今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
春雨のふる野の道のつぼすみれ摘みてをゆかむ袖はぬるとも藤原定家フジワラサダイエ別名は京極殿、京極中納言氏族は藤原北家御子左ミコヒダリ流父は藤原俊成だが母は五条局ゴジョウノツボネ平安後期から鎌倉初期の女房・歌人。美福門院加賀ビフクモンインカガとも呼ばれる今日は古志ちゃんと散歩いつもは右だが今日は左へ行こう違う道を歩くのも面白いものだ知らぬ間にひと駅歩きお菓子と雛あられを買い珈琲店でひと休みお腹空いてたせいかパンと珈琲思いのほか美味し袖はぬるとも
大伴家持オオトモノヤカモチうち靡ナビく春ともしるくうぐひすは植木の木間コマを鳴きわたらなむ「春ともしるく」の「しるく」は著シルくと書く著しいと言う意味ではっきりしてることはっきりくっきり春が来た鶯が木の間を鳴き渡っているのを見ると待ち望んだ春がいよいよやって来たのだ間違いないねと自分は解釈二月のお稽古も今日が最終今日は村雨庵木曜稽古濃茶はいつも三名分を練る稽古をしているが昨日からは各服点カクフクダテお一人様ずつの濃茶を練る稽古にした会得するまで案外難しいはず二月は大炉に逆勝手や八炉の稽古頭を使う点前ばかりだ写真は押し絵の猫とねずみ十二年前に頂いたネズミ年の押し絵だ春ともしるく
今日は二月最後の週水曜稽古掛け物は慈円の和歌だ大僧正慈鎮ダイソウジョウジチン春の心のどけしとても何かせむ絶えて桜のなき世なりせば慈円とはジエン1155~1225平安末期から鎌倉初期の天台宗の僧。歴史書『愚管抄』を記した。諡号シゴウは慈鎮和尚ジチンカショウ、通称に吉水僧正ヨシナガソウジョウ、また『小倉百人一首』では前大僧正慈円サキノダイソウジョウジエン。父は摂政関白・藤原忠通、母は藤原仲光女加賀局、摂政関白・九条兼実は同母兄にあたる。《ウィキペディアより》「…絶えて桜のなき…」とよんでいくと英語の先生のソノさんが業平の和歌の本歌取りですねと教えてくれた古今和歌集の在原業平の和歌伊勢物語の第82段にも登場する有名な和歌だ伊勢物語を文の会の音読会で二周も勉強したのに殆ど頭に残っていないトホホ有名...2020-02-2623:53:35
小倉百人一首歌番号六かささぎの渡せる橋におく霜の白きをみれば夜ぞふけにける中納言家持中納言家持チュウナゴンヤカモチ大伴家持オオトモノヤカモチ718?~785大伴旅人の子。奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。万葉集の編者とされ、収録数は最多。越中守をはじめ地方・中央の官職を歴任。七夕の夜になるとかささぎは翼を広げて何羽も連なり天の川に橋をかけて、織女を牽牛のもとへ渡すとされたそのかささぎがつくるという橋その橋ハシと同じく階ハシがある宮中の階キザハシに一面白く霜の降りている空気はキリキリと冷えてきた夜も更けていくほどにあまたの星は輝きを増していくなんと綺麗な空だろう清浄の空だ小倉百人一首歌番号六
赤椀に龍も出そうなそば湯かな一茶今日はお茶碗研究会だったが新型コロナウイルスのニュースを聞くにあまり出掛けない方が良いからと研究会は二ヶ月おやすみ予定が無くなったのでサカチカさんと食事会銀座七丁目の蕎麦懐石を予約その前に近くなので草履のぜん屋へ行った履いている草履は前に茶会で間違えられた草履元々の私のとは違うからかその草履を見るたびになんかピンとこないその鼻緒を今日は自分好みのと変えた鼻緒をすげかえるには底を剥がすので一日位かかるとか草履を預けて明日取りに行くことに決めたそう決めたら振り向いてウインドの草履を買って履き替えよう二色ですっきりしている草履その間サカチカさんはお洒落な折り畳傘を買っていた取りあえず二人とも買い物して満足しつつ近くの蕎麦懐石へ前菜お造り煮物揚げ物お蕎麦デザート珈琲他の飲み物満腹だ銀座は...龍も出そうな
鶯の笠にぬふてふ梅の花折りてかざさむ老かくるやと古今集源常柳の葉を片糸に撚ってウグイスが縫うという笠は、梅の花笠、という今日は3月の茶事の道具出し午後からお二人お弟子様がお手伝いまずは掛け軸寄付と本席の二幅茶入と棗茶杓に水指この位までは楽勝だったがそのあと干菓子盆に茶碗と懐石の鉢類を出す手渡しで道具の入っている紙袋を渡すとあっという間に畳いっぱいにひろがって文字通り足の踏み場も無い何だか分からない箱をあけて当日使うものを決める濃茶の茶碗をひとつ薄茶茶碗を三か四向付は未定焼物鉢預け鉢進肴の鉢香鉢どれにしたっけこれらを出すと疲労困憊空腹で動けず時間は夕方六時近く三人でいつもの中華屋へ生ビール蒸し鶏の葱油春巻き餃子酢豚お焦げ合計五千円でおつり少々久しぶりのビール美味し梅の花笠
今日は熱海MOA美術館にて光琳茶会に参加した令和二年の光琳茶会は22日と23日の二日間披かれる花の茶屋を待合にしばし待つと寄付へ案内される寄付は光琳屋敷書院炭道具や箱などが飾られて説明を受けながら拝見隣の五畳半のお部屋でお菓子を食べ濃茶を各服点てにて頂戴した光琳屋敷の青々庵道具は素晴らしく眼が喜んでいる楽しかった満足だ写真はお昼のお弁当美味しかったMOA光琳茶会
池田より炭くれし春の寒さ哉蕪村池田炭とは兵庫県川西市の一庫(ひとくら)付近で作り、大阪府池田に出荷したクヌギの木炭。一庫炭ヒトクラスミ。(大辞泉より)炭は茶道具屋さんに頼むのだが炉の丸毬打マルギッチョの炭が無いらしい丸毬打マルギッチョだけが欲しいので単品を頼んだ来るにはきたが割毬打ワリギッチョだった丸毬打マルギッチョは箱の組炭に先にセットするから単品にはまわらないとのこと仕方なく組炭を三箱買った丸毬打はすぐ無くなってしまう心配なのでまた頼んだ春の寒さ哉
猫やなぎ薄紫に光りつつ暮れゆく人はしづかにあゆむ白秋今日は木曜稽古椿がたくさん咲いていたので今日は小習の花所望亭主花台に花を乗せ床前勝手付に置く茶道口に戻り所望する客は花入を拝見花を見積もり入れる花を整え自席へ戻る亭主お礼を言い床前客お水を亭主水を入れて花台を下げる花を入れた客以外は床前へ進み花を拝見する茶事が終わり退出の時花を入れた客は花入から花を抜き切り口を懐紙で包み床の下座に置いておくしづかにあゆむ
ちはやぶる伊豆のお山の玉椿八百万代ヤオヨロズヨモも色はかはらじ金槐和歌集キンカイワカシュウ源実朝今日は如月村雨庵の水曜稽古九時頃お菓子屋さんが届けにきた今日の菓子は雪割草と桜餅今日は庭の椿が満開だ胡蝶侘助コチョウワビスケ紺侘助コンワビスケあけぼの明石潟アカシガタ赤角倉アカスミノクラ金魚葉白椿キンギョバシロツバキ香り姫カオリヒメそれと加茂本阿弥カモホンナミどれも咲いている裏の方に茶毒蛾にやられて今年は咲かなかった糊ノリこぼし白羽衣シロハゴロモ白侘助シロワビスケもう花はお終いの本白玉ホンシラタマ太神楽ダイカグラ3月4月のこれからの花がない春咲き椿が欲しい「古事記」では”都婆岐(つばき)”、「日本書記」には”海石榴(つばき)”の字で登場する。”椿”の字は「万葉集」で初めて登場する。「椿油」は、頭...伊豆のお山の玉椿
百人一首歌番号五奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき猿丸大夫猿丸大夫サルマルダユウ三十六歌仙のひとり生没年不明天武天皇の子弓削皇子とする説や道鏡説、また民間伝承では二荒山神社の神職小野氏の祖である「小野猿丸」とする説など諸説ある。哲学者の梅原猛は、著書『水底の歌-柿本人麻呂論』で柿本人麻呂と猿丸大夫は同一人物であるとの仮説を示しているが、これにも有力な根拠は無い。とのこと(ウイキペディアより抜粋)実際にいた人物かどうか不明謎の人だ明日は二月の稽古日大炉と逆勝手またこの時に八炉の稽古もする大炉の点前が一通りが済んだら次四畳半逆勝手濃茶薄茶と初炭後炭それが済んだら台目も逆勝手向切とそれの逆勝手隅炉とそれの逆勝手それほど難しくないから一度すれば良いとしよう奥山に
百人一首歌番号四田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ山部赤人ヤマベノアカヒト【山部赤人】ヤマベノアカヒト奈良前期の歌人。三十六歌仙の一人。万葉集に長歌・短歌50首を残す。史書に名が見えず、下級官吏であったと思われる。自然美を詠じた作に秀歌が多い。後世、柿本人麻呂とともに歌聖と称された。生没年未詳。(デジタル大辞泉より)テレビは毎日のように新型コロナウイルスの話題がのぼる何となく怖い用もないのにうろちょろしないことにした土曜日から今日で三日間一歩も外へ出掛けず静かにテレビを観たり昼寝をしたり確定申告の用意をしていた確定申告は会計事務所さんにお願いするのだがそれまでの用意も結構大変だ昨年は手術をして入院した病院にもよく出掛けたその領収書と交通費会計事務所に届けるようにちゃんと一年まとめる書類...雪は降りつつ
百人一首歌番号③あしびきの山鳥ヤマドリの尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む柿本人麿『拾遺集シュウイシュウより』拾遺和歌集とはシュウイワカシュウ「三代集サンダイシュウ」の一つ古今和歌集コキンワカシュウ・後撰和歌集ゴセンワカシュウ・拾遺和歌集シュウイワカシュウ第三番目の勅撰和歌集チョクセンワカシュウである二つの勅撰集と違い、和歌所ワカドコロが置かれなかったという前にF先生から拾遺抄シュウイショウと拾遺集シュウイシュウのお話しを伺った事があった二つの勅撰集に漏れた秀歌を拾い集めるという意味の「拾遺シュウイ」藤原公任フジワラキントウの私撰和歌集シセンワカシュウ『拾遺抄シュウイショウ』は名前が似ているが別物今日は雨写真は金曜夜の日比谷だあしびきの
ものの葉のまだものめかぬ余寒かな千代女ずっと家にいた外は暖かいとも言うがわが家の中は寒いこのところ毎日用事があり家の中がごちゃごちゃだ今年から和歌を勉強しようと軽く決めた取りあえず小倉百人一首歌番号②持統天皇春すぎて夏来キにけらし白妙シロタエの衣ほすてふ天アマの香具山カグヤマ有名まだものめかぬ
今日は宝塚宙組ソラグミ想望庵様と観劇へ十八歳の時初めて宝塚を観たそれから暫く二十代は大好きで出待ちもした久しぶりの宝塚出演者が誰かなどわからずとも宝塚は華やかで次々と場面が変わり衣装が変わる主役はいつでもキザでスマートかっこ良い宝塚は永遠だ帰りは日比谷シャンテで食事あらかじめ予約してあったのだが宝塚の時間を勘違い13:30開場を11:30だと勘違い午後3時に予約を入れてあった観劇の終了時間は4時半その時間では行けない無理だと気が付いたのは今日の午前中当日のキャンセル料は八割焦ったお店に連絡してランチを五時半からのディナーに変更観劇が終わった四時半から五時半近くの空き時間は帝国ホテルで時間つぶしその時間も良い帝国ホテル宝塚日比谷界隈良いねまた来よう宝塚歌劇観劇
其ソのにほひ桃より白し水仙花松尾芭蕉今日は木曜稽古朝のうちは雨が降っていたようだが雨は上がり寒くない今日も大炉と逆勝手届いたお菓子は銘が水仙というものと鶯餅水仙の別名は雪中花セッチュウカ彼岸花科だ原産は地中海沿岸平安末期に中国から渡来。・漢名の「水仙」を音読みして「すいせん」になった。漢名は「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という中国の古典から。きれいな花の姿と芳香がまるで「仙人」のようなところから命名された。と「季節の花300」に書いてある写真は某所で撮ったものピンクの椿だが人が手を上げているみたいに見える何となく愉快な花だ桃より白し
今日は村雨庵水曜稽古毎年一月か二月頃にいつもかける筆者は一条内基イチジョウウチモト戦国時代後期から江戸時代初期にかけての公卿。関白・一条房通の次男。官位は従一位・関白、左大臣。一条家13代当主。号は自浄心院・翫月ガンゲツなど。一字名は杏。本能寺の変が起きた時の関白でもある。(ウイキペディアヨリ)新古今集の歌切れ二月雪落衣二月雪落衣コロモニオツといふことをよみ侍ハベリける康資王母ヤススケオウノハハむめちらす風もこえてやふきつらんかほれる雪のそてにみたるゝ題しらす西行法師とめこかしむめさかりなるわかやとをうときも人はおりにこそよれとめこかし=尋ねてきてね百首哥たてまつりしに春哥ハルウタ式子内親王なかめつるけふはむかしになりぬとものきはのむめはわれをわするな土御門ツキミカド内大臣の家に梅香留袖ウメノカソ...とめこかし
今日は祭日村雨庵茶の稽古掛け物は且座喫茶シャザキッサ「まあ一杯おあがり、現實ありのままの一句」『禅林句集』柴山全慶編花は金魚葉白椿と雪柳の芽吹きを入れた香合は型物香合番付染付周茂叔シュウモシュクの写し狩野正信筆周茂叔愛蓮図シュウモシュクアイレンノズは国宝梅は林和靖リンナセイ蓮は周茂叔シュウモシュクだ周茂叔シュウモシュクとは北宋の儒学者周敦頤シュウトンイの字アザナだ中国では名として姓セイ(氏)諱イミナ(名)字アザナがあり男子は二十歳で冠を着け字アザナを持った女子は十五歳でかんざしを着け字アザナを持ったと『礼記ライキ』あり成人した呼び名としては原則として字アザナが用いられたというようなことがウイキペディアに書いてあった梅は林和靖リンナセイ菊は陶淵明トウエンメイ蓮は周茂叔シュウモシュク蘭は黄山谷コウサ...梅は林和靖リンナセイ蓮は?
古筆の名称の由来(ウイキペディアより)所蔵地の名によるもの『高野切』、『本能寺切』、『寸松庵色紙』、『石山切』、『亀山切』、『岡寺切』など所蔵者の名によるもの『本阿弥切』、『関戸本古今集』、『久海切』、『民部切』、『了佐切』、『荒木切』、『大江切』、『御家切』、『右衛門切』、『中山切』、『今城切』、『角倉切』、『日野切』、『近衛殿切』、『二条切』、『龍山切』、『四条殿切』など料紙の特色によるもの『継色紙』、『升色紙』、『藍紙本万葉集』、『綾地歌切』、『筋切』、『通切』、『大色紙』、『小色紙』、『糟色紙』、『葦手歌切』、『鶉切』、『鯉切』など分割した土地にちなむもの『鵜飼切』など『針切』、『紙捻切』など書写の年代によるもの『元暦本万葉集』、『天徳歌合』など料紙の特色によるもの切断した年代によるもの『昭和切』、...古筆の名称
川添ひの片頬つめたき二月かな虚子今日は寒かったサカチさんちで食事会おなかがすいて待ってられず写真は上手くとれなかったごちゃごちゃ酷い今日の寒さに牡蠣のみぞれ椀がぴったり風呂吹き大根鶏の照り焼きご馳走様でした2月如月キサラギというまだ寒さが残り衣キヌを更に着る月で「衣更着キサラギ」陽気が更に来る月で「気更来キサラギ」明日は2月10日(月)記念日をネットで見たところニットの日ふきのとうの日ふとんの日観劇の日封筒の日福寿の日コッペパンの日明日はコッペパンを食べようかな片頬つめたき
西行わりなしやこほるかけひの水ゆゑに思ひ捨ててし春の待たるるわりなしや=道理に合わないついこの前までは暖かい冬だったがこのところは寒くて外へ出掛けたくないあまりに寒いと勝手なもので春が早く来るように思わず願ってしまうことわざの「二月は逃げて走る」あっという間過ぎてしまうというこの頃だ因みに一月は行イぬる二月は逃げる三月は去る四月は死ぬほど長い「二月は逃げて走る」
何ゆゑに長みじかある氷柱ツララぞや鬼貫オニツラ上島鬼貫ウエジマオニツラ1661-1738江戸中期の俳諧師武士として出仕していた時代は藤原宗邇フジワラムネチカと名乗った晩年は平泉惣右衛門ヒライズミソウエモンと名乗る別号に点也・仏兄サトエ・即翁・槿花翁キンカオウ・自休庵・馬楽堂つららの映像をテレビで見たが実際につららを見たのはいつだろう覚えていないつららの形の花入がどこかにあるはずだと急に思った有る場所はわからない予定では今日明日と確定申告の用意をするつもりだったが今日は何もせず怠けて寝ていたが新聞を取りに出たところ庭の垣根がピカピカと新しい昨年の台風で木戸が傾き蹲ツクバいの垣根が壊れた大工さんに頼んであったやっと直す順番になり来てくれた以前の垣根は竹を組んだものだったが壊れやすいので今回は人工の物にした明...氷柱ツララ
外は雪内は煤ススふる栖スミカかな一茶今日は寒い北国では雪不足が一日でほぼ例年並になったとかお昼はお謡二時頃戻り午後からは村雨庵の木曜稽古お謡の稽古場に早めに着いた先輩が仕舞の稽古をしている先生と並んで舞う様子をしばし拝見仕舞の足の運びは無駄がなく美しい裏千家の足の運びは本勝手逆勝手何れも客付の足で入り客付の足で出る半畳を二歩三歩目で敷あわせを越える一畳を四歩五歩目で敷あわせを越える京間も関東間も同じ写真は原宿駅に今作りつつある新ホーム原宿駅は現在改装中ホームはひとつで山手線の内回り外回りのみいつもは観光客でごった返していたが今日はとてもすいていた新型コロナのせいだろう外は雪内は
今日から二月のお稽古だ大炉と逆勝手の点前一年ぶりのお稽古炭斗を炉の左側に置くときのみ炭斗の組み方を左右逆に組む右側に置くのはいつもと同じ炉中に炭を入れる時はいつも通り炭手前では羽根で炉縁を掃く初掃き10回中掃き6回後掃き6回炭のつぎ方は初炭は初炭後炭は後炭のやり方でいつでも同じだただし雪輪瓦の隅の角には初炭は湿し灰に灰匙後炭は中立の時に輪胴丸割丸管割管の順にて道具炭を置いておくのだ写真は銀座風月堂お菓子もお茶も美味しかった二月は大炉
-----OriginalMessage-----鶯の逢ふて帰るや冬の梅蕪村今年は立春暖かいでも明日から寒くなるようなことを天気予報で聞いた今日は紫兎先生のお稽古ナガタン姫が一人では行けないとメールがあり待ち合わせてご一緒に行ったお点前は貴人清次の濃茶と薄茶それと台天目先生の床の間には美しい源氏絵が掛けられていた場面を見ただけで源氏物語のどの帖かわかるのもあるがこれはわからない勉強が足りないということだろう頑張ろうなにごともFw:冬の梅
鶯の逢ふて帰るや冬の梅蕪村今年は立春暖かいでも明日から寒くなるようなことを天気予報で聞いた今日は紫兎先生のお稽古ナガタン姫が一人では行けないとメールがあり待ち合わせてご一緒に行ったお点前は貴人清次の濃茶と薄茶それと台天目先生の床の間には美しい源氏絵が掛けられていた場面を見ただけで源氏物語のどの帖かわかるのもあるがこれはわからない勉強が足りないということだろう頑張ろうなにごとも冬の梅
今日は文の会だが銀座に懐石料理を食べに出掛けたお勉強もしたいけれど美味しいお食事も宜し始めに三種梅の皿に琵琶湖の鮎の稚魚の氷魚ヒウオと芹セリ麦わらの蓋物には海老芋エビイモとインゲンの煮物灰釉には蛤ハマグリと青菜は地方の菜花みたいなものの浸し蓋物に鰤大根ブリダイコン次は鮒フナの和え物だとおもうが違ったかも八寸壺々には浸し豆ツブ貝蕗の薹車エビ魚の南蛮漬自家製のからすみ煮物椀は甘鯛真薯アマダイシンジヨお造り鱈の粕汁など焼き物は鰆サワラもうおなかいっぱいだがご飯別腹に甘味外に出るがまたも甘味風月堂へ銀座へ懐石料理そのあと風月堂
今日は横浜の三渓園のお茶会へ茶室へ向かう右手の池に川鵜カワウだろうか大きめな鳥がじっと杭に留まってる置物かと思ったとみんなでワイワイ自然を観賞少し寒めだが晴れ日向ヒナタは暖かく青い空が綺麗だ六名での参加だが庭を歩くときは大きな声を出しても咎トガめられないまったりのんびりと行こう大寄せ茶会はだいたい席入りまで並んで待たねばならないがその時間も案外楽しいものだ梅が膨らみ始め窓越しにそれを見る窓ガラスにクラクラと筋があり歪ユガんでいるのは古い手作りの板硝子イタガラスだから技術の向上でももはや現在は出来ず貴重だ偶然だが会いたかった知り合いに会えたり席入りを待っている間にお客様の和服姿の観賞も出来る薄茶席が四席流派も色々裏千家が二席表千家と武者小路千家早めに行ったので四席全てに入りお菓子を四つ食べたでも甘いものばか...横浜三渓園の茶会と観梅
たんぽぽのわすれ花あり路の霜蕪村明治時代に外来種の西洋タンポポが入ってきたが在来種の日本タンポポは鼓草ツヅミグサとも蕪村の俳句にもこうして登場英語ではダンデライオン漢字では蒲公英タンポポ今日は大炉を開く予定本勝手の炉を塞ぐ後炭所望に使った焙烙ホウロクを終う炉の大きさは昔は色々あり決まっておらず利休の頃より一尺四寸となり大炉は宗旦が一尺八寸四方と定めたと言われる大炉は玄々斎が1849嘉永二年に知恩院門跡尊超法親王(華頂宮)を迎えて献茶の折茶室咄々斎の暖のために隣の六畳間に大炉を切られ、薄茶もここで行われたとネットにあった以前先生からこの六畳を待合にし暖房の為大炉にしたのだと聞いた「大炉は一尺八寸四方四畳半左切が本法なり但し、六畳の席よろし」二月に限り開き炉縁は北山杉木地丸太、炉壇は聚楽土に墨を混ぜた鼠土で...たんぽぽのわすれ花
居眠りて我にかくれん冬ごもり蕪村与謝蕪村ヨサブソン享保元年(1716)~天明3年(1784)江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、谷。号は「蕪村」名は信章。通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩『帰去来辞』に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」「夜半亭(二世)」画号は「春星」「謝寅など複数ある今日はお謡の稽古日だったが朝から新型肺炎のニュースばかり電車に乗って原宿行くと色々人にすれ違うちょっと咳も出る体がだるい練習もちょっとしかしてないお休みします連絡を先生にラインでした一日何をしようか外へ出る元気はないビデオを見て長襦袢に半衿を付けた写真は従姉から貰ったのし袋入れ冬ごもり
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今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
春雨や蓬をのばす艸の道芭蕉今日は小熊の会春の雨が降っている何でも名前をつけるのが好きらしく村雨庵の七事式の会のことお宿のクマショウさんクマアッコさんの姉妹が実に良いのだお二人とは二十数年前にお香の教室でご一緒してからのご縁明るく素直で気持ちの良い人物二人とも八十路だが背が高く体格も良く年齢にしては頗る元気だいつものお稽古は時間に二名ずつだが七事式は最低五名なのでビジターも入れると大勢になりとても賑やかで楽しい古筆切の「愛知切」は平安時代の写経の名筆伝承筆者は小野道風丁子吹きに金砂子金泥の界道風が現在の愛知県春日井市に生まれたとの説による覚えられると良いが春雨や
曽根好忠山姫の染めてはさぼす衣かと見るまでにほふ岩つつじかな今日は茶事の水屋御弟子様のサカチカさんの茶事だまだ炉の季節だが風炉でのおもてなしにしたそうな風炉だと挨拶のあとすぐにお膳を出さないとならず忙しい汲み出しをお出しする頃ご飯に火をつけたお客様の席入挨拶が始まるガスコンロに掛けたご飯の蓋をそっとあけるとグツグツしてまだ水がたくさんある飯椀に一口盛るご飯に芯が残りまだちゃんと炊けてない状態汁椀は温めて青紅葉麩の種カラシをのせて準備完了蓋をして待っているがなかなかお話しが終わらない茶道口近くにより早めにお願いしますと手をぐるぐる回すでないとご飯が冷める味噌汁の種は暖めてあるので熱々の味噌汁を張るだけだようやく挨拶が済んだあとは集中集中常のように懐石を終えて初炭菓子で中立後座は濃茶後炭薄茶となってお開きスイ...岩つつじかな
藤原忠通うのはなのさかぬかきねはなけれどもなにながれたる玉川の里今日は昨日に続いて木曜稽古掛物は桜も藤も終わって卯の花の和歌の美麗な短冊和歌の意味は卯の花の咲いていない垣根はないが、やはり名高く聞こえたこの玉川の卯の花の里はいいものだ玉川は「美しく清らかな川」六玉川と言われている六つの玉川があるこの和歌もその一つ大阪摂津の玉川は→卯の花の名所。京都、井手の玉川は→山吹。志賀、野路の玉川は→萩。東京、調布の玉川は→川にさらす布。和歌山、高野の玉川は→旅人、氷。宮城、野田の玉川は→千鳥。この和歌を詠んだのは藤原忠通フジワラノタダミチ[1097~1164]平安後期の公卿忠実の長男別称、法性寺殿ホッショウジドノ摂政・関白父および弟頼長と対立し、保元の乱の原因となった書にすぐれ法性寺流の開祖漢詩集「法性寺関...卯の花の咲かぬ垣根
紀貫之人もなきやどに匂へる藤の花風にのみこそ乱るべらなれ今日は文の会いつものイタリアンで待合せおつまみにグラスワインパスタを二種類満足だ家に戻れば珈琲を飲んで一休みちっとお喋りのあとお持たせのロールケーキをカットし紅茶を沸かすあまおうが入っているが生クリームもカステラも甘くない甘くないにも程があるだろう淡白過ぎて勿体ないなんて食べてばかり伊勢物語を少しだけ音読声がかすれて出ない結局食べてばかりだった写真は都内の公園の藤棚友人の板子さんが撮ったきっと藤の花の香りもしたであろう藤の花の香りには、筋肉の緊張を和らげ疲れを癒し痛みを和らげ頭をスッキリさせる作用があるそうだ人もなき宿に匂へる藤の花
与謝野晶子春はただ盃にこそ注ぐべけれ智慧あり顔の木蓮の花昨日は木曜稽古椿はほぼ終了代わりに庭の野草が芽をだし始めた葉を広げ蕾を抱く芍薬その足元に小さな地エビネ紫蘭それにシャガ(射干)別名は胡蝶花あとフタリシズカ鳴子百合宝鐸草窓の外には黄エビネ見上げると木蓮も蕾がある木戸のもみじは葉柄を長々と伸ばし始めいま丁度花を咲かせてる一部はプロペラの種を持っているこのところは庭に降りるのが楽しみだ写真はイノさんが送ってくれた某有名庭園の藤見事智慧あり顔の木蓮の花
海棠の花のうつつや朧月其角今日は水曜稽古雨が降ったり止んだり暑かったり寒かったり春の気候は疲れるね稽古の花をまずは切り取りしばし流し水にしておくとよく水が上がる鳴子百合が可愛らしい炭手前は自在に手取釜もうひとつの炉は裏鏊釜ウラゴウガマの透木の扱い炭手前は初炭手前後炭手前に盆香合初炭所望後炭所望などそれに大炉吊り釜透木釜茶飯釜など色々炭手前は楽しい朧月
藤原定家春のおる花のにしきのたてぬきにみだれてあそぶ空のいとゆふいとゆふとは①春の晴れた日に、蜘蛛の子が糸に乗じて空を浮遊する現象。蜘蛛の糸が光を受けて流れ乱れるさまは、薄い絹織物にたとえられる。また、蜘蛛の糸が光の加減で見えたり見えなかったりするところから、あるかなきかのものにもたとえられる。遊糸(ゆうし)。《季・春》②春あるいは夏の晴れた日に、地面から立ちのぼる気。陽炎(かげろう)。③「いとゆうむすび(糸遊結)」の略。(コトバンクより)写真はうちの猫ミーちゃん写真を撮られるのが嫌い寝てるかと思ったら薄目あいてる空のいとゆふ
大伴四綱ヨツナ藤浪の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君大伴四綱オオトモノヨツナ奈良時代の官吏。天平(729-749)初年のころに大宰府防人司佑(さきもりのつかさのじょう)をつとめた。17年雅楽助(ががくのすけ)となり,正六位上をさずかった。「万葉集」に歌5首がおさめられている。名は四縄ともかく。今日は東京美術倶楽部の「和美の会」4月の今日13日と14日にひらかれる全国の有名茶道具商が集まっての展示即売会拝見するだけでとても勉強になるのだお道具屋さんがカタログを送ってくれたけど何も買わないのでいや買えないので手土産にお菓子を持っていった三階のお店の場所を確認し早足で行くがそのブースの椅子に年配の男性が座ってる確かに見たことある人だ「駄菓子ですが」と手渡したところが一軒店を間違えていた目指すは隣の店だっ...藤浪の
大伴家持うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば今日は木曜稽古蛭釘に自在を吊り手取釜を掛けるもう一つの炉には裏鏊釜(うらごうがま)で透木の扱いのお稽古炉の茶の湯もあとわずか裏鏊釜ウラゴウガマは天命作の鏊ヤキナベの底が見事であるところから考案されたと。鏊ヤキナベをさかさまにし、底に穴をあけ釜の口とし、これに別に作った底を後から取付け釜に仕立てたもの。とか宗旦好みは、釜の胴と底の部分に段があり、裏に左右に二つづつ計四つの賽の目の鐶付が付き、そこに鉄の舌のような形をした端立を差し込んで透木に掛けて使用。今使ってるこの裏鏊釜ウラゴウガマは黒豆さんから頂いたもの上記と同じようなのでどうやら宗旦好みらしい写真は我が家の紅葉先週からの雨で物凄いスピードで成長してる葉が伸びてきたなと思ったら紅...うらうらに照れる春日
源具親ミナモトノトモチカ難波潟かすまぬ波も霞みけりうつるもくもる朧月夜に源具親ミナモトノトモチカは鎌倉時代初期の公家・歌人。村上源氏俊房流、右京権大夫・源師光の次男。官位は従四位下・左近衛少将。小野宮少将と号す。新三十六歌仙の1人。今日は水曜稽古和歌色紙を掛ける筆者は中園季定ナカゾノノスエサダ1627-1686公卿。中園家の祖。高倉嗣良の末子。小倉実起の弟。従二位参議。貞享3年(1686)歿、60才。朧月夜に
潅仏や蔦の若葉もあゆみそめ千代女灌仏カンブツとは1仏像に香水(こうずい)を注ぎかけること。また、その仏像。浴仏。2「灌仏会(かんぶつえ)」の略。今日は灌仏会、花まつり月に一度、古筆の勉強会伊予切。大正13年に分割されるまで伊予松平家に伝わった為。『和漢朗詠集』を書写した粘葉装冊子本。伝称筆者を藤原行成(972〜1027)とするが、「高野切」第三種表に藍と紫の飛雲を漉き込み、表裏に雲母砂子を撒いた白鳥の子の料紙上下二帖の筆跡は三種に分かれて①伊予切の第一種上巻の前半(高野切第三の古筆と同筆)②伊予切の第二種「秋夜」の後半以降と下巻のはじめ十二頁まで③伊予切の第三種その他は後世の補写か難しいね写真は今日のランチ蔦の若葉もあゆみそめ
土岐二三火宅ともしらで火宅にふくめしは直に自在の鑵子なりけり土肥二三どひ・じさん生年:寛永16(1639)没年:享保17.1.6(1732.2.1)江戸前期の茶人。土岐二三とも。名は豊隆,通称孫兵衛。生没年には異説もある。三河吉田の牧野成貞に仕え,物頭役200石。茶,琵琶,香にすぐれ,伽羅の名香や銘「杜鵑」の琵琶を所持した。茶の湯は織田貞置に有楽流を学ぶ。元禄3(1690)年致仕して京都岡崎に隠棲。自在軒と号。近衛家煕,鷹司輔信らと交流,数寄者として知られた。(朝日日本歴史人物事典)今日は土曜日着物を着て銀座谷庄の茶会へそのあとは綱島のふくもとで食事会平和で満点の一日写真はお花見のような口取り火宅ともしらで
写真は加藤義清春花の乱れ心に似ぬものや梢ににほふ春の夜の月加藤義清カトウヨシキヨ元治元年(1864)~昭和16年(1941)享年78歳歌人・御歌所寄人。名古屋生。号は蕉陰・鏡迺舎。菊間平八郎の五男、加藤安彦孫娘婿。従五位・勲五等に叙せられる。著書に『火筒のひびき』『渡るに安き安城の』等がある。以前にアップしたものコピーしたもの昨日は木曜稽古今日は半年に一度のガンの検査異常は無しです手術してから十年経ちましたね今までのように検査は半年でなくてもという先生いえいえ私目心配性なので今後もお願いいたしますはいではそうしましょう春の夜の月
江戸人は上野をさして春の山子規今日は月に一度の小熊の花月廻り炭と濃茶付花月午前と午後の斑それぞれ一回ずつ《廻り炭之式》無学宗衍ムガクソウエン江戸後期の臨済宗の僧。大徳寺三百七十八世。無学は字、宗衍は諱、把不住軒と号する。玉林院の龍門宗禹の法を嗣ぎ、のち明和4年大徳寺に出世。後桜町天皇より至聖大妙禅師の勅号を賜る。寛政3年(1791)寂、71才。その無学の廻り炭の偈頌ゲジュは端的底看聻タンテキテイニミヨニイ炭をつぐことの極意どうやって炭を置けば最も火がおこりやすく無駄がないか湯の沸く時間みかたや置き方を修練する一人一人の炭のつぎ方を拝見してその風情や変化を学ぶもの無理なはさみかたをして炉壇を傷つけたり次の人が炭をあげるのに困るような置き方をしては極意とは言えない炉の時のみの廻り炭思ったより時間がかから...江戸人は上野をさして
春水や四条五条の橋の下蕪村今日は読売カルチャー高山右近タカヤマウコン安土桃山時代の武将。キリシタン大名。名は長房、重友、友祥(ともなが)。右近は呼び名。洗礼名ジュスト。織田信長、豊臣秀吉の臣として戦功があり、高槻・明石に封じられた。禁教後マニラに追放され客死。茶人としてもすぐれ、利休門下七哲の一人。天文二一~元和元年(1552~1615)キリシタン大名とは室町から江戸にかけ、当時のカトリックの教徒となった大名。九州の大友宗麟、大村純忠、有馬晴信、近畿の高山右近、小西行長等がいる利休七哲と前田利長(加賀の肥前)、蒲生氏郷、細川忠興(三斎)、古田織部、牧村兵部、高山南坊(右近)、芝山監物の七人これは千宗旦(利休の孫)が話したもの。その後、七人のうち前田利長を外し、瀬田掃部に入替えられている。写真の椿は羽衣四条五条の橋の下
大江千里照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき照り渡るというのでもなく、完全に曇ってしまうというのでもない春の夜の、ほのかなおぼろ月夜の風情に及ぶものはない。今日は五島美術館お友達の茶会だ濃茶に薄茶点心は三友居三月晦日晴天心地よい風が茶室に入ってくるお茶会日和だ五島美術館の建物は、吉田五十八ヨシダイソヤ1894-1974の設計寝殿造の意匠を随所に取り入れた建物だ古経楼にて濃茶薄茶富士見亭で点心若返り饅頭のお土産を頂戴したこの2つの茶室は本館と共に国の登録有形文化財(建造物)になった写真は五島美術館茶室の横あたり朧月夜にしくものぞなき
鷺烏雀の水もぬるみけり一茶さぎカラスすずめの水も…大自然の水辺の風景今日は一気に春めいてきた庭の椿も満開写真はおともだちから玄関ドアに掛けてありますとメールのあった銀閣寺のお菓子水もぬるみけり
斎藤茂吉鳴り傳ふ春いかづちの音さへや心燃えたたむおとにあらずも今日は食事会いつもの綱島ふくもと出かけるときは暴風雨途中からバスに乗り込んで来た森金さんはすっかり濡れ鼠傘をさしても濡れたらしいお花見の食事会今日は六名食事お酒ともに美味しい最年長88歳を筆頭に83歳80歳のお顔ぶれ一番若手は48歳皆明るく賑やかにほろ酔いの中でお開きした空は晴れ午前中とは大違い写真は焼き筍と桜鱒の木の芽味噌蕗の薹の天ぷらとはじかみはじかみとは金時生姜の一種を茎や根が柔らかくなるよう温室で軟化栽培したもの。見た目が矢にそっくりなので「矢生姜」とも。焼き魚に添えられ紅白の彩りと口直しピリッとした辛さと甘酸っぱさが魚の臭みを消してくれて、脂っぽくなった舌をさっぱりさせる。春いかづちの音さへや
九条良経葛城の峰の白雲かをるなり高間の山の花盛りかも九条良経クジョウヨシツネ平安末期から鎌倉初期の公卿・歌人関白・九条兼実の次男官位は従一位・摂政、太政大臣九条家2代当主後京極殿と号した通称は後京極摂政ゴキョウゴクセッショウ中御門摂政ナカミカドセッショウ昨日は水曜稽古だったが疲れてしまい早い時間に寝てしまった今日は木曜稽古朝はまだ寒し雨が降ってる暑さ寒さも彼岸までとは言うがまだ寒い峰の白雲
春寒や道ほそぼそと阿弥陀堂青畝青畝今日は天気が悪いお弟子様達は根津美術館での茶会へ朝から雨だ着物で出かけるのは大変だろう根津美術館の茶室は庭に点在している飛び石や石の階段草履での異動は足元が不安定私のような足弱は危険でもある転んで怪我でもしたら大変元気なときに行くべきだろう昨日の夜のことスマホに充電をしようと口金をセットすると画面に緊急メッセージ水気があるからダメですダメです乾いてからにしてくださいというようなのが出たそういえばスマホに珈琲を掛けてしまったよく拭いたつもりだが取りきれてなかったのだろう自然乾燥とのことでしばし触れない壊れてしまうかも電池もゼロだしもうこのスマホを使えないかも調べたいこともあったし友人に連絡も取りたかった寝るときの睡眠導入のユーチューブは見れないから寝付きが悪かったストレスで...春寒や道ほそぼそと
ゆき暮て雨もる宿やいとざくら蕪村外は小雨今日はお茶碗研究会唐津茶碗のお勉強唐津は種類が多い無地唐津黒唐津斑唐津彫唐津瀬戸唐津三島唐津献上唐津奥高麗茶人の好む茶碗に一楽二萩三唐津と言うまた一井戸二萩三唐津とも言う彫唐津は織部好み岸岳飯洞甕下窯キシダケハンドウガメシタカマ口辺は不規則な五角形高台低く二重高台のもあるとのこと長く勉強していたのに記憶してなかった焼物の勉強もお茶と同じで卒業がない写真はこぶし姫こぶしかも小雨のなか花が咲いているゆき暮て雨もる宿や