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ヴァリアントユニバーシティー 三輪有子さん https://blog.goo.ne.jp/samusamusamu_1980/

ヴァリアントユニバーシティー学生による つれづれなる記事

歴史、文学などに関してのつれづれなる記事を書いていきたいです。

さむさむさむ
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2009/04/15

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  • もう一人の弟

    大和の興福寺に出家した義輝の弟である覚慶がいたが、三好、松永に捕えられて幽閉されていることを藤考は、兄の三淵藤英から聞いた。三淵藤英は藤考とは実際の血のつながりはないが、兄弟として子供の時から過ごしてきた。藤考とは違って、感情の起伏の激しい、武勇に優れるが血気にはやるところもある人物だった。ともに覚慶を助け出して、将軍職につけ、再び室町幕府の再興を目指そう。三好、松永は四国から、義輝のいとこにあたる足利義栄を呼び寄せ、将軍にしようとしているようだが、義輝の弟である覚慶こそが将軍にふさわしい。藤考は、義理の兄の話に心を動かされた。義輝のもう一人の出家していた弟は殺された。今は幽閉されているとはいえ、覚慶もどうなるかわからない。将軍になる気があるか、ないかは本人次第だが、まず命だけは助けねば。藤考はもう一人の弟を救...もう一人の弟

  • 将軍の最期 藤考の悔い

    永禄8年5月19日(1565年6月17日)、京の二条御所を松永、三好の兵が包囲して義輝を襲撃した。義輝は、三好、松永の軍勢を相手に、畳に刀を何本もあらかじめ突き立てておき、血で刀が斬れなくなった時には、その刀を捨て、新しい刀を抜いて、一人で数十名の兵を斬って、奮戦したが、最後は力尽きて殺された。藤考はその時、義輝の元を離れていたが、その知らせを聞いたときには、もう手遅れになっていた。藤考は自分の腹違いの弟でありながら、これ以上の人物はいないとまで思われるほどの主を失ってしまう。彼は義輝の危機にかけつけられなかったことを死ぬほど悔やんだ。にほんブログ村にほんブログ村将軍の最期藤考の悔い

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