私は、知覚身振りチャンネルが違う手話と音声言語の共通点として記憶に注目した。 視覚と聴覚のどちらの場合でも、我々は思い出しながら言語を使っているという認識である。 そして、言語を操る人間の場合、記
自分が日頃思う現代言語学の納得いかない部分を1つ1つ紹介しようと言うサイトです。
言語の謎に興味をもっていろいろ考えていたら、どうしても、今の言語学に疑問がいっぱい出てきてしまいました。自分は、まじめに考えているつもりなのですが、周りは自分とは違う論理で動いているようです。このギャップを解消したいと常々思っています。
「言語学」でYouTubeの動画検索をすると、自分が構想している言語学が如何に異次元であるのかを思い知らされる。 少しでも自分の考えに近い人を探そうとするが、殆んど掠りもしない。 でも、自分の言語学には
「存在」というのは人間から見て三人称の存在を一人称の「私」が定義するという構図なのだが、「記憶」というのは、自分自身が分裂して二人称の相手を作り出し、それと自分が再び融合して自己を更新する事によって存
文字による音声言語の記述と言うのは、リアルタイムに聴覚を通して知覚される物理的な現象である音波を、人間が記号と言う「記憶の特殊な操作装置」を駆使して「音素と言う離散的な座標に分節したもの」を、物理的な
ソシュールの「termes positifs/termes négatifs」の議論。。。
ソシュールの「termes positifs/termes négatifs」の議論は量子力学を生んだ「二重スリット実験」に匹敵する可能性があるのだが、これを証明出来る「客観性を持つ実験」と言うのは存在しない。 何故なら言語は、
私は、言語のメカニズムと生命の進化のメカニズムは密接な関係にあると思っている。 理由は簡単で、動物(類人猿)が進化してヒト(人類)が生まれたのであれば、ヒトだけが使う事のできる言語も、種の進化によっ
ここ数日で、自分が認識している「差異に根差した言語の現実」を、言語学者たちを中心とした他人が全く認識していないことに気が付いたのので、それを認識してもらう論法を現在模索中。 実は当初、私も認識してい
言語学というのは、先ず第一に人間の言語活動を記述する事から始める。 音声言語の場合、特定の言語の音韻体系を構成する音素の種類と数は一定である事が分かっているので、全ての音素を識別し列挙した後に、それ
「因果集合理論」を紹介する面白い動画に出会った。 【ループする宇宙】宇宙に始まりはなく終わりもない!?最新の理論から判明した驚愕の事実とは? 動画の説明には、記憶も離散という用語は出てこないが、因果
黒澤明監督の「どですかでん」を、私はパリで観た。 一番、印象に残っている台詞が「私の事を憶えていて欲しかったから」。 ネタバレになるので詳細は書かないが、これは正に「愛の告白」だった。 誰かが憶
何かの存在を定義するにはその存在を認める主体が必要。 哲学的に見るとその主体は我々人間になる。 存在を記憶と言う「離散分裂(再)融合循環サイクル」で置き換えると存在を認める主体の必要が無くなる。
音声を聴覚でリアルタイムに知覚しているが、知覚自体は元々記憶であり、記憶の喚起メカニズムを使えば、これを平行に処理する事が可能になる。 リアルタイムの知覚は、現在から過去、或いは未来から現在に向かう
昨日、音声をどの様に聴覚を通して音素に分節し記憶しているかを考えたのだが、途中で破綻した。 理由は簡単。 認知レベルの記憶喚起に関する説明をすっ飛ばしていたから。 言語の謎を説明するには、様々な
我々が言語を自分から話す時は、自分の記憶の中から単語を思い出すだけでなく、話す内容も記憶から呼び出している。 では、音声言語を聞き取ったり、手話を見て理解する場合、記憶はどう関わって来るのだろうか。
言語学が、チョムスキーと言う偽言語学者によって、長年、ここまで停滞してしまったのは、言語学と言う学問が軽んじられているからだと思う。 物理学の統一理論を確立するのに「一般言語学」が有効だと分かったら
意識が、自らを離散的に分裂して、自分の存在を複写し、それを呼び出して、再び融合し、自分の存在を更新するとき、二つの存在の間の差が解消され、時間軸が生まれ、これが意識を進化させる循環サイクルとなり、意識
普通「記憶」を図式化しようとすると、 ・記憶し、それを喚起する主体 ・記憶され、喚起される客体 ・記憶された瞬間と喚起される瞬間の間に生じる時間差、を挙げる事が出来る。 これは、我々、人間の視点であ
昨日は、ホイーラーの単一電子宇宙仮説とソシュールの記号論がシンクロするかも知れないと言う発見に、少し小躍りしたが、現実は現実、全てはこれからである。 宇宙の誕生と言語の誕生は「意識の進化の軌跡である
真実の目【衝撃】“単一電子宇宙仮説”が示した世界の真実!科学が突き止めた究極の謎とは? ジョン・ホイーラーの「単一電子宇宙仮説」の動画。 私が考えている宇宙のイメージとかなりシンクロしている。 た
私はRPGと言うゲームに全く魅力を感じなかった。 誰かが創ったキャラクターを演じるよりは、自分の人生を生きる方が楽しいと思ったからだ。 しかし今は、この世界が「一種のシミュレーション」であると知って
最近「生きづらさ」を解消する事に躍起になっている人達を、Twitterとかでよく見かける。 でも私は、生きづらさ、つまり「生きて行く上で受けるストレス」を糧にして生きている。 実際、私の言語学の研究は大
私は数年前から、イタリア語を全く話せない状態を維持しながら、イタリア語の文法の研究をしている。 その成果が少しづつだが出てきた。 子供は、文法を習得する前に音韻体系を獲得するが、今の私の耳は、その
Closer To Truth:Nicholas Humphrey - How Humans Differ from Other Animals Closer to Truth で定期的に出てくるテーマ「人間と動物の違いは何か」。 「言語」に関して必ずと言っていいほど触れるのだが、
ソシュールの「言語には差異しか無い」を、より正確に表現すると「音声言語のシニフィアンである音素には、聴覚的な差異しか無い」になるが私が見落としていた事が一つある。 それは、シニフィアンの存在自体は、
ミニマルペアは、聴覚によって行われているという認識がない。。。
言語を研究対象として扱うと音素は「音声言語を構成する単位」と定義する事が可能。 そして音素は「視覚的なコントラストに基づいた平面的な単位である文字」を与えられる。 音素を文字で表記する事には対して
この世界では、全てが予め決まっていると考えている人がいますが、それは完全なる間違いです。 この世界は、いや宇宙でも構いません、常に我々に選択を迫っているのです。 そうやって我々に与えられている選択
我々は物事に言語を使って名前を付ける事で、その存在を確実なものとしている。 この観点から言うと、言語学で扱われる音素も「言語的な単位」を与えられていると言える。 しかし、音素は互いの差異によっての
私は言語学のアプローチはかなり変わっている。 基本はソシュールの「言語には差異しか無い」と言う命題だが、これを言語を使って説明するのではなく、言語と言う互いの差異のみに基づいている価値体系を、我々は
ソシュールの「言語には差異しか無い」という命題を聞いて、私が考える事と私以外の人が感じる事の間には大きな差があると認識した。 私は、この命題を一種のイメージで捉えていて、そこから自由に全方向に発想し
私は「ソシュールの一般言語学講義」の再解釈をしているのではない。。。
ソシュールの一般言語学講義には「言語には差しか無い」という命題がポツンと挿入されている。 今、原書を手にしてみて気が付いたのだが、その後に「Dans la langue il n'y a que des differences sans termes po
「音素は言語の最小単位である」は誤りである。 先ず、この命題は、音素の無い視覚身振り言語の手話には適用出来ないので、議論の余地無く誤りである。 百歩譲って、音声言語に限定したとして、言語には「差」
YouTubeチャンネル:のもと物理愛(野本 麻紀氏(のもと まき)) 素粒子は自己同一性をもたない 素粒子と自己同一性との関係という視点が面白い。 物理的/化学的記憶の自己同一性に関して、これを踏まえ
ソシュールの「言語には差しか無い」と言う命題は「言語の構成員は互いに共通な要素を持ちながら、共通部分によって浮き彫りにされる相違点によって、互いの自己同一性を維持している」と言い換える事が出来る。
手話と音声言語を全く同じ土俵で論じる事の出来る言語理論を構築するというのを改めて目標に掲げようと思う。 これは人間とは一体何者かであるのかと言う問いに直結する課題である。 この言語学的な課題を解決
ソシュールの「言語には差しか無い」と言う命題が正しいと信じて、それを証明しようと研究を始めた時、かなり早い時期から私が問題視したのが「音素は言語の最小単位」であると言う命題である。 「ソシュールの差
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私は、知覚身振りチャンネルが違う手話と音声言語の共通点として記憶に注目した。 視覚と聴覚のどちらの場合でも、我々は思い出しながら言語を使っているという認識である。 そして、言語を操る人間の場合、記
私の人間の定義は、認知的な記憶をコントロール出来る存在であると言うものである。 我々の人格、つまり自己同一性も、個人的な記憶が離散的に組織される事によって確立されている。 この場合の記憶と言うのは
私は、現在の言語学は、私が提唱している「差異の言語学」と比べると「周回遅れ」だと考えているが、それには明確な根拠がある。 先ずは、言語は記憶が媒介となっていると言う前提である。 私がこう言う発想に
私が「言語には差異しか無い」と言うソシュールの命題を自分の研究対象にしようとしたのは、今から思うと神のお告げに近いものがあったと思う。 これは、ソシュールの一般言語学を齧った人なら誰でも知っている命
言語がコミュニケーションの道具であると考えている言語学者は永遠に言語の本質に到達する事が出来ない。 コミュニケーションが成立する為には、複数の人間の間で同じ言語の形と意味を共有出来ないといけないのだ
ソシュールの「言語には差異しか無い」という命題で、私は「差異の言語学」と言う異次元の言語学を研究する事になるのだが、逆を言うと、それまでの誤った言語学を、言語の現実を観察できる正しい言語学に導いてくれ
私はソシュールの「言語には差異しか無い」と言う命題を証明する事を出発点にしているのだが、この選択をした時点で、私は現在の主流の言語学とは別の次元の言語学に没入してしまった。 従来の言語学を「単位の言
世界中に言語ほど、身近な存在でありながら、その本質が全く理解されていないものもないと思う。 その第一の原因は、誰でも特別な訓練を受けなくても言語を習得出来るからである。 だから、言語学者が各々、勝
ChatGPT4 says: This is a profound and ambitious question—and it opens a door to a bold philosophical move. Here's a structured answer: ✦ Can the Ontology of Evolving Self-Memory Be More Fundamen
Can we say that the time itself is generated by evolving self-memory? Yes — and in a philosophical framework, that’s not only a powerful idea, but one with deep precedent and rich implications.
how do you define evolving self-memory? ChatGPT said: Evolving self-memory can be defined as: A dynamic, autonomous mechanism through which identity is continuously recorded, modified, an
This definition was formulated through an extended dialogue with ChatGPT-4. Evolving self-memory can be defined as:A dynamic, autonomous mechanism through which identity is continuously recorded, m
今、ChatGPT4を使って、自分の投稿の英訳をしているのだが、学術的な文体で、しかも勝手に文脈を補完しながら、さらに要約までこなすという離れ業をやってのけてくれる。 折角なので、一応、内容の確認はしなが
The following is a translation of my previous article in Japanese, generated with the assistance of ChatGPT-4. While it may not fully capture the entirety of my intended nuances, it nonetheless provid
私の目指している言語学は、「ソシュールの一般言語学講義」という本の中にある「言語には差異しか無い」という命題からインスピレーションを得た「差異の言語学」である。 これに対し、従来の言語学を「単位の言
私の言語の概念は、普通の人とは、根本的に異なる。 例えると、近代化学と中世ヨーロッパの錬金術くらいの差があると思っている。 我々は既に21世紀に生きているが、だからと言って、全ての学問分野が近代化さ
二人の異なる人間は、生活に支障の無い相互コミュニケーションが取れるとしても、全く同じ「言語」を使っている訳ではない。 例え、異なる言語を使っていたとしても、共同生活に支障の無い範囲で「文脈」を互いに
私が会社を辞めてフランスに来て、言語学を本格的に始めた時、伝統的な言語学を完全に否定する決断を下した。 それは「言語はコミュニケーションの道具である」という命題は正しいが、コミュニケーションが成立す
私は、言語と意識というのは密接な関係にあると考えている。 だから、現時点で、言語学と意識の研究の接点を語る人が、私が見た限り、一人もいないのは、由々しき事態だと思う。 では何故、言語学者は、意識に
最近は「Consciousness(意識)」が宇宙の根本を成しているという視点を持つ人も多くなっているが、私は意識を知るためには、先ず言語の研究をすべきだと思っている。 しかし、それは、文法学としての言語学では
ChatGPTに代表される人工知能の急速な発達は、人間の言語に関する理解を歪めてしまっている。 人工知能は動物の認知行動と同じ単なる機械学習であるが、問題解決のプロセスを洗練させ、同時に処理速度を極限にま
私は元々、ソシュールの記号の研究から始めたのだが、徐々に言語学の枠組みを外れ、現在は「自己記憶による存在論」に辿り着いた。 私の言語の位置付けは、宇宙の全ての存在を支える自己記憶の進化の流れの第三段
私の考える言語学の基本は、我々は自らの記憶を操作することで言語を操っていると言う事であるが、問題は、この記憶、或いは記憶喚起のメカニズムを正しく理解する必要があると言う事である。 しかし、現在、記憶
波動の蓄積が形成する混沌からの離散化を解明する手掛かりは、次元の成立の仕方にある。 混沌が0次元だとすると、1次元の時間と3次元の空間の成立過程に順番はあるのだろうか。 時間的な記憶と空間的に記憶
言語の研究をする上で、私の大きな利点は数学を使えない事である。 チョムスキーは数学で言語のメカニズムを解けると考えたが、私は、このお陰で、人間に言語と数学の両方を与える事の出来る記号(記憶子)の成立
我々の思考は、記憶操作であると言うのが基本である。
一般的に存在と言うと物質を引き合いに出して「形のあるもの」と「形の無いもの」に分ける事があるが、これは間違いで全ての存在には何らかの形がある。 私は存在を「時間の流れに抗って同じ形を維持し、更に別の
数学というのは記憶を記述するメソッドである。
私が存在論に「自己記憶」という概念を持ち込むのは、既に粒/単位が存在する時空間/場が既に確立している状態で、何ものかの存在の有無を議論するのではなく、この時空間/場自体が確立される過程、つまり「連続し
記憶、あるいは自己記憶が成立する為には、形が再現される必要がある。 記憶されるのは常に形なのである。 例えば、音楽は人間に固有であるという時、何が本質であるのかと言うと、人間だけが音階を理解する事
生命に共有している認知システムの一部である記憶のメカニズムは、正しく理解されていないと思う。 例えば、心理学や言語学では、生命に記憶と言う機能が備わっている事は、当たり前な事の様に捉えられていて、記
PIVOT 公式チャンネル:【宇宙物理学最後の謎に迫る】東京大学教授・戸谷友則/宇宙になぜ生命があるのか/「戸谷論文」の衝撃/宇宙論の現在/宇宙はクリーム色?【EXTREME SCIENCE】 「宇宙には何故生命がある
記憶するという事は、自らの実体を保存し、それを後から再現するという過程であり、これは、我々がインターネット等を通して、プログラムやファイルを共有できるのと似ている。 これが可能になるのは、それが情報
Closer To Truth:Roy Baumeister - How are Humans Unique? この動画で、Robert Lawrence Kuhn 氏が「動物と比較して人間に固有なものは何か」と心理学者に質問しているのだが、彼の答えはどれも的外れである。
記憶と言うのは生命の持つ認知システムを構成する一つの重要な機能であると言う理解がなされているが、記憶に特殊な構造があり、情報伝達の視点から、形式的なアプローチを取る事が出来る。 記憶とは自己同一性を
波から粒に変わる離散分裂には、反動が伴う。 それが、粒同士を引き寄せる重力である。 粒同士が(再び)出会うと、粒が波に戻り、二つが融合し、新しい自己同一性を確立する。 でも、これは本当に「波」な
生命の形を記録する遺伝子は、同時に生命の行動のシーケンスを記録していると考えている。 認知システムの基本となる自己意志は、遺伝子によって確立されている。 これを解明するには、ソシュールの記号の発展
Daily Dose Of Wisdom:Scientists Are Changing Their Minds (EVIDENCE For God!) 私の強みは、認知システムからの言語の誕生のメカニズムを知っている事であるが、これが、量子力学及び、生命の起源と進化を司
自己記憶という、この宇宙のあらゆる存在を支える動的なメカニズムは、連続した波動の蓄積によって形成される混沌からの離散化という過程を通るが、これは更に、離散分裂(再)融合更新循環サイクルという、離散的な
Klee Irwin 氏が提唱する自己シュミレーション仮説では、物理主義からの脱却を図り、物質を情報で置き換える事を主張しているが、これは不完全。 何故なら、物質も情報のどちらも、単位として成立した段階をデフ