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村雨庵 茶の湯日記 https://blog.goo.ne.jp/tukiduki

日々是茶の湯

ざーっと降ってカラッと上がる通り雨が村雨 まあ 暫し雨宿りにお寄りあれ

その他趣味ブログ / 茶の湯・茶道

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村雨庵
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2009/04/21

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  • 袖はぬるとも

    春雨のふる野の道のつぼすみれ摘みてをゆかむ袖はぬるとも藤原定家フジワラサダイエ別名は京極殿、京極中納言氏族は藤原北家御子左ミコヒダリ流父は藤原俊成だが母は五条局ゴジョウノツボネ平安後期から鎌倉初期の女房・歌人。美福門院加賀ビフクモンインカガとも呼ばれる今日は古志ちゃんと散歩いつもは右だが今日は左へ行こう違う道を歩くのも面白いものだ知らぬ間にひと駅歩きお菓子と雛あられを買い珈琲店でひと休みお腹空いてたせいかパンと珈琲思いのほか美味し袖はぬるとも

  • 春ともしるく

    大伴家持オオトモノヤカモチうち靡ナビく春ともしるくうぐひすは植木の木間コマを鳴きわたらなむ「春ともしるく」の「しるく」は著シルくと書く著しいと言う意味ではっきりしてることはっきりくっきり春が来た鶯が木の間を鳴き渡っているのを見ると待ち望んだ春がいよいよやって来たのだ間違いないねと自分は解釈二月のお稽古も今日が最終今日は村雨庵木曜稽古濃茶はいつも三名分を練る稽古をしているが昨日からは各服点カクフクダテお一人様ずつの濃茶を練る稽古にした会得するまで案外難しいはず二月は大炉に逆勝手や八炉の稽古頭を使う点前ばかりだ写真は押し絵の猫とねずみ十二年前に頂いたネズミ年の押し絵だ春ともしるく

  • 2020-02-26 23:53:35

    今日は二月最後の週水曜稽古掛け物は慈円の和歌だ大僧正慈鎮ダイソウジョウジチン春の心のどけしとても何かせむ絶えて桜のなき世なりせば慈円とはジエン1155~1225平安末期から鎌倉初期の天台宗の僧。歴史書『愚管抄』を記した。諡号シゴウは慈鎮和尚ジチンカショウ、通称に吉水僧正ヨシナガソウジョウ、また『小倉百人一首』では前大僧正慈円サキノダイソウジョウジエン。父は摂政関白・藤原忠通、母は藤原仲光女加賀局、摂政関白・九条兼実は同母兄にあたる。《ウィキペディアより》「…絶えて桜のなき…」とよんでいくと英語の先生のソノさんが業平の和歌の本歌取りですねと教えてくれた古今和歌集の在原業平の和歌伊勢物語の第82段にも登場する有名な和歌だ伊勢物語を文の会の音読会で二周も勉強したのに殆ど頭に残っていないトホホ有名...2020-02-2623:53:35

  • 小倉百人一首歌番号六

    小倉百人一首歌番号六かささぎの渡せる橋におく霜の白きをみれば夜ぞふけにける中納言家持中納言家持チュウナゴンヤカモチ大伴家持オオトモノヤカモチ718?~785大伴旅人の子。奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。万葉集の編者とされ、収録数は最多。越中守をはじめ地方・中央の官職を歴任。七夕の夜になるとかささぎは翼を広げて何羽も連なり天の川に橋をかけて、織女を牽牛のもとへ渡すとされたそのかささぎがつくるという橋その橋ハシと同じく階ハシがある宮中の階キザハシに一面白く霜の降りている空気はキリキリと冷えてきた夜も更けていくほどにあまたの星は輝きを増していくなんと綺麗な空だろう清浄の空だ小倉百人一首歌番号六

  • 龍も出そうな

    赤椀に龍も出そうなそば湯かな一茶今日はお茶碗研究会だったが新型コロナウイルスのニュースを聞くにあまり出掛けない方が良いからと研究会は二ヶ月おやすみ予定が無くなったのでサカチカさんと食事会銀座七丁目の蕎麦懐石を予約その前に近くなので草履のぜん屋へ行った履いている草履は前に茶会で間違えられた草履元々の私のとは違うからかその草履を見るたびになんかピンとこないその鼻緒を今日は自分好みのと変えた鼻緒をすげかえるには底を剥がすので一日位かかるとか草履を預けて明日取りに行くことに決めたそう決めたら振り向いてウインドの草履を買って履き替えよう二色ですっきりしている草履その間サカチカさんはお洒落な折り畳傘を買っていた取りあえず二人とも買い物して満足しつつ近くの蕎麦懐石へ前菜お造り煮物揚げ物お蕎麦デザート珈琲他の飲み物満腹だ銀座は...龍も出そうな

  • 梅の花笠

    鶯の笠にぬふてふ梅の花折りてかざさむ老かくるやと古今集源常柳の葉を片糸に撚ってウグイスが縫うという笠は、梅の花笠、という今日は3月の茶事の道具出し午後からお二人お弟子様がお手伝いまずは掛け軸寄付と本席の二幅茶入と棗茶杓に水指この位までは楽勝だったがそのあと干菓子盆に茶碗と懐石の鉢類を出す手渡しで道具の入っている紙袋を渡すとあっという間に畳いっぱいにひろがって文字通り足の踏み場も無い何だか分からない箱をあけて当日使うものを決める濃茶の茶碗をひとつ薄茶茶碗を三か四向付は未定焼物鉢預け鉢進肴の鉢香鉢どれにしたっけこれらを出すと疲労困憊空腹で動けず時間は夕方六時近く三人でいつもの中華屋へ生ビール蒸し鶏の葱油春巻き餃子酢豚お焦げ合計五千円でおつり少々久しぶりのビール美味し梅の花笠

  • MOA光琳茶会

    今日は熱海MOA美術館にて光琳茶会に参加した令和二年の光琳茶会は22日と23日の二日間披かれる花の茶屋を待合にしばし待つと寄付へ案内される寄付は光琳屋敷書院炭道具や箱などが飾られて説明を受けながら拝見隣の五畳半のお部屋でお菓子を食べ濃茶を各服点てにて頂戴した光琳屋敷の青々庵道具は素晴らしく眼が喜んでいる楽しかった満足だ写真はお昼のお弁当美味しかったMOA光琳茶会

  • 春の寒さ哉

    池田より炭くれし春の寒さ哉蕪村池田炭とは兵庫県川西市の一庫(ひとくら)付近で作り、大阪府池田に出荷したクヌギの木炭。一庫炭ヒトクラスミ。(大辞泉より)炭は茶道具屋さんに頼むのだが炉の丸毬打マルギッチョの炭が無いらしい丸毬打マルギッチョだけが欲しいので単品を頼んだ来るにはきたが割毬打ワリギッチョだった丸毬打マルギッチョは箱の組炭に先にセットするから単品にはまわらないとのこと仕方なく組炭を三箱買った丸毬打はすぐ無くなってしまう心配なのでまた頼んだ春の寒さ哉

  • しづかにあゆむ

    猫やなぎ薄紫に光りつつ暮れゆく人はしづかにあゆむ白秋今日は木曜稽古椿がたくさん咲いていたので今日は小習の花所望亭主花台に花を乗せ床前勝手付に置く茶道口に戻り所望する客は花入を拝見花を見積もり入れる花を整え自席へ戻る亭主お礼を言い床前客お水を亭主水を入れて花台を下げる花を入れた客以外は床前へ進み花を拝見する茶事が終わり退出の時花を入れた客は花入から花を抜き切り口を懐紙で包み床の下座に置いておくしづかにあゆむ

  • 伊豆のお山の玉椿

    ちはやぶる伊豆のお山の玉椿八百万代ヤオヨロズヨモも色はかはらじ金槐和歌集キンカイワカシュウ源実朝今日は如月村雨庵の水曜稽古九時頃お菓子屋さんが届けにきた今日の菓子は雪割草と桜餅今日は庭の椿が満開だ胡蝶侘助コチョウワビスケ紺侘助コンワビスケあけぼの明石潟アカシガタ赤角倉アカスミノクラ金魚葉白椿キンギョバシロツバキ香り姫カオリヒメそれと加茂本阿弥カモホンナミどれも咲いている裏の方に茶毒蛾にやられて今年は咲かなかった糊ノリこぼし白羽衣シロハゴロモ白侘助シロワビスケもう花はお終いの本白玉ホンシラタマ太神楽ダイカグラ3月4月のこれからの花がない春咲き椿が欲しい「古事記」では”都婆岐(つばき)”、「日本書記」には”海石榴(つばき)”の字で登場する。”椿”の字は「万葉集」で初めて登場する。「椿油」は、頭...伊豆のお山の玉椿

  • 奥山に

    百人一首歌番号五奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき猿丸大夫猿丸大夫サルマルダユウ三十六歌仙のひとり生没年不明天武天皇の子弓削皇子とする説や道鏡説、また民間伝承では二荒山神社の神職小野氏の祖である「小野猿丸」とする説など諸説ある。哲学者の梅原猛は、著書『水底の歌-柿本人麻呂論』で柿本人麻呂と猿丸大夫は同一人物であるとの仮説を示しているが、これにも有力な根拠は無い。とのこと(ウイキペディアより抜粋)実際にいた人物かどうか不明謎の人だ明日は二月の稽古日大炉と逆勝手またこの時に八炉の稽古もする大炉の点前が一通りが済んだら次四畳半逆勝手濃茶薄茶と初炭後炭それが済んだら台目も逆勝手向切とそれの逆勝手隅炉とそれの逆勝手それほど難しくないから一度すれば良いとしよう奥山に

  • 雪は降りつつ

    百人一首歌番号四田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ山部赤人ヤマベノアカヒト【山部赤人】ヤマベノアカヒト奈良前期の歌人。三十六歌仙の一人。万葉集に長歌・短歌50首を残す。史書に名が見えず、下級官吏であったと思われる。自然美を詠じた作に秀歌が多い。後世、柿本人麻呂とともに歌聖と称された。生没年未詳。(デジタル大辞泉より)テレビは毎日のように新型コロナウイルスの話題がのぼる何となく怖い用もないのにうろちょろしないことにした土曜日から今日で三日間一歩も外へ出掛けず静かにテレビを観たり昼寝をしたり確定申告の用意をしていた確定申告は会計事務所さんにお願いするのだがそれまでの用意も結構大変だ昨年は手術をして入院した病院にもよく出掛けたその領収書と交通費会計事務所に届けるようにちゃんと一年まとめる書類...雪は降りつつ

  • あしびきの

    百人一首歌番号③あしびきの山鳥ヤマドリの尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む柿本人麿『拾遺集シュウイシュウより』拾遺和歌集とはシュウイワカシュウ「三代集サンダイシュウ」の一つ古今和歌集コキンワカシュウ・後撰和歌集ゴセンワカシュウ・拾遺和歌集シュウイワカシュウ第三番目の勅撰和歌集チョクセンワカシュウである二つの勅撰集と違い、和歌所ワカドコロが置かれなかったという前にF先生から拾遺抄シュウイショウと拾遺集シュウイシュウのお話しを伺った事があった二つの勅撰集に漏れた秀歌を拾い集めるという意味の「拾遺シュウイ」藤原公任フジワラキントウの私撰和歌集シセンワカシュウ『拾遺抄シュウイショウ』は名前が似ているが別物今日は雨写真は金曜夜の日比谷だあしびきの

  • まだものめかぬ

    ものの葉のまだものめかぬ余寒かな千代女ずっと家にいた外は暖かいとも言うがわが家の中は寒いこのところ毎日用事があり家の中がごちゃごちゃだ今年から和歌を勉強しようと軽く決めた取りあえず小倉百人一首歌番号②持統天皇春すぎて夏来キにけらし白妙シロタエの衣ほすてふ天アマの香具山カグヤマ有名まだものめかぬ

  • 宝塚歌劇 観劇

    今日は宝塚宙組ソラグミ想望庵様と観劇へ十八歳の時初めて宝塚を観たそれから暫く二十代は大好きで出待ちもした久しぶりの宝塚出演者が誰かなどわからずとも宝塚は華やかで次々と場面が変わり衣装が変わる主役はいつでもキザでスマートかっこ良い宝塚は永遠だ帰りは日比谷シャンテで食事あらかじめ予約してあったのだが宝塚の時間を勘違い13:30開場を11:30だと勘違い午後3時に予約を入れてあった観劇の終了時間は4時半その時間では行けない無理だと気が付いたのは今日の午前中当日のキャンセル料は八割焦ったお店に連絡してランチを五時半からのディナーに変更観劇が終わった四時半から五時半近くの空き時間は帝国ホテルで時間つぶしその時間も良い帝国ホテル宝塚日比谷界隈良いねまた来よう宝塚歌劇観劇

  • 桃より白し

    其ソのにほひ桃より白し水仙花松尾芭蕉今日は木曜稽古朝のうちは雨が降っていたようだが雨は上がり寒くない今日も大炉と逆勝手届いたお菓子は銘が水仙というものと鶯餅水仙の別名は雪中花セッチュウカ彼岸花科だ原産は地中海沿岸平安末期に中国から渡来。・漢名の「水仙」を音読みして「すいせん」になった。漢名は「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という中国の古典から。きれいな花の姿と芳香がまるで「仙人」のようなところから命名された。と「季節の花300」に書いてある写真は某所で撮ったものピンクの椿だが人が手を上げているみたいに見える何となく愉快な花だ桃より白し

  • とめこかし

    今日は村雨庵水曜稽古毎年一月か二月頃にいつもかける筆者は一条内基イチジョウウチモト戦国時代後期から江戸時代初期にかけての公卿。関白・一条房通の次男。官位は従一位・関白、左大臣。一条家13代当主。号は自浄心院・翫月ガンゲツなど。一字名は杏。本能寺の変が起きた時の関白でもある。(ウイキペディアヨリ)新古今集の歌切れ二月雪落衣二月雪落衣コロモニオツといふことをよみ侍ハベリける康資王母ヤススケオウノハハむめちらす風もこえてやふきつらんかほれる雪のそてにみたるゝ題しらす西行法師とめこかしむめさかりなるわかやとをうときも人はおりにこそよれとめこかし=尋ねてきてね百首哥たてまつりしに春哥ハルウタ式子内親王なかめつるけふはむかしになりぬとものきはのむめはわれをわするな土御門ツキミカド内大臣の家に梅香留袖ウメノカソ...とめこかし

  • 梅は林和靖リンナセイ蓮は?

    今日は祭日村雨庵茶の稽古掛け物は且座喫茶シャザキッサ「まあ一杯おあがり、現實ありのままの一句」『禅林句集』柴山全慶編花は金魚葉白椿と雪柳の芽吹きを入れた香合は型物香合番付染付周茂叔シュウモシュクの写し狩野正信筆周茂叔愛蓮図シュウモシュクアイレンノズは国宝梅は林和靖リンナセイ蓮は周茂叔シュウモシュクだ周茂叔シュウモシュクとは北宋の儒学者周敦頤シュウトンイの字アザナだ中国では名として姓セイ(氏)諱イミナ(名)字アザナがあり男子は二十歳で冠を着け字アザナを持った女子は十五歳でかんざしを着け字アザナを持ったと『礼記ライキ』あり成人した呼び名としては原則として字アザナが用いられたというようなことがウイキペディアに書いてあった梅は林和靖リンナセイ菊は陶淵明トウエンメイ蓮は周茂叔シュウモシュク蘭は黄山谷コウサ...梅は林和靖リンナセイ蓮は?

  • 古筆の名称

    古筆の名称の由来(ウイキペディアより)所蔵地の名によるもの『高野切』、『本能寺切』、『寸松庵色紙』、『石山切』、『亀山切』、『岡寺切』など所蔵者の名によるもの『本阿弥切』、『関戸本古今集』、『久海切』、『民部切』、『了佐切』、『荒木切』、『大江切』、『御家切』、『右衛門切』、『中山切』、『今城切』、『角倉切』、『日野切』、『近衛殿切』、『二条切』、『龍山切』、『四条殿切』など料紙の特色によるもの『継色紙』、『升色紙』、『藍紙本万葉集』、『綾地歌切』、『筋切』、『通切』、『大色紙』、『小色紙』、『糟色紙』、『葦手歌切』、『鶉切』、『鯉切』など分割した土地にちなむもの『鵜飼切』など『針切』、『紙捻切』など書写の年代によるもの『元暦本万葉集』、『天徳歌合』など料紙の特色によるもの切断した年代によるもの『昭和切』、...古筆の名称

  • 片頬つめたき

    川添ひの片頬つめたき二月かな虚子今日は寒かったサカチさんちで食事会おなかがすいて待ってられず写真は上手くとれなかったごちゃごちゃ酷い今日の寒さに牡蠣のみぞれ椀がぴったり風呂吹き大根鶏の照り焼きご馳走様でした2月如月キサラギというまだ寒さが残り衣キヌを更に着る月で「衣更着キサラギ」陽気が更に来る月で「気更来キサラギ」明日は2月10日(月)記念日をネットで見たところニットの日ふきのとうの日ふとんの日観劇の日封筒の日福寿の日コッペパンの日明日はコッペパンを食べようかな片頬つめたき

  • 「二月は逃げて走る」

    西行わりなしやこほるかけひの水ゆゑに思ひ捨ててし春の待たるるわりなしや=道理に合わないついこの前までは暖かい冬だったがこのところは寒くて外へ出掛けたくないあまりに寒いと勝手なもので春が早く来るように思わず願ってしまうことわざの「二月は逃げて走る」あっという間過ぎてしまうというこの頃だ因みに一月は行イぬる二月は逃げる三月は去る四月は死ぬほど長い「二月は逃げて走る」

  • 氷柱ツララ

    何ゆゑに長みじかある氷柱ツララぞや鬼貫オニツラ上島鬼貫ウエジマオニツラ1661-1738江戸中期の俳諧師武士として出仕していた時代は藤原宗邇フジワラムネチカと名乗った晩年は平泉惣右衛門ヒライズミソウエモンと名乗る別号に点也・仏兄サトエ・即翁・槿花翁キンカオウ・自休庵・馬楽堂つららの映像をテレビで見たが実際につららを見たのはいつだろう覚えていないつららの形の花入がどこかにあるはずだと急に思った有る場所はわからない予定では今日明日と確定申告の用意をするつもりだったが今日は何もせず怠けて寝ていたが新聞を取りに出たところ庭の垣根がピカピカと新しい昨年の台風で木戸が傾き蹲ツクバいの垣根が壊れた大工さんに頼んであったやっと直す順番になり来てくれた以前の垣根は竹を組んだものだったが壊れやすいので今回は人工の物にした明...氷柱ツララ

  • 外は雪 内は

    外は雪内は煤ススふる栖スミカかな一茶今日は寒い北国では雪不足が一日でほぼ例年並になったとかお昼はお謡二時頃戻り午後からは村雨庵の木曜稽古お謡の稽古場に早めに着いた先輩が仕舞の稽古をしている先生と並んで舞う様子をしばし拝見仕舞の足の運びは無駄がなく美しい裏千家の足の運びは本勝手逆勝手何れも客付の足で入り客付の足で出る半畳を二歩三歩目で敷あわせを越える一畳を四歩五歩目で敷あわせを越える京間も関東間も同じ写真は原宿駅に今作りつつある新ホーム原宿駅は現在改装中ホームはひとつで山手線の内回り外回りのみいつもは観光客でごった返していたが今日はとてもすいていた新型コロナのせいだろう外は雪内は

  • 二月は大炉

    今日から二月のお稽古だ大炉と逆勝手の点前一年ぶりのお稽古炭斗を炉の左側に置くときのみ炭斗の組み方を左右逆に組む右側に置くのはいつもと同じ炉中に炭を入れる時はいつも通り炭手前では羽根で炉縁を掃く初掃き10回中掃き6回後掃き6回炭のつぎ方は初炭は初炭後炭は後炭のやり方でいつでも同じだただし雪輪瓦の隅の角には初炭は湿し灰に灰匙後炭は中立の時に輪胴丸割丸管割管の順にて道具炭を置いておくのだ写真は銀座風月堂お菓子もお茶も美味しかった二月は大炉

  • Fw:冬の梅

    -----OriginalMessage-----鶯の逢ふて帰るや冬の梅蕪村今年は立春暖かいでも明日から寒くなるようなことを天気予報で聞いた今日は紫兎先生のお稽古ナガタン姫が一人では行けないとメールがあり待ち合わせてご一緒に行ったお点前は貴人清次の濃茶と薄茶それと台天目先生の床の間には美しい源氏絵が掛けられていた場面を見ただけで源氏物語のどの帖かわかるのもあるがこれはわからない勉強が足りないということだろう頑張ろうなにごともFw:冬の梅

  • 冬の梅

    鶯の逢ふて帰るや冬の梅蕪村今年は立春暖かいでも明日から寒くなるようなことを天気予報で聞いた今日は紫兎先生のお稽古ナガタン姫が一人では行けないとメールがあり待ち合わせてご一緒に行ったお点前は貴人清次の濃茶と薄茶それと台天目先生の床の間には美しい源氏絵が掛けられていた場面を見ただけで源氏物語のどの帖かわかるのもあるがこれはわからない勉強が足りないということだろう頑張ろうなにごとも冬の梅

  • 銀座へ懐石料理そのあと風月堂

    今日は文の会だが銀座に懐石料理を食べに出掛けたお勉強もしたいけれど美味しいお食事も宜し始めに三種梅の皿に琵琶湖の鮎の稚魚の氷魚ヒウオと芹セリ麦わらの蓋物には海老芋エビイモとインゲンの煮物灰釉には蛤ハマグリと青菜は地方の菜花みたいなものの浸し蓋物に鰤大根ブリダイコン次は鮒フナの和え物だとおもうが違ったかも八寸壺々には浸し豆ツブ貝蕗の薹車エビ魚の南蛮漬自家製のからすみ煮物椀は甘鯛真薯アマダイシンジヨお造り鱈の粕汁など焼き物は鰆サワラもうおなかいっぱいだがご飯別腹に甘味外に出るがまたも甘味風月堂へ銀座へ懐石料理そのあと風月堂

  • 横浜三渓園の茶会と観梅

    今日は横浜の三渓園のお茶会へ茶室へ向かう右手の池に川鵜カワウだろうか大きめな鳥がじっと杭に留まってる置物かと思ったとみんなでワイワイ自然を観賞少し寒めだが晴れ日向ヒナタは暖かく青い空が綺麗だ六名での参加だが庭を歩くときは大きな声を出しても咎トガめられないまったりのんびりと行こう大寄せ茶会はだいたい席入りまで並んで待たねばならないがその時間も案外楽しいものだ梅が膨らみ始め窓越しにそれを見る窓ガラスにクラクラと筋があり歪ユガんでいるのは古い手作りの板硝子イタガラスだから技術の向上でももはや現在は出来ず貴重だ偶然だが会いたかった知り合いに会えたり席入りを待っている間にお客様の和服姿の観賞も出来る薄茶席が四席流派も色々裏千家が二席表千家と武者小路千家早めに行ったので四席全てに入りお菓子を四つ食べたでも甘いものばか...横浜三渓園の茶会と観梅

  • たんぽぽのわすれ花

    たんぽぽのわすれ花あり路の霜蕪村明治時代に外来種の西洋タンポポが入ってきたが在来種の日本タンポポは鼓草ツヅミグサとも蕪村の俳句にもこうして登場英語ではダンデライオン漢字では蒲公英タンポポ今日は大炉を開く予定本勝手の炉を塞ぐ後炭所望に使った焙烙ホウロクを終う炉の大きさは昔は色々あり決まっておらず利休の頃より一尺四寸となり大炉は宗旦が一尺八寸四方と定めたと言われる大炉は玄々斎が1849嘉永二年に知恩院門跡尊超法親王(華頂宮)を迎えて献茶の折茶室咄々斎の暖のために隣の六畳間に大炉を切られ、薄茶もここで行われたとネットにあった以前先生からこの六畳を待合にし暖房の為大炉にしたのだと聞いた「大炉は一尺八寸四方四畳半左切が本法なり但し、六畳の席よろし」二月に限り開き炉縁は北山杉木地丸太、炉壇は聚楽土に墨を混ぜた鼠土で...たんぽぽのわすれ花

  • 冬ごもり

    居眠りて我にかくれん冬ごもり蕪村与謝蕪村ヨサブソン享保元年(1716)~天明3年(1784)江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、谷。号は「蕪村」名は信章。通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩『帰去来辞』に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」「夜半亭(二世)」画号は「春星」「謝寅など複数ある今日はお謡の稽古日だったが朝から新型肺炎のニュースばかり電車に乗って原宿行くと色々人にすれ違うちょっと咳も出る体がだるい練習もちょっとしかしてないお休みします連絡を先生にラインでした一日何をしようか外へ出る元気はないビデオを見て長襦袢に半衿を付けた写真は従姉から貰ったのし袋入れ冬ごもり

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