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2009/04/07

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  • 西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その5。茶どころ通り。豊岡街道。霞川。金子駅。(「都県境を探ってみる」。第11回目)

    都県境になっている茶畑内の農道を歩きます。入間市側の茶畑。青梅市側の茶畑。「茶どころ通り」を横切ります。昭和61年、市制施行20周年記念事業の一環として市民より愛称の募集を行い、「茶どころ通り」と名づけられました。一面の茶畑の中を続くこの道からは、冬の真っ白な富士山、奥多摩、丹沢の山並みが展望でき、空の広さを感じさせます。(「」HPより)茶どころ通りは、茶畑の中を通る約6キロメートルの一本道。(「入間市観光協会」HPより)今回歩いたところは、西のはずれに当たります。集落に近づきます。左手、茶畑内に都県境。左に「東京都水道局北部中継ポンプ場」。その施設の東の小川が都県境になっています。この先の集落が東京都と埼玉県になります。この住宅地は、入間市木蓮寺地区。都県境になっている道。右が青梅市、左が入間市。この先...西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その5。茶どころ通り。豊岡街道。霞川。金子駅。(「都県境を探ってみる」。第11回目)

  • 西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その4。牧場。圏央道。狭山丘陵・茶畑。(「都県境を探ってみる」。第11回目)

    「青梅市自立センター就労支援事業所」の前の道を西に向かいます。青梅市自立センター就労支援事業所関係する法律に基づき、原則として18歳以上で雇用されることの困難な障害者の方に対して、社会生活に必要な支援および訓練を行い、就労に結びつけることを目的とします。就労支援事業所にあっては、就労移行支援と就労継続支援(B型)の二つを兼ね備えた多機能型とし、それぞれの事業にあった内容で進めていきます。(「」HPより)※昨年春、この施設ではありませんが、青梅市内の「自立支援施設(青梅市新町3丁目)」で、職員による日常的な暴力・虐待があり、入所者(当時30)が死亡したことが報道されました。右手の道を進むと、都県境になるようですが、この先に、牧場があります。正面にある「圏央道」の方向に進みます。「青梅スタジアム」。そこを左折...西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その4。牧場。圏央道。狭山丘陵・茶畑。(「都県境を探ってみる」。第11回目)

  • 西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その3。腰を屈んで通ったトンネル。八高線。瑞穂町から青梅市に。(「都県境を探ってみる」。第11回目)

    この道が都県境。来た道を振り返る。左が埼玉県入間市、右が東京都瑞穂町。「埼玉県入間市大字寺林字表山」。都県境は、正面のゴルフ場方向へ。頭上には相変わらず飛行機の騒音が。左に折れて進みます。ゴルフ場の縁が都県境のようです。奥がゴルフ場。栗原新田交差点。ここを右折します。右手奥に都県境。JR八高線の手前、龍泉寺脇の道を入ると、ゴルフ場からの都県境の道に。壁沿いの道。都県境になっている細道。左に進むと、八高線をくぐり抜けるトンネルが現れます。屈んで歩くしかない、きわめて天井の低いトンネル。頭上が八高線。振り返る。都県境歩きでは貴重な体験をします。八高線、飯能方面に行く電車が通過中。抜けると、畑が広がります。雑木林や竹が続く道。農作業の道なのでしょうか?轍の跡が。都県境は、この先、南西に折れ、すぐ鋭角で北西に進み...西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その3。腰を屈んで通ったトンネル。八高線。瑞穂町から青梅市に。(「都県境を探ってみる」。第11回目)

  • 西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その2。三州瓦。日光街道。二本木上宿の道標。頭上の飛行機。(「都県境を探ってみる」。第11回目)

    「国道16号線」の手前に、瓦屋さん。鬼瓦。小学生の頃、家の近所に大きな瓦製造業がありました。社会科見学で訪問したことがありますが、今ではどこにあったかも定かではありません。瑞穂町大字駒形富士山88。三州瓦(さんしゅうがわら)愛知県(旧・三河国)で生産されている粘土瓦。石州瓦、淡路瓦と並ぶ「日本三大瓦」の一つ。現在は西三河が生産の中心となっているが、20世紀半ばまでは東三河でも生産が盛んであった。三州瓦の日本国内シェアはトップであり、日本の年間瓦生産総数の約60%を占めている。良質の三河粘土が産出され、東日本の需要地に近いという利点もあって、全国の瓦に占める三州瓦のシェアは1965年(昭和40年)の24.5%から1980年(昭和55年)には34.4%、1995年(平成7年)には47.9%まで上昇している。三...西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その2。三州瓦。日光街道。二本木上宿の道標。頭上の飛行機。(「都県境を探ってみる」。第11回目)

  • 西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その1。入間市宮寺。めだか屋。不老川。(「都県境を探ってみる」。第11回目)

    1月21日(土)。晴れ。今回は、西武線「小手指駅」から西武バスに乗り、終点の「宮寺西」から歩き始めます。○が「宮寺西」バス停付近。左の大きい道路は「国道16号線」。西に向かって進みます。狭山丘陵から西、平地をジグザクに進んだ都県境と、この付近で合流します。入間市宮寺。この右手奥が都県境。「めだか屋」(入間市宮寺)。(「」HPより)大岳山が正面遠くに(↓)。茶畑の向こうに富士山(↓)。左手は、東京都瑞穂町。右は、入間市。不老川。上流方向。下流方向。不老川(としとらずがわ、ふろうがわ)東京都及び埼玉県の主に武蔵野台地上を流れる一級河川。荒川水系新河岸川の支流である。東京都西多摩郡瑞穂町の狭山池の伏流水が水源とされる。瑞穂町二本木の国道16号付近に水路が見られる。そこから北東へ向かって流れ、埼玉県入間市宮寺と藤...西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その1。入間市宮寺。めだか屋。不老川。(「都県境を探ってみる」。第11回目)

  • 「向島百花園」。冬牡丹・「長恨歌」。冬至梅・唐梅。八重・一重寒紅。まゆみ(檀)。さるすべり(百日紅)。・・・、そしてユリカモメ。

    「向島百花園」。入口に紅白の冬牡丹。牡丹:別名は「富貴草」「富貴花」「百花王」「花王」「花神」「花中の王」「百花の王」「天香国色」「名取草」「深見草」「二十日草(廿日草)」「忘れ草」「鎧草」「ぼうたん」「ぼうたんぐさ」など多数。原産地は中国西北部。花を観賞するために栽培されている。・・・。元は薬用として利用されていたが、盛唐期以降、牡丹の花が「花の王」として他のどの花よりも愛好されるようになった。たとえば、『松窓雑録』によれば、玄宗の頃に初めて牡丹が愛でられるようになったものの、当時は「木芍薬」と呼ばれていたと記載される。また、隋の煬帝や初唐の則天武后が牡丹を愛でたという故事がある。ただし郭紹林はこれらの故事を慎重に検討し、虚構であると結論づけている。清代以降、1929年までは中国の国花であったとされるこ...「向島百花園」。冬牡丹・「長恨歌」。冬至梅・唐梅。八重・一重寒紅。まゆみ(檀)。さるすべり(百日紅)。・・・、そしてユリカモメ。

  • やんちゃなソウタ。落ち着いたアンズ。いつも取っ組み合いをし、逃げ足の速さに負けるソウタ。

    朝のひととき。そっぽを向くアンズ。遊ぼうよ、というソウタ。アンズに無理矢理近づくと、サッと逃げるアンズ。ある日の夕方。箪笥の上に。下のテレビ台に。それでも、コタツの中では仲良く寝ている時も。一安心。ソウタ。目線が合うと、猫じゃらし持参の上で、遊んで、と。ソウタの七つ道具の一つ。一人遊びも得意。今度は、ジジ。結局、飽きて、本人は、ベッドの上で毛繕い。そして、スヤスヤ。アンズは、コタツの中で、ゆっくりと(寝ています)。起き出してくると、かみさんにはえらくなついていて、気付くと、肩まで飛び乗ったり、足もとにじゃれついています。悔しいくらい。二人は、家族とのバランスをうまくとっているようです。やんちゃなソウタ。落ち着いたアンズ。いつも取っ組み合いをし、逃げ足の速さに負けるソウタ。

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。番外編。青梅街道・日光街道。箱根ヶ崎。(「都県境を探ってみる」。第10回目)

    青梅街道に出ました。昔のままの青梅街道着色したこの街道は、昭和の初めまで青梅街道として人々の行き交う生活道路でありました。道路の幅は4.5㍍(2間半)で、今では青梅街道の、昔の姿を止める唯一の道の道です。村の頃、青梅から村に入った街道は、南北に走る日光街道に突き当たって右折し、50㍍ばかり進んだところで左折して東に向かっています。この方向には石畑や殿ヶ谷の村落が控えているので、下街道と名付けていたのです。・・・昭和初期から始まった道路整備の大工事で、青梅街道は日光街道と交差し、真っ直ぐこの時計台の所まで抜け、新道を完成させているのです。そこで、青梅街道歩きの時の記録。箱根ヶ崎に入る手前から再掲。「箱根ヶ崎」に向かって進みます。この付近の今昔。1880年代のようす。「至函根崎村道」が旧道か。流れは「残堀川」...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。番外編。青梅街道・日光街道。箱根ヶ崎。(「都県境を探ってみる」。第10回目)

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その8。六道の辻。遺跡広場。瑞穂町マンホール。残堀川。(「都県境を探ってみる」。第10回目)

    瑞穂町の住宅地に向かいます。「狭山湖堰堤から7.0㎞」。富士山が意外に近くに。「出会いの辻」へ。案内板。庚申塔。「六道庚申塚」と「六道の辻」解説板。この庚申塚は、江戸時代後期の文化10年癸酉(1813年)に武州多摩郡石畑村下組(瑞穂町石畑地区)の人々によって建立されたものです。・・・当時この場所は、旧石畑村と隣村との境界にあたり、村境の「サエの神」(守り神)を祀るのにふさわしいところでした。また、この場所は古くからの交通の要衝で、幾筋もの道が開かれ交差しています。・・・ここは昔から「六道の辻」と呼ばれていました。「六道山」の名称も、これに由来します。・・・当初、庚申塔の脇には榎が植えられ茂っていましたが枯死し、現在はその後植えられた二代目の榎が大きく茂っています。坂下に「瑞穂農芸高」が。「遺跡広場」解説板...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その8。六道の辻。遺跡広場。瑞穂町マンホール。残堀川。(「都県境を探ってみる」。第10回目)

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その7。三方入(御判立)ゲート・御判立。瑞穂町。六道山公園展望台。(「都県境を探ってみる」。第10回目)

    しばらく進むと、「三方入(御判立)ゲート」。解説板。御判立(ごはんだて)この場所は、諸説ありますが、昔、村と村とを往来する幹線道路の要所で、江戸時代三ツ木村と勝楽寺村の境目の目印が立てられていたそうです。また、武蔵村山市史によると役所からの連絡などを掲示する場所として定められ、それを守る番小屋があったとも伝えられています。ここから都県境は、北に向かうため、探索出来ず。散策路のこの先、歩く道は、都県境の道ではなく、右は、東京都瑞穂町、左は、武蔵村山市になります。来た道を振り返る。右が瑞穂町、左が武蔵村山市。右が「瑞穂町大字畑・・」。左に行くと、「赤坂」。右は水源用地(立入禁止)。左は、奥深い森。猿久保にある案内板。→が「都県境」。けっこう急で深い谷。うち捨てられ、朽ち果てた車。ここまで持ってくる(乗ってくる...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その7。三方入(御判立)ゲート・御判立。瑞穂町。六道山公園展望台。(「都県境を探ってみる」。第10回目)

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その6。野山北・六道山公園。冒険の森。谷戸への道。(「都県境を探ってみる」。第10回目)

    「村山温泉かたくりの湯」バス停から再開。狭山丘陵一帯には、5つの都立公園があります。都県境にもなっている「狭山公園」「八国山公園」とたどってきました。ここからは、「野山北・六道山公園」。野山北・六道山公園は、首都圏に残された「緑の島」都立狭山自然公園の西端にあり、雑木林と谷戸(丘陵に切れ込んだ谷間)の組合せによって、豊かな自然が残された都立で最大の都市公園です。カタクリの群生地やホタルの生息地、里山民家や岸たんぼといった、貴重な里山の風景が広がっており、里山の生活や文化を体験できるほか、ハイキングや野鳥観察、森遊びなど様々な楽しみ方ができる公園となっています。(この項、「」HPより)「冒険の森」脇の山道を進み、尾根道へ。※尾根道の途中「御判立」までが都県境。右手の道を進む。尾根道の途中までが、都県境になっ...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その6。野山北・六道山公園。冒険の森。谷戸への道。(「都県境を探ってみる」。第10回目)

  • ある日のソウタ。現在、体重5.2㎏。好奇心旺盛。アンズは、マイペース。

    人なつこいソウタ。かまって欲しい。パソコンをやっていると、ドッサリと座り込む。と、テレビの向こうが気になるのか。何にもないや。重たいので、しなっている。何やっているの?TVをチラッと見て、つまらないや。アンズに近寄ってきて、何かあるの、この下に、と。2人の関係は、微妙です。そして、ソウタは別の興味に。アンズは、コタツの中に入りこむ。宅配便が届くと、空箱にスッポリ。箱の中から。箱から出て。再び箱の中に。縦になっても、姿を隠したまま。ある日のソウタ。現在、体重5.2㎏。好奇心旺盛。アンズは、マイペース。

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その5。藤棚の休憩広場。かぶと橋。武蔵村山市役所。「かたくりの湯」へ。(「都県境を探ってみる」。第10回目)

    多摩湖通り」に沿った道を進むと、右手に「藤棚の休憩広場」。来た道を振り返る。この付近で、都県境は西へ進み、狭山丘陵の中に入り、野山北・六道山公園の尾根づたいになります。そこまでの道は歩けないので、「多摩湖通り」から分かれ、右の道を進みます。「かぶと橋」「武蔵野の森」。頭上にカブトムシのモニュメント。振り返る。「境界点標示東京都」。尾根道(都県境)直下にある「村山温泉かたくりの湯」方面に進まず、そのまま坂を下ってしまいます。すぐ、住宅地へ。来た道を振り返る。住宅地の坂道を下る。武蔵村山市のマンホール。中央に市章、下に「ひがしむらやま」。亀甲模様?武蔵村山市全図。「石橋供養塔」。近くを流れる「空堀川」に関係するものか?青梅街道へ。武蔵村山市役所。ここまで順調に着きました。まだお昼前。さてどうしたものか?運良く...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その5。藤棚の休憩広場。かぶと橋。武蔵村山市役所。「かたくりの湯」へ。(「都県境を探ってみる」。第10回目)

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その4。狭山湖(山口貯水池)。こなら橋。・・・くぬぎ橋。(「都県境を探ってみる」。第10回目)

    狭山湖(山口貯水池)に向かう道路。狭山湖(山口貯水池)は、ここからは望むことは出来ません。狭山湖(山口貯水池)埼玉県の南中部に位置する所沢市と入間市の境界にまたがり、東京都の水がめとして昭和9年に完成した人造湖で、正式名称は「山口貯水池」です。周辺は県立狭山自然公園になっており、春はソメイヨシノやヤマザクラなどの2万本もの桜、秋は紅葉、湖面に映る木々や富士山、さらにバードウォッチングなども楽しめます。四季の美しい情景は、埼玉の「自然百選」や「ダム湖百選」に選ばれています。(「埼玉県公式観光サイト」より)狭山湖の歴史狭山湖(山口貯水池)は、はじめから湖だったのではないことを知っていましたか?市内を流れる柳瀬川の上流をせき止めて作られた人造湖(じんぞうこ)なのです。そもそも、狭山湖の底には勝楽寺村(しょうらく...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その4。狭山湖(山口貯水池)。こなら橋。・・・くぬぎ橋。(「都県境を探ってみる」。第10回目)

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その3。こぶし橋、・・・。多摩湖橋。慶性門・ダイダラボッチ像。(「都県境を探ってみる」。第10回目)

    多摩湖(村山貯水池)の岸辺は入り江のように入り組んでいるので、この先、けっこうたくさんの橋が出てきます。※多摩湖(村山貯水池)完成当初は多摩川の水を羽村取水堰で取り入れ、導水管にて村山貯水池に導いて貯水し、ここから境浄水場へ導水して浄水処理を行い、和田堀浄水池・淀橋浄水場を経て東京市内へ給水された。淀橋浄水場が東村山浄水場に統合されて以後は、村山貯水池-東村山浄水場-境浄水場-和田堀浄水池を経由する。また、第一村山線と第二村山線で東村山浄水場及び境浄水場に原水を送水するが、バックアップ用として東村山浄水場経由で朝霞浄水場及び三園浄水場にも送水することがある。「こぶし橋」。ただ水面は見えません。周辺の木々になぞらえて付された橋の名のようですが。それにふさわしい絵柄。伐採した木がたくさん。右手に長屋門が見えて...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その3。こぶし橋、・・・。多摩湖橋。慶性門・ダイダラボッチ像。(「都県境を探ってみる」。第10回目)

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その2。「夕陽館」。多摩湖自転車歩行者道。西武山口線。「西武球場」。(「都県境を探ってみる。第10回目)

    「遊園地」内に劇場風の建物。「夕陽館」。「ゴジラ・ザ・ライド大怪獣頂上決戦」というアトラクションをやっているらしい。昭和時代のようなノスタルジックな雰囲気作りの「ゆうえんち」。右には、西武球場に向かう「西武山口線」。元々は1950年(昭和25年)に開業した多摩湖ホテル前駅とユネスコ村駅を結ぶ単線「おとぎ線」を走る、「おとぎ電車」という名称の遊戯施設で軌間762mmの「軽便鉄道」だった。1952年(昭和27年)に「おとぎ線」を地方鉄道法に基づく地方鉄道に転換し「山口線」と改称したが、「おとぎ電車」の名はその後も用いられた。運賃は西武鉄道の他の一般鉄道路線とは別建てで大人片道200円、子供片道100円で営業時間は9:30から17:30まで。当初は蓄電池機関車(バッテリーロコ)だけだったが、1972年(昭和47...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その2。「夕陽館」。多摩湖自転車歩行者道。西武山口線。「西武球場」。(「都県境を探ってみる。第10回目)

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その1。多摩湖駅。多摩湖・村山貯水池。(「都県境を探ってみる。第10回目)

    「西武園駅」。下車した中高年の男性が次々と向かう先は、右手にある「西武園競輪場(場外)」。それを横目に見ながら先に進みます。この付近からは、この道路が都県境になっています。右が埼玉県所沢市、左が東京都東村山市ですが、この先で、東大和市になります。。右に「西武園ゆうえんち」。眼下に西武線「多摩湖駅」。駅周辺には、住宅地が広がっています。(「Wikipedia」より)村山貯水池・多摩湖周辺の鉄道の変遷。そういえば、少年時代、「ユネスコ村」に来たことがあります。「狭山公園」。「排水路トンネル」。トンネルの向こうに、「多摩湖・村山貯水池」。新東京百景、東やまと20景として東大和市のシンボルとなっている多摩湖は、桜と紅葉の名所として知られ、憩いの場として親しまれています。大正5年から昭和2年の間に建設され、水没移転...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その1。多摩湖駅。多摩湖・村山貯水池。(「都県境を探ってみる。第10回目)

  • 向島百花園。献上七草籠・子規縁の七草籠。そして、桜橋。ユリカモメ。

    1月4日。晴れ。穏やかな日より。今年最初の向島百花園。三々五々連れ立っての人々。それぞれの歩調の一歩初明り令和5年。「癸卯(みずのとう)」の年。献上七草籠。正岡子規ゆかりの七草籠こちらの七草籠は正岡子規著の「墨汁一滴」に書かれた、伊藤左千夫が正岡子規に届けた七草籠を基に作成したものです。病床の子規のために、「ほとけのざ」の名前は縁起が悪いため「かめのざ」に変えた木札を立て、赤いカブを仕立てた七草籠を贈りました。あら玉の年のはじめの七くさを籠に植ゑて来し病めるわがためスカイツリー。元旦。孫達は、最上階の展望台まで上がった、とか。今年は、「梅祭り」も開催できそうな。隅田川に架かる「桜橋」へ。台東区側の「桜橋船着場」にユリカモメの群れ。鳩も一緒に。オオバン?川面に。スカイツリー。両国橋花火の賑わい。テラスには、...向島百花園。献上七草籠・子規縁の七草籠。そして、桜橋。ユリカモメ。

  • 西武線「秋津駅」~「西武園駅」。その6。「都立八国山緑地」その3。サルノコシカケ。コナラやクヌギ。西の入口広場。西武園駅。(「都県境を探ってみる。第9回目)

    「八国山緑地」歩きの続き。「サルノコシカケ」が。一般に、「猿の腰掛け」の名の通り、樹木の幹に無柄で半月状の子実体を生じるものが多いが、背着生のものや、柄とかさとを備えるものもある。子実体は一般に堅くて丈夫(木質・コルク質・革質など)であるが、一部には柔らかな肉質のものもある。胞子を形成する子実層托は典型的には管孔状をなしているが、迷路状・ひだ状・鋸歯状などをなすこともあり、一つの種の中でも、子実体の生長段階の別、あるいは子実体の発生環境の影響などによって種々に変形することが多い。(「Wikipedia」)より)穏やかな日差し。所沢市方面。境界標。珍しく花が。ヤツデ。所沢市側は崖状になっています。急坂。コナラやクヌギなどの雑木林の森。周辺の地図。下が北。右に、あとわずかで。西の出発点。振り返る。「西の入口広...西武線「秋津駅」~「西武園駅」。その6。「都立八国山緑地」その3。サルノコシカケ。コナラやクヌギ。西の入口広場。西武園駅。(「都県境を探ってみる。第9回目)

  • 「今半おせち」。「幻」・「九平次」、・・・。(我が家の元旦。)

    明けましておめでとうございます。今年のおせちは、「今半」。それぞれ美味しく食べました。他にもあれこれ、料理が。息子や娘、孫達が勢揃いの一日でした。じいさん達は、お酒三昧。かくして1年の始まり。左は、「誠鏡純米大吟醸幻」(赤箱入り)。日本酒やウイスキー、ワインに・・・。それぞれが楽しんでいます。「上㐂元(上機嫌)」。「醸し人九平次」。中央のお酒。「SHIRONEKO」。まるで「利き酒の会」のごとし。ソウタが大興奮。飛び回り、駆けずり回り、グラスの置いてある皿に乗かって、いくつものグラスを割ってしまったのが、ハプニング。その後、ご本人は、半日、殊勝にしていました(?)。「今半おせち」。「幻」・「九平次」、・・・。(我が家の元旦。)

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