ストーカーに苦しみながらも明るく前向きな女の子のお話です。一緒に考え悩み笑っていただければ幸いです。
褒めると気を好くして図に乗るタイプなので お叱りのレスはご遠慮願います。 社交辞令・お世辞・甘言は大好物です。 甘やかして太らせてからお召し上がり下さい。
「5年前は。キレる妹さんを宥めるお姉さんって絵だったのに、今とは真逆だ。妹キレキレのキレ捲りだし、お姉さんヨレヨレの遣られっぱ」ぶつくさ言いながら玄関に向かうプロデューサー。オープニングを仕切るアナウンサーの到着予定時間だからだ。「抑々(そもそも)未来(みき)さんの事は、5年前も『ちゃん』付けで呼んでたんだし、今回も打ち合わせの時から『ちゃん』付けだったんだし、なんで今更本人以外から文句言われなきゃならんのさ」愚痴は留まることを知らない。と、正門に、タクシーが停まった。運転手の主導で開く後部座席ドアを中から脚でアシストした女子アナがアスファルトの舗装路に仁王立つ。若振る程に歳が往ってる訳でもないのに女性らしさを前面に押し出した、CECILMcBEE(セシルマクビー)のボディラインを綺麗魅せするニットワンピでの登...■彼は誰れ時に魔と再逢015■
「はいはいはいはいわかりましたわかりましたアタシはお婆ちゃんに騙されて10万円という高(たっか)いお塩を買わされました。役立たずのゴーストバスターズから10万円の手付金を返して貰うのも忘れてました何(なーん)の成果も挙げてないのに。そんで今度は似非(えせ)征伐士(せいばつし)の催眠術にも掛かっちゃって敵わないって逃げってたのに泥棒に追い銭で10万円払っちゃいましたおバカさんでございますわよ。すいませんね便秘を仕事の所為だと八つ当たりして退職はするわ、そのヒス引き摺って朝のゴミ捨てに協力してくれないってだけで同棲相手を追い出すわ。全部(ぜーんぶ)自分の我儘なのに一人じゃ家賃払いきれなくて実家に出戻り一部屋(ひとへや)占拠しては姉妹に狭い思いをさせてる、最高に頼りにならなくて最低に迷惑掛けている長女でございますよ。...■彼は誰れ時に魔と再逢014■
「じゃあ本物だね。だって心霊現象も火事も嵐も本当だと思ったんでしょ?少なくとも、本物の催眠術師ではあったんだね」胡坐(あぐら)でチョコフレークを口に運ぶ、牢名主の様な七海(ななみ)。「嫌味は止めて。火事も嵐も見せたのは知諌誇戸(ちいさこべ)じゃなくて霊。霊が騙術(まやかし)で知諌誇戸(ちいさこべ)を追い払おうとしたのよ」未来(みき)は七海(ななみ)が抱えるチョコフレークの箱を奪い、逆さにして口に流し込んだ。「へー?騙術(まやかし)で追い返そうとされたから本物に違いないと?しっかりしてよお姉ちゃん。騙術(まやかし)で追い返されてんでしょ?だったら本物でも霊より弱いってことじゃん」獲られた箱を奪い返すが空だったので姉目掛けて投げ棄てる七海(ななみ)。「知諌誇戸(ちいさこべ)でも倒せない程の大物の厄(やく)だったから...■彼は誰れ時に魔と再逢013■
「お姉ちゃん。どうしたの?」未来(みき)を追って、七海(ななみ)が裏口から飛び出した。「お姉ちゃんしっかりして。何を言われたの?」呆けて答えられない未来(みき)を七海(ななみ)が揺さぶる。「お姉ちゃん。こっちを見て!」七海(ななみ)の声に弾かれて未来(みき)は我を取り戻し、立ち上がって叫んだ。「大変。火事よ!」裸足で連れ出された未来(みき)は、裸足で家に駆け戻る。「七海(ななみ)119番に電話して。誰か。キッチンが火事です。消火器を」勝手口から髪振り乱して台所に雪崩れ込む。未来(みき)の叫び声にスタッフが消火器を引っ掴み集合。ホースを外しレバーを握り安全栓に指を掛ける。しかしノズルは火元を求めて彷徨った。誰も火の手を確認できなかったからだ。発火からまだ僅かな時間しか経っていない。出火場所を速やかに特定し燃焼を早...■彼は誰れ時に魔と再逢012■
「あれはヤバい。あれこそは剛(ごう)の厄(やく)です。此れまで無事だったのは何人かの狩厄(かるやく)に護られていたからで、其の人数が減ればバクっと喰われますよ立所(たちどころ)に」突然、耳を劈(つんざ)く摩擦音が、床壁天井を激しく打ち鳴らす音が、意思を伝えようとするかのように轟いた。「きゃああああ」何者かの悲鳴が家じゅうを走り回る。耳を押さえ未来(みき)は廊下に蹲った。「分かんない分かんないかるやくだとかごうのやくだとかばくっとかたちどころとか!」建具が乱暴に開閉する音、家具を引き摺り倒す音、食器類が割れる音が、家全体を軋(きし)ませる。「ヤバい。此れはヤバ過ぎる。此処は危ない兎に角一度此処を出ましょう。説明は外で」知諌誇戸(ちいさこべ)は未来(みき)の手を取り裏庭に走った。陽が当たらず苔生した庭の隅が呼吸をす...■彼は誰れ時に魔と再逢011■
「私が弱視故に手に入れた特殊な能力は2つ。1つは、今見せた反射音で物の存在を知る能力で、此れは訓練の賜物ですが、もう1つは」柏指(かしわし)を打ちながら、ゆっくりキッチンへ向かう。「判りますか?この音の違いが。傾注(けいちゅう)!」反応したかの様に、キッチンの床に何かが落ちた。「何処に居るのか所在さえ掴めれば、厄(やく)を清祓(せいばつ)できる能力です」声を潜め、七海(ななみ)に囁く。「は?は?やくってなに?せいばつ?は?」パニックの七海(ななみ)は、「は」の連発。その間も知諌誇戸(ちいさこべ)はあらゆる方向に指(ゆび)を打ち、反射から厄(やく)を探索する。「傾注(けいちゅう)!間違いない。台所です。台所に向けた時だけほら音が籠る」知諌誇戸(ちいさこべ)の見えない目がキッチンを睨む。「ビックリした大声出すなし。...■彼は誰れ時に魔と再逢010■
「お気遣いなく。何時ものことですから」先程まで恭(うやうや)しく翳していた扇で汗を飛ばし、懐からミッフィーの刺繍の入った今治フェイスタオルを出して額を拭う。「気にしてませんって言ったらウソになりますけど。はぁっはぁっはぁっ。あ此れ、笑い声です」袴を脱ぎ捨て、立烏帽子(たてえぼし)を帽子掛けに放り、法服を投げ、ステテコ上下になった知諌誇戸(ちいさこべ)。「此れね。楽天で買いました。通販。全部セットで72,000円。お盆の時期は連日依頼が舞い込むから、洗い替えにあと2着あります」舞台演劇で使われる化粧品、三喜(みつよし)のグリースペイントカラーナンバー4のホワイトを、ポンズのコールドクリームで馴染ませる。「其れっぽい恰好しないとね。依頼人が緊張しないんですよ。依頼人がダラけていると、厄(やく)も舐めてくるんで、清祓...■彼は誰れ時に魔と再逢009■
「此れは、ご依頼頂いたご家庭には漏れなくお配りさせて頂いている、次回すぐ利用できるクーポン券であります。今回お役に立てなかったのにお渡しするのは心苦しいのですが、もしまた霊的現象が起きました際には、割引させて頂きますのでご笑納ください」がっくり肩を落とし籠氏万(かごしまん)は、クーポン券と前金を入れたくしゃくしゃの封筒をテーブルに置くと、重い足取りで機材を引き摺り去っていった。結果、撮影初日に参上したのは、招かれざるオシロ婆さんと有言空振りして退散した籠氏万(かごしまん)一党の二組だった。翌朝、尻尾を巻いて退散した有限会社カゴシマン消霊と入れ違いに浄衣(じょうえ)姿の男が朝陽(あさひ)を背負い正門に立ち開(はだ)かった。スマホのボリュームを最大にして神楽歌(かぐらうた)を流し、勿体ぶった足取りで玄関を目指す。「...■彼は誰れ時に魔と再逢008■
「おかしいですねぇ。昨日は確かにお台所に反応があったんでありますぅ」嫌な汗を拭きながら機材を再起動させたり初期化を試みる有限会社カゴシマン消霊の面々。が、特に此れと言った不具合は見つからない。「次の行程としましてぇ、霊以外の現象、つまり鼠やゴキブリの可能性の排除、物理的な撃退により沈静化し報奨金額の交渉する予定だったのでありますがぁ」行程も予定も霊の証明が成されてない。霊が存在するのか判らない。存在を主張してもセンサーには反応がないのだから裏付けにはなってない。此のままでは、何もない家で何も起こらなかったという何だかわからないドキュメンタリーでお蔵入り。籠氏万(かごしまん)は焦った。前金は受け取っている。何もないのなら返金だ。当然、此処までの経費は自腹になる。収支は赤字、評判もガタ落ち。勿論、此れまでに何もない...■彼は誰れ時に魔と再逢007■
「此れは必然です。知っているから反応したのではありません。貴方のお家の問題はお台所にあるという揺るぎない事実を、弊社特許出願中の高性能マッシーンが探知したのであります」霊を検知した吾主莉(あおもり)はテーブルの上に上がり羽扇子を振り回し踊り狂う。針金はキッチンに向く度に悲鳴のような警報が鳴り渡った。「霊の所在は確認出来ました。此れからの作業行程を説明しておきましょう。まず今晩。霊を計測して類別を確認。明朝(みょうちょう)。データから、沈静化に当たって最も適した捕縛方法を弾き出します。明晩(みょうばん)。算出された方法に応じ、必要な罠や薬を仕掛けます。晴れて明後日には霊は捕縛され現象は沈静化、平穏な生活に無事着艦」台所から廊下に掛けてテレビ局が設置したカメラやケーブルの上に更に重ねて、センサーや送信機を設営してい...■彼は誰れ時に魔と再逢006■
定数決めずに募集を掛けたうちの二番目が来訪した。一番目は呼んでないのに来た招かれざる人だったけど。「どぉもどぉも。いや遠かった。バス停からお宅までが未舗装路で20分なら先言っといてくださいよぉ。轍(わだち)でカートのタイヤ、みんな逝かれちゃったであります」薄汚い白衣に身を包んだ栄養が足りて無さそうな男たち。に混じって古臭いバブル時代のボディコン女やバスの中でもパンプアップしてたに違いない笑顔のマッチョ。と小さな女の子。様々な大きさのジュラルミンケースを縛ったハンディカートやスマートキャリィを引き摺っている。「さぁテキパキ動いてくださいよ吾主莉(あおもり)鈴子(りんこ)くんは多発地帯の確認。月見里(やまなし)武道(ぶどう)くんは測定室を確保してくれたまえ。衣斐女(えひめ)蜜柑(みかん)ちゃんはぁ、ちょおっと休もう...■彼は誰れ時に魔と再逢005■
「10万詐欺(さぎ)られた。てかお姉ちゃんなんで払うの?てかお姉ちゃん、アレ誰?」次女は廊下にへたり込んだ。「ママ入院してパパ居なくなって、お金は幾らあっても足りないから、少しでも足しになるならって出演オーケーしたのに。あんなんに10万も出してたら其れでもう赤字じゃーん」次女はもうベソ。「まあまあまあまあ落ち着いて。アレの襲来は想定内ですから。おい誰かコーヒー。今からちゃんと説明しますから、ね」招かれざるオシロの来訪に、段取りが狂ったスタッフ達は右往左往するだけの烏合の衆。「前回、此処には来ませんでしたが、アレはオシロ婆さんと言って2年程前から降って涌いた此の業界じゃ有名な迷惑婆さんなんですよ」カーディガンの男は、アイコスを口に咥え眉を顰め台本を丸めた。「年寄りで足腰弱ってる癖に的確に問題箇所を目指すわ、年寄り...■彼は誰れ時に魔と再逢004■
「オシロさーん。今回俺呼んでないっすよね?俺呼んでないっすよね?」大事なことだから2回言ったらしい。「取り合えず帰ってください。来なかったことにしますんで。あ、駄目だ。コンプラに引っ掛かる。ヤラセって炎上する」頭を抱えて臭い汗を掻くプロデューサー。「今回は誇張とか脚色とかなくて、ちゃんと霊が居るんです。あ、前回も勿論居るとは思ってたんですけど。いや、今回はお祓いしてくれる人を募集した訳で」キャップを脱ぎ捨て頭の臭い皮脂を掻き毟る。「だからお祓いに来たんでしょ。訳わかんないこと言わないの。其れと結衣(ゆい)ちゃん、わたしは巫女じゃなくて祓い礎(はらいそ)だから。其処は結衣(ゆい)ちゃんと、違うのよね」オシロと呼ばれた老女は、結衣(ゆい)に手を預けてスニーカーを脱いだ。「さ、案内して。お台所よ。お台所に案内してちょ...■彼は誰れ時に魔と再逢003■
長閑(のどか)と言えば聞こえが良いが、現実は人口の減少と高齢化に歯止めを掛けられない生活に不便な村。「女装家も酷かったけどー、霊能力者でアンガールズの田中じゃない方に似てた奴とか、其れっぽい事言ってる割には幽霊見たって大騒ぎして逃げてったスピリチュアラー?だっけ?あれは笑ったねー」最寄りの駅までバスで10分、そのバスも一時間に多くて2本でバス停までも徒歩10分。大雨が降ると山からの泥水が道路を横切るので運休、止んでも泥土で埋まった道路は復旧に数日を要す。「詐欺師と売名ちゃんと妄言家だもんね。今回の撮影はあれの第二弾だから、似た様なのしか来ないだろね」等高線に添って山を一周する国道に貼り付く人家は、お隣さんでも味噌汁が冷める距離。街灯が無いし野生の猪が出るので、そもそも夜は味噌汁を持ったら出歩けない。「時間の無駄...■彼は誰れ時に魔と再逢002■
「最後に来るのは誰かしら、ね」長女はポッキーを一本咥え、寄り目で枝毛をチェックした。お通じが悪くなったのは上司が無能の所為だと辞表を叩きつけ、返す刀で家事を分担しない同棲相手から合鍵を取り上げ、折半していた光熱費の全額負担がキツいからと実家に帰巣し居座った暴れ馬の姉。「最後?」次女は上り框(かまち)を踵で蹴りながら長女のポッキーに手を伸ばした。「え?え?最初じゃなくって、最後?未だ誰も来てないのに?」染髪不問という校則に惹かれて受験した高校がメイク禁止であることを入学式に知り、一日もたりとも登校せずに中退した我儘(わがまま)を身勝手でコーティングした様な唯我独尊主我主義の妹。「そ。最後。真打は一番最後に登場するの。前もさぁ、結局役に立ったのは一番最後に来た奴だけだったっしょ」インスタに上げたコーデで撮影に臨(の...■彼は誰れ時に魔と再逢001■
遂に薬を口に含んだ。もう後戻りはできない。意識がなくなるまで書き続けよう。『僕』は人を殺した。沢山殺した。だから今、罰を受けている。法治国家で私刑は納得いかないし、それなりに反省し更生し償おうとも思っている。もう殺されちゃうんだけどね。だが。少なくとも『僕』が殺されれば、『僕』はもう人殺しをすることは出来ない。被害者の増加は、だからここで止まる。でもどうだろう。全て『僕』一人が悪かったのかい?『僕』をここまでに追い込んで、助けずに、見放した、両親や学校や政府は悪くないのかい?悪いモノ全てが処罰され反省し改善されなければ、『僕』の死は礎にはならない。罰を受けなかった政府や学校や両親は、また新たな加害者を産むからだ。産み続ける。産みだされた加害者は、環境と法の不備を呪いながら被害者を産み続ける。正に負の連鎖。負の増...■鉄の匂い325■
もう、時間がない。薬を飲まずに時間を稼ぐ、という選択肢もなくはない。この処刑は日本国の法に則ったものではないのだから。『僕』は不遇な環境下で育ったのだから。善悪の判断を習う機会に恵まれなかったのだから。認識なく法を犯してしまったのだから。泥棒にも三分の理。『僕』には反論の余地も酌量の主張も法による裁定を希望する権利もある。でも『僕』は飲む。飲むのは『僕』の責任だから。『僕』は知っている。全ての加害者には、民事責任と刑事責任が付き纏うのだ。『僕』は知っている。全ての犯罪者は損害を賠償しなければならず、処罰を受けねばならないのだ。心神喪失を主張しその責任を振り払おうなどとする気はない。債務が存在するならそこには必ず責務者が存在する。いや。存在させなくてはならないのだ。全ての損害には補填が必須だから。全ての被害は加害...■鉄の匂い324■
それを知ったのは、薬を渡された朝だった。死ぬ前に確認しておきたいと掛けた質問にマッチョは躊躇うことなく即答した。「そこに落とす前に身体検査をして家とロッカーの鍵は預かった。捜索が済めば用はないからマンションの鍵は返した。コインロッカーは荷物を出したら鍵は抜けなくなる。それだけだ」やっぱり金は没収されたんだな。じゃあナイフは?「そんな小指みたいな文房具で何が出来る」マッチョは軽やかに笑った。「反省文がなかったら、俺も騙されてたかもしれない。俺が調べたお前は、お前が買った誰かだったんだな」何日か前だったかに一度回収されたここまでの犯罪白書をマッチョは反省文と呼んだ。情状酌量を乞うて書いた釈明書は藪を突いて蛇を出す結果となった。上の階からの強力な照明が切られる。『僕』を拉致し監禁した首謀者と、その周りに数人の顏が見て...■鉄の匂い323■
一人になってからは勘定する気力がなくなってしまい、今日が何日目なのか判らなくなってしまった。もっとも、拿捕された当日に投獄されたかどうかも分からないんだから数えていても意味はない。今日降ろされた、四季替わり弁当と銘打たれた弁当のおかずに秋刀魚の醤油焼きがあった。いつの間にか、季節は秋になっていた。それも外の話だが。値引きシールが剥がされた跡がある弁当は、二種ご飯と料理の折の二段重ね。ご飯は、鮭の解し身を混ぜ込んだご飯と茸・銀杏・牛蒡の五目ご飯。おかずは定番の厚焼き玉子から始まり六方里芋・彩人参・隠元豆の含め煮、鶏つくね焼き、読めないけど味から推測するにヤマイモのアオサ揚げの山芋真薯石蓴揚。紅葉の形に抜いた大根の甘酢漬けがあるのに、何故かしつこく刻み柴漬けも添えてある。デザートなのか、甘栗甘露煮があったのは嬉しか...■鉄の匂い322■
だから『僕』は産みの親の顏は写真でしか見たことがない。それは今も変わらずで、失踪した母の行方を捜したことはないし向こうも『僕』を尋ねてはこなかった。そんな母と所帯を持った父は当然オンナにだらしなく、育ての親には暇がなかった。いろんなオンナが、母を名乗ったり名乗らなかったり、『僕』を育てたり放置したりした。多分10人くらいのオンナが出入りしたと思う。そして父は、オンナに子育てを任せるというか押し付けてる癖に、その教育の仕方には煩く口を挟んだ。口だけでなく手も出した。その手はオンナにだけではなく『僕』にも上がった。日の気分で教育方針が変わり、気紛れに躾けと称して殴る蹴る。プラモデルなんかでは発想力は養えないからブロックで遊べと言った翌日に、単調なブロックなんかで想像力が養えるかと全部捨てられた。外食で、『僕』が頼ん...■鉄の匂い321■
それでも法律は完璧では無いし、モラルも時代には追いつけない。科学は発展し過ぎて人が自分を過信してしまう。高性能の車を自分の力と勘違いし、ペースを乱す車にイラつき煽る。雪崩れ込む大量の情報に人のモラルが追い付けない。匿名発信の情報を真偽も確かめずに正義感から拡散してしまう。人間関係は顏を会わせないネット上だけだから他人の痛みが分からない。試験に合格するのは見知らぬ誰かが蹴落とされたから。個人主義が蔓延し権利ばかりを主張する。誰かが片付けるだろうとゴミを道に捨てる。自分ひとりくらいならいいだろうと投票に行かない。皆もやっているからと遮断機を押し上げ踏切に入る。見知らぬ誰かを蹴落としてでも試験に合格したい。人を見棄てでも優位に立ちたい。今さえ良ければ、自分が死ぬまでが幸せなら、地球の未来なんてどうでもいいのだ。否定で...■鉄の匂い320■
これを読む機会に恵まれた者は幸運だ。滅多なことではお目には掛かれない、殺されることが決まった人間の性根の吐露だ。まもなく死ぬ者が発する真実を深く分析し、これからの人類の発展に役立てるがよい。進化の根源は、二歩足で歩行した事でも火を使う術を覚えた事でも0を発見した事でもない。車輪の発明や芸術の発祥やダイナマイトの実用や原子力の制御なんか刺身の褄でしかない。人類の発展曲線を限りなく垂直に近づけてきたのは継承だ。すなわち。誰かが経験したことを他の皆が継承し、その上に立つことによって現在が繁栄しているのだ。その経験を継承させたのは、言葉と文字だ。言葉と文字が他人の体験を自分のものとし積み重ねる事を可能とし、人類として知識を蓄積し飛躍的な進歩を可能にしたのだ。この地上で最初に文字を使った生物であり後に続く生物が居なかった...■鉄の匂い319■
とはいえ。まったく何もなかったのかと問われれば、即答では首を縦に振れない。淡い恋心を抱いたこともあるし優しく抱きしめてくれた小母さんも居た。女性に興奮したこともあるしキスをしたことだってある。なのに何故この体験を全否定し教訓を葬り去ろうと躍起になるのか。答えは簡単だ。『僕』が同情を欲していたからだ。『僕』が憐憫の念を求めていたからだ。『僕』が誰よりも不幸であると周囲にアピールしたかったからだ。この世で一番不幸なのは自分であり、その原因は全て周囲にあると、怨言浴びせかけてやりたかった。できればもっと沢山の人を殺したかった。殺される人間の最後の言葉を聴きたかった。『僕』の不幸を知らしめるには少な過ぎた犠牲者たち。大した効果もなく無駄に死んでいったその他大勢の群衆。いくら殺しても飽き足らず今なお獲物を求めて興奮するシ...■鉄の匂い318■
fontcolor="black">副学級委員のリサちゃんはハムスター飼育係で、お昼休みのアナウンスもしていた。たった一回の東京見物でスカウトされたミホちゃんは、今やティーン雑誌で活躍するキッズモデル。ふたりとも『僕』が好きで、『僕』もふたりを選べない。という設定。ふたりとも苗字はないし通ってる学校もないし両親も家も何もない。ふたりとも『僕』が子供の頃から育ててきた架空の女性で妄想の子。『僕』の視界から消えた瞬間に電源が切れた家電の様に停止する存在だ。リサちゃんとミホちゃんを交合に思い出しながら眠りにつくなんて、ふたりが実在しないのだから気持ち悪いを通り越して怪談だ。ふたりはおろか、リサちゃん他の15名のクラスメイトも、夜になって集まった親族も、『僕』のお父さんお母さんも家も誕生日も何もかもが実在しない空想の産...■鉄の匂い317■
もし、自分が明日死ぬと分かったら。人は人生最後の日である今日と言う日を、いったいどう過ごすだろうか。明後日以降がないと知りながらも、昨日まで築き続けてきた今日を明日に繋ぐべく労を取るだろうか。それとも、裁かれる明日以降が無いのだからと、欲望に身を委ねあらゆる法を無視して破壊的な快楽を謳歌し果てるのだろうか。回答は極端に二分するであろう。すなわち。充実したポジティブな人生を邁進してきた善人は、過去に体験した一番幸せだった時を思い返し眠りにつくだろう。世の不幸を一身に背負い妬むことで己を慰めてきた悪人は、せめて皆も不幸になれと呪い一人でも多く道連れにするだろう。あるいは、他人の幸福を覗き見ては自分に置き換え、疑似体験で己の不幸を昇華するか。『僕』が覗き見た他人の幸福は、小学校3年生の時の誕生日会だった。未来に期待す...■鉄の匂い316■
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