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自転車と徒歩と携帯でご近所散策にっき
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138回 / 365日(平均2.6回/週)

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おやじのつぼさんの新着記事

1件〜30件

  • 「能取(のとろ)岬」・「能取岬灯台」・「オホーツクの塔」。(網走行。その4)

    9日(土)。ホテルからの網走湖。明け行く空と湖水と木々。眼の下を列車が通過中(↓)。「石北本線」。1932年(昭和7年)10月1日に難所だった北見峠を越える石北線が全通して、旭川から北見・網走方面を結ぶ最短経路の鉄道が開通した。通過しているのは、「旭川」行きの列車?(「Wikipedia」より)今日も天気はよさそうですが、ホテルの道路や車のガラスは夜の内に降った雪で、一面びっしり凍り付いています。余談ですが、レンタカーを借りたとき、助手席の足下に大きなブラシが置いてありました。ちょっと邪魔くさいな、何でこんなものがあるんだろうと後ろの座席に放っておきました。朝出発するときに初めて気づきました。ああ、このためにあったのだな、と。これでゴシゴシとフロントガラスにびっしり張り付いた氷を落とします。東京では、お湯を掛け...「能取(のとろ)岬」・「能取岬灯台」・「オホーツクの塔」。(網走行。その4)

  • 「オホーツク流氷館」・「天都山展望台」。(網走行。その3)

    遠くにオホーツク海、その向こうに知床半島の山並み。「網走監獄」の近くにある「オホーツク流氷館」、「天都山展望台」へ。流氷とオホーツク海の生き物をテーマとした観光施設。正面と左右上下に展開する総インチ数400インチの大迫力5面「流氷幻想シアター」が、ちょうど始まったところ。視界すべてに広がり、映像に包み込まれます。オホーツク海の四季。特に流氷のど迫力に圧倒されます。展望台では、一面に広がるオホーツク海、網走湖、能取湖、濤沸湖、藻琴湖、知床連山の雄大な絶景を体感できます。「館内」。「クリオネ」。小さくて何を撮ったのか分からず。画像を拝借。「流氷体感テラス」。(写真は、「」HPより)マイナス15℃の室内で本物の流氷に触れ、夕景や夜明け、低緯度オーロラの再現を体感。今年の流氷が100t展示されています。濡れたタオルを凍...「オホーツク流氷館」・「天都山展望台」。(網走行。その3)

  • 「博物館 網走監獄」その2。(網走行。その2)

    現在の網走刑務所全景。(「Wikipedia」より)「博物館網走監獄」は、元々の「網走監獄(刑務所)」があった位置ではありません。1973年(昭和48年)に網走刑務所の改築計画が公表され、貴重な建築物が失われることを憂慮した網走新聞社(現在は廃刊)社主の佐藤久が、刑務所建築物の移築保存=「刑務所施設の博物館構想」を提唱しました。これに網走市、北海道、法務省などの関係機関も協力し財団法人を設立することになります。建物の移築や復原のために9億円の資金を財団が借り入れるため、佐藤は借入金の個人保証をするなどの努力があり、金融機関も資金を貸し付けることで実現しました。今では全国にある博物館の中でも、「網走監獄」は、多くの訪問客を集めています。1980年(昭和55年):財団法人設立認可。1983年(昭和58年):開館。「...「博物館網走監獄」その2。(網走行。その2)

  • 「博物館 網走監獄」その1。(網走行その1)。

    7日~9日。所用のため、網走まで初めて出かけました。東京は、20℃ほど、網走は7℃ほど。寒いから冬の格好で、と言われ、ダウンのコートを携えて。三日間とも雪雲は時々通りすぎましたが、日中は、おおむね晴れ。特に、8日は快晴。しかし、夜になると、雨が雪に変わってちらつきます。翌日は周囲は、うっすらと霜が降りたよう。道路は凍っています。同行の方がかつて網走で仕事をしていた方で、レンタカーで三日間。市内の様子も、運転も慣れているようで、安心して同乗。初日。羽田を飛び立ち、午後1時前に「女満別空港」に到着。足下がひんやりして、寒さを実感。さあ、出発です。「網走に来たら、ぜひここは見学した方が」ということで、「網走監獄」へ向かいました。昼食は、「監獄食堂」で網走刑務所の受刑者が食べている「監獄食」を。ご飯(米7割・麦3割)、...「博物館網走監獄」その1。(網走行その1)。

  • 老嬢Sの寝物語。

    今振り返ると、けっこう幸せな人生だった。いい人生だったわ。人並みの生活が送れて。あなたもそうでしょうけど。・・・夢見ながら話しているの。10年、20年・・・。もうそんな長く生きたいとは思わないわよ。わがままいっぱいで来ただけ。ホントウよ。今、色々整理しているんだけれど。着物もすっかり全部処分した。他にもあれこれ。食器もアメリカで買ったすてきなコーヒーカップなど、色々あるんだけれど。けっこう高かったし、・・・。でも、娘達は要らないっていうし、バザーにでも出そうかしら。そうよね、食器で自分たちで気に入ったものを選ぶものよね。・・・中学の時の先生にとても気に入られて、色んな所に連れて行って貰ったわ。海水浴とか銀座とか。あなたもご存じの先生よ。今じゃ問題になっちゃうかもね。もちろん誰かと一緒よ、誘ってね。先生って、生徒...老嬢Sの寝物語。

  • 読書「ボンヘッファー 反ナチ抵抗者の生涯と思想」(宮田光雄)岩波現代文庫

    「キリスト教神学者でありながら,反ナチ抵抗運動の一員としてヒトラー暗殺計画に加わり,ドイツ敗戦直前に強制収容所で処刑されたディートリヒ・ボンヘッファー(1906―45).生命を賭して時代への抵抗を貫き,若くして殉教への道を選んだのは,なぜか.新たな知見も交えながら,その生涯と思想の意味を現代に問う。」とあります。極めて示唆的な言葉。1940年頃に執筆された遺稿『倫理』草稿より。「平穏な時代の静かな流れにおけるよりも、むしろ、嵐の時代において、人間性の弱さは、よりいっそうはっきりと示される。予期しない脅威やチャンスに直面して、不安・欲望・依存心・獣性といったものが、圧倒的多数者の行動の動機として示される。このような時に独裁的な人間軽蔑者があらわれて、人間の心の低俗な部分を養い育て、これにほかの名前をあたえることに...読書「ボンヘッファー反ナチ抵抗者の生涯と思想」(宮田光雄)岩波現代文庫

  • 台風19号の爪痕。二子玉川。

    多摩川の決壊・水害が報じられています。東急「二子玉川」駅の南側。かなり以前、このブログで取り上げたことがあります。再掲します。二子玉川園。多摩川陸閘跡2011-06-2820:49:08|歴史・痕跡東急田園都市線・大井町線「二子玉川」駅。かつての駅名は、「二子玉川園」。駅名は、駅の東側にあった「二子玉川園」という遊園施設に由来しています。戦前の1922(大正11)年に「玉川第二遊園地」や「玉川プール」などが開設され、行楽地として賑わいました。(「二子」という地名そのものは神奈川県川崎市高津区にある地名。多摩川をはさんであった左岸が東京都世田谷区瀬田に編入された。東京側は「玉川」)太平洋戦争中はパラシュート練習場が、海軍空挺部隊や陸軍挺進連隊の訓練設備として使用されました。戦後、玉川第二遊園地は、「二子玉川園」と...台風19号の爪痕。二子玉川。

  • 千葉都市モノレール「千城台」駅~JR東金線「東金」駅。その5。(「東金御成街道」をゆく。第2日目。)

    坂を上ると、里山が広がります。来た道を振り返る。森と畑。(13:15)その先に「圏央道」が見えてきます。その先の県道を越えると、砂利道になります。左右はソーラーパネルの発電所になっています。その道ばたで小休止。この付近の今昔。1880年代のようす。破線が旧道(↓)。2010年代のようす。この当時はまだソーラー施設はない。(13:40)「国道409号線」に突き当たります。ここまでが直線道路としての旧「東金御成街道」。「東金市」の標識。来た道を振り返る。ここが一応のゴール。この先、東金御殿跡の「県立東金高校」まで4㎞以上、まだまだ街道歩きは終わりません。表道と裏道があったようですが、まずは国道歩きから。(13:48)由緒ありそうな大きなお屋敷。その先にも。西側が新興住宅地。台風15号の爪痕が痛々しい木々。(14:0...千葉都市モノレール「千城台」駅~JR東金線「東金」駅。その5。(「東金御成街道」をゆく。第2日目。)

  • 千葉都市モノレール「千城台」駅~JR東金線「東金」駅。その4。(「東金御成街道」をゆく。第2日目。)

    (12:20)相変わらずアップダウンが続きますが、車はぐっと少なくなります。この辺も台風被害あり。住宅地に入っていきます。道路上にトタン屋根などが。屋根瓦も壊れています。(12:34)広大な北総台地。農作物の被害も多いようです。やがて前方に斜度14%という表示のある急坂が見えてきます。「馬渡しの険」と呼ばれたところで、一気に下って、一気に上る。(12:37)その坂の途中に「上砂(かみいさご)の一里塚跡」碑。八街市指定文化財(史跡)御成街道の一里塚この塚は、慶長18年(1613)に徳川家康が佐倉城主土井利勝に命じて造らせた御成街道の一里塚である。一里塚とは、街道沿いに一里ごとに設けられた里程標で、江戸時代には徳川幕府による街道整備政策の一環として全国の主要街道に設置された。塚上には松や榎が植えられ、寒暑や風雨を避...千葉都市モノレール「千城台」駅~JR東金線「東金」駅。その4。(「東金御成街道」をゆく。第2日目。)

  • 千葉都市モノレール「千城台」駅~JR東金線「東金」駅。その3。(「東金御成街道」をゆく。第2日目。)

    ほぼ一直線ですが、けっこうアップダウンがあります。谷津(谷戸)と丘陵地帯が交互に現れます。道ばたにはヒガンバナが。(11:00)「おなりみるく工房」をすぎて、「袖ケ浦カンツリークラブ新袖コース」にさしかかると、道筋には台風15号の爪痕が。フェンスが壊れ、倒木が目立ちます。道路の左側のようす。ゴルフ場内の倒木。しかし、グリーンなどは被害が無く、ゴルファーの姿も。(11:17)道路上では、かなりの距離にわたってNTT通信施設の復旧工事中。愛媛ナンバーの車も。「通信施設災害復旧車」。暴風雨のせいでしょうか、畳が何枚も。(11:26)道が左にカーブするところで、「八街市」に入ります。そこで、「東金御成街道」は、森の中に消えていきます。街道消滅の解説板が上方に。御成街道は、徳川家康が初代の佐倉城主土井利勝に命じて造らせた...千葉都市モノレール「千城台」駅~JR東金線「東金」駅。その3。(「東金御成街道」をゆく。第2日目。)

  • 千葉都市モノレール「千城台」駅~JR東金線「東金」駅。その2。(「東金御成街道」をゆく。第2日目。)

    田園風景が広がります。栗畑。名産のピーナツ畑。ハウスのイチゴ栽培。(10:18)しばらく進むと、右へ下る坂道が旧道。広い道につながります。右手の高台には、中田やつ耕園(中田都市農業交流センター)。本市の主要な農業地域である鹿島川流域(15町4,100ha)のいずみ地区を対象に、都市部と農村部の市民交流を促進し、農業振興と地域の活性化を目指す「いずみグリーンビレッジ事業」の交流拠点施設の一つです。農作業を楽しめる市民農園を中心とし、そのほかにも野バラ園や芝生広場などがあり、レクリエーションの場として活用できます。(この項、「」(中田市民農園管理組合)HPより)その先は田畑の中の一本道。「県道66号線」を横切り、曲がった急坂を下り、家並みを過ぎると、再び、真っ直ぐな街道へ。来た道を振り返る。(10:35)「富田入口...千葉都市モノレール「千城台」駅~JR東金線「東金」駅。その2。(「東金御成街道」をゆく。第2日目。)

  • 千葉都市モノレール「千城台」駅~JR東金線「東金」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第2日目。)

    9月28日(土)晴れ。「東金御成街道」歩き。今日で、終着地までの予定。というのも、歩くコースには、路線バスはなく、コミュニティバスがあるのみ。当然、鉄道はなし。「東金」駅まで行かなければ・・・、と。(9:22)前回の「御成台1丁目」交差点まで戻って、再開。東に向かいます。いきなり急坂。けっこうなアップダウン。車道が急に狭くなり、車が坂道をすごい勢いで下り、そして上ってきます。冷や冷やしながらの歩き。右手は公園、池も見えます。やっと道幅も広くなって一安心。と、後ろを振り向くと、「ちょうちん塚」が。直線の道をつくるために、昼間は白旗、夜は提灯を目印として、小高い場所に掲げたといわれていて、その目印となった場所が、その後、一里塚となったようです。道路の向い側にも同様の塚があったようですが、現在はもう残っていません。そ...千葉都市モノレール「千城台」駅~JR東金線「東金」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第2日目。)

  • JR都賀駅~千葉都市モノレール「千城台」駅。その2。(「東金御成街道」をゆく。第1日目+α。)

    開発が進む中、まだまだ緑が残っています。「御菓子司麻布菊園」。「麻布」という地名と「菊園」という屋号のいわれは?屋号菊園のいわれ先代菊園店主は、加賀百万石の城下より身をおこし、大正・昭和の御代を通じ宮中に於いて和菓子を以って御奉仕してまいりました。宮中御儀式及び両陛下宮様方御日常の御菓子をはじめ宮中の秘菓名菓を誠心込めて謹製し、昭和三十年、長い宮中奉仕の大任を終えました。その際、菊の園生の愈々栄えまさんことを願い、故入江相政侍従長より『菊園』との屋号を戴き、現在に至ります。予約が多く、生産がまにあわないほどの人気お菓子。(この項、「」HPより)けっこう車がやってきます。なかなか繁盛しているようす。台風の影響で竹もやられています。こちらの森も。「若松町」交差点手前に、旧道。「佐倉街道古道」。「国道51号線」との交...JR都賀駅~千葉都市モノレール「千城台」駅。その2。(「東金御成街道」をゆく。第1日目+α。)

  • JR都賀駅~千葉都市モノレール「千城台」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第1日目+α。)

    ここを右に曲がった道が旧道の名残。○が鎌池交差点。この少し西から街道が復活。左下に「都賀」駅。(「今昔マップ」より)前回、当初は「千城台」駅まで歩く予定でしたが、途中でリタイア。次回の歩きを考えると、当初の予定のところまで行った方が得策。午後から晴れ間も出てきたので。9月15日(日)。晴れ。しかし、台風15号の被害が甚大な千葉県。興味本位ではいけないな、と。歩いていると、県南ほどではないようですが、歩いた沿道の樹木にはそうとう影響があったようす。JR総武本線「都賀」駅下車。線路沿いに北に向かい、「鎌池」交差点まで、約25分。自衛隊駐屯地東側のきわところから、「東金御成街道」が復活します。交差点までのわずかな区間が街道の名残(道幅が当初のまま)。「鎌池」交差点。「御成街道」という表示。このあとも、街道沿いに、この...JR都賀駅~千葉都市モノレール「千城台」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第1日目+α。)

  • JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その4。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

    (12:34)「犢橋(こてはし)」の宿に向かいます。旧家の大きな屋敷が目立ちます。下って、また上りの坂「油作の坂」。旧道の一部が残っているそうです。お堂の脇の左手の道。御成街道はほぼ直線に造成されたが、このあたりは工事を担当した村と村の接点で、東に向い工事してきた村と西に向かい工事してきた村とが目測を誤り、直線道として結びつかず、互いに主張を譲らなかったために曲がってしまったとか(「坂道散歩」さんのHPより)。以下、「房総史譚」HPより2009年12月25日(金)御成街道の犢橋宿を想う御成街道の「犢橋宿」は、街道沿いに人馬継ぎ立ての業務を行う「問屋場」の他、旅人相手の旅籠屋(渡辺屋・花嶋屋など)・茶屋(新茶屋)・酒屋・駄菓子屋・餅屋・荒物屋など、15軒ほどの店屋がありました。午後になると、華美な着物を着た「宿場...JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その4。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

  • JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その3。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

    (11:05)街道に戻って東に向かいます。街道筋らしい旧家がいくつかあります。「長屋門」風のおうち。街道はまっすぐ延びています。「長作」交差点の角にも立派なお屋敷が。「はばたけ未来へ長作っ子!」創立140周年の小学校。千葉市のマンフォールの絵柄。「大賀ハス」、市の木「ケヤキ」と市の鳥「コアジサシ」を描いたもの。最近、新しいデザインのものができたそうです。「マンフォールカード」より。ちなみに、千葉市の市章は、千葉氏の家紋「月星紋」をモチーフとしているそうです。緩やかにアップダウンを繰り返して進む街道。(11:30)「天戸台」交差点。「四街道」という地名が。12時前ですが、右手にある中華料理店で昼食、休憩。再開。(12:08)右手に椎の大木。御成街道と古木「椎の木」御成街道は、船橋御殿から東金御殿までの10里15町...JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その3。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

  • JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その2。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

    どこまでもまっすぐな街道。右手に「張替酒店」。以下の項は、「」HPより。写真も。・・・4代目店主の張替正信さんに、お話を聞きながら店内を案内してもらいました。張替酒店の創業は1905年(明治38年)で、今年でなんと創業114年になります。この建物は昭和6年に建てられて、今もなお現役で実際に住居としても使っているというのだから驚きです。釘を1本も使わずに組み上げられたそうで、今でも改修などで大工さんが来るとみなさんその技術の高さにビックリすると言います。大久保は現在の日本大学、東邦大学のあった場所に陸軍騎兵旅団の指令本部が置かれており駅前から続く商店街も含めて周辺には御用商人が軒を連ねていました。だから歴史あるお店もいまだに残っていて、張替酒店もその一つ。騎兵出身だった初代の張替一郎さんがお店を立ち上げ、以来終戦...JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その2。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

  • JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

    今回からの街道歩きは、「東金御成街道」。御成街道は1613年12月、徳川家康が東金へ鷹狩りに出かけるために作られた。家康に命令を受けた老中佐倉藩主土井利勝は船橋~東金間約37キロに及ぶ沿線の村々97ヶ所の明主を召集、村ごとに工事区分を分担させ、農民を動員し、昼夜兼行で造ったところから別名「一夜街道」「提灯街道」、また家康の名をとって「権現道」とも呼ばれている。下総台地の分水嶺を西南にほぼ直線につづく御成街道は道幅3間(約5.5m)、両側には松が植えらえ、小川には橋を架け谷間には土手を造り、船橋市本町4丁目、千葉市御殿町、東金市県立東金高校敷地の3ヶ所に宿泊所が建造された。御成街道のように真っ直ぐに造られた街道はとてもめずらしく北海道の一部を除いて他にない。現在の御成街道は造成や開発などで一部寸断されているところ...JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

  • 葛飾区銭湯めぐり。その10。そのぬくもり。「久の湯」。「吉野湯」。

    ㉓「久の湯」。葛飾区小菅3-11-17何かと気ぜわしい世間とはいささか離れて、今回、久々に銭湯巡りの報告です。台風15号が関東を直撃。我が家も夜中から朝方まで激しい雨風で、猫たちも不安なようすで、鳴き声がしきりに。電車もストップ。千葉などで大きな被害が出たもよう。ようやく静かになった、でもかあッと照り始めた日ざしの元、いつ運行するか分からないまま、自転車でおでかけです。「台風一過」。空気も少しは澄んできたようで、富士山が遠くビルの間から顔をのぞかせています。でも、今日の午後は9月としては記録的な猛暑になる、との予報。36℃。その通り、たしかに暑い!帰りもしんどいものがありました。しかし、陽が落ちると、ひところのような暑さは落ち着いて、銭湯通いも心地よい、ちょうどいい時節になりそう、といっても、残りわずかになった...葛飾区銭湯めぐり。その10。そのぬくもり。「久の湯」。「吉野湯」。

  • 相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その7。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

    歩道のタイル絵。「県警本部」先にあるのは、「横浜税関」。「解説板」。建物は税関らしく正面を港に向けており、塔はイスラム寺院風のドームをいただき、エキゾチックな雰囲気を醸し出している。その塔は、「クイーン」の愛称で親しまれている港ヨコハマのシンボル。5階建てのエキゾチックな庁舎には、「ロマネスク」などの西欧建築様式が混在し、それをベージュ色の磁器タイルが優しく覆っています。イスラム寺院を想わせる緑青色のドームは、「クイーンの塔」の愛称で親しまれています。クイーン塔のデータ竣工昭和9年3月設計者吉武東里氏(国会議事堂も設計)と伝えられているが、詳細は不明塔の高さ51メートル横浜税関の「クイーンの塔」、神奈川県庁の「キングの塔」、横浜市開港記念会館の「ジャックの塔」は、横浜三塔と呼ばれ、横浜港のシンボルとして親まれて...相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その7。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

  • 相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その6。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

    「馬車道」。ガス灯が並ぶ。「近代街路樹発祥の地」。この付近は、文明開化の象徴のような街。「馬車道」の街並み。この先、歴史的建造物や趣のある建物が並んでいます。「関内ホール」前にあるガス灯は日本で最初のガス灯を復元したもの。イギリスからやってきたガス灯たち「英国国会議事堂のガス灯」テムズ川のほとりにそびえる高さ96mの時計塔ビッグ・ベンがシンボルとして立つことで有名な英国国会議事堂は、正式名称をウエストミンスター宮殿といい、1065年エドワード国王によって建設されました。当時の建物は1834年の火災で焼失しましたが、1852年に国会議事堂として再建、ビッグ・ベンもその時に建てられています。このガス灯は、この建物の北西部に立つガス灯と同じものです。1872年(明治5年)日本最初のガス灯が馬車道にともされたことを記念...相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その6。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

  • 相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その5。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

    (13:04)商店街を抜けて、「吉田町」。ここから港にかけての今昔。1880年代のようす。Aが都橋、Bが吉田橋。北東に延びるのは「馬車道」。海側は外国人居留地。現在の横浜球場は、大きな「横浜公園」そこから港に伸びる広い道が「日本大通り」。東波止場:通称「象の鼻」が右上に。また、上方に、日本最初の鉄道の終点(現在の桜木町駅付近)。2010年代のようす。Aが「都橋」、Bが「吉田橋」。大桟橋の左にあるのが「象の鼻」。この付近は、現在、もっと整備され、公園風に。また、「吉田橋」の下は「首都高横羽線」となっている。(13:10)「吉田橋関門跡」碑。安政6年(1859)6月2日、横浜が開港となって交易場、貿易港として栄えるにしたがい、幕府は、開港場の施設の充実にあたり、陸路である東海道からの横浜路を開設するとともに、当時、...相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その5。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

  • 相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その4。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

    (12:33)「戸部通り」を進みます。1880年代のようす。すでに西の丘が開けています。そこを「横浜道」は縫うように南下します。2010年代のようす。中央の南北に通じる道が「野毛の切通し」。右手の海はすっかり港と陸との共存地域に。足下には「横浜道」のロゴが。「温故知新のみち」。次第に坂道になります。(12:47)右手は高台。「紅葉坂」は海岸から南西に伸びる坂。近くには開港に合わせて幕府が港の運上や治安、外交などのために設置した神奈川奉行所跡があります。野毛の切通し安政6(1859)年、東海道と開港場を陸路でつなぐ横浜道を通すために野毛の山が切り開かれ、この辺りは野毛の切通しと呼ばれ、直角に曲がって、野毛、吉田橋へと続く道になりました。開港場を目指して全国から集まる人々や物資が行き交い、輸入された様々な文物もまた...相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その4。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

  • 相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その3。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

    左手は、急な傾斜地。旧東海道を北に向かい、浅間神社下まで進みます。(11:32)浅間神社と富士の人穴創建は承歴4年(1080)富士浅間神社の分霊を祭ったものと伝えられています。旧芝生村の鎮守。本殿のある丘は袖すり山と呼ばれ、昔は山の下がすぐ波打ち際であったといいます。境内西側の崖には富士山に通じていると伝えられる「富士の人穴」と呼ばれる古代の横穴墓があり、東海道を往還する人々が見物する名所となっていました。しかし今は、周辺の開発によって見ることもできなくなってしまいました。この先、「東海道」から右折し、「横浜道」を波止場(「象の鼻」・現在の大桟橋脇)まで、大変貌した横浜の市街地を進みます。(「」HPより)この付近から東側の今昔。1880年代のようす。「横浜道」は入り海沿いに進んでいます。「平沼」という名のごとく...相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その3。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

  • 相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その2。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

    (10:23)「高島町まで5㎞」ポスト。「歩道橋」の下に「和田村道橋改修碑」。この碑も移設されたものでしょう。この先は、何回か「国道16号線」から旧道に入ることを繰り返します。①(10:38)「和田町」信号で左折し、右手の細い道へ。「国道16号線」方向を振り返る。「和田町駅入口」で国道に合流。②(10:45)「保土ケ谷陸橋」をくぐり、すぐ左折。「保土ケ谷公園入口」信号で国道に合流。③国道を渡り、右へ。来た道を振り返る。(10:55)「ケーズデンキ」脇を抜けて、国道へ。④(11:06)車の行き来が激しい「国道16号線」を越えて、「セブンイレブン」のところを入っていく。めまぐるしく右折、左折しながら旧道を行く。ここまで、それほど気づかずに進んできましたが、左側は急な傾斜地が続いています。丘の上には住宅が。↓が旧道。...相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その2。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

  • 相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その1。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

    (9:16)「鶴ヶ峰」駅付近の「水道道(みち)」。「筑池」交差点で出会った道の続き。「八王子絹の道」街道歩き。《第一日目》6月16日。快晴。JR「八王子」駅~京王線「多摩堤」駅《第二日目》7月13日。曇り、のち雨。京王線「多摩堤」駅~東急線「南町田」駅《第三日目》8月18日。快晴。東急線「南町田」駅~相鉄線「鶴ヶ峰」駅そして《第四日目》8月24日。快晴。相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅炎天下、にわか雨、熱中症:危険、という状況下、「国道16号線」歩き、脇道に入っての旧道、行き過ぎたり、道に迷ったり、と。八王子から横浜まで、けっこうアップダウンのある道筋。八王子から横浜まで、健脚なら2日間のコースを4日がかりでやっと終着地点へ。8月24日(土)晴れ。相鉄線「鶴ヶ峰...相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その1。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

  • 第10回スミダストリートジャズフェスティバル

    久々にやってきました。真っ黒に日焼けした実行委員長も健在でした。「ストリートジャズフェスティバル」ということで、あちこちの街角やお店で演奏が繰り広げられています(同時開催で曳舟地域でも開かれています)が、3時近く、何しろ猛烈な炎天下なので、錦糸町駅周辺とメイン会場の「錦糸公園」だけ。大勢の人が集まっていました。二か所に設置されたステージ以外にもビール、日本酒の販売所や楽器体験ブース、子供向けのテントなどがたくさんあって、賑わっています。「ドラムサークルワークショップ」「すみまるくん」。運転席に制服制帽のお子さんが。暑さの中、熱い演奏が続いています。「ShihoGuestTOKU」。当方は、朝からの街道歩きでお疲れ。ビールを飲みながら木陰で休憩しながら、流れてくる生演奏を。「西藤ヒロノブクインテット」。そのうち、...第10回スミダストリートジャズフェスティバル

  • 東急線「南町田」駅~相鉄線「鶴ヶ峰」駅。その3。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第3日目。)

    「鶴ヶ峰浄水場」付近の高台からの眺望。見晴らしのよい散策路になっています。「鶴ヶ峰浄水場」を回り込むように「ふるさと尾根道」ルートを進みます。下りの階段があるので、そこを下りて国道に出ます。ところが、旧道はこの階段の途中で左折するか、「浄水場」に沿うように、もっと先まで上がって右に降りて行く道が正しいようです。「白根」交差点を左手に入ると、「鶴ヶ峰坂」の表示が。「長さ二町(218㍍)の急坂で旧八王子街道の難所であった。馬の蹄鉄を造った鍛冶屋が坂の両側にあった。」「白根」交差点を横断し、旧道へ。けっこう暑くなって日陰もなさそうな道。近くに相鉄線「鶴ヶ峰」駅があるので、ここで、リタイア。駅に向かいます。「帷子川」の流れ。もともとは蛇行の激しい暴れ川で水害の多い川でしたが、大戦以前は耕地の灌漑等を目的に利用されており...東急線「南町田」駅~相鉄線「鶴ヶ峰」駅。その3。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第3日目。)

  • 東急線「南町田」駅~相鉄線「鶴ヶ峰」駅。その2。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第3日目。)

    宿内の通りは歩道など整備されています。「筑池」交差点。「水道道」という表示。「水道道」探索も面白そうです。日本初の近代水道は横浜で明治20年開設神奈川県は明治16年(1883)、香港政庁の英陸軍工兵少佐、H.S.パーマーが来日した際、彼と3か月の契約を結び、水道施設に関する調査、設計を依頼した。その報告書に基ずき同18年工事が着工され、津久井郡三井村の道志川が相模川に合流する地点(海抜100m)に取水口を求め、そこから野毛山浄水場(海抜50m)にいたる43km余りの導水線路を2年間かけ、同20年9月に開通させた。相模川が狭い山間を流れる上流部と川井接合井から野毛山に至る丘陵は起伏が多く、帷子川が曲がりくねり、地盤も悪く工事は難航した。英グラスゴーから輸入した鋳鉄管は船で相模川から上流に運び上げるか、水道管を埋設...東急線「南町田」駅~相鉄線「鶴ヶ峰」駅。その2。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第3日目。)

  • 東急線「南町田」駅~相鉄線「鶴ヶ峰」駅。その1。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第3日目。)

    (10:34)「東名」を越えたあたり。右手が「東名」。左手がホテル街。炎天下の毎日。熱中症も危険!なかなか出かけられず・・・。思い切って18日(日)。予報での曇りのマークをあてにして。ところが、快晴。「錦糸公園」中心に恒例の「すみだストリートジャズフェスティバル」(第10回目だそう)を開催中なので、早々に切り上げ、そっちへ向かうことに。ということで、今回も中途半端です。「南町田」駅を下車し、街道歩きを再開。「町田市辻」で旧道を右折、「東名入口」交差点まで。「東名」の「横浜町田インター」付近。「東名」を越えて「国道16号線」に行くために、脇道のトンネルをくぐったりして、向こう側に出ます。「東名」を走るとき、「神奈川」から「東京」という表示が出て、すぐまた「神奈川」になるところ。左手にはラブホテルが並んでいますが、...東急線「南町田」駅~相鉄線「鶴ヶ峰」駅。その1。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第3日目。)

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