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2009/04/07

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  • 高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その6。小谷(こや)橋。砂山橋。筑波橋。遠所(えんじょ)橋。水鳥橋。高砂橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

    「小谷(こや)橋」。古いレールを利用した、1932(昭和7)年竣工の3連アーチ橋。以前の古い親柱が残されています。この付近は、改修前は大きな蛇行があった場所。流れを直線化したときに架けられた橋。残った蛇行部は現在『水辺公園』になっている。下流を望む。続いて「砂山橋」。この橋は四隅の彫刻が四季を表現しています。※春夏秋冬、すべて産地の異なる御影石を使用。《春》「なまずうごく」《夏》「かたつむりひかる」《秋》「つばめかえる」《冬》「さるみてる」。上流を望む。カルガモの群れ。「筑波橋」。「筑波橋」の欄干には十二支の動物やかわいい小人の彫刻があります。両岸には約500本のソメイヨシノの木が約2.5kmに渡って続く。次が遠所(えんじょ)橋。支流の前谷落合流部に架かる「水鳥橋」。四阿があり、川の流れを眺めながらひと休...高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その6。小谷(こや)橋。砂山橋。筑波橋。遠所(えんじょ)橋。水鳥橋。高砂橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

  • 高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その5。川面(かわづら)橋。三ツ木橋。コウノトリ。三ツ木堰。アサヒ橋。五つ目の元荒川橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

    草刈りが終えた土手を歩きます。「川面橋」から上流を目指す。けっこうきれいに刈られ、歩きやすい。田んぼと工場と。ところが、途中から道がなくなった!ずり落ちたらそのまま川に転落の危機!掴まれそうな木も無く、振り返る。・・・しかし、よく草刈りの作業をしたものです。あるいはしてないのか?雨でも降ってきたら、大ごとでした。わずかな距離でしたが、なんとか脱出。この道を歩けばよかった、と。国道17号線・「三ツ木橋」のたもとに出て、信号にある交差点まで迂回します。下流方向を振り返る。川沿いに歩くのはやめて、普通の道を歩くことに。大きく羽を広げたコウノトリ。向かい側には、民宿「コウノトリの里の宿」。鴻巣市のマンホール。中央に新市章、周りに市花パンジーを描いてある。そのまま直線の道を歩き、高崎線の線路にぶつかるところで右折し...高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その5。川面(かわづら)橋。三ツ木橋。コウノトリ。三ツ木堰。アサヒ橋。五つ目の元荒川橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

  • 高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その4。川面(かわづら)水門。伏越(ふせごし)。元荒川橋。川面橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

    「武蔵水路」。「川面(かわづら)水門」。【川面水門の役割】川面水門は、大雨で元荒川の水位が上がったときに、元荒川の増水の一部を武蔵水路に流すことにより、元荒川流域の浸水被害の軽減を図ります。【水門操作】集中豪雨によりかせんのぞうすいや市街地の冠水が想定されるとき、釜づら水門から武蔵水路に取り込む操作を行います。「武蔵水路」は元荒川を「伏越(ふせごし)」(逆サイホンの原理)で交差します。その真上に立って、利根川方向を眺める。荒川方向。「元荒川」下流方向。元荒川に架かる「元荒川橋」を渡り、左折します。右に武蔵水路。利根川側。元荒川橋のすぐ上流で、「忍川(おしかわ)」が合流します。※「Googleマップ」では「新忍川」と表示されている。右の水路が「忍川」。埼玉県北部を流れる利根川水系中川支流である元荒川の支流に...高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その4。川面(かわづら)水門。伏越(ふせごし)。元荒川橋。川面橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

  • 高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その3。パンジー・なでしこ・はぼたん。さきたま緑道。武蔵水路(「元荒川」をゆく。第6日目。)

    「武蔵水路」に向かう通りにも、花卉栽培農家が並んでいます。ハウスの中にズラリ。パンジー。別のところでは、なでしこ(撫子)。葉ぼたん(牡丹)。新春に向けての花々。畑の向こうに林は、「さきたま緑道」。「武蔵水路」に沿ってあるようです。※「さきたま緑道」:JR北鴻巣駅前の鴻巣市赤見台近隣公園から、武蔵水路に沿って、さきたま古墳公園に至る全長4.5Km、幅員25mの遊歩道と自転車道のある緑道。さきたま緑道は、赤見台(鴻巣市)と古墳公園(行田市)間に伸びる片道4.1kmの遊歩道です。自転車と歩行者の2レーンにしっかり分かれており、車道からも隔離されていて安心です。走りやすそう♪と思ったのもつかの間、これがけっこうクセものでした(あくまでも個人の感想ですが...)。道はほぼ直線で迷うことはありませんが、この2種類の平...高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その3。パンジー・なでしこ・はぼたん。さきたま緑道。武蔵水路(「元荒川」をゆく。第6日目。)

  • 高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その2。フラワー通り。ハウスが並ぶ・花卉栽培農家。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

    「フラワー通り」。「元荒川」の1本西側にある通り。「花卉栽培農家」も以前より減ってしまったようです。通りの西側は工業団地造成中。通りの脇にも花が咲いています。元荒川に近づいてみます。「国道17号線・元荒川橋」。対岸は、「行田市」。大きな農家。野菜類が植えてあります。ハウスの中からポツンと外を眺めていた老人と立ち話。「この辺りも、昔に比べてずいぶん少なくなっちゃたね。今は4軒しかなくなっちゃって。この通りにはずらりあったんだがね。」しばらくよもやま話を。通りの向こうにもハウスが並ぶ。忙しく立ち働く従業員たち。記念碑?「フラワー通り」から右折し、「元荒川」と「武蔵水路」との交差地点(「伏越」)へ向かいます。高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その2。フラワー通り。ハウスが並ぶ・花卉栽培農家。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

  • 立冬。11月7日(木)。東京地方・本格的な冬の訪れはいつ? 木枯らし1号。山茶花(さざんか)。水仙。お茶の花。七五三。

    以下の写真は、昨日・今日の様子ではありません。せめて写真で冬入りを感じさせましょうか。隅田公園にて。※墨田区側の「隅田公園」は、改修工事のため、立入禁止区域がある。こんなふうに色づくのはいつになることでしょうか?今日は「立冬」。「霜降」から数えて15日目頃。※ちなみに立冬の11月7日は、語呂合わせで「11(いい)7(な)べ=いい鍋の日」に制定されています。明日は、「11(いい)8(歯)の日」。また、ボジョレーヌーボー解禁日は毎年11月の第三木曜日と決められており、2024年は11月21日。立冬とは、冬の始まりのこと。立春(りっしゅん)、立夏(りっか)、立秋(りっしゅう)、立冬は、春夏秋冬の最初となります。この4つの日を「四立(しりゅう)」といいます。その四立の前日が「節分」。季節を分けるという意味。朝夕冷...立冬。11月7日(木)。東京地方・本格的な冬の訪れはいつ?木枯らし1号。山茶花(さざんか)。水仙。お茶の花。七五三。

  • 高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その1。安養寺堰。花栽培の温室・花卉栽培農家。電柱を二本渡した橋。渋井橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

    「三夜橋」バス停で下車。その先の元荒川・「三谷橋」から再開。10月26日(土)。曇り。りんご?すぐ上流に「安養寺堰」。安養寺堰は、ここから130m下流にあった宮地堰の老朽化に伴い、平成16年に完成した比較的新しい堰です。昔の宮地堰は安養寺堰の完成後取り壊されましたが、新編武蔵風土記稿(文政年間:1830年頃編纂)によると、宮地堰が建設されたのは慶長年間(1596~1614)深井景吉によるものとされています。深井景吉は、岩付城落城に伴い鴻巣、北本に落ち延びた、いわゆる鴻巣七騎の一人で、当初は今の北本市深井に居を構えていましたが、その後、徳川家康から与えられた現在の鴻巣市宮地に移住しました。そして、深井景吉は宮地堰を造り300町歩(3km2)の土地を開墾するなど、この地一体に多くの田畑を開墾しました。安養寺堰...高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その1。安養寺堰。花栽培の温室・花卉栽培農家。電柱を二本渡した橋。渋井橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

  • 高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その5。三谷橋・三夜橋。旧中山道・鴻巣宿。鴻神社・こうのとり。文化の日・晴れの特異日。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

    「三谷橋」から下流を望む。※「三谷橋」という標示と「三夜橋」(バス停)とあります。別々の橋の名でしょうか?「三谷橋」という銘板。今回の出発地でも、「五丁台」(バス停)と少し離れたところに「五町台」という地名がありました。鴻巣の三大名物。①「びっくりひな祭り」(HPより)「鴻巣」は江戸時代から受け継がれているひな人形のふるさと。関東三大ひな市(鴻巣、岩槻、江戸日本橋十軒店)の一つに数えられ、特に着物に着付けでは関東一と評判だった、とか。江戸から明治の「鴻巣雛」には鳳凰の刺繍が施され、女雛の手を出さないものが多いようです。着物の生地は京都西陣から買い付けいていました。明治になると「県内では越谷6軒、大沢3軒、岩槻3軒、に比べて、鴻巣の人形業者31軒、職人300人」という記録があるほどの活況ぶりでした。②「川幅...高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その5。三谷橋・三夜橋。旧中山道・鴻巣宿。鴻神社・こうのとり。文化の日・晴れの特異日。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

  • 高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その4。新幹線と元荒川。郷地橋。埼玉県運転免許センター。三谷橋。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

    新幹線の高架橋。下流(西側)を望む。新幹線の橋梁から右手に。県道に出ると、正面に古びた建物が。倉庫?一つ手前の橋から上流を望む。「郷地橋」。新幹線高架下を流れてくる。振り返る。対岸遠くに「埼玉県警察運転免許センター技能試験場」。対岸は、「運転免許センター」。土手の道をのんびりと進みます。鮮やかな朱色のカラスウリ。これは「槙(まき)・イヌマキ」?小さい赤い花が流れ沿いに。左からは、上流の「三ツ木堰」で取水した農業用水の排水、余水。左に見えるのは「三谷橋」。橋のたもとはポケットパークになっています。右:「鴻巣市ふるさと総合緑道」案内図、左:「歩いて地域再発見歩鴻(行)マップ」。今回は、ここまで。JR高崎線・鴻巣駅に向かいます。高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その4。新幹線と元荒川。郷地橋。埼玉県運転免許センター。三谷橋。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

  • 高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その3。上谷総合公園。中斉橋。ふるさと総合緑道。竹林公園。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

    畑が広がります。対岸は、「上谷総合公園サッカー場」。その先には、「テニスコート」。真夏とは違い、晴天の下、歩きやすい。大空を悠々と飛ぶ。「中斉橋」を渡り、対岸へ。正面には、広大な「上谷総合公園」。鴻巣市の南東に位置する『上谷総合公園』内に設置されたスポーツ施設です。野球場の「フラワースタジアム」を主施設とし、人工芝テニスコート10面・人工芝サッカー場1面、多目的グラウンドを配置し、夜間照明設備も整備されています。スポーツ振興を目的として設置された公の施設で、スポーツ及びレクリェーションの場を提供し、健康で明るい市民の育成を図っています。(「スポーツナビサイタマ」HPより)下流方向。上流方向。「ふるさと総合緑道」案内図。「フラワースタジアム」。ここで、小休止。「ふるさと総合緑道」を歩いて、上流へ向かいます。...高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その3。上谷総合公園。中斉橋。ふるさと総合緑道。竹林公園。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

  • 高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その2。流路の今昔・蛇行した跡。鴻巣市常光・久喜市菖蒲。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

    上流方向。左岸土手の道を歩きます。右手にはかつての流路跡が残っています。※流路に沿って村境が設定されています(現在の鴻巣市と久喜市にあたる)。この付近の今昔。(1880年代)(現在)右手に広がる、かつての流路跡。叢になっているところと道路になっているところがあります。現在の元荒川の流れ。航空写真では、蛇行する旧流路がはっきりしている。正面に立派なお屋敷。このおうちは、鴻巣市常光。草刈りの終えた土手を歩くことに。ここは、久喜市。左岸が久喜市、右岸が鴻巣市。カラスウリ。左手から鴻巣東部都市下水路。右岸方向。田畑が広がっている。来た道を振り返る。右が鴻巣市常光、左が久喜市菖蒲。前方に草刈り作業中の軽トラ。「次の橋のところまで、草を刈ってありますよ」。まだ土手を先まで進めるので、一安心。振り返って望む。右手に田園...高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その2。流路の今昔・蛇行した跡。鴻巣市常光・久喜市菖蒲。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

  • 高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

    今回は、「桶川駅」から朝日バスに乗って「五丁台」まで。そこから元荒川を遡ります。「五丁台」バス停。「新幹線」高架線の手前から「幸手市」の標示。「五丁台橋」。秋も深まる10月20日(日)晴れ。元荒川下流方向。正面に見えるのは、「圏央道」。上流方向。この先、新幹線と何度か交差します。土手沿いに歩くことが出来ないので、新幹線沿いに迂回します。本郷水管橋。頭上をけっこう行き来する新幹線。新幹線と川との間は耕作地になっています。再び新幹線と交差。この先も土手歩きは出来ず、集落に通じる道を進むことに。上流方向。田園風景が広がります。右手に元荒川の流れ。振り返る。道路が交差する地点に何やら標識のようなものが。?この付近から鴻巣市常光入り。元荒川の対岸は、久喜市菖蒲。来た道を振り返る。鴻巣市と久喜市の境にある橋から。下流...高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

  • 「向島百花園」その2。芝金顕彰碑。鶴久子歌碑。たむけやま。はぜのき。ジンジャー。りんどう。とらのおすずかけ。 きせわた。

    芝金顕彰碑。ほととぎす今一声のきかまほし月はさゆれど姿を見せずエエぢれったい何としようしんきくさいじゃないかいな百花園には、庭づくりに協力した文人墨客たちの足跡が、石碑に残されています。芭蕉の句碑を含め、合計29基の石碑が点在し、そのうち14基は句碑で、俳句が読まれています。その他は、歌碑、仏画碑、記念碑、追善碑などです。鶴久子歌碑。空蝉の世のうきことはきこえこぬいわおの中も秋風のふく他にもたくさんあり、このブログでもたびたび紹介しています。竹並木にも句碑などが。竹叢。さて、萩のトンネル。園内の萩は、もう散ってしまっている。たむけやま。季節によって色合いが異なります。その向こうに、スカイツリー。ぴらかんさ。はぜのき。実から取れる油は、古くから和ろうそくの原料として使われてきた木です。美しく紅葉する木として...「向島百花園」その2。芝金顕彰碑。鶴久子歌碑。たむけやま。はぜのき。ジンジャー。りんどう。とらのおすずかけ。きせわた。

  • 「向島百花園」その1。我が庭のごとき。秋の気配が濃厚。へびうり。ひょうたん。みつばあけび。ざくろ。そして、芙蓉。

    一段と寒くなった、今日この頃。北の地方からは雪の便りや紅葉のようすが伝えられてきます。軽井沢では、0度を記録したとか。近所の、その軽井沢に別荘を持つ方が出かけられました。さぞかし素晴らしい紅葉に包まれ、過ごされることでしょう。そんな別天地に出かけられない小生。今や我が家の庭と化した「向島百花園」に、ささやかな秋を求めに行きます。10月19日(土)午後。晴れ。へびうり。面白い奇妙な姿かたち・色あい。なたまめ。たしかに大きい。それぞれりっぱな実をつけています。みつばあけび。ざくろ。くずの実(豆)。盛りを過ぎた「おみなえし」にたくさんのアゲハチョウが。艶やかな花が咲いています。ふよう(芙蓉)。白やピンクの大柄の花。開花時期は、8/1~10/5頃。ピンク色の大型の花。枯れたあとの姿も印象的(”枯れ芙蓉”)。昔から...「向島百花園」その1。我が庭のごとき。秋の気配が濃厚。へびうり。ひょうたん。みつばあけび。ざくろ。そして、芙蓉。

  • 宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その5。綾瀬川源流付近。横手堤。朝日バス「五丁台」バス停。附:桶川宿。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

    「東北新幹線」。農地が広がります。「桶川市環境センター」。新幹線高架下。綾瀬川。横手堤(左手)。横手堤:赤堀川の水除堤と綾瀬川への導流堤を兼ねた旧堤防。横手堤を挟んで2本の農業排水路が流れていて、北側の排水路は赤堀川へ落ちる。南側の中堀は綾瀬川の源流となっている。赤堀川。北東側に広がる田畑。新幹線高架脇を進みます。遠くに「圏央道」。新幹線と交差する「圏央道」。桶川市マンホール。市章と紅花のデザインの側溝の蓋。「べに花の郷桶川市」。朝日バス「五丁台」バス停で乗車。桶川駅まで戻ってきました。「桶川」は「中山道」の宿場町。中山道は、板橋宿から下諏訪宿まで歩きました。その先は、まだ。中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸・日本橋から数えて6番目の宿場。現在の埼玉県桶川市にあたる。「桶川」の地名の由来について...宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その5。綾瀬川源流付近。横手堤。朝日バス「五丁台」バス停。附:桶川宿。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

  • 霜降。10月23日(水)。初時雨。紅葉。イチョウ。霜降り。

    隅田公園にて。ただし、11月下旬のころ。10月下旬では、紅葉にはまだまだ早い時期。ところで、今日は、二十四節気のうちの「霜降」。朝晩の冷え込みがさらに増し、北国や山里では霜が降りはじめるころ。露が霜に変わり、だんだんと冬が近づいてくる時期。21日の東京地方。すっかり冷え切り、厚手のシャツを着込むことに。たしかに朝晩は涼しさを感じるし、陽の沈むのも一段と早くなった印象。5時過ぎでは暗くなり、自転車のライトを点けないと、あぶない。それでも、向島百花園などではイチョウの木もモミジも、まだまだ色づかない。昨日からはしばらく気温は、高め。でも、雨模様、と。寒暖差、晴れ、雨と変化が激しい今日この頃。自然の営みは、暦の上の「二十四節気」の季節感・自然観とはずいぶんずれてきているようです。暦の上で「霜降」とは、朝晩の冷え...霜降。10月23日(水)。初時雨。紅葉。イチョウ。霜降り。

  • 宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その4。赤堀川・備前堤。「綾瀬川起点」碑。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

    途中、地元の方の軽トラで送ってもらい、「元荒川」沿いの農地を歩かないですみました。さて、「桶川市環境センター」のところで降ろしてもらい、そこから再び歩き始めます。「赤堀川」。右は、「桶川市環境センター」。赤堀川北本総合公園南東の北本市朝日地区と、鴻巣市常光地区との境界付近の田園地帯に源を発する。ゆるやかに蛇行しながら概ね南東方向に流れ、高野戸川等の支流を合流しながら次第に流量を増す。桶川市環境センター(ゴミ処理場)の脇、備前堤と直角にぶつかった所で備前堤に沿って北に不自然に曲がり、約300m下流で元荒川の右岸に合流する。なお、備前堤を挟んだ反対側に綾瀬川の起点がある。起点から合流点まで、全域で元荒川の右岸側にほぼ平行して流れている。主に水田の排水路として機能していて、周囲は上流域は工業団地、下流域は主に農...宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その4。赤堀川・備前堤。「綾瀬川起点」碑。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

  • 宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その3.「常福寺橋」・「高虫橋」。「野通川」。ソバ畑。工事中の道・今回も軽トラに乗せてもらう。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

    「常福寺橋」を渡り対岸へ。「常福寺橋」(下流より)元荒川(下流方向)。対岸。元荒川の下を潜り抜けた見沼代用水が南東に向かっていきます。元荒川右岸の土手を歩きます。右から「野通川」が合流。野通川はかつて周辺に存在した小針沼を始めとした、沼地の干拓排水路として開発されてきた。現在の流路は元荒川支派川改修事業が実施された大正末期から昭和初期にかけてのものである。その後鴻巣市、加須市と元荒川と見沼代用水に挟まれた低地を南東と流れ、白岡市柴山・蓮田市高虫付近で元荒川左岸に合流する。流域は主に農地として利用されているほか、川里工業団地といった工業団地やゴルフ場が存在する。左手に広がる田畑。「高虫橋」。この先、土手伝いは歩きにくいので、左の道路を進みます。ソバ畑が広がる。「日本アニマルパートナーシップ協会」の建物を右折...宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その3.「常福寺橋」・「高虫橋」。「野通川」。ソバ畑。工事中の道・今回も軽トラに乗せてもらう。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

  • 宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その2。見沼代用水。柴山伏越。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

    道に迷いましたが、「柴山伏越(ふせこし)」にようやく近づきます。左に「柴山伏越」。正面には「常福寺」。「柴山伏越」。元荒川と見沼代用水の交差地点で、元荒川の川底を見沼代用水が抜け出る構造になっています。これは、流体を低い所に落とし、元の高さまで押し上げる連通管の理論を応用したものです。この伏越は、享保12年(1727)に井沢弥惣兵衛為永によって「紀州流」という土木技術でおこなわれました。当初、伏越地点では伏越と掛渡井(元荒川の上を樋によって通水する)がおこなわれ、舟運にも利用されていました。令和元年、見沼代用水は「世界かんがい施設遺産」に選ばれました。(「白岡市観光協会」HPより)見沼代用水(みぬまだいようすい)は、埼玉県にある灌漑農業用水。江戸時代の1728年(享保13年)に幕府の役人であった井沢弥惣兵...宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その2。見沼代用水。柴山伏越。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

  • 宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その1。朝日バス「根金橋」バス停。「隼人堀川」。「柴山沼」。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

    気温も少し落ち着いてきたので、「元荒川」歩きを再開します。10月14日(スポーツの日)。晴れ。「蓮田駅」から朝日バスで「根金橋」まで。前回、中断したところから歩きます。左岸の土手を歩く予定でしたが、草がかなり生い茂って、歩くのが難しい状態。右岸もこんな状況。「根金橋」。そこで迂回し、「柴山沼」の方へ向かいます。「隼人堀(はやとほり)川」。白岡市柴山を管理起点とし、宮代町を流れ、春日部市で古利根川に合流する1級河川である。隼人堀川は、見沼代用水路の完成とともに周辺地域の灌漑用水が確保され栢間沼を干拓するにあたり、溜水を排水するために掘られたものである。この川の呼び方は、以前は庄兵衛堀川合流地点から下流を隼人堀川と呼び、上流部分は栢間堀と呼んでいた。今では河川行政上は全川を通して隼人堀川と表示されている。隼人...宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その1。朝日バス「根金橋」バス停。「隼人堀川」。「柴山沼」。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

  • 不可解な公明党の姿勢。しかし、何の疑問も持たず、ひたすら当選のために活動。不思議な組織・創価学会。

    今回の総選挙。石破さんの乾坤一擲の初陣・大勝負!さて、どうなることやら。ところで、今回は、とりわけ公明党の党利党略・打算が目に付く。「裏金問題」で非公認となった候補者へ推薦を決定。地元の要望だといろいろいいわけがましいことを言っているが、無所属には学会の票を差し出すから、比例区には「公明党」へ。また、公明党が出馬する「小選挙区」の票を是非とも、と。新委員長のところと大阪。まるで、「公明(正大)」と裏腹の姿勢。と思っていたら、小泉郵政民営化解散のときも同じような事が。20年前とまったく変わらない、選挙「勝利」至上主義組織のあわれさよ。題して「公明党=創価学会というろくでもない存在」。再掲します。《2005年8月13日》。政治の世界に限らず、人と人とのつながり。昨日の友は今日の敵。敵の敵は味方。・・・よくある...不可解な公明党の姿勢。しかし、何の疑問も持たず、ひたすら当選のために活動。不思議な組織・創価学会。

  • 「野木沢駅」~「郡山駅」。阿武隈(あぶくま)川。あぶくま高原道路。泉郷(いずみごう)・川東・小塩江(おしおえ)・安積永盛(あさかながもり)。そして、終点・郡山駅。(「水郡線」の旅。その8。)

    この先は、丘陵地帯から田園地帯を進みます。※「久慈川」沿いから「阿武隈川」及び支流沿いになります。「あぶくま高原道路」。「泉郷(いずみごう)駅」。福島県石川郡玉川村大字小高字中村前にある。福島空港に最も近い鉄道駅であるが、現在は空港行きの路線バスの設定はなく、タクシー以外にアクセス手段がない。「川東駅」。「阿武隈川」の東側にあたる。福島県須賀川市小作田(こさくだ)字西舘(にしたて)にある。かつては相対式ホーム2面2線であったが、旧2番線の線路および跨線橋は撤去された。「小塩江(おしおえ)駅)」。福島県須賀川市塩田字小玉にある。駅舎はなく、出入口があるのみ。「谷田川駅」。福島県郡山市田村町谷田川字荒小路(あらこうじ)にある。郡山市に属している。「磐城守山駅」。福島県郡山市田村町岩作(がんさく)字西河原にある...「野木沢駅」~「郡山駅」。阿武隈(あぶくま)川。あぶくま高原道路。泉郷(いずみごう)・川東・小塩江(おしおえ)・安積永盛(あさかながもり)。そして、終点・郡山駅。(「水郡線」の旅。その8。)

  • 「磐城棚倉駅」~「野木沢駅」。「花火の里あさかわ」。里白石駅。磐城石川駅・「学法石川」。野木沢駅。(「水郡線」の旅。その7。)

    駅周辺を過ぎると、田園地帯が広がります。「花火の里あさかわ」。磐城浅川(いわきあさかわ)駅。福島県石川郡浅川町大字浅川字本町西裏(もとまちにしうら)にある。水郡線の駅の中では最も標高が高い場所に位置する。標高307M。※水戸駅:標高9M。郡山駅:226M。久慈川沿いの微高地・盆地を上ったり、下ったりしながらここまで到着。この先は、阿武隈山地、阿武隈川(支流)沿いに進む。浅川の花火は毎年お盆の8月16日に開催され、趣向を凝らした大小数千発の打上げ花火が夜空を彩ります。なかでも呼び物となっている「大からくり」と「地雷火」は必見で、町内を見下ろす城山の山肌で炸裂する迫力満点の「地雷火」がフィナーレを飾ります。浅川の花火の起源は諸説あり、一説によると江戸時代中期から始まったとされ、福島県内で最古の伝統を持つ花火大...「磐城棚倉駅」~「野木沢駅」。「花火の里あさかわ」。里白石駅。磐城石川駅・「学法石川」。野木沢駅。(「水郡線」の旅。その7。)

  • 「十三夜」。10月15日(火)。「豆名月」・「栗名月」。月見団子・ススキ。樋口一葉『十三夜』。

    今夜は、「十三夜」。少し欠けた月がきれいですが、スマホではうまく撮れないので、「ウェザーニュース」を拝借。近所の公園から。十三夜とは、昔使っていた月の満ち欠けをもとに1か月の日付を決める太陰太陽暦(旧暦)の9月13日の夜を指し、この日に見える月は旧暦の8月15日(十五夜)に出る月(中秋の名月)と並ぶ名月とされています。平安時代に中国から伝わったとされる十五夜の月を愛でる風習とは異なり、十三夜の少し欠けた月を愛でる風習は日本独特のものと言われています。ではなぜ、満月でもない十三夜にお月見をする風習が日本で始まったのでしょうか?これに関しては諸説あるものの、延喜(えんぎ)19年9月13日(現在の暦では919年10月9日)に、当時の法皇が催した月の宴がきっかけとなったというのが、最も有力な説とされています。また...「十三夜」。10月15日(火)。「豆名月」・「栗名月」。月見団子・ススキ。樋口一葉『十三夜』。

  • 「磐城石井駅」~「磐城棚倉駅」。磐城塙駅・「ブルネル賞」。近津(ちかつ)駅。久慈川とお別れ。磐城棚倉駅・白棚線(はくほうせん)。「鉄道の日」。(「水郡線」の旅。その6。)

    福島県に入ると、若者など乗る人が目立ってきます。しかし、右の窓側に座っている女性と男性(それぞれ別々ですが)は、そのまま。郡山まで向かうようです。久慈川も緩やかな流れに。久慈川沿いに「サイクリングロード」。住宅が目立ってきます。「磐城塙(いわきはなわ)駅」。福島県東白川郡塙町大字塙字宮田町にある。駅舎は、塙町コミュニティプラザと合築。円形の建物がいくつか連なった木造平屋建て。また、現駅舎の竣工より1年以上早く、1982年4月1日に開館していた塙町立図書館と一体化した形で接続されている。1995年度のグッドデザイン賞、第6回ブルネル賞(1996年)小駅部門奨励賞を受賞している。駅舎。※「ブルネル賞」鉄道関連では唯一となる国際デザインコンペティション。1985年、欧米を中心とした世界各国の鉄道関連のデザイナー...「磐城石井駅」~「磐城棚倉駅」。磐城塙駅・「ブルネル賞」。近津(ちかつ)駅。久慈川とお別れ。磐城棚倉駅・白棚線(はくほうせん)。「鉄道の日」。(「水郡線」の旅。その6。)

  • 「常陸大子駅」~「磐城石井駅」。2両編成で郡山まで。茨城県最北端の駅・下野宮駅。福島県及び東北地方の最南端に位置する「矢祭山駅」・あゆのつり橋。(「水郡線」の旅。その5。)

    「常陸大子駅」からは2両編成で「郡山駅」まで。田園風景。「下野宮駅」。「水郡線開通90周年この町とこの路と」という幟。茨城県久慈郡大子町大字下野宮にある。茨城県最北端の水郡線の駅である。また、茨城県内のJR線では唯一の東京近郊区間区間外の駅となる。駅舎。「矢祭山駅」。福島県東白川郡矢祭町大字内川字矢祭にある。福島県及び東北地方の鉄道駅では最南端に位置する。「あゆのつり橋」。延長62m、幅1.5mの赤い橋。・・・東白川郡矢祭町内川、矢祭山駅近くにある吊橋。久慈川上の延長62mにわたって架かっており、桜や紅葉をはじめ、川沿いの四季折々の景観を一望できる。また、橋を渡った先には「ふくしまの水三十選」にも選ばれた「夢想滝」がある。(この項「Yahoo!トラベル」HPより)「久慈川」が右に左に。山間から、次第に、田...「常陸大子駅」~「磐城石井駅」。2両編成で郡山まで。茨城県最北端の駅・下野宮駅。福島県及び東北地方の最南端に位置する「矢祭山駅」・あゆのつり橋。(「水郡線」の旅。その5。)

  • 「上小川駅」~「常陸大子駅」。「袋田駅」・袋田の滝。常陸大子駅・常陸大子町・茨城県の最北西端。ノーベル平和賞・「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」。(「水郡線」の旅。その4。)

    「久慈川」が間近に。「奥久慈渓谷」。名勝「袋田の滝」への最寄り駅「袋田駅」に着きます。到着すると、袋田の滝に向かうバスに乗り込む観光客。「袋田の滝」日本三名瀑のひとつ久慈川の支流滝川に架かる袋田の滝は、日本三名瀑に数えられ、高さ120メートル、幅73メートルの大きさを誇ります。滝の流れが大岩壁を四段に落下することから、別名「四度(よど)の滝」とも呼ばれ、また一説には、その昔、西行法師がこの地を訪れた際、「この滝は四季に一度ずつ来てみなければ真の風趣は味わえない」と絶賛したことからとも伝えられています。四季折々に変化する滝四段の岩壁を流れる水のつくり出すラインは白糸のようになめらかに、そして時には激しく、さまざまな顔を見せてくれます。新芽吹く木々の緑に縁どられた春、涼を求めての夏、あでやかな紅葉が滝のお化粧...「上小川駅」~「常陸大子駅」。「袋田駅」・袋田の滝。常陸大子駅・常陸大子町・茨城県の最北西端。ノーベル平和賞・「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」。(「水郡線」の旅。その4。)

  • 「山方宿駅」~「上小川駅」。「久慈川」が右から左へ。「中舟生駅」・「西金(さいがね)駅」・「上小川駅」・・地元密着・公民館を併設した駅舎。(「水郡線」の旅。その3。)

    右手に「久慈川」が近づいてきます。「中舟生(なかふにゅう)駅」。茨城県常陸大宮市舟生字堂下にある。ホーム上にドアのない待合所があるのみ。駅のそばには若干の住宅があるが、大部分は畑地。彼岸花(曼殊沙華)。「久慈川」が右手に。左に見える橋は、沈下橋の「平山橋」。「下小川駅」。2004年、駅舎コンパクト化が鉄道建築協会賞(推薦)を受賞。「久慈川」を渡る。「西金(さいがね)駅」。茨城県久慈郡大子町大字西金にある。水郡線の建設に際して、当初は西金に駅が建設される計画であった。しかし1921年(大正10年)に測量作業が開始された折、駅の建設予定が地元に漏れてしまい、西金の前後である現在の上小川駅及び下小川駅の周辺住民が測量技師に対して激しい運動を行ったため、この双方に駅を建設して西金には駅を建設しないことになってしま...「山方宿駅」~「上小川駅」。「久慈川」が右から左へ。「中舟生駅」・「西金(さいがね)駅」・「上小川駅」・・地元密着・公民館を併設した駅舎。(「水郡線」の旅。その3。)

  • 寒露。10月8日(火)。初雁。雁書。菊花酒。キリギリス。栗。秋サバ。ハタハタ。・・・

    鱗雲。(10月5日葛飾区にて)昨日は、24節気のうちの17番目「寒露」。期間で言うと、10月8日〜10月23日頃となります。最も月の美しい夜と言われる「十三夜」の日は、今年は、10月15日(火)。東京地方。今日は、札幌よりも寒かった一日。朝晩は涼しい日が続きます。「寒露」らしいお天気?明日からは晴れが続く予報。土日は、夏日にもなるとか。昨日、今日は冬支度。そして、明日からしばらくは夏支度。4季から2季に。夏か冬か、に。着るものには一苦労。秋物がなかなか売れないはずです。「暦生活」HPをお借りして。寒露(かんろ)夜が長くなり、露がつめたく感じられるころ。朝晩の冷え込みはきつくなりますが、空気が澄んだ秋晴れの過ごしやすい日が多くなります。夜空を見上げると、より美しくきれいに輝く月が見られます。七十二侯でいうと...寒露。10月8日(火)。初雁。雁書。菊花酒。キリギリス。栗。秋サバ。ハタハタ。・・・

  • 「上菅谷駅」~「山方宿駅」。常陸鴻巣・瓜連・玉川村。山方宿(やまがたじゅく)・南郷街道。(「水郡線」の旅。その2。)

    「常陸鴻巣駅」。ソバ畑が広がります。「瓜連(うりづら)駅」。茨城県那珂市瓜連にある。1918年(大正7年)に、水戸鉄道の駅として開業。当時は終着駅であった。1983年(昭和58年)に無人化になり、2000年に橋上駅化になる。乗車人員は、20年前は450人でしたが、現在は200人ほど。※かつて、「常陸鴻巣駅」と「瓜連駅」のあいだに「常陸中里駅」がありましたが、1941年に廃止されました。廃棄されたバス停がたくさん。「静(しず)駅。駅舎はなく屋根付きのベンチのみ設置されている。※「静駅」と次の「常陸大宮駅」との間に「常陸村田駅」がありましたが、1944年に廃止。駅ごとに乗り降り(地元の方)があります。「常陸大宮駅」。「玉川村駅」。駅名はかつて属していた那珂郡玉川村に由来する。駅舎は1996年に改築された木造平...「上菅谷駅」~「山方宿駅」。常陸鴻巣・瓜連・玉川村。山方宿(やまがたじゅく)・南郷街道。(「水郡線」の旅。その2。)

  • 「水戸駅」~「上菅谷駅」。「奥久慈清流ライン」。「特急ひたち」。「那珂川」。那珂(なか)市。太田鉄道。(「水郡線」の旅。その1。)

    10月5日(土)。雨。今回、初めて「水郡線」に乗ります。「水戸」から「安積永盛」。実際は、郡山まで直通。「水郡線」は「水戸」と「安積永盛(あさかながもり)」(列車は東北本線・郡山駅まで直通)を結ぶ路線と、途中、「上菅谷」で分岐して「常陸太田」に向かう路線の2線に分かれる。沿線を流れる久慈川にちなんで「奥久慈清流ライン」という愛称で呼ばれる。先発は「常陸太田」行き。駅の数がたくさん。水戸駅。前2両が郡山行き、後2両が常陸大子行き。そこそこ乗客がいます。雨模様の土曜。観光客は少なめで、地元客が乗ってきます。東北本線に「特急ひたち・仙台行き」。「特急ひたち」。水郡線・郡山行きが出発します。水戸9:23発―郡山12:33着。約3時間の列車の旅の始まりです。※7時過ぎに日暮里から乗り、常磐線で水戸まで9時過ぎに到着...「水戸駅」~「上菅谷駅」。「奥久慈清流ライン」。「特急ひたち」。「那珂川」。那珂(なか)市。太田鉄道。(「水郡線」の旅。その1。)

  • 吾妻線「川原湯温泉駅」~「岩島駅」。その3。猿橋。岩島駅。刈り入れを終えた田んぼ・黄金の波。赤城山。

    すぐ下は、吾妻川の渓谷。右には断崖絶壁が連なる。ここに鉄道と旧国道が通っています。この狭間によく鉄道・国道を建設したものです。この先には、渓谷に架かる「猿橋」。「対岸の遊歩道は荒れてしまっている。」と。上流方向。下流方向。そこから吾妻線(廃線)を望む。かなり上の方を走っていた。こうして、小一時間かかるところを車に乗せてもらったおかげで、あっという間に岩島駅に着きました。「この間、『帰れマンデイ』とかいう番組で八ッ場ダムから歩いていたようだけど、ここからいきなり伊香保温泉になっちゃうんだから、地元じゃ嘘くさい、って評判だったよ。直通のバスなんか無いって。」新しい「吾妻線」の橋脚。この先、吾妻線は、新「川原湯温泉駅」まで長いトンネルを進みます。田園風景が広がる。観光案内図。岩島駅(いわしまえき)群馬県吾妻郡東...吾妻線「川原湯温泉駅」~「岩島駅」。その3。猿橋。岩島駅。刈り入れを終えた田んぼ・黄金の波。赤城山。

  • 吾妻線「川原湯温泉駅」~「岩島駅」。その2。吾妻峡。日本一短い鉄道トンネル(だった)・「樽沢隧道」。

    豪快な水音が響きます。立ち去りがたい雰囲気。大きなダムは、若いころ、登山のときに「黒部ダム」、あるいは青梅街道歩きのときに「奥多摩ダム」くらい・・・。「吾妻川」下流の渓谷(「吾妻峡」)。そそり立つ岸壁。ダムを振り返る。左上にある「自転車型トロッコA-Gattan」乗り場案内。ここから岩島駅近くまで、廃線跡を利用している。一人では利用できないので、断念!運行時刻表。孫を連れて乗りに来ようかな、と。周辺案内図。最近の台風や豪雨などのため、渓谷をめぐる遊歩道などが荒れて通行禁止になっている個所もあるようです。左上に「吾妻線(廃線)」。右手、眼下に「吾妻峡」。紅葉は、まだ。右手に公衆トイレがあり、その前に軽トラが停まっています。「岩島駅までどれくらいかかりますか」と尋ねたところ、「岩島駅まで行くんだったら乗りなさ...吾妻線「川原湯温泉駅」~「岩島駅」。その2。吾妻峡。日本一短い鉄道トンネル(だった)・「樽沢隧道」。

  • 吾妻線「川原湯温泉駅」~「岩島駅」。その1。八ッ場ダム再訪・八ッ場もみじ橋。迫力満点。

    10月1日。晴れ。八ッ場ダム建設で廃線となった「吾妻線」(「川原湯温泉駅」~「岩島駅」)を歩きました。※結果として、現地の方に八ッ場ダムから岩島駅まで送ってもらいました。一時の暑さもおさまった感のする一日。家を出たときは雨がポツポツ、しかし、高崎付近あたりでは、すっかり晴れ渡ってきます。沿線の田んぼも稲刈りが進み、秋の田園風景。約ひと月ぶりの「吾妻線」です。今回、「八ッ場ダム」から「岩島駅」(「川原湯温泉駅」の一つ「渋川駅」寄り)まで歩く予定です。「川原湯温泉駅」に12時少し前、到着。前回同様、今回も小生一人、下車。八ッ場ダムまで歩きます。思ったよりも汗をかきました。※「八ッ場ぐるりんバス」12:06発のバスを利用すれば、わずか8分ほどで八ッ場ダムに着く。無理して40分間歩く必要はない。旧線路が眼下に見え...吾妻線「川原湯温泉駅」~「岩島駅」。その1。八ッ場ダム再訪・八ッ場もみじ橋。迫力満点。

  • 「マルメロ草紙」(橋本治・絵:岡田嘉夫)発行:ホーム社 発売:集英社

    橋本治(はしもとおさむ)1948年〈昭和23年〉3月25日-2019年〈平成31年〉1月29日)。イラストで注目され、『桃尻娘』(1977年)で作家としてデビューすると博学や独特の文体を駆使し、古典の現代語訳、評論・戯曲など多才ぶりを発揮する。作品に『桃尻語訳枕草子』(1987-1988年)、『蝶のゆくえ』(2004年)、『初夏の色』(2013年)などがある。(「Wikipedia」より)東大紛争のさなか「とめてくれるなおっかさん背中のいちょうが泣いている男東大どこへ行く」というコピーを打った東京大学駒場祭のポスターで注目されました。※同世代の大学生だった小生。「大学紛争」のさなか、このポスターには驚きました。東大闘争の無期限ストの中で、学部側との交渉も決裂し、学部側には公認されないまま「自主管理」による...「マルメロ草紙」(橋本治・絵:岡田嘉夫)発行:ホーム社発売:集英社

  • 「向島百花園」。その2。彼岸花。萩のトンネル・萩まつり。からすうり。秋の七草。侘助(わびすけ)。・・・

    「彼岸花」三景。園内には、萩の花がそこここに、左手に「其角堂永機句碑」。「朧夜やたれをあるじの墨沱川」。萩のトンネル。「向島百花園」では、『萩まつり』が開催され、約30メートルにおよぶ「萩のトンネル」が見ごろを迎えています。10月1日(火)まで。「はなとらのお」。「からすうり(烏瓜)」。ウリ科の植物。花は夜間だけ開き、秋枯れが始まった雑木林の林縁などでよく目立つ朱色の果実をつける、つる性の多年草である。地下には塊根を有する。和名「カラスウリ」の由来は、カラスが好んで食べる、ないし熟した赤い実がカラスが食べ残したように見えることから命名されたなど、諸説ある(「Wikipedia」より)。水面に映る。「おみなえし」。アゲハチョウ(↓)。萩、女郎花、藤袴、薄、桔梗、・・・ききょう。ふじばかま。すすき。もっこく。...「向島百花園」。その2。彼岸花。萩のトンネル・萩まつり。からすうり。秋の七草。侘助(わびすけ)。・・・

  • 「向島百花園」。変化朝顔。葛(くず)の花・葛根。へびうり。福禄寿(ふくろくじゅ)うり。じんじゃー。芙蓉。・・・

    「向島百花園」で珍しい「変化朝顔」が陳列されているので出かけました。9月21日。よく見かける朝顔とは趣を異にしています。葉っぱがふだん見る朝顔とおなじようなものもありますが、葉っぱから花の様子などずいぶん違います。日本名の朝顔もありますが、漢字が並んだものがあります。はて?江戸後期から園芸品種として流行し、現在まで好事家によって栽培されています。・・・夏の朝を彩るアサガオは,多くの日本人にとって非常に親しみのある植物だ。だが,普段見慣れた大輪の丸い花以外にも,さまざまな姿のアサガオがあることをご存じだろうか。ここで紹介する写真や絵のほとんどは,アサガオ(学名:IpomoeanilまたはPharbitisnil)という1つの種から突然変異によって生まれたものだ。とても同じ種とは思えないくらい,葉や花の形は変...「向島百花園」。変化朝顔。葛(くず)の花・葛根。へびうり。福禄寿(ふくろくじゅ)うり。じんじゃー。芙蓉。・・・

  • 「相模線」・(「横浜線」)。橋本駅。リニア新幹線橋本駅大工事中。附「お召列車」・「特急ときわ」。

    今回は、相模線・横浜線の旅。上野~茅ヶ崎~(相模線)橋本~(横浜線)八王子~上野。ローカル線といっては申し訳ない。今まで乗った関東エリアのローカル線とは趣を異にし、市民の足として活躍、駅ごとの乗降客も多く、けっこうな混み具合でした。附:上野駅で見かけた回送列車。停車中の電車。孫(小1)に写真を見せると、上の列車はお召し列車、下は「特急ときわ」、と。「ときわ」は常磐線特急の最新型のようです。さて、茅ヶ崎までの東海道線。横浜まではけっこう混んでいます。茅ヶ崎で待ち時間もなく、乗り換えます。開閉がドアボタン式でちょっと慌てました。相模線神奈川県中央部を縦貫して東海道線と中央線を連絡することと、相模川で採取した砂利の輸送を目的として建設された路線。相模鉄道(法人格としては現在の相鉄ホールディングス)によって建設さ...「相模線」・(「横浜線」)。橋本駅。リニア新幹線橋本駅大工事中。附「お召列車」・「特急ときわ」。

  • 9月22日(日)・秋分の日。秋の彼岸(ひがん)会。暑さ寒さも彼岸まで。おはぎ。秋の日はつるべ落とし。

    彼岸花。(幸手「権現堂堤」にて)すすき。(「向島百花園」にて)夏日が続く東京地方。やっと涼しくなる気配。でも、最近。秋雨前線の影響か、時ならぬ豪雨がところ選ばず襲ってくる。今朝のお天気。日差しはあるが、けっこう涼しく感じる。さて、昨日は、二十四節気の第16番目「秋分」。「春分」と同じように、太陽が真東から昇り真西に沈む、昼と夜の長さが同じになる日。※じっさいには、昼の方が少し長い。「秋分の日」をはさんで前後7日間、仏教寺院では、「秋季彼岸会」が行われます。※「彼岸」とは、サンスクリット語の「パーラミータ」(波羅蜜多)の訳語。「至彼岸(彼の岸に至る)」また「度(渡る)」と音訳します。仏教では、私たちが生活しているこの世界を穢土(えど)、または娑婆世界と言い、穢れた苦しみの世界であると説いています。そして、こ...9月22日(日)・秋分の日。秋の彼岸(ひがん)会。暑さ寒さも彼岸まで。おはぎ。秋の日はつるべ落とし。

  • 吾妻(あがつま)線。その12。新川原湯温泉。赤城山。新前橋駅~上野駅・「青春18きっぷ」。

    「八ッ場あがつま湖」を望む。「川原湯温泉駅」へ戻ります。ダムを振り返る。新「川原湯温泉」地区側(「吾妻川」右岸)を歩きます。温泉宿街。吾妻川を眼下に眺めながら、戻ります。「川原湯源泉公園」。駅前の「観光案内図」。新前橋行きの電車。車内の乗客は、すでに乗っていた外国人労働者、2名のみ。帰りの車外風景。「岩原駅」。「郷原(ごうばら)駅」。「市城駅」。「小野上(おのがみ)駅」。左手に「赤城山」が見えてきます。「渋川」で「上越線」に合流し、「新前橋駅」に。そこから上野行で帰京しました。「八ッ場ダム」への往復。炎天下での歩きのため、熱中症寸前に。しかし、けっこう興趣のある列車の旅でした。「青春18きっぷ」を活用できました。残り1枚で、茅ヶ崎駅から橋本を経由して八王子駅までの電車の旅に。吾妻(あがつま)線。その12。新川原湯温泉。赤城山。新前橋駅~上野駅・「青春18きっぷ」。

  • 吾妻(あがつま)線。その11。「八ッ場ダム」。迫力ある景観。吾妻峡・吾妻峡レールバイク アガッタン。

    「国土交通省八ッ場ダム管理支所」。この手前にはお蕎麦屋さんとうどん屋さん。どちらも繁盛している様子。車以外は小生のみ?ダムを望む。「なるほど!やんば資料館」。「八ッ場ダム」。「八ッ場あがつま湖(ダム湖)」を望む。鮮やかな青緑色。資料館内。施設や歴史などが展示されている。「八ッ場あがつま湖」碑。「八ッ場ダム」。この辺りから動画を撮り始めました。ダイナミックな落ち口に感動。赤い橋まで行けば、大迫力の画面に。エレベータで下りることができますが、今回はパス。廃線となった吾妻線の線路が見える。実は、下ると、「岩島駅」まで「吾妻峡」そして旧鉄道跡に沿った道が続いています。さらに旧線路を生かした「吾妻峡レールバイクアガッタン」というアトラクション施設があります。※群馬県東吾妻町では、2014年に切り替え廃止となった旧J...吾妻(あがつま)線。その11。「八ッ場ダム」。迫力ある景観。吾妻峡・吾妻峡レールバイクアガッタン。

  • 吾妻(あがつま)線。その10。バンジージャンプ。青緑色の湖水。470の家屋がすべて更地に。「ダムとなる村に知人の家は無く・・・」。「八ッ場あしたの会」。

    橋にはバンジージャンプ。外国人観光客がチャレンジ中。「八ッ場大橋」を振り返る。ダム湖(八ッ場あがつま湖)。湖水は、鮮やかな青緑がかった色をしています。その理由は?※かつて、吾妻川は酸性度が極めて強く、魚が住めない川だった。草津白根山や草津温泉の源泉が流れ込むためで、魚が住めないだけでなく、コンクリートなどの構造物もぼろぼろにしてしまった。そこで、1965年に中和を促進するための品木ダムが建設された。石灰乳液が投入された川が品木ダムに流れ込み、中和の過程でできた生成物がダム湖の底に沈む。品木ダムの人造湖(上州湯の湖(じょうしゅうゆのこ))が光の具合によってエメラルドグリーンに見えるのは、この沈殿物のため。品木ダムから流れ出た水は、吾妻川と合流し10kmほど南にある八ッ場あがつま湖に流れ込む。湖面の色が独特な...吾妻(あがつま)線。その10。バンジージャンプ。青緑色の湖水。470の家屋がすべて更地に。「ダムとなる村に知人の家は無く・・・」。「八ッ場あしたの会」。

  • 仲秋の名月。9月17日。向島百花園。

    今年の仲秋の名月は、9月17日(火)。旧暦8月15日にあたります。。「月月に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」「月」という字が8つあり、8月であることを暗示しているようです。月をめでる習慣は昔からあります。『徒然草』にも、「よろづのことは、月見るにこそ慰むものなれ」と。特に「仲秋の名月」はことさらのもののようです。そこで、近年、慣習となっているお月見。雲一つなく晴れ渡った昨夜(9月17日)、「向島百花園」の「月見の会」に出かけました。去年は曇り空で「迷月」だったので、2年ぶりのお月見でした。今までに見たことがないような大勢の人が。外国人の姿も目につきます。「四つ木橋」から。月の出を待つスカイツリー。女郎花(おみなえし)。「茶会」が行われている「御成座敷」。次第に暮れ行く空。絵行灯に火が入ります。百花...仲秋の名月。9月17日。向島百花園。

  • 吾妻(あがつま)線。その9。「川原湯温泉」。共同浴場「王湯」。旅館は移転によって20軒から6軒へ。「八ッ場大橋」。「八ッ場」の由来。

    川原湯温泉付近の今昔。(現在)。川原湯温泉は高台に移転している。(1970年代)。谷間に集落が点在していた。吾妻川に流入している沢。共同浴場「王湯」入口。右奥に源泉配給用の大きなタンク。遠景。(「」HPより)川原湯温泉の温泉街にかつて20軒以上あった旅館は、水没に伴って残ったのは6軒だけでした。①「山木屋」②「やまた旅館」③「民宿山水」④「ゆうあい旅館」⑤「丸木屋」⑥「やまきぼし旅館」そのほか、飲食店・商店、美容室・理容室など。左に「吾妻川」(ダム)に架かる橋が見えてきます。「八ッ場大橋」。ダムによって分断された新「川原湯」地区(右岸)と「川原畑」地区(左岸)を結ぶために造られた橋。ダムサイト方向。八ッ場ダム本体が見えてきます。上流方向。正面に「不動大橋」。ここで、「八ッ場」について「八ツ場」と書いて「や...吾妻(あがつま)線。その9。「川原湯温泉」。共同浴場「王湯」。旅館は移転によって20軒から6軒へ。「八ッ場大橋」。「八ッ場」の由来。

  • 吾妻(あがつま)線。その8。「川原湯温泉駅」。川原湯源泉公園・源頼朝・笹竜胆(ささりんどう)の紋。水陸両用バス【八ッ場にゃがてん号】。

    「川原湯温泉駅」で下車した人は、小生ともう一人のみ。「川原湯温泉駅」。新装の駅舎は瀟洒な佇まい。移転した「川原湯温泉」地図。「吾妻川」上流を望む。駅から「八ッ場(やんば)ダム」までは炎天下の歩きとなります。ダム湖が眼下に。「八ッ場あがつま湖」。かつての「川原湯温泉」地区、吾妻線などが湖底に沈んでいる。(現在)。川原湯温泉駅付近。赤色の道路がかつての吾妻川左岸沿いになる。(1970年代)。中央が吾妻川。上部に温泉街。眼下に「川原湯源泉公園」。最近整備された公園のようです。正面に源氏の家紋「笹りんどう」。帰りに寄れたら、と。しかし、炎天下の往復と電車の発車時刻が迫っていたので、断念しました。そこで、「」HPより。川原湯温泉に温泉を供給している源泉のある公園。公園内には源頼朝が着ていた衣を掛けたという衣掛石のレ...吾妻(あがつま)線。その8。「川原湯温泉駅」。川原湯源泉公園・源頼朝・笹竜胆(ささりんどう)の紋。水陸両用バス【八ッ場にゃがてん号】。

  • 吾妻(あがつま)線。その7。万座・鹿沢口駅~大前駅。吾妻線の終点。嬬恋村。

    「吾妻川」沿いの岸壁。実りの秋。「大前駅」。10:41着。大前駅(おおまええき)群馬県吾妻郡嬬恋村大字大前にある駅で、吾妻線の終着駅。ほとんどの列車がひとつ手前の万座・鹿沢口駅で折り返すため、当駅に乗り入れる列車は少なく、日中は6時間以上発着のない時間帯もある。駅の標高は840.4メートルで、また群馬県内および関東地方の普通鉄道の駅としては最西端である。当駅のプラットホームは4両編成分の長さであるが、線路はホームの端から約100メートルほど奥に延びている。架線も線路末端付近まで張られているため、かつて特急「草津」に使われていた651系電車のような7両編成の車両も入線・停車することができる。通常は普通列車以外は来ないが、行楽シーズンなど吾妻線の臨時列車が増発される際には、臨時列車の編成が一時待避するために当...吾妻(あがつま)線。その7。万座・鹿沢口駅~大前駅。吾妻線の終点。嬬恋村。

  • 吾妻(あがつま)線。その6。羽根尾駅~万座・鹿沢口駅・万座温泉。駅名に・(中黒)のある駅。

    「羽根尾駅」。群馬県吾妻郡長野原町大字羽根尾にある。開設から1982年(昭和57年)までは貨物取扱駅で、貨物列車発着のための駅長・駅員が配属され常駐していた。その名残で、構内はかなり広く、最大4本の側線を有していた。吾妻線内で列車交換可能な駅としては最西端となる。(「Wikipedia」より)旅客用本線2本、貨車用支線4本、90mの旅客ホームに125mの貨物用ホーム。貨物扱いのなくなった吾妻線で、現在全く使われていない設備がこの羽根尾駅構内に残っています。吾妻線が昭和46(1971)年に延伸した際に、この羽根尾駅は吾妻貨物線の拠点駅となるはずでした。お隣の嬬恋村(つまごいむら)といえばキャベツの生産地として有名で、そのキャベツを運ぶ貨物列車の拠点となるべく、この羽根尾駅開業時の設備投資は並々ならぬものがあ...吾妻(あがつま)線。その6。羽根尾駅~万座・鹿沢口駅・万座温泉。駅名に・(中黒)のある駅。

  • 吾妻(あがつま)線。その5。川原湯温泉駅~群馬大津駅。「長野原草津口駅・草津温泉下車駅・♪草津よいとこ・・・。「群馬」がつく駅名が多いわけ。

    「川原湯温泉駅」には、帰途、下車することにし、先に進みます。「長野原草津口駅」へ。「長野原草津口駅」。群馬県吾妻郡長野原町大字長野原にある。特急「草津・四万」の発着駅、および長野原町の中心駅で、草津温泉の最寄り駅となっている。隣の川原湯温泉駅の東方に建設された八ッ場ダムの本体工事に伴い、2014年(平成26年)10月1日から岩島駅-当駅間のルートが切り替えられた(旧線は吾妻川の左岸を通っていたが、切替により右岸を通るようになった)。当駅は水没地域に含まれず位置も変わらないが、ダム関連工事が進むにつれて従前から駅前にあった施設(建物)が移転し、現在の駅周辺は水没地域の代替地としての開発段階にある。なお、八ッ場ダム問題に直面する長野原町の生活再建策の一つとして、従来の駅舎の西側に新駅舎が建設され、2013年(...吾妻(あがつま)線。その5。川原湯温泉駅~群馬大津駅。「長野原草津口駅・草津温泉下車駅・♪草津よいとこ・・・。「群馬」がつく駅名が多いわけ。

  • 吾妻(あがつま)線。その4。中之条駅~郷原駅。中之条町。四万温泉・積善館。岩櫃山・岩櫃城。

    「中之条駅」。(南側広場)(北・改札口)中之条町(なかのじょうまち)吾妻郡の観光の中心地。郡内で最多の人口を有する。1,000mを超える山々が広く分布し、山地が広い面積を占める。四万川が町の東部を北から南に流れ、吾妻川に合流する。吾妻川は南部を西から東へ流れている。中之条の市街地は吾妻川北側(左岸)の河岸段丘に形成されている。※「中之条」は中世、「中ノ庄」といわれたという。伊勢町海藏寺碑)吾妻庄の中央に位置していたのでその名が付けられたのであろうか。また吾妻原町記によると、中ノ庄は「山代庄」ともいわれたという。中之条町字長岡の地が山城国長岡の地形に似ているので、その名が付けられたともいわれている。中之条町には、たくさんの温泉があり、訪れる人々を安らぎとぬくもりで包みます。中でも四万温泉や沢渡温泉は、昔から...吾妻(あがつま)線。その4。中之条駅~郷原駅。中之条町。四万温泉・積善館。岩櫃山・岩櫃城。

  • 吾妻(あがつま)線。その3。祖母島駅~中之条駅。

    「吾妻川」左岸沿いに進みます。収穫を迎えた田畑が広がります。「小野上駅」。左奥に「吾妻川」。「小野上温泉駅」。1992年(平成4年)3月14日に開業した吾妻線で最も新しい駅である。当駅開業以前は駅周辺に住んでいる吾妻線利用者は隣駅の小野上駅を利用していたが、地元請願により沿線利用者の利便を図るため開業した。(乗車人数は30人前後)※小野上温泉JR吾妻線小野上温泉駅から徒歩すぐという高立地にある温泉地。この付近にあった塩川鉱泉を起源としており、この鉱泉は傷の名湯として知られ、第11代天皇である垂仁天皇の時代に開かれたともいう長い歴史を持つ。その後、廃湯となったが、近くで新温泉が採掘され湧出している。これが現在の小野上温泉となっている。また、付近には舞茸やブルーベリー、しいたけ、青梅などを収穫している農園があ...吾妻(あがつま)線。その3。祖母島駅~中之条駅。

  • 吾妻(あがつま)線。その2。榛名山(はるなさん)。渋川駅~祖母島駅。吾妻川。

    「渋川」までは上越線と同じ。「渋川駅」は、利根川歩きのときに利用しました。「榛名山(はるなさん)」が左奥に。榛名山関東地方の北部の群馬県にある上毛三山の一つであり、古来山岳信仰を受けてきた山である。山の南西麓に榛名神社が祀られている。山頂にはカルデラ湖である榛名湖と中央火口丘の榛名富士溶岩ドーム(標高1,390.3m)があり、495年頃(早川2009)と約30年後に大きな噴火をしたと見られている。中央のカルデラと榛名富士を最高峰の掃部ヶ岳(かもんがたけ標高1,449m)、天目山(1,303m)、尖った峰の相馬山(1,411m)、二ッ岳(1,344m)、典型的な溶岩円頂丘の烏帽子岳(1,363m)、鬢櫛山(1,350m)などが囲み、更に外側にも水沢山(浅間山1,194m)、鷹ノ巣山(956m)、三ッ峰山(1...吾妻(あがつま)線。その2。榛名山(はるなさん)。渋川駅~祖母島駅。吾妻川。

  • 吾妻(あがつま)線。その1。青春18きっぷ。吾妻線とは? 高崎駅~渋川駅。

    知人から2回未使用の「青春18きっぷ」を譲り受けました。使用期間が今月10日まで、ということで、さっそく利用します。乗った路線は、「吾妻(あがつま)線」。吾妻線群馬県渋川市の渋川駅から同県吾妻郡嬬恋村の大前駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。群馬県北西部にあり、利根川支流の吾妻川により形成された吾妻谷を渋川から西進する路線。沿線には草津温泉や四万温泉・沢渡温泉・万座温泉・鹿沢温泉・川原湯温泉・尻焼温泉・小野上温泉など、温泉が多く存在し、東京(上野駅)から直通の特急が運行されている。また普通列車も全て上越線経由で新前橋駅または高崎駅から直通している。中央が終着駅「大前駅」、右上が「八ッ場ダム」。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)JR吾妻線は、1945(昭和20)年1月に...吾妻(あがつま)線。その1。青春18きっぷ。吾妻線とは?高崎駅~渋川駅。

  • 「白露」9月7日(土)。「重陽の節句」9月9日(月)。「仲秋の名月」9月17日(火)。

    二十四節気の15番目「白露」。処暑から数えて15日目頃。この日から仲秋になります。草の葉に白い露が結ぶという意味。※「陰気ようやく重なりて露こごりて白色となれば也」(「暦便覧」)夜のうちに大気が冷え、草花や木に朝露が宿りはじめる頃。また、秋分までの期間を指します。本格的な秋の到来を感じられる頃です。日中はまだ暑さが残りますが(30度以上が続くことも)、朝夕の涼しさの中に肌寒さも感じ始めます(自転車をこいでいると、陽の落ちるのも早くなって、涼しさを感じます)。そして、9月9日は、五節句のひとつ、「重陽の節句」。「菊の節句」とも呼ばれ、菊酒を飲んだり、栗ご飯を食べたりして無病息災や長寿を願います。漢詩を二つ。九月九日憶山東兄弟王維独在異郷為異客毎逢佳節倍思親遥知兄弟登高処徧插茱萸少一人独り異郷に在りて異客と為...「白露」9月7日(土)。「重陽の節句」9月9日(月)。「仲秋の名月」9月17日(火)。

  • 八高線(高崎~八王子)。その8。箱根ヶ崎駅~八王子駅。

    「箱根ヶ崎駅」から「横田基地」の脇を抜けるように進みます。かつて基地の北端に唯一のトンネルがありましたが、撤去され、八高線には一つもトンネルがなくなりました。(現在)(1970年代)※横田基地に離着陸する米軍機によって落下した部品から線路を守る事を目的に造られたようです。「日光千人同心街道」歩きの時、八王子から「東福生駅」を経由、基地の脇を通り、「箱根ヶ崎駅」に向かいました。「拝島駅」。向こうは西武線ホーム(拝島線の終点)。JR東日本の各線(青梅線・五日市線・八高線の3路線)と、西武鉄道の拝島線の2社4路線が乗り入れている。JR線と西武線の連絡改札は設置されておらず、乗り換えにはそれぞれの改札を通過する必要がある。「青梅線」。※青梅街道歩きの時に利用しました。「五日市線」。「五日市街道」で利用しました。「...八高線(高崎~八王子)。その8。箱根ヶ崎駅~八王子駅。

  • 八高線(高崎~八王子)。その7。東飯能駅~箱根ヶ崎駅。

    東飯能駅付近の地図(現在)。西に大きくカーブしていくのが「西武秩父線」。※西武線が直接、東飯能駅に向かう短絡線の用地がそのまま残されています。そのわけは?・・・西武秩父線に対して短絡線の計画は、なかなか進みませんでした。東京のベッドタウンとして発展し続けていた飯能市の市街中心部を通るルートだったため、全長わずか500mほどの距離ながら、用地買収交渉や都市計画との調整などで時間がかかったためといえます。それでも1980年代の後半には用地買収がほぼ完了し、複線の線路を敷くことができる建設用地が確保されました。赤い線の部分。しかし、そのあいだにセメント輸送がトラックなどに移ったこともあり、貨物列車の輸送量が減少。1996(平成8)年には貨物列車の運転が終了してしまいます。短絡線のメリットを最大限に生かせる列車が...八高線(高崎~八王子)。その7。東飯能駅~箱根ヶ崎駅。

  • 八高線(高崎~八王子)。その6。高麗川(こまがわ)駅~東飯能駅。附「高麗郡」について。

    高麗川駅に近づきます。住宅と田畑と。緩やかな丘陵地帯。豊かな緑の中に住宅が。畑が広がっています。「高麗川駅」に到着。隣のホームから「八王子行き」。スムーズに乗り換え。当駅の所属線である八高線と、当駅を終点とする川越線の分岐駅となっている。八高線は当駅を境に八王子方面が電化、高崎方面が非電化となっており、運転系統が分断されている。また、川越線も電化されており、川越線の川越方面と八高線の八王子方面で当駅を経由して直通運転が行われている。また八高線には、かつて当駅から青梅線を経由して中央線直通で東京駅との間を結ぶ電車も設定されていた。八高線は八王子駅から当駅までが八王子支社、当駅から北の区間が高崎支社、川越線は大宮支社の管轄となっており、当駅は八王子支社の管轄となる。※川越線埼玉県の県庁所在地であるさいたま市か...八高線(高崎~八王子)。その6。高麗川(こまがわ)駅~東飯能駅。附「高麗郡」について。

  • 八高線(高崎~八王子)。その5。小川町駅~毛呂駅。(附)武者小路実篤「新しき村」。

    しだいに雨も上がり、青空が広がってきます。住宅が増えてきます。「明覚(みょうかく)駅」。埼玉県比企郡ときがわ町大字番匠(ばんしょう)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)八高線の駅である。ときがわ(都幾川)町にある唯一の鉄道駅で関東の駅百選にも認定されている。※当時の村名が「明覚村」であったことにちなむとする説と、当時「妙覚寺」というお寺があり、それが「明覚」に転訛したという説がある。1988年(昭和63年)11月9日:午前3時頃出火し、駅舎が全焼。1989年(平成元年)9月18日:現駅舎完成。駅舎は旧・都幾川村の木を使用して建築された。1995年に駅舎がグッドデザイン賞受賞。1997年(平成9年):「関東の駅百選」第1回選定駅になる。選定理由は「地元産の丸太で造り、周辺の山とマッチしたカナダ風ログハウスの...八高線(高崎~八王子)。その5。小川町駅~毛呂駅。(附)武者小路実篤「新しき村」。

  • 八高線(高崎~八王子)。その4。寄居駅~小川町駅。

    「寄居駅」付近の今昔。(現在)。「荒川」・景勝地「玉淀」。(1880年代)。寄居駅の南、「秩父往還」沿いに集落(寄居宿)。「荒川」を鉄橋で渡りますが、撮れませんでした。3年前、「荒川」を遡上したときに「寄居駅」(秩父鉄道)で下車し、そこから荒川沿いを歩きました。その時の記録。・・・2021年4月24日(土)。晴れ。秩父鉄道・寄居駅南口から東武東上線・玉淀駅へ向かい、そこから「荒川」へ。宮沢賢治歌碑。毛虫焼くまひるの火立つこれやこの秩父寄居のましろきそらにつくづくと『粋なもやうの博多帯』荒川ぎしの片岩のいろ「正喜橋」。佐々紅華作曲の「寄居小唄」の歌曲碑。寄居小唄金子虹作詞佐々紅華作曲色はうす紅玉淀さくら霞む日ごとの水かがみまわる日傘にほろほろとさても愛しい花が散るよりい良いとこ秩父の山が雪のけはいの品のよさ...八高線(高崎~八王子)。その4。寄居駅~小川町駅。

  • 八高線(高崎~八王子)。その3。児玉駅~寄居駅。

    「児玉駅」。埼玉県本庄市児玉町児玉にある。1931年(昭和6年)7月1日:鉄道省八高北線(現・八高線)児玉駅-倉賀野駅間開通時に終着駅として開設。盲目の国学者塙保己一塙保己一は、江戸時代の中頃の延享3年(1746年)に武蔵国児玉郡保木野村(現在の本庄市児玉町保木野)に生まれました。7歳の時に病気のために失明し、15歳になって江戸に出て当道座(盲人の組織)に入り、検校雨富須賀一に弟子入りしました。保己一は当道座での修業を積み苦労を重ねて立身し、晩年には当道座の最高位である総検校に昇進しました。保己一は国学者としても著名であり、「群書類従」や「続群書類従」の編さん、さらには和学講談所の設立及び運営、当道座の改革など多大な功績を残しています。中でも群書類従の編さんは41年を費やした大事業であり、正編666冊、続...八高線(高崎~八王子)。その3。児玉駅~寄居駅。

  • 八高線(高崎~八王子)。その2。倉賀野駅~児玉駅。

    倉賀野駅を過ぎると、最初の踏切が「日光例幣使街道」、その次の跨線橋が「旧中山道」。二つとも歩いて通過しましたが、どのあたりだったか、確認できず。※「日光例幣使街道」と「中山道」。(「例幣使街道」を歩いたときの記録。)倉賀野宿・「中山道」との分岐点。右が「中山道」、左が「日光例幣使街道」。「常夜灯」。正面「日光道」右側面「中山道」左側面「常夜燈」。「道標」。正面「従是右江戸道左日光道」。JR線を越えます。※「中山道」歩きのときの記録。「←倉賀野宿1.3㎞、→新町宿3.9㎞」。「高崎線」の上下線を跨線橋で越えて行きます。・・・さて、列車は、「烏(からす)川」を越えます。「ザ・ガーデンゴルフクラブ」。烏川の河川敷にある。「烏川」。烏川は、その源を群馬、長野の県境にそびえる鼻曲山(1654m)に発し、榛名山の西と...八高線(高崎~八王子)。その2。倉賀野駅~児玉駅。

  • 八高線(高崎~八王子)。その1。

    久々に列車の旅。去年の夏は、関東エリアの地方鉄道に乗りましたが、まだ残っていた「八高線」にチャレンジ。高崎線で高崎まで。そこから「八高線」に乗って八王子まで。そこから中央線で戻ってきました。八高線(はちこうせん)東京都多摩地域南西部の八王子市から北上し、埼玉県の西部および北西部を経由して群馬県南部の高崎市を結ぶ路線。八王子駅から群馬県高崎市の倉賀野駅までを結ぶ鉄道路線(地方交通線)。実際の運行は倉賀野駅を始発・終着とする列車はなく、同駅を経由する全列車が高崎線に乗り入れて高崎駅を起終点としている。関東山地東麓を経由して全長92.0kmを結ぶ(倉賀野~高麗川58.9K+高麗川~八王子33.1K)。全線単線であり、沿線には昭島市や福生市、飯能市、寄居町、藤岡市といった都市が存在する。開業時は1か所だけトンネル...八高線(高崎~八王子)。その1。

  • 「虫ききの会」・向島百花園。8月23日夕。

    8月22日から8月25日まで、「向島百花園」で「虫ききの会」が行われています。江戸時代から続く伝統行事のようです。この期間は、夜の9時まで開園。相変わらず蒸し暑い一日。そんな中、昨日(23日)、夕涼みがてら、行ってきました。荒川・四ツ木橋より。遠くにスカイツリー。向島百花園。園内から放された「スズムシ」の涼しげな音が聞こえてきます。ひとときの安らぎ。風鈴の音が響く。カルガモの姿はありませんが、虫たちの展示。遠くにスカイツリー。しだいに暮れなずむ空の下、さまざまな色彩に変化する「スカイツリー」を紹介。別の場所から。園内からのスカイツリーもなかなか趣がありました。参加者も和やかな雰囲気。問ふごときしかと見つめる赤蜻蛉闇廻り虫の音に酔う江戸なごりさりげなくめくる歳時記虫の園若いカップルが興味深く、「御成座敷」。...「虫ききの会」・向島百花園。8月23日夕。

  • 処暑。8月22日(木)。㋇31日(土)・二百十日。綿の花。木槿。鰯・秋刀魚。秋の七草。

    今日、8月22日は、24節気の14番目「処暑(しょしょ)」。立秋から二番目。この時期から次第に夏の暑さが収まってくるとされています。※「処」という文字には「とめる」「とまる」などといった意味があり、この時期から次第に暑さが収まってくるとされている。お米や梨など色んな穀物・果実が実り始める頃、でも今や、収穫期がどんどん早まったり、熟しすぎる、今日この頃。お米も高騰!買占めもあるようで、品切れ状態。暦の上では、「厳しい暑さの峠を越し、朝夕は涼風が吹き始め、山間部では早朝に白い露が降り始め、秋の気配を感じる」とか。ところが、今年はどうも順調に秋が来ているとは思えません。関東地方。いきなり突然の激しい雷雨。安定しないお天気です。それでも東京地方。日中はかなり蒸し暑く、出歩くといっぺんに汗が噴き出しますが、夕方は、...処暑。8月22日(木)。㋇31日(土)・二百十日。綿の花。木槿。鰯・秋刀魚。秋の七草。

  • 朝から暑い! 猫たちもぐったり。でも、食欲だけは衰えず。酷暑の、ある日。(DAYS with CATS)

    我が家の猫たち。最近は、仲良く、近くに。それでもあんずは2歳年上上と下に。玄関に誰か来ると、同時に視線を向ける。そのうち、ふらっといなくなるあんず。「ネコは液体である」。小さな洗濯かごに納まるソウタ(5.8k)。飽きてウロウロ。机の脚の下でモゾモゾ。しっぽがユラユラ。ひっくり返ってガリガリ。いつもの寝姿。クーラーの効く部屋で。こんな寝方も頭は?しっぽは?小さな箱がつぶれそう。それでも、12時頃になると、ムックリ起きだして、啼いて上に行こうと催促する。そして、ということでした。朝から暑い!猫たちもぐったり。でも、食欲だけは衰えず。酷暑の、ある日。(DAYSwithCATS)

  • 『第一回・第二回あかね噺の会』林家楽一「紙切り」・お囃子教室・鏡味仙成「大神楽」・林家けい木「つる」。・。(「落語鑑賞教室」その6。)

    寄席では、落語を2本見せると、次は必ず落語以外の演芸を見せる。紙切りを始めとして、漫才、漫談、奇術、太神楽、三味線漫談、ウクレレ漫談、バイオリン漫談、ものまね、など、目先の変わる芸を見せる。落語2本あると、必ず次は「楽しい演芸」となる。「紙切り」といえば、林家正楽さん。お客さんの注文に応じてハサミ一つで紙を切る。実に味のある芸でした。「切れない」と言わない寄席紙切り芸の第一人者、林家正楽さん死去…76歳2024/01/2612:30東京都出身。高校卒業後、会社勤めを経て1966年に二代目林家正楽に入門した。林家小正楽を経て2000年に師匠の名跡を継いで三代目正楽を襲名。どんな注文でも「切れない」とは決して言わず、ひょうひょうとした一人語りと共に体をユラユラと動かし、短い時間で紙を切り抜くスタイル。寄席でト...『第一回・第二回あかね噺の会』林家楽一「紙切り」・お囃子教室・鏡味仙成「大神楽」・林家けい木「つる」。・。(「落語鑑賞教室」その6。)

  • 『第一回あかね噺の会』・柳亭小痴楽「明烏」。(「落語鑑賞教室」その5。)

    「明烏」は、八代目桂文楽師匠の得意中の得意なだし物。八代目文楽師匠は、上品な色気ときっちりした芸が売り。・・・「明烏、一声鳴いて、夜が明ける」。「振られた者の起し番」で、結局、敵娼に振られた源兵衛と太助は歯磨きをしながらぶつぶつ言う仕草も絶妙。甘納豆を口に放り込みながら、時次郎を起こしに来る。この、甘納豆を食べる仕草が絶妙で、この噺を聞いた後で、甘納豆がよく売れたとか。※「明烏」は「明け方(朝)に鳴くカラス」を意味し、転じて男女の夜の契りの終わりを意味する。さて、今回演じる「柳亭小痴楽」さん。”クビ”になって初めて、落語への意識がガラッと変わりました五代目痴楽の次男として生まれ、幼い頃から独演会の手伝いに駆り出されていたという小痴楽師匠。落語家の道へと進んだのもその影響かと思いきや、きっかけは父とは別人の...『第一回あかね噺の会』・柳亭小痴楽「明烏」。(「落語鑑賞教室」その5。)

  • いました!向島百花園のカルガモたち。8月13日。午後の園内。

    強い日差しの下、愛用の折りたたみ自転車で久々に向島百花園へ。風があるので、少しは走りやすい。でも、暑い!葛の葉の下。涼しげな風鈴の音。さまざまな花が咲き、実っています。池の方に進むと、カルガモの姿。こちらにも2羽。まとまって木の陰に。カルガモの泳ぎを見ながら、四阿で休んでいると、ヤマバトが水を飲みに。まだ小さい。遠くから鳴き声が聞こえると、そちらの方に飛んでいきました。ドバトも。鳥たちも喉が渇くのでしょうね。さて、腰を上げて帰ろうとすると、カルガモの姿が見えません。右の側溝のところに集まっているようです。池へ引き込む用水路。ここが涼しいのでしょうか?数えると、7羽います。係の方に尋ねると、「親鳥は朝から出かけて夕方帰って来るようでね。どこか次の住処を探しているのでしょうか。」前回来たときは、1羽も見ません...いました!向島百花園のカルガモたち。8月13日。午後の園内。

  • 『第一回あかね噺の会』・春風亭一朝「三方一両損」。(「落語鑑賞教室」その4。)

    「あかね噺連載1周年記念」。トリは、春風亭一之輔の師匠である「春風亭一朝」。落語家・春風亭一朝(72)は寄席に欠かすことのできない存在だ。江戸前の語り口でトリでの熱演はもちろん、浅い出番でサラッとつなぐこともできる。・・・寄席を大事にする思いは、弟子の春風亭一之輔(45)ら一門弟子にも受け継がれている。そもそもは大師匠にあたる8代目林家正蔵(後の彦六)に入門志願した。当時、正蔵にはあとむ(現・八光亭春輔)、九蔵(現・三遊亭好楽)の2人が前座にいたため、正蔵から総領弟子の5代目柳朝を紹介され一番弟子となった。初めての弟子をもった柳朝は楽屋でこう宣言したという。「ウチに入った弟子だからな!いじめたら張り倒すぞ、この野郎」。一朝は「助かりましたね」と述懐する。修業も一風変わっていた。当時は師匠宅で住み込みで掃除...『第一回あかね噺の会』・春風亭一朝「三方一両損」。(「落語鑑賞教室」その4。)

  • 『第二回あかね噺の会』・柳家喬太郎「擬宝珠」。(「落語鑑賞教室」その3。)

    「キョンキョン」の登場。膝を悪くしたようで、上方のように「見台」を置き、「けっして笑点の司会をねらっているわけではありませんから」。それでもお元気。演目は、「擬宝珠」。あまりやらないお噺のようですが。まくらで「緑青がふいた10円玉は最近見かけませんね」とさりげなく。若旦那は原因不明の神経病にかかってしまう。年老いた両親は大変心配する。息子の悪友・熊さんに「倅は何か心に思い続けていることがあるに違いない。なんとか倅に聞き出してほしい」と。「煮干しが食べたい」と勘違い。「煮干しじゃ無くて、擬宝珠だよ」若旦那は金属をなめるのが趣味。カレーライスよりもスプーンをなめるのだ、と。隅田川(おおかわ)に架かるの橋の欄干の擬宝珠をなめつくした、と。若旦那は「実は私は観音様の五重塔のてっぺんにある擬宝珠がなめたいんだ」とい...『第二回あかね噺の会』・柳家喬太郎「擬宝珠」。(「落語鑑賞教室」その3。)

  • 『第一回あかね噺の会』・林屋つる子「反対俥」。(「落語鑑賞教室」その2。)

    林屋つる子「反対俥」。※林家つる子(中央大学文学部人文社会学科中国言語文化専攻)2010(平成22)年9月林家正蔵に入門2011(平成23)年3月前座となる前座名「つる子」2015(平成27)年11月1日二ッ目昇進さて「反対俥」。桂文治の噺、「反対俥」によると、今は無くなってしまった人力車だが、その当時の話です。今川(いまがわ)橋で客待ちの居眠りをしている車夫に声をかけた。「万世橋から上野までやってくれ」の注文で、とろりとろりと走り始めた。と思ったが、かじ棒が上がりすぎ車夫は空中で足をばたつかせ、走り初めても提灯が借り物だからと、丁寧にゆっくりと走らせて(歩いて)いる。若い車夫に抜かれると「若い者に花を持たせやしょう」と動じない。今度は年取った車夫に抜かれて「年寄りにも花を持たせましょう」。心臓が悪いので...『第一回あかね噺の会』・林屋つる子「反対俥」。(「落語鑑賞教室」その2。)

  • 『第二回あかね噺の会』・桃月庵白酒「替り目」。(落語鑑賞教室。その1。)

    暇に任せてたまには落語でも、と。「youtube」で探していましたら、こんな動画がありました。「『あかね噺』連載2周年記念『第二回あかね噺の会』に潜入!桃月庵白酒古典落語『替り目』」。『あかね噺』連載2周年突破を記念して行われたリアル落語イベント『第二回あかね噺の会』。『あかね噺』に縁のある演目を落語家たちが実際の高座で披露!今回の演目はあかねが披露した古典落語『替り目』。『少年ジャンプ』で連載の漫画。というわけです。※小生、この年になって、『少年ジャンプ』は読む(見る)機会は、なし!今も連載中?演者の「三代桃月庵白酒」。昭和43(1968)年鹿児島県生まれ【芸歴】平成4(1992)年4月早稲田大学中退後、六代五街道雲助に入門前座名「はたご」同年6月上野鈴本演芸場にて初高座平成7(1995)年6月二つ目に...『第二回あかね噺の会』・桃月庵白酒「替り目」。(落語鑑賞教室。その1。)

  • 8月7日。立秋。「秋来ぬと・・・」。朝顔。オミナエシ。キキョウ。ススキ。クズ・・・

    朝顔。「向島百花園」にて。今日は、24節気の13番目、「立秋」。暦の上では、「立冬(2024年は11月7日)」の前日までを「秋」となります。暦の上では秋に。東京地方。朝から晴れ、まだまだ暑い。むしろ残暑厳しく、夜も25℃以上。クーラーもつけっぱなしの日が続きます。一方、全国でゲリラ豪雨。関東でもまさに「ゲリラ」、一天にわかにかき曇り、雷が鳴り響きます。昔から、暑さ寒さも「彼岸」まで、というように、9月のお彼岸頃まではまだまだ暑い日が多いようです。太平洋湖気圧が衰えず、台風も日本に近づけず・・・。が、「立秋」と聞いただけで、いよいよ暑さは峠を越し、少しずつ秋に向けて進んでいく感じがするのは、不思議ですね。特に日が落ちた後は涼しさを感じます。夏至からまもなく2か月が経つになるわけですから。たしかに東京地方。一...8月7日。立秋。「秋来ぬと・・・」。朝顔。オミナエシ。キキョウ。ススキ。クズ・・・

  • 「ヒトラーへのメディア取材記録―インタビュー1923ー1940」(エリカ・ブランカ/松永りえ訳)原書房

    「彼は透きとおるような青い瞳をしていた。山々の頂に映えるようなうっすらと青い、いたいけない子どもたちしか持ちえないような無垢な青い瞳をしていた」これは1938年12月10日付けの週刊誌『イリュストラシオン』、ローベル・シュヌ、ロベールシュヴイエ記者が書いた一節だ。これほどまでに記者の心を癒やす幼子の眼差しの持ち主が、恐れを知らない征服者であると同時に情け容赦ない独裁者として君臨してから、かれこれ6年が経とうとしていた。(p004)ヒトラーへのフランス人記者によるインタビュー。ヒトラーに面会できる人々は、ナチス側のいいなりだった「仏独委員会」を通して厳選された親独派フランス人となった。(以下、「訳者あとがき」より引用)・・・ヒトラーに面会できる人々は「厳選される」のだから、選ばれたほうは悪い気がするどころか...「ヒトラーへのメディア取材記録―インタビュー1923ー1940」(エリカ・ブランカ/松永りえ訳)原書房

  • 「ジャック・デロシュの日記―隠されたホロコースト」ジャン・モラ作(岩崎書店)。「ショアーの歴史―ユダヤ民族排斥の計画と実行」ジョルジュ・ベンスサン(白水社)

    「今日、また食べ物を吐いた。でもこれが最後だ。」摂食障害になったエマ・ラシュナルは、17歳。祖母マムーシュカの死後、祖母の部屋で古い日記を見つけたことで、祖父母にまつわる恐ろしい事実を知る。その日記は、ポーランドのゾビブルという収容所でユダヤ人の「処理」にかかわっていた青年ジャック・デロシュの日記。フランス人でありながら、ドイツナチズムに共鳴、志願兵としてドイツに赴く。ドイツ人としての偽名を用い、ナチSSの幹部候補生として、ユダヤ人の隔離、排除、強制退去、そして絶滅収容所に関わっていく・・・。※「ソビブル」実在した絶滅収容所。1942年5月に稼働し、25万人ちかいユダヤ人、数が不詳のソ連軍捕虜が殺された。43年10月、施設で働かされていたユダヤ人300名が反乱を起こし、200名ちかくが殺され、30名が生き...「ジャック・デロシュの日記―隠されたホロコースト」ジャン・モラ作(岩崎書店)。「ショアーの歴史―ユダヤ民族排斥の計画と実行」ジョルジュ・ベンスサン(白水社)

  • 記事がないときの「あんず・ソウタ」頼み。その2。ジジ・魔女の宅急便。そして、新しい段ボール箱に。附「甲子園100周年」。(DAYS with CATS)

    何を見つけたのか?そのうち、今度はジジをくわえ(お気に入りの獲物?)、うなり声を上げて歩き回る。しばらくくわえたまま歩き回るソウタ。最後は放り出す。ほかのおもちゃは見向きもせず、くわえることもない。ジジを何回洗濯したことか!※ジジ魔女の宅急便の主人公キキの相棒の黒猫。よくキキの話し相手をしている(これは、キキの数少ない能力の1つ)。どこか人間臭いネコで、ある届け物の受取人の少女の不機嫌そうな「あたしこのパイ嫌いなのよね」発言に「感じ悪い」と非難し、あかんべーをしていたりする。キキの相棒だが、その信頼ゆえか、ぬいぐるみの身代わりにされたり、ピンチになる場面もあった。この時ばかりはキキに愚痴を漏らしている。しかしある日、白猫のリリーに一目惚れした結果、キキのもとにあまり居付かなくなる(尚、リリーはおソノさん夫...記事がないときの「あんず・ソウタ」頼み。その2。ジジ・魔女の宅急便。そして、新しい段ボール箱に。附「甲子園100周年」。(DAYSwithCATS)

  • 記事がないときの「あんず・ソウタ」頼み。箱好きなふたり。(DAYS with CATS)

    ということで、ソウタ君。「ソウタ」と「あんず」。あんずはパッといなくなるので、写真がなかなか撮れない。暑さでぐったり。そこへ大きな箱の届け物が。さっそく、ところが、意外に最初に入ったのは、あんず。においをかぐソウタ。早くどいてくれよ!ソウタに譲って、あんずは、遠目で。やれやれ飽きたと見えて、抜け出して。今度は窓から暑い日差しの外を眺め、それも飽きて、テーブルの下でゴロン。そのまま静かにしているかと思ったら、・・・記事がないときの「あんず・ソウタ」頼み。箱好きなふたり。(DAYSwithCATS)

  • 宇都宮線「白岡駅」~「蓮田駅」。その2。(「元荒川」をゆく。リタイヤ編)

    白岡市のマンホール。抽象的な「家族」を中央に配置。その周りを市の花「梨の花」と市の木「松」のつぼみで飾り、「創造と希望」がコンセプト。「篠津一号橋」。「星川」。星川の上流(右手)に「星川と隼人堀川の立体交差」があります。橋を渡って星川沿いに進もうとしましたが、その土手は草が生い茂っていてちょっと歩きにくい。そのため、工場の脇を迂回せざるをえません。けっこうな回り道。「蓮田白岡環境センター」。右手に流れる「隼人堀川」の脇を進んで、やっと元荒川に戻ります。蓮田白岡環境センターの煙突。産廃工場などがあり、狭い道路を大型車などが行き交う。星川までの桜並木もなくなり、蒸し暑い中、汗をかきはじめます。上流に橋が見えてきます。橋の手前で右に折れ、隼人堀川沿いに。「根金小橋」。※隼人堀川は白岡市柴山を管理起点とし、宮代町...宇都宮線「白岡駅」~「蓮田駅」。その2。(「元荒川」をゆく。リタイヤ編)

  • 7月27日(土)。向島百花園。カルガモの姿がなくなった池。風鈴。朝顔。そして隅田川花火大会。

    向島百花園のカルガモたち。いったいどうしているか?ところが、どこを見渡してもいません。親もヒナもいません。ヒナも大きく育ち、別のところに移動したのでしょうか?そのかわり、池の上をシオカラトンボがたくさん飛んでいます。帰り際に窓口の方に尋ねたら、4日前にはいた(7/23)、とのこと。こうしてカルガモの姿は、来年までおあずけ。園内には、風鈴が涼しそうな音色を響かせています。足下には木漏れ陽。炎天下で花を咲かせている「はす」一輪。そしてザクロの実が一つ。朝顔展の準備が始まっています。売店には「氷」の旗が。この前、TVで放送していましたが、「氷」の旗は全国ほぼ共通なようです。明治政府の販売許可証だった、とか。アゲハチョウの姿が(↓)。遠くにスカイツリー。今日は、「隅田の花火大会」。スカイツリー近辺は大賑わいになる...7月27日(土)。向島百花園。カルガモの姿がなくなった池。風鈴。朝顔。そして隅田川花火大会。

  • 宇都宮線「白岡駅」~「蓮田駅」。その1。(「元荒川」をゆく。リタイヤ編)

    7月19日(金)。曇りのち晴れ。朝はまだ日差しも強くなく、歩き始めました。「八幡橋」方向。かなり蒸し暑いですが、なんとか予定通り歩けそうかな?と「さくらロードガーデン」。川べりも歩けそうです。左手に解説板があります。「茅野(かやの)の渡し」。現在の元荒川は、河川改修や西地区の区画整理などにより、かつての自然や地形などの面影は少なくなりました。この元荒川の白岡・篠津には二カ所の渡し場がありました。この付近は「茅野の渡し」があり、下流の八幡橋付近には「八幡の渡し」がありました。茅野の渡しは、町内の篠津地区と蓮田市貝塚地区を結ぶものです。この渡し場の瀬は蓮田側がきゅうに深くなっていて篠津側は浅くなっていました。舟は対岸には直接着くことができましたが、篠津側は砂の上を少し歩いてから岸に上がりました渡しは対岸の二軒...宇都宮線「白岡駅」~「蓮田駅」。その1。(「元荒川」をゆく。リタイヤ編)

  • アーバンパークライン「東岩槻駅」~宇都宮線「白岡駅」。その7。白岡市。八幡橋・八幡の渡し。元荒川架橋記念碑。車站(しゃたん)之碑。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

    「東北新幹線」。白岡町(白岡市)の表示が。※「白岡市」白岡市は、関東平野の中ほど、東京都心まで約40キロメートルであり、総面積は24.92平方キロメートルで、東西は9.8キロメートル、南北は6.0キロメートルと東西に長い市域です。昭和29年に日勝村、篠津村、大山村(上大崎を除く)の合併により町制を施行し、白岡駅を中心に発展を期するという計画のもと白岡町と改称しました。当時の世帯数は2,678世帯、人口15,679人でした。誕生から56年後の平成22年国勢調査では、世帯数が17,869世帯、人口が50,272人となるまでに成長しました。このため、市制施行に向けた準備を進め、埼玉県による白岡町を白岡市とする決定を受けて、平成24年10月1日の市政施行により、白岡市が誕生しました。交通面では、都心まで40分程度...アーバンパークライン「東岩槻駅」~宇都宮線「白岡駅」。その7。白岡市。八幡橋・八幡の渡し。元荒川架橋記念碑。車站(しゃたん)之碑。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

  • アーバンパークライン「東岩槻駅」~宇都宮線「白岡駅」。その6。新今宮橋。今宮橋。東北新幹線。白岡市入り。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

    日差しが強くなってきます。木々があるので、歩くのにはちょうどいい。ここでも炎天下でゴルフを楽しむ人たち。次の橋に近づきます。振り返る。この先には運動公園はなさそう。広い県道に出ます。元荒川へ流入する用水路。「新今宮橋」。下流方向。上流方向。大きくて見事なサボテン。水管橋。蓮田市のマンホール。市の木ハナミズキ。「今宮橋」・今宮けやき通り。下流方向。上流側から橋を望む。川沿いには桜などが植えられているが、車道を歩くしかない。これがけっこう長い。この付近から白岡市入り。対岸に東北新幹線。この付近の今昔。(1880年代)周囲は、田畑。上部に渡船場。(現在)川の西、南側は蓮田市。東北側に白岡市アーバンパークライン「東岩槻駅」~宇都宮線「白岡駅」。その6。新今宮橋。今宮橋。東北新幹線。白岡市入り。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

  • 7月22日(月)。大暑。土用丑の日(19日)。桐。入道雲。オシロイバナ。ニガウリ。打ち水。・・・

    今日は、二十四節気の第12番目・「大暑」。一年でもっとも暑さが厳しく感じられる頃。というか、とうに猛暑でです。夏という季節に当てはまる二十四節気は、5月5日「立夏」からスタートし、小満、芒種、夏至、小暑、大暑となりますが、今や「大暑」「猛暑」という季節感。「立秋」もまだまだ暑い夏が続きそう。梅雨明けから連日、一段と厳しい暑さになっています。夕立も来ていますが。土用丑の日は、24日(水)と8月5日(月)。そういえば、最近、TVでやけにウナギの蒲焼きを特集しています。※うなぎを食べるという習慣の「いわれ」は?江戸時代に、本草学者・地質学者・蘭学者・医者など幅広い分野で業績を残した、平賀源内のアイデアによるものという説が挙げられる。当時のうなぎの旬は秋から冬とされており、売れ行きの悪さに困ったうなぎ屋の店主は、...7月22日(月)。大暑。土用丑の日(19日)。桐。入道雲。オシロイバナ。ニガウリ。打ち水。・・・

  • アーバンパークライン「東岩槻駅」~宇都宮線「白岡駅」。その5。河川敷の公園。パークゴルフ。荒川橋。色鮮やかな草花たち。新荒川橋。キウイ。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

    運動広場が続いています。パークゴルフ?それともグラウンドゴルフ?この先、公園ではどこもゴルフを楽しんでいます。河川敷なので大雨なのでは水没する可能性も。両の島水門。橋が見えてきます。「荒川橋」。JR宇都宮線・鉄橋。白岡駅方向。「椿山住宅地」。川沿いの緑地・公園へ。この公園の土手際には、様々な花が咲き誇っています。ベンガルタイガー(カンナ)。知らない名前の花たちが、色鮮やかに。素敵なおうち。「新荒川橋」。少し河川敷から離れて進みます。キウイがたくさん実る棚の下を抜け、河川敷に。この公園でもゴルフを楽しむ人たちの姿。元荒川の流れ。アーバンパークライン「東岩槻駅」~宇都宮線「白岡駅」。その5。河川敷の公園。パークゴルフ。荒川橋。色鮮やかな草花たち。新荒川橋。キウイ。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

  • アーバンパークライン「東岩槻駅」~宇都宮線「白岡駅」。その4。久伊豆神社。宮前橋。蓮田駅。「元荒川」解説板。「空飛ぶアヒル夢公園」。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

    「川島久伊豆神社」脇の解説板。「元荒川の水はどこから来るの?」「久伊豆神社めぐり」。蓮田市には七つの久伊豆神社があり、すべて元荒川流域のみに分布しています。これは舟での運搬が深く関係しており、川の流れに沿って土地が開発されていったからではないかと思われます。したがって、「久伊豆」の神は、豊作の神、水の神としての性格を持ち、稲作の信仰として祭られたと考えられ、当時の村の鎮守様であるなど、それぞれ個性的な歴史を持っています。「宮前橋」。下流方向。上流方向。左に向かうと、JR宇都宮線「蓮田駅」に出ます。蓮田市のマンホール。蓮田市の木「ハナミズキ」のカラーデザイン。橋のたもとに「元荒川」解説板。元荒川(もとあらかわ)元荒川は、熊谷市から南東に流れ、白岡市で野通(やどおり)川を、蓮田市で星川を合わせ、吉川町で古利根...アーバンパークライン「東岩槻駅」~宇都宮線「白岡駅」。その4。久伊豆神社。宮前橋。蓮田駅。「元荒川」解説板。「空飛ぶアヒル夢公園」。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

  • アーバンパークライン「東岩槻駅」~宇都宮線「白岡駅」。その3。土手を歩く。一面田んぼ。かつての自然堤防・県道。川島橋・なかよし橋。東北自動車道。川島の富士塚。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

    草刈りを行った後なので、歩きやすい。次の橋まではけっこう歩きます。右手には一面、田んぼが広がります。県道が奥に。川面。この付近の今昔。(現在)。自然堤防が舗装道路に。(1880年代)。幅広い流路と河川敷が混在。振り返る。大きく右に曲がっていきます。県道に合流、木陰で一休み。「はすだセントラルクリニック」。やっと川島橋に出ます。しかし「なかよし橋」と。右岸に移ります。バス停「橋場」。「東北自動車道」。↑「蓮田SA」。左手に築山が。頂上まで参道があります。大木の根っこだけ残され、木々が取り払われ、整備されています。「川島の富士塚」。都内ではいくつか残っていますが、久々に見ました。※富士山信仰。それぞれの地域ごとに「富士講」をつくり、先達に引き連れられ、実際に富士山登山をすることもあります。また、地域の神社の一...アーバンパークライン「東岩槻駅」~宇都宮線「白岡駅」。その3。土手を歩く。一面田んぼ。かつての自然堤防・県道。川島橋・なかよし橋。東北自動車道。川島の富士塚。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

  • 向島百花園。カルガモ。秋の七草。そして、ソウタ。(附)夏姿の富士山。

    カルガモ親子は、どうしているか?7月15日。曇り空の下、向島百花園にでかけました。訪問客もチラホラ。静かな園内。さぎそう。花がシラサギの姿によく似ています。※サギソウは、日本各地の日当たりのよい低地の湿地に生える球根性のランです。親株から走出枝(そうしゅつし、ランナー)を伸ばして、その先端に翌年の球根をつくります。3~5枚の細長い葉を根元近くにつけ、中心からまっすぐに茎を伸ばして、先端に1~5輪の花を咲かせます。花は純白で唇弁(しんべん)の先端が3つに割れ、その左右の裂片には多数の深い切れ込みがあって、その形は白鷺を思わせます。冬は球根だけになって冬越しします。おみなえし(女郎花)。ききょう(桔梗)。「秋の七草」(お好きな服は)の二つ。ところで、カルガモは?池の中で泳いでいるのは、親鳥とあと1羽。残りはど...向島百花園。カルガモ。秋の七草。そして、ソウタ。(附)夏姿の富士山。

  • アーバンパークライン「東岩槻駅」~宇都宮線「白岡駅」。その2。元荒川水管橋。伊豆島の大蛇全3ヶ所。河川敷の小道に。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

    右手は工業団地。「元荒川水管橋」。※元荒川水管橋は城北大橋から500m上流に架けられている。元来は水管橋(元荒川の上を水道水を渡らせるためのもの)だったが、平成14年に改修され、歩行者も渡れるようになった。上流方向。下流方向。土手沿いの道を進みます。「伊豆島の大蛇全3ヶ所の東側」(蓮田市黒浜)。※この付近が、蓮田市とさいたま市岩槻区の境界線になります。民俗行事の一つで、春祈祷(はるきとう)に関連する厄除け行事です。由来は200有余年前に集落内に悪い病が入り「魔除け、災難除け、疫病除け」として『大蛇(だいじゃ)』を作り、集落境界の2ヶ所に立てたと言われています。集落内の1軒に1人が夕方(3時頃)集まり、御神酒で清め「家内安全・五穀豊穣」も祈りながら作られ、「上顎」・「下顎」・「胴体」を別々に作ります。胴体は...アーバンパークライン「東岩槻駅」~宇都宮線「白岡駅」。その2。元荒川水管橋。伊豆島の大蛇全3ヶ所。河川敷の小道に。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

  • アーバンパークライン「東岩槻駅」~宇都宮線「白岡駅」。その1。東岩槻駅。東宮(ひがしみや)歩道橋。慈恩寺橋。城北大橋。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

    今回から元荒川の上・中流歩きになります。利用する路線、帰路は東武線からJR線になります。東武線「東岩槻駅」。東武線鉄橋の上流へ出ます。「東宮(ひがしみや)歩道橋」から上流を望む。右岸(左手)にかつての流れ。この付近の今昔。(現在)東武鉄橋上流に「東宮歩道橋」。「江川地区調整池」が設置されています。(1970年代)元荒川は大きく西にカーブしていました。その後、流路の変更が行われ、宅地化されました。土手沿いの道(左岸)を歩きます。右手は住宅地。上流に「慈恩寺橋」。河川敷に畑が広がっています。(1880年代)河川敷が広がっています。(現在)かつての河川敷が農地となっています。水道橋が左手奥に。畑の正面に「水道橋」。「城北大橋」。下流の水道橋を望む。この先に人が歩ける「元荒川水管橋」があります。アーバンパークライン「東岩槻駅」~宇都宮線「白岡駅」。その1。東岩槻駅。東宮(ひがしみや)歩道橋。慈恩寺橋。城北大橋。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

  • 『ヒトラーと暮らした少年』(ジョン・ボイン 原田勝=訳)あすなろ書房

    「少年ピエロは、叔母と共にヒトラーの別荘で暮らすことに。憧れのヒトラーに認めてもらうために一生懸命にあるあまり、大切なものを見失っていく。」パリに住んでいた少年ピエロは、とても心優しい少年で体が小さいことでいじめられることが多かった。唯一の友達はアパートの下階に住んでいる生まれつき耳の聞こえないアンシェル。いつも手話で話をしていた。アンシェルは物語を作るのが好きで、ピエロはいつもアンシェルが書いた物語を読んで楽しんでいた。しかし、主人公のピエロはドイツ人の父とフランス人の母が亡くなり、孤児院に行くことに。その後、叔母と共にヒトラーの別荘で暮らすことになる。「ピエロ」は、ドイツ語風に「ペーター」と名乗らせられる。チビで弱くいじめられっ子、しかし優しい心を持った少年だったが、憧れの偉大なる指導者から贈られた制...『ヒトラーと暮らした少年』(ジョン・ボイン原田勝=訳)あすなろ書房

  • 東武伊勢崎線「北越谷駅」~アーバンパークライン「東岩槻駅」。その7。岩槻大橋・国道16号線。新曲輪(くるわ)橋。岩槻宿・日光御成街道。東岩槻駅。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

    国道16号線・「岩槻大橋」のたもとに。下流方向。上流に「新曲輪橋」。※「国道16号線」は首都圏の環状幹線道路。都心から郊外へ向かうときには必ず遭遇します。(「」より)※環状路線であるものの、東京湾の海上区間があるため「東京環状道路」の別名に反して完全な環状道路となっておらず、また神奈川県横須賀市と千葉県富津市の端部はいずれも東京湾の港湾とも接続していない。法令上の起終点は横浜市になっているが、事実上の道路末端は、東側は富津市富津交差点で、西側は横須賀市走水で終わっている。「富津」交差点。(「房総往還」歩きのときのもの)ここで、「国道16号線(東京環状道路)」は終了。横浜から約220.5㎞の地点。この先、直線道路も左折道路もどちらも「(千葉)県道」となります。特にそれらしい標識はありませんが、陸上道路として...東武伊勢崎線「北越谷駅」~アーバンパークライン「東岩槻駅」。その7。岩槻大橋・国道16号線。新曲輪(くるわ)橋。岩槻宿・日光御成街道。東岩槻駅。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

  • 東武伊勢崎線「北越谷駅」~アーバンパークライン「東岩槻駅」。その6。文化公園・釣り堀・グリーンアドベンチャー。川沿いの小道。ハグロトンボ。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

    公園内の釣り堀。賑わっています。森の中の下道。公園内に。森に囲まれ、体育館やグランド、大きな池などが広がっています。案内図。「グリーンアドベンチャー岩槻文化公園コース」。この木の名は?この地域はかつては元荒川沿いの微高地でした。(1880年代)(現在)駐車場の向こうに元荒川の流れ。川沿いの小道。足下の草むらをトンボが。全身真っ黒で蝶々のようにひらひら羽を動かし、ヒラヒラ飛んでいます。○のところに固まってとまっている。中川歩きの時、幸手市付近で見かけた「ハグロトンボ」でした。ハグロトンボカワトンボ科のトンボ。別名ホソホソトンボ。東アジア(日本、朝鮮半島、中国、ロシア)、北米に分布する。日本国内では東北・本州・四国・九州に分布する。成虫の体長は57-67mm、後翅長35-44mmほどで、トンボとしてはやや大型...東武伊勢崎線「北越谷駅」~アーバンパークライン「東岩槻駅」。その6。文化公園・釣り堀・グリーンアドベンチャー。川沿いの小道。ハグロトンボ。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

  • 東武伊勢崎線「北越谷駅」~アーバンパークライン「東岩槻駅」。その5。桜並木。武蔵第六天神社。一面、田んぼ。大野島水管橋。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

    大きく広がる。桜並木。右手は緑濃き、水田。「武蔵第六天神社」の境内地に入ります。川原に下りられる階段がありますが、今は水底に。「夏越の祓」茅の輪がある。先に進みます。まだ「岩槻市」のまま。※現在は、さいたま市に編入「さいたま市岩槻区」。田んぼが広がります。土手の道が途切れ、たんぼの中の道を進みます。上流に赤い橋。振り返る。久々な経験。農家の脇に、カボチャ。枝豆。県道に出ます。上流に見えていた赤い橋に向かいます。「大野島水管橋」。※大野島水管橋は、昭和52年(1977)竣工。三連アーチのランガー補剛形式で70m。口径600mmの管が2本設けられ、元荒川の上を水道水が横断している。大野島水管橋は歩行者も渡れる。下流方向。上流方向。橋を渡り、右岸に。振り返る。上水道管。「岩槻文化公園」の脇の道を進みます。東武伊勢崎線「北越谷駅」~アーバンパークライン「東岩槻駅」。その5。桜並木。武蔵第六天神社。一面、田んぼ。大野島水管橋。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

  • 東武伊勢崎線「北越谷駅」~アーバンパークライン「東岩槻駅」。その4。末田須賀堰(すえだすがせき)。永代橋。キタミソウ(自生地)。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

    「末田須賀堰(すえだすがせき)」が目の前に。勢いよく落ちる流れ。さいたま市岩槻区の永代橋の脇には、「末田須賀堰」があります。堰とは水深や流量の調整のため、河川の途中などに設けられる構造物です。元荒川は古くから農業用水路として用いられており、全部で4カ所の堰が設けられていて、末田須賀堰はその一つです。4月から9月にかけて、農業用水の確保のため水門が閉まります。また、水門の脇には魚道が設けられていて、水門が閉じている時期でも魚が遡上できるようになっています。(この項、「」HPより)「永代橋」。モニュメント。この付近の今昔。(現在)中央に堰。川幅が大きく広がっている。(1880年代)現在の堰付近の流れが複雑になっている。上流方向。広がりを見せる。旧永代橋の架橋記念碑。周囲には古い親柱、中柱が残されている。192...東武伊勢崎線「北越谷駅」~アーバンパークライン「東岩槻駅」。その4。末田須賀堰(すえだすがせき)。永代橋。キタミソウ(自生地)。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

  • あんずとソウタ。そして「向島百花園」のカルガモたち。

    暑いせいか、涼しさを求め、家の中を転々とする猫たち。だから、二人が鉢合わせをすることも。6日には、窓際に。あんずが窓際に乗ると、ソウタは、あんずがいなくなると、その後を目で追うソウタ。という猫たちを横目で見ながら、「向島百花園」へ。7月6日。「小暑」の日の午後。いました!親が。親の後をくっついて泳いだり、歩いたりしていたヒナは?親から離れ、自由気ままに泳いでいます。親はそんなヒナたちを目で追い、守っているようす。水に潜るのも達者。そして親子一緒に。前来たときは7羽のヒナ。見ると5羽、残りのヒナは?気になります。半夏生。もみじあおい。のうぜんかずら。やぶかんぞう。やまゆり。寺島なす。ぼんやりかすむ「スカイツリー」。案の定、夕立に見舞われました。7月6日(土)。あんずとソウタ。そして「向島百花園」のカルガモたち。

  • 7月6日。小暑。暑中見舞い。鰻・万葉集・平賀源内。ベガ・アルタイル・夏の大三角形。七夕飾り。雨の夜の品定め。

    「小暑」は二十四節気の11番目。夏が本格化する時季。「夏至→小暑→大暑→立秋」とういう移り変わりに。「暑中見舞い」を出す時期は小暑から立秋の前日まで(「大暑」までという説などもあるようですが)。立秋(今年は8月7日)以降は「残暑見舞い」となります。暦の上では、これからが夏本番、とういうか、すでに暑さが厳しくなっています。「小暑」が「大暑」、「大暑」が「猛暑」と言い換えられるくらい。せめて「立秋」くらい暦通りになってほしいものです。東京地方。ここ2,3日は、35℃を超えるほど、気温が上昇。猛暑日。今日も朝から晴れ。あっという間に30℃越え。蒸し暑い!雷もありそう。まさに「夕立」。この時期は、梅雨の末期で、集中豪雨、最近はゲリラ豪雨と呼ばれる激しい雨が梅雨前線の停滞によって局地的な激しい雨に襲われます。九州地...7月6日。小暑。暑中見舞い。鰻・万葉集・平賀源内。ベガ・アルタイル・夏の大三角形。七夕飾り。雨の夜の品定め。

  • 東武伊勢崎線「北越谷駅」~アーバンパークライン「東岩槻駅」。その3。ネムノキ。大砂橋。田畑が広がる。三野宮橋。さいたま市に入る。みずおとの小道。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

    「〆切橋」を渡り、右岸を歩きます。こちら側にも農地が。ここにもネムノキの大木。上流に「大砂橋」が見えてきます。「元荒川緑道(上流部)散策案内」。「大砂橋」を振り返る。けっこう緑が深い。路傍に何体かの古仏。元荒川の流れ。農地が続きます。菊の栽培。左手には畑作地が広がる。イチゴ。サツマイモ。咲き始めている菊。川沿いから離れて進みます。右手灌木の向こうが、元荒川。一面、青々とした田んぼ。「三野宮橋」。上流方向。橋を渡り、左岸へ。「元荒川」沿いの、車の行き来が激しい県道を進みます。「補修境界」」。←さいたま市北部建設事務所→越谷県土整備事務所」。さいたま市に入ります。この辺りも「さいたま市」?さいたま市埼玉県の県央部に位置する市。埼玉県の県庁所在地で、人口は約135.0万人と県内最多。政令指定都市の一つ。また財政...東武伊勢崎線「北越谷駅」~アーバンパークライン「東岩槻駅」。その3。ネムノキ。大砂橋。田畑が広がる。三野宮橋。さいたま市に入る。みずおとの小道。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

  • 東武伊勢崎線「北越谷駅」~アーバンパークライン「東岩槻駅」。その2。「元荒川橋」・国道4号線(現日光街道)バイパス。「〆切橋」(人道橋)。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

    「国道4号線(現日光街道)バイパス」を渡ります。.元荒川橋から下流を望む。川沿いには歩道がないので、県道を進みます。この標識板には、「↑越谷国道4号線→春日部←上野」とあります。左手に「元荒川」。「〆切橋」(人道橋)。越谷市においては最も歴史の古い橋である。江戸時代(宝永年間)には橋が架けられ、明治時代には長さ約29メートル、幅員約3メートルの土橋が架かっていた。また、1924年(大正13年)には先代の橋が架けられていた。現在の橋は1937年(昭和12年)竣工のRC橋で、市内の元荒川に現存する橋の中でも古い部類。橋長54.6メートル、幅員4.15メートル。老朽化に伴い、大砂橋開通後の2005年(平成17年)度以降は橋の両詰めに車止めが設置され、人道橋として歩行者のみの通行が許されている。元荒川はかつて〆切...東武伊勢崎線「北越谷駅」~アーバンパークライン「東岩槻駅」。その2。「元荒川橋」・国道4号線(現日光街道)バイパス。「〆切橋」(人道橋)。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

  • 東武伊勢崎線「北越谷駅」~アーバンパークライン「東岩槻駅」。その1。「宮内庁埼玉鴨場」。ネムノキ。梅林公園。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

    元荒川歩き、2日目。往復とも東武線内の乗り降りです。北越谷駅西口。「元荒川」土手。前回に続き、左岸を歩くことに。森の脇に進みます。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)中央に「宮内庁埼玉鴨場」。現在、宮内庁が管理している鴨場は、埼玉県越谷市の「埼玉鴨場」と千葉県市川市の「新浜鴨場」の2か所があり、両鴨場のそれぞれ約12,000平方メートルの元溜(もとだまり)と呼ばれる池には、毎年2千羽を超える野鴨などの渡り鳥が越冬のため飛来しています。鴨場は、鴨の狩猟期間(11月中旬から翌年2月中旬)に、天皇陛下の思召しにより内外の賓客の接遇の場として使用されています。埼玉鴨場(埼玉県越谷市)及び新浜鴨場(千葉県市川市)では、野生の鴨を無傷のままで捕獲する独特の技法が維持保存されています。我が国では、古くから網や鷹を使っ...東武伊勢崎線「北越谷駅」~アーバンパークライン「東岩槻駅」。その1。「宮内庁埼玉鴨場」。ネムノキ。梅林公園。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その7。大きくカーブする流路。神明橋。桜堤通り。文教大学越谷キャンパス。出津橋。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

    東武線のガードをくぐって先に進みます。越谷駅と北越谷駅は直線の線路で隣同士ですが、元荒川は半円状で迂回します。○。明治時代から現在までほとんど変わらない流路。(「今昔マップ」より)東武線鉄橋方向を振り返る。左岸のようす。桜堤通りになっていますが、右岸は炎天下の道。ところどころ、花壇があり、ベンチなどもあります。「神明橋」。中央の車道部分は古そうなトラス橋振り返る。この橋を渡り、左岸に移ります。桜並木の下。河川敷には耕作地が広がっています。対岸に「文教大学」キャンパスが見えてきます。前方には「出津橋」(人道橋)。文教大学越谷キャンパス。出津橋。学生たちが通行中。今回は、ここまで。「北越谷駅」に向かいます。炎天下、けっこう疲れました。JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その7。大きくカーブする流路。神明橋。桜堤通り。文教大学越谷キャンパス。出津橋。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その6。新宮前橋。久伊豆(ひさいず)通り。越ヶ谷御殿跡。伏越(ふせごし)。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

    元荒川歩きを再開します。カラフルな遊歩道になっています。右手が元荒川。葛西用水は、元荒川を「伏越」で越えて流れてきます。※伏越(ふせごし)用水施設や排水施設などの水路において、開渠となっている部分が、河川または他の水路と交差している場合、逆サイフォン構造によって河川・水路の河底を通過させる工法・技法、およびそれによる工作物で、施工方法が開削工法によるもの。用水路・排水路など開水路の場合、河川と交差する部分で、沿岸の双方の高さに高低差が大きい場合、高い側から逆サイフォンで河川を自然流下で通過させることが多い。歴史的に古い水路・用水にも見られる工法である。(「Wikipedia」より)振り返る。右が葛西用水。「新宮前橋」。「宮前橋」。「久伊豆(ひさいず)通り」となっています。東の方に「久伊豆神社」があります。...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その6。新宮前橋。久伊豆(ひさいず)通り。越ヶ谷御殿跡。伏越(ふせごし)。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

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