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2009/04/07

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  • 「西寒川支線」跡。相模線「寒川」駅から分かれて進む路線。ゲート広場。一之宮公園。(「中原街道」を歩く。番外編。その1。)

    相模線に沿ってしばらく進むと、かつての線路跡らしい空地。相模線は、1921(大正10)年9月に民営鉄道の「相模鉄道」として茅ケ崎-寒川間が開通したのが始まりで、2021(令和3)年9月に開業100周年を迎えた。設立趣意書には、当時、年間で「四十七万余人」が訪れた大山阿夫利(あふり)神社の参詣客や、沿線一帯の穀類、繭糸(けんし)、木材などの輸送に加え、相模川で採取される「砂利」の輸送をうたっている。明治末から大正の初めにかけては、鉄道や道路の整備、鉄筋コンクリート建築の登場による用材としての利用、さらに「浅野セメント」の浅野総一郎が主導し、鶴見・川崎地域の臨海部を埋め立て、大規模な工業地帯を造成する動き(浅野埋立)などもあり、大量の砂利が使われた。相模鉄道は、こうした背景から茅ケ崎-寒川間の本線開通と同時に...「西寒川支線」跡。相模線「寒川」駅から分かれて進む路線。ゲート広場。一之宮公園。(「中原街道」を歩く。番外編。その1。)

  • 小田急江ノ島線・桜ケ丘駅~JR相模線・寒川駅。その5。長屋門。旧道。日産工機。「中原街道」解説板。(「中原街道」をゆく。第5日目。)

    「大蔵」バス停。この先、左手に大きなお屋敷。立派な長屋門。来た道を振り返る。二叉になっていて、右の細い道・旧道を進みます。分岐点の今昔。(現在)(1880年代)旧中原街道は、直線で続いている。高座郡・寒川町のマンホール。町の花「水仙」をデザイン。下部に「さむかわ」「おすい」の文字。すぐ「日産工機」工場の敷地にぶつかります。工場のフェンス沿いに進み、左折します。「寒川小学校前」交差点。二叉になっている、右手を進みます。坂道を下っていくと、墓地の脇に、「中原街道」解説板。江戸虎ノ門(東京都港区)を起点に中原(平塚市)に至る脇街道で、寒川町内では大蔵・小谷・岡田・一之宮を通り、田村の渡しで相模川を越えました。古代・中世にもこのルートを通る道があったとされますが、江戸時代初期に徳川家康が鷹狩りの拠点である中原御殿...小田急江ノ島線・桜ケ丘駅~JR相模線・寒川駅。その5。長屋門。旧道。日産工機。「中原街道」解説板。(「中原街道」をゆく。第5日目。)

  • 3月5日。「啓蟄(けいちつ)」。菰はずし。春雷(「虫出しの雷」)。菜種梅雨(なたねつゆ)。わらび。カタバミ。菜の花。

    水緩む季節。(「向島百花園」にて)3月5日(水)は二十四節気の3番目「啓蟄(けいちつ)」。「雨水」から15日目頃で、今日から春分までの期間。「啓」は「開く」「開放する」という意味があり、「蟄」は「隠れる」「虫が地中にとじこもる。」という意味があります。土中で冬ごもりをしていた生き物たちが目覚める頃。生き物たちは久しぶりに感じるさわやかな風と、麗らかな春の光の中で生き生きとしていく時期。※実際に虫が活動を始めるのは日平均気温が10℃を超えるようになってからで、鹿児島では2月下旬、東京や大阪で3月下旬、札幌は5月上旬頃に当たる。虫が冬眠から目覚めるとそれを補食する小動物も冬眠から目覚め動き始める。七十二侯では、初侯 3月6日〜3月10日頃蟄虫啓戸すごもりむしとをひらく土中で冬眠をしていた虫たちが、暖かい春の日...3月5日。「啓蟄(けいちつ)」。菰はずし。春雷(「虫出しの雷」)。菜種梅雨(なたねつゆ)。わらび。カタバミ。菜の花。

  • 3月3日。「上巳(じょうし)」・桃の節句。「桃夭(とうよう)」。大伴家持。「ひな祭り」・鴻巣のひな祭り。

    中国から伝わり、宮中行事となったのが「節句」の始まり。宮中行事であった5つの節句を、江戸幕府が一年のうちで特に重要な節目として式日(しきじつ)に定めたことで庶民の暮らしの中で根付いた。※当時は旧暦(太陰暦)上の日にち。今日は、「上巳」。上巳とは、3月最初の巳(み)の日という意味。「巳」は蛇。※じっさい、今日の干支は「辛羊(かのとひつじ)」五節句1月7日=人日、3月3日=上巳(じょうし)、5月5日=端午(たんご)、7月7日=七夕(しちせき)、9月9日=重陽(ちょうよう)という「五節句」の一つ。※「人日」を1月1日と勘違いしている人もいますが、1月7日が正しい日付。(1月1日は「元旦」として特別扱いに)。9月9日の「重陽」は日本では他の節句に比べて、なじみが薄い感じです。※なお、今の暦(太陽暦)では3月3日・...3月3日。「上巳(じょうし)」・桃の節句。「桃夭(とうよう)」。大伴家持。「ひな祭り」・鴻巣のひな祭り。

  • 小田急江ノ島線・桜ケ丘駅~JR相模線・寒川駅。その4。ジムニー歴史館。新幹線のガード。用田辻。植木屋さん。「N cafe」。はまぐり最中・・・。寒川町へ。(「中原街道」をゆく。第5日目。)

    新幹線のガードに向かいます。前方、右手の建物は、「ジムニー歴史館」。スズキの小型四輪駆動車「ジムニー」にほれ込み、ジムニーを約30台展示する博物館を建てた男性が神奈川県藤沢市にいる。同市用田の県道45号沿いにある、真っ白い壁面が特徴の「ジムニー歴史館」。館長の尾上茂さん(75)は、ジムニーで海外でのラリーに出場したこともあるジムニー・マニアで、「歴代ジムニーを集めた施設を作り、多くの人にジムニーの魅力を知ってほしい」と、2018年8月にオープンした。車好きの記者が、現地を訪ねてみた。館内には、初代から3代目の軽自動車のジムニーを中心に、約30台を展示。ジムニーの海外仕様「Samurai(サムライ)」や、オーストラリアから取り寄せ、修復した「ジムニー・トラック」などの希少車、雑誌の企画でジムニーをフォードの...小田急江ノ島線・桜ケ丘駅~JR相模線・寒川駅。その4。ジムニー歴史館。新幹線のガード。用田辻。植木屋さん。「Ncafe」。はまぐり最中・・・。寒川町へ。(「中原街道」をゆく。第5日目。)

  • 小田急江ノ島線・桜ケ丘駅~JR相模線・寒川駅。その3。大法寺・ピラミッド。高座豚・大久保商店。女坂。綾瀬市から藤沢市へ。(「中原街道」をゆく。第5日目。)

    「大法寺」。深谷交差点に出現したピラミッド。日蓮宗大法寺が建立した永代供養塔。内部に納骨室と礼拝空間がある。手前、小型のピラミッドはペット用の納骨塔。「大法寺」バス停。「比留川(ひるかわ)」。「早川」交差点。「高座豚発祥の地」。高座豚(こうざぶた)は神奈川県旧高座郡で明治時代から飼育されてきましたが、一度は「成長が遅い」「飼育が難しい」などの理由で絶滅の危機に陥りました。そんな中旧高座郡の生産者と手を取って復活させ、昭和56年から高座豚の生産・販売を開始し、昭和59年には高座豚の商標登録を取得しました。現在は旧高座郡地域の他に、秦野市、横浜市、平塚市でも高座豚は生産されています。一般的な豚肉に比べ肉質がきめ細かく柔らかで良質な脂質を含み、その味の良さから「かながわの名産100選」に選ばれています。大久保商...小田急江ノ島線・桜ケ丘駅~JR相模線・寒川駅。その3。大法寺・ピラミッド。高座豚・大久保商店。女坂。綾瀬市から藤沢市へ。(「中原街道」をゆく。第5日目。)

  • 小田急江ノ島線・桜ケ丘駅~JR相模線・寒川駅。その2。厚木基地。「大和ゆとりの森公園」。春日新道・本寥川。廻り坂。道標。(「中原街道」をゆく。第5日目。)

    横田基地。広大な敷地。遠くに富士山。左から来る「現中原街道」と合流します。現在の中原街道は厚木基地を大きく迂回しています。左手に「大和ゆとりの森公園」。南北に長い敷地の公園となっており、ところどころに人気エリアが存在しています。仲良しプラザ・売店わんぱく広場ふわふわドーム健康器具多目的リンク芝生グランドテニスコート中規模多目的スポーツ広場大規模多目的スポーツ広場ゆとりの森スポーツハウスバーベキュー広場右奥に数機の航空機。歩道沿いに進みます。右手が基地、左手が公園。正面には丹沢、富士山。公園側にある「誘導灯」(滑走路の延長上)。「綾瀬大橋入口」交差点。左折して進みます(旧道に復帰)。基地内を進んだ旧街道はここからかつての道筋に。「中原街道(春日新道)」。「本寥川(ほんたてかわ)」バス停。寥川。緩いアップダウ...小田急江ノ島線・桜ケ丘駅~JR相模線・寒川駅。その2。厚木基地。「大和ゆとりの森公園」。春日新道・本寥川。廻り坂。道標。(「中原街道」をゆく。第5日目。)

  • 小田急江ノ島線・桜ケ丘駅~JR相模線・寒川駅。その1。引地川。「厚木基地」。(「中原街道」をゆく。第5日目。)

    今回からは、小田急江ノ島線・桜ケ丘駅からJR相模線・寒川駅まで。2月23日(日)。晴れ。駅前案内図。上は南方向。※駅構内の案内図は、えてして上が北ではない場合が多い。下車した客の目線に合わせたものか?「中原街道」に復帰。右に進みます。踏切を越えた左手に、解説板。「桜株十一面観世音菩薩の由来」。此の尊像は昭和11年10月23日瀬谷村の秋の祭りと大和村小学校の運動会の見学の帰りに当時、もの珍しいオート三輪車にて、13名の者が同乗して、小田急桜株一号踏切にさしかかる折から驀進して来たりし江ノ島行きの電車に接触し大音響とともに三輪車もろとも11名即死、2名が重症という大惨事をまきおこし、これを契機に部落の先輩諸志が、交通事故防止を呼びかけ、設立運動をおこし翌昭和12年有志の善意が高まり、浄財のご喜捨により、当時綾...小田急江ノ島線・桜ケ丘駅~JR相模線・寒川駅。その1。引地川。「厚木基地」。(「中原街道」をゆく。第5日目。)

  • 「向島百花園」。その3。「福来雀・すずめ踊り」。

    「すずめ踊り出演:福来雀」。仙台すずめ踊りとは慶長八年(1603年)、仙台城移徒式(新築移転の儀式)の後の宴席で、泉州・堺(現在の大阪府堺市)出身の石工(いしく、石垣造りの職人)さんが、藩祖伊達政宗公の御前で即興で披露した踊りがはじまりと言われています。踊る姿が餌をついばむ雀に似ており、伊達家の家紋も「竹に雀」であることから『すずめ踊り』と呼ばれました。仙台発祥の郷土芸能であるすずめ踊りは石工の子孫によって伝承されて来ましたが、近年では市民の間にも広がり多くのグループ(祭連=まづら)が創られるようになりました。5月の「仙台・青葉まつり」など様々なまつりやイベントで披露されるすずめ踊りは各祭連が工夫を凝らした振り付けやお囃子を競い合い、年々その規模を拡大しています。仙台すずめ踊りの踊り「はねっこ踊り」とも呼...「向島百花園」。その3。「福来雀・すずめ踊り」。

  • 2月22日(土)。にゃんにゃんにゃんの日。(DAYS with CATS)

    今日はにゃんにゃんの日のようです。3年前はすべて「2」が並ぶにゃんにゃんにゃんにゃんにゃ~んの日でした。その時の記事。2022年2月22日。「2」が5つも並ぶ日に。そこで、マスコミも「にゃん」「にゃん」「にゃん」「にゃん」「にゃん」と。我が家にも猫が2匹。「ニャン」「ニャン」というわけです。2才になった雌の「アンズ」と5ヶ月を過ぎた雄の「ソウタ」。猫たちとのおつきあいもかれこれ40年以上に。最初は神社に小さな段ボールに入った、生まれたばかりの猫の兄妹。「タロウ」と「モモ」。あわせて「桃太郎」。20年近く面倒を見てきました。友人から頼まれ、「育ててくれる」と言った息子も、もう40才を過ぎました。次々に亡くなった後、娘夫婦の猫たちの面倒も見てきましたが(といっても、ほとんどかみさんの世話ですが)、その猫たちも...2月22日(土)。にゃんにゃんにゃんの日。(DAYSwithCATS)

  • 向島百花園。梅まつり。その2。梅も咲きそろい、ほかの木々や草花も早春の装いに。

    2月16日(日)。晴れのち曇り。向島百花園。午後3時から「福袋雀」さんたちの「すずめ踊り」が披露されるというので出かけました。開演前に園内を一めぐり。梅も1週間前に比べてずいぶん開花が進んでいます。しろかが。「唐梅(とうばい)」。紅色の花弁に赤い筋が入り、花弁先端がぼかしとなる中輪八重咲き種。開花は2月上旬。。紅千鳥。メジロが来てくれるでしょうか?「あおじく」。花も美しく、花梅としても実梅としても楽しめる早生品種。果実は黄緑色、中粒~やや大粒、梅酒にしても梅干にしても楽しめる。「塒出錦(とやでのにしき」。・花色:紅色八重の中輪。・咲き始めの時期:2月上旬~・枝に斑が入る特徴(錦性)がある。枝に錦が多く、緑色の枝が少ないのが特徴。※塒(とや)は「鳥の巣」や「鳥籠」を意味する言葉。「緑萼梅(りょくがくばい)」...向島百花園。梅まつり。その2。梅も咲きそろい、ほかの木々や草花も早春の装いに。

  • 雨水(うすい)。2月18日(火)。三寒四温。朧月夜。ミニ・ダム。寒桜(元朝桜)。

    (写真は、「暦生活」より)暦の上で今日が「24節気」の2番目「雨水」です。「立春」から数えて15日目ころ。3番目の「啓蟄」(3月5日)までの期間を指します。雨水(うすい)とは、降る雪が雨へと変わり、雪解けが始まる頃のこと。草木が芽生える頃で、雨水は農耕を始める時期の目安とされてきました。春一番が吹くのもこの頃ですが、本格的な春の訪れにはまだ遠く、時に大雪が降ったりもします。『暦便覧』には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されている。実際は積雪のピークであり、それゆえ、この時節から寒さも峠を越えたと見ることもできる。(「Wikipedia」より)日本海側などの大雪・寒波は、今日からまだまだ続くようです。来週初めころには収まってくれるといいのですが。しかし、三寒四温を繰り返しながら、本格的な春...雨水(うすい)。2月18日(火)。三寒四温。朧月夜。ミニ・ダム。寒桜(元朝桜)。

  • 「相鉄線・三ツ境駅」~「小田急・桜が丘駅」。その3。「境川」・新道大橋。(「中原街道」をゆく。第4日目+α)

    丹沢の向こうに富士山。「宗川(そうせん)寺」。宗川寺は寛永2年(1625)富士重須本門寺第十二世日賢上人開山、開基は石川宗川。山門を入ると左右の夫婦銀杏は昔から縁結び、安産祈願の信仰を受け、近所より多くの参詣があり、いまは横浜市の名木と指定された大樹である。「宗川寺」バス停。中原街道瀬谷問屋場跡中原街道瀬谷問屋場は天正6年(1578年)小田原北條氏の関東経営の駅路として、中原街道瀬谷に問屋場が設けられ、のち徳川氏の江戸開府により駿河国山宮西谷の住人石川彌次右衛門重久(虎之助)が問屋場の運営を幕府より託され、江戸ー平塚間五駅の中宿、瀬谷駅の問屋場として、江戸時代270年にわたって、中原往還の道筋の人馬諸貨物の運送、継立てにその役割を果した。(これより東方80米、桧林がその跡である。)(瀬谷区役所掲示より)「...「相鉄線・三ツ境駅」~「小田急・桜が丘駅」。その3。「境川」・新道大橋。(「中原街道」をゆく。第4日目+α)

  • 「相鉄線・三ツ境駅」~「小田急・桜が丘駅」。その2。「梛(なぎ)の木石碑」。「海軍道路(環状4号線)」。(「中原街道」をゆく。第4日目+α)

    相変わらずアップダウンが続く道。「梛(なぎ)の木石碑」。弘化元年(1844年)江戸城に大火がありその際、この中瀬谷の「島津久利」が、薩摩から取り寄せた梛の木の苗を植樹して育てたものを伐採して、中原街道を江戸まで急送して江戸城を復興させたという。※梛木・ナギの木は古来から縁起がいい植物とされ、日本各地の神社でご神木とされているほか、呼び名が凪(なぎ)に通じることから、海の安全のお守りともされている。20m以上の大木になり、葉脈に沿った方向に引っ張ると、なかなか引きちぎれないことから、「チカラシバ」「センニンリキ」「ベンケイナカセ」などの別名がある。(「」より)※碑の周囲にはこうした巨木はありません。小さな空間にベンチが二つ。「梛の木石碑前」バス停。碑の前から振り返る。先に進む。ゆるい上り坂。右前方遠くに富士...「相鉄線・三ツ境駅」~「小田急・桜が丘駅」。その2。「梛(なぎ)の木石碑」。「海軍道路(環状4号線)」。(「中原街道」をゆく。第4日目+α)

  • 「相鉄線・三ツ境駅」~「小田急・桜が丘駅」。その1。「三ツ境(みつきょう)駅」。「二ツ橋地名由来の碑」・石橋供養塔・道標。和泉川。厚木街道。(「中原街道」をゆく。第4日目+α)

    夕方から予定が入り、短い距離を歩くことに。往復の電車賃を考えると、ずいぶんの無駄遣いでしたが。前回の駅、相鉄本線「三ツ境駅」から小田急江ノ島線「桜が丘駅」まで。その先まで歩いても、バスで「桜が丘駅」まで戻るしかなさそうなので。※「三ツ境」は「みつきょう」と発声するようです。「みつさかい」ではない!駅前の歩道橋から、遠くに真っ白な富士山。手前に丹沢・一番左が大山。駅前から「中原街道」へは、住宅地で迷いましたが、やっと「中原街道」へ。「二つ上橋」交差点。※「二ツ橋」は和泉川下流(南)に架かる橋。「二ツ橋地名由来の碑」。隣に「瀬谷村瀬・・・」、「石橋供養塔」など「相模野の流れもわかぬ川水を掛けならべたる二ツ橋かな(道光親王文明16年11月詠)しみじみと清き流れの清水川かけわたしたる二ツ橋かな(徳川家康慶長18年...「相鉄線・三ツ境駅」~「小田急・桜が丘駅」。その1。「三ツ境(みつきょう)駅」。「二ツ橋地名由来の碑」・石橋供養塔・道標。和泉川。厚木街道。(「中原街道」をゆく。第4日目+α)

  • 「向島百花園」梅まつり・2月8日(土)。霜柱。「大道芸」・出演:浅草雑芸団(あさくさざつげいだん)・放下芸・大黒舞・南京玉すだれ。紅白の梅。焼き芋。

    草をすっかり刈り取られた地面に、霜柱。久々に見ました。コンクリートで固められた近頃では珍しい。子供のころ、近所の地面で見かけ、足ふみをした思い出が。土の香りが漂う感じです。踏めないのが残念!早春の園内。大道芸の始まる時間まで園内を。木瓜(ぼけ)。「ネムノキ(合歓木)」。大きな莢がたくさん。マメ科らしい。ネムノキは樹高8mほどに育つ落葉高木です。枝は横に張り、夏には羽状複葉を広げて心地よい緑陰をつくります。葉は夕方になると閉じ、その姿が眠りにつくように見えるところからネムノキの名前がつきました。6月から7月に、枝先に淡紅色の長い雄しべをもつ花が20ほど集まって咲く姿は繊細でかわいいものです。という説明を鵜呑みにすると、早春のようすにビックリ。「れんぎょう」。日本及び中国を原産とするモクセイ科の落葉低木。丈夫...「向島百花園」梅まつり・2月8日(土)。霜柱。「大道芸」・出演:浅草雑芸団(あさくさざつげいだん)・放下芸・大黒舞・南京玉すだれ。紅白の梅。焼き芋。

  • 「向島百花園」梅まつり・2月8日(土)。月影。緑萼梅。冬至梅。八重寒紅・・・。福寿草。

    向島百花園で「梅まつり」が始まったので、2月8日(土)に訪問しました。風は冷たいですが、快晴。「白加賀」「紅千鳥」などは大木などは、まだ咲いてはいませんが、早咲きの鉢植えなどけっこう咲いていました。「月影」。※水戸「偕楽園」内にあるウメの中でも、花の形、香り、色などが優れているウメを「水戸の六名木」と呼んでいますが、その一つに「月影」。人出もそこそこ。外国人もチラホラ。緑萼梅。梅は通常、萼(ガク)の部分が赤いものなのですが、この梅は緑色をしているのが特徴です。中国が原産地で、日中友好の品として中国から各地に寄贈されているようです。「とうじばい」。冬至梅野梅性の早咲き品種で白花の花梅の代表格です。花は白の中輪花で一重咲きです。開花期が12月中旬~2月中旬と早く、冬至のころに咲くのが名前の由来です。お正月用の...「向島百花園」梅まつり・2月8日(土)。月影。緑萼梅。冬至梅。八重寒紅・・・。福寿草。

  • 「横浜市営地下鉄・仲町台駅」~「相鉄線・三ツ境駅」。その5。都岡(つおか)辻。帷子川・「御殿橋」。階段を上がる旧道。矢指(やさし)一里塚跡。矢指市民の森。(「中原街道」をゆく。第4日目。)

    やっと下り坂に。「都岡(つおか)辻」バス停。??「米国車両保管施設」。ホットロッダーかアメ車好き以外立入禁止。アメ車が展示されています。その手前には「水道道プロムナード帷子(かたびら)川ルート」。「帷子川」に架かる「御殿橋」。旧中原街道の一部である『御殿橋』は、東海道の裏街道にかかる橋として、歴史的な価値を持ったものである。道は虎ノ門に通じ、古くは、徳川家康が江戸入場のとき(天正18年=1590年)に、この橋を通行したといわれています。家康は、その後この橋を改修し、鷹狩りや民情視察などでよく利用したとのこと。また、江戸時代初期(慶長18年=1613年)に家康が相州高座郡の中原御殿(平塚市)へ行く途中、この付近でお茶をたてたので、このあたりを「御殿丸」という字がついたという。橋の名称も徳川家康にちなんでつけ...「横浜市営地下鉄・仲町台駅」~「相鉄線・三ツ境駅」。その5。都岡(つおか)辻。帷子川・「御殿橋」。階段を上がる旧道。矢指(やさし)一里塚跡。矢指市民の森。(「中原街道」をゆく。第4日目。)

  • 「横浜市営地下鉄・仲町台駅」~「相鉄線・三ツ境駅」。その4。相変わらず、上り下りの坂道が続く。「よこはま動物園ズーラシア」。(「中原街道」をゆく。第4日目。)

    2段階の上り坂に。右手に「は」という大きな看板。歯医者さん?「はま寿司」の看板でした。先が見えないので、下りかと思うと、それが・・・いったん下った先に、はるか高い上り坂が見えてきます。けっこう疲れる道筋です。オートマの車だと何の苦もなさそうですが、マニュアル車だとけっこうギアの切り替えが大変かも知れません。雪国のように積雪があったら、路面凍結でも大変な事態になりそうなくらい、車が連なっています。「中堀川プロムナード」。雨水排水路として使われていた中堀川を下水道整備に伴い、せせらぎが流れる水と緑が豊かなプロムナードとして再生したもの。中原街道が起点で左手下に続きます。↓がこの付近。(「今昔マップ」より)中原街道は、ほぼ直線道路のため、丘陵地帯と谷戸(谷筋)とを上ったり、下ったりする道筋になっている。※千葉の...「横浜市営地下鉄・仲町台駅」~「相鉄線・三ツ境駅」。その4。相変わらず、上り下りの坂道が続く。「よこはま動物園ズーラシア」。(「中原街道」をゆく。第4日目。)

  • 「横浜市営地下鉄・仲町台駅」~「相鉄線・三ツ境駅」。その3。リハビリも一段落。落合橋・鶴見川。JR横浜線。長坂・長坂谷(ながさかだに)公園。(「中原街道」をゆく。第4日目。)

    昨日、7日で「東部地域病院」での診察を終えました。「手術しなくてよかったですね。ホオー、そこまで手が動かせるようになったんですね。ここまで回復出来たのは、リハビリを行っているからですね。今日で診療は終わります。リハビリはもう少し続けてもいいかもしれません。」「たいへん助かりました。有り難うございました。・・・」11月21日に大けがをして、2ヶ月半。リハビリは今月末までは通うことにします。※3月1日から利用している路線バスの料金が値上げされるそうです。タイミングよすぎ!ということで、3ヶ月続いた病院通いも、もうじき終わりに。職場をはじめ、知人・友人の皆さんに、心配やらご迷惑をおかけしました。お詫びするとともに、厚く御礼申し上げます。・・・さて、「中原街道」歩きの報告。その3。「緑産業道路」との合流へ。右折し...「横浜市営地下鉄・仲町台駅」~「相鉄線・三ツ境駅」。その3。リハビリも一段落。落合橋・鶴見川。JR横浜線。長坂・長坂谷(ながさかだに)公園。(「中原街道」をゆく。第4日目。)

  • 「横浜市営地下鉄・仲町台駅」~「相鉄線・三つ境駅」。その2。佐江戸町へ向かう下り坂。バスの便の減少。飛び出し坊や。佐江戸町。「戸・砥」の考察。(「中原街道」をゆく。第4日目。)

    下り坂。かなりの急坂。といっても、緩い上り、下り坂はあります。道のわきに小さな祠。「滝ケ谷戸」バス停。坂の多い街ですが、バスの本数は極めて少ない。車などの便のない、お年寄りは気の毒な感じ。バス停にやってきた老女。「減らされる一方よ。ホント困っちゃうわ。横浜市は何をやってんのかね」。久々の「飛び出し坊や」風の看板。自作?小さく、やさしい顔立ち。東海道歩きの時には滋賀県付近からゴールの京都まで、たくさん見かけましたが、関東では珍しい。※飛び出し坊やは、1973年に滋賀県東近江市にある「久田工芸」にて誕生しました。もともと地元の看板屋さんだった久田工芸が社会福祉協議会より「急増している子どもの飛び出し事故を防ぐ看板を作ってほしい」と依頼を受けたことがきっかけでした。1973年に誕生した飛び出し坊や。2023年で...「横浜市営地下鉄・仲町台駅」~「相鉄線・三つ境駅」。その2。佐江戸町へ向かう下り坂。バスの便の減少。飛び出し坊や。佐江戸町。「戸・砥」の考察。(「中原街道」をゆく。第4日目。)

  • 「横浜市営地下鉄・仲町台駅」~「相鉄線・三つ境駅」。その1。アップダウンの続く道。東方(ひがしかた)農業専用地区。標高は、50M。星谷(ほしがや)。(「中原街道」をゆく。第4日目。)

    きんかん。さて、「中原街道」歩きも4日目。2月2日が雪模様になるかもしれない、という予報でしたので、2月1日(土)に。晴れ。帰る頃に曇り空になってきました。街道歩きも、旧道はほとんど不明な箇所が多く、現中原街道をひたすら歩く、という状態になりつつあります。今でも幹線道路なので、車の行き来が激しい中、起伏の激しい横浜の丘陵地帯を上がったり、下りたりの一日です。横浜市営地下鉄「仲町台駅」。いったん広い通りに出ます。新横浜元石川線(しんよこはまもといしかわせん)。この広い道路の中央分離帯には、高圧電線塔、高木が植えられています。「桜並木」バス停。「桜並木」は、ここの地名のようです。周辺案内図。↑の先を左折し、「中原街道(県道45号線)」に復帰します。※図の上は、南、下が北。「港北ニュータウン」方向。旧道?中原街...「横浜市営地下鉄・仲町台駅」~「相鉄線・三つ境駅」。その1。アップダウンの続く道。東方(ひがしかた)農業専用地区。標高は、50M。星谷(ほしがや)。(「中原街道」をゆく。第4日目。)

  • 立春。2月3日。飛び梅・菅原道真。春一番・キャンディーズ。春告鳥・ウグイス・メジロ。雪解け・一茶。旧正月・春節。

    一重寒紅(ひとえかんこう)昨日の節分。東京地方は昼頃まで小雨、雪こそ降りませんでしたが、寒い一日でした。日本海側を中心に、しばらくは「立春寒波」が襲ってくるようです。それでも、これから先、寒の戻りはあっても、「冬来りなば春遠からじ」あるいは「冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかえれることを。」とあるように、春の到来、ぬくもりを感じる日も増えてきそうです。そういえば、次第に日が落ちる時間が遅くなってきたような。残照。西の空。けやき。東の空。そういえば、今日、都立の中高一貫校の入試がありました。塾で鍛えた?小学生が頑張っての受験です。旧暦では、一年のはじまりは立春からと考えられていました。「二十四節気」も立春から始まります。そのため、節分や八十八夜など、季節の節目の行事は立春を起点として定め...立春。2月3日。飛び梅・菅原道真。春一番・キャンディーズ。春告鳥・ウグイス・メジロ。雪解け・一茶。旧正月・春節。

  • 「東急・多摩川駅」~「横浜市営地下鉄・仲町台駅」。その7。「勝田(かちだ)橋」。坂を上っていく旧道。関屋住宅(国指定重要文化財)。「港北ニュータウン」。「仲町台駅」。(「中原街道」をゆく。第3日目。)

    中原街道。右の旧道に入ります。「勝田(かちだ)橋」。上流方向。下流方向。向こうの橋は、新道の橋。右の坂を上っていくのが旧道のようです。が、新道の方を進みます。新道に合流する旧道?右手奥に関家住宅表門(長屋門)が見えてきます。関屋住宅(国指定重要文化財)関家は『新編武蔵風土記稿』にも載る旧家で、もと後北条家に仕えた地侍と伝え、江戸時代には代々名主を勤めたといいます。小高い丘陵に挟まれた袋状の谷戸の中腹に屋敷を構え、主屋を中心として南に表門(長屋門)、東西に土蔵・書院を配し、右後方の小高みに墓地や鎮守があります。・・・東日本で最古の一つに数えられる貴重な民家です。(「解説版より)都筑区勝田町にのこる関家住宅は、建築当初から市内にある古民家として唯一、国の重要文化財に指定されている建造物です。関家は、戦国時代に...「東急・多摩川駅」~「横浜市営地下鉄・仲町台駅」。その7。「勝田(かちだ)橋」。坂を上っていく旧道。関屋住宅(国指定重要文化財)。「港北ニュータウン」。「仲町台駅」。(「中原街道」をゆく。第3日目。)

  • 「東急・多摩川駅」~「横浜市営地下鉄・仲町台駅」。その6。「第三京浜」。「鎌田堂」。旧道。のちめ谷戸。のちめ不動尊。(「中原街道」をゆく。第3日目。)

    リハビリ通院も今は週1回。だんだん動くようになってくるのが、我が身にひしひしと感じます。さて、中原街道の旅の報告も6回目。次回で一段落の予定。緩やかな上り坂。左手は畑や森。「第三京浜」のトンネルを抜けます。トンネルの左手奥に「鎌田堂」。「横浜市仕切弁」。上部に横浜市水道局の噴水のマーク。市章と水の字をデザインした仕切り弁の蓋。右手に旧道が続きます。(現在)弓状の道が旧道。(1880年代)「旧道」が顕著に。街道沿いに家並み。新道の交差点。「のちめ谷戸」。この付近は、丘陵地帯になっている。※谷戸丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形である。また、そのような地形を利用した農業とそれに付随する生態系を指すこともある。谷(や、やと)・谷津(やつ)・谷地、萢(やち)・谷那(やな)などとも呼ばれ、多摩丘陵、三浦丘陵、狭...「東急・多摩川駅」~「横浜市営地下鉄・仲町台駅」。その6。「第三京浜」。「鎌田堂」。旧道。のちめ谷戸。のちめ不動尊。(「中原街道」をゆく。第3日目。)

  • 「東急・多摩川駅」~「横浜市営地下鉄・仲町台駅」。その5。千年(ちとせ)交差点・切通し。「橘樹官衙遺跡群」。野川橋・矢上川。野川くぬぎ坂。(「中原街道」をゆく。第3日目)。

    道路案内に「茅ヶ崎」の地名が。「武蔵新城駅→」。「千年(ちとせ)交差点」。右斜めに続く上り坂を進みます。新道は、切通しになっていますが、旧道は坂道になっています。住宅街を進みます。大きなお屋敷。新道に合流します。「橘樹官衙入口」信号。「影向寺バス停」付近の案内板には、「橘樹官衙遺跡群」※「官衙(かんが)」役所、官庁。史跡橘樹官衙遺跡群は、多摩川から2.6㎞西方に広がる40~42mの多摩丘陵上に所在しています。多摩川右岸に広がる低地部との比高高は約30mあり眺望にすぐれた場所に立地しています。橘樹官衙遺跡群は古代武蔵国に置かれた21郡の一つ・橘樹郡の役所跡である橘樹郡家跡(ぐうけ)と古代寺院跡が発見されている影向寺遺跡から構成されています。郡家と古代寺院が隣接して営まれたことが判明し7~10世紀における地方...「東急・多摩川駅」~「横浜市営地下鉄・仲町台駅」。その5。千年(ちとせ)交差点・切通し。「橘樹官衙遺跡群」。野川橋・矢上川。野川くぬぎ坂。(「中原街道」をゆく。第3日目)。

  • 「東急・多摩川駅」~「横浜市営地下鉄・仲町台駅」。その4。「泉沢寺と門前市」・世田谷ボロ市。井田堀。武蔵中原駅。川崎市高津区。巌川(いわがわ)橋。(「中原街道」をゆく。第3日目)。

    「泉沢寺と門前市」。室町末期、世田谷からここに泉沢寺を移した吉良氏は税を免除して居住を促し、また門前市を開き、この地の繁栄を図った。夏の泉沢寺の市は冬の世田谷ボロ市と並び広く知られていた。※世田谷ボロ市毎年1月15・16日、12月15・16日の4日間、世田谷駅と上町駅の間で開催されている「世田谷ボロ市」。開催日には約20万人以上が訪れるという、東京を代表する伝統のイベント。ボロ市の始まりは、遠く安土桃山時代まで遡ります。当時関東地方を支配していた小田原城主北条氏政は、天正6年(1578年)世田谷新宿に楽市を開きました。楽市とは市場税を一切免除して自由な行商販売を認められた市です。当時は毎月一の日と六の日に6回開いていたので、六斎市(ろくさいいち)とも呼ばれていました。その後、北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、徳...「東急・多摩川駅」~「横浜市営地下鉄・仲町台駅」。その4。「泉沢寺と門前市」・世田谷ボロ市。井田堀。武蔵中原駅。川崎市高津区。巌川(いわがわ)橋。(「中原街道」をゆく。第3日目)。

  • 「東急・多摩川駅」~「横浜市営地下鉄・仲町台駅」。その3。「小杉駅と供養塔」。寺子屋三左蔵。小杉十字路・府中街道。二ヶ領用水。(「中原街道」をゆく。第3日目)。

    街道沿いには「供養塔」などが保存されています。「小杉駅と供養塔」。川崎宿より50年遅れて小杉もまた宿駅に指定された。供養塔にも稲毛領小杉駅とある。台座の「東江戸、西中原」は街道が平塚の中原と江戸を結ぶ道であることを示している。「寺子屋三左蔵」との看板が。「三左蔵」が残る「小杉御殿町」は、江戸の昔、徳川家康公の鷹狩りの御殿があったことからその名前が付いています。隣には陣屋があり、今でも「小杉陣屋町」と呼ばれています。当時はまだ東海道が整備されておらず、この「小杉御殿」を経由する「中原街道」が、上方への主要な幹線道路でした。御殿のあった小杉は、東西を行き来する人々のための宿場町として、大いに栄えていたと言われています。その当時から質屋や呉服屋を営んでいた小林家には、江戸時代の土蔵が二棟、今でも残されていました...「東急・多摩川駅」~「横浜市営地下鉄・仲町台駅」。その3。「小杉駅と供養塔」。寺子屋三左蔵。小杉十字路・府中街道。二ヶ領用水。(「中原街道」をゆく。第3日目)。

  • 「東急・多摩川駅」~「横浜市営地下鉄・仲町台駅」。その2。「GATE SQUARE 小杉陣屋町」。原家旧住宅表門(陣屋門)。「旧名主家と長屋門」。石橋醤油店。枡形。(「中原街道」をゆく。第3日目)。

    「多摩川」下流方向。中洲の先付近に「丸子の渡し」があった。上流方向。「東急目黒線」。川崎市側の河川敷。右手に「丸子の渡し」跡の案内板があるようです。斜め右に進むのが「中原街道」。「中原街道」。この道は、かつての「中原街道」道。「中原街道」案内板。中世以前から相模国と武蔵国をつなぐ要路であった中原街道は、徳川家康の江戸城入城にも使われました。立派なお屋敷の門。「GATESQUARE小杉陣屋町」。徳川家康が初めて江戸に入った天正18(1590)年、まだ東海道は整備されておらず、家康は平塚からほぼ直線で江戸に向かうこの道を通った。江戸時代の初め、江戸に通じる主要街道として使われたこの道も、東海道が整うと徐々にそれまでの賑わいを失っていく。しかし、その後も沿線の物資や農産物輸送などに欠かせない大切な道として、中原...「東急・多摩川駅」~「横浜市営地下鉄・仲町台駅」。その2。「GATESQUARE小杉陣屋町」。原家旧住宅表門(陣屋門)。「旧名主家と長屋門」。石橋醤油店。枡形。(「中原街道」をゆく。第3日目)。

  • 「東急・多摩川駅」~「横浜市営地下鉄・仲町台駅」。その1。丸子橋。丸子の渡し。旧橋の親柱。武蔵小杉・タワーマンション群。(「中原街道」をゆく。第3日目)。

    今回は、「多摩川駅」まで、都営三田線・東急目黒線「海老名」行きの電車で向かいました。1月18日(土)。晴れ。けっこう風が冷たく寒い一日です。「桜とあじさいの町たまがわ」。「多摩川」土手に出ます。対岸遠くに真白の富士山が(↓)。丸子橋。丸子橋は、丸子の渡しがあった場所からおよそ200メートル上流に中原街道の新橋として、1934年(昭和9年)に完成した。完成当時は片側一車線道路の橋で、その後、老朽化と交通量増大に対応するため、東京都と川崎市が共同で架け替え事業に着手し、2000年(平成12年)5月に片側2車線の新しい橋への架け替えが完成した。これが現在の丸子橋である。2002年(平成14年)に丸子橋北詰付近にアザラシのタマちゃんが出現し、マスコミで取り上げられ、見物客も訪れ賑わった。様々なテレビドラマ等のロケ...「東急・多摩川駅」~「横浜市営地下鉄・仲町台駅」。その1。丸子橋。丸子の渡し。旧橋の親柱。武蔵小杉・タワーマンション群。(「中原街道」をゆく。第3日目)。

  • 向島百花園。尾長。山鳩。山梨・「やまなし」・宮沢賢治。

    周囲がすっかり刈られ、歌碑などがはっきり目立つようになっています。「初代河竹新七追善しのぶ塚」。隅田川よ二面よと歌舞伎にも浄瑠璃にも世にもてはやさるる荵売は、安永四とせ中村座の春狂言に初代中村仲蔵が勤め、前の河竹新七の作なり。そが正本を、ある人より贈られて久しゅう秘蔵せしは、名を嗣ぐ者の幸せと悦びしが、この度ここに埋みて、昔忍ぶの墳と名づけその故よし記しつくるは、隅田川の流れ絶えず伝えて、二面の二つなき功績を、後の世に遺さんとてのわざになんありける。明治十三年三月園内には尾長など鳥の姿が目立ちます。山鳩。奥にも尾長?尾長がたくさん集まって、先を争うように、実をついばんでいます。奥の木。何の実をついばんでいるのか?「山梨(やまなし)」の実です。山梨(やまなし)山梨の実。山地の中腹や谷などに生育する。日本のも...向島百花園。尾長。山鳩。山梨・「やまなし」・宮沢賢治。

  • 春を迎える準備の「向島百花園」。春の七草。葉牡丹。まんりょう。ふよう。芽が膨らみ始めた梅。「梅まつり」。

    春を迎える準備の「向島百花園」。ふよう。春の七草。葉牡丹など。南天(なんてん)。まんりょう。梅もそろそろ咲き始めるか?つぼみも少しずつふくらみ始め。恒例の「梅まつり」も、まもなく。令和7年2月8日(土)~3月2日(日)各日9時~17時(入園は16時30分まで)(1)梅を詠むお客様に「梅」を題材にした俳句・和歌を俳句帳にお書きいただきます。日時:期間中毎日9時~17時場所:藤棚横四阿(2)江戸大道芸浅草雑芸団による大黒舞い、放下芸等の大道芸を披露します。日時:2月8日(土)・2月24日(月・振休)各日11時40分、13時、15時※各回約30分場所:売店前広場観覧方法:当日自由観覧(3)すずめ踊り初代園主の佐原鞠塢出身の地、仙台が発祥で、墨田区ゆかりの浮世絵師、葛飾北斎が描いた「北斎漫画」にも登場しているすず...春を迎える準備の「向島百花園」。春の七草。葉牡丹。まんりょう。ふよう。芽が膨らみ始めた梅。「梅まつり」。

  • 大寒。1月20日(月)。ふき。なんてん。三寒四温。節分。鰯の頭も信心から。節分草。花粉症が。

    昨日、1月20日は、「大寒」。大寒(だいかん)とは、一年でいちばん寒さが厳しくなるころ。冬の最後の二十四節気。各地で一年の最低気温が記録されるころですが、自然界は少しずつ春に向けて動き始めています。「三寒四温」という言葉のように、寒い日が三日続くと、その後の四日は暖かくなり、寒い中にも少しだけ春の気配を感じられるようになります。七十二候初候 1月20日〜1月24日頃欵冬華ふきのはなさく凍てついた地面に蕗の花が咲き始める頃。地面には雪が積もり、強い寒さが襲ってくる時期ですが、草花は春に向けて着実に動き出しています。フキノトウ。(「向島百花園」にて)次候 1月25日〜1月29日頃水沢腹堅さわみずこおりつめる沢の水が氷となり、厚く張りつめる頃。この時期に、一年での最低気温の記録がでることが多く、氷点下に達する地...大寒。1月20日(月)。ふき。なんてん。三寒四温。節分。鰯の頭も信心から。節分草。花粉症が。

  • 「JR・五反田駅」~「東急多摩川線・沼部駅」。その5。「桜坂」・福山雅治。多摩川・「丸子橋」。沼部駅。「丸子の渡し」跡。(「中原街道」をゆく。第2日目)

    右肩を骨折して2か月が経ちました。まだまだ思うように右手が動かせず、リハビリが続きそうです。それでも次第に普段通りの生活が出来つつあります。・・・さて、「中原街道」歩きの初日・最終回。「中原街道」。「呑川(のみかわ)」。※「どんかわ」ではない。呑川という名称の語源として、その昔ウシが誤って川に落ち水を飲んでしまうことがあったから、などといった説がある。坂道が続きます。「東急池上線・雪谷大塚駅」。「環八通り」をくぐり、左の道を進みます。「桜坂」。東急多摩川線沼部駅から東光院前を通り北東へ向かうと、田園調布本町19番あたりから石垣にはさまれた切通しの坂道になります。これが桜坂で、坂名は坂道の両側に昭和初期に植えられた桜にちなむものです。この坂は旧中原街道の切通しで、昔は「沼部の大坂」といい、勾配がきつく荷車な...「JR・五反田駅」~「東急多摩川線・沼部駅」。その5。「桜坂」・福山雅治。多摩川・「丸子橋」。沼部駅。「丸子の渡し」跡。(「中原街道」をゆく。第2日目)

  • 「JR・五反田駅」~「東急多摩川線・沼部駅」。その4。勝海舟。洗足軒。鳳凰閣(旧清明文庫)。墓所。(「中原街道」をゆく。第2日目)

    「勝海舟別邸(洗足軒)跡」解説板。勝海舟(1823~99)の別邸は戦後まもなく焼失しましたが、茅葺きの農家風の建物でした。鳥羽・伏見の戦い(1868)で幕府軍が敗れると、徳川慶喜より幕府側の代表として任じられた海舟は、官軍の参謀西郷隆盛(南洲)と会見するため、官軍の本陣が置かれた池上本門寺に赴きました。その会見により江戸城は平和的に開けわたされ、江戸の町は戦禍を免れたのです。海舟は江戸庶民の大恩人と言えるでしょう。その際、通り掛かった洗足池の深山の趣のある自然に感嘆し、池畔の茶屋で休息したことが縁となり、農学者津田仙(津田塾大学創始者、梅子の父)の仲立ちで土地を求めました。明治二十四年(1891)自ら洗足軒と名付けた別邸を建築し次のような歌を詠んでいます。池のもに月影清き今宵しもうき世の塵の跡だにもなし晩...「JR・五反田駅」~「東急多摩川線・沼部駅」。その4。勝海舟。洗足軒。鳳凰閣(旧清明文庫)。墓所。(「中原街道」をゆく。第2日目)

  • 「JR・五反田駅」~「東急多摩川線・沼部駅」。その3。「洗足池」。日蓮上人袈裟掛けの松・御松庵/妙福寺。(「中原街道」をゆく。第2日目)

    2カ所の病院への「労災」の手続きも終わり、あとはリハビリに専念するのみ、と。さて、「洗足池」。初めて訪れました。思ったよりも、けっこう大きな池。東京都大田区南千束の洗足池公園内にある池である。東京都指定名勝。園内にはホタルの自生化に取り組む水生植物園、厳島神社が鎮座する弁天島、池月橋など見どころも多い。サクラ(桜)が群生する「桜広場」「桜川」も人気が高い。湧水池であり、流れ込む川はないが、付近一帯には農家が作物の洗い場として利用していた大小の湧水が多くあり、用水路を通して池に流れ込んでいた。洗足池の主要水源となる湧水は4か所あったとされ、現在は清水窪弁財天(大田区北千束1-26。東京の名湧水57選の一つ)の湧水が残っている。今も水量が豊富で、浸透管を用いて洗足池に流れている。この地域の古い地名は「千束」(...「JR・五反田駅」~「東急多摩川線・沼部駅」。その3。「洗足池」。日蓮上人袈裟掛けの松・御松庵/妙福寺。(「中原街道」をゆく。第2日目)

  • 「JR・五反田駅」~「東急多摩川線・沼部駅」。その2。日の入りが、しだいに遅く。「平塚橋交差点」。「平塚の碑」。旧道。立会川。「さいかち坂」。東急大井町線「旗の台駅」。(「中原街道」をゆく。第2日目)

    冬至から一ヶ月程過ぎました。日の入りがだんだん遅くなって、5時過ぎでもまだ明るい。西の空。北の空。寒さはいよいよ本格的になりそうですが、帰途が楽になってきます。・・・さて、「中原街道」をゆく、第2日目その2。現中原街道に合流します。「平塚橋交差点」。その先、右手の「バーミアン」の階段に「平塚の碑」案内板。今から約九百年前の平安時代、出羽(現東北地方)で力をふるっていた清原氏の争いごとを源義家がおさえようとした「後三年の役」でのことです。兄の義家を助けるために京都からかけつけた新羅三郎(源義光)の活躍もあって、戦いは無事におちつきました。「ご苦労であった。わしも間もなくしたら京へ戻るが、おまえはひと足先に帰って休むがよい」義家の言葉に安心した新羅三郎は兵隊を引き連れ、出羽から京都へと戻ろうとしていました。「...「JR・五反田駅」~「東急多摩川線・沼部駅」。その2。日の入りが、しだいに遅く。「平塚橋交差点」。「平塚の碑」。旧道。立会川。「さいかち坂」。東急大井町線「旗の台駅」。(「中原街道」をゆく。第2日目)

  • 「JR五反田駅」~「東急多摩川線「沼部駅」。その1。成人式。「目黒川」。TOCビル。「中原口信号」旧中原街道。「子別れ地蔵」。「旧中原街道供養塔群」。(「中原街道」をゆく。第2日目)

    「中原街道」歩き第2日目。1月13日(祝)。快晴。孫が成人式。晴れてよかった!風は強く冷たいが。中学時代の友人と連れ立って出かけた。背広姿も様になってきたか?というわけで、当方、寒風の中をJR「五反田駅」から東急多摩川線「沼部駅」まで。途中、洗足池と「勝海舟記念館」で時間をとってしまい、「丸子橋」の手前まででした。五反田駅前の案内図。「大崎橋」。「目黒川」。東京都世田谷区三宿の東仲橋付近で北沢川と烏山川が合流して目黒川となり南東へ流れ、品川区の天王洲アイル駅付近で東京湾に注ぐ。河口付近では古くは「品川」(しながわ)といい、古代から中世まで武蔵国の品川湊があった。品が行き交っていた川であったことから、地名「品川」の起こりとされる。1957年(昭和32年)には、台風22号による集中豪雨で氾濫が発生したことがあ...「JR五反田駅」~「東急多摩川線「沼部駅」。その1。成人式。「目黒川」。TOCビル。「中原口信号」旧中原街道。「子別れ地蔵」。「旧中原街道供養塔群」。(「中原街道」をゆく。第2日目)

  • 「虎ノ門駅」~「五反田駅」。その5。英 一蝶(はなぶさ いっちょう).。二本榎。高輪消防署。「柘榴坂」。JR五反田駅。(「中原街道」をゆく。第1日目)

    英一蝶(はなぶさいっちょう、承応元年(1652年)-享保9年1月13日(1724年2月7日))は、日本の江戸時代中期(元禄期)の画家、芸人。俳号は「暁雲(ぎょううん)」「狂雲堂(きょううんだう)」「夕寥(せきりょう)」。元禄11年(1698年)、今度は生類憐れみの令に対する違反(後述)により、三宅島へ流罪となった。乏しい画材を駆使しての創作活動であったが、江戸の風俗を活き活きと描いたり、島民の求めに応じて描いたりした多数の縁起絵などが残されている。一蝶はいつも江戸の方角へ机を向け、創作活動をしていたと伝わり、そこから「北窓翁」の雅号が生まれた。この時期の風俗画は、推定も含め『四季日待図巻』『吉原風俗図巻』『布晒舞図』『松風村雨図』の4点確認されている。画材こそ良質とはいえないが、江戸を偲び、我が身を省みて...「虎ノ門駅」~「五反田駅」。その5。英一蝶(はなぶさいっちょう).。二本榎。高輪消防署。「柘榴坂」。JR五反田駅。(「中原街道」をゆく。第1日目)

  • 虎ノ門駅」~「五反田駅」。その4。風邪も抜けきらず。中原街道歩きも滞りがち。高輪皇族邸。「二本榎の碑」。(「中原街道」をゆく。第1日目)

    風邪がなかなか直りきらず、咳が・・・。ということで外出もままならず、少し気分が落ち込んでいる昨今。怪我の方は順調に回復。次回の通院で地域病院での診察は終了。レントゲン写真を見ながら、「順調な回復です。無理に手術しなくてよかったようですね。」リハビリ病院の通院は、まだ続けなければなりませんが。右手を使っての食事や洗髪など苦労しなくなりました。右腕は上下運動は何とか、回復。水平に動かすのはまだまだきつい!「まだ万歳三唱は難しい、と思うが」とはリハビリ病院の院長の見立て。ということで、「中原街道」歩きの初日の報告も滞りがちになってしまいます。・・・「二本榎通り」を進みます。右にこんもりと木に囲まれたお屋敷が。高輪皇族邸(たかなわこうぞくてい)。高輪皇族邸(たかなわこうぞくてい)は、東京都港区高輪にある皇室関連施...虎ノ門駅」~「五反田駅」。その4。風邪も抜けきらず。中原街道歩きも滞りがち。高輪皇族邸。「二本榎の碑」。(「中原街道」をゆく。第1日目)

  • 「虎ノ門駅」~「五反田駅」。番外編。坂歩き。「魚籃坂」。「伊皿子坂」。「聖坂」。「幽霊坂」。「潮見坂」。「蛇坂」。「安全寺坂」(「中原街道」をゆく。第1日目)

    坂道歩きの記録。再掲。旧高松宮邸(高輪皇族邸)の手前、左手の都営高輪一丁目アパートの入口付近にかなり摩滅した「大石良雄等自刃ノ跡」の碑。自刃の地(「熊本藩・細川家下屋敷」)は、この一番奥にあるらしい。特に説明文もなく建てられています。元禄16年2月4日(1703年3月20日)、熊本藩細川家の下屋敷において赤穂浪士の大石良雄(大石内蔵助)ほか16人が切腹しました。三田の伊予松山藩屋敷跡(現:イタリア大使館)には大石主税ら十士切腹の地があります。大石父子の切腹は、ほぼ同時刻であったといわれています。浪士たちは、江戸高輪の泉岳寺に葬られています。突き当たりの十字路、右手が「伊皿子坂」。左手が「魚籃坂」。(いさらござか)明国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたと伝えるが、ほかに大仏(おさらぎ)のなまりとも、いいさら...「虎ノ門駅」~「五反田駅」。番外編。坂歩き。「魚籃坂」。「伊皿子坂」。「聖坂」。「幽霊坂」。「潮見坂」。「蛇坂」。「安全寺坂」(「中原街道」をゆく。第1日目)

  • 虎ノ門駅」~「五反田駅」。その3。「聖坂」。「ちぃまっぷ」。「蟻鱒鳶ル(ありますとんびる)」。「伊皿子坂」。「魚籃坂」。「歯科医学教育発祥之地」碑。(「中原街道」をゆく。第1日目)

    けっこう長い上り道が続きます。国道から1本、西側の道になります。「ちぃまっぷ」。聖坂。古代・中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開き、その宿所もあったためという。竹芝の坂と呼んだとする説もある。振り返り、坂下を望む。。「亀塚公園」。亀塚の名称の由来は複数伝えられている。円墳状の盛り土が存在することによるもの。但し、昭和46年に実施した港区教育委員会と慶應義塾大学文学部との合同調査では副葬品も含めて何も見つかっておらず、古墳であったとは判断できない。竹芝伝説の竹柴の衛士の宅地にあった酒壷の下に住んだ霊亀を土地の人が神にまつったものであるとされるもの。縄文時代の住居跡が発掘されている。円墳上部には登ることができ、かつてはそこから360度の方角で東京全体を展望できたが(昭和30年代までは房総半島を...虎ノ門駅」~「五反田駅」。その3。「聖坂」。「ちぃまっぷ」。「蟻鱒鳶ル(ありますとんびる)」。「伊皿子坂」。「魚籃坂」。「歯科医学教育発祥之地」碑。(「中原街道」をゆく。第1日目)

  • 虎ノ門駅」~「五反田駅」。その2。赤羽橋・渋谷川・古川。慶應大学東門。「聖橋」。(「中原街道」をゆく。第1日目)

    今日の東京地方、久々の雨模様、という予報ですが。「びっくり屋」。地元の買い物客が。「赤羽橋」にさしかかります。下の流れは、渋谷川・古川「旧赤羽橋」親柱。渋谷川→古川。この付近の今昔。1880年代。上に「古川」。現在。古川は首都高の橋脚下。慶応大学並びの菓子屋。慶応大東門。その先で、国道から離れ、「聖坂」を上がっていきます。虎ノ門駅」~「五反田駅」。その2。赤羽橋・渋谷川・古川。慶應大学東門。「聖橋」。(「中原街道」をゆく。第1日目)

  • 1月5日。「小寒」。寒波が日本列島を覆うようですが。♪おおさむこさむ 山から小僧が泣いてきた。春の七草・七草粥。寒仕込み。

    朝晩はぐっと冷え込み、少しずつ寒さも極まってきているように思います。寒は別名「寒中・寒の内」ともいい、武道や芸事の「寒稽古」や「寒中水泳」なども寒に行われます。今日は、二十四節気の「小寒」。「小寒」の一つ前の節気は「冬至」(12月22日)、一つ後の節気は「大寒」(1月20日)。この日から「節分」(2月4日頃の「立春」の前日)までの約30日間を「寒(かん)」または「寒中」「寒の内」という。この日は「寒の入り(かんのいり)」ともいい、寒さの始まりを意味する。ただし、実際にはすでに寒さの厳しい時期である。江戸時代の暦の解説書『暦便覧』では「冬至より一陽起こる故に陰気に逆らふ故、益々冷える也」と説明している。この日から「寒中見舞い」を出し始める。♪おおさむこさむ山から小僧が泣いてきた※この「泣いてきた」の歌詞につ...1月5日。「小寒」。寒波が日本列島を覆うようですが。♪おおさむこさむ山から小僧が泣いてきた。春の七草・七草粥。寒仕込み。

  • 「虎ノ門駅」~「五反田駅」。その2。踏んだり蹴ったり。泣きっ面に蜂。「TORAMONHILES」「AZABUDAIHILLS」。芝地区旧町名由来板。東京タワー。野田岩。(「中原街道」をゆく。第1日目)

    踏んだり蹴ったり。泣きっ面に蜂。今度は、暮れの30日からインフルに。3日まで外出禁止。家でもジッと。地下鉄の新駅をつくるための大工事中。「TORANOMONHILLS」。芝地区旧町名由来板西久保巴町愛宕山の西北麓に位置する町域です。慶長13年(1608)に天徳寺門前、および元禄年間(1688~1699)に下谷町と車坂町の代地となり、西久保新下谷町、西久保車坂町と唱えました。明治5年(1872)、浜田藩松平右近将監屋敷、西久保新下谷町、西久保車坂町、天徳寺地、同門前町および幕士の屋敷を合併して、新たに西久保巴町となりました。町名は、町内が南は神谷町境に延び、東は北西に屈曲し巴の形に似ていることに由来します。葺手町西久保巴町と西久保城山町とに挟まれ、西方は赤坂区および麻布区に接しています。むかしは幸橋門外の二...「虎ノ門駅」~「五反田駅」。その2。踏んだり蹴ったり。泣きっ面に蜂。「TORAMONHILES」「AZABUDAIHILLS」。芝地区旧町名由来板。東京タワー。野田岩。(「中原街道」をゆく。第1日目)

  • 自転車で転倒!大けがをして41日。そして、「中原街道」歩きを始めます。

    右肩が思うように上がらない、使えない年末になるとは思いもよりませんでした。が、12月28日(土)。快晴。久々に街道歩きを再開。今回からは、「中原街道」。江戸虎ノ門を起点として三田・馬込を通り、丸子で多摩川を渡り、佐江戸・瀬谷・用田を経て、さらに相模川を越え、平塚の中原で東海道につながるこの道は、「相州街道」「お酢街道」「江戸間道」などと呼ばれていた。ずっと後、小杉あたりでは下肥を積んだ荷車が頻繁に往来したので「こやし街道」などともよばれていました。徳川家康が江戸に入った1590(天正18年)には、まだ東海道は整備されておらず、家康は平塚からほぼ直線で江戸に向かうこの道を通ったのです。二代将軍秀忠が中原御殿と同じように小杉に御殿を建てたのは1608年(慶長13年)。家康、秀忠、家光の三代にわたる将軍が鷹狩り...自転車で転倒!大けがをして41日。そして、「中原街道」歩きを始めます。

  • 自転車で転倒!大けがをして38日。そして、「年賀状終い」。巳年。

    今年の元旦。年賀状。「さて、私も馬齢を重ねて80歳となり、そろそろ「終活」を意識する年齢に差しかかりました。人生の節目ということで、年賀状によるご挨拶は本年を限りに最後とさせて頂きたく存じます。・・・」というハガキだけでなく、そして、今年、高校時代の親友が亡くなって、奥さんから喪中はがきを受け取る時節になりました。という小生も、去年で年賀状終い。いっときは、100枚以上を出していた時期も。「旧年中はお世話になりました」「今年もよろしく」「お元気ですか。お会いしたいものです」という文面がかえって懐かしくなります。そういえば、来年の干支は何のか?年賀状に押すイラストで気づくこともなくなるか。※2025年の干支は、巳「巳(ミ)」。ヘビは脱皮しながら成長するため、「生命」や「再生」の象徴とされています。現在でも全...自転車で転倒!大けがをして38日。そして、「年賀状終い」。巳年。

  • 自転車で転倒!大けがをして35日。ようやく「お食い初め」。そして、「久留里線」。

    リハビリも順調?右手でお箸を持って食事ができるようになりました。「お食い初め」。お食い初めとは、生後100日を記念して行われるお祝い。お食い初めは古くは平安時代から行われている歴史のある伝統行事で、一生食べることに困らないように、と赤ちゃんの健やかな成長を願います。お食い初めでは初めて箸を使ってお魚を食べます。実際に赤ちゃんが使って食べるわけではありませんが、初めて箸を使ってお魚を食べさせる真似をすることから「箸揃え」「箸祝い」「真魚始め」(まなはじめ)と呼ばれる場合もあります。赤ちゃんが数か月間無事に成長してきたことを家族でお祝いし、感謝するという意味合いは変わりません。一生に一度きりのお祝い。『吾妻鏡』には、源実朝が生後百十日目にお食い初めをしたという記述も残っています。初めて箸を使うので「箸揃え」「...自転車で転倒!大けがをして35日。ようやく「お食い初め」。そして、「久留里線」。

  • 久々の「向島百花園」。すっかり冬模様。

    大けが後、久々の「百花園」。すっかり冬模様。門前の楓。すっかり冬模様。ススキも刈り取られ、冬支度の松。菊も残りの秋を惜しむかのように。山茶花。南天。楓。早咲きの桜も。「冬至」の日の百花園でした。何とかスマホで写真も撮れました。久々の「向島百花園」。すっかり冬模様。

  • 自転車で転倒!大けがをして33日。労災の手続きがようやく。そして、「紅葉狩」。三橋鷹女。

    早くも1か月。つい右肩を動かしてしまいそう。右手で少しずつ動かして食事ができるようになりつつあります。三角巾も取れ、これからが手を上げる運動など、本格的なリハビリになりそうです。地域病院へ行くのは間遠になりそうですが。怠ければそれだけ回復が遅れる、とか。街道歩きも復活できそう。このかん、いつしか秋からすっかり冬へ。紅葉の華やかさも終わりに。そこで、数年前に行われた夏の「歌舞伎鑑賞教室」を。紅葉が夕日に照り映える戸隠山。余吾将軍平維茂(よごしょうぐんたいらのこれもち)が従者の右源太、左源太とともに紅葉狩にやって来る。そこには宴を張る先客がいた。聞けば、やんごとない女人が侍女たちとお忍びでお出掛けとのこと。維茂が遠慮しようとすると、その高貴な姫自ら、是非ご一緒したいと誘う。そこまで言われてひいては男がすたる。...自転車で転倒!大けがをして33日。労災の手続きがようやく。そして、「紅葉狩」。三橋鷹女。

  • 冬至。「冬来たりなば、春遠からじ」・「冬は必ず春となる」。ウツボグサ(空穂草、靫草)。ヘラジカ。一陽来復。我が家のネコたちは、・・・。

    今日、12月21日は二十四節気のうちの22番目「冬至」。本格的な冬将軍が訪れています。19日には、東京や大阪、奈良などで「初雪」が観測されました。東京では平年より15日早く、昨シーズンより25日早い観測です。東京で12月中旬までに初雪が観測されるのは8シーズンぶりです。東京。今日は穏やかな晴天。北半球では太陽の南中高度が最も低く、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日(南半球では逆転する)。『暦便覧』では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明している。太陽の動き冬至は1年間で太陽の位置が最も低くなる日であり、1年間で日中が最も短くなり、冬至を境に太陽が生まれ変わり、陽気が増え始めるとされている。秋分から春分までの間、北半球では太陽は真東からやや南寄りの方角から上り、真西からやや南寄りの方角に...冬至。「冬来たりなば、春遠からじ」・「冬は必ず春となる」。ウツボグサ(空穂草、靫草)。ヘラジカ。一陽来復。我が家のネコたちは、・・・。

  • 自転車で転倒!大けがをして一か月が経ちました。事故・ケガが増えているような。そして、「隅田川」・坂東玉三郎。

    職場の同僚から「つい最近、兄貴が左肩を複雑骨折したんだ。家で転んで。手術をしたばかりだ。」けっこう、冬場になって、こういうケガの話を耳にするように。寒さなどで体が硬くなってつまずいたり、転倒事故が増えてくるのでしょうか。そういえば、自転車とぶつかって転倒、老人が死亡した事案がありました。自転車に乗っていた女子高校生。寒くて前方をよく見ていなかった、とか。行くたびに、リハビリの病院でも患者が増えてきているような。「命あっての物種」。お互いに注意しましょう。・・・そして、「隅田川」・坂東玉三郎。幕が開くと、青白い舞台が一面に広がります。渡し守が出て名乗ります。能や狂言の定番の始まりかたです。今日は川の対岸で「大念仏(だいねんぶつ)」がある、という話をします。念仏を唱えて供養をする集まりの、大きなものがあるので...自転車で転倒!大けがをして一か月が経ちました。事故・ケガが増えているような。そして、「隅田川」・坂東玉三郎。

  • 自転車で転倒!大けがをして28日目。三角巾で右手を。そして、「シェルブールの雨傘」。

    街道旅もできず、職場と病院の行き来で、1週間があっという間に過ぎてしまいます。そういうときは、昔観た懐かしの映画が思い出されます。特に、クリスマスシーズン。皆さんにもそれぞれ思い出す名画があると。小生にとっては、「シェルブールの雨傘」。ラストシーンは、クリスマス前の雪の夜。ギィ(ニーノ・カステルヌオーヴォ)の経営するガソリンスタンドに入ってきた車の運転席にはかつての恋人・ジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)。助手席には娘のフランソワーズ(実は自分との間の子)。喪服姿だったような気が。短い言葉を交わし、車はスタンドを出ていく。俯瞰撮影に重なって降りしきる雪の中、テーマソングが流れる。監督・脚本:ジャック・ドゥミ音楽:ミシェル・ルグラン出演:カトリーヌ・ドヌーヴニーノ・カステルヌオーヴォマルク・ミシェルエ...自転車で転倒!大けがをして28日目。三角巾で右手を。そして、「シェルブールの雨傘」。

  • 自転車で転倒!大けがをして27日目。三角巾で右手を。そして、「ことわざ」。

    久々に遠出。新幹線の自由席、帰りはデッキまでたくさんの人。外国人がけっこう目立ちました。久々の知人から、驚かれたり、慰められたり、励まされたり、・・・。足でなくって良かった!と。寝たきりになっちゃうよ。雲一つない好天。風もない穏やかな一日・ひと時でした。腕を三角巾で吊っていると見知らぬ人も心なしか温かく接してくれます。かみさんには付き添って何かと世話になってばかりでした。感謝、感謝!「夫唱婦随」ならぬ「婦唱夫随」でした。「一葉落ちて天下の秋を知る」。富士山もすっかり冬景色。年の瀬の一日でした。しかし、今回の大けが。「一寸先は闇」そのものでした。と、ふと「ことわざ」を。それも今や意味合いが異なっているものに。①「老いては子に従え」=今や「老いても子を従え」になっているような気がします。元気な年寄りが多くて、...自転車で転倒!大けがをして27日目。三角巾で右手を。そして、「ことわざ」。

  • 自転車で転倒! 右肩骨折! 大けがをして25日目。三角巾で右手を。そして、橋本治(文)岡田嘉夫(絵)『マルメロ草紙』。

    「15日に出かける予定があるのですが」とお医者さんに相談すると、「三角巾は外さないように」と。胸を強く押さえていたパットを外すことが出来ました。まだまだリハビリは続きますが、次の段階に進むことが出来そうです。さて、最近読んだ本を再掲載。橋本治(はしもとおさむ)1948年〈昭和23年〉3月25日-2019年〈平成31年〉1月29日)。駒場祭のイラストで注目され、『桃尻娘』(1977年)で作家としてデビューすると博学や独特の文体を駆使し、古典の現代語訳、評論・戯曲など多才ぶりを発揮する。作品に『桃尻語訳枕草子』(1987-1988年)、『蝶のゆくえ』(2004年)、『初夏の色』(2013年)などがある。(「Wikipedia」より)このブログでも、橋本治の小説、評論をいくつかとりあげたこともあります。久々に図...自転車で転倒!右肩骨折!大けがをして25日目。三角巾で右手を。そして、橋本治(文)岡田嘉夫(絵)『マルメロ草紙』。

  • 自転車で転倒! 右肩骨折! 大けがをして24日目。イロハモミジ。そして、春風亭一之輔「子別れ」。

    職場の前庭に色鮮やかな紅葉が。「イロハモミジ」。リハビリ通いにも屈伸運動が加わって、年末まで。そして、コロナ禍の頃の、「夏の神保町まつり一之輔一門会」より。楽屋話ばかりで本題に入らないので、師匠に怒られる。師匠登場。人情話の中でも笑いと涙で聞かせる「子別れ」を。枕で弟子達の話をからめ、先代師匠の話から、師匠として弟子のかわいさを淡々と思い出話風に語り出します。「子別れ」人情噺の大ネタです。上は「強飯の女郎買い」、下は「子はかすがい(鎹)」の名で呼ばれることがあります。一之輔師匠は、この下の部分を。「大酒飲みが下では酒を断って改心したのか、どうも分からない、」とか、ぼそぼそつぶやきながら。上。熊五郎は腕のいい大工だが酒好きなのが玉に瑕。ある日、泥酔して帰ってくると妻のお光に向かって女郎の惚気話まで始めてしま...自転車で転倒!右肩骨折!大けがをして24日目。イロハモミジ。そして、春風亭一之輔「子別れ」。

  • 自転車で転倒! 右肩骨折! 大けがをして22日目。振り子運動。そして、桂文楽「明烏(あけがらす)」。

    大けがをして、早3週間が過ぎました。週3回の通院にも慣れてきました。仕事では助けられ、感謝、感謝。八代目文楽師匠は、上品な色気ときっちりした芸が売りもので、特にこの“明烏”は得意中の得意なだし物。気が弱く女の扱いがわからない若旦那、時次郎と吉原に誘う札付きの遊び人源兵衛と太助の二人の会話も小気味よいテンポで進む。これは有名な話ですが、甘納豆を食べる仕草が絶妙で、この噺を聞いた後で、甘納豆がよく売れたとか。磨きぬかれた芸は何度聞いても飽きない。完成度の高い芸となっています。文楽師匠の最後の高座。噺の途中で登場人物の名前を忘れてしまい「また勉強して参ります」と言って高座をおり、そのまま二度と高座にあがることはなく、その後、しばらくして亡くなりました。文楽師匠は、上野の黒門町という所に住んでいたので、今でも「黒...自転車で転倒!右肩骨折!大けがをして22日目。振り子運動。そして、桂文楽「明烏(あけがらす)」。

  • 自転車で転倒! 右肩骨折! 大けがをして20日目。振り子運動。そして、「ニューシネマパラダイス」。

    今日もリハビリ。右手も少しずつ動かし始めましたが、食事などは、左手で。フォークとスプーンで、掬うように口の中へ。風呂もシャワー。仕事も左手でパソコンに向かう。重たい荷物は手伝ってもらい、・・・。同僚に感謝、感謝!労災手続きも何とか。ただ、寝返りが不自由で、寝不足気味です。そして、昔の映画のビデオを。「ニューシネマパラダイス」。シチリアの小さな村を舞台に映写技師と少年の心あたたまる交流を、あふれる映画愛とともに描いた不朽の名作。映画監督として成功をおさめたサルバトーレのもとに、老いたアルフレードの死の知らせが届く。彼の脳裏に、「トト」と呼ばれた少年時代や多くの時間を過ごした「パラダイス座」、映写技師アルフレードとの友情がよみがえってくる。シチリアの小さな村の映画館を舞台に、映画に魅せられたサルバトーレの少年...自転車で転倒!右肩骨折!大けがをして20日目。振り子運動。そして、「ニューシネマパラダイス」。

  • 自転車で転倒! 右肩骨折! 大けがをして18日目。振り子運動。戒厳令。そして、「弁天娘女男白浪」。

    けがをして18日目。6日(金)には地域病院へ。レントゲンを撮り主治医のところへ。次回は2週間後。その頃にはやっとバンドをはずせるかな、と。起きているときは、何とかキープできるが、寝相の悪さで、起きるとずれまくり。・・・振り子運動から円運動も取り入れてのリハビリ。せめてもう少し右手が動かせるようになると、いいのですが。・・・さて、お隣の韓国では「戒厳令」宣言で大変な状況。それでも、即座に与野党の議員、大衆も体をはっての猛反対の行動。かつての圧政時代の経験が即座に大衆運動として機能しているようです。日本でこういう事態になったらどうなるか?国民は即座に反対行動に立ちあがるだろうか。「緊急事態」条項がない現状ですが。そして、当方は、「youtube」で、元気の出る落語やらお芝居を。今回は、<稲瀬川勢揃いの場の口上...自転車で転倒!右肩骨折!大けがをして18日目。振り子運動。戒厳令。そして、「弁天娘女男白浪」。

  • 大雪。12月7日。おおゆき。クマの被害。シクラメン・「シクラメンのかほり」。日の入り。風花・川上弘美。

    今日は二十四節気の21番目「大雪(たいせつ)」。日本海側・北国では、予想外の大雪(おおゆき)が降り続くとの予報。東京地方はぐっと寒くなりましたが、晴れの日が続いています。暦の上で、大雪(たいせつ)とは本格的に冬が到来するころ。山々は雪に覆われ、平野にも雪が降り積もります。新しい年の準備をはじめる「正月事始め」もこの時期から行われます。七十二候では、・初候 12月7日〜12月10日頃閉塞成冬そらさむくふゆとなる天地の気が塞がれ、冬がおとずれる頃。空は重い雲に覆われ、生き物はじっと気をひそめています。塞ぐという言葉は、寒さから人々を守るという意味でとることもできます。・次候 12月11日〜12月15日頃熊蟄穴くまあなにこもる熊が冬ごもりの時期に入り、穴にこもる頃。春になるまで、穴の中で過ごします。熊だけではな...大雪。12月7日。おおゆき。クマの被害。シクラメン・「シクラメンのかほり」。日の入り。風花・川上弘美。

  • 自転車で転倒! 右肩骨折! 大けがをして14日目。振り子運動。前途は厳しい。そして、小池昌代「たまもの」・・・。

    今日もリハビリ。振り子運動も佳境!100回×10。なかなか励めませんが。そして、読書。「たま(もの)」にまつわるお話、40歳になって、別れた恋人から山尾という名の赤ん坊を預かった「わたし」。以来10年余、せんべい工場の契約社員をしながら山尾を育ててきた。知人男性との逢瀬を重ねながらも、山尾に実の息子同然の愛情を注ぐ「わたし」。初老にさしかかり、母と女の狭間を生きる、シングルマザーの日常。第42回泉鏡花文学賞受賞!「山尾」という名は、百人一首の「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかもねむ」から採ったと聞かされます。預かった、独り身の「わたし」には、おそらく「ながながし夜をひとりかもねむ」にも彼女なりの思いが込められているのでしょう、「杉本氏」「先生」などとの行き会い、別れた、その深い経験・思...自転車で転倒!右肩骨折!大けがをして14日目。振り子運動。前途は厳しい。そして、小池昌代「たまもの」・・・。

  • 自転車で転倒! 右肩骨折! 大けがをして13日目。振り子運動。そして、林家つる子「反対俥」。

    昨日は、リハビリの4回目。振り子運動の2回目。100×10セットが目安のようですが、昨日は何とか100振り。思ったよりもできますね、と。先生からは「2週間後にバストバンド(※というのかな)を取りましょう」と。「なかなか寝がえりができなくて」と。苦笑いされました。右肩を上にしたまま寝るのは辛い!息子の嫁さん「妊娠中は仰向けにしか寝られなくて大変だった。それに比べればたいしたことではありませんよ」寝ながら落語を聞いて就寝。林家つる子さん。この前、TVのニュース番組でコメンテーターとして出演していました。※林家つる子(中央大学文学部人文社会学科中国言語文化専攻)2010(平成22)年9月林家正蔵に入門2011(平成23)年3月前座となる前座名「つる子」2015(平成27)年11月1日二ッ目昇進2024(令和6)...自転車で転倒!右肩骨折!大けがをして13日目。振り子運動。そして、林家つる子「反対俥」。

  • 自転車で転倒! 右肩骨折! 大けがをして12日目。振り子運動。前途は厳しい。そして、江國香織「デューク」・・・。

    振り子運動。なかなか長続きしません。右腕を動かす、というより身体の方が前後に動いてしまう。周期Tは重力gと糸の長さℓによって決まります。つまり物体の質量は全く関係ないことがわかります。物理の法則と関係がありそうで。振り子運動の「辛さ」は変わらないようです。さて、早めに寝ようとして、手に取った文庫本。(「Amazon」より)。所収の短編小説「デューク」。2001年のセンター試験国語Ⅰで問題文として全文が出題され、試験中に泣き出す受験生が続出したという伝説を持っているらしい。デュークが死んだ。老衰で死んでしまった。たまご料理とアイスクリームと梨と落語が好きで、キスがうまかった。歩きながら、私は涙がとまらなかった。―長年一緒に過ごした飼い犬を亡くし、それでもアルバイトに行かなければならない。道行く人がいるのも構...自転車で転倒!右肩骨折!大けがをして12日目。振り子運動。前途は厳しい。そして、江國香織「デューク」・・・。

  • 自転車で転倒! 右肩骨折! 大けがをして11日目。振り子運動。前途は厳しい。そして、・・・。

    さっそく寝る前にペットボトルを持ってブラブラしはじめると、ソウタくんムックリ起き上がって、ペットボトルの動きを。大丈夫?という目つき。こういう単純な振り子運動でも長く続かない。いかに今回の自転車事故の大きかったかを身で感じます。中身を飲み干しておしまい!さて、パソコンに向かうと、「言うは易く行うは難し」ならぬ「云われるは易く行うは難し」でした。※No.707【言易行難】げんいこうなん【言うは易(やす)く行うは難(かた)し】と訓読みされる四字熟語です。口で言うのは簡単だが、実行するのはむずかしいということです。『塩鉄論』利議(リギ)篇にでています。言者不必有徳。言者は必ずしも徳有るにあらず。弁舌爽やかな者が、徳あるとは必ずしも言えない何者。言之易而行之難。何となれば、之れを言うは易くして、之を行うは難し。な...自転車で転倒!右肩骨折!大けがをして11日目。振り子運動。前途は厳しい。そして、・・・。

  • 自転車で転倒! 右肩骨折! 大けがをして10日目。振り子運動。そして、我が家のねこたちは、・・・。

    11月29日。晴れ。2回目の地域病院での診察。レントゲンを撮り主治医と。「順調ですね。指の方まで紫色。しばらくはこういう状態でしょう。痛みはどうですか。それはよかった。」そして、ご自分のペットボトルを手渡して、立ち上がって「こういう振り子運動をやってみてください。」と。けっこう効果的なようで、さっそく、夕飯時に、コーヒーのボトルを持って。さすがにまだ、そううまくはいきません。さて、昼過ぎに病院から戻ると、ソウタはこんな体勢で。あんずは、脱いだ靴にえらくご執心。変わった匂いでもついていたのでしょうか?頭を突っ込んで、一方のソウタ。さっとベッドに飛び乗りしばらく毛繕い、そして、我関せず。こうして、昼下がりの穏やかな生活が始まります。自転車で転倒!右肩骨折!大けがをして10日目。振り子運動。そして、我が家のねこたちは、・・・。

  • 自転車で転倒! 右肩骨折! 緊急事態に! そうするうちに、世間は、・・・。 その3

    あなたもよくご存じのMさん、ついこの前、自転車とぶつかって救急搬送されたようだ。まあ、ついこの前、連絡を取ったばかり骨には異常はなかったようだが、体中が痛くて大変らしいよ。そういえば、知人も自転車に乗って、電信柱にぶつかって胸の骨を折ったみたい立て続けに自転車での事故を起こした、というわけだ。それにしても最近の運転、けっこう危なっかしいわねスピードは出るし、ごっつい車体も多くなったし、子供を前のかごに乗せて、後ろにも。保育園の送り迎えは、朝預けて夕方引き取って・・・そう、次の予定、時間のためかスピードを出して追い抜いたり、ぶつかるケースも、あるある。高校生の自転車も乱暴、乱暴。冷や冷やするのは日常茶飯事よ今度罰則が厳しくなって、少しは事故も減るのかな。みんな、時間に追われて必死なのよね。今でも飲酒運転して...自転車で転倒!右肩骨折!緊急事態に!そうするうちに、世間は、・・・。その3

  • 自転車で転倒! 右肩骨折! 緊急事態に! その2

    で、お医者さんでの見立てはどうなのよリハビリ病院の院長曰く「これはひどいね、手術でボルトを入れても元には戻らないな、お気の毒ですがね」それは大ごとね、骨が完全に折れてるわけだ右肩から腕にかけて、真っ青になっている。医者からはだんだん下に降りてくるよ、って。おでこを打ってアオタンができると、だんだん顔の前面が青くなってくるようなものね右腕だけじゃなくて、風呂に入ろうとしてシャツを脱いだら、胸一面にも青タンができて、我ながらおどろおどろしい状態。まあ、それはえらいことだわ見せましょうかそんなデブの胸を見てどうなのよ背中には何もなさそうで、一安心だった。昨日のリハビリはどうだったのよま、初めてなので、状態を聞かれ、軽く動かす動きをしたそれで、どうなることを目標にしますかと聞かれたので、街道などの歩きのとき、両手...自転車で転倒!右肩骨折!緊急事態に!その2

  • 自転車で転倒! 右肩骨折! 緊急事態に!

    どうしたんですか、痛々しい格好で。いや、どえらい事故を起こしまして21日、自転車で通勤中、見事に転倒何とか起き上がりましたが、右肩が痛い、痛い何でまた朝出かけるときに少し雨が降っていたのに、それを無理して自転車で相手はいたんですかいや、自損事故、自損事故救急車でいや、かみさんに来てもらって何と歩いて、というわけそう、かかりつけの整形外科に行ったんだが木曜日はどこも休みでは必死にスマホで調べて、やっと見つかり、タクシーで行きましたよ。それはよかったそこでレントゲンやら撮ってもらったら、大きな病院に行った方がいいですね、とで22日朝一番で都立地域病院へ。そこでどうしたの手術をするか、どうするか。ボルトでつなげることになりますね、と。で、手術をすることになったのいや、手術をしてもしなくても前のようには回復しませ...自転車で転倒!右肩骨折!緊急事態に!

  • 高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その7。竹内養鱒場。ムサシトミヨ保護センター。元荒川起点。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

    今度は、左の方の源流をたどっていきます。・・・生息地へ流れ込む生活排水は約千五百世帯分で、日量約千立方メートルだ。その生活排水を県と民間養鱒場から放流する日量約二万立方メートルのきれいな水で希釈しているのが現状なのだ。水質測定結果から、生活排水による汚濁の進行が明らかとなり、稚魚や餌となる甲殻類への影響が懸念されている。このままでは近い将来、絶滅のおそれもある。絶滅させないためには、この区域に最低三kmは生活排水を流入させない対策が急務である。京都府と兵庫県の一部に生息し絶滅したミナミトミヨの二の舞になることは、是が非でも防がなくてはならない。世界で唯一熊谷市にしか生息していない希少種ムサシトミヨを守れるとすれば、それは、流域住民の意志と行政の決断にかかっている。(この項、「埼玉新聞」より)この記事のうち...高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その7。竹内養鱒場。ムサシトミヨ保護センター。元荒川起点。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

  • 高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その6。「元荒川ムサシトミヨ生息地」・ムサシトミヨ。元荒川起点。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

    中山道に入ってすぐ右手に元荒川の流れ。そこにはこんな案内板が。「ここは、世界で熊谷市のみに生息するムサシトミヨがすんでいる川です。川の汚れを少なくし、豊かな緑と清流を守るため皆さんのご協力をお願いします。」この付近の流れ。旧中山道に戻り、その先を右折。そこにも同じ内容の標示があります。住宅地の中を流れる川に水草が生い茂り、それがムサシトミヨの生育を助けているのです。住民の自然環境を守ろうとする心を感じます。「旧中山道」を進みます。左手に「東竹院」。奥には荒川土手。しばらく中山道を進むと、二手に分かれる元荒川が西に向かう流れのところに、「ムサシトミヨと共存できる環境作り」と「ムサシトミヨ」のポスター。※通りの反対側に「元荒川」が右と左と二手に分かれるところがあります。こちらは左手の流れ。「県の魚ムサシトヨの...高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その6。「元荒川ムサシトミヨ生息地」・ムサシトミヨ。元荒川起点。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

  • 高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その5。高崎線・貨物列車。ムサシトミヨ橋東。久下(くげ)橋。旧中山道に合流。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

    この付近で、「元荒川通り」を何回か潜り抜けます。高崎線手前に流れが。線路手前に、小さな橋。貨物列車が通過中。「ちょうちんづかはし」。流れは、通りの反対側に移る。遠くに歩行者用の小さな木橋が。荒川に架かる「久下(くげ)橋」への陸橋が見えてきます。元荒川に架かる「ムサシトミヨ橋東」。久下橋への道を挟み、東西に橋が架かっている。橋の名にムサシトミヨと付いているのは、「ムサシトミヨ」にちなんで?久下橋方向。「久下橋」には歴史がありました。「荒川」歩きのときの記録を再び。「久下橋」。ここに「思いやり橋」と呼ばれた久下冠水橋がありました。春は菜の花、秋にはススキを見ながら、人も自転車も車ものどかに渡りました。車一台やっと通れる橋、車は対岸を確かめ、あうんの呼吸で渡りました。幅2.7㍍長さ282.4㍍3㌧。中央部99....高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その5。高崎線・貨物列車。ムサシトミヨ橋東。久下(くげ)橋。旧中山道に合流。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

  • 11月22日(金)・「小雪(二十四節気)」。一気に冬へ、と、なりそうにもない?

    「隅田公園」。※現在、隅田公園は池を中心に大改修工事中。写真は、数年前のもの。はぜのき。「向島百花園」。今日は、二十四節気のうち「小雪(しょうせつ)」。冬とは言えまだ雪はさほど多くないという意味。しかし、各地で雪の便りが届いています。※11月22日は「いいふうふ(いい夫婦)」の日でもあるとか。東京は、19.20.21と、ぐっと冷え込みました。雨も降って、冷え込みは一段と。12年ぶりの1月中旬頃の寒さだった、とか。しかし、今日は快晴。寒さも峠を越した感じ。しかし、明日からは平年よりも寒くなりそうです。さて、暦の上での「小雪」とは?立冬から数えて15日目ごろ。北国から雪の便りが届く頃ですが、まだ本格的な冬の訪れではありません。陽射しが弱くなり紅葉が散り始めるころで、いちょうや柑橘類は黄色く色づいてきます。次第...11月22日(金)・「小雪(二十四節気)」。一気に冬へ、と、なりそうにもない?

  • 高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その4。荒川土手から元荒川沿いに。久下(くげ)。元荒川通り。伊勢前橋。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

    荒川土手(旧中山道)とは、ここでお別れ。現在の荒川の流路は、江戸時代初期に行われた土木事業によってその原型が形づくられました。江戸時代以前の荒川は、元荒川筋を流れ、越谷付近で当時の利根川(古利根川)に合流していました。荒川はその名のとおり「荒ぶる川」であり、扇状地末端の熊谷付近より下流で、しばしば流路を変えていました。関東平野の開発は、氾濫・乱流を繰り返す川を治め、いかに川の水を利用するかにかかっていました。江戸時代の寛永六年(1629)に、伊奈備前守忠治(いなびぜんのかみただはる)が荒川を利根川から分離する付け替え工事を始めました。久下村地先(熊谷市)において元荒川の河道を締め切り、堤防を築くとともに新川を開削し、荒川の本流を当時入間川の支川であった和田吉野川の流路と合わせ、隅田川を経て東京湾に注ぐ流路...高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その4。荒川土手から元荒川沿いに。久下(くげ)。元荒川通り。伊勢前橋。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

  • 高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その3。権八地蔵。荒川土手・旧中山道。水準点。「決潰の跡」碑。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

    ここを歩くのは、3回目。「中山道」歩き、「荒川」歩き、そして今回。「権八地蔵」。鴻巣市指定民俗資料権八地蔵とその物語権八は、姓を平井といい鳥取藩士であったが、同僚を殺害したため脱藩し江戸に逃れた。その途中金に困り、久下の長土手で絹商人を殺害し、大金を奪い取った。あたりを見廻すと地蔵様を祀った祠があった。良心が咎め己の罪の深さに、いくばくかの賽銭をあげて「今、私が冒した悪行を見ていたようですが、どうか見逃してください。また、誰にも言わないでください。」と手を合わせると、地蔵が「吾は言わぬが汝言うな。」と口をきいたと伝えられている。この話から、この地蔵は「物言い地蔵」と呼ばれるようになった。権八はその後捕らえられ、延宝8年(1680)に鈴ヶ森の刑場(東京都品川区南大井)で磔の刑に処せられた。平成24年2月鴻巣...高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その3。権八地蔵。荒川土手・旧中山道。水準点。「決潰の跡」碑。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

  • 「向島百花園」。その2。秋の色彩。はぜのき。つわぶき。なんてん。にしきぎ。サフラン。のぎく。リンドウ。かんざん。楽焼体験。

    園内の様々な秋の色彩。ふよう。はぜのき。中央は、はぜのきと梅(べにちどり)。左が葛(くず)、右がみつばあけびの棚。つわぶき。池のほとりに群生しています。なんてん。にしきぎ。サフラン。のぎく。りんどう。リンドウは、漢字では「竜胆」や「龍胆」と書かれ、「りゅうたん」という呼び名が訛ってリンドウになったとされます。根の部分の薬効成分も知られ、胃腸薬などとして使われていたそうです。龍の胆(胆のう)という名称は、同じく生薬として知られる熊胆(熊の胆のう)と同等もしくはそれ以上の苦味があることから、名付けられたという説があります。古いいけばなの教本で登場するリンドウが、作品のメインとなる枝や花の足元にちょこっと顔を覗かせる姿ばかりであることも、野山に咲く背の低いリンドウを想起させます。ふきのとう?かんざん。日本を原産...「向島百花園」。その2。秋の色彩。はぜのき。つわぶき。なんてん。にしきぎ。サフラン。のぎく。リンドウ。かんざん。楽焼体験。

  • 「向島百花園」。その1。菊花展。菊盆栽。江戸・嵯峨・肥後・丁子。

    晩秋の「向島百花園」。今年も恒例の「菊花展」をやっています。丹精込めた盆栽、鉢植えなど。入口には、「江戸御園の秋」。盆栽。「川辺で遊ぶ子供たち」。「花垣江戸」。「新宿御苑」で開催中の菊花展と比べたら、規模が小さいですが、丹精込めた菊が今年も園内のあちこちに。「江戸黄八丈」。「江戸星月夜」。「江戸うたかた」など。「江戸春日」。そして盆栽仕立て。菊盆栽は大正時代から始まり、花色・花型など極めて多彩です。園内には「江戸菊」以外にも他の地域も展示されています。「嵯峨菊」。「肥後胡蝶」など。「丁子菊」。「中央:葵の上右:望月」。丁字菊(ちょうじぎく)。発祥の地は関西らしく、東京では、一本の茎から同時に六輪咲かせる一六作りという手法で立てられることが多いようです。「三山」・「葛城」園内には、木々や花々にも秋から冬のの...「向島百花園」。その1。菊花展。菊盆栽。江戸・嵯峨・肥後・丁子。

  • 高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その2。新宿橋。榎戸堰。「榎戸村」石碑。「準用河川元荒川起点」。荒川土手に。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

    左岸は護岸整備中。上流に「新宿(しんしゅく)橋」。「新宿橋」のたもとには「榎戸(えのきど)堰公園」。ゴツゴツした大きな岩。榎戸堰。江戸時代に作られた木造の堰は、増水による崩壊や腐朽により幾度となく改修・改築が繰り返されてきましたが、明治30年代に木造から写真のような煉瓦造りの堰へと改築されました。この煉瓦造りの堰の名残が、現在も元荒川の護岸として残されています。煉瓦製の堰は昭和初期に部分的にコンクリートに改築された後、昭和41年には全面コンクリート製になりました。現在もこの堰で元荒川の水を堰き止め、農業用水として周辺の水田を潤しています。煉瓦堰への改修にあたり、私財まで投じてまで尽力した当時の吹上村長代田仙三郎をたたえる石碑が、榎戸堰公園内に建てられました。「代田仙三郎翁顕彰の碑」。榎戸堰は,元荒川最初の...高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その2。新宿橋。榎戸堰。「榎戸村」石碑。「準用河川元荒川起点」。荒川土手に。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

  • 高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その1。吹上宿・中山道/日光脇街道。榛名橋。洲崎橋。高崎線のガード。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

    「元荒川」を歩いて遡るという計画も今回で最終回。真夏の暑い日に熱中症になりかかって、途中で挫折したこともあり、今回、第7日目となります(実際は、第8日目)。11月8日(金)晴れ。「吹上駅」ロータリー。「吹上本町」・「中山道」の標識。向こうの通りが「中山道」。鴻巣宿から熊谷宿までは四里六町(約十六粁)と特に長かったため、立場(茶屋や休憩所・宿屋)ができ、「間の宿」として賑わいました。八王子千人街道とも交わる街道の名所です吹上宿は中山道六十九次のうち日本橋から数えて7番目の宿場である鴻巣宿と、8番目の熊谷宿との中間地点に位置する「間の宿(あいのじゅく)。※鴻巣宿と熊谷宿とは約16.4kmと他の宿場に比べると距離が開きすぎていた。また、吹上村の吹上追分で日光東照宮を警備する武士たちが通る「八王子千人同心街道」(...高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その1。吹上宿・中山道/日光脇街道。榛名橋。洲崎橋。高崎線のガード。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

  • 高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その7。新宿(あらじゅく)橋。桜橋。佐賀橋・新佐賀橋。吹上橋。楓。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

    吹上周辺では「元荒川」はかなり屈曲して流れていました。現在と昔を比べると、(現在)ゆるやかなカーブになっている。ところが、かつては(1880年代)このように曲がりくねっていた。「中山道」吹上宿(間の宿)。左に屈折する。北に向かうのは、「八王子千人同心街道」。大幅な河川改修を行い、橋を架け替えているわけです。「新宿(あらじゅく)橋」。広い「駅北口通り」。桜がデザインされています。上流方向。「桜橋」。元荒川の桜並木の中心部に架かる橋。橋の上は広く、イベント広場。四阿があります。親柱。流れに沿って、遊歩道。「佐賀橋」。大正末期まで、この付近には忍馬車鉄道(吹上~行田)が運行していて、元荒川には忍馬車鉄道の佐賀橋(木製の桁橋)が架けられていた。現在の橋は橋詰の柵と欄干が疑木調なので、遠目には木の橋に見えるが、実際...高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その7。新宿(あらじゅく)橋。桜橋。佐賀橋・新佐賀橋。吹上橋。楓。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

  • 高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その6。小谷(こや)橋。砂山橋。筑波橋。遠所(えんじょ)橋。水鳥橋。高砂橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

    「小谷(こや)橋」。古いレールを利用した、1932(昭和7)年竣工の3連アーチ橋。以前の古い親柱が残されています。この付近は、改修前は大きな蛇行があった場所。流れを直線化したときに架けられた橋。残った蛇行部は現在『水辺公園』になっている。下流を望む。続いて「砂山橋」。この橋は四隅の彫刻が四季を表現しています。※春夏秋冬、すべて産地の異なる御影石を使用。《春》「なまずうごく」《夏》「かたつむりひかる」《秋》「つばめかえる」《冬》「さるみてる」。上流を望む。カルガモの群れ。「筑波橋」。「筑波橋」の欄干には十二支の動物やかわいい小人の彫刻があります。両岸には約500本のソメイヨシノの木が約2.5kmに渡って続く。次が遠所(えんじょ)橋。支流の前谷落合流部に架かる「水鳥橋」。四阿があり、川の流れを眺めながらひと休...高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その6。小谷(こや)橋。砂山橋。筑波橋。遠所(えんじょ)橋。水鳥橋。高砂橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

  • 高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その5。川面(かわづら)橋。三ツ木橋。コウノトリ。三ツ木堰。アサヒ橋。五つ目の元荒川橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

    草刈りが終えた土手を歩きます。「川面橋」から上流を目指す。けっこうきれいに刈られ、歩きやすい。田んぼと工場と。ところが、途中から道がなくなった!ずり落ちたらそのまま川に転落の危機!掴まれそうな木も無く、振り返る。・・・しかし、よく草刈りの作業をしたものです。あるいはしてないのか?雨でも降ってきたら、大ごとでした。わずかな距離でしたが、なんとか脱出。この道を歩けばよかった、と。国道17号線・「三ツ木橋」のたもとに出て、信号にある交差点まで迂回します。下流方向を振り返る。川沿いに歩くのはやめて、普通の道を歩くことに。大きく羽を広げたコウノトリ。向かい側には、民宿「コウノトリの里の宿」。鴻巣市のマンホール。中央に新市章、周りに市花パンジーを描いてある。そのまま直線の道を歩き、高崎線の線路にぶつかるところで右折し...高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その5。川面(かわづら)橋。三ツ木橋。コウノトリ。三ツ木堰。アサヒ橋。五つ目の元荒川橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

  • 高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その4。川面(かわづら)水門。伏越(ふせごし)。元荒川橋。川面橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

    「武蔵水路」。「川面(かわづら)水門」。【川面水門の役割】川面水門は、大雨で元荒川の水位が上がったときに、元荒川の増水の一部を武蔵水路に流すことにより、元荒川流域の浸水被害の軽減を図ります。【水門操作】集中豪雨によりかせんのぞうすいや市街地の冠水が想定されるとき、釜づら水門から武蔵水路に取り込む操作を行います。「武蔵水路」は元荒川を「伏越(ふせごし)」(逆サイホンの原理)で交差します。その真上に立って、利根川方向を眺める。荒川方向。「元荒川」下流方向。元荒川に架かる「元荒川橋」を渡り、左折します。右に武蔵水路。利根川側。元荒川橋のすぐ上流で、「忍川(おしかわ)」が合流します。※「Googleマップ」では「新忍川」と表示されている。右の水路が「忍川」。埼玉県北部を流れる利根川水系中川支流である元荒川の支流に...高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その4。川面(かわづら)水門。伏越(ふせごし)。元荒川橋。川面橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

  • 高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その3。パンジー・なでしこ・はぼたん。さきたま緑道。武蔵水路(「元荒川」をゆく。第6日目。)

    「武蔵水路」に向かう通りにも、花卉栽培農家が並んでいます。ハウスの中にズラリ。パンジー。別のところでは、なでしこ(撫子)。葉ぼたん(牡丹)。新春に向けての花々。畑の向こうに林は、「さきたま緑道」。「武蔵水路」に沿ってあるようです。※「さきたま緑道」:JR北鴻巣駅前の鴻巣市赤見台近隣公園から、武蔵水路に沿って、さきたま古墳公園に至る全長4.5Km、幅員25mの遊歩道と自転車道のある緑道。さきたま緑道は、赤見台(鴻巣市)と古墳公園(行田市)間に伸びる片道4.1kmの遊歩道です。自転車と歩行者の2レーンにしっかり分かれており、車道からも隔離されていて安心です。走りやすそう♪と思ったのもつかの間、これがけっこうクセものでした(あくまでも個人の感想ですが...)。道はほぼ直線で迷うことはありませんが、この2種類の平...高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その3。パンジー・なでしこ・はぼたん。さきたま緑道。武蔵水路(「元荒川」をゆく。第6日目。)

  • 高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その2。フラワー通り。ハウスが並ぶ・花卉栽培農家。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

    「フラワー通り」。「元荒川」の1本西側にある通り。「花卉栽培農家」も以前より減ってしまったようです。通りの西側は工業団地造成中。通りの脇にも花が咲いています。元荒川に近づいてみます。「国道17号線・元荒川橋」。対岸は、「行田市」。大きな農家。野菜類が植えてあります。ハウスの中からポツンと外を眺めていた老人と立ち話。「この辺りも、昔に比べてずいぶん少なくなっちゃたね。今は4軒しかなくなっちゃって。この通りにはずらりあったんだがね。」しばらくよもやま話を。通りの向こうにもハウスが並ぶ。忙しく立ち働く従業員たち。記念碑?「フラワー通り」から右折し、「元荒川」と「武蔵水路」との交差地点(「伏越」)へ向かいます。高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その2。フラワー通り。ハウスが並ぶ・花卉栽培農家。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

  • 立冬。11月7日(木)。東京地方・本格的な冬の訪れはいつ? 木枯らし1号。山茶花(さざんか)。水仙。お茶の花。七五三。

    以下の写真は、昨日・今日の様子ではありません。せめて写真で冬入りを感じさせましょうか。隅田公園にて。※墨田区側の「隅田公園」は、改修工事のため、立入禁止区域がある。こんなふうに色づくのはいつになることでしょうか?今日は「立冬」。「霜降」から数えて15日目頃。※ちなみに立冬の11月7日は、語呂合わせで「11(いい)7(な)べ=いい鍋の日」に制定されています。明日は、「11(いい)8(歯)の日」。また、ボジョレーヌーボー解禁日は毎年11月の第三木曜日と決められており、2024年は11月21日。立冬とは、冬の始まりのこと。立春(りっしゅん)、立夏(りっか)、立秋(りっしゅう)、立冬は、春夏秋冬の最初となります。この4つの日を「四立(しりゅう)」といいます。その四立の前日が「節分」。季節を分けるという意味。朝夕冷...立冬。11月7日(木)。東京地方・本格的な冬の訪れはいつ?木枯らし1号。山茶花(さざんか)。水仙。お茶の花。七五三。

  • 高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その1。安養寺堰。花栽培の温室・花卉栽培農家。電柱を二本渡した橋。渋井橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

    「三夜橋」バス停で下車。その先の元荒川・「三谷橋」から再開。10月26日(土)。曇り。りんご?すぐ上流に「安養寺堰」。安養寺堰は、ここから130m下流にあった宮地堰の老朽化に伴い、平成16年に完成した比較的新しい堰です。昔の宮地堰は安養寺堰の完成後取り壊されましたが、新編武蔵風土記稿(文政年間:1830年頃編纂)によると、宮地堰が建設されたのは慶長年間(1596~1614)深井景吉によるものとされています。深井景吉は、岩付城落城に伴い鴻巣、北本に落ち延びた、いわゆる鴻巣七騎の一人で、当初は今の北本市深井に居を構えていましたが、その後、徳川家康から与えられた現在の鴻巣市宮地に移住しました。そして、深井景吉は宮地堰を造り300町歩(3km2)の土地を開墾するなど、この地一体に多くの田畑を開墾しました。安養寺堰...高崎線「鴻巣駅」~「吹上(ふきあげ)駅」。その1。安養寺堰。花栽培の温室・花卉栽培農家。電柱を二本渡した橋。渋井橋。(「元荒川」をゆく。第6日目。)

  • 高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その5。三谷橋・三夜橋。旧中山道・鴻巣宿。鴻神社・こうのとり。文化の日・晴れの特異日。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

    「三谷橋」から下流を望む。※「三谷橋」という標示と「三夜橋」(バス停)とあります。別々の橋の名でしょうか?「三谷橋」という銘板。今回の出発地でも、「五丁台」(バス停)と少し離れたところに「五町台」という地名がありました。鴻巣の三大名物。①「びっくりひな祭り」(HPより)「鴻巣」は江戸時代から受け継がれているひな人形のふるさと。関東三大ひな市(鴻巣、岩槻、江戸日本橋十軒店)の一つに数えられ、特に着物に着付けでは関東一と評判だった、とか。江戸から明治の「鴻巣雛」には鳳凰の刺繍が施され、女雛の手を出さないものが多いようです。着物の生地は京都西陣から買い付けいていました。明治になると「県内では越谷6軒、大沢3軒、岩槻3軒、に比べて、鴻巣の人形業者31軒、職人300人」という記録があるほどの活況ぶりでした。②「川幅...高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その5。三谷橋・三夜橋。旧中山道・鴻巣宿。鴻神社・こうのとり。文化の日・晴れの特異日。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

  • 高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その4。新幹線と元荒川。郷地橋。埼玉県運転免許センター。三谷橋。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

    新幹線の高架橋。下流(西側)を望む。新幹線の橋梁から右手に。県道に出ると、正面に古びた建物が。倉庫?一つ手前の橋から上流を望む。「郷地橋」。新幹線高架下を流れてくる。振り返る。対岸遠くに「埼玉県警察運転免許センター技能試験場」。対岸は、「運転免許センター」。土手の道をのんびりと進みます。鮮やかな朱色のカラスウリ。これは「槙(まき)・イヌマキ」?小さい赤い花が流れ沿いに。左からは、上流の「三ツ木堰」で取水した農業用水の排水、余水。左に見えるのは「三谷橋」。橋のたもとはポケットパークになっています。右:「鴻巣市ふるさと総合緑道」案内図、左:「歩いて地域再発見歩鴻(行)マップ」。今回は、ここまで。JR高崎線・鴻巣駅に向かいます。高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その4。新幹線と元荒川。郷地橋。埼玉県運転免許センター。三谷橋。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

  • 高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その3。上谷総合公園。中斉橋。ふるさと総合緑道。竹林公園。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

    畑が広がります。対岸は、「上谷総合公園サッカー場」。その先には、「テニスコート」。真夏とは違い、晴天の下、歩きやすい。大空を悠々と飛ぶ。「中斉橋」を渡り、対岸へ。正面には、広大な「上谷総合公園」。鴻巣市の南東に位置する『上谷総合公園』内に設置されたスポーツ施設です。野球場の「フラワースタジアム」を主施設とし、人工芝テニスコート10面・人工芝サッカー場1面、多目的グラウンドを配置し、夜間照明設備も整備されています。スポーツ振興を目的として設置された公の施設で、スポーツ及びレクリェーションの場を提供し、健康で明るい市民の育成を図っています。(「スポーツナビサイタマ」HPより)下流方向。上流方向。「ふるさと総合緑道」案内図。「フラワースタジアム」。ここで、小休止。「ふるさと総合緑道」を歩いて、上流へ向かいます。...高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その3。上谷総合公園。中斉橋。ふるさと総合緑道。竹林公園。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

  • 高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その2。流路の今昔・蛇行した跡。鴻巣市常光・久喜市菖蒲。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

    上流方向。左岸土手の道を歩きます。右手にはかつての流路跡が残っています。※流路に沿って村境が設定されています(現在の鴻巣市と久喜市にあたる)。この付近の今昔。(1880年代)(現在)右手に広がる、かつての流路跡。叢になっているところと道路になっているところがあります。現在の元荒川の流れ。航空写真では、蛇行する旧流路がはっきりしている。正面に立派なお屋敷。このおうちは、鴻巣市常光。草刈りの終えた土手を歩くことに。ここは、久喜市。左岸が久喜市、右岸が鴻巣市。カラスウリ。左手から鴻巣東部都市下水路。右岸方向。田畑が広がっている。来た道を振り返る。右が鴻巣市常光、左が久喜市菖蒲。前方に草刈り作業中の軽トラ。「次の橋のところまで、草を刈ってありますよ」。まだ土手を先まで進めるので、一安心。振り返って望む。右手に田園...高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その2。流路の今昔・蛇行した跡。鴻巣市常光・久喜市菖蒲。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

  • 高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

    今回は、「桶川駅」から朝日バスに乗って「五丁台」まで。そこから元荒川を遡ります。「五丁台」バス停。「新幹線」高架線の手前から「幸手市」の標示。「五丁台橋」。秋も深まる10月20日(日)晴れ。元荒川下流方向。正面に見えるのは、「圏央道」。上流方向。この先、新幹線と何度か交差します。土手沿いに歩くことが出来ないので、新幹線沿いに迂回します。本郷水管橋。頭上をけっこう行き来する新幹線。新幹線と川との間は耕作地になっています。再び新幹線と交差。この先も土手歩きは出来ず、集落に通じる道を進むことに。上流方向。田園風景が広がります。右手に元荒川の流れ。振り返る。道路が交差する地点に何やら標識のようなものが。?この付近から鴻巣市常光入り。元荒川の対岸は、久喜市菖蒲。来た道を振り返る。鴻巣市と久喜市の境にある橋から。下流...高崎線「桶川駅」~「鴻巣駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第5日目。)

  • 「向島百花園」その2。芝金顕彰碑。鶴久子歌碑。たむけやま。はぜのき。ジンジャー。りんどう。とらのおすずかけ。 きせわた。

    芝金顕彰碑。ほととぎす今一声のきかまほし月はさゆれど姿を見せずエエぢれったい何としようしんきくさいじゃないかいな百花園には、庭づくりに協力した文人墨客たちの足跡が、石碑に残されています。芭蕉の句碑を含め、合計29基の石碑が点在し、そのうち14基は句碑で、俳句が読まれています。その他は、歌碑、仏画碑、記念碑、追善碑などです。鶴久子歌碑。空蝉の世のうきことはきこえこぬいわおの中も秋風のふく他にもたくさんあり、このブログでもたびたび紹介しています。竹並木にも句碑などが。竹叢。さて、萩のトンネル。園内の萩は、もう散ってしまっている。たむけやま。季節によって色合いが異なります。その向こうに、スカイツリー。ぴらかんさ。はぜのき。実から取れる油は、古くから和ろうそくの原料として使われてきた木です。美しく紅葉する木として...「向島百花園」その2。芝金顕彰碑。鶴久子歌碑。たむけやま。はぜのき。ジンジャー。りんどう。とらのおすずかけ。きせわた。

  • 「向島百花園」その1。我が庭のごとき。秋の気配が濃厚。へびうり。ひょうたん。みつばあけび。ざくろ。そして、芙蓉。

    一段と寒くなった、今日この頃。北の地方からは雪の便りや紅葉のようすが伝えられてきます。軽井沢では、0度を記録したとか。近所の、その軽井沢に別荘を持つ方が出かけられました。さぞかし素晴らしい紅葉に包まれ、過ごされることでしょう。そんな別天地に出かけられない小生。今や我が家の庭と化した「向島百花園」に、ささやかな秋を求めに行きます。10月19日(土)午後。晴れ。へびうり。面白い奇妙な姿かたち・色あい。なたまめ。たしかに大きい。それぞれりっぱな実をつけています。みつばあけび。ざくろ。くずの実(豆)。盛りを過ぎた「おみなえし」にたくさんのアゲハチョウが。艶やかな花が咲いています。ふよう(芙蓉)。白やピンクの大柄の花。開花時期は、8/1~10/5頃。ピンク色の大型の花。枯れたあとの姿も印象的(”枯れ芙蓉”)。昔から...「向島百花園」その1。我が庭のごとき。秋の気配が濃厚。へびうり。ひょうたん。みつばあけび。ざくろ。そして、芙蓉。

  • 宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その5。綾瀬川源流付近。横手堤。朝日バス「五丁台」バス停。附:桶川宿。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

    「東北新幹線」。農地が広がります。「桶川市環境センター」。新幹線高架下。綾瀬川。横手堤(左手)。横手堤:赤堀川の水除堤と綾瀬川への導流堤を兼ねた旧堤防。横手堤を挟んで2本の農業排水路が流れていて、北側の排水路は赤堀川へ落ちる。南側の中堀は綾瀬川の源流となっている。赤堀川。北東側に広がる田畑。新幹線高架脇を進みます。遠くに「圏央道」。新幹線と交差する「圏央道」。桶川市マンホール。市章と紅花のデザインの側溝の蓋。「べに花の郷桶川市」。朝日バス「五丁台」バス停で乗車。桶川駅まで戻ってきました。「桶川」は「中山道」の宿場町。中山道は、板橋宿から下諏訪宿まで歩きました。その先は、まだ。中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸・日本橋から数えて6番目の宿場。現在の埼玉県桶川市にあたる。「桶川」の地名の由来について...宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その5。綾瀬川源流付近。横手堤。朝日バス「五丁台」バス停。附:桶川宿。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

  • 霜降。10月23日(水)。初時雨。紅葉。イチョウ。霜降り。

    隅田公園にて。ただし、11月下旬のころ。10月下旬では、紅葉にはまだまだ早い時期。ところで、今日は、二十四節気のうちの「霜降」。朝晩の冷え込みがさらに増し、北国や山里では霜が降りはじめるころ。露が霜に変わり、だんだんと冬が近づいてくる時期。21日の東京地方。すっかり冷え切り、厚手のシャツを着込むことに。たしかに朝晩は涼しさを感じるし、陽の沈むのも一段と早くなった印象。5時過ぎでは暗くなり、自転車のライトを点けないと、あぶない。それでも、向島百花園などではイチョウの木もモミジも、まだまだ色づかない。昨日からはしばらく気温は、高め。でも、雨模様、と。寒暖差、晴れ、雨と変化が激しい今日この頃。自然の営みは、暦の上の「二十四節気」の季節感・自然観とはずいぶんずれてきているようです。暦の上で「霜降」とは、朝晩の冷え...霜降。10月23日(水)。初時雨。紅葉。イチョウ。霜降り。

  • 宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その4。赤堀川・備前堤。「綾瀬川起点」碑。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

    途中、地元の方の軽トラで送ってもらい、「元荒川」沿いの農地を歩かないですみました。さて、「桶川市環境センター」のところで降ろしてもらい、そこから再び歩き始めます。「赤堀川」。右は、「桶川市環境センター」。赤堀川北本総合公園南東の北本市朝日地区と、鴻巣市常光地区との境界付近の田園地帯に源を発する。ゆるやかに蛇行しながら概ね南東方向に流れ、高野戸川等の支流を合流しながら次第に流量を増す。桶川市環境センター(ゴミ処理場)の脇、備前堤と直角にぶつかった所で備前堤に沿って北に不自然に曲がり、約300m下流で元荒川の右岸に合流する。なお、備前堤を挟んだ反対側に綾瀬川の起点がある。起点から合流点まで、全域で元荒川の右岸側にほぼ平行して流れている。主に水田の排水路として機能していて、周囲は上流域は工業団地、下流域は主に農...宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その4。赤堀川・備前堤。「綾瀬川起点」碑。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

  • 宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その3.「常福寺橋」・「高虫橋」。「野通川」。ソバ畑。工事中の道・今回も軽トラに乗せてもらう。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

    「常福寺橋」を渡り対岸へ。「常福寺橋」(下流より)元荒川(下流方向)。対岸。元荒川の下を潜り抜けた見沼代用水が南東に向かっていきます。元荒川右岸の土手を歩きます。右から「野通川」が合流。野通川はかつて周辺に存在した小針沼を始めとした、沼地の干拓排水路として開発されてきた。現在の流路は元荒川支派川改修事業が実施された大正末期から昭和初期にかけてのものである。その後鴻巣市、加須市と元荒川と見沼代用水に挟まれた低地を南東と流れ、白岡市柴山・蓮田市高虫付近で元荒川左岸に合流する。流域は主に農地として利用されているほか、川里工業団地といった工業団地やゴルフ場が存在する。左手に広がる田畑。「高虫橋」。この先、土手伝いは歩きにくいので、左の道路を進みます。ソバ畑が広がる。「日本アニマルパートナーシップ協会」の建物を右折...宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その3.「常福寺橋」・「高虫橋」。「野通川」。ソバ畑。工事中の道・今回も軽トラに乗せてもらう。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

  • 宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その2。見沼代用水。柴山伏越。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

    道に迷いましたが、「柴山伏越(ふせこし)」にようやく近づきます。左に「柴山伏越」。正面には「常福寺」。「柴山伏越」。元荒川と見沼代用水の交差地点で、元荒川の川底を見沼代用水が抜け出る構造になっています。これは、流体を低い所に落とし、元の高さまで押し上げる連通管の理論を応用したものです。この伏越は、享保12年(1727)に井沢弥惣兵衛為永によって「紀州流」という土木技術でおこなわれました。当初、伏越地点では伏越と掛渡井(元荒川の上を樋によって通水する)がおこなわれ、舟運にも利用されていました。令和元年、見沼代用水は「世界かんがい施設遺産」に選ばれました。(「白岡市観光協会」HPより)見沼代用水(みぬまだいようすい)は、埼玉県にある灌漑農業用水。江戸時代の1728年(享保13年)に幕府の役人であった井沢弥惣兵...宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その2。見沼代用水。柴山伏越。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

  • 宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その1。朝日バス「根金橋」バス停。「隼人堀川」。「柴山沼」。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

    気温も少し落ち着いてきたので、「元荒川」歩きを再開します。10月14日(スポーツの日)。晴れ。「蓮田駅」から朝日バスで「根金橋」まで。前回、中断したところから歩きます。左岸の土手を歩く予定でしたが、草がかなり生い茂って、歩くのが難しい状態。右岸もこんな状況。「根金橋」。そこで迂回し、「柴山沼」の方へ向かいます。「隼人堀(はやとほり)川」。白岡市柴山を管理起点とし、宮代町を流れ、春日部市で古利根川に合流する1級河川である。隼人堀川は、見沼代用水路の完成とともに周辺地域の灌漑用水が確保され栢間沼を干拓するにあたり、溜水を排水するために掘られたものである。この川の呼び方は、以前は庄兵衛堀川合流地点から下流を隼人堀川と呼び、上流部分は栢間堀と呼んでいた。今では河川行政上は全川を通して隼人堀川と表示されている。隼人...宇都宮線「蓮田駅」~「桶川駅」。その1。朝日バス「根金橋」バス停。「隼人堀川」。「柴山沼」。(「元荒川」をゆく。第4日目。)

  • 不可解な公明党の姿勢。しかし、何の疑問も持たず、ひたすら当選のために活動。不思議な組織・創価学会。

    今回の総選挙。石破さんの乾坤一擲の初陣・大勝負!さて、どうなることやら。ところで、今回は、とりわけ公明党の党利党略・打算が目に付く。「裏金問題」で非公認となった候補者へ推薦を決定。地元の要望だといろいろいいわけがましいことを言っているが、無所属には学会の票を差し出すから、比例区には「公明党」へ。また、公明党が出馬する「小選挙区」の票を是非とも、と。新委員長のところと大阪。まるで、「公明(正大)」と裏腹の姿勢。と思っていたら、小泉郵政民営化解散のときも同じような事が。20年前とまったく変わらない、選挙「勝利」至上主義組織のあわれさよ。題して「公明党=創価学会というろくでもない存在」。再掲します。《2005年8月13日》。政治の世界に限らず、人と人とのつながり。昨日の友は今日の敵。敵の敵は味方。・・・よくある...不可解な公明党の姿勢。しかし、何の疑問も持たず、ひたすら当選のために活動。不思議な組織・創価学会。

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