旧東海道を平塚駅まで戻ります。「平塚宿東問屋場跡」。平塚宿は、東海道五三次の一つの宿場として慶長6年(1601)に成立しました。宿場は、旅人が休憩するための茶屋や宿泊するための旅籠(はたご)といった施設が整っているばかりでがなく、緒荷物の継立(つぎたて人足や馬を取り替える)といったことも重要な役割でした。こうした人馬や御用旅宿の手配をはじめとする宿駅の業務を取り扱う場所を問屋場といいました。平塚宿では、問屋場が二カ所あり、西仲町にあったのを西組問屋場、二十四軒町にあったのを東組問屋場といいました。※1問屋場には、問屋主人・名主・年寄・年寄見習・帳附・帳附見習・問屋代迎番・人足指・馬指などの宿役人等が10余人以上勤務していた。※2東海道五十三次の宿場として栄えた平塚宿の家並みは、空襲やその後の区画整理により...神川橋~平塚駅。その7。平塚宿。問屋場跡。江戸見附。お菊・番町皿屋敷・帯坂。(「中原街道」をゆく。第6日目番外編。)