相模線に沿ってしばらく進むと、かつての線路跡らしい空地。相模線は、1921(大正10)年9月に民営鉄道の「相模鉄道」として茅ケ崎-寒川間が開通したのが始まりで、2021(令和3)年9月に開業100周年を迎えた。設立趣意書には、当時、年間で「四十七万余人」が訪れた大山阿夫利(あふり)神社の参詣客や、沿線一帯の穀類、繭糸(けんし)、木材などの輸送に加え、相模川で採取される「砂利」の輸送をうたっている。明治末から大正の初めにかけては、鉄道や道路の整備、鉄筋コンクリート建築の登場による用材としての利用、さらに「浅野セメント」の浅野総一郎が主導し、鶴見・川崎地域の臨海部を埋め立て、大規模な工業地帯を造成する動き(浅野埋立)などもあり、大量の砂利が使われた。相模鉄道は、こうした背景から茅ケ崎-寒川間の本線開通と同時に...「西寒川支線」跡。相模線「寒川」駅から分かれて進む路線。ゲート広場。一之宮公園。(「中原街道」を歩く。番外編。その1。)