写真はホントとウソの間を行ったり来たりするところが面白かったのです。でも、今はウソのほうへ行ったままになってしまったのではないでしょうか。もしウソであっても自分が気に入っていて好きならそれは自分にとってはホントなのです。もう、人は写真のホントを信じなくなりつつあります。写真にとって悲しい時代の到来です。...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
気のせいだと思うのですが世の中、過度の清潔さに向かっている感じがします。不潔でいいとは思いませんが、健康を害しない少しぐらいの雑菌みたいなものも必要な気がするのです。そうでないと、人間、ドンドン、か弱になってゆくのではないでしょうか。今の写真の世界のデジタルという名の親はカメラマンという子供を甘やかし過ぎるところがあるのではないでしょうか。まあ,甘、甘のカメ爺が言うのも何なのですが。...
街なかで写真を撮っているのはジャマなのは当たり前なのです。だから、できるだけサッサと撮ってその場を離れるようにしているのです。街なかで写真を撮るのが迷惑なのは当たり前なのです。だから、写真を撮っている悪いヤツと思われても仕方ないと思っています。街なかで写真を撮っている変な人だと思われるのも当たり前なのです。そこいるほぼ全員が、写真など撮っていないのですからキモイカメ爺でいるしかありません。ゴメンナ...
いよいよ梅雨かな、それなら梅雨入り前に少し撮影したいと出かけた今月初め。それからすぐに梅雨入りしたので梅雨の晴れ間を狙って一駅先の商店街へ出かけたのが今月の半ば。さらにさらに、短時間なら午前中ならといつもの公園に出かけたのが今月の後半。えっ!?梅雨明けが発表されたのが今月の終わり間近。忙しい6月でしたが今年も折り返し地点が見えてきました。...
梅雨が明けました。まだ6月ですが・・・。昨日の記事でプロセスをプロセンスと書いてしまいました。センスが悪いですね。書くことも思い浮かばないのでがないので冷や汗でもかきたいと思います。...
楽しいというのは結果ではなくそのプロセンスの中にあるんですね。一段落してホッとした時に「ああ、楽しかった」と振り返るのです。楽しい最中に、そのつど今、自分は楽しいのだろうかなどとやっている暇はないのですから。写真もデジタルになってものすごい結果にも最短でたどりつけます。最短ということは楽しい時間が少なくなることです。ものすごい結果にこれから楽しめばいいのかもしれませんがちょっと写真の楽しみ方とは違...
繋がることがよく言われる時代です。コミュニケーションの目指すところですね。繋がるためには共有する部分が必要です。バラバラに離れていてはコミュニケーションは成り立ちません。共有する部分があることは自分が勝手に動き回れないことを意味します。自分勝手に自由に振舞ってはそれこそ相手を振り回すことになるからです。繋がることは自分と相手が目に見えないチェーンで結ばれることなんですね。チェーンは不自由を連想しま...
小さいころの真夏というのは7月半ばから8月半ばころだったと思います。でも今は6月に、いきなり真夏がやって来るようになりました。もう小さいころのような夏はやって来ないのでしょうか。自然のサイクルというものがあるとしたら上がったら下がる時が来ると思いたいのですが。ーまだまだ暑くなるに決まっているでしょ!まだその時ではないのかもしれませんね。でも・・・「もうはまだなり、まだはもうなり」・・・そんな言葉があ...
スマホでも写真を撮れます。いいえ、今はスマホのほうが多いかもしれません。それも圧倒的に。でも気になっていることがあります。個人的には写真を撮った気分になりにくいことです。タッチシャッターは苦手です。それと縦位置写真が多くなることです。縦位置で写真を撮っていると世界が狭く窮屈になって行く気がします。マスクをしていると目だけ出して上下の隙間から世界を見ている気分になりますから今の時代に合っているのかも...
撮影しました。...
作品を作るというのは変な言い方に感じます。写真も写すと言いますよね。写真は撮ると言ったほうがいい気がします。暑さのせいでしょうかどうでもいいことしか浮かばない週末です。...
写真を撮ることをシューティングということもあります。ネットを見ていると獲物を探し回るのが写真の面白さみたいなことを書いていました。自分の前世はハンターだったのでは?とも。写真を撮ることをコレクションという人もいます。好きなモノを集めるのが楽しいと。なるほどと分かるのですが、少しばかり、写真は危険な趣味なのかもと思ったりもするのでした。...
写真をやっていると気になることがあります。感動できる人=感性の豊かな人なの?です。それについて、時々見かけるお決まりのフレーズもあります。「感動のハードルを下げましょう」です。感動のハードルを下げるって何?と思うのです。ささいなことにもビックリしましょうと言うことでしょうか。まるで、小さな幸せを見つけようと言われているみたいです。今も金次郎さんの時代が続いているのでしょうか。そういえば歩きスマホの...
写真は現実を写すと言われています。思われています。真実=現実を写すのが写真だと。たしかに客観的には現実は一つです。そうでなければこの世界は大混乱に陥ります。お互いの言っていることが全く分からないのですから、コミュニケーションが成り立ちません。でも大丈夫。客観的な現実は存在するからです。つまり暗黙の了解としての現実ですね。これはAというカメラの機種というのは誰が見てもAカメラです。もしBカメラという人...
夏になったと思ったらいきなり猛暑です。もうしょっとゆっくりでもよかったのに。たしか「梅雨寒」という言葉があったと思うのですが今年は見かけない梅雨になるのでしょうか。カメラは雨などの水分も苦手ですが熱も苦手ですよね。昔は屋外での日射病と言っていましたが今ではどこでも熱中症の時代になりました。梅雨の水のシャワー、いきなりの真夏の暑さ・・・写真を撮るには、カメラにはちょっと危険な夏です。...
写真と野球は違いますが、野球が好きなのであくまでイメージとして野球に例えて書きたいと思います。ピッチャーが投げるボールが被写体、自分の使っているカメラがバットです。ピッチャーが投げるボールは多種多様なのが写真の面白いところなんですね。その中で自分の打ち易そうなボールは好きな被写体と言えます。実際、ヒットになりやすいです。ただ、ここで言うヒットは自分で見てであって、誰かの客観的な評価とは別と考えます...
観光地などに出かけて綺麗な景色を前にしてカメラでひたすらにパチパチ撮っていることってありますよね。せっかく、遠出してやってきたのに、それではその風景に浸れないのではと、思っていました。いいえ、今でも一応はそう思います。ただ、少し考え方が変わってきました。風景以外でも、例えば音楽で言えばロックのライブでの撮影です。ライブの撮影の経験はないのですが、やはりカメラを持って撮影しているとロックの音楽そのも...
写真でいう感想とは予め決められたマークをポチすることでもなく☆の数を選ぶことでもないのではないでしょうか。なぜそのマークをポチしたか、なぜその数を選んだか目に見えるカタチで自分の言葉にすることだと思うのです。それを誰かに見せるためではなくても、それを誰かに伝えるためでなくても・・・ですね。ポチしただけ、選んだだけでもいいのかもしれませんが自分が意識化できるかが大切なのではないでしょうか。ただの好き...
行ってきました。...
「文句ある?」と言われた時、3つの反応が思い浮かびます。一つ目は「いいえ、納得で、何も言うことありません」です。二つ目は「はい、自分はこう思います」です。そして三つめが「何となく違和感があるけれど、今の自分には言葉に出来ない」です。議論のための議論では水の掛け合いになるので夏などにはいいにしても、一年中というわけにはいきません。やはり、お互いの実感からの議論が必要ではないでしょうか。写真でもいろい...
写真ではよく「思いを伝える」と言われています。ではこの「思い」とは何を指すのでしょうか?大きくは次の2つに分けられると思います。①「思い」は「感情」のことです。コミュニケーションを重視します。コミュニケーションの対象はふつうは身の回りの人たちですがSNSなどを通じて不特定多数の人たちのことも多くなりました。時には自分のこともあります。思い出の瞬間の感情をより鮮明に自分に伝えてくれるからです。言葉はその...
20代に突入したころ、写真を始めました。それから半世紀以上経ったのですが、飽き性の自分がよく続けられたなと思っています。そんな私ですが、30代の半ばごろに突然、「モノクロはもう辞めた」とカラーに切り替えました。そんな日々を、年齢的に無理して首筋を傷めない程度に振り返ってみると20代、30代にも自分なりに「いい写真」は撮れていたと思います。あくまで自分基準の「いい写真」ですが「あの頃のほうが、いい写真を撮れ...
写真史としての名作は一定の評価はされているのですが今、有名な写真家にしても登場当初というのでしょうか初めて作品として写真を発表した時には酷評された人もいたのです。写真の世界の価値観みたいなものは時代とともに変わってゆきます。写真の世界に吹く、世間の風は気まぐれなのです。その時代の気分次第で、ヨイショされたり、ブーイングされたり・・・世間というのは怪物みたいなものではないでしょうか。...
自分の「好き」を撮りましょうと言われています。でも、自分の「好き」に疑問を投げかけるのが写真だと思うのです。自分の「好き」にケチをつけることではなくもう一度見直すということなんですね。「好き」と思い込んでいるだけかもとか「好き」と思い込まされているだけかもとか。まあ、いちいちそんなことをやっていたら疲れますからたまにでいいと思いますし、あえてやらなくてもいいとは思いますが・・・。...
写真が難しいのは立体を平面として見ることに慣れていないことも理由の一つだと思います。写真を撮ることには今の時代、スマホなどで小さいころから当たり前に行っているので「写真なんてチョー簡単!」と思ってしまうのですね。フィルムカメラの時代ですら、他のアートから「写真なんてカメラが撮ってくれるんだからいいよね」なんて思われていました。「写真なんて、ラ~ラ~ラ~♪」だったのです。でも、自分でカメラを本格的に...
行ってきました。...
通りすがりの○△□250312・濡れてもいい春雨について 8
写真をするのに才能は必要なのでしょうか。写真がアートだとしたら音楽や絵画のように才能が必要になって来ます。でも、あえて写真をアートだと思わなくてもいいと思うのです。たしかに、写真のセンスがいいなあと羨ましくなってくる人っていますよね。バズっている写真などを撮っている人たちが思い浮かびます。そうできるのは写真の才能があるからと言えるのですが、バズる写真だけが写真でないことは言わずもがなです。楽しみ方...
撮影しました。...
「暗黙の了解」というのがあります。わざわざ断らなくても通じることですよね。でも、今はそうではなくなってきました。「個人の感想です」ーふつう感想を述べるのは個人だと思うのですが。「CM上の演出です」ーこんなのマネする人がいるの?そして・・・「写真はイメージです」ー写真=実物なんてありえないのに。なんだかメンドクセー世の中になったものですね。...
写真に写っているからホントだろうから写真に写っているからウソかもしれないへ写真にとって激動の時代になったなあと昭和カメ爺はシミジミト思いながらシジミの味噌汁をすするのです。...
昔、正確には大昔、テレビドラマの主題歌に「七つの顔のおじさんのホントの顔はどれでしょう?♪」という歌詞がありました。今考えると、それは七つの顔のどれもホントの顔でもあり、ウソの顔でもあり、ホントかウソかはどちらでもいいことのように聞こえます。それぞれの顔で難題をカッコよく解決して、視聴者をスッキリした気分にしてくれればよかったのですから。まあ、ドラマがどんな内容だったのかは忘却の彼方なのですが、懐...
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写真はホントとウソの間を行ったり来たりするところが面白かったのです。でも、今はウソのほうへ行ったままになってしまったのではないでしょうか。もしウソであっても自分が気に入っていて好きならそれは自分にとってはホントなのです。もう、人は写真のホントを信じなくなりつつあります。写真にとって悲しい時代の到来です。...
次々と新しい言葉が登場します。カメ爺には付いてゆくのが大変です。まあ、付いてゆく気はないのですが。写真の世界でも「エモイ」などと言われています。写真の世界は「エモイ」で埋め尽くされました。「エモイ」で満腹状態なのです。「えっ、もういい」ではないでしょうか。「エモイ」に退場してもらう時が近づいています。そうなれば写真の世界もスッキリしそうです。えっ?その前にカメ爺の退場が先かもしれませんが。でも、し...
昭和カメ爺丸出しなのですが横文字は苦手です。かと言って縦文字が得意でもないのですが。それに横文字だと難しい漢字を覚えなくてもいいですよね。問題は意味が分かりにくいことです。その守備範囲が曖昧な気がします。「ディープな雰囲気が好きで撮りました」などと言われますと「あっ、あそこみたいなところがディープなんや」と思ったりする、チープなカメ爺なのでした。...
暑いです。汗をかくしかありません。暑いというより、熱いです。異常です。カクことはイジョウです。...
人間、不快なことを無くそうとすることで進歩してきました。快原則というのでしょうか、気持ちいいことが大好きな生き物・・・それが人間ですよね。でも、行き過ぎるとつまらなくなる気もするのです。フカイを避け過ぎたためにユカイまで無くしてしまう・・・というのでしょうか。写真に写った自分の顔・・・ココが気に入らないから不快だと今は簡単な手続きで快適な顔づくりが出来ます。だけど、ツルッツルの肌はまるで無菌状態の...
思いっきり走ったらしんどいですよね。思いっきり考えるのもしんどいです。でも考えることのしんどさと言うのはあまり意識しないと思います。走ると体表に汗をかくので見えますが考えるのは頭の中で汗をかくので見えないのです。写真もブツブツ理屈を言わないでサッサとガンガン撮りましょうと言われています。たしかに撮る時はそうなのですが、写真も考える作業の時間がなければ撮影はただの反応になってしまう気がします。写真家...
毎日のように「危険な暑さです!熱中症に厳重注意!!」を連呼され続けると「熱中症注意連呼恐怖症」になりそうな気がしてきます。注意を喚起してもらうことはいいのですがお天気情報の時間で、ちょこっと触れてもらうだけで十分ではないでしょうか。そのせいではないのですが写真関係のSNSも、夏バテで元気がないようですね。他人事みたいに書いていますが私の場合は年中、写真エネルギーに不足しているのですが。まあ、特に夏は...
気のせいだと思うのですが世の中、過度の清潔さに向かっている感じがします。不潔でいいとは思いませんが、健康を害しない少しぐらいの雑菌みたいなものも必要な気がするのです。そうでないと、人間、ドンドン、か弱になってゆくのではないでしょうか。今の写真の世界のデジタルという名の親はカメラマンという子供を甘やかし過ぎるところがあるのではないでしょうか。まあ,甘、甘のカメ爺が言うのも何なのですが。...
街なかで写真を撮っているのはジャマなのは当たり前なのです。だから、できるだけサッサと撮ってその場を離れるようにしているのです。街なかで写真を撮るのが迷惑なのは当たり前なのです。だから、写真を撮っている悪いヤツと思われても仕方ないと思っています。街なかで写真を撮っている変な人だと思われるのも当たり前なのです。そこいるほぼ全員が、写真など撮っていないのですからキモイカメ爺でいるしかありません。ゴメンナ...
いよいよ梅雨かな、それなら梅雨入り前に少し撮影したいと出かけた今月初め。それからすぐに梅雨入りしたので梅雨の晴れ間を狙って一駅先の商店街へ出かけたのが今月の半ば。さらにさらに、短時間なら午前中ならといつもの公園に出かけたのが今月の後半。えっ!?梅雨明けが発表されたのが今月の終わり間近。忙しい6月でしたが今年も折り返し地点が見えてきました。...
梅雨が明けました。まだ6月ですが・・・。昨日の記事でプロセスをプロセンスと書いてしまいました。センスが悪いですね。書くことも思い浮かばないのでがないので冷や汗でもかきたいと思います。...
楽しいというのは結果ではなくそのプロセンスの中にあるんですね。一段落してホッとした時に「ああ、楽しかった」と振り返るのです。楽しい最中に、そのつど今、自分は楽しいのだろうかなどとやっている暇はないのですから。写真もデジタルになってものすごい結果にも最短でたどりつけます。最短ということは楽しい時間が少なくなることです。ものすごい結果にこれから楽しめばいいのかもしれませんがちょっと写真の楽しみ方とは違...
繋がることがよく言われる時代です。コミュニケーションの目指すところですね。繋がるためには共有する部分が必要です。バラバラに離れていてはコミュニケーションは成り立ちません。共有する部分があることは自分が勝手に動き回れないことを意味します。自分勝手に自由に振舞ってはそれこそ相手を振り回すことになるからです。繋がることは自分と相手が目に見えないチェーンで結ばれることなんですね。チェーンは不自由を連想しま...
小さいころの真夏というのは7月半ばから8月半ばころだったと思います。でも今は6月に、いきなり真夏がやって来るようになりました。もう小さいころのような夏はやって来ないのでしょうか。自然のサイクルというものがあるとしたら上がったら下がる時が来ると思いたいのですが。ーまだまだ暑くなるに決まっているでしょ!まだその時ではないのかもしれませんね。でも・・・「もうはまだなり、まだはもうなり」・・・そんな言葉があ...
スマホでも写真を撮れます。いいえ、今はスマホのほうが多いかもしれません。それも圧倒的に。でも気になっていることがあります。個人的には写真を撮った気分になりにくいことです。タッチシャッターは苦手です。それと縦位置写真が多くなることです。縦位置で写真を撮っていると世界が狭く窮屈になって行く気がします。マスクをしていると目だけ出して上下の隙間から世界を見ている気分になりますから今の時代に合っているのかも...
撮影しました。...
作品を作るというのは変な言い方に感じます。写真も写すと言いますよね。写真は撮ると言ったほうがいい気がします。暑さのせいでしょうかどうでもいいことしか浮かばない週末です。...
写真を撮ることをシューティングということもあります。ネットを見ていると獲物を探し回るのが写真の面白さみたいなことを書いていました。自分の前世はハンターだったのでは?とも。写真を撮ることをコレクションという人もいます。好きなモノを集めるのが楽しいと。なるほどと分かるのですが、少しばかり、写真は危険な趣味なのかもと思ったりもするのでした。...
写真をやっていると気になることがあります。感動できる人=感性の豊かな人なの?です。それについて、時々見かけるお決まりのフレーズもあります。「感動のハードルを下げましょう」です。感動のハードルを下げるって何?と思うのです。ささいなことにもビックリしましょうと言うことでしょうか。まるで、小さな幸せを見つけようと言われているみたいです。今も金次郎さんの時代が続いているのでしょうか。そういえば歩きスマホの...
写真は現実を写すと言われています。思われています。真実=現実を写すのが写真だと。たしかに客観的には現実は一つです。そうでなければこの世界は大混乱に陥ります。お互いの言っていることが全く分からないのですから、コミュニケーションが成り立ちません。でも大丈夫。客観的な現実は存在するからです。つまり暗黙の了解としての現実ですね。これはAというカメラの機種というのは誰が見てもAカメラです。もしBカメラという人...
どうして雑誌の表紙の人物はたいてい笑って写っているのでしょうか。まず、笑顔がいちばん好感度を与えるからだと思います。それと笑顔は人に安心感をもたらします。あなたとは敵ではないので争うつもりはありませんよ、ということです。でも、それを逆手に取って相手を油断させることもできますよね。笑顔は悩ましい、表情だと思います。さらにマスク顔は表情そのものが分からないので「マスクの下は笑顔です」という相手を信じる...
「頭ごなしに写真とはこういうもんだ!と、自分の考えを押し付けてくる、おじさんカメラマンって、嫌だよね?」と言っている人がいたとします。そしてそのあとで、そのカメラマンおじさんは「そうじゃなくて、オレは写真はこうあるべきだと思うんだっ!!」などと言ったりするのです。ん?...
じつは写真そのものに興味がある人はそれほどいないのではないでしょうか。写真はイラストや絵のように腕前みたいのものがなくても手軽に自分の思うように描けるアイテムなのだと思います。それで、写真でいろいろ出来れば写真を作ることにもあまり抵抗がないのだと思います。写真は撮る時代から作る時代になって久しいのですが最初のころにあった、ためらい感みたいなものは無くなってしまったのでしょうね。何しろ、AIに話しかけ...
撮影しました。途中、ひどい露出オーバーになっていることに気づきませんでした。もっと早く気付けばよかったのですが。私はあまり撮影ごとにモニターをチェックしないからですがまあ、これはこれでいいかなと思って投稿します。...
毎年、7月7日が近づくとなぜだかワクワクしてきます。じっとしていても何かいいことがやってきそうな気分がしてくるのです。「たなばた」を「たなぼた」と勘違いしているんですね。天の二人には失礼なカメ爺です。そんな私の撮る写真ですから「たなぼた写真」です。運任せで、楽して「いい写真」を撮りたいという、他力本願の虫のいい話です。でも、世の中はもちろん、写真の世界もそんなに甘くはないのでした。...
晴れの日は影の部分がつぶれたり光の当たったところが飛んだりしますよね。コントラストの強い、見た目はインパクトのある写真になります。曇りの日は光はフラットになるのですが見た目は少し大人しい感じのする写真になります。雨の日は、曇りの日よりはコントラストが付くようでメリハリが出るように思います。被写体の輪郭がハッキリしていいですね。それに、公園には人がほとんどいないのでとても撮りやすかったです。雨の日を...
いつもは雨の日の撮影は避けているのですが久しぶりに撮影したくなりました。予想で数時間は小雨の状態が続きそうなのでいつもの公園に出かけることにしました。左手に軽量の折り畳み傘、右手にカメラを握っての撮影です。その体勢で何とか撮影を続けることが出来ました。あとはいいカットが撮れていれば言うことがなかったのですが言うことはいっぱいあったのでした。...
世の中、「たら・れば」があふれているように思います。写真も例外ではなく「たら・れば」が元気です。「もう少し早くシャッターを切っていたら」「あの時、いい光線状態であれば」・・・...
写真の投稿だけです。...
自分の好きを撮ることが写真だと思い込むとある時には承認欲求の悪い面、「私の好きを認めて!」に行ってしまいある時には自分の写真を好きという狭い世界に閉じ込めてしまうことになると思います。写真を撮ることは自分というフレームから出てゆく快感を味わうことです。カメラは、世界を写しているのですから。...
デジタル写真はある意味で清潔過ぎると思います。匂わないのです。カラー写真の現像の経験はないのですがモノクロ現像には氷酢酸を使うんですね。定着液も酸性です。それで、臨時の締め切ったお座敷暗室は酸っぱい匂いが充満していました。最初はクラクラしそうになりましたが、やがて慣れました。苦手な人もいたのではないでしょうか。デジタル写真は少し優等生過ぎるところがあってもしかしたら、か弱いところがあるのかもしれま...
構図、あるいは構図法についてはいろいろ言われていますが写真は平面の画像なので、必然的に「図を構える」になるんですね。面(カタチ)、色(白黒も)、濃淡などで出来た図=画像が写真です。構図というものを支えているのは「骨組み」です。カラーよりモノクロのほうがよく分かると思います。「いい写真」というのは「いい構図」というより「いい骨組み」で出来ているのではないかなと思っています。...
ネットで写真関連のSNSの投稿を見ていました。その中でカメラが壊れていたという人の記事がありました。どうやら撮影は出来ていたようです。シャッターは切れていてモニターに表示さていたので大丈夫と思っていたようです。ところが、SDカードにはデータが保存されていなかったためにガッカリした気持ちが書かれていました。大切なカットもあったようでデジタルカメラでもフィルムカメラの空巻き上げのような悲しいことも起こるん...
選挙の掲示板には立候補者のポスターが貼られるものだと思っていました。写真にはカメラの、レンズの前にあったモノやコトが写っているものだと思っていました。でも、今はそうではなくなってきたようです。もう何でもありの世の中になったんですね。年齢的に付いてゆくのはキツイので世の中には「どうぞお先に」と言いたい気分です。...
森山大道は神様でした。森山大道は崇拝の対象でした。森山大道はスターであり、憧れでもありました。森山大道みたいになりたかったのです。森山大道みたいになりたくて真似してみました。森山大道に成れませんでした。森山大道は一人でよかったのです。森山大道のダミーは要らなかったのです。森山大道は特別だったのでしょうか。森山大道は写真家として普通だったのです。森山大道は普通であることの難しさを教えてくれたのです。...
「考える」というのは動詞なんですね。だから疲れるのです。見えるものの動きは分かるのですがジッとしていても頭の中は大忙しなのです。写真について「考える」もじつは写真を撮るのと同じくらいエネルギーが要ります。写真について「考える」と写真を「撮る」は本質的には同じなのだと思います。写真について考えていることが写真に反映されます。写真を撮る時に考えていては遅いのです。かと言って予めイメージを完成させておく...
人間は記憶で出来ていると思います。その記憶を支える中心になるのはイメージであり、映像です。その映像と密接なのが写真なんですね。動画もありますが、印象に残っているのは静止した場面=写真ではないでしょうか。写真は表現以前に、思い出でありその人の一部として生きているのだと思います。写真は記憶と言われる理由ですね。...
覚悟はしていたのですが、ついに近畿地方も梅雨に入りました。雨の日こそカメラを持って出かけよう!というカメラマンさんもいます。雨の日の写真は情緒がありますよね。そんな写真を見るのは嫌いではないです。ただ、そのようなカメラマンさんと違って雨の日に写真を撮りに出かける勇気はないのです。私はカメラと運命共同体なので雨の日にカメラを持つと雨恐怖症を発症します。雨に強いカメラもありますが所持するカメラは強くあ...
「写真そのものの画像」と「写真まがいデジタル画像」は分けて考えたいと思っています。個人的には「写真まがいデジタル画像」は限りなく写真に近いイラストのように感じています。写真を使ったイラストというのでしょうか。ただ、いっぽうで「写真そのもの」をどう判断するか、定義するかが悩ましいです。「写真そのもの」と「写真まがいデジタル画像」の境目をどこにするかが、よく分からないからなのですね。今のところ、人によ...
写真は「光と影」ですが「光」と「影」ではないんですね。「光っているもの、光の当たっているもの」や「影という黒っぽいカタチになっているもの」を撮ることが、写真は「光と影」にはならないと思います。「光」と「影」を撮って、写真は「光と影」というのは少し、ストーレート過ぎる気がするのです。「光」の中に「影」を、「影」の中に「光」を見ようとするのが写真、というのはカッコつけ過ぎでしょうか。...