどきに取るようになった。それがおやつの起源。とネットで見た。さあ出かけないと宵々の雨に音なし
ラルースの言葉を愛すわたくしはあらゆる風に載りて種蒔く今日は日帰りで北上へ朝早く新幹線着いたらタクシーで詩歌文学館一回りしてタクシーで北上駅お昼を食べて新幹線四時には家に着いたが疲れた年だねあらゆる風に載りて
公達の手ならひの間や若楓涼菟リョウト岩田涼菟イワタリョウト1659年(万治2年)~1717年6月7日(享保2年4月28日))江戸前期から中期の俳人、神職。本姓は秦、名は正致。通称は権七郎。別号に団友、神風館等がある。伊勢の生まれ。初め伊勢神宮の下級神職となったが後に松尾芭蕉の晩年の門人となり俳諧を学ぶ。1694年(元禄7年)に各務支考らと親交を持ったことにより、「伊勢派」と呼ばれる平明で新しい作風の俳諧を生み出した。とのこと今日は東茶会暑くも寒くもなく空があおいもう会員ではなくさも行くことないと思ったが薄茶席の席主の方にお誘われた点心には久しぶりにお酒も付いたし茶会が終わると新橋のケーキセットを食べなかなか良かった手ならひの間