写真と野球は違いますが、野球が好きなのであくまでイメージとして野球に例えて書きたいと思います。ピッチャーが投げるボールが被写体、自分の使っているカメラがバットです。ピッチャーが投げるボールは多種多様なのが写真の面白いところなんですね。その中で自分の打ち易そうなボールは好きな被写体と言えます。実際、ヒットになりやすいです。ただ、ここで言うヒットは自分で見てであって、誰かの客観的な評価とは別と考えます...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
もしかすると世の中は無表情化していっているのかな、などと思うのです。コロナはとりあえず落ち着いたもののインフルエンザとかでマスクの人のほうが今も多いですよね。お母さんやお父さんの顔がマスクに覆われて育った子供は大きくなったら、お母さんやお父さんのどんな表情で思い出すのでしょうか。顔全体で表情ですからマスク顔は表情とは言えない気がします。「マスク美人」という言葉がありますがもし仮に私が写真を撮らせ...
用事で出かけたついでに近鉄布施駅周辺で撮影してきました。...
変なことを言うようですが変なことが変でない時代になったように感じることがあります。単なる時代錯誤の感覚の部分が大きいと思うのですがそれだけでもない気もするのです。写真は撮るものだと思っていたのですが今は写真は作るものになりました。あったものを撮るのが写真だったのですが写真として作ったものがあったものなのです。変な時代は大変な時代なんですね。...
通りすがりの○△□231207・アレやコレやで、エエトコだっせ 3
新鮮な視線を見つけるためにハイアングルやローアングルでも撮ってみましょうと言われます。でもそれは普段は見下ろしたり、見上げたりしないで生活しているので新鮮に感じるだけではないでしょうか。普段の、日常の視線の中で、異質な視線を探るのが写真の面白さだと思います。見慣れているというのはある意味で眠気眼でモノを見ているわけですからハッとさせられる目を持てるかどうかなんですね。ただ、それは撮影後でないと分か...
通りすがりの○△□231207・アレやコレやで、エエトコだっせ 2
スナップとは時間的に素早く、つまり瞬間的に撮るのではなく考える時間を極力短くして、つまり自分の想念を瞬殺して撮ること。「あっ!」と思うまではキョロキョロしながらアレコレ考えていても「んっ?」と思ったら構図をどうするかとか、光線状態を読もうとかはあまり考えないで瞬間的に指先に反応さることができるかどうか・・・それがスナップだと思う。構図や光線状態は現場は生きて動いているのだから目をやるのは被写体であ...
通りすがりの○△□231025・そなんやけどMINAMI 6
かつては写真の上手い人に出会うたびに激しい劣等感に襲われていました。「なんでこの人こんなに上手いんやろ」「オレにはとてもこんなふうには撮れへん」今、歳を取って不感症になったせいでしょうか。ネットで上手い写真ばかり見るようになったせいでしょうか。「この人、上手いな。それで・・・」もう自分を写真の世界で成長させるという気はサラサラなくなりもはやマイペースという言葉すら脱落したカメ爺になりました。「こん...
カメラを始めたらいつも見慣れたものが新鮮に見えてくると言います。気づかずに見過ごしていたものに目をやるようになったと言います。そうでしょうか?新鮮に見えてくるのはフレームに入れて見るからで写真になると気づいたもの以外は逆に見えにくくなるのではないでしょうか。写真を始めたことによる弊害・・・それは「写真になる、つまり絵になる」モノ以外を差別するようになることだと思います。...
通りすがりの○△□231005・街、後ろ姿のHappysong 11
写真関係のSNSの記事に撮影場所の情報を丁寧に書いている人も多いですよね。私はというとほとんど情報集めもしないでその場所へ撮影に出かけています。写真を撮れればどこでもいいというそこにとってはかなり失礼なカメ爺だと思います。まあ、後でテレビなどで知ることで次回の撮影の時は意識して撮っています。ただ、時遅しということも度々あるのでした。そういうことがないようにこれからは少しは下調べをして出かけようと思う...
呼吸するように撮りたいと言うのはいい写真を撮りたいとかを意識せずにという意味なのですが結局は「呼吸するように」と意識してしまっているんですね。それはとても不自然なことです。いちいち呼吸をする度に意識していたら疲れ果ててしまいます。写真を撮る時に意識するのは被写体のほうです。写真を撮る時にはゴチャゴチャ思わずにシャッターを切ることだと思います。なにしろカメラのほうが人間より偉いのですからカメラマンに...
写真に関してですが、正解があると思うから迷い、優劣があると思うから悩むんですよね。でも、そうではなくてあるのはその人が撮った、そんな写真だけではないでしょうか。写真をコミュニケーションや表現の手段として利用したりせずに呼吸するようにシャッターを押せればいいなあと思っています。...
何事も起こらないのがいいのです。特別なことなどなくてもいいのです。幸せという言葉が不幸せを作っているとしたら。かっこいい写真の撮り方にこだわるのはとてもかっこ悪いのではないでしょうか。ただ目の前の光景をただ撮ればいいのだと思います。ほとんどのことはカメラに任せればいいのですから。でも人はあたり前を特別なように撮りたいんですね。...
通りすがりの○△□231005・街、後ろ姿のHappysong 10
理屈は食べられないのでお腹の足しにはなりませんよね。でも理屈は退屈の一部を埋めることができるので頭の運動にはなると思っています。なにしろ退屈は死への一直線ルートなのに目に見えないこと自覚症状が希薄なことで本人は気づきにくいのです。アートにして退屈しのぎに人間が発明したのかもしれません。ただ、せめて時間の有効活用を考えた時、アートがふさわしかっただけではないでしょうか。アーティストが野良猫より偉いの...
行ってきました。...
通りすがりの○△□231025・そなんやけどMINAMI 5
理屈っぽいことが好きなんですね。写真もせめて自分の理屈のいくらかでも反映できればいいのですが撮っている写真はかなり乖離しているようです。よく楽しければいいと言われていますが私の場合、楽しいだけではつまらないのです。撮影や発表を楽しむ+理屈を言って写真を面白がる・・・贅沢なカメ爺です。...
通りすがりの○△□231025・そなんやけどMINAMI 4
ベストな1枚・・・確かにそれを目指すのはいいことなのですが写真の場合、その「ベスト」がたくさんある気がするんですよね。...
通りすがりの○△□230831・街、後ろ姿のHappysong 9
今さらなのですがカメラ、小さく、軽くなりましたね。写真関係のネットを見ていたら「軽さは正義」と書かれていました。いろんな正義があるのだと思いました。...
通りすがりの○△□2023・公園だもの・暮れ&明け kure 3
ピント、甘いです・・・。あっ、まあ、いいですということで自己完結します。望遠は遠くを見ることですがそうすると足元がおろそかになってけつまずいてコケそうになります。かと言って広角だと近づきすぎて周りが見えなくなりがちですよね。あるいはあれもこれもと目移りします。そう考えると標準が無難なのかなと思えてくるのです。標準は平凡なのですが、その平凡がまた難しいのです。写真をすると人は落ち着かなくなるのでしょ...
見てあっさり分かってしまうと物足りないです。見てまったく分からないとイラ立ちます。写真の話ですが中間の落としどころが悩ましいですね。...
写真関係の記事などを見ていると結局は写真というのはカメラと被写体なんだろうなあとしんみりと思えてくるのです。写真を撮る人、それを写真家と呼ぼうと、カメラマンと呼ぼうとはたまたフォトグラファーと呼ぼうと気のせいか影が薄くなってくるように感じます。特に被写体の存在感が半端でない時、それを撮った人は誰でもいいのかなあ~と力がぬけてゆくように思います。「あなた誰?」「そ、その写真を撮ったものです!」「あ、...
行ってきました。...
「簡単」というのは楽なところはいいですよね。これに「誰にでも」「出来る」が付いたら失敗なし、エネルギーの消費ほぼ無しの安心保障の代名詞みたいなものになります。でも写真に限って言えば「簡単」が写真の楽しみ、面白味を減らした気もします。結果が分かりすぎるというのでしょうかドラマを見る前からハッピーエンドが見え見えなのとよく似ているというのは、例えは変ですか?デジカメはその場でハッピーかどうか分かるので...
通りすがりの○△□2023・公園だもの・暮れ&明け kure 2
写真の投稿だけです。...
「いい写真の撮り方」という文章があるとします。そこに写真、つまり作品も載っています。読んでみるとなるほどと思えてくるのですがなぜか引っかかってくるのです。作品が「いい写真」の見本として添えられているのですがたしかに上手い写真ではあるのですが書いた人の「いい写真」の定義がよく分からないのです。私もよく「いい写真」という言葉を使いますが他に思いつかないだけで、じつはまったくと言っていいほど分かっていな...
ストリートスナップが流行っているらしいです。写真界全般に疎いカメ爺なのでよく分からないのですがネットで見るとスナップというよりポートレートなんですね。屋外の街の通りで人物をスナップ風に撮るからストリートスナップのようです。スタジオ撮影はライティングがメチャ難しいですが屋外のスナップだとライティングはどうなっているんだろうと思ったりするのでした。...
○○という機種で写真を撮ることにこだわるのがカメラマン、○○という機種で撮った写真にこだわるのが写真家、同じようで違うと思います。カメラマンは○○という機種が必要ですが写真家は○○という機種と同じように撮れる機種があればそれでもいいからです。カメラにアイデンティティーを強く感じるのがカメラマンカメラにアイデンティティーあまり感じないのが写真家ではないでしょうか。...
通りすがりの○△□2024・公園だもの・暮れ&明け ake1
「人間だもの、○○するのは◎◎だよ」という言い方はよく使われていますよね。仕方がないとか、無理もないとか、全然構わないとかということでその行為を受け入れる場合に使われることが多いと思います。自分が何かミスをして落ち込んでいる時に言われると少し救われた気になってきます。「人間だもの」…耳に響きのいい言葉ですよね。でもその言葉に最近ちょっと引っかかっています。「人間だもの」というのには「人間とは何か」が分...
時代に逆行する気はないのですが1200万画素のカメラを使ってみました。画像の質というのでしょうか私には見極める目がないのですが十分綺麗に写せるように思えました。花や風景なら高画質が必要、ベストだと思いますが街の風景スナップにはこれくらいでも個人的には全然OKですね。私の興味は3次元の空間である街の光景が2次元の平面画像ではどうなるかなのです。必要以上に美化したりしないほうがいいと思っています。かと言って街...
通りすがりの○△□2023・公園だもの・暮れ&明け kure1
自分でも意味不明なのですが「年の暮れだから久しぶりに超望遠ででも撮ってみようかな」ということでいつもの公園にいつもと違うカメラで撮影に出かけました。公園に着いて指にイッパイ絆創膏した手でカッコ付けて撮ろうとしたもののズームの望遠側の扱いが上手くできません。「えっ、えっ、ピント合えへん!」と難儀しました。カメラが古い機種(Canon PowerShot SX50HS)やから・・・と自分の操作が下手なのをカメラに責任転嫁し...
寒さもマシだったうえ、快晴だったので人手がすごかったですね。大きな広場が出来ていました。最近にしては撮影カット数は少なかったのですが撮っている写真は相変わらずと言えば相変らず・・・ですね。...
行ってきました。...
明けましておめでとうございます。今年も当ブログをよろしくお願いいたします。...
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写真と野球は違いますが、野球が好きなのであくまでイメージとして野球に例えて書きたいと思います。ピッチャーが投げるボールが被写体、自分の使っているカメラがバットです。ピッチャーが投げるボールは多種多様なのが写真の面白いところなんですね。その中で自分の打ち易そうなボールは好きな被写体と言えます。実際、ヒットになりやすいです。ただ、ここで言うヒットは自分で見てであって、誰かの客観的な評価とは別と考えます...
観光地などに出かけて綺麗な景色を前にしてカメラでひたすらにパチパチ撮っていることってありますよね。せっかく、遠出してやってきたのに、それではその風景に浸れないのではと、思っていました。いいえ、今でも一応はそう思います。ただ、少し考え方が変わってきました。風景以外でも、例えば音楽で言えばロックのライブでの撮影です。ライブの撮影の経験はないのですが、やはりカメラを持って撮影しているとロックの音楽そのも...
写真でいう感想とは予め決められたマークをポチすることでもなく☆の数を選ぶことでもないのではないでしょうか。なぜそのマークをポチしたか、なぜその数を選んだか目に見えるカタチで自分の言葉にすることだと思うのです。それを誰かに見せるためではなくても、それを誰かに伝えるためでなくても・・・ですね。ポチしただけ、選んだだけでもいいのかもしれませんが自分が意識化できるかが大切なのではないでしょうか。ただの好き...
行ってきました。...
「文句ある?」と言われた時、3つの反応が思い浮かびます。一つ目は「いいえ、納得で、何も言うことありません」です。二つ目は「はい、自分はこう思います」です。そして三つめが「何となく違和感があるけれど、今の自分には言葉に出来ない」です。議論のための議論では水の掛け合いになるので夏などにはいいにしても、一年中というわけにはいきません。やはり、お互いの実感からの議論が必要ではないでしょうか。写真でもいろい...
写真ではよく「思いを伝える」と言われています。ではこの「思い」とは何を指すのでしょうか?大きくは次の2つに分けられると思います。①「思い」は「感情」のことです。コミュニケーションを重視します。コミュニケーションの対象はふつうは身の回りの人たちですがSNSなどを通じて不特定多数の人たちのことも多くなりました。時には自分のこともあります。思い出の瞬間の感情をより鮮明に自分に伝えてくれるからです。言葉はその...
20代に突入したころ、写真を始めました。それから半世紀以上経ったのですが、飽き性の自分がよく続けられたなと思っています。そんな私ですが、30代の半ばごろに突然、「モノクロはもう辞めた」とカラーに切り替えました。そんな日々を、年齢的に無理して首筋を傷めない程度に振り返ってみると20代、30代にも自分なりに「いい写真」は撮れていたと思います。あくまで自分基準の「いい写真」ですが「あの頃のほうが、いい写真を撮れ...
写真史としての名作は一定の評価はされているのですが今、有名な写真家にしても登場当初というのでしょうか初めて作品として写真を発表した時には酷評された人もいたのです。写真の世界の価値観みたいなものは時代とともに変わってゆきます。写真の世界に吹く、世間の風は気まぐれなのです。その時代の気分次第で、ヨイショされたり、ブーイングされたり・・・世間というのは怪物みたいなものではないでしょうか。...
自分の「好き」を撮りましょうと言われています。でも、自分の「好き」に疑問を投げかけるのが写真だと思うのです。自分の「好き」にケチをつけることではなくもう一度見直すということなんですね。「好き」と思い込んでいるだけかもとか「好き」と思い込まされているだけかもとか。まあ、いちいちそんなことをやっていたら疲れますからたまにでいいと思いますし、あえてやらなくてもいいとは思いますが・・・。...
写真が難しいのは立体を平面として見ることに慣れていないことも理由の一つだと思います。写真を撮ることには今の時代、スマホなどで小さいころから当たり前に行っているので「写真なんてチョー簡単!」と思ってしまうのですね。フィルムカメラの時代ですら、他のアートから「写真なんてカメラが撮ってくれるんだからいいよね」なんて思われていました。「写真なんて、ラ~ラ~ラ~♪」だったのです。でも、自分でカメラを本格的に...
行ってきました。...
写真をするのに才能は必要なのでしょうか。写真がアートだとしたら音楽や絵画のように才能が必要になって来ます。でも、あえて写真をアートだと思わなくてもいいと思うのです。たしかに、写真のセンスがいいなあと羨ましくなってくる人っていますよね。バズっている写真などを撮っている人たちが思い浮かびます。そうできるのは写真の才能があるからと言えるのですが、バズる写真だけが写真でないことは言わずもがなです。楽しみ方...
撮影しました。...
「暗黙の了解」というのがあります。わざわざ断らなくても通じることですよね。でも、今はそうではなくなってきました。「個人の感想です」ーふつう感想を述べるのは個人だと思うのですが。「CM上の演出です」ーこんなのマネする人がいるの?そして・・・「写真はイメージです」ー写真=実物なんてありえないのに。なんだかメンドクセー世の中になったものですね。...
写真に写っているからホントだろうから写真に写っているからウソかもしれないへ写真にとって激動の時代になったなあと昭和カメ爺はシミジミト思いながらシジミの味噌汁をすするのです。...
昔、正確には大昔、テレビドラマの主題歌に「七つの顔のおじさんのホントの顔はどれでしょう?♪」という歌詞がありました。今考えると、それは七つの顔のどれもホントの顔でもあり、ウソの顔でもあり、ホントかウソかはどちらでもいいことのように聞こえます。それぞれの顔で難題をカッコよく解決して、視聴者をスッキリした気分にしてくれればよかったのですから。まあ、ドラマがどんな内容だったのかは忘却の彼方なのですが、懐...
写真の投稿だけです。...
写真関係のSNSの記事を見ていると、ある言葉をよく見かけるようになり、気になって来ました。「私」関連と言うのでしょか、「私」以外に、「私」「わたし」「僕」「ぼく」「自分」「じぶん」などですね。そのような言葉が目につく記事の特徴は、その人が食べたもの、飲んだもの、家族や友だち、友好な関係の人たちなど、プライベートな写真が多い気がすることです。ふつうSNSは不特定の人たちに向けて発信されるものですから、その...
つくづく写真というのは被写体しだいなんだなあと思います。それでアレブレボケ写真は文句を言われたのです。肝心のどんな被写体が写っているかが分からないことで見る人を落ち着かなくさせました。人は落ち着かないことは嫌ですからイライラしてボヤいたのだと思います。その代表ともいえる森山大道が世界的な写真家になったのですが、それでも写真というのは被写体しだいなのは変わらないと思います。「いい写真」というのは写真...
デジカメが上手に撮れ過ぎてくるとフィルムカメラの上手く撮れなさが魅力的になって来る・・・揺れ動くカメラマンゴコロですが、次はどこへ向かうのでしょうか。下手は嫌ですが、上手くても面白くない・・・人間カメラマン相手にカメラたちも大変だなあと思います。...
写真は好き嫌いがハッキリするメディアだと思います。好き=撮りたいもの、嫌い=撮りたくないものですね。ただ、現実の光景には好きと嫌いが共存しています。そこでテクニックです。ボカします。明るいレンズを開放気味にしたりします。覆い焼きします。レッタチで周辺を黒っぽくするイメージです。飛ばします。潰します。ちょっと、怖い言い方です。見えなくします。好きなものの後ろに嫌いなものを隠します。トリミングします。...
街歩きの動画を見ていると情報量で言えば写真は叶わないなあと思います。なにしろ動画は写真=静止画の大量集団ですから数では勝てません。戦う前から要白旗なのですね。では写真は動画に勝てないのでしょうか。そんなことはないと思います。今のところ、よく分からないのですが写真には「余白の魅力みたいなところがあると思います。まあ、争う必要もないのですが。...
今年も「危険な暑さ」がやってきました。写真で「危険な暑さ」を撮影やレタッチで工夫すれば表現出来ますよね。でも、それは「危険な暑さ」を連想させるだけで写真そのものが「危険」であったり「暑」かったりするわけではありません。人間の想像力はスゴイと思います。...
かつて、カメラのファインダーのピント合わせやオートフォーカスの測距点は、画面の真ん中にありました。そのことは何を意味するのでしょうか?人は写真を撮ろうとする時、何も考えないと、無意識に撮りたいものを画面の真ん中に持ってきますよね。当然と言えば当然だと思います。画面の隅っこに小さく撮ろうとはふつうは、しないです。そうなんです。「日の丸構図」は写真撮影の原点と言えます。「日の丸構図」については、いろい...
当たり前にあることは話題になりません。当たり前には古さが付きまとうからです。人は新鮮さを求めます。写真も新鮮さが楽しませてくれます。新しいカメラ、新しいレンズ、新しい被写体・・・でも、新しいには時間という非情なヤツがやってきます。新鮮さというラベルを剥がすのです。見慣れた光景・・・退屈です。写真に撮って、新鮮な光景に変身させたとしてもやがて飽きてくるのです。写真を続けるには「当たり前」を「当たり前...
主張には根拠が必要と言われています。自分の言いたいことは主観的なのでそれを裏付ける客観的で正当な理由が要るのですね。写真も「こう撮れ!」みたいなことが言われます。どうしてかと訊くと「なぜならみんな(多くの人)が、いい写真と言ってくれるから」のような返答が帰ってきます。少し理屈ぽくなるのですがある根拠にはその根拠を支える別の根拠が必要ではないでしょうか。そのことは堂々巡りを意味しています。正論が複数...
用事で出かけたついでに「新石切駅」周辺と「石切さん(石切神社)」周辺で撮影してきました。お天気で暑かったので意識を失う前に帰ってきました。...
ChatGPTに「さん」を付けることってあるんですね。対話型なのでそうなのでしょうか。いずれ人格みたいなものを備えることを見越しているのでしょう。近い未来、相談するのにいちばん信頼のおけるのがChatGPTになるのかもしれません。自分の写真作品の評価を尋ねたりも出来るですね。フォトコンテストの審査員に選ばれることもありそうです。そうなると、自分の応募した自信作が落選したら憤懣の向けようはなくなるのです。フォトコ...
写真展などでキャプションとステートメントと言う言葉が使われます。どちらも文章なのですが詩なども使われるようですがとても簡単に整理してみました。キャプションは説明文です。それで客観的に分かりやすく書く必要があります。作品の理解を助けるために書かれるのですから難解な文章はNGです。いっぽう、ステートメントは声明文です。それは意思表示であり主観的なモノです。自分の写真観みたいなモノを今回の作品で反映させた...
私は多感、と言うより冷や汗の多い「多汗」な時代に写真を始めたので、どうしてもそのころのことが基準になります。デジタルの時代になったのにフィルムの時代の考え方から抜けられません。一時は「デジタルもフィルムも写真には変わらへん」と思っていました。でも、最近はデジタルとフィルムは明らかに違う、別のものではないかなと思い始めています。ただ、自分自身はこれまでのような写真を撮り続けると思っています。...
写真はボケやX構図で遠近感を出せますよね。絵画では遠近法と言うようです。写真は平面の画像なので実際には目から等距離にあります。それを前後に感じるのですから人間の目っていい加減なんやなと思います。...
「散歩」とは辞書的には気晴らしや健康のためにブラブラ歩くことと説明されています。でも、本来は特に理由などなくただ歩きたいからするもののように思います。季節や時間帯や天候などや距離・歩数は関係ないのです。まあ台風や大雨の時は向いていないと思いますが。数百メートルでも散歩は散歩です。嫌になったら止めればいいのですから。健康のためとか、1万歩歩くことが目標とかは散歩が手段になっている気がします。私の写真...
最近のことはよく知らないのですがアルバムというのを、紙のプリントで残している人ってどれくらいいるのでしょうか。スマホやネットのストレージのケースが多いのかもしれません。上手く整理しておけば、紙のアルバムみたいに、かさばらないですよね。でも、ネットだと思い出が宙ぶらりんのように感じます。紙のほうが、思い出がそこにいてくれるように感じるのですが今は、そんなことはない時代になったのでしょうね。...
森山大道さんたちが発表していたアレブレボケ写真のようなカットが、国鉄(今のJR)の観光キャンペーン「ディスカバー・ジャパン(DISCOVER JAPAN)」に使われたのは、アレブレボケには旅情を誘うところがあったからではないでしょうか。森山さんには中平卓馬という写真仲間がいて、同じようなアレブレボケ写真を撮っていました。中平さんはアレブレボケ写真が観光キャンペーンに使われてからはアレブレボケ写真から離れ、写真を図...
撮影カットをレタッチでトリミングするとデザイン的な写真になるような気がします。...
私自身、いまだによく分かっていないのですが写真は現実をそのままそっくりに捉えることではなく写真という、もう一つの現実を捉える手段のように考えたほうがいいのでは?と思っています。もう一つの現実、つまり再現とか、表現とかいう言葉とは違う写真が捉え得る何か、リアリティーみたいなことではないのかなと思うのです。「いわゆる現実」とは違う「もう一つの現実」を捉えることが出来るのが写真というメディアのように思い...
観光などで初めての場所に行くと見るものすべてが新鮮に映りますよね。それで写真を撮ると興奮状態ですからいわゆる撮らされている結果になりあまりいい写真は撮れないよという意見があります。宿泊できるのなら初日はカメラを持たずにブラブラ歩いて、自分の目でチェックしてゆくようにしましょうと言われています。そうすると2日目にカメラを持って出かけることで冷静に観光地を見れるのでいい写真に結びつくということですね。...
時々「ローアングル」と「ローポジション」が混同されていることがあり、気になっています。地面近く、低いところでまっすぐ水平方向に撮るのは「ローポジション」での撮影なんですね。よく言われる「子供目線」とか「ペット目線」は「ローポジション」のことだと思います。いっぽう、下から上方向にに撮るのが「ローアングル」での撮影です。ビルの屋上で、真上に旋回するヘリコプターに向かって撮るのが「ローアングル」での撮影...
ウジェーヌ・アジェという写真家がいます。写真史では必ずと言っていいほど出てくる人です。画家になりたくてパリに出てきたのですが、画家ではなく写真家として「美術家のための資料」にとパリの街を撮り集めることで生活の糧にしました。生活は恵まれなかったみたいで死ぬまでパンと砂糖とミルクを常食としていたというカッコいい写真家だったと思います。アジェには他人事だからそんなふうに言えるんだと怒られるかもしれません...
表現というのは自分が中心になると思うのですがコミュニケーションというのは相手が中心になると思います。そのため表現は相手に届かないことも受け入れる必要がありますがコミュニケーションは相手に届かないと成立しないものなんですね。写真のSNSなどを見ているとそのことが混同されている気がします。「繋がる」という言葉が使われますが表現を意識しているのかコミュニケーションを意識しているのかあいまいな気がするのです...