行ってきました。...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
撮るものがあると思うから撮れないのです。撮るべき被写体が見つからないと言って悩むのです撮るものなどないけど撮ればいいのではないでしょうか。撮るものがないから何を撮ってもいいのです。テーマ主義が写真をつまらなくしています。決定的瞬間なんてアダ花です。ドラマやストーリーは写真以外でもいいのです。撮るものがないから何を撮ってもいいのです。写真で日常を非日常にしなくてもいいのです。料理は食べたほうが料理は...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 7
昨日、久しぶりに撮影しました。道頓堀、お天気&暖かだったせいでしょうか人、いっぱいでした。でも、「ここ、にっぽん?」でしたね。これまで通り、サッサと通り過ぎたのでした。...
写真の投稿だけです。...
カラーは色が邪魔をするからと言われていますがモノクロは線や形が邪魔をする気がします。黒い、あるいは白い線や形が目立つのをモノクロで避けるのは難しい気がするのです。...
誰にでもわかりやすい言葉で説明されると何となく分かった気になりますよね。例えば、ネットで見かけた次のような言葉です。「いい写真は伝わる写真、伝わるってどういうことかっていうと、あとで撮ったときのこと、感情とかを思い出せること」。分かりましたか?要するに「いい写真=伝わる写真=思い出せる写真」ですよね。でも、伝わると思い出せるは違う気もするのです。伝えるのは普通、相手の人、他人ですよね。伝わるなら、...
写真は基本的には横位置で撮ったほうがいいと思います。そのほうが情報が一杯写ると思います。縦位置は隙間から覗いているように感じるので除き写真になりやすい気がします。...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 6
人を撮る時には適切な距離感を考えて撮りましょうというアドバイスがあるんですね。近すぎないようにということのようですが人によって違うのではないでしょうか。「適切な」という言葉自体があいまいな気がします。たいていの人はカメラを向けられると緊張するのですから数字的な距離は分からないと思います。...
寒いです。でもあと1週間で春です。確実に日差しの光量は増えています。今年は撮影にあまり出かけていませんがまあ、寒気の顔色をうかがいながら出かけたいと思っています。...
以前は憧れの写真家がたくさんいました。この人のような写真、撮りたいなあと目標にしました。でも、今、そのような人がいなくなってきています。まあ、自分は成れないというのが分かったこともあります。もっと早く気づけよ!です。その一方で、ガッカリすることも起こるようになりました。偉そうですが・・・。例えば、世界の森山大道です。森山さん、人気が出るにつれて「アレ?」でした。トイレの設計に参加したり、カレーのパ...
進歩というのは、実質的にはあるのだろうかと思います。良くなったところには目が行き喜んでいても必ずどこかで不都合が起こっているからです。写真もデジタルになったことを進歩と捉えることも出来ますがその反面、つまらなさも増した気がするのです。それを証明するのがフィルム人気ではないでしょうか。人は10歩進むと影は10歩下がるのだと思います。...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 5
記憶という、あいまいで、無責任で、独りよがりのものに人は振り回されているように思えます。なぜなら記憶は感情とセットですからありのままの記憶というのはないのではないでしょうか。その記憶を裏付けるものなんてもうこの世にはないのですから事実を証明することは出来ないんですね。唯一、写真はそう思われていますが写っているのはカメラの前にあった一瞬の平面画像です。撮った本人は記憶を再現してみることは出来るのです...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 7
いろいろ定義があるのですが「スナップ写真」とは「切羽詰まり写真」だと思っています。どこをボカすとか、どこにピントを合わせるか、構図は?とかアレコレ考える余裕がなく撮るのが「スナップ写真」です。実際は何かを考えているのですが感覚的には、サッサと撮ることだと思っています。...
写真の投稿だけです。...
言うまでもないことですが写真は視覚の表現です。今は視覚が過度に目立つようになりました。音楽にしろ、グルメにしろ視覚も重視されています。それでも、人間は五感の生き物であり視覚を支えているのは触覚だということを忘れたくないと思います。...
写真でポイントになるのは写らなかったコトやモノなんですね。正確には写せなかったコトやモノです。写ったコトやモノはそれほど取り上げることではないのかもしれません。あくまで写真というイメージなのですから。あくまで写真上の演出なのですから。...
写真で1カット、1カット、すべてが傑作でなくてもいいと思っています。サビばかり続く曲って、疲れますよね。...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 5
写真の投稿だけです。...
不便さの中にも豊かさがあります。便利さの中にも貧しさがあります。写真を取り巻く諸々がそのことをよく分からせてくれていると思います。...
写真の面白いところは見せようとすると、相手には見えにくくなってしまい見せまいとすると相手に見透かされてしまうところです。伝えたいと工夫し過ぎると伝える内容よりも、ウケたいという本心が見え見えになってしまうように思います。「秘すれば花」とカッコつけてもその花は枯れていたり、造花だったりということはないでしょうか。...
エモさとノスタルジーは、よくいっしょに語られます。ノスタルジーは過去に結びつけられもう今の日常の中では取り戻せないという希少感がココロを揺さぶらせるのです。過去には時間という重みがあり進行形の今、現在は薄っぺらく感じさせます。デジタルがいくら威張ってもフィルムの持つ歴史の重さには叶いません。デジタルはどれだけ豪勢でも軽すぎるのです。...
「一を聞いて十を知る」という言葉があります。察しがいい人に対して使ったりしますよね。ところで写真です。一枚の写真から十を知ることは出来るのでしょうか。よく写真はストーリーだと言われるのは見た人が自分の見たいようにその人なりの九を加えて見ているのだと思います。一枚の写真にストーリーを読み取ろうとするのはほとんど無理だと考えたほうが写真は面白くなる気がします。ストーリーは動画のほうが合っているのではな...
写真にとってもタイトルは大切だと思っています。言葉の使い方ですね。ネットのニュースなどにもタイトルが付きますがけっこうオーバーな気がすることがよくあります。目立たないとダメなのはよく分かるのですが、写真にもオーバーなのがあるのでしょうか。...
無邪気な子供が撮ったから受け狙いの下心なしに撮ったからつまり邪心がない人が撮ったなら「いい写真」になるのでしょうか。そんなことはないと思います。「じゃしん」から濁りを取ったら「しゃしん」になるという駄洒落では「写真」は寒がるだけではないでしょうか。...
写真の世界はどんどん息苦しくなって行くと思います。写真の世界はどんどん落ち着かなくなって行くと思います。写真の世界はどんどん窮屈になって行くと思います。それから・・・写真の世界はどんどん清潔過ぎるになって行くと思います。写真の世界はどんどん乾燥して行くと思います。そして・・・写真の世界はどんどん静けさが充満して行くと思います。やがて・・・写真の世界はどんどん「人間」がいなくなって行くと思います。シ...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 4
デジタル技術は人を落ち着きのない生き物にした気がします。写真も撮影したらスグに確認したくなりますよね。そして気にいらないとアッサリ削除するのです。フィルム時代は現像の仕上がりを短くても4,50分は待つ余裕があったのですが。調べたいことも、AIに尋ねたらすぐに的確と思える答えが返ってきます。頼りない人に聞いたら「え、えっと~。」なんて時間が無駄に過ぎていきますから。写真も感想を言ってくれるんですね。そば...
コンデジになって日常的に写真を撮っている人が増えました。たしかにいつもカメラを持ち歩いているといい瞬間を撮り逃がすことがなくなりそうです。でもどうなのでしょう?私は持ち歩かないほうなので違うかもしれませんがむしろ持ち歩くほうが、スマホカメラを含めていい瞬間を見逃す確率が増えそうに思います。いつでも撮れるという油断がそうさせていないでしょうか。やはり、写真を撮るんだ!という意識が必要で常時持ち続ける...
環境に適応できなかったので滅んでいったのではなくそもそも環境に適応できるように出来ていなかったから滅んだのだと思います。フィルム写真が滅亡しないのは、あえてデジタル環境を必要とはせずそれが魅力だったからではないでしょうか。デジタル写真はデジタル環境がなくなれば滅亡しますがフィルム写真はデジタル以前から存在していたからデジタル環境に適応する必要はなかったので、しぶとく生きてゆくと思います。...
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行ってきました。...
「文句ある?」と言われた時、3つの反応が思い浮かびます。一つ目は「いいえ、納得で、何も言うことありません」です。二つ目は「はい、自分はこう思います」です。そして三つめが「何となく違和感があるけれど、今の自分には言葉に出来ない」です。議論のための議論では水の掛け合いになるので夏などにはいいにしても、一年中というわけにはいきません。やはり、お互いの実感からの議論が必要ではないでしょうか。写真でもいろい...
写真ではよく「思いを伝える」と言われています。ではこの「思い」とは何を指すのでしょうか?大きくは次の2つに分けられると思います。①「思い」は「感情」のことです。コミュニケーションを重視します。コミュニケーションの対象はふつうは身の回りの人たちですがSNSなどを通じて不特定多数の人たちのことも多くなりました。時には自分のこともあります。思い出の瞬間の感情をより鮮明に自分に伝えてくれるからです。言葉はその...
20代に突入したころ、写真を始めました。それから半世紀以上経ったのですが、飽き性の自分がよく続けられたなと思っています。そんな私ですが、30代の半ばごろに突然、「モノクロはもう辞めた」とカラーに切り替えました。そんな日々を、年齢的に無理して首筋を傷めない程度に振り返ってみると20代、30代にも自分なりに「いい写真」は撮れていたと思います。あくまで自分基準の「いい写真」ですが「あの頃のほうが、いい写真を撮れ...
写真史としての名作は一定の評価はされているのですが今、有名な写真家にしても登場当初というのでしょうか初めて作品として写真を発表した時には酷評された人もいたのです。写真の世界の価値観みたいなものは時代とともに変わってゆきます。写真の世界に吹く、世間の風は気まぐれなのです。その時代の気分次第で、ヨイショされたり、ブーイングされたり・・・世間というのは怪物みたいなものではないでしょうか。...
自分の「好き」を撮りましょうと言われています。でも、自分の「好き」に疑問を投げかけるのが写真だと思うのです。自分の「好き」にケチをつけることではなくもう一度見直すということなんですね。「好き」と思い込んでいるだけかもとか「好き」と思い込まされているだけかもとか。まあ、いちいちそんなことをやっていたら疲れますからたまにでいいと思いますし、あえてやらなくてもいいとは思いますが・・・。...
写真が難しいのは立体を平面として見ることに慣れていないことも理由の一つだと思います。写真を撮ることには今の時代、スマホなどで小さいころから当たり前に行っているので「写真なんてチョー簡単!」と思ってしまうのですね。フィルムカメラの時代ですら、他のアートから「写真なんてカメラが撮ってくれるんだからいいよね」なんて思われていました。「写真なんて、ラ~ラ~ラ~♪」だったのです。でも、自分でカメラを本格的に...
行ってきました。...
写真をするのに才能は必要なのでしょうか。写真がアートだとしたら音楽や絵画のように才能が必要になって来ます。でも、あえて写真をアートだと思わなくてもいいと思うのです。たしかに、写真のセンスがいいなあと羨ましくなってくる人っていますよね。バズっている写真などを撮っている人たちが思い浮かびます。そうできるのは写真の才能があるからと言えるのですが、バズる写真だけが写真でないことは言わずもがなです。楽しみ方...
撮影しました。...
「暗黙の了解」というのがあります。わざわざ断らなくても通じることですよね。でも、今はそうではなくなってきました。「個人の感想です」ーふつう感想を述べるのは個人だと思うのですが。「CM上の演出です」ーこんなのマネする人がいるの?そして・・・「写真はイメージです」ー写真=実物なんてありえないのに。なんだかメンドクセー世の中になったものですね。...
写真に写っているからホントだろうから写真に写っているからウソかもしれないへ写真にとって激動の時代になったなあと昭和カメ爺はシミジミト思いながらシジミの味噌汁をすするのです。...
昔、正確には大昔、テレビドラマの主題歌に「七つの顔のおじさんのホントの顔はどれでしょう?♪」という歌詞がありました。今考えると、それは七つの顔のどれもホントの顔でもあり、ウソの顔でもあり、ホントかウソかはどちらでもいいことのように聞こえます。それぞれの顔で難題をカッコよく解決して、視聴者をスッキリした気分にしてくれればよかったのですから。まあ、ドラマがどんな内容だったのかは忘却の彼方なのですが、懐...
写真の投稿だけです。...
写真関係のSNSの記事を見ていると、ある言葉をよく見かけるようになり、気になって来ました。「私」関連と言うのでしょか、「私」以外に、「私」「わたし」「僕」「ぼく」「自分」「じぶん」などですね。そのような言葉が目につく記事の特徴は、その人が食べたもの、飲んだもの、家族や友だち、友好な関係の人たちなど、プライベートな写真が多い気がすることです。ふつうSNSは不特定の人たちに向けて発信されるものですから、その...
つくづく写真というのは被写体しだいなんだなあと思います。それでアレブレボケ写真は文句を言われたのです。肝心のどんな被写体が写っているかが分からないことで見る人を落ち着かなくさせました。人は落ち着かないことは嫌ですからイライラしてボヤいたのだと思います。その代表ともいえる森山大道が世界的な写真家になったのですが、それでも写真というのは被写体しだいなのは変わらないと思います。「いい写真」というのは写真...
デジカメが上手に撮れ過ぎてくるとフィルムカメラの上手く撮れなさが魅力的になって来る・・・揺れ動くカメラマンゴコロですが、次はどこへ向かうのでしょうか。下手は嫌ですが、上手くても面白くない・・・人間カメラマン相手にカメラたちも大変だなあと思います。...
最近は嫌々写真を撮っている気がしています。慢性の人生疲労にも悩まされているのですし。それなら辞めておけばいいのですがそういうわけにもいかないところがあるのです。あえて撮らなくてもいいよと言われると、それならともかく撮っておこうということなのです。別に記録とか、何かの役に立つとは思えないのですが撮らないよりは撮っておいたほうがいいようなという、何とも頼りない動機が親指を動かしています。...
天王寺は遠かったです。...
自分の「好き」を撮りましょうと言われています。でも、自分の「好き」に疑問を投げかけるのが写真だと思うのです。自分の「好き」にケチをつけることではなくもう一度見直すということなんですね。まあ、いちいちそんなことをやっていたら疲れますからたまにでいいと思いますし、あえてやらなくてもいいとは思いますが。...
今年も「危険な暑さ」がやってきました。写真で「危険な暑さ」を撮影やレタッチで工夫すれば表現出来ますよね。でも、それは「危険な暑さ」を連想させるだけで写真そのものが「危険」であったり「暑」かったりするわけではありません。人間の想像力はスゴイと思います。...
かつて、カメラのファインダーのピント合わせやオートフォーカスの測距点は、画面の真ん中にありました。そのことは何を意味するのでしょうか?人は写真を撮ろうとする時、何も考えないと、無意識に撮りたいものを画面の真ん中に持ってきますよね。当然と言えば当然だと思います。画面の隅っこに小さく撮ろうとはふつうは、しないです。そうなんです。「日の丸構図」は写真撮影の原点と言えます。「日の丸構図」については、いろい...
当たり前にあることは話題になりません。当たり前には古さが付きまとうからです。人は新鮮さを求めます。写真も新鮮さが楽しませてくれます。新しいカメラ、新しいレンズ、新しい被写体・・・でも、新しいには時間という非情なヤツがやってきます。新鮮さというラベルを剥がすのです。見慣れた光景・・・退屈です。写真に撮って、新鮮な光景に変身させたとしてもやがて飽きてくるのです。写真を続けるには「当たり前」を「当たり前...
主張には根拠が必要と言われています。自分の言いたいことは主観的なのでそれを裏付ける客観的で正当な理由が要るのですね。写真も「こう撮れ!」みたいなことが言われます。どうしてかと訊くと「なぜならみんな(多くの人)が、いい写真と言ってくれるから」のような返答が帰ってきます。少し理屈ぽくなるのですがある根拠にはその根拠を支える別の根拠が必要ではないでしょうか。そのことは堂々巡りを意味しています。正論が複数...
用事で出かけたついでに「新石切駅」周辺と「石切さん(石切神社)」周辺で撮影してきました。お天気で暑かったので意識を失う前に帰ってきました。...
ChatGPTに「さん」を付けることってあるんですね。対話型なのでそうなのでしょうか。いずれ人格みたいなものを備えることを見越しているのでしょう。近い未来、相談するのにいちばん信頼のおけるのがChatGPTになるのかもしれません。自分の写真作品の評価を尋ねたりも出来るですね。フォトコンテストの審査員に選ばれることもありそうです。そうなると、自分の応募した自信作が落選したら憤懣の向けようはなくなるのです。フォトコ...
写真展などでキャプションとステートメントと言う言葉が使われます。どちらも文章なのですが詩なども使われるようですがとても簡単に整理してみました。キャプションは説明文です。それで客観的に分かりやすく書く必要があります。作品の理解を助けるために書かれるのですから難解な文章はNGです。いっぽう、ステートメントは声明文です。それは意思表示であり主観的なモノです。自分の写真観みたいなモノを今回の作品で反映させた...
私は多感、と言うより冷や汗の多い「多汗」な時代に写真を始めたので、どうしてもそのころのことが基準になります。デジタルの時代になったのにフィルムの時代の考え方から抜けられません。一時は「デジタルもフィルムも写真には変わらへん」と思っていました。でも、最近はデジタルとフィルムは明らかに違う、別のものではないかなと思い始めています。ただ、自分自身はこれまでのような写真を撮り続けると思っています。...
写真はボケやX構図で遠近感を出せますよね。絵画では遠近法と言うようです。写真は平面の画像なので実際には目から等距離にあります。それを前後に感じるのですから人間の目っていい加減なんやなと思います。...
「散歩」とは辞書的には気晴らしや健康のためにブラブラ歩くことと説明されています。でも、本来は特に理由などなくただ歩きたいからするもののように思います。季節や時間帯や天候などや距離・歩数は関係ないのです。まあ台風や大雨の時は向いていないと思いますが。数百メートルでも散歩は散歩です。嫌になったら止めればいいのですから。健康のためとか、1万歩歩くことが目標とかは散歩が手段になっている気がします。私の写真...
最近のことはよく知らないのですがアルバムというのを、紙のプリントで残している人ってどれくらいいるのでしょうか。スマホやネットのストレージのケースが多いのかもしれません。上手く整理しておけば、紙のアルバムみたいに、かさばらないですよね。でも、ネットだと思い出が宙ぶらりんのように感じます。紙のほうが、思い出がそこにいてくれるように感じるのですが今は、そんなことはない時代になったのでしょうね。...
森山大道さんたちが発表していたアレブレボケ写真のようなカットが、国鉄(今のJR)の観光キャンペーン「ディスカバー・ジャパン(DISCOVER JAPAN)」に使われたのは、アレブレボケには旅情を誘うところがあったからではないでしょうか。森山さんには中平卓馬という写真仲間がいて、同じようなアレブレボケ写真を撮っていました。中平さんはアレブレボケ写真が観光キャンペーンに使われてからはアレブレボケ写真から離れ、写真を図...
撮影カットをレタッチでトリミングするとデザイン的な写真になるような気がします。...
私自身、いまだによく分かっていないのですが写真は現実をそのままそっくりに捉えることではなく写真という、もう一つの現実を捉える手段のように考えたほうがいいのでは?と思っています。もう一つの現実、つまり再現とか、表現とかいう言葉とは違う写真が捉え得る何か、リアリティーみたいなことではないのかなと思うのです。「いわゆる現実」とは違う「もう一つの現実」を捉えることが出来るのが写真というメディアのように思い...
観光などで初めての場所に行くと見るものすべてが新鮮に映りますよね。それで写真を撮ると興奮状態ですからいわゆる撮らされている結果になりあまりいい写真は撮れないよという意見があります。宿泊できるのなら初日はカメラを持たずにブラブラ歩いて、自分の目でチェックしてゆくようにしましょうと言われています。そうすると2日目にカメラを持って出かけることで冷静に観光地を見れるのでいい写真に結びつくということですね。...
時々「ローアングル」と「ローポジション」が混同されていることがあり、気になっています。地面近く、低いところでまっすぐ水平方向に撮るのは「ローポジション」での撮影なんですね。よく言われる「子供目線」とか「ペット目線」は「ローポジション」のことだと思います。いっぽう、下から上方向にに撮るのが「ローアングル」での撮影です。ビルの屋上で、真上に旋回するヘリコプターに向かって撮るのが「ローアングル」での撮影...
ウジェーヌ・アジェという写真家がいます。写真史では必ずと言っていいほど出てくる人です。画家になりたくてパリに出てきたのですが、画家ではなく写真家として「美術家のための資料」にとパリの街を撮り集めることで生活の糧にしました。生活は恵まれなかったみたいで死ぬまでパンと砂糖とミルクを常食としていたというカッコいい写真家だったと思います。アジェには他人事だからそんなふうに言えるんだと怒られるかもしれません...
表現というのは自分が中心になると思うのですがコミュニケーションというのは相手が中心になると思います。そのため表現は相手に届かないことも受け入れる必要がありますがコミュニケーションは相手に届かないと成立しないものなんですね。写真のSNSなどを見ているとそのことが混同されている気がします。「繋がる」という言葉が使われますが表現を意識しているのかコミュニケーションを意識しているのかあいまいな気がするのです...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...